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サックス五重奏「美しきロスマリン」クライスラー 楽譜
¥1,750
サックス五重奏「美しきロスマリン」クライスラー Schon Rosmarin Fritz Kreisler 編成はソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。 木管五重奏版、金管五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。 20世紀初頭の美しい名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/FqAFJ1Q2s2U Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 『美しきロスマリン Schon Rosmarin』は、オーストリア出身の音楽家フリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler/1875-1962)による ヴァイオリンとピアノのための小作品です。ヴァイオリンだけでなく、フルートやチェロ、クラリネットなどでも演奏されています。 「ロスマリン」とは、ハーブとして有名なローズマリー(rosemary)のことです。属名Rosmarinus(ロスマリヌス)は 「海のしずく」を意味します。 イングランド民謡『スカボローフェア Scarborough Fair』でも、パセリやセージと並んで、歌詞にローズマリーが登場します。 ハーブとしても用いられる植物の名前ですが古代ヨーロッパでは神秘的な力を持つと言われ、「貞操」「変わらぬ愛」の象徴と されていることから女性の名前としても使われることが多いようです。 爽やかな強い香りがあり、丈夫で育てやすく、 古代ギリシャ時代から、ローズマリーは悪魔から守られる神秘的な力をもつとされていました。 葬儀の際には棺の上に小枝をのせたり、花嫁の冠に編み込んだりしたのです。 葬儀にローズマリーを利用する習慣は、やがてヨーロッパ各地に定着して行きました。 薬草として強壮剤や収れん剤などに利用されたりしたようです。 強力な抗酸化成分であるロスマリン酸が発見された事により、若返りのハーブとしての古くからの評判が再認識されています。 クライスラー『美しきロスマリン』においては、ロスマリンは花の名前というよりも、むしろ美しい女性、 愛らしい女性の象徴として用いられています。 曲調もその名の通りとても可愛らしく、ちょっとおてんばな感じがするところはとてもチャーミングな一曲です。 小刻みなヴァイオリンがワルツのリズムを踏むように軽やかなメロディで始ります。 とても喜んではしゃいでいるような軽やかなメロディはとても新鮮で華麗に流れてきます。 中盤ではリズムがややなだらかになり、少ししっとりとした雰囲気を聴かせてくれますが、後半はまた明るく美しいメロディに 戻り軽快なステップを踏むように華麗な曲を聴かせてくれます。 演奏時間は2分足らずと、とても短い曲ですが、短い時間の中にあふれんばかりの笑顔をふりまいてくれるような、楽しい曲です。 クライスラーの有名な作品といえば、この『美しきロスマリン』以外にも、同じくヴァイオリンとピアノのための楽曲である 『愛の喜び』、『愛の悲しみ』が広く知られています。 クライスラーは、これら3曲を自身のコンサートでのアンコール曲として頻繁に演奏していたほか、1911年に3曲をピアノソロに 編曲した「ウィーン古典舞曲集 Alt-Wiener Tanzweisen」を出版しています。 現代でもこの3作品はアンコール曲として演奏されるほか、3曲を一連の作品として取り上げる機会が多く見られます。 ちなみに、『愛の喜び Liebesfreud』の英語タイトルは『Love's Joy』、『愛の悲しみ Liebesleid』は『Love's Sorrow』、 そして『美しきロスマリン』は『Lovely Rosemary』(ラブリー・ローズマリー)と言います。 これら3曲で「ラブ・ラブ・ラブ」の愛の三部作として輝きを放ち続けています。 英国ロイヤル・アカデミー・オブ・ダンス(RAD) から発売されているバレエ・レッスン用ピアノ曲集には、 バレエにおける基本的な回転動作「ピルエット」用の曲として、この『美しきロスマリン』が収録されています。 彼は7歳で特例でウィーン音楽院に入学し、10歳にして首席で卒業、その後パリ国立高等音楽院に留学し、 12歳にして首席で卒業と言う神童ぶりを発揮しました。その翌年の1888年からヴァイオリニストとしてのキャリアを スタートさせ、20世紀前半を代表するヴァイオリニストとして名を馳せています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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木管八重奏「夏至の歌」ディーリアス 楽譜
¥2,000
木管八重奏「夏至の歌」ディーリアス Midsummer Song F.ディーリアス Frederick Theodore Albert Delius 編成はFl.、Ob.、Cl.2本、A.Sax.、T.Sax.、Bs.Cl.、Bsn.です。 サックス八重奏、クラリネット八重奏版、金管八重奏版は発売中です。 無限のノスタルジアの世界を持つ清冽な音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/aIgfWYqt3Vw Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 夏至の歌は1908年、ディーリアスによって作曲されました。無伴奏混声合唱(8声)の作品です。 英国音楽を代表する作曲家の一人であるディーリアスは、1862年1月29日にブラッドフォードに誕生し、 2022年に生誕160周年を迎えます。 ドイツ人を両親に英国に生まれ育ったディーリアスは、22歳の年に渡米し、音楽教師をしながら作曲もしますが、24歳のときにはドイツのライプツィヒ音楽院に進み、26歳で卒業後はパリに移住、35歳でパリ郊外のグレ=シュール=ロワン村に居を構えてからは、72歳で亡くなるまで同地で人生を過ごすこととなります。 つまりディーリアスが英国にいたのは人生最初の22年間と、戦時の疎開などの一時的滞在くらいで、その疎開の際にも グレ=シュール=ロワン村を故郷のように懐かしむなど、生活の拠点はあくまでグレ=シュール=ロワン村にあったようです。 このイギリスとフランスに加え、最初の仕事場で現地女性との間に子供までいたともいわれるアメリカ南部や、 若き日に過ごした北欧といった地域からの影響が、ディーリアスの音楽に複雑な魅力を与えているのかもしれません。 グレ=シュール=ロワン村は、画家たちや芸術家、文化人が集まる場所として有名で、ディーリアスがこの地に移り住んだのも、 パリで知り合い恋愛関係にあった画家のイェルカ・ローゼンが、絵を描くためにこの村の別荘に住むようになったからでした。 ニーチェに対する共通の興味からディーリアスと意気投合したイェルカは、作曲家でピアニストのイグナツ・モシェレスの孫娘で、 ディーリアスとは1903年に結婚、ディーリアスが亡くなった翌年に世を去り、現在は二人揃ってロンドン郊外のリムスフィールドに 埋葬されています。 19世紀の終わりから20世紀初頭にかけて書かれたディーリアスの音楽は、ロマン派や印象派の雰囲気を感じさせる自由なもので、 魅力的な旋律に恵まれた仕上がりの美しい作品が多いのが特徴となっています。 クラシック音楽の趨勢からすると、ディーリアスの音楽は異端の部類に属する かもしれません。 ディーリアスの音楽は、非常に分かりやすい音楽です。 一度ハマってしまえば、おそらく 一生離れることが出来ないと思います。 ディーリアスのメッセージは、現在の私たちに実にタイムリーです。 彼の世界の魅力は、ノスタルジアだけではなく、 現在における普遍的な真理の問いかけにあると言えます。 彼による一流の仕上げが、どの曲にも懐かしい光を放っています。 そして私たち聴き手は、 ディーリアスの、無限のノスタルジアの世界に引きこまれていきます。 なんとも清冽な世界の深みを十分に堪能できる作品ばかりです。 夏至の歌 Midsummer Song ディーリアス Frederick Theodore Albert Delius 詩: ディーリアス (Frederick Theodore Albert Delius,1862-1934) イギリス 曲: ディーリアス (Frederick Theodore Albert Delius,1862-1934) イギリス 歌詞言語: 英語 On midsummer day we’ll dance and we’ll play And we’ll wander and stray through the woods. We’ll dance and we’ll kiss whilst it’s youth,love and bliss And the night is not far away,heigh-ho! 夏至の日に われらは踊ろう われらは遊ぼう それからわれらはさすらい さまようのだ 森の中を われらは踊ろう キスしよう 若さと愛と至福のうちに 夜は遠く離れてはいない ヘイ・ホー! アカペラ合唱曲 詞はR.S.ホフマンのもの(ドイツ語)を作曲者自身が訳したものです。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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金管五重奏+ ワシントン・ポスト (行進曲)楽譜
¥2,100
金管五重奏+ ワシントン・ポスト (行進曲) The Washington Post 作曲者 ジョン・フィリップ・スーザ J.P.Sousa 編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、TubaおよびDrum Setです。 木管五重奏、サックス五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。 マーチ王と讃えられるスーザの音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/loVYzuegBu4 Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 『ワシントン・ポスト』(英語: The Washington Post)は、1889年にジョン・フィリップ・スーザによって作曲されたアメリカ合衆国の 愛国的な行進曲です。アメリカをはじめ多くの国で、スーザの最も有名な行進曲の1つとして親しまれています。 1889年、アメリカの新聞『ワシントン・ポスト』のオーナーが、紙上で行われた作文コンテストの表彰式で使う行進曲の作曲を 当時アメリカ海兵隊楽団長であったスーザに依頼しました。 スーザはその依頼に応え作曲し、同年6月15日の表彰式において、新聞名と同じタイトルのこの行進曲を初演しました。 この行進曲は、かつては平凡な新聞であったワシントン・ポスト紙に名声と注目をもたらしました。 この出来事から、あるイギリス人のジャーナリストはスーザのことを「マーチ王」と呼びました。スーザはワシントンD.C.にある ワシントン・ポスト・ビルの一角において、ワシントン・ポスト紙とアメリカ合衆国への貢献が称えられています。 この曲の楽式は行進曲形式で構成されており(IAABBCCDCDC:ABCDIは旋律を表します)、同じスーザの代表曲である『星条旗よ永遠なれ』と同じく 中間部(トリオ)から主部に戻らない形をとっています。拍子は8分の6拍子で書かれています。第1旋律は有名で多くの人に知られていて、 荘厳で堂々としたテンポ(110-120BPM)で演奏されます。トリオでは、唐突な6つの8分音符が旋律を先へ進めていきます。 一風変わった落ち着いた移行部は、トリオ部の旋律のシンプルな変形となっています。それに続く一回目のトリオの繰り返しから、 金管楽器の低音による対旋律(オブリガート)が始まります。 作曲当時『ワシントン・ポスト』はツー・ステップというダンスのための音楽として流行しました。 ワシントン・ポストは最も演奏されたスーザの作品の1つです。コンサートやマーチングバンドなどで区別無く広く演奏され、 また重要な曲として研究されています。曲のタイトルは"The Washington Post"、"Washington Post March"、また単純に"Washington Post"などと 様々な表記がされることがあります。しかし、元の楽譜では2つの線の上に The Washington Post. March. のように書かれ、それぞれにピリオドが付けられていました。またスーザの下の手書き楽譜は同様の形式になっていました。 そして楽譜の表紙にも中央部に新聞の表紙の切り抜きを貼り付けた形で"The Washington Post"と配置され、 下部に"March By John Philip Sousa."と書かれていました。以上のことはスーザと出版者がタイトルは"The Washington Post"で、 "March"は行進曲であることの説明だと考えていたようです。 この行進曲は1978年に大ヒットした映画『アニマル・ハウス』(National Lampoon's Animal House)にも取りあげられました。 演奏時間は約2分半。 J.P.Sousa 彼はワシントンD.C.で生まれ、13歳のときにワシントン海兵隊楽団に入団。5年間在籍した後、各地のオーケストラやブラスバンドで演奏活動を続ける中で 創作活動を行いました。オペレッタの分野でも多くの作品を残していますが、有名なのはやはり行進曲です。彼の曲は、アメリカを象徴する音楽であると同時に 世界中で演奏されていて、今でも行進曲といえば、真っ先にスーザの名前が上がるほど、彼の功績は偉大です。 作品には、『ワシントン・ポスト』『士官候補生』『雷神』など広く知られた行進曲がたくさんありますが、何といっても彼の名を不滅にしたのは、 1896年に作曲された『星条旗よ永遠なれ(Stars and Stripes Forever)』でしょう。この曲は「アメリカ合衆国第二の国歌」とも呼ばれています。 合衆国第21代大統領チェスター・A・アーサーの依頼により作曲されたこの曲は、誇り高く勇壮で、時に「男の哀愁」をも感じさせる主部のテーマ、 ドラムマーチに導かれてトランペットが奏でる晴れやかな中間部など、いかにも整然と行進する兵隊の姿が目に浮かぶようで、行進曲の魅力を すべて兼ね備えた名曲です。この曲は、アメリカ海兵隊の公式行進曲に制定されています。 スーザは、77年の生涯に100曲を超える行進曲を残していて、まだまだ隠れた名曲とも呼べる素晴らしい曲がたくさんあります。 なお、マーチングバンドでよく見かける、演奏者の身体に巻き付いた大きなアサガオのような金管楽器「スーザフォン」は、彼が考案したことにちなんで 名付けられています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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クラリネット四重奏 モテット より「ロクス・イステ」楽譜
¥1,400
