【銀行振り込み、PDF領収書に対応】
銀行振り込み、PDF領収書をご希望のお客様は、お問い合わせ(CONTACT)からお申し付けください。
吹奏楽と管楽器アンサンブルの楽譜をご提供しています。お買い上げ後すぐにZIP圧縮のスコアとパート譜PDFファイルをダウンロードできます。すべて参考音源(全曲)を確認いただけます。可能な範囲で楽器変更に対応いたします。お問い合わせからお申し付けください。
左上メニューから編成で絞ったり、検索欄でお探しください。
-
サックス六重奏 ゴシック組曲 Op. 25 第4曲 トッカータ 楽譜
¥2,280
サックス六重奏 ゴシック組曲 Op. 25 第4曲 トッカータ Suite Gothique, Op.25 4. Toccata Boellmann, Leon 編成はソプラノ、アルト2本、テナー2本、バリトンです。 木管六重奏版、クラリネット六重奏版は発売中です。 フランス・ロマン派によるオルガンの名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/7WHOgYquq-4 アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html この曲はレオン・ボエルマン(1862年~1897年)のオルガンのための作品「ゴシック組曲」の曲集です。 ボエルマンの代表作品です。第1楽章「導入‐コラール」、第2楽章「ゴシック風メヌエット」、 第3楽章「ノートルダムへの祈り」、第4楽章「トッカータ」の全4楽章からなります。 第3楽章の静かな祈りから一転して、4楽章のトッカータは、闇の世界に引き込まれていきそうな神秘的な作品で、 特に有名な曲です。 1. Introduction-Choral 2. Menuet gothique 3. Priere a Notre-Dame 4. Toccata ゴシック組曲 Op. 25 - 第1曲 導入‐コラール ゴシック組曲 Op. 25 - 第2曲 ゴシック風メヌエット ゴシック組曲 Op. 25 - 第3曲 ノートル・ダム(聖母)への祈り ゴシック組曲 Op. 25 - 第4曲 トッカータ L.ボエルマンはフランスのオルガニスト、作曲家です。E.ジグーにオルガンを学びました。 19世紀のフランスのオルガンは,カヴァイエ=コルによって,よりオーケストラの音響に近いものに改良されました。 このゴシック組曲は彼の最も有名な曲で、フランスロマン様式の本質を要約していて、フランス近代のオルガン音楽の特徴もよく表しています。 18世紀末のフランス革命の混乱により、フランス国内のオルガンの多くは、教会とともに破壊されてしまいました。 しかし、19世紀の中ころになると、教会の再建に併せて新型のオルガンが設置されはじめ、フランクやサン=サーンスらは、 こうしたオルガンに新たな可能性を求めて、多くの作品を作り出しました。 これら「フランス・オルガン楽派」と呼ばれる作曲家たちの流れに属するのが、レオン・ボエルマン(1862~1897)です。 彼は、ニーデルメイエ宗教音楽学校でウジェーヌ・ジグーらに師事しました。同門にはフォーレがいます。 1871年に優秀な成績で卒業した彼は、パリのサン・ヴァンサン=ド=ポール教会でオルガニストを勤めました。 1885年からは、母校で教鞭を執るとともに、作曲家やピアニストとしても活躍し、将来を嘱望されたが、35歳の若さで亡くなりました。 彼の最もよく知られている作品は、1895年につくられたオルガンのための『ゴシック組曲(作品25)』で、 オルガン音楽の分野では、最も有名な作品のひとつです。 曲は「序奏とコラール」「ゴシック風メヌエット」「ノートルダム(聖母)への祈り」「トッカータ」の4曲からなります。 第1曲は、重厚な交唱的効果の序奏。第2曲は軽く勢いのあるメヌエット。第3曲は静かで信仰心に満ちた祈り。 第4曲は絶え間なく動き,最後に大きな盛り上がりを見せるトッカータです。 特に、第4曲「トッカータ」が有名ですが、第3曲の「ノートルダムへの祈り」は、温かで静謐な美しさにあふれていて、趣き深い1曲です。 演奏時間はおよそ15分です。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
MORE -
木管四重奏 イタリア協奏曲 BWV 971 第3楽章 楽譜
¥1,800
木管四重奏 イタリア協奏曲 BWV 971 第3楽章 Bach, Johann Sebastian:Italienisches Konzert BWV 971 編成はFl.、Ob.、Cl.、Bsn.です。 Ob.はCl.に変更可能、Bsn.はBsCl.に変更可能です。 クラリネット四重奏版、サックス四重奏版は発売中です。 第1楽章も クラリネット四重奏版、木管四重奏版、サックス四重奏版は発売中です。 バッハの情緒豊かな名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/-gEgTegbAzE Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 1735年、バッハは『クラヴィーア練習曲集』第2巻を世に送り出しました。 二段鍵盤のために書かれたその第1曲が「イタリア趣味による nach italienischem Gusto」、通称《イタリア協奏曲》とよばれる作品です。 明朗快活な両端楽章と優美な緩徐楽章、急-緩-急の3楽章からなり、これら3つの冒頭の音型は明確な関連を持っています。 出版譜には強弱記号すなわち「f」と「p」が珍しくも書き込まれていますが、これは楽器自体が出すべき音量を表すのではありません。 当時のコンチェルト・グロッソ(複数の演奏グループが交代ないし合奏しながら進む協奏曲)の慣習にならえば トゥッティとソロの転換を、二段鍵盤のチェンバロ上では鍵盤の変換を指示するものです。 それは、音量の変化というよりも音色の変化であり、近代的なピアノにおいてはチェンバロ以上に豊かな表現が可能です。 この作品が現代において広く愛されている理由でもあります。 しかし、イタリアのヴィヴァルディの様式に代表されるような器楽協奏曲をチェンバロの上に写したものとは少し趣が違います。 バッハが出版譜に記した「f」と「p」からは、リトルネッロ(反復される部分)とエピソード(展開される部分)、 独奏と伴奏のパートの交代が明確には見えません。 第1楽章では、確かに両端部のリトルネッロははっきりしていますが中間部では、絡み合う様々な旋律線の中から幾度も 主要楽節が湧き上がろうとしながら、完全に主題を再現するには至らず、フレーズは切れ目を見出さないまま進んでゆきます。 バッハはここで単純明快な対比よりも自由で複雑な展開を望んだのです。 