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木管楽器と打楽器五重奏「マギー若き日の歌を」
When You And IWere Young, Maggie
編成はフルート、オーボエ、ファゴット、ドラムス、マリンバです。
オーボエはクラリネットに変更可能です。
ファゴットはバスクラリネットやバリトンサックス、コントラバスに変更可能です。
金管楽器と打楽器五重奏版、サックスと打楽器五重奏版は発売中です。
温もりあるカントリーの名曲をコンサート・ピースに、ぜひどうぞ。
お求めの際はこちらからお願いします。
アトリエ・アニマート・ショップ
https://animato.official.ec/
参考音源
https://youtu.be/EHm2TGNnCrw
アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3
https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html
「マギー若き日の歌を」の原詩は、カナダ人の学校の先生ジョンソン(George Washington Johnson)の作で、
彼が恋したマーガレット・クラークという少女(実は、彼の生徒。マギーはマーガレットの愛称)のために書いたものです。
場所はカナダのハミルトンで、作詞のG.W.ジョンソンとマーガレット・クラークという二人の物語です。
年代は1864年頃。アメリカでは南北戦争の真っ最中でした。
日本では元号が文久から元治に改元して、池田屋騒動とか蛤御門の変が起きています。
マギーは病弱で、この詩が詩集「カエデの葉 Maple Leaves」で発表された1864年に結婚しますが、翌年5月14日にこの世を去ります。
日本語歌詞はマギーがすでに亡くなっているという前提で訳されています。
しかし、原詩は、マギーを勇気づけようと長生きしたという内容で書かれています。
結核の特効薬ストレプトマイシンが出来たのが第二次世界大戦中で、当時は不治の病だったのです。
このアレンジはアメリカン・フォークのカントリー・スタイルで演奏します。
マギー若き日の歌を
When You And IWere Young, Maggie
作詞:G.W.ジョンソン、作曲:J.A.バターフィールド
日本語詞:堀内敬三
1 いにしえの春よ マギー
思い出の路よ
小川には水車 マギー
林には小鳥
紅の花や マギー
さみどりの空や
まぶたに浮かぶ マギー
ありし日の姿
(*)年は過ぎ今は マギー
思い出はあせても
歌おう声低く マギー
若き日の歌を
2 山かげの町よ マギー
思い出の町よ
安らかな住居(すまい) マギー
うるわしいちまた
そよ風は渡り マギー
朝日かげさして
まぶたに浮かぶ マギー
ありし日の姿
(*繰り返す)
When You and I Were Young, Maggie
1. I wandered today to the hill, Maggie,
To watch the scene below:
The creek and the creaking old mill, Maggie,
As we used to, long ago.
The green grove is gone from the hill, Maggie,
Where first the daisies sprung;
The creaking old mill is still, Maggie,
Since you and I were young.
(Chorus:)
And now we are aged and grey, Maggie,
And the trials of life nearly done,
Let us sing of the days that are gone, Maggie,
When you and I were young.
2. A city so silent and lone, Maggie,
Where the young, and the gay, and the best,
In polished white mansions of stone, Maggie,
Have each found a place of rest,
Is built where the birds used to play, Maggie,
And join in the songs that we sung;
For we sang as lovely as they, Maggie,
When you and I were young.
(Chorus:)
3. They say that I'm feeble with age, Maggie,
My steps are less sprightly than then,
My face is a well-written page, Maggie,
And time alone was the pen.
They say we are aged and grey, Maggie,
As sprays by the white breakers flung,
But to me you're as fair as you were, Maggie,
When you and I were young.