クラリネット四重奏<モテット>より「ロクス・イステ」 ブルックナー作曲 Locus iste of Motteten by Anton Bruckner (1824-1896) 編成はCl.3本、Bs.Cl.です。 木管四重奏、サックス四重奏版、金管四重奏版は発売中です。 穏やかな流れの中に立体的な奥行きと、響きの清潔感を感じる音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/s_-sccKEYV4 Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html Locus iste(この場所は神によって造られた) 作曲:Anton Bruckner(アントン・ブルックナー)(1824~1896) この曲は1869年にオーストリアの作曲家、ブルックナーによって作曲された聖堂献堂式のための昇階唱です。 歌詞: Locus iste a Deo factus est inaestimabile sacramentum irreprehensibilis est. 邦訳: この場所は神によって造られた。それは何とはかり知れぬ秘跡 であることか。そこには何の欠点もない。 Anton Bruckner ブルックナー 編成は四部のコーラス(SATB)です。 最近はシンフォニーでよく知られるようになったブルックナーですが、やはり真髄はアカペラの教会音楽にあります。 モテットのなかでは、Ave Maria、Os justi、Chiristus factus est、Virga Jesse、Vexilla regisなどと並んでよく演奏される曲のひとつです。 Bruckner がオーストリア郊外、リンツの教会 (Votifkapelle) の新しい聖堂の献堂式の為に作曲しました。 簡素で慎ましい曲ですが、ハーモニーの豊かな響き合いの中に胸を打つ瞬間があります。特に神の奇跡は 「非の打ちどころ ( 間違いが ) ない」“irreprehensibilis“ という言葉に付けられた、半音階的ハーモニーの推移は見事です。 無意識の内に潜んでいた形の無いものが次第に浮かび上がり、やがて調和したハーモニーに到達した時に、その言葉 (irreprehensibilis) が 輪郭を表します。全体を通じて穏やかな流れの中に立体的な奥行きと、響きの清潔感を感じることができます。 ヨーゼフ・アントン・ブルックナー(Joseph Anton Bruckner, 1824年9月4日 - 1896年10月11日) は、オーストリアの作曲家、オルガニストです。 交響曲と宗教音楽の大家として知られています。 リンツ近くのアンスフェルデンに学校教師の長男として生まれ、村の教会のオルガン奏者を兼ねる父のもとで早くから音楽に親しみました。 13歳で父を失ったのち近くのザンクト・フロリアン修道院の寄宿舎に入り、少年聖歌隊員としてオルガンやピアノ、バイオリンを学びました。 師範学校を経て1841年に助教師となりましたが作曲にも手を染め、ザンクト・フロリアン修道院のオルガン奏者、1856年にはリンツ大聖堂の オルガン奏者に就任しました。以後作曲の勉強に本格的にとりくみ,R.ワーグナーの音楽に傾倒しました。 1864年?1868年、《ミサ曲第1番ニ短調》にはじまる〈三大ミサ曲〉を完成しました。1868年ウィーン音楽院教授に就任し、 1873年からはワーグナーと親交を深めました。また1875年にはウィーン大学講師となり、学生だったマーラーと交流しました。 《交響曲第4番ロマンティック》(1881年初演)以来ようやく高まり始めた作曲家としての名声は60歳の年、 1884年のニキシュによる《交響曲第7番》初演の大成功で頂点を迎え、生涯初の栄光をブルックナーにもたらしました。 1891年ウィーン大学名誉博士の称号を得ました。《交響曲第9番》を未完のまま72歳で永眠。その音楽の基盤には敬虔(けいけん)なカトリック信仰が あり、教会オルガン奏者として精通した多声音楽の伝統とベートーベン以来のドイツ、オーストリア音楽の諸様式とが融合し、 独自の書法を形づくっています。第0番と習作1曲を含む11曲の交響曲(1863年―1896年)のほか、《テ・デウム》(1884年)、 《詩篇第150番》(1892年)など多くの教会音楽、《弦楽五重奏曲》(1879年)などがあります。 ブルックナーには独自の技法や表現があり、それらはブルックナーの名前を付けて呼ばれています。 有名なものでは「ブルックナー開始」があげられますが、これは第1楽章の始まりを弦楽器のトレモロという音を小刻みに演奏する技法で始めるものです。 他には「ブルックナー休止」「ブルックナー・ゼクエンツ」「ブルックナー・ユニゾン」「ブルックナー・リズム」などがあります。 ●ブルックナー開始 第1楽章が弦楽器のトレモロで始まる手法であり、交響曲第2、4、7、8、9番に見られます。ベートーヴェンの『交響曲第9番』に影響を受けています。 ●ブルックナー休止 楽想が変化するときに、管弦楽全体を休止(ゲネラル・パウゼ)させる手法です。 ●ブルックナー・ユニゾン オーケストラ全体によるユニゾン。ゼクエンツと共に用いられて効果を上げます。 ●ブルックナー・リズム (2+3) によるリズム。第4、6番で特徴的である。(3+2) になることもあります。初期の稿では5連符として書かれていたものが、改訂稿では ブルックナー・リズムに替えられている例も見られます。 ●ブルックナー・ゼクエンツ ひとつの音型を繰り返しながら、音楽を盛り上げていく手法。いたるところに見られます。 ●コーダと終止 コーダの前は管弦楽が休止、主要部から独立し、新たに主要動機などを徹底的に展開して頂点まで盛り上げます。 ●和声 ブルックナーの和声法で、響きが濁るので従来多くの作曲家が避けた技法。例えば根音Gとした場合、根音Gに対して、 属9の和音以上に現れる9の音のA♭が半音違いで鳴ること、属11の和音においてBとCが半音違いで鳴ることや、13の和音においてDとE♭が半音違いで鳴ること。 もう一つは対位法の場面で現れ、対旋律や模倣が半音違いで鳴ること。従って和声学上の対斜とは意味が異なりますが、バルトークの ブルーノート風の半音のぶつかりも「対斜」とされているので、ここでは「ブルックナー対斜」と読んでも差し支えありません。 またワーグナーのトリスタン和音がそのまま使われていることがあります。和音の音色を明確にするため同一楽器に当てている例が多く見られます。 和音の機能をはっきりさせるために同楽器の密集配置がほとんどで、これが後期ロマン派の香りを引き立たせる大きな要因となっています。 幼い頃から音楽の才能を発揮していたブルックナーは、10歳くらいの年齢になった際に、オルガン奏者だった父親の代わりに オルガンの演奏を教会で行うことがあったそうです。そして11歳の年には、名付け親でありオルガニストだった人物の元で音楽の教育を 受けることとなりますが、その後父親が亡くなると、すぐに修道院の聖歌隊に入ることになりました。 その後16歳で小学校の補助教員免許を取ると、翌年には補助教員として働き始めますが、そこでは授業以外の雑用や畑仕事なども行う必要がありました。 しばらくして別の場所へと転勤になりますが、移った先はブルックナーにとって良い環境だったらしく、初期の合唱曲が生み出されることとなります。 1855年には、リンツ大聖堂のオルガニストの試験でその席を勝ち取ることとなり、大きな収入を得ていくようになったようです。 しかし同年、ブルックナーは再び作曲の勉強をしたいと考え、6年間に渡ってジーモン・ゼヒターに師事しました。 1868年には、師事していたゼヒターの後にウィーン国立音楽院教授となると、しばらくの間はリンツ大聖堂の仕事と掛け持ちしている状態だったそうです。 作曲を行いながらオルガニストの仕事も継続していたブルックナーは、この時期オルガニストとしてとても高く評価されていました。 ちなみにこのころに作曲されたのが、初期の交響曲である「第1番」「第2番」、そして「第0番」と呼ばれる作品です。 1873年、バイロイトでワーグナーとの交流の機会を得たブルックナーは、自身の「交響曲第3番」を献呈しました。このことは、ワーグナーには 良い印象を与えましたが、当時の反ワーグナー派からは批判を受けることとなったようです。 そして1876年、バイロイト音楽祭を訪れたブルックナーは、作曲してきた交響曲を大幅に改訂することにしました。この時に大幅改訂されたのが、 「交響曲第1番」から「第5番」だったようです。 その後1877年に行われた「第3番」の初演は失敗に終わりますが、次の「第4番」が好評となったためブルックナーは交響曲の作曲家としても 知られるようになります。そして、宗教曲の中の代表作である「テ・デウム」や、「交響曲第7番」などが作曲され、さらに有名になっていきました。 1884年ころから「交響曲第8番」に取り掛かると1887年には初稿が完成しましたが、大幅な改訂を必要としたため現在よく知られている 第2稿が完成したのは1890年でした。 この作品は、ブルックナーの作品の中でも代表作と言える交響曲で、当時のオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に献呈されています。 また、この「第8番」の改訂の際には、他のいくつかの交響曲も改訂が行われました。 数階建ての建物に住んでいたブルックナーでしたが、体を悪くすると、階段の往復が辛くなっていきました。 それを知ったフランツ・ヨーゼフ1世は、ブルックナーを宮殿敷地内の建物に住まわせることにしたようです。 また、ブルックナーは亡くなる当日まで「交響曲第9番」の作曲を行っていましたが、完成には至らないままとなってしまいました。 当時の音楽界は、ブルックナーが「交響曲第3番」を献呈したワーグナー派と、ドイツ三大Bの内の1人であるブラームス派に分かれていました。 そのためワーグナー派とされていたブルックナーと、ブラームスの仲は良いものではなかったようです。 しかし、「交響曲第8番」に関してはブラームスも評価をしていました。そして、ブルックナーの葬儀の際は遠くから見ていたり、 泣いていたりといった様子が確認されたと言われています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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サックス四重奏「失われた幸福」メンデルスゾーン 楽譜
¥1,400
サックス四重奏「失われた幸福」メンデルスゾーン メンデルスゾーン :無言歌集 第3巻 Op.38から第2曲 Mendelssohn, Felix:Lieder ohne Worte Heft 3 Op.38-2 編成はソプラノ、アルト、テナー、バリトンです。 木管四重奏、クラリネット四重奏版、金管四重奏版は発売中です。 メランコリックなノスタルジーを感じさせてくれる音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/rqPgjmsQKyQ Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html この曲は1837年にメンデルスゾーンによって作曲されました。 低音と旋律の間の和音構成音がシンコペーションによる、あと打ちのリズムで装飾する形をとっています。 少し悲しげで、幸せだった過去を振り返るようで、どこかノスタルジックな雰囲気の漂う曲調です。 アレグロ・ノントロッポの指示があるように、停滞感が出てしまわないように注意して演奏したいものです。 ワーグナーが「第一級の風景画家」と言われたように、メンデルスゾーンは情景描写や標題音楽の作曲において才能を発揮しています。 この“言葉のない歌曲”「無言歌」という形でメンデルスゾーンは心象風景や感情描写までも、表現しました。 歌曲風の旋律をもった器楽曲であるため、旋律線をはっきりと浮き立たせ、抒情的に演奏すると良い演奏になります。 メンデルスゾーンが活躍したこの時期、ブルジョアジーの家庭を中心に、ピアノが教養として普及しました。 そのため、家庭で気楽に弾ける作品が多く作られましたが、この《無言歌集》もその一つです。 《無言歌集》は各6曲ずつの計8集からなり、生前に出版されたのは、第6集までです。第7集は、1851年、第8集は1867年に出版されました。 1832年、第1集を出版したときには、メンデルスゾーンは、《ピアノのためのメロディー》と記していて、《無言歌集》の名称を もつようになったのは1835年に第2集を出版してからのことでした。 標題をもっているものが多いのですが、作曲者自身によってつけられたものはわずかです。実際、メンデルスゾーンは標題をつけることによって、 音楽的な想像力が限定されることを嫌っていたようです。 第3巻は次のようになっています。 1.変ホ長調「夕べの星」 / op.38-1 (1837) 2.ハ短調「失われた幸福」 / op.38-2 (1837) 低音と旋律の間の和音構成音がシンコペーションによる、あと打ちのリズムで装飾する形をとっています。 少し悲しげで、幸せだった過去を振り返るようで、どこかノスタルジックな雰囲気の漂う曲調です。 アレグロ・ノントロッポの指示があるように、停滞感が出てしまわないように注意して演奏したいものです。 3.ホ長調「詩人の竪琴」 / op.38-3 (1837) 4.イ長調「希望」 / op.38-4 (1837) 5.イ短調「情熱」 / op.38-5 (1837) 第2曲と同様、シンコペーションによる、あと打ちのリズムを利用した楽曲構成になっています。情熱というよりは、 焦燥感や不安をかきたてられるような印象の作品です。 6.変イ長調「デュエット」 / op.38-6 (1836) 6曲中唯一、メンデルスゾーン自身によって命名された作品です。テンポはゆっくりめですが、動きはゆるやかではありません。 「常に両声部をくっきりと際立たせなければならない」と記されていて、装飾声部を均質に演奏しながら、2つの主要な旋律を はっきりとうきたたせることが大切です。やや技巧的な曲です。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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Solo+木管五重奏 ザ・ロスト・コード(失われた琴線)楽譜
¥1,800
Solo+木管五重奏 ザ・ロスト・コード(失われた琴線) The Lost Chord Arthur Sullivan 編成はOb.、Cl.3本、Bsn.およびSoloパートです。Ob.パートはFl.でも演奏可能です。 同梱のSoloパート楽譜はin F版(Hn.)、 in C版(Ob.、Mallet Perc.など)、 in C-Fl.版(Fl.、Pic.)、 in C低音版(Eup.、Bsn.、Tbn,、St.Bs.など)、 in C低音Tuba版、 in B版(Tp.、Cl.、Bs.Cl.、Sop.Sax.、T.Sax.など)、 in Es版(Es Cl.、A.Sax.、B.Sax.など)が含まれています。 多くの楽器がSoloを担当し、伴奏は下の編成も含め4種類から選ぶことができます。 金管五重奏版、クラリネット五重奏版、サックス五重奏版は発売中です。 イギリスのロマン派を味わえる名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/Acedym1pNmg アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html この曲は19世紀イギリスの作曲家、アーサー・サリバンによるコラール曲です。 邦題では「失われた琴線」「失われた和音」などとして広く知られています。 作曲者のサリバンは讃美歌や歌曲の他にもウィリアム・S・ギルバート(劇作家・作詞家、William S. Gilbert, 1836年 - 1911年)と 組んでオペラを創った事で知られています。 このサリバンとギルバートのコンビは、イギリス出身の世界的シンガーソングライター、ギルバート・オサリバンの名前の由来にもなっています。 サヴォイオペラで「ミカド」や「軍艦ピナフォー」「近衛兵」などの傑作を作曲したアーサー・サリヴァンはイギリス音楽で多くの美しいメロディーを書きました。 ヴィクトリア~エドワード朝の大英帝国が最も光り輝いた時代を音にし、ユーモア溢れる喜劇の舞台でも気品を忘れない彼の音楽は、 美しさの中にほのかな翳りを漂わせている点で、人気の高いエドワード・エルガーと通じるところがあります。 この歌曲「Lost Chord」は比較的知られている作品です。 この詩は作曲者が兄のためのレクイエムとして書いた作品で、オルガンの荘厳な響きと共に聴くと、大変厳粛な気持ちになります。 レクイエムといっても悲しいメロディではなく、明るくも荘重な、そしてオルガンのまさに「Lost Chord」ともいうべき偉大な和音が印象的です。 特に素晴らしい盛り上がりが最後を飾ります。哀愁を帯びた美しい和声と旋律を味わえる作品です。 アーサー・シーモア・サリヴァン(Sir Arthur Seymour Sullivan, 1842年5月13日 - 1900年11月22日)は、 ロンドンで生れました。父親は軍楽隊の隊長をしていて、アーサーは8歳になる頃には父のバンドで使う楽器を器用に操るようになっていました。 ベイスウォーター (Bayswater) の私立学校に行った後、王室礼拝堂の合唱隊への加入を認められ、チェイニー・ウォーク (Cheyne Walk) にある その合唱隊の学校に通うようになりました。その頃、彼は賛美歌や歌を作曲し始めています。 1856年、サリヴァンは最初のメンデルスゾーン賞を授与され、王立音楽アカデミーに学生として2年間在籍します。 1858年(16歳)に、サリヴァンはライプツィヒへ旅行し、そこで勉学を継続し指揮法を学びました。彼はこの期間に著しい音楽的な成長を遂げたのです。 1862年にロンドンに帰り、クリスタル・パレスで演じられたシェイクスピアの「テンペスト」の付随音楽が誕生しています。 サリヴァンは次第に、英国最高の作曲家として評価されるようになっていきました。1866年に「交響曲ホ長調(アイリッシュ)」の演奏会が開かれました。 この当時の作品には、「イン・メモリアム (In Memoriam)の序曲」と「チェロ協奏曲」(1866年)、 オラトリオ「放蕩息子 (The Prodigal Son)」(1869年)、「失われた琴線 (The Lost Chord)」(1877年)等があります。 歌詞 Seated one day at the organ, I was weary and ill at ease, And my fingers wandered idly Over the noisy keys. I know not what I was playing, Or what I was dreaming then; But I struck one chord of music, Like the sound of a great Amen. It flooded the crimson twilight, Like the close of an angel's psalm, And it lay on my fevered spirit With a touch of infinite calm. It quieted pain and sorrow, Like love overcoming strife; It seemed the harmonious echo From our discordant life. It linked all perplexed meanings Into one perfect peace, And trembled away into silence As if it were loth to cease. I have sought, but I seek it vainly, That one lost chord divine, Which came from the soul of the organ, And entered into mine. It may be that death's bright angel Will speak in that chord again, It may be that only in Heav'n I shall hear that grand Amen. 日本語意訳 ある日オルガンの前に腰掛け 私は落ち着かない気持ちのまま 何を考えるでもなく 私は鍵盤を叩いていた 何を弾いていたのか思い出せないし 何を夢想していたのかも覚えていない しかし、ひとつの和音だけは鳴り続けた 偉大なアーメンの響きのように その調べは深紅の夕暮れの中 天使たちの歌う詩編の余韻のように満ち溢れ 限りない安らぎの感触で 私の昂ぶる心を静めてくれた すると痛みや悲しみは消え去った 愛が憎しみに打ち勝つように それは不協和音に満ちた私たちの人生が 妙なる調和へとこだまするようだった すべての混乱は結び付けられ ひとつの完全な安息となった そして震えながら和音は静寂の中へと消えた 消え行くことを惜しむかのように それから私はむなしく探しつづけてきた オルガンの精髄より沸き上がり 私の中へと入り込んだ あの神々しい一つの和音を 死を司る天使のみが その和音を再び鳴らすことができるのだろう 再び私がその偉大なアーメンの響きを聴けるのは 天に召されたその時なのだろう アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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金管と打楽器のためのゴスペル「オー・ハッピー・デイ」楽譜