こうした点から、この作品はイタリア的な音型や語法をふんだんに取り入れた作品と言うべきです。 第1楽章冒頭のリズムは、18世紀前半にハンブルクに活躍した著述家J. マッテゾンによれば「最新の流行」であり、 第2楽章におけるオスティナート(同じリズム型や旋律型を繰り返す伴奏)に支えられた装飾豊かなアリアは、 ヴィヴァルディの作品そのものを思い起こさせます。バッハと同時代の美学者J. A. シャイベが 「外国人たちにとってほとんど模倣すべくもない」と賞賛したように、初期古典派のクラヴィーア・ソナタへと結実します。 第3楽章も第1楽章と同じヘ長調で、とても明るく華やかな曲です。 曲中には「フォルテ(強奏)」と「ピアノ(弱奏)」の指示があり、これは2段鍵盤のチェンバロを用いて協奏曲における楽器群の対比表現を模倣するものです。 この曲はバッハが存命時にも人気があり、バッハの作った曲を「誇張や過度の技法」「自然に反し、くどくどしく理解し難い」と批判した ヨハン・アドルフ・シャイベでさえも、この曲に対しては「単一の楽器で演奏する協奏曲の最大、最高の曲である」と賛辞を送ったほどでした。 この曲は魅力的で躍動感にあふれたバッハ演奏でグレン・グールドの演奏が一世を風靡しました。 ダイナミックな強弱と緩急を自在に操り、ピアノによるバッハをこれほどまでに魅力的に表出した、まさに不世出の演奏家と言って良いでしょう。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
MORE -
金管五重奏 シューベルト:軍隊行進曲 第3番 楽譜
¥2,500
金管五重奏 シューベルト:軍隊行進曲 第3番 3 Marches militaires Schubert, Franz 編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。 木管五重奏、サックス五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。 明るい力強さの中に軽やかさを備えた楽しい音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/hvmDLlqB0xc Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html フランツ・ペーター・シューベルト(Franz Peter Schubert/1797年?1828年)の『軍隊行進曲』は、ピアノ連弾のための曲集で 彼のピアノ作品の中でも有名なものです。 特に第1番は広く知られており、管弦楽用やピアノ独奏用にも編曲され親しまれています。 作曲年は諸説ありますが、1818年が有力だと現在ではされています。 作曲されたとされる1818年頃、シューベルトは貧しい生活を送っていました。 1816年に教師の職を辞めたことで、安定して稼げる仕事がなくなったためです。 しかし仕事を辞めてからは音楽を愛する仲間たちと出会い、彼らに助けられて貧しいながらも充実した時間を過ごしていました。 また1818年は作曲した作品数自体は少ないものの、シューベルトが自らの作品のためのコンサートを初めておこなった年でした。 さらには同年夏(1818年)、シューベルトはエステルハージ伯爵一家の音楽教師としてハンガリーのツェリスにも招かれます。 エステルハージ伯爵家には2人の娘がいましたので、そのために連弾曲が書かれたと推測もされています。 シューベルトはこの地でとても楽しい夏を過ごしたと言われています。 その影響もあるのか、『軍隊行進曲』は3曲とも明るく活発な音楽が印象的です。 この年は、シューベルトにとって明るい道筋が少しずつ開けるような年だったようです。 軍隊行進曲 シューベルト シューベルト(Franz Peter Schubert/1797?1828) 『軍隊行進曲』は、シューベルトがピアノ連弾のために作曲した曲集『3つの軍隊行進曲 Trois Marches Militaires』 D733 作品51。 作曲された年については諸説あり、一説によれば、シューベルトがエステルハージ伯爵家の娘の教師を務めていた頃と説明されることがあります。 この作品の第1番は、現在シューベルトの作品の中でもっともポピュラーなピアノ曲のひとつとして、独奏されることが多いのですが、 もとはピアノ連弾曲である。シューベルトがジェリズに赴任していた1818年に作曲されました。 この年はエステルハージ伯爵家のふたりの娘にピアノを教授するため、多くの連弾曲が生み出されています。 この行進曲は3曲とも、明るい力強さの中に軽やかさを備えた楽しい連弾曲です。 この作品のもとはピアノ連弾曲です。シューベルトがジェリズに赴任していた1818年に作曲されました。 この年はエステルハージ伯爵家のふたりの娘にピアノを教授するため、多くの連弾曲が生み出されています。 この行進曲は3曲とも、明るい力強さの中に軽やかさを備えた楽しい連弾曲であり、エステルハージ家での楽しいピアノ・レッスンの風景を想像させます。 第1番は特に有名で、広く演奏されています。オーケストラ編曲やタウジッヒによるピアノ独奏編曲があります。 他の多くのシューベルトの連弾作品が家庭的な楽しみのために書かれたようにこの作品も書かれたのでしょう。 第1番 ニ長調 4分の2拍子 Allegro vivace 下属調のトリオをはさむ三部形式 でできています。 ファンファーレ風に始まる軽快な行進曲 となっています。 トリオはト長調で 優しい感じの歌謡風な旋律です。 第2番 ト長調 4分の4拍子 Allegro molto moderato 1番同様下属調のトリオをはさむ三部形式でできています。 第3番 変ホ長調 4分の4拍子 Moderato ファンファーレのような短い序奏で始まります。 最初の主題は付点音符のリズムによるとてもリズミックな旋律です。 トリオはやはり下属調の変イ長調です。トリルの入ったアウフタクトで始まる優美な旋律です。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
MORE -
クラリネット五重奏と打楽器のためのスザート・ダンスリー組曲 Vol.1 楽譜
¥2,700
