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サックス五重奏 デンゴーゾ(気取った男)、マシーシ 楽譜
¥2,150
サックス五重奏 デンゴーゾ(気取った男)、マシーシ Dengozo, Maxixe エルネスト・ナザレ 編成はソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。 木管五重奏、クラリネット五重奏、金管五重奏、鍵盤打楽器とベース四重奏版は発売中です。 「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/YL7IKVUe9C0 Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html Dengozo (Dengoso), Maxixe デンゴーゾ(気取った男)、マシーシ 「マシーシ(マシシェ)」とは19世紀ブラジルで流行した舞曲で、2拍子の速いテンポが特徴的です。 その起源ははっきりとはしていませんが、ヨーロッパ由来のポルカに、アフリカからブラジルに連れて来られた黒人の踊りが混じったものを指します。 ナザレが多数作曲したタンゴ(またはタンゴ・ブラジレイロ)は、この「踊りの音楽」であったマシーシを、「聴くための音楽」にしたという 経過があります。しかしナザレ自身は踊りのBGMの印象が強い「マシーシ」という言葉を自作に使うことを嫌ったらしく、 二百数十曲のナザレの作品の中でマシーシと名付けたのはこの一曲のみで、しかもこの曲が1907年に初版された際にナザレは本名を出さず "Renaud" というペンネームを使っています。変ロ長調、A-B-A-C-A-B-A形式で、踊りたくなるような、お祭り騒ぎのような陽気な曲です。 Aはの旋律はF-F#-Gを行ったり来たりするのと、16分音符分散和音だけなのですが、それが何とも浮き浮きした雰囲気を放つこの曲調はナザレの才能でしょう。 Bはヘ長調、Cは変ホ長調に転調します。この曲は1914年には米国で楽譜が出版され("Parisian Maxixe" という副題が付いた楽譜まである)、 また1939年米国のミュージカル映画「カッスル夫妻 (The Story of Vernon and Irene Castle)」の中でも用いられました。 更には米国で "Boogie Woogie Maxixe" という曲名でブギウギとなってヒットし、1960年代にはパーシー・フェイス楽団もこの曲を演奏しています。 「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を知らずしてブラジル音楽は語れません。 南国ののどかな風光と、アフリカの野性的なエネルギーと、ロマンティシズムが渾然と混じり、甘美で、ちょっぴり切ない独特の音楽が聞こえてきます。 ミニョーネはこう述べています。「私は1917年頃にEduardo Soutoの楽譜店でナザレに会ったことがある。ナザレは自作曲を決して急がず、 カンタービレで弾いていた。彼はこう言っていたよ、『私の作品はあちこちでメチャメチャに弾かれている。みんな速く弾きすぎだ。 特に "Apanhei-te, Cavaquinho" は酷いことになっている。あの曲はゆっくりと、左手はカヴァキーニョを思い浮かべてアルペジオで弾くもんだ』と。」 エルネスト・ジュリオ・ナザレー (Ernesto Julio Nazareth (またはNazare とも), 1863年3月20日 - 1934年2月4日)は、ブラジルのピアニスト・作曲家です。 一生をリオ・デ・ジャネイロで過ごしました。「ブラジル風タンゴ」やショーロなど、国内の民族音楽に影響されたピアノ曲を量産しました。 そのような作曲姿勢から、しばしば「ブラジルのショパン」と呼ばれています。ピアノ以外の音楽教育は学ばなかったため、 残された作品はサロン小品と声楽曲ばかりであり、管弦楽曲や室内楽・カンタータやオラトリオのような分野の大作はなく、作曲技法も必ずしも洗練されていません。 しかしながら、民衆音楽の影響のもとに切り開いた独自の素朴な詩境は、のちにヴィラ=ロボスから、「ブラジルの魂」と称賛されました。 中産階級ながらもあまり豊かでない下級官吏の家庭に生まれ、ショパンを愛する母親からピアノの手ほどきを受けました。 早い年齢でたぐい稀な音楽的才能が認められ、家族ぐるみで付き合いのあったアフロ=アメリカンの作曲家、 リュシアン・ランベールにも音楽の手ほどきを受けました。 1873年に母親が亡くなってからもピアノを学び、間もなく作曲も手がけるようになりました。 最初の出版作品のポルカ『ボセ・ベン・サービ"Voce Bem Sabe"』 (あなたはよく御存知)は、14歳になるまでに作曲・出版されました。 その後は、ショーロの楽士たちとたむろして、敏感で独特なリズム感を身につけました。マシシェ maxixe やルンドゥ lundu 、ショーロ choro 、 アフリカ系住民のダンスなど、さまざまな民族舞曲に影響されました。 長年ナザレーは、映画館オデオン座の待合室でピアニストとして働き、ここで最も有名な作品の一つ『オデオン』を作曲しました。 外国から数少ない音楽家がブラジルを訪問した際、オデオン座のナザレーの演奏を見学したといわれています。 1920年代初頭には、音楽ショップにピアニストとして雇われました。顧客が購入する際に持ち寄ってきた楽譜を見ながら、演奏し、 客の要望に沿うかどうかを確認して見せるのが任務でした。客の中に、ナザレー作品の楽譜を手ずから弾こうとする者がいると、止めさせて、 解釈が誤っていると苦情を言うのが常だったそうです。 ナザレーは、心底からのブラジル人音楽家であり、音楽は楽しまれるべきであるとして、それ以上を望みはしませんでした。 ほとんど独学であり、音楽活動のほとんどは、劇場や映画館の伴奏ピアニストとして、あるいは小劇場のアンサンブルでのピアニストとして、 演奏するのに振り当てられました。 そのような劇場アンサンブルの楽団員の知り合いには、後の大作曲家ヴィラ=ロボスがいて、当時はチェリストとして活動していました。 ナザレーはショーロの発展のおおもとであり、ヴィラ=ロボスは、これに基づき、後に自らの創作活動を繰り広げていったのです。 ナザレーは、ブラジルの民族音楽以外にも明らかに影響されていて、子供時代にむさぼるようにして学んだショパンの影響が中でも顕著です。 また、1869年にきら星のようにリオ・デ・ジャネイロにデビューして、瞬く間にブラジル楽壇を席巻したゴットシャルクの作風もナザレーにはお馴染みでした。 作品には、19世紀ヨーロッパのクラシック音楽の豊かな和声法がこだましながら、ナザレーの生地ブラジルの、シンコペーションをともなう 民族舞曲のリズム法に織り込まれてゆくのが認められます。そのうえ、アメリカ合衆国のラグタイムや初期のジャズの、小気味よいリズム感も健在である。これらの要素を統合して一つの有機体へとまとめ上げたことがナザレー独自の能力で、結果的には、ピアノ曲のレパートリーだけでなく、20世紀の音楽にも重要な貢献を果たしている。 ナザレーはショパンやその他のヨーロッパの作曲家から霊感を受けたように、逆に自らも、間接的とはいえ、ヨーロッパの作曲家に何かしらの影響を与えています。 フランス人作曲家のダリユス・ミヨーは、自伝の中で、ブラジル滞在中にリオ・デ・ジャネイロの映画館でナザレーがピアノを演奏する風景を回想しています。 ミヨーはその音楽のリズムにたちどころに虜となって、ブラジル音楽をきわめてやろうと決心したというのです。 その最終的な成果こそが、ミヨーのピアノ曲『ブラジルの想い出 Saudades do Brasil』でした。 ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ばれていますが、作品に副題を好んでつけた点で、ショパンとは違っています。 ショパンやフォーレよりもヨーロッパのサロン音楽の伝統に忠実だったといえます。 しかしながら19世紀から20世紀初頭まで、ヨーロッパではサロン小品にフランス語の題名をつける慣習がまだ根強く残っていたのに対して、 ナザレーは母語のポルトガル語に固執しました。 また題名によって、ドビュッシーやラヴェルのように、美術や文学からのインスピレーションをほのめかしたり、 リストのように詩的な連想を暗示することもありませんでした。 ナザレーの曲名には、しばしば第三者にとって謎めいた響きをもつものもありますが、それらは実在するスポーツチームやダンスクラブ、雑誌名など、 ナザレーの日常生活の周辺から切り取られたものばかりです。このような意味で、ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ぶよりは、むしろ 「ブラジルのクープラン」と呼んでこそふさわしいかも知れません。 およそ300曲のピアノ小品において、ナザレーはみごとに、大衆的なブラジル舞曲のエッセンスを捕まえています。 ナザレーは、厳密には都会の聴衆のために作曲したのですが、その作品には、(ブラジルで奴隷制が廃止された1888年以降の作品でも、) アフリカ系民族音楽の豊かな影響が息づいています。ほとんどの曲に、スコット・ジョプリンが発想したようなシンコペーションが使われています。 ナザレーのピアノ曲には、ブラジルのありとあらゆるダンスが盛り込まれています。マシシ(英語版)、バトゥーキ(英語版)、 サンバ、 そして中でも重要なのがタンゴです。後に世界中を熱狂させ、席巻したタンゴが、ブラジル生まれだったというだけでなく、 実際にはナザレー自身の創り出したジャンルだったという証拠になるからです。 もしそれが間違いだったとしても、「ブラジル風タンゴ」の発展のほとんどにナザレーがかかわっていて、このジャンルに優に100曲を残しています。 最も有名な作品に、『ブレジェイロ(ろくでなし)"Brejeiro"』『アメノ・ヘゼダ"Ameno Reseda"』『バンビーノ(赤ん坊)"Bambino"』 『トラベッス(腕白坊主)"Travesso"』『フォン・フォン"Fon-Fon"』『テネブローズ(暗闇)"Tenebroso"』があります。 ナザレーが初めて「ショーロ」と呼んだ作品のうち、『アパニェイチ・カヴァキーニョ(頑張れカバキーニョ)"Apanhei-te Cavaquinho"』は、 さまざまな楽器アンサンブルによって演奏できる、古典的名作です。 晩年になって完全に聴覚を失うと、創作活動にも支障をきたしましたが、それでもブラジル国内ではなかなかナザレー人気は衰えませんでした。 ゴットシャルクやジョプリンを評価する人たちなら、ナザレーの残した魅力的な宝石たちをきっとたちまち気に入るに違いありません。 作曲者の死後から半世紀を経た近年になって、ナザレー作品を集めたアルバム制作が世界的にも相次いでいて、最近では伝記や、 作曲者に関するCD-ROMも発表されています。ナザレーは、クラシックとポピュラー音楽にまたがって活動したことから、ナザレーのピアノ曲は、 クラシックの学び手にも、ポピュラー音楽の学び手にも、有用な教材とされつつあります。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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金管四重奏+ 交響組曲第1番から「ロンド」楽譜
¥1,500
金管四重奏+ 交響組曲第1番から「ロンド」 Rondeau From Sinfonie De Fanfares ジャン=ジョゼフ・ムーレ Jean-Joseph Mouret 編成はトランペット、ホルン、トロンボーンまたはユーフォニアム、チューバ、ティンパニです。 ティンパニを省略し、四重奏として演奏可能です。 木管四重奏、クラリネット四重奏、サックス四重奏版は発売中です。 フランス・バロック期の壮麗な響きをコンサートのオープニング・ピースに、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/q-usZmmtiM8 Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 堂々として品格を感じさせるこのトランペットのメロディーは、どこかで聴いたことのある有名な旋律です。 1分30秒の短い曲ですが、オープニングなど活躍の場が多くあります。コンサートの開演前の合図とか、ホールロビーでのプチコンサート、 演劇にも使えそうです。最近では英国のタクシーが登場するコマーシャルでもおなじみです。 この曲の名は「ロンド(短いフレーズがくり返し使われる形式)」です。 ジャン=ジョゼフ・ムーレ(Jean-Joseph Mouret,1682年4月11日- 1738年12月22日)はフランスの作曲家です。 アヴィニョン に生まれ、シャラントン=ル=ポンで亡くなりました。その劇作品により、彼はフランスのバロック音楽の主唱者のうちの1人となりました。 大部分の彼の作品は今日もはや上演されないのですが、ムーレの名前は交響組曲第1番のロンドのファンファーレ人気のおかげで今日演奏されています。 それはアメリカのPBSの番組"Masterpiece"のテーマ音楽に採用され、また現代の多くの結婚式で人気がある作品です。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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クラリネット五重奏 無言歌集 第2巻 『ヴェネツィアの舟歌 第2番』楽譜
¥2,000
クラリネット五重奏 無言歌集 第2巻 『ヴェネツィアの舟歌 第2番』 Op.30-6 Lieder ohne Worte Heft 2 "Venetian Boat Song" Op.30-6 Mendelssohn, Felix 編成はCl.4本、Bs,Cl.です。 金管五重奏版、サックス五重奏版、木管五重奏版は発売中です。 ロマンチックで優美なヴェネツィアの風情を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/kyxevGpmxmc Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 『無言歌集 Lieder ohne Worte』は、メンデルスゾーンが生涯にわたって作曲したピアノ独奏のための作品集です。 全8巻からなり、各巻6曲ずつで合計48曲が収められています。 メンデルスゾーンのピアノ作品として最も有名で、しかもロマン派の教材として取り上げられることの多いのが「無言歌集」です。 ワーグナーが「第一級の風景画家」と言ったように、メンデルスゾーンは情景描写や標題音楽の作曲において才能を発揮しています。 この“言葉のない歌曲”、「無言歌」、という形でメンデルスゾーンは心象風景や感情描写までも、表現しました。 歌曲風の旋律をもった器楽曲であるため、旋律線をはっきりと浮き立たせ、抒情的に演奏することが重要です。 メンデルスゾーンが活躍したこの時期、ブルジョアジーの家庭を中心に、ピアノが教養として普及しました。 そのため、家庭で気楽に弾ける作品が多く作られましたが、この《無言歌集》もその一つです。 《無言歌集》は各6曲ずつの計8集からなり、生前に出版されたのは、第6集までです。第7集は、1851年、第8集は1867年に出版されました。 1832年、第1集を出版したときには、メンデルスゾーンは、《ピアノのためのメロディー》と記していて、《無言歌集》の名称を もつようになったのは1835年に第2集を出版してからのことでした。 標題をもっているものが多いのですが、作曲者自身によってつけられたものはわずかです。 実際、メンデルスゾーンは標題をつけることによって、音楽的な想像力が限定されることを嫌っていたようです。 6曲目『ヴェネツィアの舟歌』第2番です。 『ヴェニスの舟歌』、『ベニスの舟歌』、『ヴェニスのゴンドラの歌』などとも題されます。 波の上を揺れ動くような動きを特徴しています。 《無言歌集の舟歌》 ヴェネツィアの舟歌 第1 「無言歌集」第1巻 作品19-6/アンダンテ・ソステヌート(ト短調) ヴェネツィアの舟歌 第2 「無言歌集」第2巻 作品30-6/アレグレット・トランクィロ(嬰ヘ短調) ヴェネツィアの舟歌 第3 「無言歌集」第5巻 作品62-5/アンダンテ・コン・モート(イ短調) 第2巻 作品30 出版年代:1835年 1.変ホ長調、アンダンテ・エスプレッシーヴォ 《瞑想》 (作曲年代不明) 2.変ロ短調、アレグロ・ディ・モルト 《安らぎもなく》 (作曲年代不明) 《心配》と呼ばれることもあります。 3.ホ長調、アダージョ・ノン・トロッポ 《慰め》 (作曲年代不明) カトリック聖歌集第100番「しずかに神と」、讃美歌第30番および讃美歌21・第211番「朝風しずかに吹きて」として教会で歌われています。 4.ロ短調、アジタート・エ・コン・フォコ 《さすらい人》 (1834年1月30日作曲) 《道に迷って》とも呼ばれます。 5.ニ長調、アンダンテ・グラツィオーソ 《小川》 (1833年12月12日作曲) 6.嬰ヘ短調、アレグレット・トランクィロ 『ヴェネツィアの舟歌 第2』 (作曲年代不明) メンデルスゾーンが自分でつけた『ヴェネツィアの舟歌』の第2番。 メンデルスゾーン自身が命名した曲です。無言歌曲集には、他に同名の作品が3曲あり、 これらは「ゴンドラ・リート」と呼ばれます。これらの作品は波の上を揺れ動くような動きを特徴しています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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木管五重奏と打楽器のためのスザート・ダンスリー組曲 Vol.2 楽譜
