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金管五重奏 「グノシエンヌ第1番」楽譜

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金管五重奏 「グノシエンヌ第1番」
1st Gnossiennes

編成はトランペット2本、ホルン、トロンボーンまたはユーフォニアム、チューバです。
ホルンはトロンボーン、ユーフォニアムに変更可能。
その他、木管、サックスなどの五重奏も可能。

サティの魅力を、ぜひ演奏で表現してみてください。
お求めの際はこちらからお願いします。

アトリエ・アニマート・ショップ
https://animato.official.ec/

参考音源
https://youtu.be/SKKPqlfLFzA

アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3
https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html

グノシエンヌ(Gnossiennes)はフランスの作曲家、エリック・サティ(1866-1925)が作曲した6曲からなるピアノ曲です。
第1番から第3番までの3曲は「3つのグノシエンヌ」として1890年に作曲されました。
「3つのグノシエンヌ」は1890年、サティが24歳の時の作品です。
サティが生前に発表したのはこの「3つのグノシエンヌ」の3曲のみで、没後に発見、出版された第4番から第6番は
サティ自身の題名付けがなされておらず、作曲時期と曲の雰囲気からこのグノシエンヌに組み込まれたようです。
作曲時期はそれぞれ第4番(1891年)、第5番(1889年)、第6番(1897年)となっています。
1880年代初めサティはパリ音楽院の学生でしたが、当時の音楽界の保守的な雰囲気になじめず音楽院を嫌っていて
(怠け者で欠席の常習犯であったようです)、82年に成績不振で一度退学させられます。
その後もトドゥーの和声のクラスやマティアスのピアノのクラスに受け入れられましたが、決して優秀な学生ではありませんでした。
しかしその頃からサティは初期を代表する作品(後にドビュッシーやラヴェルらが多大な影響を受ける)を立て続けに作曲しました。
1887年に『3つのサラバンド』、1888年に『3つのジムノペディ 』を、そして1890年に『3つのグノシェンヌ』です。

それぞれに特徴があります。
グノシェンヌ第1番:ギリシャ旋法と前打音
グノシェンヌ第2番:メロディーにおける3連符の多用(それ故、8分の12拍子に感じる)
グノシェンヌ第3番:ギリシャ旋法とふしまわしの繰り返し、増2度の多用

題名は古代ギリシャ、クレタ島にあった古都の名前からとられたと言われていますが異説もあるようです。
1886年に「退屈すぎる」と言う驚きの理由でパリ音楽院を退学したサティは翌1887年から
パリのモンマルトルにある芸術家や文化人のたまり場としても有名なキャバレー「ル・シャ・ノワール(黒猫)」で
ピアノ弾きとして生計を立てながら作曲活動を行うことになりました。

1889年に開催されたパリ万博では西欧以外の音楽にも触れ大きなインスピレーションを得たと言われています。
ですから『3つのジムノペディ 』に比べてもより東洋的な雰囲気を感じることが出来ます。
タイトルはサティ自身の造語とも言われていますが、「グノス風」という意味合いがあります。
「グノス」とは古代クレタ島にあったとされる「グノーソス(古都)」のことや、神秘教会グノーシス派とも言われています。

拍子記号も小節線もない楽譜で、すべての曲は左手で繰り返される同じリズムに乗って演奏されます。
3曲共に小節線が引かれていないのは、拍子が不定という意味ではなく、小節線を必要としない安定した拍子があるためです。
4分の4拍子の定型リズムが常に左手で繰り返されます。
また、「舌の上に」、「出かけないで」、「頭を開いて」などのフランス語によるコメントが付されています。
通常は発想記号(例:Allegro con brio=快活に生き生きと)が記されていますが、この楽譜には抽象的でサティが得た
インスピレーションを記したような、とても不思議な雰囲気を漂わせています。
作曲家自身の発想記号ですから、演奏する場合は悩みすぎずに、ある種のヒントと理解するのが賢明でしょう。

第1番や第3番は映画やテレビ番組のBGMとしても使われることが多いので聴いたことがある方もいらっしゃるでしょう。
朦朧とした意識の中で夢か幻を見ているようなピアノの響きの中で、
まるで自分が異次元の空間を浮遊しているような不思議な感覚に陥ります。

どこか物憂げ美しく、つかみどころのない旋律。テレビや映画、
街中で、エリック・サティの音楽を耳にしたことのない人は、いないといっても過言ではないでしょう。。
クラシック音楽の世界からは「異端児」とされ、一方で「現代音楽のルーツの1つ」と称されるエリック・サティ。
1866年フランスに生まれ、59才でその生涯を閉じるまでに、
後世へまで影響力を持つ数多くの音楽作品を残しました。
「パリ音楽院で最も怠惰な生徒」。これが「音楽界の異端児」と呼ばれたエリック・サティの
学生時代の評価でした。優等生とは程遠い生活を送っていたサティは、パリ音楽院を中退し、
何を思ったのか軍隊へ志願入隊します。しかしその軍隊も1年で除隊となったサティ。
1887年、22才で足を踏み入れたのが、当時パリの中でも画家や詩人、
ダンサーなどの若い芸術家たちが集い、自由な雰囲気をたたえていた街・モンマルトルでした。

サティは、17世紀頃から300年近く続いていた西洋音楽の伝統「調性音楽(長調や短調など機能和声に基づいた音楽)」、
いわゆる「ドレミファソラシド」のルールを壊した張本人と言われているのです。
モーツァルトもベートーヴェンもワーグナーも「調性音楽」という枠の中で作曲していたけれど、
サティはそれをぶっちぎって、グレゴリオ聖歌(9世紀頃に発祥したローマ・カトリックの宗教音楽)で
使われていた音階「教会旋法」を、クラシック音楽に初めて持ち込み、「無調」といわれる音楽の先駆けになりました。
そして、ドビュッシーやラヴェルが続き、シェーンベルクが「十二音技法」という無調音楽の作曲技法を確立し、そこから現代音楽が花開いていきました。
さらにそれはジャズや今のポッブスにもつながっています。
つまり伝統的なクラシック音楽と今の音楽をつないでいるところにサティがいるのです。

エリック・サティという作曲家は、異色の作曲家といわれます。
これは比較的穏当な描写ですが、なかには、“異端児”とか“変人”と称される場合もあります。
こういったレッテルが貼られる最大の所以は、サティが常に己の心の命じるところに正直に生きところにありました。
自分らしく音楽に向き合うことが常識への挑戦となったのです。
サティは、名誉や権威を(過度に)求めることなく、真摯に理想の音楽を追求しました。
その結果、現代の音楽につながる、新しい扉が開きました。サティの功績には偉大なるものがあります。
そのサティが書いた数ある作品の中で最も有名な「ジムノペディ」と同様にサティの目指した音楽の原型が明確に刻まれている作品です。

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