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金管五重奏+「マイ・ボニー」
My Bonnie
Scottish Tunes
編成はトロンボーンまたはユーフォニアム4本、チューバに加えて
マリンバ、ヴィブラフォン、ドラムセットです。
トロンボーンまたはユーフォニアムはホルンに変更可能です。
チューバはバスクラリネットまたはファゴット、エレキベースに変更可能です。
エレキベースの楽譜は同梱しています。
サックス五重奏+は発売中です。
スコットランドの陽気な作品をコンサートピースに、ぜひどうぞ。
お求めの際はこちらからお願いします。
アトリエ・アニマート・ショップ
https://animato.official.ec/
参考音源
https://youtu.be/tOUMX5Ea1TM
アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3
https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html
「マイ・ボニー」スコットランド民謡はビートルズのカバーで有名です。
『マイボニー My Bonnie Lies over the Ocean』は、1962年にリリースされたトニー・シェリダン(Tony Sheridan)のアルバム『マイボニー』で
現代風にアレンジされ、世界的に有名になったスコットランド民謡です。
トニー・シェリダンのアルバムでバックバンドを務めたのは、世界中で最も有名なイギリスのロックバンド「ビートルズ(The Beatles)」。
当時は「ビートブラザーズ」として参加していました。
スコットランド民謡『マイボニー』で登場する「ボニー」という名称は、スコットランドにおける歴史上の著名な人物である
チャールズ・スチュワート(Charles Edward Stuart/1720-1788)を暗示しているようです。
チャールズ・スチュワートは、名誉革命で王位を追われたジェームズ2世の孫に当たり、
ボニー・プリンス・チャーリー (Bonnie Prince Charlie)の愛称で呼ばれていた人物です。
ステュアート家の復興を目指した勢力ジャコバイト
17世紀後半のイギリスでは、名誉革命によってカトリック教徒のジェームズ2世が退位し、プロテスタントのメアリー女王が即位していました。
しかし、スコットランドを中心とするカトリック勢力は、その後もジェームズ2世の血統に属するステュアート家の復興を目指していました。
この勢力は「ジャコバイト」と呼ばれていました。
ボニー・プリンス・チャーリーは、1745年にグレンフィナンで反乱の旗を揚げました。
同年9月には首都エディンバラを陥落させ、その後の戦いでも圧倒的な勝利を収めていました。
しかし、やがてイングランド軍の圧倒的兵力の前に退却を余儀なくされます。ついには1746年4月のカロドン・ミュアの戦いで、決定的な敗北を喫することとなりました。
マイ・ボニー(原題:My Bonnie Lies over the Ocean)は、西洋文化で知名度が高いスコットランド民謡で、邦題は「いとしのボニー」「ボニーよ我に帰れ」とも呼ばれています。
作者は未詳ですが、この歌はボニー・プリンス・チャーリーこと チャールズ・エドワード・ステュアートのことを歌っていると言われています。
セオドア・ラフの1964年の書籍『American song treasury: 100 favorites』によると、「1870年代に楽譜店で、プラットという人が偽名でこの歌を発表すると、
大きなヒットとなりました。大学の合唱団だけにとどまらず、ほとんどの合唱団に人気があった。」と記されています。
1961年、トニー・シェリダンがロックアレンジでこの歌を録音したとき、バックで演奏していたのはビートルズでした
(この時、ビートルズはビート・ブラザーズ名義でクレジットされた)。1962年には、日本でも日本グラモフォンから「トニー・シェリダンと彼のビート・ブラザース」名義で
「マイ・ボニー・ツイスト」としてシングルレコードが発売されました。
ドナ・リンは、1964年発売のLP『Java Jones & My Boyfriend Got A Beatle Haircut』で歌詞の"My Bonnie"を"My Beatles"に替えてカバーしました。
1961年、ドイツに渡りハンブルグのスター・クラブに出演していたザ・ビートルズは、そこでイギリス人歌手トニー・シェリダンと出会いました。
トニー・シェリダンはイギリスのテレビ番組『Oh Boy!』に出演したことで有名になっていました。やがてザ・ビートルズは、トニー・シェリダンと一緒に
ハンブルグの別のナイトクラブ、トップ・テン・クラブに出演することになりました。
このトップ・テン・クラブでの演奏に、ドイツ人バンド・リーダーのベルト・ケンプフェルトが目を留めました。
ベルト・ケンプフェルトは当時ポリドール・レーベルのプロデューサーとしても活動していました。
1961年6月22日の夜、トニー・シェリダンはザ・ビートルズをバックにつけて民謡の「My Bonnie」を録音すしました。
これはシングルとして発表され、そのB面には「The Saints(邦題:聖者の行進)」(ニューオーリンズ・ジャズの名曲をロック調にカヴァーしたもの)が入りました。
ザ・ビートルズが有名になった直後に、ジョン・レノンはこう語っています。
「あれは、トニー・シェリダンが歌っているバックで僕らがドタバタ演奏してるだけ。ひどいもんだった。バックは誰でもよかったんだ」。
ここでリード・ギターを担当したのはジョージ・ハリスンでしたが、ギター・ソロは別のレコーディング・セッションでトニー・シェリダンがオーヴァーダビングしていました。
シングル「My Bonnie」は1961年10月にドイツで発売され、アーティスト名はトニー・シェリダン&ザ・ビート・ブラザーズとなっていました。
ポール・マッカートニーはこう語っています。
「レコード会社は僕らの名前が気に入らなくて、‘ビート・ブラザーズに変えてくれ。
そのほうがドイツ人にはわかりやすいから’と言ってきたんだ。こちらもそれに従った」。
このシングルはドイツのシングル・チャートで5位に達しています。一方イギリスでは、1962年1月第1週にトニー・シェリダン&ザ・ビートルズ名義で発売されました。
出来映えはともかく、「My Bonnie」は実に重要な作品になりました。このレコードのおかげで、ザ・ビートルズがブライアン・エプスタインの目に留まったのです。
発売後まもなく、リヴァプールにあったエプスタインのレコード店を地元の音楽ファンが訪れ、「My Bonnie」のドイツ盤シングルはないかと尋ねました。
それがきっかけとなり、ブライアン・エプスタインは1961年11月9日にキャヴァーン・クラブでザ・ビートルズのライヴを観ることになりました。
このシングルは、レコード評でも取り上げられています。イギリスの音楽誌にザ・ビートルズのレコード評が載るのはこれが初めてでした。
歌詞の意味・日本語訳(意訳)
My Bonnie is over the ocean
My Bonnie is over the sea
My Bonnie is over the ocean
O bring back my Bonnie to me.
ボニーは海洋に ボニーは海に
ボニーは海洋に ボニーを返しておくれ
Chorus
Bring back, bring back
Bring back my Bonnie to me, to me
Bring back, bring back
O bring back my Bonnie to me.
<コーラス>
返して 返してくれ ボニーを返しておくれ
返して 返してくれ ボニーを返しておくれ
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