¥2,800
木管五重奏と打楽器のためのスザート・ダンスリー組曲 Vol.2 Danserye Danses Vol.2 Tielman Susato 編成はFl.、Ob.、Cl.2本、Bsn.に加えて打楽器2名です。 管楽器1パート2名ずつ+打楽器2名で演奏すれば 場面ごとに音量変化がつけられて効果的でしょう。 その場合は12名で演奏することになります。 繰り返しの際は装飾音などで様々なバリエーションを楽しみましょう。 クラリネット五重奏版、サックス五重奏版、金管五重奏版は発売中です。 スザート・ダンスリー組曲 Vol.1も発売中です。 中世・ルネッサンス音楽のシンプルで楽しげなメロディーを、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/K9XmV5HlNBU アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html ティールマン・スザート(Tielman Susato 1500年頃 - 1562年頃)は、ルネサンス期の作曲家で、 アントウェルペンにおける器楽奏者、出版業者です。 スザート(1550~1562)はフランドル地方のアントワープを中心に活動した作・編曲家です。 しかし彼自身の作曲した代表作といったものはなく、むしろ活版印刷機を用いて器楽編曲と自作曲を出版した、 いわゆる楽譜出版者としての方が有名です。 彼の名を有名にしているのは、フランドル(現在のオランダ南部、ベルギー西部、フランス北部にかけての地域)において 最初の音楽出版社を設立した功績でしょう。 1551年に出版された「ダンスリー」と呼ばれる曲集は、当時のヨーロッパで親しまれていた作者不明の シャンソン、ポピュラー・ソングおよびポピュラー・ダンスなどのメロディをもとに編曲・編集し印刷出版されたものです。 なおこの曲集は、スザートが出版した唯一の舞曲集であると考えられていますが、 その素晴らしさから現在に至るまで多くの人々に親しまれ、彼の名を不動のものとしています。 今回「ダンスリー」を編曲するにあたって「原典」に近い楽譜、ショット社から1936年に出版された F.J.ギースベルト(Giesbert)校訂の楽譜を使用し、次の6曲(全11曲)をセレクトしました。 6.ロンド IX 7.私の望み 8.アルマーニュ(アルマンド)VIII 9.それは大きな間違い 10.パッセ・メディオ〔パッサメッゾ〕 11.ベルジュレ・サン・ロック 以下はVol.1に収録 1.モリスク(モーロ風) 2.四拍子のブランル 3.ファゴット 4.ロンド II "わが友" 5.パヴァーヌ IX "戦い" 打楽器が、リズムをくり返しますが省略可能です。 当時、太鼓とタンバリンはとても重要な楽器とされていました。楽譜上で書かれていない部分でも、 複数の楽器を組み合わせて演奏するのも良いでしょう。 全38曲からなるこの曲集は、ありとあらゆる古楽器を駆使して描かれた舞曲によって構成されています。 次のような映画にスザートの楽曲が使われました。 娼婦ベロニカ(マーシャル・ハーコヴィッツ1998) インポスターズ(スタンリー・トゥッチ1998) エリザベス(シェーカル・カプール1998) エリザベス ゴールデン・エイジ(シェカール・カプール2007) 絵の中のぼくの村(東陽一1996) 暗殺(チェ・ドンフン2015) 楽隊のうさぎ(鈴木卓爾2013) 16世紀、ヨーロッパ、美術、建築、文学、思想の世界では自由闊達に様々な形で花開く時代に突入しました。その豊かな文化の中で、 民衆が踊り楽しんだ音楽がこの楽譜集「ダンスリー」です。素朴で哀愁を帯びたメロディを聴きながら、ルネサンス時代を感じながら、 その時代に思いをはせて楽しめる曲集です。 これらの曲は今のオランダやフランス周辺で民衆が踊る時に使われていたものです。 当時、教会では禁止されていた「踊り」が街の中では楽譜集が出版されるほど盛んにおこなわれていたということも興味深い史実です。 その頃、日本は安土桃山時代。少しずつ西洋文化が日本にも伝わり始めた頃です。火縄銃やカステラが西洋から伝わった頃になります。 それらを想像しながら聴いてみるのも面白いでしょう。 「踊り」の音楽ですから、打楽器なども付け加えることで、より踊りやすく、聴きやすく、楽しくなっています。 このような、楽しい「ルネサンス舞曲集」なのですが、吹奏楽を経験されていた方はこれらの曲を演奏したことがあるかも知れません。 「スザートのルネサンス舞曲」というタイトルで、金管五重奏曲として幅広く演奏されています。 世界のブラスのトップ・プレーヤーたちの名演もたくさんCDとして出ていて、 吹奏楽コンクールのアンサンブル部門では定番の曲になっています。 小学校、中学校で学んだリコーダーアンサンブルの定番楽曲でもあります。 ルネサンス期、16世紀のヨーロッパ地方で流行していた旋律を、ダンス曲としてアレンジされた楽しい楽譜集、 スザートの『ダンスリー』はブラス・アンサンブル「ルネサンス舞曲集」でおなじみのメロディのオリジナル楽譜として、 一方では、リコーダー愛好家にとってはバイブルとなっている作品です。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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サックス五重奏 ベルガマスクのカンツォーン:サミュエル・シャイト 楽譜
¥2,000
サックス五重奏 ベルガマスクのカンツォーン:サミュエル・シャイト Canzon Bergamask Samuel Scheidt 編成はソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。 クラリネット五重奏版、金管五重奏版、木管五重奏版は発売中です。 バロック期のシンプルな名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/7fan7RasI3Q Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html このベルガマスクのカンツォーンは1621年に出版された4-5声部による器楽のための舞曲集に含まれています。 金管アンサンブルのレパートリーとして編曲され演奏されることが多い作品です。 この《戦いの組曲》もそういった中の1つで、「戦いのガリヤード Galliard Battaglia」、「悲しみのクーラント Courant Dolorosa」、 「ベルガマスクのカンツォーン Canzon Bergamask」の3曲からなっています。 サミュエル・シャイト Samuel Scheidt(1587-1654)ドイツ サミュエル・シャイト(1587年11月3日-1654年3月24日洗礼)は、ドイツの作曲家、オルガニスト、そしてバロック初期の教師でした。 彼はハレで生まれ、そこでの初期の研究の後、彼のスタイルを明らかに形成していた著名なオランダの作曲家であるスウィーリンクに師事するために アムステルダムに行きました。ハレに戻ると、彼は法廷オルガニストになり、後にカペルマイスターになり、ブランデンブルクの辺境伯になりました。 多くのドイツのミュージシャン、たとえばハインリヒシュッツとは異なり、彼は三十年戦争の間ドイツに留まり、教えたり、 小さな仕事を続けたりすることで生き残ることができました。安定性が回復するまで、彼はカペルマイスターとしての地位を再開することができました。 シャイトは、オルガンの最初の国際的に重要なドイツのバロック作曲家であり、主にプロテスタント改革の結果として起こった新しい 北ドイツスタイルの開花を表しています。南ドイツやヨーロッパの他のいくつかの国では、ローマの精神的および芸術的影響が依然として強いため、 ほとんどの音楽はイタリアのモデルから派生したものであり続けました。ローマから切り離された、新しくプロテスタント地域のミュージシャンは、 隣人の慣習とは大きく異なる新しい文体のアイデアをすぐに開発しました。シャイトの音楽は、2つの主要なカテゴリに分類されます。 主にオルガン用の大量のキーボード音楽を含む器楽。と神聖な声楽、アカペラのものもあれば、通奏低音やその他の楽器の伴奏を使用するものもあります。 彼のオルガン音楽は当時有名でしたが、それ以来、JSバッハの音楽に覆われています。彼の数多くのコラール前奏曲で、 シャイトはしばしば「パターン化されたバリエーション」技法を使用しました。このテクニックでは、コラールの各フレーズが異なるリズムの動機を使用し、 各バリエーション(いくつかのフレーズで構成される)は、構成に到達します。 彼のコラール前奏曲に加えて、彼は数多くのフーガ、一連のダンス(多くの場合、周期的な形式であり、共通のグラウンドベースを共有している)および 幻想曲を書きました。彼はまた、宗教音楽と世俗音楽の両方を大量に生み出し、その多くは今でも演奏されています。 ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ・ハウスのコレクションの一部はシャイトに捧げられています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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金管五重奏+ 海を越える握手 (行進曲)楽譜
¥2,100
金管五重奏+ 海を越える握手 (行進曲) Hands Across the Sea 作曲者 ジョン・フィリップ・スーザ J.P.Sousa 編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、TubaおよびDrum Setです。 木管五重奏、サックス五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。 マーチ王と讃えられるスーザの音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/Z6glHEFGJwI Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 『海を越える握手』(うみをこえるあくしゅ、英語: Hands Across the Sea)は、元アメリカ海兵隊音楽隊隊長のジョン・フィリップ・スーザが作曲した行進曲です。 1900年のパリ万国博覧会のために作曲されました。 同年初演され、聴衆が足を踏み鳴らし興奮し続けたため、3度も繰り返し演奏を行ったと言われています。 『海を越える握手』は人気のある行進曲として、世界中の吹奏楽団で今日も演奏され続けています。 1898年に勃発したアメリカとスペインの戦争、いわゆる米西戦争で、マニラ湾のアメリカ海軍のデューイ提督に、 イギリスのチェスター艦長が救いの手を差し伸べました。その友情をたたえて作曲されたものだという説があります。 しかし実際には楽譜の表紙に印刷されている、ある戯曲の言葉「ある考えがわたしの心にひらめいた…永遠の友情を約束しよう」という言葉に インスピレーションを得たというのが真実のようです。 戦争を背景に生まれた作品ですが、現在では国際的な友情をたたえた行進曲として、海外親善の催しなどでしばしば演奏されています。 『海を越える握手』の構成は、ヘ長調を主調としていますが、その独特な和声付けにより、単に明るい雰囲気に終始する行進曲ではなくなっています。 すでに前奏から、ヘ長調の平行調であるニ短調のドミナントが示唆され、前奏の最後には、明確なニ短調のドミナントで半終止します。 続く第1マーチはニ短調のトニックで開始し、すぐにヘ長調へ移行します。この調の配置が、『海を越える握手』の、一聴して不思議な雰囲気に影響しています。 第2マーチは一転してヘ長調が支配的ですが、ニ短調の影は確実に存在します。トリオでは、付点リズムが心地よい揺れを生み出しています。 短調のエピソードを経て、トリオが繰り返されます。ピッコロの軽やかな装飾が付点リズムと豊かな対比を描き出しています。 アメリカ軍とイギリス軍の友好を讃えて作曲されたこの曲は、今では世界親善のテーマ曲としてしばしば各地で演奏されています。 この曲は1899年に作曲され、もう100年もたっていますが、今でも世界平和のために貢献している曲と言えます。 J.P.Sousa 彼はワシントンD.C.で生まれ、13歳のときにワシントン海兵隊楽団に入団。5年間在籍した後、各地のオーケストラやブラスバンドで演奏活動を続ける中で 創作活動を行いました。オペレッタの分野でも多くの作品を残していますが、有名なのはやはり行進曲です。彼の曲は、アメリカを象徴する音楽であると同時に 世界中で演奏されていて、今でも行進曲といえば、真っ先にスーザの名前が上がるほど、彼の功績は偉大です。 作品には、『ワシントン・ポスト』『士官候補生』『雷神』など広く知られた行進曲がたくさんありますが、何といっても彼の名を不滅にしたのは、 1896年に作曲された『星条旗よ永遠なれ(Stars and Stripes Forever)』でしょう。この曲は「アメリカ合衆国第二の国歌」とも呼ばれています。 スーザは、77年の生涯に100曲を超える行進曲を残していて、まだまだ隠れた名曲とも呼べる素晴らしい曲がたくさんあります。 なお、マーチングバンドでよく見かける、演奏者の身体に巻き付いた大きなアサガオのような金管楽器「スーザフォン」は、 彼が考案したことにちなんで名付けられています。演奏時間は約2分半です。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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クラリネット五重奏と打楽器のための幻想的描写曲「ペルシャの市場にて」楽譜
¥3,300
