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ビッグバンド編成「インディアナ」

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ビッグバンド編成「インディアナ」
Back Home Again in Indiana(Dixieland)
James F. Hanley

編成はフルート2本、クラリネット、サックスのアルト2本、テナー2本、バリトン、トランペット2本、
トロンボーンまたはユーフォニアム2本、エレキベースまたはチューバ、ドラムスのビッグバンド編成です。

バリトンサックスはファゴットやバスクラリネットに変更可能です。
エレキベースはチューバに変更可能です。14名の奏者で演奏できます。
エレキベースとチューバを重ねると15名になります。
チューバのパート譜は同梱しています。

スタンダード・ジャズの名曲をコンサート・ピースに、ぜひどうぞ。
お求めの際はこちらからお願いします。

アトリエ・アニマート・ショップ
https://animato.official.ec/

参考音源
https://youtu.be/qX8wFyOC0dU

Youtubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ

アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3
https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html

Back Home Again in Indiana そして、その後の Donna Leeはディキシーランド・ジャズの名曲です。
Maria Rita1917年発表
作曲 ジェームズ・F・ハンレー(James F. Hanley)
作詞 バラード・マクドナルド(Ballard MacDonald)

通常は「Indiana」だけでこの曲を指します。
そして、アルトサックス奏者のチャーリー・パーカー(Charlie Parker)やトランペット奏者のマイルス・デイビス(Miles Davis)が、
そのコード進行にアドリブ的なメロディを付けビバップの名曲にしたのが「Donna Lee」です。

エレキ・ベース奏者のジャコ・パストリアス(Jaco Pastorius)が自身のアルバムで演奏してから、
ロックしか知らなかったエレキ・ベーシストが一度挑戦する曲になるほどジャズのジャンルを超えたスタンダードになりました。
毎年インディ500のレース直前に流れる“Back home again in Indiana”。この曲とともにスピードウエイの興奮は最高潮に達し、
大歓声とともにエンジンが始動されます! 
アメリカ合衆国中西部の町、インディアナポリス
アメリカ人は普通自分たちの国を語るとき、東海岸、西海岸、南部、そして中西部と大雑把に4つの地域に分類します。
はっきりとした境界線などはありませんが、インディアナポリスは間違いなく中西部に属します。
ニューヨークから西に660マイル(約1063km)、ロサンゼルスから東へ1800マイル(約2898km)、
ニューオリンズから北へ693マイル(約1116km)、そしてデトロイトから南西に215マイル(約346km)行ったところに
インディアナポリスは在ります。

現在のインディアナポリスがある場所がインディアナ州都として選ばれ街づくりが始まったのが1821年で、
それ以来200年近く、インディアナ州は“全米の十字路”(Crossroad of America)と呼ばれ、親しまれています。
初期のころは水運の中継点として、その後は何本もの鉄道が交差する町として、そして現在はアメリカの
5大インターステート・ハイウェイ(州をまたぐ幹線道路)がここに集結することから、そう呼ばれてきました。
全米最大手の運送会社中5社がここに本社をおいていることをみても、インディアナ州がいかに製品の流通に適した
地理的条件を備えているか理解できます。ある調査によると、インディアナポリスから24時間以内に自動車で行ける範囲に、
アメリカの全人口の半分にあたる人が住んでいるそうです。

地元の人々はインディアナ州に住むことを非常な誇りに思っていて、事実、インディ500のレース開始直前には必ず、
アメリカ合衆国の国歌「星条旗よ永遠なれ」と「バック・ホーム・イン・インディアナ」の2曲が歌われます。
インディアナポリスは旧き佳きアメリカの大草原にあり、果てしなく広く、ひたすら平らな特徴のない土地に、
無数の農場が緑の大地に点在する都市でした。州都インディアナポリスは人口約86万人の中都市で、
市の周りをぐるりと囲むかたちで市の2倍の広さの都市圏が形成されています。とても友好的な雰囲気の都市で、
主な産業は重工業とヘルスケア(健康関連)産業です。
ロールス・ロイスはインディアナポリスの工場でガス・タービン・エンジンを生産しています。

世紀のイベント・インディ500や、毎年8月に同じくインディアナポリス・モーター・スピードウェイで行なわれるNASCARの重要な
レース“ブリックヤード400ストックカー・レース”の恩恵を受ける観光も、インディアナポリスならびにインディアナ州にとって
重要な産業となっています。
そしてこの2つの大きなレース・イベントも、先見の明のあったカール・G・フィッシャーが、1909年、この果てしなく広い農地に
2.5マイルのコースをつくらなければ実現し得ないことでした。

フィッシャーは、歴代の偉人がそうであるように、実に魅力的な人物で、初期の自動車の圧縮ガスを使用したヘッドランプをつくる会社の
創立を手伝ったり、ヘンリー・フォードやトーマス・エジソン、超人(鳥人)レーサーと称されたエディ・リッケンバッカーらと
親しく交わっていました。1905年、ヨーロッパで行なわれたゴードン・ベネット・カップというレースに自ら出場し、
ヨーロッパ車の優秀性を痛感してアメリカに戻ったフィッシャーは、一念発起、アメリカの車の性能を向上させるためのコースを
作ろうと決心しました。
彼はさっそく有志を募り、そのグループの代表として、レース・トラックの建設に必要な25万ドルを集めました。
できあがったコースの表面には、当初細かい砕石が敷かれていました。
初めてのレースは、1909年8月19日に300マイルレースとして開催されました。しかし、事故で6名が死亡する大惨事となり、
レースは235マイルを終えた時点で中断されました。
コース表面の砕石が事故の原因とみなされ、コースは10ポンド(約4.53kg)の重さのレンガ320万個によって舗装し直されました。
新しく舗装されたコースは、翌年のレースで予想通りの効果を発揮し、3年目の1911年からは500マイルという距離で
競われることが決定しました。
 
Back home again in Indiana歌詞

Back home again in Indiana,
また故郷のインディアナに 戻ってきた
 
And it seems that I can see
ゆらゆらとしたろうそくの光が
 
The gleaming candlelight, still shining bright,
プラタナスの木々を通して
 
Through the sycamores for me.
今もきらめいているように見える
 
The new-mown hay sends all its fragrance
いつも歩き回っていた草原から
 
From the fields I used to roam.
刈り取られたばかりの干し草がいい匂いを放っている
 
When I dream about the moonlight on the Wabash,
ウォバッシュ川に映る 月の光を夢見る時
 
Then I long for my Indiana home.
故郷インディアナに 戻りたくなるんだ
 
composed by Ballard MacDonald and James Hanley in 1917
 

1917年に作曲された、インディアナ州で最も有名なこの曲。ジャズのスタンダードとしても良く知られています。
1919年に地元インディアナのドライバーであるハウディ・ウイルコックスが優勝に向けて最後の数周を走ろうとしていた時、
コース脇にいたブラスバンドによって演奏されたと言われています。
決勝レース前の朝に初めて歌われたのは、1946年。ニューヨーク・メトロポリタン・オペラ・カンパニーの
ジェイムズ・メルトンが、レース開始45分前に自分が代表を務めていたアンティーク・オートモービル・クラブ・オブ・アメリカの
パレードが行われた際、地元のパーデュ大学バンドの演奏に合わせて歌いました。
 
この時に大好評を博したことから、翌年は招待されて歌うようになり、1948年よりエンジン始動の直前の歌として
正式に採用されることになったのです。メルトン以外にも6人以上の有名人が歌っていましたが、
中でも良く知られているのは1972年から現在までほぼ毎年歌ってきたジム・ネイバースです。

アトリエ・アニマート
https://animato-jp.net/

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