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木管四重奏 月光ソナタから第2楽章 楽譜

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木管四重奏 月光ソナタから第2楽章
Menuet from Sonate Op.27 No.2
Beethoven

編成はFl.、Ob.、Cl.、Bsn.です。
クラリネット四重奏、サックス四重奏、金管四重奏版は発売中です。

ベートーヴェンが書いた愛情に満ちたメロディーを、ぜひお楽しみください。
お求めの際はこちらからお願いします。

アトリエ・アニマート・ショップ
https://animato.official.ec/

参考音源
https://youtu.be/PT5Gc5ZolqM

Youtubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ

アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3
https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html

1770年にドイツのボンという場所で誕生したベートーヴェンは、宮廷歌手をしていた父親からスパルタ教育を受け、音楽を学びました。しかしこの父親は浪費家で、
ベートーヴェンに音楽教育を施したのは、その才能をあてにするためだったようです。そして母親が亡くなってしまうと、ベートーヴェンは家計を支えながら
弟の世話をする生活を送りました。
しかし、ハイドンとの出会いをきっかけにウィーンに出ると、その後は各地で演奏旅行を行うようになりました。ところが、20代後半から耳の聞こえが悪くなる
症状が悪化していくと、28歳ではほとんど耳が聞こえない状態になってしまいます。そして「月光」を作曲した翌年、遺書を遺して自殺を
考えるまでに至りますが、ピアニスト兼作曲家から作曲のみに専念するようになると、その後もたくさんの有名作品を作曲しました。

40歳くらいには耳が全く聞こえない状態になってしまったとされていますが、その後の作品には、現在ベートーヴェンの作品の中でも特に有名な交響曲第9番、
日本で「第九」と呼ばれている作品が作曲されています。
生涯独身だったベートーヴェンですが、恋多き人生だったということもよく知られています。また冗談好きの変わり者だったそうですが、
癇癪を起すと暴力的になるという一面も持っていたようです。さらに、父親に似てしまったのかお酒がとても好きだったということもよく知られています。

見た目に関しては、身長はあまり高くなく165cmくらいだったようです。また、弟子にはあのカール・ツェルニーがいました。ベートーヴェンの逸話には、
ツェルニーの証言がよく登場しています。
この作品は1801年に作曲され、弟子だった伯爵令嬢のジュリエッタ・グイチャルディに献呈されました。しかし、14歳も離れていたこの女性との恋愛は、
身分の差もあり上手くはいかなかったようです。またこのピアノソナタは「月光」として知られていますが、実際のタイトルは「ピアノソナタ 第14番 幻想曲風ソナタ」でした。
ベートーヴェン自身が付けた「幻想曲風ソナタ」というタイトルよりも、「月光」という名前の方が広く知られるようになったのは、ルートヴィヒ・レルシュタープという人物の
コメントからだったようです。
ベートーヴェンは生涯に(幼少期の作品・未完の作品を除けば)32曲の「ピアノソナタ」という作品を書いていますが、
その中でも特に有名な3つのピアノソナタが「悲愴」「月光」「熱情」で「三大ピアノソナタ」と呼ばれています。

特に「月光」はベートーヴェンのピアノソナタの中でも異色の作品となっています。
ベートーヴェンの2曲セット『2つの幻想曲風ソナタ 作品27』の2曲目が、有名な〝月光ソナタ〟〝ムーンライトソナタ〟です。
ピアノソナタといえばまずこの曲の名が思い浮かぶ、ソナタの王者です。

降り注ぐ月の光のように幽玄な雰囲気を湛えるな第1楽章。
短いながら憧れで軽快で心踊る第2楽章。
地下から湧き上がるかのような激しい情熱が圧倒する第3楽章。

この曲は、1802年に出版された際、伯爵令嬢ジュリエッタ・グイッチャルディ(1784-1856)に献呈されました。
ジュリエッタは本名はユリアで、当時ハプスブルク家領だったイタリアのトリエステで生まれました。
父のフランツ・ヨーゼフ・グイッチャルディは、1800年にウィーン駐在のボヘミア領事館員になり、家族を伴ってウィーンに出てきます。
ジュリエッタの美貌はたちまち社交界の評判となりました。彼女は15歳でベートーヴェンに弟子入りします。