クラリネット五重奏と打楽器のための幻想的描写曲「ペルシャの市場にて」 In a Persian Market Albert William Ketelbey 編成はCl.4本、Bs,Cl.です。 打楽器はドラムセット1名で演奏可能です。 Tamb.、S.D.、Cym.、B.D.を分けて演奏することもできます。 サックス五重奏版、木管五重奏版、金管五重奏版は発売中です。 ノスタルジックな情感あふれる名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/67W_MTlGP8M アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html ケテルビー《幻想的描写曲「ペルシャの市場にて」》 『ペルシャの市場にて』(ペルシャのいちばにて、英: In a Persian Market)は、イギリスの作曲家 アルバート・ケテルビーが1920年に作曲した合唱付きの管弦楽曲です。 作曲者によって『情景的間奏曲 (Intermezzo-Scene)』という副題が付けられています。 ペルシャの市場にて ケテルビー(Albert William Ketelbey/1875-1959) 『ペルシャの市場にて In a Persian Market』は、イギリスの作曲家アルバート・ケテルビーが1920年に作曲した管弦楽曲。 序奏部は、砂漠から近づいて来る商人のキャラバン隊が街の市場(スーク)に到着するシーンに始まります。 そして男声合唱による「バクシーシ、バクシーシ」という物乞いの声など市場の喧騒を表わした展開部を経て、 曲は一転哀愁に満ちた印象的な旋律の高まりによってクライマックスを迎えます。 その後、このテーマを繰り返しながら、再び砂漠の彼方に去って行く キャラバンを表現するモチーフによって消えていくように静かに曲は終わります。(最後のトゥッティの主和音のみフォルテシモ。) ケテルビーの作品中でも最も有名な曲であり、ノスタルジックな情感あふれる曲想はクラシック音楽入門の小品として多くの人に親しまれています。 1920年、当時放送局のディレクターを担当していたケテルビーが、とある番組の穴埋めのために急遽作曲したといわれています。 中東の大国ペルシャの市場の風景が、出入りするラクダの隊商や蛇使い、占い師、 物乞いなどを思わせる曲のモチーフによってノスタルジックに表現されています。 モデラート、イ短調、4分の2拍子。演奏時間は約6分ほど。 この曲には元々男声合唱が含まれますが、オーケストラ楽員が歌って演奏、また合唱を省いて演奏されることもあります。 オルガンやハープの持ち込みが困難な場合はカットする場合やハープが入らないこともまれにあります。 男声合唱の「アッラーの神よ、お恵みを」という物乞いの呼び声の内容や「あっちへ行け!」と追い払う歌詞があります。 The camel-drivers gradually approach the market; the cries of beggars for “Back-sheesh"are heard amid the bustle. The beautiful princess enters carried by her servants,(she is represented by a languorous theme, given at first to clarinet and cello, then repeated by full orchestra) _she stays to watch the jugglers and snake-charmer. The Caliph now passes through the market and interrupts the entertainment, the beggars are heard again, the princess prepares to depart and the caravan resumes its journey; the themes of the princess and the camel-drivers are heard faintly in the distance and the market-place becomes deserted. 駱駝を牽く隊商は次第に市場に近づく。 雑踏の中に「バックシーシュ」という物乞いの叫び声が聞こえる。 美しい王女は、召使いらに連れられて、市場に入る。 大道芸人のショーが見える。 蛇使いの前を通る。 カリフはショーを中断して、さっさと市場を通り抜けると、また物乞いの声が聞こえる。 王女は、旅立ちの準備が終わり、キャラバンは旅を再開する。 王女と隊商のテーマは遠くにぼんやり聞かれ、 人けのない静かな市場になる。 曲中では、 “Back-sheesh Allah" 物乞いが「チップをねだるかけ声」で「アッラーの神よ、お恵みを」という感じ。 “Empshi"は、“get away" 「退散せよ」「あっちへ行け!」 の男声合唱が入ります。 異国情緒たっぷりの「ペルシャの市場(いちば)で」。 まるで実際にその場にいるかのように、光景が浮かんできます。それもそのはず。 楽譜には「らくだに乗ったキャラバンが近づいてくる」「市場の大道芸人たち」と細かい場面設定が書きこまれています。 わずか6分ほどの中で、ある日のペルシャの市場の様子を10もの場面でわかりやすく展開します。 それはまさに紙芝居のような音楽作品です。作曲したのは、イギリスの作曲家ケテルビー。彼は「エジプトの秘境で」「中国寺院の庭で」など、 具体的な場所や情景が目に浮かぶような「描写(びょうしゃ)音楽」を数多く残しました。 そんな彼の代表作が「ペルシャの市場で」。親しみやすいケテルビーの音楽は、クラシック音楽入門の小品として 今も愛されています。 ケテルビーは1875年、イギリスの工業都市バーミンガムに生まれました。作曲や編曲でその名をはせ、イギリスクラシック音楽界の 未来を担うホープとして大きく期待されます。しかし、自作のクラシック音楽はなかなか出版にこぎつけることができませんでした。 市民社会が成熟しつつあった20世紀初頭のイギリスでは、人々の音楽の趣向も変わり始めていたのです。 37歳のときに書いた小品「幻のメロディー」がある音楽コンクールで1位を獲得します。この時、彼は時代が新しい音楽を求めていると感じました。 これを機にケテルビーは大衆向けの音楽を次々と生み出していきます。45歳の時に書いたのが「ペルシャの市場で」です。 遠い異国の情景を誰もが簡単にイメージできるこの作品は瞬く間に大ヒットとなりました。クラシックからライトミュージックへ。 時代の波を巧みにとらえたケテルビーは、新しい音楽でより多くの人々の心をつかんでいったのです。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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木管五重奏と打楽器のための「クリサンシマム(菊)」楽譜
¥2,100
木管五重奏と打楽器のための「クリサンシマム(菊)」 The Chrysanthemum An Afro-American Intermezzo Scott Joplin 編成はFl.、Ob.、Cl.2本、Bsn.に加えてDrumsです。 打楽器(ドラムセット)を含めて総勢6名になります。 金管八重奏版、木管八重奏版、金管五重奏版、クラリネット五重奏版、サックス五重奏版は発売中です。 スコット・ジョプリンのラグタイムをコンサート・ピースに、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/q-8TZu8CEDc アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 「クリサンシマム」(The Chrysanthemum)は、1904年にスコット・ジョプリンが作曲したピアノ曲です。 ジョプリンが「2度目の妻 Freddie Alexander に捧げた」とも言われている落ち着いた雰囲気のラグタイム作品です。 クリサンシマムは菊の花の意味です。ラテン語の属名を英語読みにして「クリサンセマム」または略して「マム」と呼ぶこともありますが、 これは種としてのキクを指す場合と、キク属を指す場合とがあります。 属名はギリシア語の "chryso-"「黄金の」と "‐anthemon"「花」に由来し、菊に黄色い花が多いことによっています。 ラグタイム王スコット・ジョプリン スコット・ジョプリンはアメリカ黒人が作り上げた音楽スタイル「ラグタイム ragtime」の中で、 最も良く知られている作曲家/ピアニストです。 明治維新の年にテキサス州テキサカーナで生まれ、1917年、ニューヨークで亡くなりました。 1885年から1893年にかけてはセントルイスのナイト・クラブで演奏し、90年代にはミズーリ州のセダリアの ザ・クイーン・シティ・ニグロ・バンドでコルネットを吹いていました。 93年には、シカゴ万博にも出演しています。 当時のアメリカでは、楽曲はシート・ミュージック(楽譜)の売り買いによって世間に広まりましたが、 ジョプリンも例外ではなく「Please Say You Will」「Picture of Your Face」など自作曲の権利を売っていました。 彼にとって初めてのラグタイム曲となる「Original Rags」(1899年)も同様でした。 しかし、彼の代表作「メイプル・リーフ・ラグ Maple Leaf Rag」は印税契約という、当時の黒人としては異例の方法が取られました。 そして、この契約を申し出たジョン・スターク(白人)と共同歩調を取ることによってスコット・ジョプリンは、 ラグタイムの象徴となりました。 ちなみに「メイプル・リーフ・ラグ」(1899年)のシート・ミュージックは、発売されたその年だけで7万5千部も売れました。 ジョプリンはその後、たくさんのラグタイム曲を出版しましたが、彼の望みはバレーやオペラなど「格の高いジャンル」で 認められることでした。このような彼の意識背景には、アメリカの黒人差別がありました。 ジョプリンはバレー曲「The Ragtime Dance」(1902年)、オペラ「The Guest of Honor」(03年)を作曲しましたが、 ことごとくが失敗に終わりました(「The Guest of Honor」は出版されなかった)。 そうこうしているうちに、ラグタイムに影響され、より黒人色の強いジャズが台頭しきました。 ラグタイムがアメリカ最初の「自国の音楽」として欧米で持て囃されたのは19世紀末から1920年あたりだと言われていますが、 ジョプリンはまさにその短い時代に世に出て、そして亡くなったミュージシャンでした。 1910年頃には彼は梅毒におかされ、17年に亡くなりました。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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サックス五重奏 12のエコセーズ シューベルト 楽譜
¥2,200
サックス五重奏 12のエコセーズ シューベルト 12 Ecossaisen D781 F.Schubert 編成はソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。 金管五重奏版、木管五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。 スコットランド風の舞曲をウィーンから楽しむ名曲を、ぜひ味わってください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/0cOnM-ZWZUY Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html シューベルトは当時の音楽都市であるオーストリアのウィーン郊外で生まれ、主にウィーンで活動しました。さまざまなジャンルの作品を1000曲近く残しましたが、 特に600曲におよぶ歌曲作品の素晴らしさは後世にも影響を与え「歌曲王」とも呼ばれています。 決して裕福ではなかったシューベルトですが、その創作活動には支援者からの心強い援助もありました。その代表的なイベントとして 「シューベルティアーデ」と呼ばれる夜会があります。 仲間内で集まり、作品を披露したり音楽について語り合うこの夜会は、シューベルトの精神的な支えとなっていました。 このことからも、音楽的才能だけではなく、彼には人を惹きつける魅力があったことが窺えます。 作曲:1823年1月 出版:1825年(第1曲)・1824年(第4・7曲)・1889年(その他) 1823年1月の日付を持つBrown, Ms.44の「12のエコセーズ」のうち、第1曲は「16のドイツ舞曲と2つのエコセーズ」D783の第2エコセーズとして収録されたため、 旧全集ではこれ以外の11曲をまとめて曲集としました。これを踏襲してD781を「11のエコセーズ」とする資料や楽譜も多く、中にはD782のエコセーズと合わせて12曲という解釈をしている資料もあります。 通常はD783-E2を含む12曲を自筆譜と同じ曲順で演奏することが多いです。 1. ロ短調→ニ長調 (=D783-E2) 理論的にはニ長調のVIの和音から始まっていると解釈することもできますが、ロ短調で始まり途中で平行調のニ長調に転調すると考えるのが自然でしょう。 このように曲頭と曲尾の調性が異なり、とりわけ平行調への転調が多いのがこのエコセーズ集の特徴で、シンプルで短いエコセーズに変化とドラマを持たせようという工夫が感じられます。 2. 変ト長調 突如としてフラット系の世界へ入ります。前曲のニ長調から見るとずいぶんな遠隔調ですが、ロ短調から見ればドミナント調(嬰ヘ長調)の異名同音と考えられます。 後半ではやはり平行調(変ホ短調)への接近が見られます。 3. ニ長調 モティーフは第1曲とよく似ています。後半のバスの半音下行が印象的です。 4. 変ト長調 再び♭6個、そして前半の終わりは平行調の変ホ短調で終止します。後半は単純な反復ではなく、最終2小節に2番括弧が設定されています。 この曲と第7曲、そしてD782のエコセーズは1824年にライデスドルフ社から選集として発表されていますが、そこではト長調に移調されています。 5. 変ホ長調 前曲の平行調(変ホ短調)の同主調。前半ではメロディーがどんどん上昇していく曲です。 6. 変イ長調 第4曲同様に平行調(ヘ短調)で前半を終えます。後半ではII度調の変ロ短調も経過していきます。 7. 変ホ短調→変ト長調 全員が短い和音を連打する面白い舞曲です。[4]の1拍目の不協和音も印象的です。後半では平行調の変ト長調へ転調しそのまま終止します。 8. ロ短調→ロ長調 [1]のH音から[2]のEis音というユニゾンの増4度跳躍はまさに鬼神が憑いたかのような、凄味のある超自然的で悪魔的な響きです。後半ではD音に臨時記号の♯がついてロ長調で終止します。全曲の中で最も落ち着かないエコセーズです。 9. ニ長調 アウフタクトにドミナントの和音という意表を突いた開始です。伸びやかな旋律線が魅力的です。後半でのバスの半音上行は第3曲と対応しています。 10. ロ長調 右手がメロディーとともに属音の保続をオクターヴで重ねます。前半の終わりでは平行調の嬰ト短調で半終止します。[11]のFisisとFisの二重倚音はいかにもロマン派的なフレーズです。 11. 嬰ト短調→ロ長調 高音域での逆付点のリズムがクリスタルな響きを生みます。後半では平行調のロ長調に転調し、[12]のIV度ドミナントの強奏が衝撃を与えます。 12. ロ短調→ニ長調 第1曲と同じ調性関係の終曲です。シューベルトの偏愛したダクティルスのリズムに支配されている曲です。 エコセーズ(Ecossaise)は、フランス語で「スコットランド風(舞曲)」の意味を持つ、18世紀末から19世紀初めにかけて フランスとイングランドで特に流行したスコットランドのフォークダンスです。 通常は4分の2拍子で作曲され、この音楽形式をクラシック音楽の作曲家も用いていて、ベートーヴェンやシューベルト、ショパンはいずれも ピアノのためのエコセーズを作曲しています。この形式を通して彼らの快活さを示しています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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金管五重奏 デンゴーゾ(気取った男)、マシーシ 楽譜
