・翌月にまとめてお支払い可能
・手数料無料(口座振替の場合)
・アプリでご利用金額を確認できて安心
¥1,500 税込
なら 手数料無料の 翌月払いでOK
クラリネット五重奏 夕べの歌 Op.85-12
小さな子供と大きな子供のための12の連弾小品 Op.85から
12.「夕べの歌」
12.Abendlied
R.シューマン
Schumann, Robert:12 Vierhandige Clavierstucke fur kleine und grosse Kinder Op.85
編成はCl.4本、Bs,Cl.です。
木管五重奏、サックス五重奏版、金管五重奏版は発売中です。
ドイツ・ロマン派を代表するR.シューマンの音楽を、ぜひお楽しみください。
お求めの際はこちらからお願いします。
アトリエ・アニマート・ショップ
https://animato.official.ec/
参考音源
https://youtu.be/1b8qF0r1m9M
Youtubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ
アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3
https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html
元はシューマンのピアノ連弾曲集「小さな子供と大きな子供のための12のピアノ曲集
(Klavierstucke fur kleine und grose Kinder)」Op.85の
12曲中最後に収められている曲で「夕べの歌(Abendlied)」です。
その美しさゆえに、多くの人によってバイオリンやチェロのために編曲されています。
曲集は次のような12曲から成っています。
1.誕生日の行進曲 Op.85-1
演奏時間:2分30秒
2.熊の踊り Op.85-2
演奏時間:2分00秒
3.庭園のメロディ Op.85-3
演奏時間:2分30秒
4.花環を編みながら Op.85-4
演奏時間:2分00秒
5.クロアチア人の行進 Op.85-5
演奏時間:2分30秒
6.嘆き Op.85-6
演奏時間:2分00秒
7.騎士の馬上試合の行進.輪舞 Op.85-7
演奏時間:5分00秒
8.輪舞 Op.85-8
演奏時間:2分00秒
9.噴水のほとりで Op.85-9
演奏時間:2分30秒
10.かくれんぼ Op.85-10
演奏時間:1分30秒
11.お化けの話 Op.85-11
演奏時間:2分30秒
12.夕べの歌 Op.85-12
演奏時間:3分00秒
ロベルト・アレクサンダー・シューマン(ドイツ語: Robert Alexander Schumann, 1810年6月8日 - 1856年7月29日)は、
ドイツ・ロマン派を代表する作曲家です。ローベルト・シューマンと表記されることもあります。
ベートーヴェンやシューベルトの音楽のロマン的後継者として位置づけられ、交響曲から合唱曲まで幅広い分野で作品を残しました。
特にピアノ曲と歌曲において高い評価を得ています。
シューマンが生まれたのは1810年6月8日、ザクセンのツヴィッカウという小さな町で、父フリードリヒ・アウグストとヨハンナの間の
4男1女の子供たちの末子として生まれました。
父フリードリヒ・アウグストは書籍出版・販売業を営んでいて、その関係でシューマンの兄のエドゥアルト、カール、ユーリウスも
書籍業を営むことになり、このような中でシューマンは、幼い時期から数多くの文学書に囲まれる生活環境にありました。
父は文学をこよなく愛し、優れた文学書を刊行するだけではなく、今日の文庫本の刊行を手がけたことでも知られています。
母親のヨハンナは音楽を愛好し、その関係から彼は早い時期から音楽に親しみ、シューマンの音楽熱はこの母親から受け継ぎました。
シューマンは早くから芸術とくに音楽への関心を示し、7歳(1817年)から教会オルガニスト、ヨハン・ゴットフリート・クンチュに
ピアノを師事するようになりました。8歳(1818年)のとき、母と保養地のカールスバートに5週間滞在し、同地でモシェレスの演奏を聴きました。
当時、高い評価を得ていたこのボヘミア出身の作曲家で名ピアニストの演奏との出会いはシューマンのその後の音楽的資質の開花に影響しました。
10歳(1820年)にギムナジウム(9年制の学校)に入学し、ふたたびカールスバートでモシェレスの演奏を聴きました。
すでにこの頃から作曲の試みを始め、シューマンは14歳のときに完成した「詩篇150番」は、1821年、シューマン11歳の頃に最初の構想を抱いて
作曲を進めていて、1822年にその一部を学生仲間と初演しています。
この作品はシューマンの創作の現存するもっとも初期の作品ですが、ソプラノとアルト、それに2Fl.2Ob,Fg,2Trp,ティンパニ、2Vl,Vla,ピアノという
大規模な編成の作品です。少年時代のシューマンは作曲とともに特にピアノの演奏に親しみ、とくにピアノ練習曲で用いていたフンメルや
ベートーヴェンのほかに、シューベルトの作品を演奏していました。このシューベルト体験は強い印象を与え、シューベルトの音楽は長くその後の
彼の創作に影響を及ぼすことになりました。
1826年に父親が没し、姉のエミーリエは自殺しました。感情の起伏の激しい姉の性格はシューマンにも受け継がれており、それはさらに
シューマンの息子のルートヴィヒにも継承されています。シューマンは裕福な商人カールス家に出入りするようになり、同家で催される演奏会で
ベートーヴェンやモーツァルトなどの作品に接しました。1827年7月、この家の主人の甥で医師のエルンスト・カールスの妻アグネス・カールスに会い、
アグネスを通してシューベルトの歌曲の魅力を知りました。ジャン・パウルの小説に夢中になるようになるのもこの頃からです。
1829年5月、シューマンは、ハイデルベルクに向かう旅で南ドイツを回りました。マイン川およびライン川沿いを馬車で下り、フランクフルト、
マインツ、コブレンツなどを経由して5月21日にハイデルベルクに到着しました。このとき初めてライン川を見たシューマンは感銘を受け、
母親に宛てて次のように書き送っています。
「老いて堂々とした父なるラインの初めて見せる光景を、冷静な心全体で受け止めることができるように、ぼくは目を閉じました。
それから目を開いてみますと、ライン川はぼくの前に古いドイツの神のようにゆったりと、音も立てず、厳粛に、誇らしげに横たわり、
それとともに、山や、谷のすべてがぶどうの楽園である、花が咲き緑なすラインガウのすばらしい全景が広がっていたのです」
1829年5月、母ヨハンナに宛てたシューマンの手紙
彼は1834年ごろから精神障害の症状に悩まされるようになりました。1844年にライプツィヒからドレスデンへ、1850年にデュッセルドルフへと移住して
指揮者としても活動しました。この間、子供向けのピアノ曲を作曲するなど教育分野での貢献も残しました。
1853年にヨハネス・ブラームス(1833年 - 1897年)と出会い、「新しい道」と題する論文で若き天才として紹介しましたが、翌1854年に
ライン川に投身自殺を図りました。救助されたシューマンはボン近郊のエンデニヒの療養所に収容され、2年後の1856年に46歳でこの世を去りました。
アトリエ・アニマート
https://animato-jp.net/
お支払い方法について
¥1,500 税込