¥2,600
金管と打楽器のためのゴスペル「オー・ハッピー・デイ」 Oh Happy Day American Gospel 編成はSolo in Bに加えてTp.3本、Tbn.またはHn.2本、Tbn.またはEup.、Tuba およびDrums、Tamb.、Vib. 、El.Bs.です。 来場客などによる手拍子(記譜あり)がラストに入ると盛り上がります。 木管版は発売中です。 ゴスペルの明るく輝ける名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/FmnlMpz3DvA Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 「オー・ハッピー・デイ」 (Oh Happy Day) は、エドウィン・ホーキンズが18世紀の賛美歌をもとに書いた楽曲です。 エドウィン・ホーキンズ・シンガーズ名義で1969年4月に発表されました。 録音は1967年にカリフォルニア州バークレーにある教会で行われました。 Billboard Hot 100チャートで4位(1969年5月31日~6月7日)、 R&Bチャートで2位を記録しました。 1993年にはミュージカル映画『天使にラブ・ソングを2』でも使われました。 その後、さまざまな作曲家によって編曲されているため、混声合唱曲としても知られています。 「天使にラブソングを2」で有名曲となった「OH HAPPY DAY」は1967年にリリースされたゴスペルソング。 18世紀の讃美歌516番の「主イエスを知りたる嬉しきこの日や」をもとに作られました。 讃美歌を明るいイメージでアップテンポでポップな雰囲気にアレンジしました。 1969年のポップチャートでは全米4位、イギリス2位の記録を持ちます。1993年公開の映画「天使にラブソングを2」の 劇中歌としてクローズアップされたことで世界中でリバイバルヒットしました。 「OH HAPPY DAY」は曲名からは単純に「幸せな日」と単に歌っているのではなく、とても深い意味を持っています。 の歌詞を簡単に日本語に訳すと、 「神が私の罪を清めてくれた。そして、誰もが調和と努力と祈りを忘れないことで喜びに満ちた日々を送ることができる。」 とても単純な歌詞の中に秘められた、パワーやエネルギーや当たり前と思うことに感謝する、 そんな思いを伝える歌なのです。ゴスペルの魅力は、明るさとPOPな雰囲気の中に込められる人々の想いや、 生き方、生きる意味、エネルギーをそれぞれが自然に感じることができることにおいては 世界最高峰の音楽ジャンルだと言えます。 神様は生きている人間すべての罪を許し、洗い流してくれる、そのためには努力を怠らず、周りとの調和を図り、 努力と祈りを忘れないことで、喜びを感じることができ幸せを与えてくれる、という思いを込めた歌なのです。 ゴスペル、楽しく歌うだけでなく心の奥底から、魂から、表現できる、そんな音楽なのだと思います。 ゴスペルが世界中で愛される理由は、誰もが神から平等に与えられた、「エネルギーに満ち溢れた幸せの歌」だからです。 奥深いゴスペルの世界に浸りたいものです。 Oh Happy Day(歌詞) Oh happy day (oh happy day) Oh happy day (oh happy day) When Jesus washed (when Jesus washed) When Jesus washed (when Jesus washed) Jesus washed (when Jesus washed) Washed my sins away (oh happy day) Oh happy day (oh happy day) ああ幸せな日 神様が、私の罪を清めて(赦して)くださったから 私の罪は洗い流された。 ああ、なんて幸せな日 Oh happy day (oh happy day) Oh happy day (oh happy day) Oh happy day (oh happy day) When Jesus washed (when Jesus washed) When Jesus washed (when Jesus washed) When my Jesus washed (when Jesus washed) He washed my sins away He taught me how (oh, He taught me how) To wash (to wash, to wash) Fight and pray (to fight and pray) Fight and pray And he taught me how to live rejoicing yes, He did (and live rejoicing) Oh yeah, every, every day (every, every day) (oh yeah) Every day! 神は教えてくださった どうやって心を清め、どうやって戦い、祈るのかを。 それから、どうやって喜びとともに生きるのかを、神は教えてくださった。 毎日、毎日。 毎日。 Oh happy day (oh happy day) Oh happy day, yeah (oh happy day) When Jesus washed (when Jesus washed) When my Jesus washed (when Jesus washed) When Jesus washed [hits high note] (when Jesus washed) My sins away (oh happy day) ああ幸せな日 神様が、私の罪を清めて(赦して)くださったから 私の罪は洗い流された。 ああ、なんて幸せな日 I'm talking about that happy day (oh happy day) He taught me how (oh yeah, how) To wash (to wash) Fight and pray (sing it, sing it, c'mon and sing it) Fight and pray And to live yeah, yeah, c'mon everybody (and live rejoicing every, every day) Sing it like you mean it, oh.... 私は幸せな日について話してるの。 神が教えてくれた(どうやって) 心を清めて、 戦って、 祈るのかを(歌おう、さあ、歌おう!) Oh happy day (oh happy day) I'm talking about the happy days (oh happy day) C'mon and talk about the happy days (oh happy day) Oh, oh, oh happy days (oh happy day) Ooh talking about happy day (oh happy day) Oh yeah, I know I'm talking about happy days (oh happy day) Oh yeah, sing it, sing it, sing it, yeah, yeah (oh happy day) Oh, oh, oh Oh happy day アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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クラリネット五重奏 シューベルト:軍隊行進曲 第2番 楽譜
¥2,250
クラリネット五重奏 シューベルト:軍隊行進曲 第2番 2 Marches militaires Schubert, Franz 編成はCl.4本、Bs.Cl.です。 木管五重奏、サックス五重奏版、金管五重奏版は発売中です。 明るい力強さの中に軽やかさを備えた楽しい音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/vdx4eIgkSx0 Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html フランツ・ペーター・シューベルト(Franz Peter Schubert/1797年?1828年)の『軍隊行進曲』は、ピアノ連弾のための曲集で 彼のピアノ作品の中でも有名なものです。 特に第1番は広く知られており、管弦楽用やピアノ独奏用にも編曲され親しまれています。 作曲年は諸説ありますが、1818年が有力だと現在ではされています。 作曲されたとされる1818年頃、シューベルトは貧しい生活を送っていました。 1816年に教師の職を辞めたことで、安定して稼げる仕事がなくなったためです。 しかし仕事を辞めてからは音楽を愛する仲間たちと出会い、彼らに助けられて貧しいながらも充実した時間を過ごしていました。 また1818年は作曲した作品数自体は少ないものの、シューベルトが自らの作品のためのコンサートを初めておこなった年でした。 さらには同年夏(1818年)、シューベルトはエステルハージ伯爵一家の音楽教師としてハンガリーのツェリスにも招かれます。 エステルハージ伯爵家には2人の娘がいましたので、そのために連弾曲が書かれたと推測もされています。 シューベルトはこの地でとても楽しい夏を過ごしたと言われています。 その影響もあるのか、『軍隊行進曲』は3曲とも明るく活発な音楽が印象的です。 この年は、シューベルトにとって明るい道筋が少しずつ開けるような年だったようです。 軍隊行進曲 シューベルト シューベルト(Franz Peter Schubert/1797?1828) 『軍隊行進曲』は、シューベルトがピアノ連弾のために作曲した曲集『3つの軍隊行進曲 Trois Marches Militaires』 D733 作品51。 作曲された年については諸説あり、一説によれば、シューベルトがエステルハージ伯爵家の娘の教師を務めていた頃と説明されることがあります。 この作品の第1番は、現在シューベルトの作品の中でもっともポピュラーなピアノ曲のひとつとして、独奏されることが多いのですが、 もとはピアノ連弾曲である。シューベルトがジェリズに赴任していた1818年に作曲されました。 この年はエステルハージ伯爵家のふたりの娘にピアノを教授するため、多くの連弾曲が生み出されています。 この行進曲は3曲とも、明るい力強さの中に軽やかさを備えた楽しい連弾曲です。 この作品のもとはピアノ連弾曲です。シューベルトがジェリズに赴任していた1818年に作曲されました。 この年はエステルハージ伯爵家のふたりの娘にピアノを教授するため、多くの連弾曲が生み出されています。 この行進曲は3曲とも、明るい力強さの中に軽やかさを備えた楽しい連弾曲であり、エステルハージ家での楽しいピアノ・レッスンの風景を想像させます。 第1番は特に有名で、広く演奏されています。オーケストラ編曲やタウジッヒによるピアノ独奏編曲があります。 他の多くのシューベルトの連弾作品が家庭的な楽しみのために書かれたようにこの作品も書かれたのでしょう。 第1番 ニ長調 4分の2拍子 Allegro vivace 下属調のトリオをはさむ三部形式 でできています。 ファンファーレ風に始まる軽快な行進曲 となっています。 トリオはト長調で 優しい感じの歌謡風な旋律です。 第2番 ト長調 4分の4拍子 Allegro molto moderato 1番同様下属調のトリオをはさむ三部形式でできています。 第3番 変ホ長調 4分の4拍子 Moderato ファンファーレのような短い序奏で始まります。 最初の主題は付点音符のリズムによるとてもリズミックな旋律です。 トリオはやはり下属調の変イ長調です。トリルの入ったアウフタクトで始まる優美な旋律です。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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サックス四重奏 ベートーヴェン メヌエット Op.20から第3楽章 楽譜
¥1,600
サックス四重奏 ベートーヴェン メヌエット Op.20から第3楽章 Menuetto from Septet in E-flat major, Op.20 L. V. Beethoven 編成はソプラノ、アルト、テナー、バリトンです。 金管四重奏版、木管四重奏版、クラリネット四重奏版は発売中です。 若きのベートーヴェンの明るい作品を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/Cmbpn0mISnA Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html この第3楽章はトリオを伴ったメヌエットです。主部で弦楽器の奏でる旋律はピアノソナタ第20番の第2楽章からの転用しています。 トリオでは管楽器が主に活躍します。 この七重奏曲 変ホ長調 作品20 は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが作曲した、7つの楽器による室内楽曲です。 作曲者によるピアノ三重奏への編曲版も存在します(ピアノ三重奏曲第8番 変ホ長調 作品38)。 ベートーヴェン初期の傑作で、明るい旋律と堂々としたリズムをもち、作品が公開された当初から広く親しまれました。 初版が出版される前から海賊版が出回っていたとも言われています。作曲されたのは1799年から1800年にかけてで、 同時期に作曲されたものに交響曲第1番などがあります。 ベートーヴェンの作曲人生の中では古典派音楽の勉強と自らの独自性を模索する時期になります。 モーツァルトのディヴェルティメントのように、娯楽的でサロン向けの音楽として書かれていますが、旋律やリズム、構成の面などで その後のベートーヴェンらしい作品の登場を予感させる部分も随所に見られます。第5楽章のスケルツォはそのひとつです。 しかし、この作品の人気とは裏腹に当のベートーヴェンは、いつまでもこの作品がもてはやされ続けるのを拒んだと言われていて、 「あの七重奏曲のベートーヴェンさん」と形容されるたびに不快感を示したといわれています。 これはベートーヴェンにとって、この作品が大衆迎合の域を出ておらず、自分の追い求める音楽とは違っているということの意思の現れでしょう。 シュポーアやフンメルなど、古典派から初期ロマン派の作曲家にこの編成が多く、ブランやブルッフのようにロマン中期の作曲家にも同編成での作品があります。 シューベルトはこの作品に影響されて八重奏曲を書いたとされています。 ベートーヴェン生存中で最も人気のあった室内楽作品として、この弦楽器と管楽器の編成による七重奏曲「変ホ長調」作品20が挙げられます。 1799年に作曲され皇帝フランツ2世皇妃マリア・テレジアに献呈されました。 演奏時間およそ40分にも及ぶこの大作は、6楽章からなるセレナーデあるいはディヴェルティメント型の作品です。 大変な人気で、1810年ころまでに10種類以上の編曲版が出版されていました。ギター二重奏から管楽十一重奏版まで実にさまざまです。 セレナーデとディヴェルティメントは、明るい娯楽的な器楽形式のことです。 クラリネット、ホルン、ファゴット、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスという編成によるこの作品は、とても人気があったようです。 「交響曲第1番 ハ長調」が初演されたコンサートでは、この七重奏曲が当時の名手たちによって披露され、好評を博しました。 当時、多くの人を虜にした作品だったのです。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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鍵盤打楽器とベース四重奏 バンビーノ(赤ん坊)、タンゴ 楽譜
¥1,480
