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サックス七重奏 ヴォカリーズ:ラフマニノフ 楽譜

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サックス七重奏 ヴォカリーズ:ラフマニノフ
S.Rakhmaninov Vocalise op34-14
編成はソプラノ、アルト3本、テナー2本、バリトンです。
クラリネット七重奏、木管七重奏、にも変更可能です。

シンプルな中にロシア色が豊かに感じられる名曲をコンサート・ピースなどに、ぜひどうぞ。
お求めの際はこちらからお願いします。

アトリエ・アニマート・ショップ
https://animato.official.ec/

参考音源
https://youtu.be/xYO15HnCfY4

アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3
https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html

セルゲイ・ラフマニノフ作曲による『ヴォカリーズ(Vocalise)』(フランス語)作品34-14は、1915年に作曲・出版された
ソプラノまたはテノールのための「14の歌曲集(Fourteen Songs, Opus 34)」作品34の終曲にあたります。
ロシアのソプラノ歌手アントニーナ・ネジダーノヴァ(Antonina Nezhdanova/1873-1950)に献呈されました。
歌詞のないヴォカリーズで歌われる旋律と、淡々と和音と対旋律とを奏でていくピアノの伴奏が印象的です。
ロシア語の制約を受けないためもあって、ラフマニノフの数多ある歌曲の中でも、最もよく知られた曲となっています。
また、作曲者自身による管弦楽版をはじめとしてさまざまな楽器のために編曲され広く演奏されており、
調性についても原曲の嬰ハ短調のほか、ホ短調、イ短調のものなどがあります。

『ヴォカリーズ』は、作品34がいったん完成した後、その後続作品としてモスクワで作曲されました。
最も古い手書きの草稿には「1915年4月1日」の日付があり、この年に作曲されたものと考えられています。
作品34は『ヴォカリーズ』が終曲として追加されたことにより『14の歌曲集』となりました。

ロシア音楽に共通の愁いを含んだ調べは、この作品では、バロック音楽の特色である「紡ぎ出し動機」の手法によっていて、
短い動機の畳み掛けによって息の長い旋律が導き出されています。鍵盤楽器による伴奏が、もっぱら和音の連打に徹しながら、
時おり対旋律を奏でて、瞬間的なポリフォニーをつくり出しているのも、初期バロックのモノディ様式を思わせます。
旋律の紡ぎ出し部分は、ラフマニノフが愛したグレゴリオ聖歌《怒りの日》の歌い出し部分の借用です。
また、拍子の変更こそ散見されるものの、(ロシア五人組の特徴である)不協和音や旋法の多用を行わず、
古典的な明晰な調性感によって曲は進められます。
西欧的な手法や素材を用いながらも民族的な表現を醸し出している点で、ラフマニノフのこだわりを感じさせています。

ヴォカリーズとは、歌詞を伴わない発声練習や歌唱法で、フランス語の「vocaliser(声にする、声だけで歌う)」の
命令形「vocalise」に由来しています。

ラヴェルやコープランドもヴォカリーズを残していますが、やはりラフマニノフの作品が最も有名です。
ラフマニノフの『ヴォカリーズ』は、作曲者の生前から非常に人気が高く、さまざまな形に編曲されてきました。

ピアノソロ版、ヴァイオリン独奏版、作曲者自身による管弦楽版、フルート独奏と管弦楽伴奏版、チェロやヴァイオリンなどの
独奏楽器とピアノ伴奏によるデュエット版など、様々な表情の『ヴォカリーズ』を楽しむことができます。


1917年12月、ラフマニノフは十月革命が成就したロシアを家族とともに後にし、スカンディナヴィア諸国への演奏旅行に出かけました。
そのまま彼は二度とロシアの地を踏むことはありませんでした。
ラフマニノフ自身の「僕に唯一門戸を閉ざしているのが、他ならぬ我が祖国ロシアである」という言葉が残されています。

しばらくはデンマークを拠点に演奏活動を行ったあと、1918年の秋にアメリカに渡り、以後はおもにコンサート・ピアニストとして
活動するようになりました。それまでラフマニノフのピアニストとしてのレパートリーは自作がほとんどでしたが、
アメリカ移住を機にベートーヴェンからショパンまで幅広いレパートリーを誇る、きわめて活動的なコンサート・ピアニストへと
変貌を遂げたのです。1925年以降はヨーロッパでの演奏活動も再開しました。

ロシア出国後は作曲活動はきわめて低調になりました。これは多忙な演奏活動のために作曲にかける時間を確保できなかったのみならず、
故郷を喪失したことにより作曲への意欲自体が衰えてしまったためでもありまた。友人になぜ作曲をしないのかと尋ねられると、
「もう何年もライ麦のささやきも白樺のざわめきも聞いてない」ことを理由に挙げたといいます。それでも1926年にはロシア出国後初の作品となるピアノ協奏曲第4番を作曲した。

1931年、スイスのルツェルン湖畔にセナールと呼ばれる別荘を建て、ヨーロッパでの生活の拠点としました。
やがてナチスが勢力を拡大するとスイスにも滞在することができなくなりました。
最後の作品となる交響的舞曲を作曲したのはロングアイランドでのことでした。
1942年には家族とともにカリフォルニア州のビバリーヒルズに移り住みました。
左手小指の関節痛に悩まされながらも、演奏活動は亡くなる直前まで続けられた。

1943年3月28日、70歳の誕生日を目前にして癌のためビバリーヒルズの自宅で死去しました。
ラフマニノフ自身はモスクワのノヴォデヴィチ墓地に埋葬されることを望んでいましたが戦争中のことでもあり実現できず、
6月1日にニューヨーク州ヴァルハラのケンシコ墓地に埋葬されました。

アトリエ・アニマート
https://animato-jp.net/

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