クラリネット五重奏と打楽器のためのスザート・ダンスリー組曲 Vol.1 Danserye Danses Vol.1 Tielman Susato 編成はCl.4本、Bs,Cl.に加えて打楽器2名です。 管楽器1パート2名ずつ+打楽器2名で演奏すれば 場面ごとに音量変化がつけられて効果的でしょう。 その場合は12名で演奏することになります。 繰り返しの際は装飾音などで様々なバリエーションを楽しみましょう。 サックス五重奏版、木管五重奏版、金管五重奏版は発売中です。 スザート・ダンスリー組曲 Vol.2も発売中です。 中世・ルネッサンス音楽のシンプルで楽しげなメロディーを、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/gi_4gx4KHGw アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html ティールマン・スザート(Tielman Susato 1500年頃 - 1562年頃)は、ルネサンス期の作曲家で、 アントウェルペンにおける器楽奏者、出版業者です。 スザート(1550~1562)はフランドル地方のアントワープを中心に活動した作・編曲家です。 しかし彼自身の作曲した代表作といったものはなく、むしろ活版印刷機を用いて器楽編曲と自作曲を出版した、 いわゆる楽譜出版者としての方が有名です。 彼の名を有名にしているのは、フランドル(現在のオランダ南部、ベルギー西部、フランス北部にかけての地域)において 最初の音楽出版社を設立した功績でしょう。 1551年に出版された「ダンスリー」と呼ばれる曲集は、当時のヨーロッパで親しまれていた作者不明の シャンソン、ポピュラー・ソングおよびポピュラー・ダンスなどのメロディをもとに編曲・編集し印刷出版されたものです。 なおこの曲集は、スザートが出版した唯一の舞曲集であると考えられていますが、 その素晴らしさから現在に至るまで多くの人々に親しまれ、彼の名を不動のものとしています。 今回「ダンスリー」を編曲するにあたって「原典」に近い楽譜、ショット社から1936年に出版された F.J.ギースベルト(Giesbert)校訂の楽譜を使用し、次の6曲(全11曲)をセレクトしました。 1.モリスク(モーロ風) 2.四拍子のブランル 3.ファゴット 4.ロンド II "わが友" 5.パヴァーヌ IX "戦い" 以下はVol.2に収録 6.ロンド IX 7.私の望み 8.アルマーニュ(アルマンド)VIII 9.それは大きな間違い 10.パッセ・メディオ〔パッサメッゾ〕 11.ベルジュレ・サン・ロック 打楽器が、リズムをくり返しますが省略可能です。 当時、太鼓とタンバリンはとても重要な楽器とされていました。楽譜上で書かれていない部分でも、 複数の楽器を組み合わせて演奏するのも良いでしょう。 全38曲からなるこの曲集は、ありとあらゆる古楽器を駆使して描かれた舞曲によって構成されています。 次のような映画にスザートの楽曲が使われました。 娼婦ベロニカ(マーシャル・ハーコヴィッツ1998) インポスターズ(スタンリー・トゥッチ1998) エリザベス(シェーカル・カプール1998) エリザベス ゴールデン・エイジ(シェカール・カプール2007) 絵の中のぼくの村(東陽一1996) 暗殺(チェ・ドンフン2015) 楽隊のうさぎ(鈴木卓爾2013) 16世紀、ヨーロッパ、美術、建築、文学、思想の世界では自由闊達に様々な形で花開く時代に突入しました。その豊かな文化の中で、 民衆が踊り楽しんだ音楽がこの楽譜集「ダンスリー」です。素朴で哀愁を帯びたメロディを聴きながら、ルネサンス時代を感じながら、 その時代に思いをはせて楽しめる曲集です。 これらの曲は今のオランダやフランス周辺で民衆が踊る時に使われていたものです。 当時、教会では禁止されていた「踊り」が街の中では楽譜集が出版されるほど盛んにおこなわれていたということも興味深い史実です。 その頃、日本は安土桃山時代。少しずつ西洋文化が日本にも伝わり始めた頃です。火縄銃やカステラが西洋から伝わった頃になります。 それらを想像しながら聴いてみるのも面白いでしょう。 「踊り」の音楽ですから、打楽器なども付け加えることで、より踊りやすく、聴きやすく、楽しくなっています。 このような、楽しい「ルネサンス舞曲集」なのですが、吹奏楽を経験されていた方はこれらの曲を演奏したことがあるかも知れません。 「スザートのルネサンス舞曲」というタイトルで、金管五重奏曲として幅広く演奏されています。 世界のブラスのトップ・プレーヤーたちの名演もたくさんCDとして出ていて、 吹奏楽コンクールのアンサンブル部門では定番の曲になっています。 小学校、中学校で学んだリコーダーアンサンブルの定番楽曲でもあります。 ルネサンス期、16世紀のヨーロッパ地方で流行していた旋律を、ダンス曲としてアレンジされた楽しい楽譜集、 スザートの『ダンスリー』はブラス・アンサンブル「ルネサンス舞曲集」でおなじみのメロディのオリジナル楽譜として、 一方では、リコーダー愛好家にとってはバイブルとなっている作品です。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
MORE -
Solo+サックス四重奏 「優しい愛 "君を愛す"」楽譜
¥1,800
Solo+サックス四重奏 「優しい愛 "君を愛す"」 Zartliche Liebe "Ich liebe dich", WoO 123 ベートーヴェン Beethoven, Ludwig van 編成はソプラノ、アルト、テナー、バリトン、およびSoloパートです。 同梱のSoloパート楽譜はin F版(Hn.)、 in C版(Ob.、Mallet Perc.など)、 in C-Fl.版(Fl.、Pic.)、 in C低音版(Eup.、Bsn.、Tbn,、St.Bs.など)、 Tubaは1オクターブ下げて演奏可能です。 in B版(Tp.、Cl.、Bs.Cl.、Sop.Sax.、T.Sax.など)、 in Es版(Es Cl.、A.Sax.、B.Sax.など)が含まれています。 多くの楽器がSoloを担当し、伴奏は下の編成も含め4種類から選ぶことができます。 金管四重奏版、クラリネット四重奏版、鍵盤打楽器とコントラバス三重奏版は発売中です。 屈託のない明るさと伸びやかなメロディのベートーヴェン作品を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/DjOGaiI4oUA Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html この曲は1795年の作品です。作品番号は付いていませんが、ベートーヴェンの歌曲の中でも最も良く知られ、歌われています。 若き日の彼はこういった感じのストレートな恋歌を好んで書いていたようで、その屈託のない明るさや伸びやかなメロディも あいまって大変魅力的に響きます。シンフォニーや弦楽4重奏曲などでの厳格でいかめしいベートーヴェンのもうひとつの 側面を垣間見ることができ、この頃の作品群に魅力を感じることができます。 原詩のタイトルはZartliche Liebeで、ベートーヴェンの歌曲もそれが正式な名称なようですが、 歌の冒頭のIch liebe dichの方が良く知られているタイトルになっています。 