鍵盤打楽器とベース四重奏 バンビーノ(赤ん坊)、タンゴ Bambino, Tango エルネスト・ナザレ 編成はGlock.、Vib.、Marim.、St.Bs.です。 金管五重奏版、サックス五重奏版、木管五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。 「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/iCIYbmV6srw Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html Bambino, Tango バンビーノ(赤ん坊)、タンゴ Bambinoとは「赤ん坊」という意味ですが、当時有名だった風刺画家で、ナザレの楽譜の表紙絵のいくつかを書いている Arthur Lucasのペンネーム "Bambino" からとられました。後にCatullo da Paixao Cearenseにより "Voce nao me da!..." という 題名で歌詞がつけられました。またLuciano Galletにより室内オーケストラ用に編曲されました。原調は変イ長調、A-B-C-A形式です。 テンポはゆったりながら、両手がシンコペーションを刻む様が気取った雰囲気を醸し出す作品です。 Bメロは右手旋律がオクターブ、左手伴奏和音は十度重音が多用され華やかな雰囲気を出しています。Cメロは変ニ長調で、 旋律はシンコペーションのリズムにのって音階をゆっくり上がったり下がったりします。それが何とも浮き浮きするような気分を 醸し出していて、ナザレの天性を感じ取ることができます。 「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を知らずしてブラジル音楽は語れません。 南国ののどかな風光と、アフリカの野性的なエネルギーと、ロマンティシズムが渾然と混じり、甘美で、ちょっぴり切ない独特の音楽が聞こえてきます。 ミニョーネはこう述べています。「私は1917年頃にEduardo Soutoの楽譜店でナザレに会ったことがある。ナザレは自作曲を決して急がず、 カンタービレで弾いていた。彼はこう言っていたよ、『私の作品はあちこちでメチャメチャに弾かれている。みんな速く弾きすぎだ。 特に "Apanhei-te, Cavaquinho" は酷いことになっている。あの曲はゆっくりと、左手はカヴァキーニョを思い浮かべてアルペジオで弾くもんだ』と。」 エルネスト・ジュリオ・ナザレー (Ernesto Julio Nazareth (またはNazare とも), 1863年3月20日 - 1934年2月4日)は、ブラジルのピアニスト・作曲家です。 一生をリオ・デ・ジャネイロで過ごしました。「ブラジル風タンゴ」やショーロなど、国内の民族音楽に影響されたピアノ曲を量産しました。 そのような作曲姿勢から、しばしば「ブラジルのショパン」と呼ばれています。ピアノ以外の音楽教育は学ばなかったため、 残された作品はサロン小品と声楽曲ばかりであり、管弦楽曲や室内楽・カンタータやオラトリオのような分野の大作はなく、作曲技法も必ずしも洗練されていません。 しかしながら、民衆音楽の影響のもとに切り開いた独自の素朴な詩境は、のちにヴィラ=ロボスから、「ブラジルの魂」と称賛されました。 中産階級ながらもあまり豊かでない下級官吏の家庭に生まれ、ショパンを愛する母親からピアノの手ほどきを受けました。 早い年齢でたぐい稀な音楽的才能が認められ、家族ぐるみで付き合いのあったアフロ=アメリカンの作曲家、 リュシアン・ランベールにも音楽の手ほどきを受けました。 1873年に母親が亡くなってからもピアノを学び、間もなく作曲も手がけるようになりました。 最初の出版作品のポルカ『ボセ・ベン・サービ"Voce Bem Sabe"』 (あなたはよく御存知)は、14歳になるまでに作曲・出版されました。 その後は、ショーロの楽士たちとたむろして、敏感で独特なリズム感を身につけました。マシシェ maxixe やルンドゥ lundu 、ショーロ choro 、 アフリカ系住民のダンスなど、さまざまな民族舞曲に影響されました。 長年ナザレーは、映画館オデオン座の待合室でピアニストとして働き、ここで最も有名な作品の一つ『オデオン』を作曲しました。 外国から数少ない音楽家がブラジルを訪問した際、オデオン座のナザレーの演奏を見学したといわれています。 1920年代初頭には、音楽ショップにピアニストとして雇われました。顧客が購入する際に持ち寄ってきた楽譜を見ながら、演奏し、 客の要望に沿うかどうかを確認して見せるのが任務でした。客の中に、ナザレー作品の楽譜を手ずから弾こうとする者がいると、止めさせて、 解釈が誤っていると苦情を言うのが常だったそうです。 ナザレーは、心底からのブラジル人音楽家であり、音楽は楽しまれるべきであるとして、それ以上を望みはしませんでした。 ほとんど独学であり、音楽活動のほとんどは、劇場や映画館の伴奏ピアニストとして、あるいは小劇場のアンサンブルでのピアニストとして、 演奏するのに振り当てられました。 そのような劇場アンサンブルの楽団員の知り合いには、後の大作曲家ヴィラ=ロボスがいて、当時はチェリストとして活動していました。 ナザレーはショーロの発展のおおもとであり、ヴィラ=ロボスは、これに基づき、後に自らの創作活動を繰り広げていったのです。 ナザレーは、ブラジルの民族音楽以外にも明らかに影響されていて、子供時代にむさぼるようにして学んだショパンの影響が中でも顕著です。 また、1869年にきら星のようにリオ・デ・ジャネイロにデビューして、瞬く間にブラジル楽壇を席巻したゴットシャルクの作風もナザレーにはお馴染みでした。 作品には、19世紀ヨーロッパのクラシック音楽の豊かな和声法がこだましながら、ナザレーの生地ブラジルの、シンコペーションをともなう 民族舞曲のリズム法に織り込まれてゆくのが認められます。そのうえ、アメリカ合衆国のラグタイムや初期のジャズの、小気味よいリズム感も健在である。これらの要素を統合して一つの有機体へとまとめ上げたことがナザレー独自の能力で、結果的には、ピアノ曲のレパートリーだけでなく、20世紀の音楽にも重要な貢献を果たしている。 ナザレーはショパンやその他のヨーロッパの作曲家から霊感を受けたように、逆に自らも、間接的とはいえ、ヨーロッパの作曲家に何かしらの影響を与えています。 フランス人作曲家のダリユス・ミヨーは、自伝の中で、ブラジル滞在中にリオ・デ・ジャネイロの映画館でナザレーがピアノを演奏する風景を回想しています。 ミヨーはその音楽のリズムにたちどころに虜となって、ブラジル音楽をきわめてやろうと決心したというのです。 その最終的な成果こそが、ミヨーのピアノ曲『ブラジルの想い出 Saudades do Brasil』でした。 ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ばれていますが、作品に副題を好んでつけた点で、ショパンとは違っています。 ショパンやフォーレよりもヨーロッパのサロン音楽の伝統に忠実だったといえます。 しかしながら19世紀から20世紀初頭まで、ヨーロッパではサロン小品にフランス語の題名をつける慣習がまだ根強く残っていたのに対して、 ナザレーは母語のポルトガル語に固執しました。 また題名によって、ドビュッシーやラヴェルのように、美術や文学からのインスピレーションをほのめかしたり、 リストのように詩的な連想を暗示することもありませんでした。 ナザレーの曲名には、しばしば第三者にとって謎めいた響きをもつものもありますが、それらは実在するスポーツチームやダンスクラブ、雑誌名など、 ナザレーの日常生活の周辺から切り取られたものばかりです。このような意味で、ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ぶよりは、むしろ 「ブラジルのクープラン」と呼んでこそふさわしいかも知れません。 およそ300曲のピアノ小品において、ナザレーはみごとに、大衆的なブラジル舞曲のエッセンスを捕まえています。 ナザレーは、厳密には都会の聴衆のために作曲したのですが、その作品には、(ブラジルで奴隷制が廃止された1888年以降の作品でも、) アフリカ系民族音楽の豊かな影響が息づいています。ほとんどの曲に、スコット・ジョプリンが発想したようなシンコペーションが使われています。 ナザレーのピアノ曲には、ブラジルのありとあらゆるダンスが盛り込まれています。マシシ(英語版)、バトゥーキ(英語版)、 サンバ、 そして中でも重要なのがタンゴです。後に世界中を熱狂させ、席巻したタンゴが、ブラジル生まれだったというだけでなく、 実際にはナザレー自身の創り出したジャンルだったという証拠になるからです。 もしそれが間違いだったとしても、「ブラジル風タンゴ」の発展のほとんどにナザレーがかかわっていて、このジャンルに優に100曲を残しています。 最も有名な作品に、『ブレジェイロ(ろくでなし)"Brejeiro"』『アメノ・ヘゼダ"Ameno Reseda"』『バンビーノ(赤ん坊)"Bambino"』 『トラベッス(腕白坊主)"Travesso"』『フォン・フォン"Fon-Fon"』『テネブローズ(暗闇)"Tenebroso"』があります。 ナザレーが初めて「ショーロ」と呼んだ作品のうち、『アパニェイチ・カヴァキーニョ(頑張れカバキーニョ)"Apanhei-te Cavaquinho"』は、 さまざまな楽器アンサンブルによって演奏できる、古典的名作です。 晩年になって完全に聴覚を失うと、創作活動にも支障をきたしましたが、それでもブラジル国内ではなかなかナザレー人気は衰えませんでした。 ゴットシャルクやジョプリンを評価する人たちなら、ナザレーの残した魅力的な宝石たちをきっとたちまち気に入るに違いありません。 作曲者の死後から半世紀を経た近年になって、ナザレー作品を集めたアルバム制作が世界的にも相次いでいて、最近では伝記や、 作曲者に関するCD-ROMも発表されています。ナザレーは、クラシックとポピュラー音楽にまたがって活動したことから、ナザレーのピアノ曲は、 クラシックの学び手にも、ポピュラー音楽の学び手にも、有用な教材とされつつあります。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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木管五重奏「美しきロスマリン」クライスラー 楽譜
¥1,750
木管五重奏「美しきロスマリン」クライスラー Schon Rosmarin Fritz Kreisler 編成はFl.、Ob.、Cl.2本、Bsn.です。 サックス五重奏版、金管五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。 20世紀初頭の美しい名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/WRP7zEg_p8Q Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 『美しきロスマリン Schon Rosmarin』は、オーストリア出身の音楽家フリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler/1875-1962)による ヴァイオリンとピアノのための小作品です。ヴァイオリンだけでなく、フルートやチェロ、クラリネットなどでも演奏されています。 「ロスマリン」とは、ハーブとして有名なローズマリー(rosemary)のことです。属名Rosmarinus(ロスマリヌス)は 「海のしずく」を意味します。 イングランド民謡『スカボローフェア Scarborough Fair』でも、パセリやセージと並んで、歌詞にローズマリーが登場します。 ハーブとしても用いられる植物の名前ですが古代ヨーロッパでは神秘的な力を持つと言われ、「貞操」「変わらぬ愛」の象徴と されていることから女性の名前としても使われることが多いようです。 爽やかな強い香りがあり、丈夫で育てやすく、 古代ギリシャ時代から、ローズマリーは悪魔から守られる神秘的な力をもつとされていました。 葬儀の際には棺の上に小枝をのせたり、花嫁の冠に編み込んだりしたのです。 葬儀にローズマリーを利用する習慣は、やがてヨーロッパ各地に定着して行きました。 薬草として強壮剤や収れん剤などに利用されたりしたようです。 強力な抗酸化成分であるロスマリン酸が発見された事により、若返りのハーブとしての古くからの評判が再認識されています。 クライスラー『美しきロスマリン』においては、ロスマリンは花の名前というよりも、むしろ美しい女性、 愛らしい女性の象徴として用いられています。 曲調もその名の通りとても可愛らしく、ちょっとおてんばな感じがするところはとてもチャーミングな一曲です。 小刻みなヴァイオリンがワルツのリズムを踏むように軽やかなメロディで始ります。 とても喜んではしゃいでいるような軽やかなメロディはとても新鮮で華麗に流れてきます。 中盤ではリズムがややなだらかになり、少ししっとりとした雰囲気を聴かせてくれますが、後半はまた明るく美しいメロディに 戻り軽快なステップを踏むように華麗な曲を聴かせてくれます。 演奏時間は2分足らずと、とても短い曲ですが、短い時間の中にあふれんばかりの笑顔をふりまいてくれるような、楽しい曲です。 クライスラーの有名な作品といえば、この『美しきロスマリン』以外にも、同じくヴァイオリンとピアノのための楽曲である 『愛の喜び』、『愛の悲しみ』が広く知られています。 クライスラーは、これら3曲を自身のコンサートでのアンコール曲として頻繁に演奏していたほか、1911年に3曲をピアノソロに 編曲した「ウィーン古典舞曲集 Alt-Wiener Tanzweisen」を出版しています。 現代でもこの3作品はアンコール曲として演奏されるほか、3曲を一連の作品として取り上げる機会が多く見られます。 ちなみに、『愛の喜び Liebesfreud』の英語タイトルは『Love's Joy』、『愛の悲しみ Liebesleid』は『Love's Sorrow』、 そして『美しきロスマリン』は『Lovely Rosemary』(ラブリー・ローズマリー)と言います。 これら3曲で「ラブ・ラブ・ラブ」の愛の三部作として輝きを放ち続けています。 英国ロイヤル・アカデミー・オブ・ダンス(RAD) から発売されているバレエ・レッスン用ピアノ曲集には、 バレエにおける基本的な回転動作「ピルエット」用の曲として、この『美しきロスマリン』が収録されています。 彼は7歳で特例でウィーン音楽院に入学し、10歳にして首席で卒業、その後パリ国立高等音楽院に留学し、 12歳にして首席で卒業と言う神童ぶりを発揮しました。その翌年の1888年からヴァイオリニストとしてのキャリアを スタートさせ、20世紀前半を代表するヴァイオリニストとして名を馳せています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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金管五重奏 シュペールのソナタ・ニ短調 楽譜
¥1,700
金管五重奏 シュペールのソナタ・ニ短調 Sonata in d moll Daniel Speer 編成はトランペット2本、ホルン、トロンボーンまたはユーフォニアム、 チューバです。 ホルンはトロンボーンまたはユーフォニアムに変更可能でパート譜は同梱しています。 チューバはトロンボーンまたはユーフォニアムに変更可能です。 サックス五重奏版は発売中です。 バロック期の壮麗な響きをコンサートのオープニング・ピースに、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/Opu9To_Gwjg Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html ダニエル・シュペール - Daniel Speer Georg Daniel Speer(1636年7月2日-1707年10月5日)は、ドイツの作曲家であり、バロックの作家です。 シュペールはブレスラウ(現在はポーランドのヴロツワフ)で生まれ、ドイツのゲッピンゲンで亡くなりました。 ダニエル・シュペールは17世紀末に南ドイツ地方で活躍していました。 音楽理論家としても教科書や理論書を出版しています。「四声ソナタ」のほか、三重奏の「二つのソナタ」も トロンボーン奏者にはお馴染みの曲です。曲は単純なつくりですが、ハーモニーや細かいパッセージに高い技術が要求されます。 バロック時代の美しい響きをお楽しみ下さい。 1687年に彼はミドルバロック音楽を理解するのに役立つと考えられている音楽に関する論文を発表しました。 彼の音楽への執筆は、1世紀以上にわたってドイツのバロックトロンボーン作品に影響を与えました。 作曲家として、例えばSpeerはトロンボーンのための音楽を発表しました。キーボードの小品も残っています。 彼は金管五重奏のためのDie Bankelsangerliederのソナタ第29番で最もよく知られているかもしれません。 この曲は、結婚式やフォーマルな機会によく演奏されます。 彼のトロンボーンソナタはすべて、同じ基本的な楽器(2つまたは3つのコルネート、3つまたは4つのトロンボーン、および通奏低音)を 使用して書かれています。 これらのソナタでは、トロンボーンが主要な主題またはテーマを演奏し、コルネットが対旋律を提供し、通奏低音が調和して演奏されます。 メロディーラインは、異なる範囲の4つのトロンボーンすべての間で演奏されます。 通常、アルトトロンボーンはテーマの最初のテーマを演奏し、次にテーマは2番目のアルト/テナートロンボーンに移動し、 テナートロンボーンが引き継ぎ、最後にバストロンボーンまたはコントラバストロンボーンがテーマの最後のイテレーションを演奏します。 そして、4つのトロンボーンは、トニックコードで一致または調和して終了します。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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クラリネット五重奏+ ワシントン・ポスト (行進曲)楽譜
¥2,100