¥2,150
金管五重奏 デンゴーゾ(気取った男)、マシーシ Dengozo, Maxixe エルネスト・ナザレ 編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。 木管五重奏、サックス五重奏版、クラリネット五重奏版、鍵盤打楽器とベース四重奏版は発売中です。 「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/-M3AnW_lixY Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html Dengozo (Dengoso), Maxixe デンゴーゾ(気取った男)、マシーシ 「マシーシ(マシシェ)」とは19世紀ブラジルで流行した舞曲で、2拍子の速いテンポが特徴的です。 その起源ははっきりとはしていませんが、ヨーロッパ由来のポルカに、アフリカからブラジルに連れて来られた黒人の踊りが混じったものを指します。 ナザレが多数作曲したタンゴ(またはタンゴ・ブラジレイロ)は、この「踊りの音楽」であったマシーシを、「聴くための音楽」にしたという 経過があります。しかしナザレ自身は踊りのBGMの印象が強い「マシーシ」という言葉を自作に使うことを嫌ったらしく、 二百数十曲のナザレの作品の中でマシーシと名付けたのはこの一曲のみで、しかもこの曲が1907年に初版された際にナザレは本名を出さず "Renaud" というペンネームを使っています。変ロ長調、A-B-A-C-A-B-A形式で、踊りたくなるような、お祭り騒ぎのような陽気な曲です。 Aはの旋律はF-F#-Gを行ったり来たりするのと、16分音符分散和音だけなのですが、それが何とも浮き浮きした雰囲気を放つこの曲調はナザレの才能でしょう。 Bはヘ長調、Cは変ホ長調に転調します。この曲は1914年には米国で楽譜が出版され("Parisian Maxixe" という副題が付いた楽譜まである)、 また1939年米国のミュージカル映画「カッスル夫妻 (The Story of Vernon and Irene Castle)」の中でも用いられました。 更には米国で "Boogie Woogie Maxixe" という曲名でブギウギとなってヒットし、1960年代にはパーシー・フェイス楽団もこの曲を演奏しています。 「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を知らずしてブラジル音楽は語れません。 南国ののどかな風光と、アフリカの野性的なエネルギーと、ロマンティシズムが渾然と混じり、甘美で、ちょっぴり切ない独特の音楽が聞こえてきます。 ミニョーネはこう述べています。「私は1917年頃にEduardo Soutoの楽譜店でナザレに会ったことがある。ナザレは自作曲を決して急がず、 カンタービレで弾いていた。彼はこう言っていたよ、『私の作品はあちこちでメチャメチャに弾かれている。みんな速く弾きすぎだ。 特に "Apanhei-te, Cavaquinho" は酷いことになっている。あの曲はゆっくりと、左手はカヴァキーニョを思い浮かべてアルペジオで弾くもんだ』と。」 エルネスト・ジュリオ・ナザレー (Ernesto Julio Nazareth (またはNazare とも), 1863年3月20日 - 1934年2月4日)は、ブラジルのピアニスト・作曲家です。 一生をリオ・デ・ジャネイロで過ごしました。「ブラジル風タンゴ」やショーロなど、国内の民族音楽に影響されたピアノ曲を量産しました。 そのような作曲姿勢から、しばしば「ブラジルのショパン」と呼ばれています。ピアノ以外の音楽教育は学ばなかったため、 残された作品はサロン小品と声楽曲ばかりであり、管弦楽曲や室内楽・カンタータやオラトリオのような分野の大作はなく、作曲技法も必ずしも洗練されていません。 しかしながら、民衆音楽の影響のもとに切り開いた独自の素朴な詩境は、のちにヴィラ=ロボスから、「ブラジルの魂」と称賛されました。 中産階級ながらもあまり豊かでない下級官吏の家庭に生まれ、ショパンを愛する母親からピアノの手ほどきを受けました。 早い年齢でたぐい稀な音楽的才能が認められ、家族ぐるみで付き合いのあったアフロ=アメリカンの作曲家、 リュシアン・ランベールにも音楽の手ほどきを受けました。 1873年に母親が亡くなってからもピアノを学び、間もなく作曲も手がけるようになりました。 最初の出版作品のポルカ『ボセ・ベン・サービ"Voce Bem Sabe"』 (あなたはよく御存知)は、14歳になるまでに作曲・出版されました。 その後は、ショーロの楽士たちとたむろして、敏感で独特なリズム感を身につけました。マシシェ maxixe やルンドゥ lundu 、ショーロ choro 、 アフリカ系住民のダンスなど、さまざまな民族舞曲に影響されました。 長年ナザレーは、映画館オデオン座の待合室でピアニストとして働き、ここで最も有名な作品の一つ『オデオン』を作曲しました。 外国から数少ない音楽家がブラジルを訪問した際、オデオン座のナザレーの演奏を見学したといわれています。 1920年代初頭には、音楽ショップにピアニストとして雇われました。顧客が購入する際に持ち寄ってきた楽譜を見ながら、演奏し、 客の要望に沿うかどうかを確認して見せるのが任務でした。客の中に、ナザレー作品の楽譜を手ずから弾こうとする者がいると、止めさせて、 解釈が誤っていると苦情を言うのが常だったそうです。 ナザレーは、心底からのブラジル人音楽家であり、音楽は楽しまれるべきであるとして、それ以上を望みはしませんでした。 ほとんど独学であり、音楽活動のほとんどは、劇場や映画館の伴奏ピアニストとして、あるいは小劇場のアンサンブルでのピアニストとして、 演奏するのに振り当てられました。 そのような劇場アンサンブルの楽団員の知り合いには、後の大作曲家ヴィラ=ロボスがいて、当時はチェリストとして活動していました。 ナザレーはショーロの発展のおおもとであり、ヴィラ=ロボスは、これに基づき、後に自らの創作活動を繰り広げていったのです。 ナザレーは、ブラジルの民族音楽以外にも明らかに影響されていて、子供時代にむさぼるようにして学んだショパンの影響が中でも顕著です。 また、1869年にきら星のようにリオ・デ・ジャネイロにデビューして、瞬く間にブラジル楽壇を席巻したゴットシャルクの作風もナザレーにはお馴染みでした。 作品には、19世紀ヨーロッパのクラシック音楽の豊かな和声法がこだましながら、ナザレーの生地ブラジルの、シンコペーションをともなう 民族舞曲のリズム法に織り込まれてゆくのが認められます。そのうえ、アメリカ合衆国のラグタイムや初期のジャズの、小気味よいリズム感も健在である。これらの要素を統合して一つの有機体へとまとめ上げたことがナザレー独自の能力で、結果的には、ピアノ曲のレパートリーだけでなく、20世紀の音楽にも重要な貢献を果たしている。 ナザレーはショパンやその他のヨーロッパの作曲家から霊感を受けたように、逆に自らも、間接的とはいえ、ヨーロッパの作曲家に何かしらの影響を与えています。 フランス人作曲家のダリユス・ミヨーは、自伝の中で、ブラジル滞在中にリオ・デ・ジャネイロの映画館でナザレーがピアノを演奏する風景を回想しています。 ミヨーはその音楽のリズムにたちどころに虜となって、ブラジル音楽をきわめてやろうと決心したというのです。 その最終的な成果こそが、ミヨーのピアノ曲『ブラジルの想い出 Saudades do Brasil』でした。 ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ばれていますが、作品に副題を好んでつけた点で、ショパンとは違っています。 ショパンやフォーレよりもヨーロッパのサロン音楽の伝統に忠実だったといえます。 しかしながら19世紀から20世紀初頭まで、ヨーロッパではサロン小品にフランス語の題名をつける慣習がまだ根強く残っていたのに対して、 ナザレーは母語のポルトガル語に固執しました。 また題名によって、ドビュッシーやラヴェルのように、美術や文学からのインスピレーションをほのめかしたり、 リストのように詩的な連想を暗示することもありませんでした。 ナザレーの曲名には、しばしば第三者にとって謎めいた響きをもつものもありますが、それらは実在するスポーツチームやダンスクラブ、雑誌名など、 ナザレーの日常生活の周辺から切り取られたものばかりです。このような意味で、ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ぶよりは、むしろ 「ブラジルのクープラン」と呼んでこそふさわしいかも知れません。 およそ300曲のピアノ小品において、ナザレーはみごとに、大衆的なブラジル舞曲のエッセンスを捕まえています。 ナザレーは、厳密には都会の聴衆のために作曲したのですが、その作品には、(ブラジルで奴隷制が廃止された1888年以降の作品でも、) アフリカ系民族音楽の豊かな影響が息づいています。ほとんどの曲に、スコット・ジョプリンが発想したようなシンコペーションが使われています。 ナザレーのピアノ曲には、ブラジルのありとあらゆるダンスが盛り込まれています。マシシ(英語版)、バトゥーキ(英語版)、 サンバ、 そして中でも重要なのがタンゴです。後に世界中を熱狂させ、席巻したタンゴが、ブラジル生まれだったというだけでなく、 実際にはナザレー自身の創り出したジャンルだったという証拠になるからです。 もしそれが間違いだったとしても、「ブラジル風タンゴ」の発展のほとんどにナザレーがかかわっていて、このジャンルに優に100曲を残しています。 最も有名な作品に、『ブレジェイロ(ろくでなし)"Brejeiro"』『アメノ・ヘゼダ"Ameno Reseda"』『バンビーノ(赤ん坊)"Bambino"』 『トラベッス(腕白坊主)"Travesso"』『フォン・フォン"Fon-Fon"』『テネブローズ(暗闇)"Tenebroso"』があります。 ナザレーが初めて「ショーロ」と呼んだ作品のうち、『アパニェイチ・カヴァキーニョ(頑張れカバキーニョ)"Apanhei-te Cavaquinho"』は、 さまざまな楽器アンサンブルによって演奏できる、古典的名作です。 晩年になって完全に聴覚を失うと、創作活動にも支障をきたしましたが、それでもブラジル国内ではなかなかナザレー人気は衰えませんでした。 ゴットシャルクやジョプリンを評価する人たちなら、ナザレーの残した魅力的な宝石たちをきっとたちまち気に入るに違いありません。 作曲者の死後から半世紀を経た近年になって、ナザレー作品を集めたアルバム制作が世界的にも相次いでいて、最近では伝記や、 作曲者に関するCD-ROMも発表されています。ナザレーは、クラシックとポピュラー音楽にまたがって活動したことから、ナザレーのピアノ曲は、 クラシックの学び手にも、ポピュラー音楽の学び手にも、有用な教材とされつつあります。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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Solo+クラリネット四重奏 野ばら(シューベルト・ヴェルナー)楽譜
¥1,700
Solo+クラリネット四重奏 野ばら(シューベルト・ヴェルナー) Heidenroslein 編成はCl.3本、Bs.Cl.、およびSoloパートです。 同梱のSoloパート楽譜はin F版(Hn.)、 in C版(Ob.、Mallet Perc.など)、 in C-Fl.版(Fl.、Pic.)、 in C低音版(Eup.、Bsn.、Tbn,、St.Bs.など)、 Tubaは1オクターブ下げて演奏可能です。 in B版(Tp.、Cl.、Bs.Cl.、Sop.Sax.、T.Sax.など)、 in Es版(Es Cl.、A.Sax.、B.Sax.など)が含まれています。 多くの楽器がSoloを担当し、伴奏は下の編成も含め5種類から選ぶことができます。 木管四重奏版、金管四重奏版、サックス四重奏版、鍵盤打楽器とコントラバス三重奏版は発売中です。 どちらも清純で愛らしいメロディが印象的な二人の作品を、ぜひ聴き比べてください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/YIn9YjpG1VU Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html ●野ばら(シューベルト) Heidenroslein D257 Op.3-3 作詞:ウォルフガング・ゲーテ(原詩) 作曲:フランツ・シューベルト Franz Schubert この曲は1815年8月19日(18才)作曲されました。シューベルトは友人の結婚式のために、1815年8月19日ゲーテの『連帯の歌』に曲をつけました(D258)。 出版は1821年5月29日 カッピ・ウント・ディアベルリ(委託販売)作品3-3です その日のシューベルトのゲーテの詩への作曲はこれにとどまらず、この『野ばら』をはじめ、『神とバヤデーレ』(D254)、『鼠捕り』(255)、 『宝掘り』(D256)、『月に寄せて』D259が短時間のうちに作曲されました。 ト長調 4分の2拍子 Lieblich(あいらしく) 素朴で美しい伴奏と旋律。3節からなる有節形式のリートです。 ゲーテはドイツ古典主義からロマン主義にかけて活躍しました。 ヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテ(1749~1832)の戯曲や小説には、人間のもつ個性へのゆるぎない信念がうつしだされています。 なかでも劇詩「ファウスト」(第1部1808年、第2部32年)は、有名なファウスト博士の伝説を題材にした作品で、世界文学の名作のひとつです。 またゲーテは文学だけではなく、科学研究にも熱中し、「植物変態論」「光学への試論」などの著書もあります。 シューベルトは次の曲をゲーテの詞から作曲しています。 『愛の神々を買うのは誰か』『憧れ』『憩いのない愛』『歌びと』『海の静寂』『宴席の歌』『逢瀬と別れ』『悲しみの喜び』『ガニュメード』 『狩人の夕べの歌』『川辺にて』(D160,D766)『希望』『馭者クロノスに』『金細工職人』『恋人の近く』『湖上にて』『最初の喪失』 『さすらい人の夜の歌(Der du von dem Himmel bist)』『さすらい人の夜の歌(Uber allenGipfeln)』『去っていった人に』『宝堀り』 『竪琴弾き 第1』『竪琴弾き 第2』『竪琴弾き 第3』『耽溺』『月に寄せて』(D259,D296)『トゥーレの王』『涙の中にある慰め』 『人間の限界』『鼠捕り』『野ばら』D257『羊飼いの嘆きの歌』『ひめごと』『プロメテウス』『亡霊の呼びかけ』『魔王』『ミニョンに』 『ミューズの子』『夜の歌』『漁師』『連帯の歌』 ●野ばら(ヴェルナー) Heidenroslein 作詞:ウォルフガング・ゲーテ(原詩) 作曲:ハインリッヒ・ヴェルナー Heinrich Werner 「野ばら」は、ドイツの作曲家ハインリッヒ・ ヴェルナーの作曲した曲です。原題は「Heidenroslein」です。 「野ばら」はゲーテの傑作と言われる詩で、複数の作曲家がこの詩に曲をつけています。 タイトルで「ウェルナーの野ばら」となっているのは他の作曲家の作品と区別するためのものです。 この詩に曲をつけた作曲家には他に「シューベルト」「ベートーヴェン」「シューマン」「ブラームス」がいます。 ウェルナーは音楽教師をしていた人で、広く知られている曲はこの「野ばら」だけです。 訳詞は、近藤朔風のものです。近藤朔風は「シューベルトの野薔薇」の訳詞も手がけています。 〔訳詩〕by 近藤朔風 童(わらべ)は 見たり 野なかのバラ 清らに 咲ける その色愛(め)でつ 飽かず眺む 紅におう 野なかのバラ 手折(たお)りては 行かん 野なかのバラ 手折らば手折れ 思い出ぐさに 君を刺さん 紅におう 野なかのバラ わらべは 折りぬ 野なかのバラ 折られて あわれ 清らの色香(いろか) 永久(とわ)に褪(あ)せぬ 紅におう 野なかのバラ HEIDENROSLEIN Sah ein Knab' ein Roslein stehn, Roslein auf der Heiden, War so jung und morgenschon, Lief er schnell, es nah zu sehn, Sah's mit vielen Freuden, Roslein, Roslein, Roslein rot, Roslein auf der Heiden Knabe sprach: Ich breche dich, Roslein auf der Heiden ! Roslein sprach : Ich steche dich, Das du ewig denkst an mich, Und ich will's nicht leiden. Roslein, Roslein, Roslein rot, Roslein auf der Heiden Und der wilde Knabe brach 's Roslein auf der Heiden ; Roslein wehrte sich und stach, Half ihm doch kein Weh und Ach, Must' es eben leiden. Roslein, Roslein. Roslein rot, Roslein auf der Heiden. Johann Wolfgang van Goethe アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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木管四重奏+ 交響組曲第1番から「ロンド」楽譜