(Chorus:)
原詩を読み、さらにメロディを聴くと、歳を重ねてきた老夫婦が若き日々を回想している歌の温もりが伝わってきます。
そして、この歌には悲しい物語が秘められています。
1859年のこと、ひとりの青年がカナダ・ハミルトンの町にやってきました。ジョージ・ワシントン・ジョンソンという
20歳の青年で、ハミルトンのグランフォード地区で教えるためでした。
ハミルトンはオンタリオ湖の西南岸に広がる町で、今でこそ人口70万人以上の大都市になっていますが、
当時は中心部に小さな市街地があるだけのひなびた町でした。グランフォードは、その中心部からはさらに
離れたところにありました。
ジョンソンは教員資格を得たばかりで、初めての赴任校がこの地区の中央学校(Central School)でした。
中等程度の教育を施す学校でしたが、学制が確立する前の時代だったため、生徒たちの年齢はまちまちでした。
そのなかにマーガレット・クラーク、愛称をマギーという女生徒がいました。年齢はジョンソンより3歳下の17歳。
物静かで、眼のきれいな女性でした。
ジョンソンは一目で彼女に惹かれ、マギーもそれに応えて、2人は恋に落ちます。
やがて2人は婚約に至りますが、そのときすでに、マギーの胸は結核に冒されていました。
病と闘いつつも、2人はさらに愛を深めていきます。
あるとき、マギーはついに重態に陥ります。打ちのめされたジョンソンは、2人でよく散歩した岡に登りました。
ハミルトンは、中央部を走るナイアガラ断崖によって高地と平地とに分断され、
高地を流れるナイアガラ川の分流によって、いくつかの滝ができています。
そのうちの1つ、アルビオン滝のかたわらに、製粉を行う水車小屋がありました。
そのあたりは2人がとりわけ好きな場所でした。
そこでジョンソンが作ったのが、この『When You and I Were Young, Maggie』でした。
1864年、ジョンソンは『カエデの葉』(Maple Leaves)という詩集を刊行しました。そのなかに、この詩も収められました。
マギーはかろうじて危機を脱し、2人は1864年10月21日に結婚しました。
しかし、そのわずか7か月後、1865年5月12日にマギーは亡くなってしまいます。わずか23年の生涯でした。
遺体は、グランフォードのホワイト・チャーチの墓地に眠っています。
マギーが亡くなったあと、ジョンソンはクリーヴランドに移って新聞記者になり、
その後トロント大学で言語学の教授を務めました。
晩年はアメリカ・カリフォルニア州のパサデナで過ごし、1917年1月2日に亡くなりました。
遺言によって、遺体はハミルトンの墓地に埋葬されました。
1937年、地元の歴史家協会によって、ジョンソンの記念碑がハミルトンのロックガーデンに建てられました。
1963年には、マギーが子ども時代を送った家に記念のプレートがつけられましたが、その家が取り壊されたため、
プレートは地元の博物館に移されました。
さらに2005年5月、ジョンソンのカナダ音楽殿堂入りが決定されました。
音楽殿堂は、すぐれた作詞家・作曲家を称える施設です。
ジョンソンの詩集刊行後、『When You and I Were Young, Maggie』は、イギリス生まれの若いミュージシャン、
ジェームズ・オースティン・バターフィールドの目にとまり、彼をいたく感動させました。
オースティンは、それに曲をつけ、1866年に発表したところ、大評判になりました。
カナダやアメリカの各地で演奏されました。
レコード化は、C.モーガンとF.C.スタンリーが1905年に吹き込んだものが最初。これが発売されるや、
この歌は世界に知られ、さまざまなジャンルの歌手によって歌われるようになりました。
オペラ歌手のジョン・マコーマックやエンリコ・カルーソー、カントリーのフィドリン・ジョン・カースン、
ブルーグラスのスタンリー・ブラザーズやマック・ワイズマン、ポピュラーのぺリー・コモやヘンリー・バーなどが歌い、
インストルメンタルでは、ベニー・グッドマンはじめ、多くの演奏家・ビッグバンドが演奏しています。
1983年、アイルランドのデュオ、フォスター&アレンが歌って、全英シングル・チャート27位になったため、
この歌をアイルランドの歌と思っている人が多いようです。たしかに、メロディにはアイルランド音楽の特徴が見られます。
原詩の意味
1 ぼくは今日、あの岡への道をたどってきたよ、マギー。
小川とキーキー回る古い水車を見るためさ、マギー。
ずっと昔、ぼくらがよくそうしたようにね。
あの岡から緑の木立は消えていたよ、マギー。
デイジーが真っ先に萌え出たあの岡さ。
でも、キーキー回る古い水車は元のままだったよ、マギー。
きみとぼくが若かったころから変わらずにね。
(合唱)ぼくらは年をとり、白髪になったね、マギー。
天に召されるときもそう遠くはないだろう。
過ぎ去った日々のことを歌おうよ、マギー。
きみとぼくが若かったころを。
2 町はとても静かで、ひっそりしている、マギー。
そこでは若い人たちも、陽気な人たちも、善き人たちも
磨き上げられた石の館に、
それぞれに安らぎの場所を見いだしているんだ、マギー。
町は小鳥たちがよく遊んでいた場所に建っている、マギー。
小鳥たちはぼくらの歌に乗ってきたものだったね。
ぼくらが小鳥たちと同じようにかわいらしく歌ったからね、マギー。
きみとぼくが若かったころには。
(合唱)
3 みんなはぼくが年とともに弱ってきたといっているよ、マギー。
足取りがあの頃より重くなったってね。
ぼくの顔は名作小説の1ページのようさ、マギー。
それを書いたのは時間というペンだけだよ。
ぼくらは年をとり、白髪になったとみんないってるよ、マギー。
岸打つ白波のような白髪にね。
だけど、ぼくにとってきみは昔のままにすてきだよ、マギー。
きみとぼくが若かったころのようにね。
(合唱)
ジョンソンは、最愛の人を失うかもしれないと恐れながらも、もし2人いっしょに年をとっていけたら、
いずれの日にか、こんなふうにマギーに話しかけているだろう、と思いながらこの詩を書いたのでしょう。
2番の「町」は墓地の、「石の館」は墓石のアレゴリー。マギーが病を乗り越えて、共白髪になり、
2人とも天に召されたのちのことを想像しているようです。
アトリエ・アニマート
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