詩はカール・フリードリヒ・ヘルロゼー(Herrosee)の 《やさしき愛》 第2節から採られています。 ベートーヴェンは自らの歌曲に作品としての価値を重く置いていなかったのか、生前に出版された大半のものに作品番号をつけていませんが、 この曲は優しく清澄な美しさにあふれた旋律でよく知られています。 ※ WoO.(Werke ohne Opuszahl 作品番号なし)は1955年にキンスキーとハルムによって編集された作品目録の番号です。 楽聖ベートーヴェン 楽聖と称えられるベートーヴェンは、1770年12月の16日か17日、ドイツのボンで生まれました。 幼いころから過酷ともいえる音楽教育を受け、非凡な才能を開花させましたが、 家庭的には恵まれず、ベートーヴェンの家族関係は最後まで彼を悩ませ続けることになります。 26才ぐらいのときから耳が聞こえづらくなり、体調不良、貧困など苦難が襲うなか、それらを克服して 次々と作品を発表していきます。だからこそ、彼の作品には心打たれるものが多いのかもしれません。 有名な作品に、ピアノソナタ 「悲愴」 「月光」 「熱情」 や、 ピアノ独奏曲 「エリーゼのために」、 「運命が、かく扉を叩くのだ」 と語った第五交響曲 『運命』、第六交響曲 『田園』 などがあります。 奇数番号の交響曲は壮大で重量感があり、偶数番号のものは軽く明るい作品が多いようです。 生涯独身であったベートーヴェンが手紙で不滅の恋人と呼んだのは誰か、 さまざまな説が浮上しているものの、現在も確証はなく、謎のままです。 1827年3月26日午後5時45分、激しい雷鳴と吹雪のなか、ウィーンで亡くなりました。 死の間近でいった 「諸君、拍手したまえ、劇は終わった!」 という言葉が有名です。 ベートーヴェン「優しい愛 "君を愛す"(Zartliche Liebe "Ich liebe dich", WoO 123)」 2/4拍子 ト長調(G-dur) Andante Zartliche Liebe (Ich liebe dich) WoO.123 優しき愛 (君を愛する) 詩: ヘロゼー (Karl Friedrich Wilhelm Herrosee,1764-1821) ドイツ Ich liebe dich,so wie du mich, Am Abend und am Morgen, Noch war kein Tag,wo du und ich Nicht teilten unsre Sorgen. Auch waren sie fur dich und mich Geteilt leicht zu ertragen; Du trostetest im Kummer mich, Ich weint in deine Klagen. Drum Gottes Segen uber dir, Du,meines Lebens Freude. Gott schutze dich,erhalt dich mir, Schutz und erhalt uns beide. ぼくは君を愛するのさ、君がぼくを愛するように 夕べにも そして朝にも 一日たりともあり得ない、君とぼくとが 互いの悩みを分け合わない日など そうすればその悩みは君とぼくにとって 容易に耐えられるものになるのさ 君はぼくの悲しみを慰めてくれるのだし ぼくは君の悲しみに涙を流すのだから だからね、神様の祝福が君にあるように 君よ、ぼくの人生の喜びよ 神様が君を守ってくださることを、そしてぼくのために君を支えてくださることを ぼくたち二人を守り、支えてくださることを願うよ アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
MORE -
木管五重奏「愛の悲しみ」クライスラー 楽譜
¥1,850
木管五重奏「愛の悲しみ」クライスラー Liebesleid Fritz Kreisler 編成はFl.、Ob.、Cl.2本、Bsn.です。 サックス五重奏版、金管五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。 20世紀初頭の美しい名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/tInREsPs_GI Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 『愛の悲しみ Liebesleid』は、オーストリア出身の音楽家フリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler/1875-1962)による ヴァイオリンとピアノのための小作品です。 同じくクライスラーによる作品『愛の喜び Liebesfreud』と対を成す楽曲であり、さらに『美しきロスマリン』を加えて 三部作として扱われています。 クライスラーは、ロシアのピアニスト、セルゲイ・ラフマニノフと親交があり、ラフマニノフは『愛の喜び Liebesfreud』と この『愛の悲しみ Liebesleid』の2曲をピアノ独奏用に編曲しています。 中学生のピアニストとヴァイオリニストが切磋琢磨し互いに成長する姿を描いた漫画作品「四月は君の嘘」では、 クライスラー『愛の悲しみ Liebesleid』が挿入曲として使われています(原作・アニメ・実写映画)。 ピアニストとヴァイオリニストの交流といえば、ヴァイオリニストのクライスラーも、ピアニストのラフマニノフと 親交と交流を深めていました。 他にも、ラフマニノフは『コレルリの主題による変奏曲』をクライスラーに献呈しているほか、クライスラーはラフマニノフの歌曲に ヴァイオリンのオブリガードを追加した編曲を残しています。 ラフマニノフはピアノ独奏の為に、自身の歌曲やシューベルト、メンデルスゾーンやビゼーといった作曲家の作品を編曲しました。 編曲作品の大半は、ラフマニノフが1917年に祖国のロシアを離れてから書かれたものです。ちょうどこの頃のラフマニノフは、 それまでは自作中心の演奏活動であったところから、他人の作品の演奏も積極的に行うようになっていて、ピアニストとしての キャリアを本格化させていた時期でした。 原曲の冒頭には「レントラーのテンポで Tempo di Landler」と発想指示が書かれていて、ワルツの前身である南ドイツ発祥の 「レントラー」を意識したことが窺えます。ラフマニノフによる編曲の冒頭には「ワルツのテンポで Tempo di Valse」と書かれています。 その為、ラフマニノフはこの作品に田舎風の踊りというよりも、都会的で洗練された雰囲気を求めたのでしょう。 実際に音楽を見てみると、主題の旋律に休符を入れて遅らせるなどしてリズムに手を加えていて、原曲とセットで演奏されることが多い作品です。 同じくヴァイオリン独奏とピアノのための「愛の喜び」に通ずる華やかなウィンナ・ワルツの要素が見受けられます。 また、内声に何度も半音階の音型を入れ込むなど、原曲に漂う哀愁を、より複雑な感情の描写へと拡張させています。 「愛の悲しみ」は、原語(ドイツ語)では「Liebesleid」と表記されます。「Leid」は日本語では「悲しみ」をはじめ、 「心痛」や「苦難」と訳され、画一的なイメージを与えますが、同じドイツ語圏でも、ドイツとオーストリアでは大きく捉え方が 違っています。ドイツでは、日本人が思い描く「悲しみ」に非常に近い感覚でこの言葉を捉え、悲愴感や絶望を感じていますが、 オーストリア人にとっては、どこか望みがあり、憧れを含んでいます。ラフマニノフ編曲によるこの作品を見ると、そうした「悲哀」と 「憧憬」の交錯がより効果的に表現されてます。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