¥1,500
木管四重奏+ 交響組曲第1番から「ロンド」 Rondeau From Sinfonie De Fanfares ジャン=ジョゼフ・ムーレ Jean-Joseph Mouret 編成はFl.、Ob.、Cl.、Bsn.およびティンパニです。 ティンパニを省略し、四重奏として演奏可能です。 サックス四重奏、金管四重奏、クラリネット四重奏版は発売中です。 フランス・バロック期の壮麗な響きをコンサートのオープニング・ピースに、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/4Zy-vrWgjf4 Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 堂々として品格を感じさせるこのメロディーは、どこかで聴いたことのある有名な旋律です。 1分30秒の短い曲ですが、オープニングなど活躍の場が多くあります。コンサートの開演前の合図とか、ホールロビーでのプチコンサート、 演劇にも使えそうです。最近では英国のタクシーが登場するコマーシャルでもおなじみです。 この曲の名は「ロンド(短いフレーズがくり返し使われる形式)」です。 ジャン=ジョゼフ・ムーレ(Jean-Joseph Mouret,1682年4月11日- 1738年12月22日)はフランスの作曲家です。 アヴィニョン に生まれ、シャラントン=ル=ポンで亡くなりました。その劇作品により、彼はフランスのバロック音楽の主唱者のうちの1人となりました。 大部分の彼の作品は今日もはや上演されないのですが、ムーレの名前は交響組曲第1番のロンドのファンファーレ人気のおかげで今日演奏されています。 それはアメリカのPBSの番組"Masterpiece"のテーマ音楽に採用され、また現代の多くの結婚式で人気がある作品です。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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サックス五重奏 無言歌集 第2巻 『ヴェネツィアの舟歌 第2番』楽譜
¥2,000
サックス五重奏 無言歌集 第2巻 『ヴェネツィアの舟歌 第2番』 Op.30-6 Lieder ohne Worte Heft 2 "Venetian Boat Song" Op.30-6 Mendelssohn, Felix 編成はサックスのソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。 金管五重奏版、クラリネット五重奏版、木管五重奏版は発売中です。 ロマンチックで優美なヴェネツィアの風情を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/Eg97SVmIKN4 Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 『無言歌集 Lieder ohne Worte』は、メンデルスゾーンが生涯にわたって作曲したピアノ独奏のための作品集です。 全8巻からなり、各巻6曲ずつで合計48曲が収められています。 メンデルスゾーンのピアノ作品として最も有名で、しかもロマン派の教材として取り上げられることの多いのが「無言歌集」です。 ワーグナーが「第一級の風景画家」と言ったように、メンデルスゾーンは情景描写や標題音楽の作曲において才能を発揮しています。 この“言葉のない歌曲”、「無言歌」、という形でメンデルスゾーンは心象風景や感情描写までも、表現しました。 歌曲風の旋律をもった器楽曲であるため、旋律線をはっきりと浮き立たせ、抒情的に演奏することが重要です。 メンデルスゾーンが活躍したこの時期、ブルジョアジーの家庭を中心に、ピアノが教養として普及しました。 そのため、家庭で気楽に弾ける作品が多く作られましたが、この《無言歌集》もその一つです。 《無言歌集》は各6曲ずつの計8集からなり、生前に出版されたのは、第6集までです。第7集は、1851年、第8集は1867年に出版されました。 1832年、第1集を出版したときには、メンデルスゾーンは、《ピアノのためのメロディー》と記していて、《無言歌集》の名称を もつようになったのは1835年に第2集を出版してからのことでした。 標題をもっているものが多いのですが、作曲者自身によってつけられたものはわずかです。 実際、メンデルスゾーンは標題をつけることによって、音楽的な想像力が限定されることを嫌っていたようです。 6曲目『ヴェネツィアの舟歌』第2番です。 『ヴェニスの舟歌』、『ベニスの舟歌』、『ヴェニスのゴンドラの歌』などとも題されます。 波の上を揺れ動くような動きを特徴しています。 《無言歌集の舟歌》 ヴェネツィアの舟歌 第1 「無言歌集」第1巻 作品19-6/アンダンテ・ソステヌート(ト短調) ヴェネツィアの舟歌 第2 「無言歌集」第2巻 作品30-6/アレグレット・トランクィロ(嬰ヘ短調) ヴェネツィアの舟歌 第3 「無言歌集」第5巻 作品62-5/アンダンテ・コン・モート(イ短調) 第2巻 作品30 出版年代:1835年 1.変ホ長調、アンダンテ・エスプレッシーヴォ 《瞑想》 (作曲年代不明) 2.変ロ短調、アレグロ・ディ・モルト 《安らぎもなく》 (作曲年代不明) 《心配》と呼ばれることもあります。 3.ホ長調、アダージョ・ノン・トロッポ 《慰め》 (作曲年代不明) カトリック聖歌集第100番「しずかに神と」、讃美歌第30番および讃美歌21・第211番「朝風しずかに吹きて」として教会で歌われています。 4.ロ短調、アジタート・エ・コン・フォコ 《さすらい人》 (1834年1月30日作曲) 《道に迷って》とも呼ばれます。 5.ニ長調、アンダンテ・グラツィオーソ 《小川》 (1833年12月12日作曲) 6.嬰ヘ短調、アレグレット・トランクィロ 『ヴェネツィアの舟歌 第2』 (作曲年代不明) メンデルスゾーンが自分でつけた『ヴェネツィアの舟歌』の第2番。 メンデルスゾーン自身が命名した曲です。無言歌曲集には、他に同名の作品が3曲あり、 これらは「ゴンドラ・リート」と呼ばれます。これらの作品は波の上を揺れ動くような動きを特徴しています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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金管五重奏 ベルガマスクのカンツォーン:サミュエル・シャイト 楽譜
¥2,000
金管五重奏 ベルガマスクのカンツォーン:サミュエル・シャイト Canzon Bergamask Samuel Scheidt 編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。 クラリネット五重奏版、サックス五重奏版、木管五重奏版は発売中です。 バロック期のシンプルな名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/WsOuMJyrW3c Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html このベルガマスクのカンツォーンは1621年に出版された4-5声部による器楽のための舞曲集に含まれています。 金管アンサンブルのレパートリーとして編曲され演奏されることが多い作品です。 この《戦いの組曲》もそういった中の1つで、「戦いのガリヤード Galliard Battaglia」、「悲しみのクーラント Courant Dolorosa」、 「ベルガマスクのカンツォーン Canzon Bergamask」の3曲からなっています。 サミュエル・シャイト Samuel Scheidt(1587-1654)ドイツ サミュエル・シャイト(1587年11月3日-1654年3月24日洗礼)は、ドイツの作曲家、オルガニスト、そしてバロック初期の教師でした。 彼はハレで生まれ、そこでの初期の研究の後、彼のスタイルを明らかに形成していた著名なオランダの作曲家であるスウィーリンクに師事するために アムステルダムに行きました。ハレに戻ると、彼は法廷オルガニストになり、後にカペルマイスターになり、ブランデンブルクの辺境伯になりました。 多くのドイツのミュージシャン、たとえばハインリヒシュッツとは異なり、彼は三十年戦争の間ドイツに留まり、教えたり、 小さな仕事を続けたりすることで生き残ることができました。安定性が回復するまで、彼はカペルマイスターとしての地位を再開することができました。 シャイトは、オルガンの最初の国際的に重要なドイツのバロック作曲家であり、主にプロテスタント改革の結果として起こった新しい 北ドイツスタイルの開花を表しています。南ドイツやヨーロッパの他のいくつかの国では、ローマの精神的および芸術的影響が依然として強いため、 ほとんどの音楽はイタリアのモデルから派生したものであり続けました。ローマから切り離された、新しくプロテスタント地域のミュージシャンは、 隣人の慣習とは大きく異なる新しい文体のアイデアをすぐに開発しました。シャイトの音楽は、2つの主要なカテゴリに分類されます。 主にオルガン用の大量のキーボード音楽を含む器楽。と神聖な声楽、アカペラのものもあれば、通奏低音やその他の楽器の伴奏を使用するものもあります。 彼のオルガン音楽は当時有名でしたが、それ以来、JSバッハの音楽に覆われています。彼の数多くのコラール前奏曲で、 シャイトはしばしば「パターン化されたバリエーション」技法を使用しました。このテクニックでは、コラールの各フレーズが異なるリズムの動機を使用し、 各バリエーション(いくつかのフレーズで構成される)は、構成に到達します。 彼のコラール前奏曲に加えて、彼は数多くのフーガ、一連のダンス(多くの場合、周期的な形式であり、共通のグラウンドベースを共有している)および 幻想曲を書きました。彼はまた、宗教音楽と世俗音楽の両方を大量に生み出し、その多くは今でも演奏されています。 ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ・ハウスのコレクションの一部はシャイトに捧げられています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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クラリネット五重奏+ 海を越える握手 (行進曲)楽譜
¥2,100
クラリネット五重奏+ 海を越える握手 (行進曲) Hands Across the Sea 作曲者 ジョン・フィリップ・スーザ J.P.Sousa 編成はCl.4本、Bs,Cl.およびDrum Setです。 木管五重奏、サックス五重奏版、金管五重奏版は発売中です。 マーチ王と讃えられるスーザの音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/JVeCZW4YzvE Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 『海を越える握手』(うみをこえるあくしゅ、英語: Hands Across the Sea)は、元アメリカ海兵隊音楽隊隊長のジョン・フィリップ・スーザが作曲した行進曲です。 1900年のパリ万国博覧会のために作曲されました。 同年初演され、聴衆が足を踏み鳴らし興奮し続けたため、3度も繰り返し演奏を行ったと言われています。 『海を越える握手』は人気のある行進曲として、世界中の吹奏楽団で今日も演奏され続けています。 1898年に勃発したアメリカとスペインの戦争、いわゆる米西戦争で、マニラ湾のアメリカ海軍のデューイ提督に、 イギリスのチェスター艦長が救いの手を差し伸べました。その友情をたたえて作曲されたものだという説があります。 しかし実際には楽譜の表紙に印刷されている、ある戯曲の言葉「ある考えがわたしの心にひらめいた…永遠の友情を約束しよう」という言葉に インスピレーションを得たというのが真実のようです。 戦争を背景に生まれた作品ですが、現在では国際的な友情をたたえた行進曲として、海外親善の催しなどでしばしば演奏されています。 『海を越える握手』の構成は、ヘ長調を主調としていますが、その独特な和声付けにより、単に明るい雰囲気に終始する行進曲ではなくなっています。 すでに前奏から、ヘ長調の平行調であるニ短調のドミナントが示唆され、前奏の最後には、明確なニ短調のドミナントで半終止します。 続く第1マーチはニ短調のトニックで開始し、すぐにヘ長調へ移行します。この調の配置が、『海を越える握手』の、一聴して不思議な雰囲気に影響しています。 第2マーチは一転してヘ長調が支配的ですが、ニ短調の影は確実に存在します。トリオでは、付点リズムが心地よい揺れを生み出しています。 短調のエピソードを経て、トリオが繰り返されます。ピッコロの軽やかな装飾が付点リズムと豊かな対比を描き出しています。 アメリカ軍とイギリス軍の友好を讃えて作曲されたこの曲は、今では世界親善のテーマ曲としてしばしば各地で演奏されています。 この曲は1899年に作曲され、もう100年もたっていますが、今でも世界平和のために貢献している曲と言えます。 J.P.Sousa 彼はワシントンD.C.で生まれ、13歳のときにワシントン海兵隊楽団に入団。5年間在籍した後、各地のオーケストラやブラスバンドで演奏活動を続ける中で 創作活動を行いました。オペレッタの分野でも多くの作品を残していますが、有名なのはやはり行進曲です。彼の曲は、アメリカを象徴する音楽であると同時に 世界中で演奏されていて、今でも行進曲といえば、真っ先にスーザの名前が上がるほど、彼の功績は偉大です。 作品には、『ワシントン・ポスト』『士官候補生』『雷神』など広く知られた行進曲がたくさんありますが、何といっても彼の名を不滅にしたのは、 1896年に作曲された『星条旗よ永遠なれ(Stars and Stripes Forever)』でしょう。この曲は「アメリカ合衆国第二の国歌」とも呼ばれています。 スーザは、77年の生涯に100曲を超える行進曲を残していて、まだまだ隠れた名曲とも呼べる素晴らしい曲がたくさんあります。 なお、マーチングバンドでよく見かける、演奏者の身体に巻き付いた大きなアサガオのような金管楽器「スーザフォン」は、 彼が考案したことにちなんで名付けられています。演奏時間は約2分半です。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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木管五重奏と打楽器のための幻想的描写曲「ペルシャの市場にて」楽譜