クラリネット五重奏+ ワシントン・ポスト (行進曲) The Washington Post 作曲者 ジョン・フィリップ・スーザ J.P.Sousa 編成はCl.4本、Bs,Cl.およびDrum Setです。 木管五重奏、サックス五重奏版、金管五重奏版は発売中です。 マーチ王と讃えられるスーザの音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/nt-D_rBuDpw Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 『ワシントン・ポスト』(英語: The Washington Post)は、1889年にジョン・フィリップ・スーザによって作曲されたアメリカ合衆国の 愛国的な行進曲です。アメリカをはじめ多くの国で、スーザの最も有名な行進曲の1つとして親しまれています。 1889年、アメリカの新聞『ワシントン・ポスト』のオーナーが、紙上で行われた作文コンテストの表彰式で使う行進曲の作曲を 当時アメリカ海兵隊楽団長であったスーザに依頼しました。 スーザはその依頼に応え作曲し、同年6月15日の表彰式において、新聞名と同じタイトルのこの行進曲を初演しました。 この行進曲は、かつては平凡な新聞であったワシントン・ポスト紙に名声と注目をもたらしました。 この出来事から、あるイギリス人のジャーナリストはスーザのことを「マーチ王」と呼びました。スーザはワシントンD.C.にある ワシントン・ポスト・ビルの一角において、ワシントン・ポスト紙とアメリカ合衆国への貢献が称えられています。 この曲の楽式は行進曲形式で構成されており(IAABBCCDCDC:ABCDIは旋律を表します)、同じスーザの代表曲である『星条旗よ永遠なれ』と同じく 中間部(トリオ)から主部に戻らない形をとっています。拍子は8分の6拍子で書かれています。第1旋律は有名で多くの人に知られていて、 荘厳で堂々としたテンポ(110-120BPM)で演奏されます。トリオでは、唐突な6つの8分音符が旋律を先へ進めていきます。 一風変わった落ち着いた移行部は、トリオ部の旋律のシンプルな変形となっています。それに続く一回目のトリオの繰り返しから、 金管楽器の低音による対旋律(オブリガート)が始まります。 作曲当時『ワシントン・ポスト』はツー・ステップというダンスのための音楽として流行しました。 ワシントン・ポストは最も演奏されたスーザの作品の1つです。コンサートやマーチングバンドなどで区別無く広く演奏され、 また重要な曲として研究されています。曲のタイトルは"The Washington Post"、"Washington Post March"、また単純に"Washington Post"などと 様々な表記がされることがあります。しかし、元の楽譜では2つの線の上に The Washington Post. March. のように書かれ、それぞれにピリオドが付けられていました。またスーザの下の手書き楽譜は同様の形式になっていました。 そして楽譜の表紙にも中央部に新聞の表紙の切り抜きを貼り付けた形で"The Washington Post"と配置され、 下部に"March By John Philip Sousa."と書かれていました。以上のことはスーザと出版者がタイトルは"The Washington Post"で、 "March"は行進曲であることの説明だと考えていたようです。 この行進曲は1978年に大ヒットした映画『アニマル・ハウス』(National Lampoon's Animal House)にも取りあげられました。 演奏時間は約2分半。 J.P.Sousa 彼はワシントンD.C.で生まれ、13歳のときにワシントン海兵隊楽団に入団。5年間在籍した後、各地のオーケストラやブラスバンドで演奏活動を続ける中で 創作活動を行いました。オペレッタの分野でも多くの作品を残していますが、有名なのはやはり行進曲です。彼の曲は、アメリカを象徴する音楽であると同時に 世界中で演奏されていて、今でも行進曲といえば、真っ先にスーザの名前が上がるほど、彼の功績は偉大です。 作品には、『ワシントン・ポスト』『士官候補生』『雷神』など広く知られた行進曲がたくさんありますが、何といっても彼の名を不滅にしたのは、 1896年に作曲された『星条旗よ永遠なれ(Stars and Stripes Forever)』でしょう。この曲は「アメリカ合衆国第二の国歌」とも呼ばれています。 合衆国第21代大統領チェスター・A・アーサーの依頼により作曲されたこの曲は、誇り高く勇壮で、時に「男の哀愁」をも感じさせる主部のテーマ、 ドラムマーチに導かれてトランペットが奏でる晴れやかな中間部など、いかにも整然と行進する兵隊の姿が目に浮かぶようで、行進曲の魅力を すべて兼ね備えた名曲です。この曲は、アメリカ海兵隊の公式行進曲に制定されています。 スーザは、77年の生涯に100曲を超える行進曲を残していて、まだまだ隠れた名曲とも呼べる素晴らしい曲がたくさんあります。 なお、マーチングバンドでよく見かける、演奏者の身体に巻き付いた大きなアサガオのような金管楽器「スーザフォン」は、彼が考案したことにちなんで 名付けられています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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サックス四重奏 モテット より「ロクス・イステ」
¥1,400
サックス四重奏 モテット より「ロクス・イステ」 ブルックナー作曲 Locus iste of Motteten by Anton Bruckner (1824-1896) 編成はソプラノ、アルト、テナー、バリトンです。 木管四重奏、クラリネット四重奏版、金管四重奏版は発売中です。 穏やかな流れの中に立体的な奥行きと、響きの清潔感を感じる音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/wi8zB6cYXsA Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html Locus iste(この場所は神によって造られた) 作曲:Anton Bruckner(アントン・ブルックナー)(1824~1896) この曲は1869年にオーストリアの作曲家、ブルックナーによって作曲された聖堂献堂式のための昇階唱です。 歌詞: Locus iste a Deo factus est inaestimabile sacramentum irreprehensibilis est. 邦訳: この場所は神によって造られた。それは何とはかり知れぬ秘跡 であることか。そこには何の欠点もない。 Anton Bruckner ブルックナー 編成は四部のコーラス(SATB)です。 最近はシンフォニーでよく知られるようになったブルックナーですが、やはり真髄はアカペラの教会音楽にあります。 モテットのなかでは、Ave Maria、Os justi、Chiristus factus est、Virga Jesse、Vexilla regisなどと並んでよく演奏される曲のひとつです。 Bruckner がオーストリア郊外、リンツの教会 (Votifkapelle) の新しい聖堂の献堂式の為に作曲しました。 簡素で慎ましい曲ですが、ハーモニーの豊かな響き合いの中に胸を打つ瞬間があります。特に神の奇跡は 「非の打ちどころ ( 間違いが ) ない」“irreprehensibilis“ という言葉に付けられた、半音階的ハーモニーの推移は見事です。 無意識の内に潜んでいた形の無いものが次第に浮かび上がり、やがて調和したハーモニーに到達した時に、その言葉 (irreprehensibilis) が 輪郭を表します。全体を通じて穏やかな流れの中に立体的な奥行きと、響きの清潔感を感じることができます。 ヨーゼフ・アントン・ブルックナー(Joseph Anton Bruckner, 1824年9月4日 - 1896年10月11日) は、オーストリアの作曲家、オルガニストです。 交響曲と宗教音楽の大家として知られています。 リンツ近くのアンスフェルデンに学校教師の長男として生まれ、村の教会のオルガン奏者を兼ねる父のもとで早くから音楽に親しみました。 13歳で父を失ったのち近くのザンクト・フロリアン修道院の寄宿舎に入り、少年聖歌隊員としてオルガンやピアノ、バイオリンを学びました。 師範学校を経て1841年に助教師となりましたが作曲にも手を染め、ザンクト・フロリアン修道院のオルガン奏者、1856年にはリンツ大聖堂の オルガン奏者に就任しました。以後作曲の勉強に本格的にとりくみ,R.ワーグナーの音楽に傾倒しました。 1864年?1868年、《ミサ曲第1番ニ短調》にはじまる〈三大ミサ曲〉を完成しました。1868年ウィーン音楽院教授に就任し、 1873年からはワーグナーと親交を深めました。また1875年にはウィーン大学講師となり、学生だったマーラーと交流しました。 《交響曲第4番ロマンティック》(1881年初演)以来ようやく高まり始めた作曲家としての名声は60歳の年、 1884年のニキシュによる《交響曲第7番》初演の大成功で頂点を迎え、生涯初の栄光をブルックナーにもたらしました。 1891年ウィーン大学名誉博士の称号を得ました。《交響曲第9番》を未完のまま72歳で永眠。その音楽の基盤には敬虔(けいけん)なカトリック信仰が あり、教会オルガン奏者として精通した多声音楽の伝統とベートーベン以来のドイツ、オーストリア音楽の諸様式とが融合し、 独自の書法を形づくっています。第0番と習作1曲を含む11曲の交響曲(1863年―1896年)のほか、《テ・デウム》(1884年)、 《詩篇第150番》(1892年)など多くの教会音楽、《弦楽五重奏曲》(1879年)などがあります。 ブルックナーには独自の技法や表現があり、それらはブルックナーの名前を付けて呼ばれています。 有名なものでは「ブルックナー開始」があげられますが、これは第1楽章の始まりを弦楽器のトレモロという音を小刻みに演奏する技法で始めるものです。 他には「ブルックナー休止」「ブルックナー・ゼクエンツ」「ブルックナー・ユニゾン」「ブルックナー・リズム」などがあります。 ●ブルックナー開始 第1楽章が弦楽器のトレモロで始まる手法であり、交響曲第2、4、7、8、9番に見られます。ベートーヴェンの『交響曲第9番』に影響を受けています。 ●ブルックナー休止 楽想が変化するときに、管弦楽全体を休止(ゲネラル・パウゼ)させる手法です。 ●ブルックナー・ユニゾン オーケストラ全体によるユニゾン。ゼクエンツと共に用いられて効果を上げます。 ●ブルックナー・リズム (2+3) によるリズム。第4、6番で特徴的である。(3+2) になることもあります。初期の稿では5連符として書かれていたものが、改訂稿では ブルックナー・リズムに替えられている例も見られます。 ●ブルックナー・ゼクエンツ ひとつの音型を繰り返しながら、音楽を盛り上げていく手法。いたるところに見られます。 ●コーダと終止 コーダの前は管弦楽が休止、主要部から独立し、新たに主要動機などを徹底的に展開して頂点まで盛り上げます。 ●和声 ブルックナーの和声法で、響きが濁るので従来多くの作曲家が避けた技法。例えば根音Gとした場合、根音Gに対して、 属9の和音以上に現れる9の音のA♭が半音違いで鳴ること、属11の和音においてBとCが半音違いで鳴ることや、13の和音においてDとE♭が半音違いで鳴ること。 もう一つは対位法の場面で現れ、対旋律や模倣が半音違いで鳴ること。従って和声学上の対斜とは意味が異なりますが、バルトークの ブルーノート風の半音のぶつかりも「対斜」とされているので、ここでは「ブルックナー対斜」と読んでも差し支えありません。 またワーグナーのトリスタン和音がそのまま使われていることがあります。和音の音色を明確にするため同一楽器に当てている例が多く見られます。 和音の機能をはっきりさせるために同楽器の密集配置がほとんどで、これが後期ロマン派の香りを引き立たせる大きな要因となっています。 彼は幼い頃から音楽の才能を発揮していたブルックナーは、10歳くらいの年齢になった際に、オルガン奏者だった父親の代わりに オルガンの演奏を教会で行うことがあったそうです。そして11歳の年には、名付け親でありオルガニストだった人物の元で音楽の教育を 受けることとなりますが、その後父親が亡くなると、すぐに修道院の聖歌隊に入ることになりました。 その後16歳で小学校の補助教員免許を取ると、翌年には補助教員として働き始めますが、そこでは授業以外の雑用や畑仕事なども行う必要がありました。 しばらくして別の場所へと転勤になりますが、移った先はブルックナーにとって良い環境だったらしく、初期の合唱曲が生み出されることとなります。 1855年には、リンツ大聖堂のオルガニストの試験でその席を勝ち取ることとなり、大きな収入を得ていくようになったようです。 しかし同年、ブルックナーは再び作曲の勉強をしたいと考え、6年間に渡ってジーモン・ゼヒターに師事しました。 1868年には、師事していたゼヒターの後にウィーン国立音楽院教授となると、しばらくの間はリンツ大聖堂の仕事と掛け持ちしている状態だったそうです。 作曲を行いながらオルガニストの仕事も継続していたブルックナーは、この時期オルガニストとしてとても高く評価されていました。 ちなみにこのころに作曲されたのが、初期の交響曲である「第1番」「第2番」、そして「第0番」と呼ばれる作品です。 1873年、バイロイトでワーグナーとの交流の機会を得たブルックナーは、自身の「交響曲第3番」を献呈しました。このことは、ワーグナーには 良い印象を与えましたが、当時の反ワーグナー派からは批判を受けることとなったようです。 そして1876年、バイロイト音楽祭を訪れたブルックナーは、作曲してきた交響曲を大幅に改訂することにしました。この時に大幅改訂されたのが、 「交響曲第1番」から「第5番」だったようです。 その後1877年に行われた「第3番」の初演は失敗に終わりますが、次の「第4番」が好評となったためブルックナーは交響曲の作曲家としても 知られるようになります。そして、宗教曲の中の代表作である「テ・デウム」や、「交響曲第7番」などが作曲され、さらに有名になっていきました。 1884年ころから「交響曲第8番」に取り掛かると1887年には初稿が完成しましたが、大幅な改訂を必要としたため現在よく知られている 第2稿が完成したのは1890年でした。 この作品は、ブルックナーの作品の中でも代表作と言える交響曲で、当時のオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に献呈されています。 また、この「第8番」の改訂の際には、他のいくつかの交響曲も改訂が行われました。 数階建ての建物に住んでいたブルックナーでしたが、体を悪くすると、階段の往復が辛くなっていきました。 それを知ったフランツ・ヨーゼフ1世は、ブルックナーを宮殿敷地内の建物に住まわせることにしたようです。 また、ブルックナーは亡くなる当日まで「交響曲第9番」の作曲を行っていましたが、完成には至らないままとなってしまいました。 当時の音楽界は、ブルックナーが「交響曲第3番」を献呈したワーグナー派と、ドイツ三大Bの内の1人であるブラームス派に分かれていました。 そのためワーグナー派とされていたブルックナーと、ブラームスの仲は良いものではなかったようです。 しかし、「交響曲第8番」に関してはブラームスも評価をしていました。そして、ブルックナーの葬儀の際は遠くから見ていたり、 泣いていたりといった様子が確認されたと言われています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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木管四重奏「失われた幸福」メンデルスゾーン 楽譜
¥1,400
木管四重奏「失われた幸福」メンデルスゾーン メンデルスゾーン :無言歌集 第3巻 Op.38から第2曲 Mendelssohn, Felix:Lieder ohne Worte Heft 3 Op.38-2 編成はFl.、Ob.、Cl.、Bsn.です。Fl.パートはOb.で演奏可能です。 サックス四重奏、クラリネット四重奏版、金管四重奏版は発売中です。 メランコリックなノスタルジーを感じさせてくれる音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/-Nb_eHY9oXE Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html この曲は1837年にメンデルスゾーンによって作曲されました。 低音と旋律の間の和音構成音がシンコペーションによる、あと打ちのリズムで装飾する形をとっています。 少し悲しげで、幸せだった過去を振り返るようで、どこかノスタルジックな雰囲気の漂う曲調です。 アレグロ・ノントロッポの指示があるように、停滞感が出てしまわないように注意して演奏したいものです。 ワーグナーが「第一級の風景画家」と言われたように、メンデルスゾーンは情景描写や標題音楽の作曲において才能を発揮しています。 この“言葉のない歌曲”「無言歌」という形でメンデルスゾーンは心象風景や感情描写までも、表現しました。 歌曲風の旋律をもった器楽曲であるため、旋律線をはっきりと浮き立たせ、抒情的に演奏すると良い演奏になります。 メンデルスゾーンが活躍したこの時期、ブルジョアジーの家庭を中心に、ピアノが教養として普及しました。 そのため、家庭で気楽に弾ける作品が多く作られましたが、この《無言歌集》もその一つです。 《無言歌集》は各6曲ずつの計8集からなり、生前に出版されたのは、第6集までです。第7集は、1851年、第8集は1867年に出版されました。 1832年、第1集を出版したときには、メンデルスゾーンは、《ピアノのためのメロディー》と記していて、《無言歌集》の名称を もつようになったのは1835年に第2集を出版してからのことでした。 標題をもっているものが多いのですが、作曲者自身によってつけられたものはわずかです。実際、メンデルスゾーンは標題をつけることによって、 音楽的な想像力が限定されることを嫌っていたようです。 第3巻は次のようになっています。 1.変ホ長調「夕べの星」 / op.38-1 (1837) 2.ハ短調「失われた幸福」 / op.38-2 (1837) 低音と旋律の間の和音構成音がシンコペーションによる、あと打ちのリズムで装飾する形をとっています。 少し悲しげで、幸せだった過去を振り返るようで、どこかノスタルジックな雰囲気の漂う曲調です。 アレグロ・ノントロッポの指示があるように、停滞感が出てしまわないように注意して演奏したいものです。 3.ホ長調「詩人の竪琴」 / op.38-3 (1837) 4.イ長調「希望」 / op.38-4 (1837) 5.イ短調「情熱」 / op.38-5 (1837) 第2曲と同様、シンコペーションによる、あと打ちのリズムを利用した楽曲構成になっています。情熱というよりは、 焦燥感や不安をかきたてられるような印象の作品です。 6.変イ長調「デュエット」 / op.38-6 (1836) 6曲中唯一、メンデルスゾーン自身によって命名された作品です。テンポはゆっくりめですが、動きはゆるやかではありません。 「常に両声部をくっきりと際立たせなければならない」と記されていて、装飾声部を均質に演奏しながら、2つの主要な旋律を はっきりとうきたたせることが大切です。やや技巧的な曲です。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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Solo+金管五重奏 ザ・ロスト・コード(失われた琴線)楽譜