MORE -
金管四重奏 デンマーク王子の行進曲 楽譜
¥1,200
金管四重奏 デンマーク王子の行進曲 The Prince of Denmark's March Jeremiah Clarke 編成はTp.、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。 サックス四重奏版、木管四重奏版、クラリネット四重奏版は発売中です。 明るく晴れやかなイングランドの行進曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/GgBeHcOrIk0 Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html この曲は「トランペット・ヴォランタリー」として知られていますが、原曲はチェンバロ曲でタイトルも「デンマーク王子の行進」です。 『トランペット・ヴォランタリー(Trumpet Voluntary)』は、ジェレマイア・クラーク作曲のチェンバロ曲「デンマーク王子の行進曲」を H.パーセルがトランペット用に編曲して有名になった曲です。 「ヴォランタリー」とは、教会の礼拝前後とその合間に演奏されるオルガンの曲のこと。結婚式のBGMとしても用いられることがあります。 クラークが〈ハープシコードのためのエア選曲集〉という当時の曲集に寄せた、この《デンマーク王子の行進曲 The Prince of Denmark's March》と呼ばれる曲が元です。 また、大英図書館に収蔵のクラークの管楽器のための組曲のなかにも、この〈デンマーク王子の行進曲〉が含まれているため、 元来トランペットと管楽器のアンサンブルのための曲として生まれたとも考えられます。 ジェレマイア・クラーク(Jeremiah Clarke, 1674年 - 1707年12月1日)は、イングランドの作曲家です。鍵盤楽器のために作られた『デンマーク王子の行進』が最も有名です。 この曲はアン女王の夫カンバーランド公ジョージのために作られ、一般には『トランペット・ヴォランタリー』の名で知られていますが、 長い間ヘンリー・パーセルの作だとされてきました。 ジェレマイア・クラーク1674年にロンドンで生まれたとされています。セント・ポール大聖堂でジョン・ブロウに師事した後、王室礼拝堂のオルガン奏者となりました。 しかし、身分が上の美しい女性に恋したことから銃で自らの命を絶ちました。クラークのポストの後任にはウィリアム・クロフトが就任しました。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
MORE -
クラリネット五重奏 シュペールのソナタ・イ短調(オリジナル)楽譜
¥1,500
クラリネット五重奏 シュペールのソナタ・イ短調(オリジナル) Sonata in a moll Daniel Speer 編成はCl.4本、Bs,Cl.です。 木管五重奏版、金管五重奏版、サックス五重奏版は発売中です。 バロック期の壮麗な響きをコンサートのオープニング・ピースに、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/3X6Orn1Y7xg Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html ダニエル・シュペール - Daniel Speer Georg Daniel Speer(1636年7月2日-1707年10月5日)は、ドイツの作曲家であり、バロックの作家です。 シュペールはブレスラウ(現在はポーランドのヴロツワフ)で生まれ、ドイツのゲッピンゲンで亡くなりました。 ダニエル・シュペールは17世紀末に南ドイツ地方で活躍していました。 音楽理論家としても教科書や理論書を出版しています。「四声ソナタ」のほか、三重奏の「二つのソナタ」も トロンボーン奏者にはお馴染みの曲です。曲は単純なつくりですが、ハーモニーや細かいパッセージに高い技術が要求されます。 バロック時代の美しい響きをお楽しみ下さい。 1687年に彼はミドルバロック音楽を理解するのに役立つと考えられている音楽に関する論文を発表しました。 彼の音楽への執筆は、1世紀以上にわたってドイツのバロックトロンボーン作品に影響を与えました。 作曲家として、例えばSpeerはトロンボーンのための音楽を発表しました。キーボードの小品も残っています。 彼は金管五重奏のためのDie Bankelsangerliederのソナタ第29番で最もよく知られているかもしれません。 この曲は、結婚式やフォーマルな機会によく演奏されます。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
MORE -
Solo+サックス四重奏 第2曲「わが霊は、わが救い主なる神を喜び讃え奉る (Et exultavit)」楽譜
¥2,100