¥3,300
木管五重奏と打楽器のための幻想的描写曲「ペルシャの市場にて」 In a Persian Market Albert William Ketelbey 編成はFl.、Ob.、Cl.2本、Bsn.です。 打楽器はドラムセット1名で演奏可能です。 Tamb.、S.D.、Cym.、B.D.を分けて演奏することもできます。 クラリネット五重奏版、サックス五重奏版、金管五重奏版は発売中です。 ノスタルジックな情感あふれる名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/JyhdtDEy1Z8 アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html ケテルビー《幻想的描写曲「ペルシャの市場にて」》 『ペルシャの市場にて』(ペルシャのいちばにて、英: In a Persian Market)は、イギリスの作曲家 アルバート・ケテルビーが1920年に作曲した合唱付きの管弦楽曲です。 作曲者によって『情景的間奏曲 (Intermezzo-Scene)』という副題が付けられています。 ペルシャの市場にて ケテルビー(Albert William Ketelbey/1875-1959) 『ペルシャの市場にて In a Persian Market』は、イギリスの作曲家アルバート・ケテルビーが1920年に作曲した管弦楽曲。 序奏部は、砂漠から近づいて来る商人のキャラバン隊が街の市場(スーク)に到着するシーンに始まります。 そして男声合唱による「バクシーシ、バクシーシ」という物乞いの声など市場の喧騒を表わした展開部を経て、 曲は一転哀愁に満ちた印象的な旋律の高まりによってクライマックスを迎えます。 その後、このテーマを繰り返しながら、再び砂漠の彼方に去って行く キャラバンを表現するモチーフによって消えていくように静かに曲は終わります。(最後のトゥッティの主和音のみフォルテシモ。) ケテルビーの作品中でも最も有名な曲であり、ノスタルジックな情感あふれる曲想はクラシック音楽入門の小品として多くの人に親しまれています。 1920年、当時放送局のディレクターを担当していたケテルビーが、とある番組の穴埋めのために急遽作曲したといわれています。 中東の大国ペルシャの市場の風景が、出入りするラクダの隊商や蛇使い、占い師、 物乞いなどを思わせる曲のモチーフによってノスタルジックに表現されています。 モデラート、イ短調、4分の2拍子。演奏時間は約6分ほど。 この曲には元々男声合唱が含まれますが、オーケストラ楽員が歌って演奏、また合唱を省いて演奏されることもあります。 オルガンやハープの持ち込みが困難な場合はカットする場合やハープが入らないこともまれにあります。 男声合唱の「アッラーの神よ、お恵みを」という物乞いの呼び声の内容や「あっちへ行け!」と追い払う歌詞があります。 The camel-drivers gradually approach the market; the cries of beggars for “Back-sheesh"are heard amid the bustle. The beautiful princess enters carried by her servants,(she is represented by a languorous theme, given at first to clarinet and cello, then repeated by full orchestra) _she stays to watch the jugglers and snake-charmer. The Caliph now passes through the market and interrupts the entertainment, the beggars are heard again, the princess prepares to depart and the caravan resumes its journey; the themes of the princess and the camel-drivers are heard faintly in the distance and the market-place becomes deserted. 駱駝を牽く隊商は次第に市場に近づく。 雑踏の中に「バックシーシュ」という物乞いの叫び声が聞こえる。 美しい王女は、召使いらに連れられて、市場に入る。 大道芸人のショーが見える。 蛇使いの前を通る。 カリフはショーを中断して、さっさと市場を通り抜けると、また物乞いの声が聞こえる。 王女は、旅立ちの準備が終わり、キャラバンは旅を再開する。 王女と隊商のテーマは遠くにぼんやり聞かれ、 人けのない静かな市場になる。 曲中では、 “Back-sheesh Allah" 物乞いが「チップをねだるかけ声」で「アッラーの神よ、お恵みを」という感じ。 “Empshi"は、“get away" 「退散せよ」「あっちへ行け!」 の男声合唱が入ります。 異国情緒たっぷりの「ペルシャの市場(いちば)で」。 まるで実際にその場にいるかのように、光景が浮かんできます。それもそのはず。 楽譜には「らくだに乗ったキャラバンが近づいてくる」「市場の大道芸人たち」と細かい場面設定が書きこまれています。 わずか6分ほどの中で、ある日のペルシャの市場の様子を10もの場面でわかりやすく展開します。 それはまさに紙芝居のような音楽作品です。作曲したのは、イギリスの作曲家ケテルビー。彼は「エジプトの秘境で」「中国寺院の庭で」など、 具体的な場所や情景が目に浮かぶような「描写(びょうしゃ)音楽」を数多く残しました。 そんな彼の代表作が「ペルシャの市場で」。親しみやすいケテルビーの音楽は、クラシック音楽入門の小品として 今も愛されています。 ケテルビーは1875年、イギリスの工業都市バーミンガムに生まれました。作曲や編曲でその名をはせ、イギリスクラシック音楽界の 未来を担うホープとして大きく期待されます。しかし、自作のクラシック音楽はなかなか出版にこぎつけることができませんでした。 市民社会が成熟しつつあった20世紀初頭のイギリスでは、人々の音楽の趣向も変わり始めていたのです。 37歳のときに書いた小品「幻のメロディー」がある音楽コンクールで1位を獲得します。この時、彼は時代が新しい音楽を求めていると感じました。 これを機にケテルビーは大衆向けの音楽を次々と生み出していきます。45歳の時に書いたのが「ペルシャの市場で」です。 遠い異国の情景を誰もが簡単にイメージできるこの作品は瞬く間に大ヒットとなりました。クラシックからライトミュージックへ。 時代の波を巧みにとらえたケテルビーは、新しい音楽でより多くの人々の心をつかんでいったのです。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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金管四重奏+サックス四重奏 シュペールのソナタ・ハ長調 楽譜
¥2,400
金管四重奏+サックス四重奏 シュペールのソナタ・ハ長調 Sonata in C Daniel Speer 編成はトランペット2本、ユーフォニアムまたはトロンボーン2本、、ティンパニ、サックスはソプラノ、アルト、テナー、バリトンです。 ティンパニを省略し、八重奏として演奏可能です。 バロック期の壮麗な響きをコンサートのオープニング・ピースに、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/dqcvvHsyqZI Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html ダニエル・シュペール - Daniel Speer Georg Daniel Speer(1636年7月2日-1707年10月5日)は、ドイツの作曲家であり、バロックの作家です。 シュペールはブレスラウ(現在はポーランドのヴロツワフ)で生まれ、ドイツのゲッピンゲンで亡くなりました。 ダニエル・シュペールは17世紀末に南ドイツ地方で活躍していました。 音楽理論家としても教科書や理論書を出版しています。「四声ソナタ」のほか、三重奏の「二つのソナタ」も トロンボーン奏者にはお馴染みの曲です。曲は単純なつくりですが、ハーモニーや細かいパッセージに高い技術が要求されます。 バロック時代の美しい響きをお楽しみ下さい。 1687年に彼はミドルバロック音楽を理解するのに役立つと考えられている音楽に関する論文を発表しました。 彼の音楽への執筆は、1世紀以上にわたってドイツのバロックトロンボーン作品に影響を与えました。 作曲家として、例えばSpeerはトロンボーンのための音楽を発表しました。キーボードの小品も残っています。 彼は金管五重奏のためのDie Bankelsangerliederのソナタ第29番で最もよく知られています。 この曲は、結婚式やフォーマルな機会によく演奏されます。彼は教会ソナタに金管楽器を用いたことで有名です。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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クラリネット五重奏 12のエコセーズ シューベルト 楽譜
¥2,200
クラリネット五重奏 12のエコセーズ シューベルト 12 Ecossaisen D781 F.Schubert 編成はEs Cl.、Cl.3本、Bs,Cl.です。 サックス五重奏版、木管五重奏版、金管五重奏版は発売中です。 スコットランド風の舞曲をウィーンから楽しむ名曲を、ぜひ味わってください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/QVW4-792QoI Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html シューベルトは当時の音楽都市であるオーストリアのウィーン郊外で生まれ、主にウィーンで活動しました。さまざまなジャンルの作品を1000曲近く残しましたが、 特に600曲におよぶ歌曲作品の素晴らしさは後世にも影響を与え「歌曲王」とも呼ばれています。 決して裕福ではなかったシューベルトですが、その創作活動には支援者からの心強い援助もありました。その代表的なイベントとして 「シューベルティアーデ」と呼ばれる夜会があります。 仲間内で集まり、作品を披露したり音楽について語り合うこの夜会は、シューベルトの精神的な支えとなっていました。 このことからも、音楽的才能だけではなく、彼には人を惹きつける魅力があったことが窺えます。 作曲:1823年1月 出版:1825年(第1曲)・1824年(第4・7曲)・1889年(その他) 1823年1月の日付を持つBrown, Ms.44の「12のエコセーズ」のうち、第1曲は「16のドイツ舞曲と2つのエコセーズ」D783の第2エコセーズとして収録されたため、 旧全集ではこれ以外の11曲をまとめて曲集としました。これを踏襲してD781を「11のエコセーズ」とする資料や楽譜も多く、中にはD782のエコセーズと合わせて12曲という解釈をしている資料もあります。 通常はD783-E2を含む12曲を自筆譜と同じ曲順で演奏することが多いです。 1. ロ短調→ニ長調 (=D783-E2) 理論的にはニ長調のVIの和音から始まっていると解釈することもできますが、ロ短調で始まり途中で平行調のニ長調に転調すると考えるのが自然でしょう。 このように曲頭と曲尾の調性が異なり、とりわけ平行調への転調が多いのがこのエコセーズ集の特徴で、シンプルで短いエコセーズに変化とドラマを持たせようという工夫が感じられます。 2. 変ト長調 突如としてフラット系の世界へ入ります。前曲のニ長調から見るとずいぶんな遠隔調ですが、ロ短調から見ればドミナント調(嬰ヘ長調)の異名同音と考えられます。 後半ではやはり平行調(変ホ短調)への接近が見られます。 3. ニ長調 モティーフは第1曲とよく似ています。後半のバスの半音下行が印象的です。 4. 変ト長調 再び♭6個、そして前半の終わりは平行調の変ホ短調で終止します。後半は単純な反復ではなく、最終2小節に2番括弧が設定されています。 この曲と第7曲、そしてD782のエコセーズは1824年にライデスドルフ社から選集として発表されていますが、そこではト長調に移調されています。 5. 変ホ長調 前曲の平行調(変ホ短調)の同主調。前半ではメロディーがどんどん上昇していく曲です。 6. 変イ長調 第4曲同様に平行調(ヘ短調)で前半を終えます。後半ではII度調の変ロ短調も経過していきます。 7. 変ホ短調→変ト長調 全員が短い和音を連打する面白い舞曲です。[4]の1拍目の不協和音も印象的です。後半では平行調の変ト長調へ転調しそのまま終止します。 8. ロ短調→ロ長調 [1]のH音から[2]のEis音というユニゾンの増4度跳躍はまさに鬼神が憑いたかのような、凄味のある超自然的で悪魔的な響きです。後半ではD音に臨時記号の♯がついてロ長調で終止します。全曲の中で最も落ち着かないエコセーズです。 9. ニ長調 アウフタクトにドミナントの和音という意表を突いた開始です。伸びやかな旋律線が魅力的です。後半でのバスの半音上行は第3曲と対応しています。 10. ロ長調 右手がメロディーとともに属音の保続をオクターヴで重ねます。前半の終わりでは平行調の嬰ト短調で半終止します。[11]のFisisとFisの二重倚音はいかにもロマン派的なフレーズです。 11. 嬰ト短調→ロ長調 高音域での逆付点のリズムがクリスタルな響きを生みます。後半では平行調のロ長調に転調し、[12]のIV度ドミナントの強奏が衝撃を与えます。 12. ロ短調→ニ長調 第1曲と同じ調性関係の終曲です。シューベルトの偏愛したダクティルスのリズムに支配されている曲です。 エコセーズ(Ecossaise)は、フランス語で「スコットランド風(舞曲)」の意味を持つ、18世紀末から19世紀初めにかけて フランスとイングランドで特に流行したスコットランドのフォークダンスです。 通常は4分の2拍子で作曲され、この音楽形式をクラシック音楽の作曲家も用いていて、ベートーヴェンやシューベルト、ショパンはいずれも ピアノのためのエコセーズを作曲しています。この形式を通して彼らの快活さを示しています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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サックス八重奏「夏至の歌」ディーリアス 楽譜
¥2,000