¥1,800
Solo+金管五重奏 ザ・ロスト・コード(失われた琴線) The Lost Chord Arthur Sullivan 編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、TubaおよびSoloパートです。 同梱のSoloパート楽譜はin F版(Hn.)、 in C版(Ob.、Mallet Perc.など)、 in C-Fl.版(Fl.、Pic.)、 in C低音版(Eup.、Bsn.、Tbn,、St.Bs.など)、 in C低音Tuba版、 in B版(Tp.、Cl.、Bs.Cl.、Sop.Sax.、T.Sax.など)、 in Es版(Es Cl.、A.Sax.、B.Sax.など)が含まれています。 多くの楽器がSoloを担当し、伴奏は下の編成も含め4種類から選ぶことができます。 クラリネット五重奏版、サックス五重奏版、木管五重奏版は発売中です。 イギリスのロマン派を味わえる名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/pxxldaL03kE Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html この曲は19世紀イギリスの作曲家、アーサー・サリバンによるコラール曲です。 邦題では「失われた琴線」「失われた和音」などとして広く知られています。 作曲者のサリバンは讃美歌や歌曲の他にもウィリアム・S・ギルバート(劇作家・作詞家、William S. Gilbert, 1836年 - 1911年)と 組んでオペラを創った事で知られています。 このサリバンとギルバートのコンビは、イギリス出身の世界的シンガーソングライター、ギルバート・オサリバンの名前の由来にもなっています。 サヴォイオペラで「ミカド」や「軍艦ピナフォー」「近衛兵」などの傑作を作曲したアーサー・サリヴァンはイギリス音楽で多くの美しいメロディーを書きました。 ヴィクトリア~エドワード朝の大英帝国が最も光り輝いた時代を音にし、ユーモア溢れる喜劇の舞台でも気品を忘れない彼の音楽は、 美しさの中にほのかな翳りを漂わせている点で、人気の高いエドワード・エルガーと通じるところがあります。 この歌曲「Lost Chord」は比較的知られている作品です。 この詩は作曲者が兄のためのレクイエムとして書いた作品で、オルガンの荘厳な響きと共に聴くと、大変厳粛な気持ちになります。 レクイエムといっても悲しいメロディではなく、明るくも荘重な、そしてオルガンのまさに「Lost Chord」ともいうべき偉大な和音が印象的です。 特に素晴らしい盛り上がりが最後を飾ります。哀愁を帯びた美しい和声と旋律を味わえる作品です。 アーサー・シーモア・サリヴァン(Sir Arthur Seymour Sullivan, 1842年5月13日 - 1900年11月22日)は、 ロンドンで生れました。父親は軍楽隊の隊長をしていて、アーサーは8歳になる頃には父のバンドで使う楽器を器用に操るようになっていました。 ベイスウォーター (Bayswater) の私立学校に行った後、王室礼拝堂の合唱隊への加入を認められ、チェイニー・ウォーク (Cheyne Walk) にある その合唱隊の学校に通うようになりました。その頃、彼は賛美歌や歌を作曲し始めています。 1856年、サリヴァンは最初のメンデルスゾーン賞を授与され、王立音楽アカデミーに学生として2年間在籍します。 1858年(16歳)に、サリヴァンはライプツィヒへ旅行し、そこで勉学を継続し指揮法を学びました。彼はこの期間に著しい音楽的な成長を遂げたのです。 1862年にロンドンに帰り、クリスタル・パレスで演じられたシェイクスピアの「テンペスト」の付随音楽が誕生しています。 サリヴァンは次第に、英国最高の作曲家として評価されるようになっていきました。1866年に「交響曲ホ長調(アイリッシュ)」の演奏会が開かれました。 この当時の作品には、「イン・メモリアム (In Memoriam)の序曲」と「チェロ協奏曲」(1866年)、 オラトリオ「放蕩息子 (The Prodigal Son)」(1869年)、「失われた琴線 (The Lost Chord)」(1877年)等があります。 歌詞 Seated one day at the organ, I was weary and ill at ease, And my fingers wandered idly Over the noisy keys. I know not what I was playing, Or what I was dreaming then; But I struck one chord of music, Like the sound of a great Amen. It flooded the crimson twilight, Like the close of an angel's psalm, And it lay on my fevered spirit With a touch of infinite calm. It quieted pain and sorrow, Like love overcoming strife; It seemed the harmonious echo From our discordant life. It linked all perplexed meanings Into one perfect peace, And trembled away into silence As if it were loth to cease. I have sought, but I seek it vainly, That one lost chord divine, Which came from the soul of the organ, And entered into mine. It may be that death's bright angel Will speak in that chord again, It may be that only in Heav'n I shall hear that grand Amen. 日本語意訳 ある日オルガンの前に腰掛け 私は落ち着かない気持ちのまま 何を考えるでもなく 私は鍵盤を叩いていた 何を弾いていたのか思い出せないし 何を夢想していたのかも覚えていない しかし、ひとつの和音だけは鳴り続けた 偉大なアーメンの響きのように その調べは深紅の夕暮れの中 天使たちの歌う詩編の余韻のように満ち溢れ 限りない安らぎの感触で 私の昂ぶる心を静めてくれた すると痛みや悲しみは消え去った 愛が憎しみに打ち勝つように それは不協和音に満ちた私たちの人生が 妙なる調和へとこだまするようだった すべての混乱は結び付けられ ひとつの完全な安息となった そして震えながら和音は静寂の中へと消えた 消え行くことを惜しむかのように それから私はむなしく探しつづけてきた オルガンの精髄より沸き上がり 私の中へと入り込んだ あの神々しい一つの和音を 死を司る天使のみが その和音を再び鳴らすことができるのだろう 再び私がその偉大なアーメンの響きを聴けるのは 天に召されたその時なのだろう アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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クラリネット五重奏 シューベルト:軍隊行進曲 第3番 楽譜
¥2,500
クラリネット五重奏 シューベルト:軍隊行進曲 第3番 3 Marches militaires Schubert, Franz 編成はCl.4本、Bs.Cl.です。 木管五重奏、サックス五重奏版、金管五重奏版は発売中です。 明るい力強さの中に軽やかさを備えた楽しい音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/hv7yJc41F-4 Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html フランツ・ペーター・シューベルト(Franz Peter Schubert/1797年?1828年)の『軍隊行進曲』は、ピアノ連弾のための曲集で 彼のピアノ作品の中でも有名なものです。 特に第1番は広く知られており、管弦楽用やピアノ独奏用にも編曲され親しまれています。 作曲年は諸説ありますが、1818年が有力だと現在ではされています。 作曲されたとされる1818年頃、シューベルトは貧しい生活を送っていました。 1816年に教師の職を辞めたことで、安定して稼げる仕事がなくなったためです。 しかし仕事を辞めてからは音楽を愛する仲間たちと出会い、彼らに助けられて貧しいながらも充実した時間を過ごしていました。 また1818年は作曲した作品数自体は少ないものの、シューベルトが自らの作品のためのコンサートを初めておこなった年でした。 さらには同年夏(1818年)、シューベルトはエステルハージ伯爵一家の音楽教師としてハンガリーのツェリスにも招かれます。 エステルハージ伯爵家には2人の娘がいましたので、そのために連弾曲が書かれたと推測もされています。 シューベルトはこの地でとても楽しい夏を過ごしたと言われています。 その影響もあるのか、『軍隊行進曲』は3曲とも明るく活発な音楽が印象的です。 この年は、シューベルトにとって明るい道筋が少しずつ開けるような年だったようです。 軍隊行進曲 シューベルト シューベルト(Franz Peter Schubert/1797?1828) 『軍隊行進曲』は、シューベルトがピアノ連弾のために作曲した曲集『3つの軍隊行進曲 Trois Marches Militaires』 D733 作品51。 作曲された年については諸説あり、一説によれば、シューベルトがエステルハージ伯爵家の娘の教師を務めていた頃と説明されることがあります。 この作品の第1番は、現在シューベルトの作品の中でもっともポピュラーなピアノ曲のひとつとして、独奏されることが多いのですが、 もとはピアノ連弾曲で、シューベルトがジェリズに赴任していた1818年に作曲されました。 この年はエステルハージ伯爵家のふたりの娘にピアノを教授するため、多くの連弾曲が生み出されています。 この行進曲は3曲とも、明るい力強さの中に軽やかさを備えた楽しい連弾曲です。 この作品のもとはピアノ連弾曲です。シューベルトがジェリズに赴任していた1818年に作曲されました。 この年はエステルハージ伯爵家のふたりの娘にピアノを教授するため、多くの連弾曲が生み出されています。 この行進曲は3曲とも、明るい力強さの中に軽やかさを備えた楽しい連弾曲であり、エステルハージ家での楽しいピアノ・レッスンの風景を想像させます。 第1番は特に有名で、広く演奏されています。オーケストラ編曲やタウジッヒによるピアノ独奏編曲があります。 他の多くのシューベルトの連弾作品が家庭的な楽しみのために書かれたようにこの作品も書かれたのでしょう。 第1番 ニ長調 4分の2拍子 Allegro vivace 下属調のトリオをはさむ三部形式 でできています。 ファンファーレ風に始まる軽快な行進曲 となっています。 トリオはト長調で 優しい感じの歌謡風な旋律です。 第2番 ト長調 4分の4拍子 Allegro molto moderato 1番同様下属調のトリオをはさむ三部形式でできています。 第3番 変ホ長調 4分の4拍子 Moderato ファンファーレのような短い序奏で始まります。 最初の主題は付点音符のリズムによるとてもリズミックな旋律です。 トリオはやはり下属調の変イ長調です。トリルの入ったアウフタクトで始まる優美な旋律です。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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サックス五重奏と打楽器のためのスザート・ダンスリー組曲 Vol.1 楽譜
¥2,700
サックス五重奏と打楽器のためのスザート・ダンスリー組曲 Vol.1 Danserye Danses Vol.1 Tielman Susato 編成はソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンに加えて打楽器2名です。 管楽器1パート2名ずつ+打楽器2名で演奏すれば 場面ごとに音量変化がつけられて効果的でしょう。 その場合は12名で演奏することになります。 繰り返しの際は装飾音などで様々なバリエーションを楽しみましょう。 クラリネット五重奏版、木管五重奏版、金管五重奏版は発売中です。 スザート・ダンスリー組曲 Vol.2も発売中です。 中世・ルネッサンス音楽のシンプルで楽しげなメロディーを、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/V6JyMUqesDU アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html ティールマン・スザート(Tielman Susato 1500年頃 - 1562年頃)は、ルネサンス期の作曲家で、 アントウェルペンにおける器楽奏者、出版業者です。 スザート(1550~1562)はフランドル地方のアントワープを中心に活動した作・編曲家です。 しかし彼自身の作曲した代表作といったものはなく、むしろ活版印刷機を用いて器楽編曲と自作曲を出版した、 いわゆる楽譜出版者としての方が有名です。 彼の名を有名にしているのは、フランドル(現在のオランダ南部、ベルギー西部、フランス北部にかけての地域)において 最初の音楽出版社を設立した功績でしょう。 1551年に出版された「ダンスリー」と呼ばれる曲集は、当時のヨーロッパで親しまれていた作者不明の シャンソン、ポピュラー・ソングおよびポピュラー・ダンスなどのメロディをもとに編曲・編集し印刷出版されたものです。 なおこの曲集は、スザートが出版した唯一の舞曲集であると考えられていますが、 その素晴らしさから現在に至るまで多くの人々に親しまれ、彼の名を不動のものとしています。 今回「ダンスリー」を編曲するにあたって「原典」に近い楽譜、ショット社から1936年に出版された F.J.ギースベルト(Giesbert)校訂の楽譜を使用し、次の6曲(全11曲)をセレクトしました。 1.モリスク(モーロ風) 2.四拍子のブランル 3.ファゴット 4.ロンド II "わが友" 5.パヴァーヌ IX "戦い" 以下はVol.2に収録 6.ロンド IX 7.私の望み 8.アルマーニュ(アルマンド)VIII 9.それは大きな間違い 10.パッセ・メディオ〔パッサメッゾ〕 11.ベルジュレ・サン・ロック 打楽器が、リズムをくり返しますが省略可能です。 当時、太鼓とタンバリンはとても重要な楽器とされていました。楽譜上で書かれていない部分でも、 複数の楽器を組み合わせて演奏するのも良いでしょう。 全38曲からなるこの曲集は、ありとあらゆる古楽器を駆使して描かれた舞曲によって構成されています。 次のような映画にスザートの楽曲が使われました。 娼婦ベロニカ(マーシャル・ハーコヴィッツ1998) インポスターズ(スタンリー・トゥッチ1998) エリザベス(シェーカル・カプール1998) エリザベス ゴールデン・エイジ(シェカール・カプール2007) 絵の中のぼくの村(東陽一1996) 暗殺(チェ・ドンフン2015) 楽隊のうさぎ(鈴木卓爾2013) 16世紀、ヨーロッパ、美術、建築、文学、思想の世界では自由闊達に様々な形で花開く時代に突入しました。その豊かな文化の中で、 民衆が踊り楽しんだ音楽がこの楽譜集「ダンスリー」です。素朴で哀愁を帯びたメロディを聴きながら、ルネサンス時代を感じながら、 その時代に思いをはせて楽しめる曲集です。 これらの曲は今のオランダやフランス周辺で民衆が踊る時に使われていたものです。 当時、教会では禁止されていた「踊り」が街の中では楽譜集が出版されるほど盛んにおこなわれていたということも興味深い史実です。 その頃、日本は安土桃山時代。少しずつ西洋文化が日本にも伝わり始めた頃です。火縄銃やカステラが西洋から伝わった頃になります。 それらを想像しながら聴いてみるのも面白いでしょう。 「踊り」の音楽ですから、打楽器なども付け加えることで、より踊りやすく、聴きやすく、楽しくなっています。 このような、楽しい「ルネサンス舞曲集」なのですが、吹奏楽を経験されていた方はこれらの曲を演奏したことがあるかも知れません。 「スザートのルネサンス舞曲」というタイトルで、金管五重奏曲として幅広く演奏されています。 世界のブラスのトップ・プレーヤーたちの名演もたくさんCDとして出ていて、 吹奏楽コンクールのアンサンブル部門では定番の曲になっています。 小学校、中学校で学んだリコーダーアンサンブルの定番楽曲でもあります。 ルネサンス期、16世紀のヨーロッパ地方で流行していた旋律を、ダンス曲としてアレンジされた楽しい楽譜集、 スザートの『ダンスリー』はブラス・アンサンブル「ルネサンス舞曲集」でおなじみのメロディのオリジナル楽譜として、 一方では、リコーダー愛好家にとってはバイブルとなっている作品です。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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木管四重奏 ベートーヴェン メヌエット Op.20から第3楽章 楽譜