Solo+サックス四重奏 第2曲「わが霊は、わが救い主なる神を喜び讃え奉る (Et exultavit)」 《マニフィカト》 ニ長調 BWV.243から 独唱、合唱、管弦楽のための Magnificat, BWV.243 編成はソプラノ、アルト、テナー、バリトン、オプションBsn.およびSoloパートです。 演奏可能なオプションとしてSt.Bs.(Bsn.)が同梱されています。 同梱のSoloパート楽譜はin F版(Hn.)、 in C版(Ob.、Mallet Perc.など)、 in C-Fl.版(Fl.、Pic.)、 in C低音版(Eup.、Bsn.、Tbn,、St.Bs.など)、Tubaは1オクターブ下げて演奏可能です。 in B版(Tp.、Cl.、Bs.Cl.、Sop.Sax.、T.Sax.など)、 in Es版(Es Cl.、A.Sax.、B.Sax.など)が含まれています。 多くの楽器がSoloを担当し、伴奏は下の編成も含め3種類から選ぶことができます。 クラリネット四重奏版、金管五重奏版は発売中です。 祝祭に相応しい喜び溢れるバッハのアリアをさまざまな楽器の演奏で味わいたいものです。 コンサートピースの小品に、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/L58uzjqULiI アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html バッハ,J.S. Bach,J.S. ■マニフイカト ニ長調BWV243 神の使いの大天使ガブリエルによって受胎を告知されたマリアが「私の魂は主をあがめ,私の霊は救い主なる神を讃えます」と 喜びのうちに神を讃美した,という「新約聖書」ルカ伝第1章第46~55節に記された「マリアの賛歌」に付けられたのがこの曲です。 この「マニフィカト」は本来,カトリックの日々の日課としてのお祈り(聖務日課),特に夕べの祈り(晩課)のための音楽として 発達したものです。バッハ自身はカトリックではなく,ルター派プロテスタントだったのですが,この時代,ルター派でも, ラテン語の「マニフィカト」はクリスマス,復活祭,聖霊降臨祭の3大祝日には,多声の音楽として演奏されるのが普通だったそうです。 というわけで,この曲の初演時にはクリスマスにちなんだ4曲の挿入曲がありました。 その後,第2稿ではこれらの挿入曲は除かれ,クリスマスのみならず,復活祭,聖霊降臨祭の晩課にも使われるようになりました。 今日,一般的に演奏されるのは第2稿の方です。この2つの版には,挿入曲の有無以外に調性の違いがあります。 第1稿は変ホ長調だったのに対して,第2稿はニ長調になっています。これは使われている楽器の違いにもよります。 第2稿では,トランペットがD管トランペットという輝かしい響きを持つものに変更されています。 この楽器を使うためにニ長調に移調されたと考えられています。その他,リコーダーがフラウトトラヴェルソ(フルート)に変更され, オーボエ・ダモーレが加えられています。 いずれにしても,この曲は壮麗さと美しさをバランス良く兼ね備えた見事な作品です。 ポリフォニックな合唱曲の間にしみじみとした味わいを持つ声楽ソロのアリアなどがバランス良く配列されています。 声楽のみだけでなく,先にあげた輝かしいトランペットをはじめとして,フルート,オーボエなどオーケストラの各楽器にも 見せ場があります。時間的にも30分ほどにまとまっていますので,「バッハ入門」に最適の曲なのではないかと思います。 ●編成 独唱(ソプラノ2,アルト,テノール,バス),5声部合唱(ソプラノ2部,アルト,テノール,バス), フルート2,オーボエ2,オーポエ・ダモーレ2,トランペット3,ティンパニ,ヴァイオリン2部,ヴィオラ, 通奏低音(チェロ,ヴィオローネ,ファゴット,オルガン) ■合唱曲,■独唱,■重唱・・・とても規則的に並んでいます。 曲番号 曲名・ソロ等 調・拍子 内容 第1番 マニフィカト 合唱 二長調 3/4 D管トランペットの甲高く装飾的なファンファーレが印象的な全楽器によるリトルネッロ(繰り返し出てくるメロディ)が 出てきます。このメロディはブランデンブルク協奏曲あたりにありそうな感じです。この部分に続き, 合唱が喜びに満ちた神の讃歌を歌います。中間部ではポリフォニックな感じになりますが,全体としてはメリスマを交えた ホモフォニックな響きが中心となっています。最後にリトルネッロがやや短く再現されます。この曲は終曲にも出てきますので, この曲全体の枠組を作っているといえます。 第2番 エト・エクスルタヴィト アリア(ソプラノII) 二長調 3/8 弦合奏と通奏低音による落ち着いたリトルネッロに続き,「私の霊は救主なる神を讃えます」と第2ソプラノがしっとりと 歌います。 第3番 クイア・レスペクスィト アリア(ソプラノI) 口短調 4/4 オーボエ・ダモーレの独奏によるしみじみとした序奏に続いて,第1ソプラノが 「この卑しい女をさえ,心にかけてくださいました」と歌います。全編に渡り,オーボエ・ダモーレとソプラノが美しく絡み合います。 その哀しみに満ちた敬虔さが印象的です。この曲の後,休みなく第4曲になります。 第4番 オムネス・ゲネラツィオネス 合唱 へ短調 4/4 前曲から一転して,5声の合唱によって「代々の人々は」と歌われる壮麗なカノンになります。 第5番 クイア・フェチト アリア(バス) イ長調 3/4 通奏低音のみに支えられて「力ある方が,私に大きな事をしてくださったからです」とじっくりと歌う短いバスのアリアです。 第6番 エト・ミゼリコルディア 二重唱(アルト,テノール) ホ短調 12/8 2本のフルートと弦の伴奏によって「その憐れみは代々限りなく」と歌われる抒情的な二重唱です。 第7番 フェチト・ポテンツィアム 合唱 ト長調 →二長調 4/4 「主はみ腕をもって力をふるい」と全合唱が力強く歌う順列フーガです。最後の方で一瞬休符が入り,緊張感が走ります。 その後トランペットも加わってドラマティックに盛り上がって終わります。 第8番 デポスイト アリア(テノール) 嬰へ短調 3/4 「権力ある者を王座から引きおろし」とテノールが決然と歌います。弦楽器の清冽さも印象的です。 第9番 エスリエンテス アリア(アルト) ホ長調 4/4 「飢えている者を良いもので飽かせ」と息の長いメリスマを交えて歌われるアルトのアリアです。 ほとんど同じ主題による2本のフルートと通奏低音による可愛らしい感じのリトルネッロで囲まれています。 第10番 スシピト・イスラエル 三重唱(ソプラノI・II,アルト) 口短調 3/4 「主は,憐れみをお忘れにならず,その僕イスラエルを助けてくださいました」と落ち着いて歌われる三重唱に重ねて, オーボエが「マニフィカト」の聖歌旋律(第9旋法)を印象的に演奏します。 第11番 スイクト・ロクトゥス 合唱 二長調 2/2 「わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とを,とこしえに憐れむと約束なさったとおりに」と堂々と歌う, 通奏低音のみの伴奏による順列フーガです。素朴な力強さがあります。 第12番 グロリア 合唱 イ長調4/4 二長調3/4 壮麗な「グロリア」の叫びの後,持続音の上にカノンがわき上がります。「はじめにありしごとく」という 歌詞とともにトランペットが壮麗に加わり第1曲が短く再現されます。祝祭的に全曲をとじます。 Johann Sebastian Bach 1685~1750 ドイツ ヨハン・ゼバスティアン・バッハはバロック音楽の頂点を極めた巨匠にして、2世紀に亘り音楽家を輩出し続けたバッハ一族の 最大の音楽家。