サックス八重奏「夏至の歌」ディーリアス Midsummer Song F.ディーリアス Frederick Theodore Albert Delius 編成はソプラノ、アルト3本、テナー2本、バリトン2本です。 木管八重奏、クラリネット八重奏版、金管八重奏版は発売中です。 無限のノスタルジアの世界を持つ清冽な音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/mH-zJPT-PRQ Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 夏至の歌は1908年、ディーリアスによって作曲されました。無伴奏混声合唱(8声)の作品です。 英国音楽を代表する作曲家の一人であるディーリアスは、1862年1月29日にブラッドフォードに誕生し、 2022年に生誕160周年を迎えます。 ドイツ人を両親に英国に生まれ育ったディーリアスは、22歳の年に渡米し、音楽教師をしながら作曲もしますが、 24歳のときにはドイツのライプツィヒ音楽院に進み、26歳で卒業後はパリに移住、35歳でパリ郊外のグレ=シュール=ロワン村に居を構えてからは、 72歳で亡くなるまで同地で人生を過ごすこととなります。 つまりディーリアスが英国にいたのは人生最初の22年間と、戦時の疎開などの一時的滞在くらいで、その疎開の際にも グレ=シュール=ロワン村を故郷のように懐かしむなど、生活の拠点はあくまでグレ=シュール=ロワン村にあったようです。 このイギリスとフランスに加え、最初の仕事場で現地女性との間に子供までいたともいわれるアメリカ南部や、 若き日に過ごした北欧といった地域からの影響が、ディーリアスの音楽に複雑な魅力を与えているのかもしれません。 グレ=シュール=ロワン村は、画家たちや芸術家、文化人が集まる場所として有名で、ディーリアスがこの地に移り住んだのも、 パリで知り合い恋愛関係にあった画家のイェルカ・ローゼンが、絵を描くためにこの村の別荘に住むようになったからでした。 ニーチェに対する共通の興味からディーリアスと意気投合したイェルカは、作曲家でピアニストのイグナツ・モシェレスの孫娘で、 ディーリアスとは1903年に結婚、ディーリアスが亡くなった翌年に世を去り、現在は二人揃ってロンドン郊外のリムスフィールドに 埋葬されています。 19世紀の終わりから20世紀初頭にかけて書かれたディーリアスの音楽は、ロマン派や印象派の雰囲気を感じさせる自由なもので、 魅力的な旋律に恵まれた仕上がりの美しい作品が多いのが特徴となっています。 クラシック音楽の趨勢からすると、ディーリアスの音楽は異端の部類に属する かもしれません。 ディーリアスの音楽は、非常に分かりやすい音楽です。 一度ハマってしまえば、おそらく 一生離れることが出来ないと思います。 ディーリアスのメッセージは、現在の私たちに実にタイムリーです。 彼の世界の魅力は、ノスタルジアだけではなく、 現在における普遍的な真理の問いかけにあると言えます。 彼による一流の仕上げが、どの曲にも懐かしい光を放っています。 そして私たち聴き手は、 ディーリアスの、無限のノスタルジアの世界に引きこまれていきます。 なんとも清冽な世界の深みを十分に堪能できる作品ばかりです。 夏至の歌 Midsummer Song ディーリアス Frederick Theodore Albert Delius 詩: ディーリアス (Frederick Theodore Albert Delius,1862-1934) イギリス 曲: ディーリアス (Frederick Theodore Albert Delius,1862-1934) イギリス 歌詞言語: 英語 On midsummer day we’ll dance and we’ll play And we’ll wander and stray through the woods. We’ll dance and we’ll kiss whilst it’s youth,love and bliss And the night is not far away,heigh-ho! 夏至の日に われらは踊ろう われらは遊ぼう それからわれらはさすらい さまようのだ 森の中を われらは踊ろう キスしよう 若さと愛と至福のうちに 夜は遠く離れてはいない ヘイ・ホー! アカペラ合唱曲 詞はR.S.ホフマンのもの(ドイツ語)を作曲者自身が訳したものです。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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木管五重奏 デンゴーゾ(気取った男)、マシーシ 楽譜
¥2,150
木管五重奏 デンゴーゾ(気取った男)、マシーシ Dengozo, Maxixe エルネスト・ナザレ 編成はFl.、Ob.、Cl.2本、Bsn.です。 金管五重奏版、サックス五重奏版、クラリネット五重奏版、鍵盤打楽器とベース四重奏版は発売中です。 「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/BYfmuLNN_Vw Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html Dengozo (Dengoso), Maxixe デンゴーゾ(気取った男)、マシーシ 「マシーシ(マシシェ)」とは19世紀ブラジルで流行した舞曲で、2拍子の速いテンポが特徴的です。 その起源ははっきりとはしていませんが、ヨーロッパ由来のポルカに、アフリカからブラジルに連れて来られた黒人の踊りが混じったものを指します。 ナザレが多数作曲したタンゴ(またはタンゴ・ブラジレイロ)は、この「踊りの音楽」であったマシーシを、「聴くための音楽」にしたという 経過があります。しかしナザレ自身は踊りのBGMの印象が強い「マシーシ」という言葉を自作に使うことを嫌ったらしく、 二百数十曲のナザレの作品の中でマシーシと名付けたのはこの一曲のみで、しかもこの曲が1907年に初版された際にナザレは本名を出さず "Renaud" というペンネームを使っています。変ロ長調、A-B-A-C-A-B-A形式で、踊りたくなるような、お祭り騒ぎのような陽気な曲です。 Aはの旋律はF-F#-Gを行ったり来たりするのと、16分音符分散和音だけなのですが、それが何とも浮き浮きした雰囲気を放つこの曲調はナザレの才能でしょう。 Bはヘ長調、Cは変ホ長調に転調します。この曲は1914年には米国で楽譜が出版され("Parisian Maxixe" という副題が付いた楽譜まである)、 また1939年米国のミュージカル映画「カッスル夫妻 (The Story of Vernon and Irene Castle)」の中でも用いられました。 更には米国で "Boogie Woogie Maxixe" という曲名でブギウギとなってヒットし、1960年代にはパーシー・フェイス楽団もこの曲を演奏しています。 「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を知らずしてブラジル音楽は語れません。 南国ののどかな風光と、アフリカの野性的なエネルギーと、ロマンティシズムが渾然と混じり、甘美で、ちょっぴり切ない独特の音楽が聞こえてきます。 ミニョーネはこう述べています。「私は1917年頃にEduardo Soutoの楽譜店でナザレに会ったことがある。ナザレは自作曲を決して急がず、 カンタービレで弾いていた。彼はこう言っていたよ、『私の作品はあちこちでメチャメチャに弾かれている。みんな速く弾きすぎだ。 特に "Apanhei-te, Cavaquinho" は酷いことになっている。あの曲はゆっくりと、左手はカヴァキーニョを思い浮かべてアルペジオで弾くもんだ』と。」 エルネスト・ジュリオ・ナザレー (Ernesto Julio Nazareth (またはNazare とも), 1863年3月20日 - 1934年2月4日)は、ブラジルのピアニスト・作曲家です。 一生をリオ・デ・ジャネイロで過ごしました。「ブラジル風タンゴ」やショーロなど、国内の民族音楽に影響されたピアノ曲を量産しました。 そのような作曲姿勢から、しばしば「ブラジルのショパン」と呼ばれています。ピアノ以外の音楽教育は学ばなかったため、 残された作品はサロン小品と声楽曲ばかりであり、管弦楽曲や室内楽・カンタータやオラトリオのような分野の大作はなく、作曲技法も必ずしも洗練されていません。 しかしながら、民衆音楽の影響のもとに切り開いた独自の素朴な詩境は、のちにヴィラ=ロボスから、「ブラジルの魂」と称賛されました。 中産階級ながらもあまり豊かでない下級官吏の家庭に生まれ、ショパンを愛する母親からピアノの手ほどきを受けました。 早い年齢でたぐい稀な音楽的才能が認められ、家族ぐるみで付き合いのあったアフロ=アメリカンの作曲家、 リュシアン・ランベールにも音楽の手ほどきを受けました。 1873年に母親が亡くなってからもピアノを学び、間もなく作曲も手がけるようになりました。 最初の出版作品のポルカ『ボセ・ベン・サービ"Voce Bem Sabe"』 (あなたはよく御存知)は、14歳になるまでに作曲・出版されました。 その後は、ショーロの楽士たちとたむろして、敏感で独特なリズム感を身につけました。マシシェ maxixe やルンドゥ lundu 、ショーロ choro 、 アフリカ系住民のダンスなど、さまざまな民族舞曲に影響されました。 長年ナザレーは、映画館オデオン座の待合室でピアニストとして働き、ここで最も有名な作品の一つ『オデオン』を作曲しました。 外国から数少ない音楽家がブラジルを訪問した際、オデオン座のナザレーの演奏を見学したといわれています。 1920年代初頭には、音楽ショップにピアニストとして雇われました。顧客が購入する際に持ち寄ってきた楽譜を見ながら、演奏し、 客の要望に沿うかどうかを確認して見せるのが任務でした。客の中に、ナザレー作品の楽譜を手ずから弾こうとする者がいると、止めさせて、 解釈が誤っていると苦情を言うのが常だったそうです。 ナザレーは、心底からのブラジル人音楽家であり、音楽は楽しまれるべきであるとして、それ以上を望みはしませんでした。 ほとんど独学であり、音楽活動のほとんどは、劇場や映画館の伴奏ピアニストとして、あるいは小劇場のアンサンブルでのピアニストとして、 演奏するのに振り当てられました。 そのような劇場アンサンブルの楽団員の知り合いには、後の大作曲家ヴィラ=ロボスがいて、当時はチェリストとして活動していました。 ナザレーはショーロの発展のおおもとであり、ヴィラ=ロボスは、これに基づき、後に自らの創作活動を繰り広げていったのです。 ナザレーは、ブラジルの民族音楽以外にも明らかに影響されていて、子供時代にむさぼるようにして学んだショパンの影響が中でも顕著です。 また、1869年にきら星のようにリオ・デ・ジャネイロにデビューして、瞬く間にブラジル楽壇を席巻したゴットシャルクの作風もナザレーにはお馴染みでした。 作品には、19世紀ヨーロッパのクラシック音楽の豊かな和声法がこだましながら、ナザレーの生地ブラジルの、シンコペーションをともなう 民族舞曲のリズム法に織り込まれてゆくのが認められます。そのうえ、アメリカ合衆国のラグタイムや初期のジャズの、小気味よいリズム感も健在である。これらの要素を統合して一つの有機体へとまとめ上げたことがナザレー独自の能力で、結果的には、ピアノ曲のレパートリーだけでなく、20世紀の音楽にも重要な貢献を果たしている。 ナザレーはショパンやその他のヨーロッパの作曲家から霊感を受けたように、逆に自らも、間接的とはいえ、ヨーロッパの作曲家に何かしらの影響を与えています。 フランス人作曲家のダリユス・ミヨーは、自伝の中で、ブラジル滞在中にリオ・デ・ジャネイロの映画館でナザレーがピアノを演奏する風景を回想しています。 ミヨーはその音楽のリズムにたちどころに虜となって、ブラジル音楽をきわめてやろうと決心したというのです。 その最終的な成果こそが、ミヨーのピアノ曲『ブラジルの想い出 Saudades do Brasil』でした。 ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ばれていますが、作品に副題を好んでつけた点で、ショパンとは違っています。 ショパンやフォーレよりもヨーロッパのサロン音楽の伝統に忠実だったといえます。 しかしながら19世紀から20世紀初頭まで、ヨーロッパではサロン小品にフランス語の題名をつける慣習がまだ根強く残っていたのに対して、 ナザレーは母語のポルトガル語に固執しました。 また題名によって、ドビュッシーやラヴェルのように、美術や文学からのインスピレーションをほのめかしたり、 リストのように詩的な連想を暗示することもありませんでした。 ナザレーの曲名には、しばしば第三者にとって謎めいた響きをもつものもありますが、それらは実在するスポーツチームやダンスクラブ、雑誌名など、 ナザレーの日常生活の周辺から切り取られたものばかりです。このような意味で、ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ぶよりは、むしろ 「ブラジルのクープラン」と呼んでこそふさわしいかも知れません。 およそ300曲のピアノ小品において、ナザレーはみごとに、大衆的なブラジル舞曲のエッセンスを捕まえています。 ナザレーは、厳密には都会の聴衆のために作曲したのですが、その作品には、(ブラジルで奴隷制が廃止された1888年以降の作品でも、) アフリカ系民族音楽の豊かな影響が息づいています。ほとんどの曲に、スコット・ジョプリンが発想したようなシンコペーションが使われています。 ナザレーのピアノ曲には、ブラジルのありとあらゆるダンスが盛り込まれています。マシシ(英語版)、バトゥーキ(英語版)、 サンバ、 そして中でも重要なのがタンゴです。後に世界中を熱狂させ、席巻したタンゴが、ブラジル生まれだったというだけでなく、 実際にはナザレー自身の創り出したジャンルだったという証拠になるからです。 もしそれが間違いだったとしても、「ブラジル風タンゴ」の発展のほとんどにナザレーがかかわっていて、このジャンルに優に100曲を残しています。 最も有名な作品に、『ブレジェイロ(ろくでなし)"Brejeiro"』『アメノ・ヘゼダ"Ameno Reseda"』『バンビーノ(赤ん坊)"Bambino"』 『トラベッス(腕白坊主)"Travesso"』『フォン・フォン"Fon-Fon"』『テネブローズ(暗闇)"Tenebroso"』があります。 ナザレーが初めて「ショーロ」と呼んだ作品のうち、『アパニェイチ・カヴァキーニョ(頑張れカバキーニョ)"Apanhei-te Cavaquinho"』は、 さまざまな楽器アンサンブルによって演奏できる、古典的名作です。 晩年になって完全に聴覚を失うと、創作活動にも支障をきたしましたが、それでもブラジル国内ではなかなかナザレー人気は衰えませんでした。 ゴットシャルクやジョプリンを評価する人たちなら、ナザレーの残した魅力的な宝石たちをきっとたちまち気に入るに違いありません。 作曲者の死後から半世紀を経た近年になって、ナザレー作品を集めたアルバム制作が世界的にも相次いでいて、最近では伝記や、 作曲者に関するCD-ROMも発表されています。ナザレーは、クラシックとポピュラー音楽にまたがって活動したことから、ナザレーのピアノ曲は、 クラシックの学び手にも、ポピュラー音楽の学び手にも、有用な教材とされつつあります。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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金管五重奏 無言歌集 第2巻 『ヴェネツィアの舟歌 第2番』楽譜
¥2,000