¥1,600
木管四重奏 ベートーヴェン メヌエット Op.20から第3楽章 Menuetto from Septet in E-flat major, Op.20 L. V. Beethoven 編成はFl.、Ob.、Cl.、Bsn.です。 Ob.パートはFl.でも演奏可能です。 金管四重奏版、サックス四重奏版、クラリネット四重奏版は発売中です。 若きのベートーヴェンの明るい作品を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/JZKqQkIjlmc Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html この第3楽章はトリオを伴ったメヌエットです。主部で弦楽器の奏でる旋律はピアノソナタ第20番の第2楽章からの転用しています。 トリオでは管楽器が主に活躍します。 この七重奏曲 変ホ長調 作品20 は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが作曲した、7つの楽器による室内楽曲です。 作曲者によるピアノ三重奏への編曲版も存在します(ピアノ三重奏曲第8番 変ホ長調 作品38)。 ベートーヴェン初期の傑作で、明るい旋律と堂々としたリズムをもち、作品が公開された当初から広く親しまれました。 初版が出版される前から海賊版が出回っていたとも言われています。作曲されたのは1799年から1800年にかけてで、 同時期に作曲されたものに交響曲第1番などがあります。 ベートーヴェンの作曲人生の中では古典派音楽の勉強と自らの独自性を模索する時期になります。 モーツァルトのディヴェルティメントのように、娯楽的でサロン向けの音楽として書かれていますが、旋律やリズム、構成の面などで その後のベートーヴェンらしい作品の登場を予感させる部分も随所に見られます。第5楽章のスケルツォはそのひとつです。 しかし、この作品の人気とは裏腹に当のベートーヴェンは、いつまでもこの作品がもてはやされ続けるのを拒んだと言われていて、 「あの七重奏曲のベートーヴェンさん」と形容されるたびに不快感を示したといわれています。 これはベートーヴェンにとって、この作品が大衆迎合の域を出ておらず、自分の追い求める音楽とは違っているということの意思の現れでしょう。 シュポーアやフンメルなど、古典派から初期ロマン派の作曲家にこの編成が多く、ブランやブルッフのようにロマン中期の作曲家にも同編成での作品があります。 シューベルトはこの作品に影響されて八重奏曲を書いたとされています。 ベートーヴェン生存中で最も人気のあった室内楽作品として、この弦楽器と管楽器の編成による七重奏曲「変ホ長調」作品20が挙げられます。 1799年に作曲され皇帝フランツ2世皇妃マリア・テレジアに献呈されました。 演奏時間およそ40分にも及ぶこの大作は、6楽章からなるセレナーデあるいはディヴェルティメント型の作品です。 大変な人気で、1810年ころまでに10種類以上の編曲版が出版されていました。ギター二重奏から管楽十一重奏版まで実にさまざまです。 セレナーデとディヴェルティメントは、明るい娯楽的な器楽形式のことです。 クラリネット、ホルン、ファゴット、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスという編成によるこの作品は、とても人気があったようです。 「交響曲第1番 ハ長調」が初演されたコンサートでは、この七重奏曲が当時の名手たちによって披露され、好評を博しました。 当時、多くの人を虜にした作品だったのです。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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金管五重奏 バンビーノ(赤ん坊)、タンゴ 楽譜
¥1,650
金管五重奏 バンビーノ(赤ん坊)、タンゴ Bambino, Tango エルネスト・ナザレ 編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。 木管五重奏、サックス五重奏版、クラリネット五重奏版、鍵盤打楽器とベース四重奏版は発売中です。 「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/WhOOFOvWILo Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html Bambino, Tango バンビーノ(赤ん坊)、タンゴ Bambinoとは「赤ん坊」という意味ですが、当時有名だった風刺画家で、ナザレの楽譜の表紙絵のいくつかを書いている Arthur Lucasのペンネーム "Bambino" からとられました。後にCatullo da Paixao Cearenseにより "Voce nao me da!..." という 題名で歌詞がつけられました。またLuciano Galletにより室内オーケストラ用に編曲されました。原調は変イ長調、A-B-C-A形式です。 テンポはゆったりながら、両手がシンコペーションを刻む様が気取った雰囲気を醸し出す作品です。 Bメロは右手旋律がオクターブ、左手伴奏和音は十度重音が多用され華やかな雰囲気を出しています。Cメロは変ニ長調で、 旋律はシンコペーションのリズムにのって音階をゆっくり上がったり下がったりします。それが何とも浮き浮きするような気分を 醸し出していて、ナザレの天性を感じ取ることができます。 「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を知らずしてブラジル音楽は語れません。 南国ののどかな風光と、アフリカの野性的なエネルギーと、ロマンティシズムが渾然と混じり、甘美で、ちょっぴり切ない独特の音楽が聞こえてきます。 ミニョーネはこう述べています。「私は1917年頃にEduardo Soutoの楽譜店でナザレに会ったことがある。ナザレは自作曲を決して急がず、 カンタービレで弾いていた。彼はこう言っていたよ、『私の作品はあちこちでメチャメチャに弾かれている。みんな速く弾きすぎだ。 特に "Apanhei-te, Cavaquinho" は酷いことになっている。あの曲はゆっくりと、左手はカヴァキーニョを思い浮かべてアルペジオで弾くもんだ』と。」 エルネスト・ジュリオ・ナザレー (Ernesto Julio Nazareth (またはNazare とも), 1863年3月20日 - 1934年2月4日)は、ブラジルのピアニスト・作曲家です。 一生をリオ・デ・ジャネイロで過ごしました。「ブラジル風タンゴ」やショーロなど、国内の民族音楽に影響されたピアノ曲を量産しました。 そのような作曲姿勢から、しばしば「ブラジルのショパン」と呼ばれています。ピアノ以外の音楽教育は学ばなかったため、 残された作品はサロン小品と声楽曲ばかりであり、管弦楽曲や室内楽・カンタータやオラトリオのような分野の大作はなく、作曲技法も必ずしも洗練されていません。 しかしながら、民衆音楽の影響のもとに切り開いた独自の素朴な詩境は、のちにヴィラ=ロボスから、「ブラジルの魂」と称賛されました。 中産階級ながらもあまり豊かでない下級官吏の家庭に生まれ、ショパンを愛する母親からピアノの手ほどきを受けました。 早い年齢でたぐい稀な音楽的才能が認められ、家族ぐるみで付き合いのあったアフロ=アメリカンの作曲家、 リュシアン・ランベールにも音楽の手ほどきを受けました。 1873年に母親が亡くなってからもピアノを学び、間もなく作曲も手がけるようになりました。 最初の出版作品のポルカ『ボセ・ベン・サービ"Voce Bem Sabe"』 (あなたはよく御存知)は、14歳になるまでに作曲・出版されました。 その後は、ショーロの楽士たちとたむろして、敏感で独特なリズム感を身につけました。マシシェ maxixe やルンドゥ lundu 、ショーロ choro 、 アフリカ系住民のダンスなど、さまざまな民族舞曲に影響されました。 長年ナザレーは、映画館オデオン座の待合室でピアニストとして働き、ここで最も有名な作品の一つ『オデオン』を作曲しました。 外国から数少ない音楽家がブラジルを訪問した際、オデオン座のナザレーの演奏を見学したといわれています。 1920年代初頭には、音楽ショップにピアニストとして雇われました。顧客が購入する際に持ち寄ってきた楽譜を見ながら、演奏し、 客の要望に沿うかどうかを確認して見せるのが任務でした。客の中に、ナザレー作品の楽譜を手ずから弾こうとする者がいると、止めさせて、 解釈が誤っていると苦情を言うのが常だったそうです。 ナザレーは、心底からのブラジル人音楽家であり、音楽は楽しまれるべきであるとして、それ以上を望みはしませんでした。 ほとんど独学であり、音楽活動のほとんどは、劇場や映画館の伴奏ピアニストとして、あるいは小劇場のアンサンブルでのピアニストとして、 演奏するのに振り当てられました。 そのような劇場アンサンブルの楽団員の知り合いには、後の大作曲家ヴィラ=ロボスがいて、当時はチェリストとして活動していました。 ナザレーはショーロの発展のおおもとであり、ヴィラ=ロボスは、これに基づき、後に自らの創作活動を繰り広げていったのです。 ナザレーは、ブラジルの民族音楽以外にも明らかに影響されていて、子供時代にむさぼるようにして学んだショパンの影響が中でも顕著です。 また、1869年にきら星のようにリオ・デ・ジャネイロにデビューして、瞬く間にブラジル楽壇を席巻したゴットシャルクの作風もナザレーにはお馴染みでした。 作品には、19世紀ヨーロッパのクラシック音楽の豊かな和声法がこだましながら、ナザレーの生地ブラジルの、シンコペーションをともなう 民族舞曲のリズム法に織り込まれてゆくのが認められます。そのうえ、アメリカ合衆国のラグタイムや初期のジャズの、小気味よいリズム感も健在である。これらの要素を統合して一つの有機体へとまとめ上げたことがナザレー独自の能力で、結果的には、ピアノ曲のレパートリーだけでなく、20世紀の音楽にも重要な貢献を果たしている。 ナザレーはショパンやその他のヨーロッパの作曲家から霊感を受けたように、逆に自らも、間接的とはいえ、ヨーロッパの作曲家に何かしらの影響を与えています。 フランス人作曲家のダリユス・ミヨーは、自伝の中で、ブラジル滞在中にリオ・デ・ジャネイロの映画館でナザレーがピアノを演奏する風景を回想しています。 ミヨーはその音楽のリズムにたちどころに虜となって、ブラジル音楽をきわめてやろうと決心したというのです。 その最終的な成果こそが、ミヨーのピアノ曲『ブラジルの想い出 Saudades do Brasil』でした。 ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ばれていますが、作品に副題を好んでつけた点で、ショパンとは違っています。 ショパンやフォーレよりもヨーロッパのサロン音楽の伝統に忠実だったといえます。 しかしながら19世紀から20世紀初頭まで、ヨーロッパではサロン小品にフランス語の題名をつける慣習がまだ根強く残っていたのに対して、 ナザレーは母語のポルトガル語に固執しました。 また題名によって、ドビュッシーやラヴェルのように、美術や文学からのインスピレーションをほのめかしたり、 リストのように詩的な連想を暗示することもありませんでした。 ナザレーの曲名には、しばしば第三者にとって謎めいた響きをもつものもありますが、それらは実在するスポーツチームやダンスクラブ、雑誌名など、 ナザレーの日常生活の周辺から切り取られたものばかりです。このような意味で、ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ぶよりは、むしろ 「ブラジルのクープラン」と呼んでこそふさわしいかも知れません。 およそ300曲のピアノ小品において、ナザレーはみごとに、大衆的なブラジル舞曲のエッセンスを捕まえています。 ナザレーは、厳密には都会の聴衆のために作曲したのですが、その作品には、(ブラジルで奴隷制が廃止された1888年以降の作品でも、) アフリカ系民族音楽の豊かな影響が息づいています。ほとんどの曲に、スコット・ジョプリンが発想したようなシンコペーションが使われています。 ナザレーのピアノ曲には、ブラジルのありとあらゆるダンスが盛り込まれています。マシシ(英語版)、バトゥーキ(英語版)、 サンバ、 そして中でも重要なのがタンゴです。後に世界中を熱狂させ、席巻したタンゴが、ブラジル生まれだったというだけでなく、 実際にはナザレー自身の創り出したジャンルだったという証拠になるからです。 もしそれが間違いだったとしても、「ブラジル風タンゴ」の発展のほとんどにナザレーがかかわっていて、このジャンルに優に100曲を残しています。 最も有名な作品に、『ブレジェイロ(ろくでなし)"Brejeiro"』『アメノ・ヘゼダ"Ameno Reseda"』『バンビーノ(赤ん坊)"Bambino"』 『トラベッス(腕白坊主)"Travesso"』『フォン・フォン"Fon-Fon"』『テネブローズ(暗闇)"Tenebroso"』があります。 ナザレーが初めて「ショーロ」と呼んだ作品のうち、『アパニェイチ・カヴァキーニョ(頑張れカバキーニョ)"Apanhei-te Cavaquinho"』は、 さまざまな楽器アンサンブルによって演奏できる、古典的名作です。 晩年になって完全に聴覚を失うと、創作活動にも支障をきたしましたが、それでもブラジル国内ではなかなかナザレー人気は衰えませんでした。 ゴットシャルクやジョプリンを評価する人たちなら、ナザレーの残した魅力的な宝石たちをきっとたちまち気に入るに違いありません。 作曲者の死後から半世紀を経た近年になって、ナザレー作品を集めたアルバム制作が世界的にも相次いでいて、最近では伝記や、 作曲者に関するCD-ROMも発表されています。ナザレーは、クラシックとポピュラー音楽にまたがって活動したことから、ナザレーのピアノ曲は、 クラシックの学び手にも、ポピュラー音楽の学び手にも、有用な教材とされつつあります。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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B-durクラリネット五重奏「美しきロスマリン」クライスラー
¥1,750
クラリネット五重奏「美しきロスマリン」クライスラー Schon Rosmarin Fritz Kreisler 編成はCl.4本、Bs,Cl.です。別途発売のC-dur版もございます。 C-dur版は木管五重奏版と互換性があります。 サックス五重奏版、金管五重奏版、C-durクラリネット五重奏、木管五重奏版は発売中です。 20世紀初頭の美しい名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/PDpXnpaGXPU Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 『美しきロスマリン Schon Rosmarin』は、オーストリア出身の音楽家フリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler/1875-1962)による ヴァイオリンとピアノのための小作品です。ヴァイオリンだけでなく、フルートやチェロ、クラリネットなどでも演奏されています。 「ロスマリン」とは、ハーブとして有名なローズマリー(rosemary)のことです。属名Rosmarinus(ロスマリヌス)は 「海のしずく」を意味します。 イングランド民謡『スカボローフェア Scarborough Fair』でも、パセリやセージと並んで、歌詞にローズマリーが登場します。 ハーブとしても用いられる植物の名前ですが古代ヨーロッパでは神秘的な力を持つと言われ、「貞操」「変わらぬ愛」の象徴と されていることから女性の名前としても使われることが多いようです。 爽やかな強い香りがあり、丈夫で育てやすく、 古代ギリシャ時代から、ローズマリーは悪魔から守られる神秘的な力をもつとされていました。 葬儀の際には棺の上に小枝をのせたり、花嫁の冠に編み込んだりしたのです。 葬儀にローズマリーを利用する習慣は、やがてヨーロッパ各地に定着して行きました。 薬草として強壮剤や収れん剤などに利用されたりしたようです。 強力な抗酸化成分であるロスマリン酸が発見された事により、若返りのハーブとしての古くからの評判が再認識されています。 クライスラー『美しきロスマリン』においては、ロスマリンは花の名前というよりも、むしろ美しい女性、 愛らしい女性の象徴として用いられています。 曲調もその名の通りとても可愛らしく、ちょっとおてんばな感じがするところはとてもチャーミングな一曲です。 小刻みなヴァイオリンがワルツのリズムを踏むように軽やかなメロディで始ります。 とても喜んではしゃいでいるような軽やかなメロディはとても新鮮で華麗に流れてきます。 中盤ではリズムがややなだらかになり、少ししっとりとした雰囲気を聴かせてくれますが、後半はまた明るく美しいメロディに 戻り軽快なステップを踏むように華麗な曲を聴かせてくれます。 演奏時間は2分足らずと、とても短い曲ですが、短い時間の中にあふれんばかりの笑顔をふりまいてくれるような、楽しい曲です。 クライスラーの有名な作品といえば、この『美しきロスマリン』以外にも、同じくヴァイオリンとピアノのための楽曲である 『愛の喜び』、『愛の悲しみ』が広く知られています。 クライスラーは、これら3曲を自身のコンサートでのアンコール曲として頻繁に演奏していたほか、1911年に3曲をピアノソロに 編曲した「ウィーン古典舞曲集 Alt-Wiener Tanzweisen」を出版しています。 現代でもこの3作品はアンコール曲として演奏されるほか、3曲を一連の作品として取り上げる機会が多く見られます。 ちなみに、『愛の喜び Liebesfreud』の英語タイトルは『Love's Joy』、『愛の悲しみ Liebesleid』は『Love's Sorrow』、 そして『美しきロスマリン』は『Lovely Rosemary』(ラブリー・ローズマリー)と言います。 これら3曲で「ラブ・ラブ・ラブ」の愛の三部作として輝きを放ち続けています。 英国ロイヤル・アカデミー・オブ・ダンス(RAD) から発売されているバレエ・レッスン用ピアノ曲集には、 バレエにおける基本的な回転動作「ピルエット」用の曲として、この『美しきロスマリン』が収録されています。 彼は7歳で特例でウィーン音楽院に入学し、10歳にして首席で卒業、その後パリ国立高等音楽院に留学し、 12歳にして首席で卒業と言う神童ぶりを発揮しました。その翌年の1888年からヴァイオリニストとしてのキャリアを スタートさせ、20世紀前半を代表するヴァイオリニストとして名を馳せています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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サックス五重奏 シュペールのソナタ・イ短調(オリジナル)楽譜