既にベートーヴェンに師事していたハンガリーのブルンスウィック姉妹、テレーゼとヨゼフィーネ(ダイム伯爵夫人)の従妹にあたり、そのご縁だったと考えられます。
ベートーヴェンはこの美しく才気ある美少女に夢中になります。
彼は、親友ヴェーゲラーに宛てた1801年11月16日付の手紙で、持病である胃腸病と難聴の悩みを打ち明けたあと、最近あることで気分が晴れたと言って、
次のように述べています。
私の人生はいま一度わずかに喜ばしいものとなり、私はまた外に出かけて人々の中にいます。この2年の間、私の暮らしがいかに侘しく、
悲しいものであったか信じがたいことでしょう。今回の変化は、ひとりの可愛い魅力に富んだ娘のためなのです。彼女は私を愛し、私も彼女を愛しています。
2年ぶりに幸福な瞬間がやってきました。結婚して幸せになれるだろうと考えたのは、これが初めてです。ただ、残念なことに身分が違うのです。
そして今は、今は私は彼女と結婚などできやしないのです。

ベートーヴェンはなかなか女性との交際について書き残していないので、珍しい記述です。
病に打ちひしがれ、2年間、人との交わりを避けて引きこもっていたのが、彼女との出会いで、再び世間に顔を出せるようになった、というのです。
ジュリエッタの人となりはあまり伝わっていませんが、明るい性格だったようです。
あの頑固なベートーヴェンの心を融かし、外に引っ張り出した女性です。
ベートーヴェンのことを好きだったのは間違いありませんが、真剣な恋愛というより〝先生大好き!〟といった感情だったかもしれません。

彼女は16、7歳。ベートーヴェンは30歳になっていましたが、自分の年を勘違いしていましたから本人は28歳くらいのつもりです
久しぶりに彼女ができて、しかも初めて結婚してもいいと思った、と告白しているのです。しかし、相手は伯爵令嬢。
身分違いで、結婚は最初からあきらめていたことも分かります。
このソナタが〝月光〟と呼ばれるようになったのは、音楽評論家のルートヴィヒ・レルシュタープ (1799-1860)が、
第1楽章を『スイスのルツェルン湖の月光の波に揺らぐ小舟のよう』を評したことによります。ベートーヴェンの死後5年経った、1832年のことでした。
そして、このキャッチコピーは、曲のイメージにベストマッチして、10年も経たないうちに〝ムーンライトソナタ〟の名が印刷物で出回ることになりました。
そして、この曲を聴く人は、誰もが静かな湖面に映る月の光を思い浮かべることになったのです。
しかしそれは、ベートーヴェンが全く意図していなかったことなのは言うまでもありません。

第2楽章 アレグレット
前楽章の最後の和音が消えるや否やに弾き始めるように、という指示があります。
ダンパーを上げる、という第1楽章の指示からも、「余韻」というのがこの曲のコンセプトかもしれません。通常のソナタでは第3楽章にあたる舞踏楽章ですが、
形式としてはメヌエットともスケルツォともいえません。フランツ・リストはこの曲を〝2つの深淵の中の一輪の花〟と評しました。
主部はレガートとスタッカートが呼応し、軽快なステップの中にも、何ともいえない甘美な想いがあふれます。
トリオはさらに幸福感が満ち、愛の言葉をささやいているかのようです。この楽章は、主調の嬰ハ短調の異名同音となる変ニ長調をとっていますが、
異名同音でも五度域が違っていますので、不思議な効果を生み出します。この手法はロマン派に大きな影響を与え、ショパンも『幻想即興曲』で使っています。

アトリエ・アニマート
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