金管五重奏 無言歌集 第2巻 『ヴェネツィアの舟歌 第2番』 Op.30-6 Lieder ohne Worte Heft 2 "Venetian Boat Song" Op.30-6 Mendelssohn, Felix 編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。 サックス五重奏版、木管五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。 ロマンチックで優美なヴェネツィアの風情を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/4J-sJfb1sdI Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 『無言歌集 Lieder ohne Worte』は、メンデルスゾーンが生涯にわたって作曲したピアノ独奏のための作品集です。 全8巻からなり、各巻6曲ずつで合計48曲が収められています。 メンデルスゾーンのピアノ作品として最も有名で、しかもロマン派の教材として取り上げられることの多いのが「無言歌集」です。 ワーグナーが「第一級の風景画家」と言ったように、メンデルスゾーンは情景描写や標題音楽の作曲において才能を発揮しています。 この“言葉のない歌曲”、「無言歌」、という形でメンデルスゾーンは心象風景や感情描写までも、表現しました。 歌曲風の旋律をもった器楽曲であるため、旋律線をはっきりと浮き立たせ、抒情的に演奏することが重要です。 メンデルスゾーンが活躍したこの時期、ブルジョアジーの家庭を中心に、ピアノが教養として普及しました。 そのため、家庭で気楽に弾ける作品が多く作られましたが、この《無言歌集》もその一つです。 《無言歌集》は各6曲ずつの計8集からなり、生前に出版されたのは、第6集までです。第7集は、1851年、第8集は1867年に出版されました。 1832年、第1集を出版したときには、メンデルスゾーンは、《ピアノのためのメロディー》と記していて、《無言歌集》の名称を もつようになったのは1835年に第2集を出版してからのことでした。 標題をもっているものが多いのですが、作曲者自身によってつけられたものはわずかです。 実際、メンデルスゾーンは標題をつけることによって、音楽的な想像力が限定されることを嫌っていたようです。 6曲目『ヴェネツィアの舟歌』第2番です。 『ヴェニスの舟歌』、『ベニスの舟歌』、『ヴェニスのゴンドラの歌』などとも題されます。 波の上を揺れ動くような動きを特徴しています。 《無言歌集の舟歌》 ヴェネツィアの舟歌 第1 「無言歌集」第1巻 作品19-6/アンダンテ・ソステヌート(ト短調) ヴェネツィアの舟歌 第2 「無言歌集」第2巻 作品30-6/アレグレット・トランクィロ(嬰ヘ短調) ヴェネツィアの舟歌 第3 「無言歌集」第5巻 作品62-5/アンダンテ・コン・モート(イ短調) 第2巻 作品30 出版年代:1835年 1.変ホ長調、アンダンテ・エスプレッシーヴォ 《瞑想》 (作曲年代不明) 2.変ロ短調、アレグロ・ディ・モルト 《安らぎもなく》 (作曲年代不明) 《心配》と呼ばれることもあります。 3.ホ長調、アダージョ・ノン・トロッポ 《慰め》 (作曲年代不明) カトリック聖歌集第100番「しずかに神と」、讃美歌第30番および讃美歌21・第211番「朝風しずかに吹きて」として教会で歌われています。 4.ロ短調、アジタート・エ・コン・フォコ 《さすらい人》 (1834年1月30日作曲) 《道に迷って》とも呼ばれます。 5.ニ長調、アンダンテ・グラツィオーソ 《小川》 (1833年12月12日作曲) 6.嬰ヘ短調、アレグレット・トランクィロ 『ヴェネツィアの舟歌 第2』 (作曲年代不明) メンデルスゾーンが自分でつけた『ヴェネツィアの舟歌』の第2番。 メンデルスゾーン自身が命名した曲です。無言歌曲集には、他に同名の作品が3曲あり、 これらは「ゴンドラ・リート」と呼ばれます。これらの作品は波の上を揺れ動くような動きを特徴しています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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クラリネット四重奏+ 交響組曲第1番から「ロンド」楽譜
¥1,500
クラリネット四重奏+ 交響組曲第1番から「ロンド」 Rondeau From Sinfonie De Fanfares ジャン=ジョゼフ・ムーレ Jean-Joseph Mouret 編成はCl.3本、Bs.Cl.およびティンパニです。 ティンパニを省略し、四重奏として演奏可能です。 木管四重奏、金管四重奏、サックス四重奏版は発売中です。 フランス・バロック期の壮麗な響きをコンサートのオープニング・ピースに、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/_nLRaGBFvcY Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 堂々として品格を感じさせるこのメロディーは、どこかで聴いたことのある有名な旋律です。 1分30秒の短い曲ですが、オープニングなど活躍の場が多くあります。コンサートの開演前の合図とか、ホールロビーでのプチコンサート、 演劇にも使えそうです。最近では英国のタクシーが登場するコマーシャルでもおなじみです。 この曲の名は「ロンド(短いフレーズがくり返し使われる形式)」です。 ジャン=ジョゼフ・ムーレ(Jean-Joseph Mouret,1682年4月11日- 1738年12月22日)はフランスの作曲家です。 アヴィニョン に生まれ、シャラントン=ル=ポンで亡くなりました。その劇作品により、彼はフランスのバロック音楽の主唱者のうちの1人となりました。 大部分の彼の作品は今日もはや上演されないのですが、ムーレの名前は交響組曲第1番のロンドのファンファーレ人気のおかげで今日演奏されています。 それはアメリカのPBSの番組"Masterpiece"のテーマ音楽に採用され、また現代の多くの結婚式で人気がある作品です。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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Solo+サックス四重奏 野ばら(シューベルト・ヴェルナー)楽譜
¥1,700
Solo+サックス四重奏 野ばら(シューベルト・ヴェルナー) Heidenroslein 編成はソプラノ、アルト、テナー、バリトン、およびSoloパートです。 同梱のSoloパート楽譜はin F版(Hn.)、 in C版(Ob.、Mallet Perc.など)、 in C-Fl.版(Fl.、Pic.)、 in C低音版(Eup.、Bsn.、Tbn,、St.Bs.など)、 Tubaは1オクターブ下げて演奏可能です。 in B版(Tp.、Cl.、Bs.Cl.、Sop.Sax.、T.Sax.など)、 in Es版(Es Cl.、A.Sax.、B.Sax.など)が含まれています。 多くの楽器がSoloを担当し、伴奏は下の編成も含め5種類から選ぶことができます。 木管四重奏版、金管四重奏版、クラリネット四重奏版、鍵盤打楽器とコントラバス三重奏版は発売中です。 どちらも清純で愛らしいメロディが印象的な二人の作品を、ぜひ聴き比べてください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/lwtNBzCUs9Q Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html ●野ばら(シューベルト) Heidenroslein D257 Op.3-3 作詞:ウォルフガング・ゲーテ(原詩) 作曲:フランツ・シューベルト Franz Schubert この曲は1815年8月19日(18才)作曲されました。シューベルトは友人の結婚式のために、1815年8月19日ゲーテの『連帯の歌』に曲をつけました(D258)。 出版は1821年5月29日 カッピ・ウント・ディアベルリ(委託販売)作品3-3です その日のシューベルトのゲーテの詩への作曲はこれにとどまらず、この『野ばら』をはじめ、『神とバヤデーレ』(D254)、『鼠捕り』(255)、 『宝掘り』(D256)、『月に寄せて』D259が短時間のうちに作曲されました。 ト長調 4分の2拍子 Lieblich(あいらしく) 素朴で美しい伴奏と旋律。3節からなる有節形式のリートです。 ゲーテはドイツ古典主義からロマン主義にかけて活躍しました。 ヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテ(1749~1832)の戯曲や小説には、人間のもつ個性へのゆるぎない信念がうつしだされています。 なかでも劇詩「ファウスト」(第1部1808年、第2部32年)は、有名なファウスト博士の伝説を題材にした作品で、世界文学の名作のひとつです。 またゲーテは文学だけではなく、科学研究にも熱中し、「植物変態論」「光学への試論」などの著書もあります。 シューベルトは次の曲をゲーテの詞から作曲しています。 『愛の神々を買うのは誰か』『憧れ』『憩いのない愛』『歌びと』『海の静寂』『宴席の歌』『逢瀬と別れ』『悲しみの喜び』『ガニュメード』 『狩人の夕べの歌』『川辺にて』(D160,D766)『希望』『馭者クロノスに』『金細工職人』『恋人の近く』『湖上にて』『最初の喪失』 『さすらい人の夜の歌(Der du von dem Himmel bist)』『さすらい人の夜の歌(Uber allenGipfeln)』『去っていった人に』『宝堀り』 『竪琴弾き 第1』『竪琴弾き 第2』『竪琴弾き 第3』『耽溺』『月に寄せて』(D259,D296)『トゥーレの王』『涙の中にある慰め』 『人間の限界』『鼠捕り』『野ばら』D257『羊飼いの嘆きの歌』『ひめごと』『プロメテウス』『亡霊の呼びかけ』『魔王』『ミニョンに』 『ミューズの子』『夜の歌』『漁師』『連帯の歌』 ●野ばら(ヴェルナー) Heidenroslein 作詞:ウォルフガング・ゲーテ(原詩) 作曲:ハインリッヒ・ヴェルナー Heinrich Werner 「野ばら」は、ドイツの作曲家ハインリッヒ・ ヴェルナーの作曲した曲です。原題は「Heidenroslein」です。 「野ばら」はゲーテの傑作と言われる詩で、複数の作曲家がこの詩に曲をつけています。 タイトルで「ウェルナーの野ばら」となっているのは他の作曲家の作品と区別するためのものです。 この詩に曲をつけた作曲家には他に「シューベルト」「ベートーヴェン」「シューマン」「ブラームス」がいます。 ウェルナーは音楽教師をしていた人で、広く知られている曲はこの「野ばら」だけです。 訳詞は、近藤朔風のものです。近藤朔風は「シューベルトの野薔薇」の訳詞も手がけています。 〔訳詩〕by 近藤朔風 童(わらべ)は 見たり 野なかのバラ 清らに 咲ける その色愛(め)でつ 飽かず眺む 紅におう 野なかのバラ 手折(たお)りては 行かん 野なかのバラ 手折らば手折れ 思い出ぐさに 君を刺さん 紅におう 野なかのバラ わらべは 折りぬ 野なかのバラ 折られて あわれ 清らの色香(いろか) 永久(とわ)に褪(あ)せぬ 紅におう 野なかのバラ HEIDENROSLEIN Sah ein Knab' ein Roslein stehn, Roslein auf der Heiden, War so jung und morgenschon, Lief er schnell, es nah zu sehn, Sah's mit vielen Freuden, Roslein, Roslein, Roslein rot, Roslein auf der Heiden Knabe sprach: Ich breche dich, Roslein auf der Heiden ! Roslein sprach : Ich steche dich, Das du ewig denkst an mich, Und ich will's nicht leiden. Roslein, Roslein, Roslein rot, Roslein auf der Heiden Und der wilde Knabe brach 's Roslein auf der Heiden ; Roslein wehrte sich und stach, Half ihm doch kein Weh und Ach, Must' es eben leiden. Roslein, Roslein. Roslein rot, Roslein auf der Heiden. Johann Wolfgang van Goethe アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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木管五重奏 ベルガマスクのカンツォーン:サミュエル・シャイト 楽譜
¥2,000
木管五重奏 ベルガマスクのカンツォーン:サミュエル・シャイト Canzon Bergamask Samuel Scheidt 編成はFl.、Ob.、Cl.2本、Bsn.です。 Fl.パートはOb.で演奏できます(Ob.2本、Cl.2本、Bsn.)。 サックス五重奏版、金管五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。 バロック期のシンプルな名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/Z8-WtYObDEI Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html このベルガマスクのカンツォーンは1621年に出版された4-5声部による器楽のための舞曲集に含まれています。 金管アンサンブルのレパートリーとして編曲され演奏されることが多い作品です。 この《戦いの組曲》もそういった中の1つで、「戦いのガリヤード Galliard Battaglia」、「悲しみのクーラント Courant Dolorosa」、 「ベルガマスクのカンツォーン Canzon Bergamask」の3曲からなっています。 サミュエル・シャイト Samuel Scheidt(1587-1654)ドイツ サミュエル・シャイト(1587年11月3日-1654年3月24日洗礼)は、ドイツの作曲家、オルガニスト、そしてバロック初期の教師でした。 彼はハレで生まれ、そこでの初期の研究の後、彼のスタイルを明らかに形成していた著名なオランダの作曲家であるスウィーリンクに師事するために アムステルダムに行きました。ハレに戻ると、彼は法廷オルガニストになり、後にカペルマイスターになり、ブランデンブルクの辺境伯になりました。 多くのドイツのミュージシャン、たとえばハインリヒシュッツとは異なり、彼は三十年戦争の間ドイツに留まり、教えたり、 小さな仕事を続けたりすることで生き残ることができました。安定性が回復するまで、彼はカペルマイスターとしての地位を再開することができました。 シャイトは、オルガンの最初の国際的に重要なドイツのバロック作曲家であり、主にプロテスタント改革の結果として起こった新しい 北ドイツスタイルの開花を表しています。南ドイツやヨーロッパの他のいくつかの国では、ローマの精神的および芸術的影響が依然として強いため、 ほとんどの音楽はイタリアのモデルから派生したものであり続けました。ローマから切り離された、新しくプロテスタント地域のミュージシャンは、 隣人の慣習とは大きく異なる新しい文体のアイデアをすぐに開発しました。シャイトの音楽は、2つの主要なカテゴリに分類されます。 主にオルガン用の大量のキーボード音楽を含む器楽。と神聖な声楽、アカペラのものもあれば、通奏低音やその他の楽器の伴奏を使用するものもあります。 彼のオルガン音楽は当時有名でしたが、それ以来、JSバッハの音楽に覆われています。彼の数多くのコラール前奏曲で、 シャイトはしばしば「パターン化されたバリエーション」技法を使用しました。このテクニックでは、コラールの各フレーズが異なるリズムの動機を使用し、 各バリエーション(いくつかのフレーズで構成される)は、構成に到達します。 彼のコラール前奏曲に加えて、彼は数多くのフーガ、一連のダンス(多くの場合、周期的な形式であり、共通のグラウンドベースを共有している)および 幻想曲を書きました。彼はまた、宗教音楽と世俗音楽の両方を大量に生み出し、その多くは今でも演奏されています。 ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ・ハウスのコレクションの一部はシャイトに捧げられています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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