¥2,000
サックス五重奏 シュペールのソナタ・イ短調(オリジナル) Sonata in a moll Daniel Speer 編成はソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。 木管五重奏版、金管五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。 バロック期の壮麗な響きをコンサートのオープニング・ピースに、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/I4gnDM8kmcQ Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html ダニエル・シュペール - Daniel Speer Georg Daniel Speer(1636年7月2日-1707年10月5日)は、ドイツの作曲家であり、バロックの作家です。 シュペールはブレスラウ(現在はポーランドのヴロツワフ)で生まれ、ドイツのゲッピンゲンで亡くなりました。 ダニエル・シュペールは17世紀末に南ドイツ地方で活躍していました。 音楽理論家としても教科書や理論書を出版しています。「四声ソナタ」のほか、三重奏の「二つのソナタ」も トロンボーン奏者にはお馴染みの曲です。曲は単純なつくりですが、ハーモニーや細かいパッセージに高い技術が要求されます。 バロック時代の美しい響きをお楽しみ下さい。 1687年に彼はミドルバロック音楽を理解するのに役立つと考えられている音楽に関する論文を発表しました。 彼の音楽への執筆は、1世紀以上にわたってドイツのバロックトロンボーン作品に影響を与えました。 作曲家として、例えばSpeerはトロンボーンのための音楽を発表しました。キーボードの小品も残っています。 彼は金管五重奏のためのDie Bankelsangerliederのソナタ第29番で最もよく知られているかもしれません。 この曲は、結婚式やフォーマルな機会によく演奏されます。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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木管四重奏<モテット>より「ロクス・イステ」楽譜
¥1,400
木管四重奏<モテット>より「ロクス・イステ」 ブルックナー作曲 Locus iste of Motteten by Anton Bruckner (1824-1896) 編成はFl.、Ob.、Cl.、Bsn.です。 サックス四重奏、クラリネット四重奏版、金管四重奏版は発売中です。 穏やかな流れの中に立体的な奥行きと、響きの清潔感を感じる音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/fskpeK4w9zQ Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html Locus iste(この場所は神によって造られた) 作曲:Anton Bruckner(アントン・ブルックナー)(1824~1896) この曲は1869年にオーストリアの作曲家、ブルックナーによって作曲された聖堂献堂式のための昇階唱です。 歌詞: Locus iste a Deo factus est inaestimabile sacramentum irreprehensibilis est. 邦訳: この場所は神によって造られた。それは何とはかり知れぬ秘跡 であることか。そこには何の欠点もない。 Anton Bruckner ブルックナー 編成は四部のコーラス(SATB)です。 最近はシンフォニーでよく知られるようになったブルックナーですが、やはり真髄はアカペラの教会音楽にあります。 モテットのなかでは、Ave Maria、Os justi、Chiristus factus est、Virga Jesse、Vexilla regisなどと並んでよく演奏される曲のひとつです。 Bruckner がオーストリア郊外、リンツの教会 (Votifkapelle) の新しい聖堂の献堂式の為に作曲しました。 簡素で慎ましい曲ですが、ハーモニーの豊かな響き合いの中に胸を打つ瞬間があります。特に神の奇跡は 「非の打ちどころ ( 間違いが ) ない」“irreprehensibilis“という言葉に付けられた、半音階的ハーモニーの推移は見事です。 無意識の内に潜んでいた形の無いものが次第に浮かび上がり、やがて調和したハーモニーに到達した時に、その言葉 (irreprehensibilis) が 輪郭を表します。全体を通じて穏やかな流れの中に立体的な奥行きと、響きの清潔感を感じることができます。 ヨーゼフ・アントン・ブルックナー(Joseph Anton Bruckner, 1824年9月4日 - 1896年10月11日) は、オーストリアの作曲家、オルガニストです。 交響曲と宗教音楽の大家として知られています。 リンツ近くのアンスフェルデンに学校教師の長男として生まれ、村の教会のオルガン奏者を兼ねる父のもとで早くから音楽に親しみました。 13歳で父を失ったのち近くのザンクト・フロリアン修道院の寄宿舎に入り、少年聖歌隊員としてオルガンやピアノ、バイオリンを学びました。 師範学校を経て1841年に助教師となりましたが作曲にも手を染め、ザンクト・フロリアン修道院のオルガン奏者、1856年にはリンツ大聖堂の オルガン奏者に就任しました。以後作曲の勉強に本格的にとりくみ,R.ワーグナーの音楽に傾倒しました。 1864年?1868年、《ミサ曲第1番ニ短調》にはじまる〈三大ミサ曲〉を完成しました。1868年ウィーン音楽院教授に就任し、 1873年からはワーグナーと親交を深めました。また1875年にはウィーン大学講師となり、学生だったマーラーと交流しました。 《交響曲第4番ロマンティック》(1881年初演)以来ようやく高まり始めた作曲家としての名声は60歳の年、 1884年のニキシュによる《交響曲第7番》初演の大成功で頂点を迎え、生涯初の栄光をブルックナーにもたらしました。 1891年ウィーン大学名誉博士の称号を得ました。《交響曲第9番》を未完のまま72歳で永眠。その音楽の基盤には敬虔(けいけん)なカトリック信仰が あり、教会オルガン奏者として精通した多声音楽の伝統とベートーベン以来のドイツ、オーストリア音楽の諸様式とが融合し、 独自の書法を形づくっています。第0番と習作1曲を含む11曲の交響曲(1863年―1896年)のほか、《テ・デウム》(1884年)、 《詩篇第150番》(1892年)など多くの教会音楽、《弦楽五重奏曲》(1879年)などがあります。 ブルックナーには独自の技法や表現があり、それらはブルックナーの名前を付けて呼ばれています。 有名なものでは「ブルックナー開始」があげられますが、これは第1楽章の始まりを弦楽器のトレモロという音を小刻みに演奏する技法で始めるものです。 他には「ブルックナー休止」「ブルックナー・ゼクエンツ」「ブルックナー・ユニゾン」「ブルックナー・リズム」などがあります。 ●ブルックナー開始 第1楽章が弦楽器のトレモロで始まる手法であり、交響曲第2、4、7、8、9番に見られます。ベートーヴェンの『交響曲第9番』に影響を受けています。 ●ブルックナー休止 楽想が変化するときに、管弦楽全体を休止(ゲネラル・パウゼ)させる手法です。 ●ブルックナー・ユニゾン オーケストラ全体によるユニゾン。ゼクエンツと共に用いられて効果を上げます。 ●ブルックナー・リズム (2+3) によるリズム。第4、6番で特徴的である。(3+2) になることもあります。初期の稿では5連符として書かれていたものが、改訂稿では ブルックナー・リズムに替えられている例も見られます。 ●ブルックナー・ゼクエンツ ひとつの音型を繰り返しながら、音楽を盛り上げていく手法。いたるところに見られます。 ●コーダと終止 コーダの前は管弦楽が休止、主要部から独立し、新たに主要動機などを徹底的に展開して頂点まで盛り上げます。 ●和声 ブルックナーの和声法で、響きが濁るので従来多くの作曲家が避けた技法。例えば根音Gとした場合、根音Gに対して、 属9の和音以上に現れる9の音のA♭が半音違いで鳴ること、属11の和音においてBとCが半音違いで鳴ることや、13の和音においてDとE♭が半音違いで鳴ること。 もう一つは対位法の場面で現れ、対旋律や模倣が半音違いで鳴ること。従って和声学上の対斜とは意味が異なりますが、バルトークの ブルーノート風の半音のぶつかりも「対斜」とされているので、ここでは「ブルックナー対斜」と読んでも差し支えありません。 またワーグナーのトリスタン和音がそのまま使われていることがあります。和音の音色を明確にするため同一楽器に当てている例が多く見られます。 和音の機能をはっきりさせるために同楽器の密集配置がほとんどで、これが後期ロマン派の香りを引き立たせる大きな要因となっています。 彼は幼い頃から音楽の才能を発揮していたブルックナーは、10歳くらいの年齢になった際に、オルガン奏者だった父親の代わりに オルガンの演奏を教会で行うことがあったそうです。そして11歳の年には、名付け親でありオルガニストだった人物の元で音楽の教育を 受けることとなりますが、その後父親が亡くなると、すぐに修道院の聖歌隊に入ることになりました。 その後16歳で小学校の補助教員免許を取ると、翌年には補助教員として働き始めますが、そこでは授業以外の雑用や畑仕事なども行う必要がありました。 しばらくして別の場所へと転勤になりますが、移った先はブルックナーにとって良い環境だったらしく、初期の合唱曲が生み出されることとなります。 1855年には、リンツ大聖堂のオルガニストの試験でその席を勝ち取ることとなり、大きな収入を得ていくようになったようです。 しかし同年、ブルックナーは再び作曲の勉強をしたいと考え、6年間に渡ってジーモン・ゼヒターに師事しました。 1868年には、師事していたゼヒターの後にウィーン国立音楽院教授となると、しばらくの間はリンツ大聖堂の仕事と掛け持ちしている状態だったそうです。 作曲を行いながらオルガニストの仕事も継続していたブルックナーは、この時期オルガニストとしてとても高く評価されていました。 ちなみにこのころに作曲されたのが、初期の交響曲である「第1番」「第2番」、そして「第0番」と呼ばれる作品です。 1873年、バイロイトでワーグナーとの交流の機会を得たブルックナーは、自身の「交響曲第3番」を献呈しました。このことは、ワーグナーには 良い印象を与えましたが、当時の反ワーグナー派からは批判を受けることとなったようです。 そして1876年、バイロイト音楽祭を訪れたブルックナーは、作曲してきた交響曲を大幅に改訂することにしました。この時に大幅改訂されたのが、 「交響曲第1番」から「第5番」だったようです。 その後1877年に行われた「第3番」の初演は失敗に終わりますが、次の「第4番」が好評となったためブルックナーは交響曲の作曲家としても 知られるようになります。そして、宗教曲の中の代表作である「テ・デウム」や、「交響曲第7番」などが作曲され、さらに有名になっていきました。 1884年ころから「交響曲第8番」に取り掛かると1887年には初稿が完成しましたが、大幅な改訂を必要としたため現在よく知られている 第2稿が完成したのは1890年でした。 この作品は、ブルックナーの作品の中でも代表作と言える交響曲で、当時のオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に献呈されています。 また、この「第8番」の改訂の際には、他のいくつかの交響曲も改訂が行われました。 数階建ての建物に住んでいたブルックナーでしたが、体を悪くすると、階段の往復が辛くなっていきました。 それを知ったフランツ・ヨーゼフ1世は、ブルックナーを宮殿敷地内の建物に住まわせることにしたようです。 また、ブルックナーは亡くなる当日まで「交響曲第9番」の作曲を行っていましたが、完成には至らないままとなってしまいました。 当時の音楽界は、ブルックナーが「交響曲第3番」を献呈したワーグナー派と、ドイツ三大Bの内の1人であるブラームス派に分かれていました。 そのためワーグナー派とされていたブルックナーと、ブラームスの仲は良いものではなかったようです。 しかし、「交響曲第8番」に関してはブラームスも評価をしていました。そして、ブルックナーの葬儀の際は遠くから見ていたり、 泣いていたりといった様子が確認されたと言われています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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金管四重奏「失われた幸福」メンデルスゾーン 楽譜
¥1,400
金管四重奏「失われた幸福」メンデルスゾーン メンデルスゾーン :無言歌集 第3巻 Op.38から第2曲 Mendelssohn, Felix:Lieder ohne Worte Heft 3 Op.38-2 編成はTp.、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。 木管四重奏、サックス四重奏版、クラリネット四重奏版は発売中です。 メランコリックなノスタルジーを感じさせてくれる音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/up_f58qa0tU Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html この曲は1837年にメンデルスゾーンによって作曲されました。 低音と旋律の間の和音構成音がシンコペーションによる、あと打ちのリズムで装飾する形をとっています。 少し悲しげで、幸せだった過去を振り返るようで、どこかノスタルジックな雰囲気の漂う曲調です。 アレグロ・ノントロッポの指示があるように、停滞感が出てしまわないように注意して演奏したいものです。 ワーグナーが「第一級の風景画家」と言われたように、メンデルスゾーンは情景描写や標題音楽の作曲において才能を発揮しています。 この“言葉のない歌曲”「無言歌」という形でメンデルスゾーンは心象風景や感情描写までも、表現しました。 歌曲風の旋律をもった器楽曲であるため、旋律線をはっきりと浮き立たせ、抒情的に演奏すると良い演奏になります。 メンデルスゾーンが活躍したこの時期、ブルジョアジーの家庭を中心に、ピアノが教養として普及しました。 そのため、家庭で気楽に弾ける作品が多く作られましたが、この《無言歌集》もその一つです。 《無言歌集》は各6曲ずつの計8集からなり、生前に出版されたのは、第6集までです。第7集は、1851年、第8集は1867年に出版されました。 1832年、第1集を出版したときには、メンデルスゾーンは、《ピアノのためのメロディー》と記していて、《無言歌集》の名称を もつようになったのは1835年に第2集を出版してからのことでした。 標題をもっているものが多いのですが、作曲者自身によってつけられたものはわずかです。実際、メンデルスゾーンは標題をつけることによって、 音楽的な想像力が限定されることを嫌っていたようです。 第3巻は次のようになっています。 1.変ホ長調「夕べの星」 / op.38-1 (1837) 2.ハ短調「失われた幸福」 / op.38-2 (1837) 低音と旋律の間の和音構成音がシンコペーションによる、あと打ちのリズムで装飾する形をとっています。 少し悲しげで、幸せだった過去を振り返るようで、どこかノスタルジックな雰囲気の漂う曲調です。 アレグロ・ノントロッポの指示があるように、停滞感が出てしまわないように注意して演奏したいものです。 3.ホ長調「詩人の竪琴」 / op.38-3 (1837) 4.イ長調「希望」 / op.38-4 (1837) 5.イ短調「情熱」 / op.38-5 (1837) 第2曲と同様、シンコペーションによる、あと打ちのリズムを利用した楽曲構成になっています。情熱というよりは、 焦燥感や不安をかきたてられるような印象の作品です。 6.変イ長調「デュエット」 / op.38-6 (1836) 6曲中唯一、メンデルスゾーン自身によって命名された作品です。テンポはゆっくりめですが、動きはゆるやかではありません。 「常に両声部をくっきりと際立たせなければならない」と記されていて、装飾声部を均質に演奏しながら、2つの主要な旋律を はっきりとうきたたせることが大切です。やや技巧的な曲です。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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