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クラリネット四重奏「すみれ」 K.476
Das Veilchen
W.A.Mozart
編成はクラリネット3本、バスクラリネットです。
サックス四重奏版、木管四重奏(オーボエ・クラ・ファゴット)版、金管四重奏版は発売中です。
モーツァルトの名曲をコンサート・ピースに、ぜひどうぞ。
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参考音源
https://youtu.be/Id0O62NFtn8
アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3
https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html
『すみれ』(ドイツ語: Das Veilchen)K.476は、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが作曲した歌曲です。
モーツァルトの歌曲の中で有名なものの1つです。表記については、『菫』と漢字で表記されることもありますが、平仮名の表記が一般的です。
1785年6月8日にウィーンで作曲された作品です。作曲の詳しい経緯については不明ですが、モーツァルトはこの作品を単なる有節歌曲として作曲せず、
各連ごとに曲想・調性を変え、小型ながら素晴らしい芸術品に仕上げていて、物語としての展開を持つ原詩に即応して音楽を変え、
それぞれの詩句に適した描写を行っていく通作形式で書かれています。
ここでは詩の内容に密着したリリシズムとドラマティックなものが、見事な調和が見られます。
このあたり(1785年)から、モーツァルトの歌曲というジャンルに対する考え方に変化が見られます。
歌詞はヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの詩によっており、モーツァルトが唯一作曲したゲーテ作品となりました。
内容は「スミレの花が付近を歩く少女の姿を見つけて彼女に摘まれたいと望むが、その少女に踏み付けられる。。
しかし、スミレは幸せだった。」というものです。
ゲーテはこの詩をバラードに分類しています。なお、モーツァルトはラストの部分に2行付け加えています。
この詞はゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe, 1749-1832)の詞で、ジングシュピール「エルヴィーンとエルミーレ」のなかの一節ですが、
この詞をモーツァルトがどのように手にしたのかは不明です。 ゲーテといえばドイツを代表する大詩人であり、
その人物とモーツァルトとの唯一の接点となるこの歌曲の誕生は大変関心を集める部分ですが、
アインシュタインはモーツァルトがこの歌詞と出会ったのは偶然だったと言っています。
なぜなら彼がこのテクストを見いだしたのは、1778年刊のシュテファンの『ドイツ・リート集』(Sammlung deutscher Lieder)のなかであり、
そこではテクストがゲーテの名の代りにグライムの名で発表されていたからです。
つまりモーツァルトはゲーテという大作家を意識していたわけではなく、創作意欲を起こさせる歌詞をたまたま目にしたというわけなのです。
そのリート集から見出したのかどうかは分かりませんが、モーツァルトの自筆譜には「ゲーテの詩による」と書かれていますので、
作詞者が誰であるかについては知っていたことになります。 当時ゲーテのこの詩は単独でよく知られていて、多くの作曲家が曲をつけていたというので、
何かの機会にモーツァルトも作曲しようということになったのかも知れません。
自作目録には歌曲が並んでいるので、それらと同じ目的で作曲され、たぶん仲間うちで演奏して楽しんでいたと思われます。
恐らく「交友曲 Freundstuck」の一つなのでしょう。
ゲーテの詩は次のように、7行で一つの節となり、「第1節は野の情景を歌い、羊飼いの娘がやってくる様を歌い、
つづく第2節は乙女に対するすみれの気持ちをあらわし、そして第3節は、その気持ちが踏みにじられてしまう悲しい結末を語っている」物語になっています。
Ein Veilchen auf der Wiese stand
gebuckt in sich und unbekannt;
es war ein herzig's Veilchen.
Da kam ein'junge Schaferin
mit leichtem Schritt und munterm Sinn
daher, daher,
die Wiese her, und sang.
一本のすみれが牧場に咲いていた
ひっそりとうずくまり、人に知られずに。
それは本当にかわいいすみれだった!
そこへ若い羊飼いの少女がやって来た
軽やかな足どりで、晴れやかな心で
こっちの方へ近づいてくる
牧場の中を、歌をうたいながら。
Ach denkt das Veilchen, war'ich nur
die schonste Blume der Natur,
ach, nur ein kleines Weilchen,
bis mich das Liebchen abgepfluckt
und an dem Busen matt gedruckt!
ach nue, ach nur,
ein Viertelstundchen lang!
ああ、とすみれは思った、もしも自分が
この世で一番きれいな花だったら、と
ああ、ほんのちょっとの間だけでも
あの少女に摘みとられて、
胸におしあてられて、やがてしぼむ
ああ、ほんの
十五分間だけでも
Ach, aber ach! das Madchen kam
und nicht in Acht das Veilchen nahm,
ertrat das arme Veilchen.
Es sank und starb und freut' sich noch;
und sterb'ich denn, so sterb'ich doch
durch sie, durch sie,
zu ihren Fusen doch!
ああ、それなのに!少女はやってきたが、
そのすみれには眼もくれないで、
あわれなすみれを踏みつけてしまった!
すみれはつぶれ、息絶えたが、それでも嬉しがっていた
ともあれ、自分はあのひとのせいで
あのひとに踏まれて
死ぬんだから、と!
この詩をゲーテは、1773年か翌74年はじめに書き、それを1775年に発表した歌謡つき芝居『エルヴィーンとエルミーレ』の中に含めたほか、
独立した詩としても『詩集』(1806年)の中に発表しています。
その『エルヴィーンとエルミーレ Erwin & Elmire』の最初の場で、この詩は「人知れぬ恋ののぞみを、ひそやかに抱いて歌う」青年の心を歌うものです。
エルミーレを深く愛したエルヴィーンは、謙虚な心からあえてエルミーレのもとを去り、そのさい、一片の詩、すなわち「すみれ」を残していきました。
それを読んだエルミーレは、彼の真意に気づいてさすらいの旅に出、やがて幸運から彼と再会し、結ばれたそうです。
「すみれ」はいわば、一夜のジングシュピールの焦点となる、ドラマの象徴だと言えます。
これを単独の歌曲として取り上げたときモーツァルトは最後に次の2行を書き足したのでした。
Das arme Veilchen!
Es war ein herzig's Veilchen.
かわいそうなすみれよ!
それは本当にかわいいすみれだった。
モーツァルトが、この詩を選び、自分で歌詞を付け足してまで作曲したことには何らかの動機があったにちがいありません。
当時の作曲家たちは有節形式で民謡風に曲をつけていたのに対し、
モーツァルトは物語の展開に応じて音楽描写を変えていく通作形式で曲をつけていて、
その革新的な作曲によりロマン派リート(シューベルトなど)への展望を開いた傑作と言われています。
こうしてモーツァルトは、この小曲を、ゲーテのジングシュピール全体に匹敵するような、大きな世界を表現したのです。
現在、この自筆譜はロンドンの大英博物館にあります。
モーツァルトがゲーテをどう思っていたかはわからないのですが、ゲーテの方はモーツァルトを高く評価していたことは有名で、
自身の代表作「ファウスト」に曲をつけることができるのはモーツァルトしかいないと言っていたほどです。
二人の実際の唯一の出会いは、1763年(モーツァルト7歳)の6月9日にありました。 モーツァルト一家は西方への大旅行に出発し、
その途中、8月18日にフランクフルト・アム・マインで幼い姉弟の演奏会が開かれたとき、聴衆の中に当時14歳のゲーテがいたのです。
ゲーテは晩年になってもそのときの幼いモーツァルト少年の姿をはっきりと覚えていると語っています。
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