「大バッハ」の名でも呼ばれています。 当時の最もすぐれたオルガン奏者で、即興演奏の名手でした。アルンシュタット、ミュールハウゼンで教会オルガニストを 務めた後、1708年ザクセンのヴァイマール公の宮廷オルガニストとなり、1714年には楽長に昇進します。 この時期に多数のオルガン曲を書きました。1717年にはアンハルト=ケーテン侯の合唱長および宮廷楽長として招かれ、 管弦楽・器楽曲を集中的に作曲しました。1723年にはライプツィヒの聖トーマス教会の付属学校の合唱長およぴライプツィヒの 音楽監督に就任、終生その地位にあり、カンタータ等の教会音楽を多く書きました。 ドイツ・バロック音楽を集大成し、歌劇以外のあらゆる分野に名作を残した。ウィーン古典派の巨匠たちにも影響を与えたが、特に19世紀に再評価され、ロマン派から近現代に至る多くの作曲家に強い影響を及ぼした。 膨大な作品はW・シュミーダーの『バッハ作品主題目録』(1958)によるBWV(Bach-Werke-Verzeichnis バッハ作品目録)番号で整理されている。 ヨハン・ゼバスティアン・バッハの作曲家としての活動は通常、 (1) ヴァイマール時代 (1708~1717) (2) ケーテン時代 (1717~1723) (3) ライプツィヒ時代 (1723~1750) の3期に分けて考えられますが、最後の円熟期ライプツィヒ時代の開始を告げるのが、この名作《マニフィカト》です。 バッハは1723年5月末にライプツィヒに移り、聖トーマス教会の楽長(トーマスカントル)として毎週1曲のカンタータの 作曲・練習・上演を含む多忙な毎日を送っていました。 従来は、バッハが《マニフィカト》を書いたのは転職後最初のクリスマスのためで、ライプツィヒで教会での大規模な 奏楽が自粛されるクリスマス前の「待降節」第2~4日曜日(「斎戒期」)の暇な時期に、バッハは一連の新作と共に この《マニフィカト》を作曲したと考えられていました。 しかしグレックナーが2003年に発表した論考(1)によると、バッハは《マニフィカト》(変ホ長調の初稿、BWV.243a)を、 ライプツィヒ着任後わずか5週間後の1723年の7月2日の「エリザベト訪問」の祝日に初演し、好評を得ていたということです。 クリスマスの際には、7月に演奏したものに、クリスマス用の“讃歌(ラウダ)”(ドイツ語ないしラテン語によるモテット風楽曲)を 4曲挿入し、クリスマス・バージョンとして演奏しています。 「マニフィカト」について 「マニフィカト」とは聖母マリアが神を讃える褒ほめ歌で、『新約聖書』「ルカによる福音書」第1章46~55節に記されています。 処女懐胎を天使に告げられたマリアが、ナザレからユダの町に行き、親族エリザベツに挨拶すると、洗礼者ヨハネを身籠っていた エリザベツは聖霊に満たされ、「あなたは女の中で祝福された方です」と叫びます。 マリアも感動のあまり神へのほめ歌を歌い始めた……という文脈の中で現れます。 この褒め歌は東方教会に起源を持つが、9世紀頃に西方教会にも取り入れられ、ラテン語訳の詞文の冒頭語から 「マニフィカト(Magnificat)」と呼ばれるようになり、「カンティクム(讃歌)」(詩編以外の聖書から採られた韻文詩による聖歌)の 一つとして「聖母マリアの讃歌(Canticum Mariae)」とも呼ばれて礼拝で朗唱されるようになりました。 14世紀以降は多声楽曲として多くの音楽家が作曲しました。 「マニフィカト」は東方教会では早課に用いられますが、西方教会では晩課(晩祷)(Vesperae)で歌われます。 バッハがラテン語の《マニフィカト》」を書いた理由 「マニフィカト」はラテン語による讃歌ですが、バッハが信奉したプロテスタント派のキリスト教(新教)では ドイツ語訳などの自国語訳が推奨され、受難曲やカンタータもバッハはドイツ語で書いています。 ラテン語の《マニフィカト》に曲を付けたのは、特別な理由があったのでしょうか。 当時ドイツに広まっていたプロテスタント派の教会では、確かに、誰もが理解できるドイツ語で信徒達が一緒にコラールを歌う 習慣になっていました(カトリック派キリスト教(旧教)の礼拝では聖歌隊員のみが、一般には理解困難なラテン語の聖歌を歌う)。 ただそれは、ラテン語で歌うことが全面的に禁止されていたことを意味するわけではありません。 プロテスタント教会でもミサの最初の2章(「キリエ」「グローリア」)と「サンクトゥス」、そして「マニフィカト」は ラテン語で歌われることも多く、特にクリスマスの晩課では「マニフィカト」はラテン語で歌われていました。 バッハが赴任した新教都市ライプツィヒでも、朝の礼拝では「キリエ」と「グローリア」はラテン語で読み上げられ、 詩篇唱のメロディで歌われた。「クレド」はグレゴリオ聖歌をコラール旋律として歌われていました。 「マニフィカト」についても、通常の日曜夕方に行われる礼拝(聖体拝領を伴わない)では、会衆はルターのドイツ語訳 「Meine Seele erhebet den Herrn」を歌いますが、重要なキリスト教の祝日、即ち、3大祝祭節 ①クリスマス(降誕節) ②復活節 ③聖霊降臨節(五旬節) と、聖母マリアの3大祝日 ①聖燭祭(Candelaria)(マリアの清めの祝日(Purificatio Mariae)、主の奉献の祝日(Praesentatio Domini nostri in templum)) ②お告げの祭日(annuntiatio)(Festum Incarnationis)(Conceptio Christi) ③「聖母マリアの聖エリザベト御訪問(Visitatio B. Maria V.)」の祝日 の第1、2祝日の晩課(と言っても午後1時半頃から始まる午後の礼拝)には、伝統的なラテン語の歌詞により、 合唱、独唱、器楽合奏で、より大がかりな音楽を演奏する慣習がありました。 バッハはこの町の習慣に従って、カントールの職責の一部として、《マニフィカト》を作曲したと言えます。 《マニフィカト》の改訂 それから10年後の1733年頃、バッハはトマスカントール及び市の音楽監督の権限強化を巡って、ライプツィヒ市の評議会と 長い闘争を続けていました。そこで彼はライプツィヒの領主であるザクセン選帝侯から「宮廷作曲家」の肩書きをもらおうと、 熱烈なアプローチを繰り返していました。選帝侯じきじきのお抱え作曲家という地位を得られれば、ライプツィヒの評議員どもを 黙らせられるという計算だったのでしょう。 時のザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世は、ポーランド王位を得るため1697年にプロテスタント派からカトリックに 改宗していました。しかし民衆からは反発を受け、侯妃も出奔しました。そのため実際にはカトリック信仰は首都ドレスデンに 限って細々と行われ、市民権も認められていませんでした。 1733年2月1日、このフリードリヒ・アウグスト1世が逝去し、長男フリードリヒ・アウグスト2世が選帝侯位を継承しました。 先代フリードリヒ・アウグスト1世の喪の期間は、その年の六旬節の主日(2月15日)から、三位一体の主日後の4週目の 日曜 (6月28日)までと定められました。この期間は教会での一切の奏楽が禁じられました。 この期間は、バッハにとって格好の創作に集中できる期間となりました。彼は、やはりカトリック信徒として育てられていた 後継者のフリードリヒ・アウグスト2世に対し、選帝侯が営むカトリック礼拝堂のために、ラテン語によるミサ楽章「キリエ」と 「グローリア」を作曲し、7月27日付で献呈しました。これは後に《ミサ曲 ロ短調》BWV232の前半に組み入れられるものです(後半楽章は1748~49年頃書かれる)。 同じ1733年頃、バッハは1723年に作曲した《マニフィカト》の改訂も行いました。厳密な改訂時期は不明ですが、 バッハの自筆譜から1732~1735年の間と推定され、これも選帝侯に献呈されたと考えられています。 なお、バッハの熱心な“アプローチ”は功を奏し、1736年に念願のザクセンの「宮廷作曲家」の称号を得ることが出来ました。 改訂による《マニフィカト》の主な変更点は、以下のようなものです。 ・初稿にあった4つの挿入曲の削除 …… 初稿には1723年のクリスマス祝賀用のドイツ語及びラテン語による「ラウダ(讃歌)」を4曲、 「マニフィカト」本文の間に挿入していた。これはクリスマスの雰囲気を盛り上げる一方、演奏機会をクリスマスに限定し、 また「マニフィカト」のラテン語本文が持っていた対称的シンメトリックな構造を壊していました。 「ラウダ」を取り除くことで、ラテン語の歌詞構造の美しさを取り戻すと共に、クリスマス以外の聖母マリアの祝日にも演奏可能な、 より汎用的な版となりました。 ・主調を変ホ長調からニ長調に移調 …… 初稿では変ホ(Es)管のトランペットを3本用いていましたが、 当時、一般的なトランペットはD管かC管で、変ホ管を3本集めるのは極めて特殊でした。 また変ホ管トランペットで「マニフィカト」のパートを演奏するのは大変に困難です。そこでD管トランペットで普通に 演奏できるようニ長調に移調されたと考えられています。 ・縦笛であるリコーダーを横型フルート(当時は木製のフラウト・トラヴェルソ)に変更 …… 第9曲での素朴な音色が 聞けなくなりましたが、全般的に響きは輝きを増し、演奏効果は高まりました。 これ以外にも無数の個所に手を入れ、原形を留めているのは578小節のうち僅か98小節に過ぎません。 こうした徹底的な改訂の結果、初稿版と改訂版はかなり性格の異なるものとなりました。即ち、 ・《マニフィカト》 変ホ長調 BWV.243a (1723) …… クリスマス用。粗削りで刺激的な分、冒険的な性格に富み、 和声法がとりわけ大胆です。 ・《マニフィカト》 ニ長調 BWV.243 (1723, 改訂'33頃) …… 特定の機会に限定されない普及版です。仕上げが丹念で バランスが良く、耳に馴染み易く仕上がっています。 このアレンジは、 第2曲「わが霊は、わが救い主なる神を喜び讃え奉る (Et exultavit)」 アリア ニ長調 8分の3拍子 第2ソプラノ独唱 弦と通奏低音による3拍子の踊るようなリトルネッロに続き、ソプラノが同じ主題で 「exsultavit(喜び踊る)」と軽やかに歌いだします。 通奏低音に聴かれる「長・短・短」、跳ねるようなリズム型は、他のバッハの作品でも現れ、バッハの研究でも知られる オルガニストにして神学者の人道家シュヴァイツァーが「喜びのリズム」と名付けたものです。 ソプラノは、第1ヴァイオリンや通奏低音の「喜びのリズム」に伴われ、清冽に歌い進められます。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
MORE -
鍵盤打楽器とベース四重奏 ブレジェイロ(ろくでなし)タンゴ 楽譜
¥1,400
鍵盤打楽器とベース四重奏 ブレジェイロ(ろくでなし)タンゴ Brejeiro, Tango エルネスト・ナザレ 編成はXylo.、Vib.、Marim.、St.Bs.です。 金管五重奏版、サックス五重奏版、木管五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。 「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/2g21MgRWitw Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html この曲はナザレの作品で "Tango" と副題がついた2番目の曲で、この後 "Tango"、"Tango brasileiro" といった ナザレを特徴付ける一連の名曲の始まりの作品とも言える初期の傑作です。 この曲によってナザレは一躍有名になったと言える人気曲で、また後には(1903年頃)詩人で歌手でもあったCatullo da Paixao Cearenseにより 歌詞がつけられ、"O sertanejo enamorado" という題名の歌で更に有名になりました。 また、当時のパリ共和制警備軍軍楽隊のレパートリーにもなったとの文献があります。 イ長調、A-A'-B-A-A'形式。南国的な明るい雰囲気の曲で、ふわっとしたAの旋律と、華やかなホ長調のBの雰囲気が、ナザレの天性の才能が溢れ出るような名曲です。 テンポは決して急がず、ゆったり演奏しましょう。 「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を知らずしてブラジル音楽は語れません。 南国ののどかな風光と、アフリカの野性的なエネルギーと、ロマンティシズムが渾然と混じり、甘美で、ちょっぴり切ない独特の音楽が聞こえてきます。 ミニョーネはこう述べています。「私は1917年頃にEduardo Soutoの楽譜店でナザレに会ったことがある。ナザレは自作曲を決して急がず、 カンタービレで弾いていた。彼はこう言っていたよ、『私の作品はあちこちでメチャメチャに弾かれている。みんな速く弾きすぎだ。 特に "Apanhei-te, Cavaquinho" は酷いことになっている。あの曲はゆっくりと、左手はカヴァキーニョを思い浮かべてアルペジオで弾くもんだ』と。」 エルネスト・ジュリオ・ナザレー (Ernesto Julio Nazareth (またはNazare とも), 1863年3月20日 - 1934年2月4日)は、ブラジルのピアニスト・作曲家です。 一生をリオ・デ・ジャネイロで過ごしました。「ブラジル風タンゴ」やショーロなど、国内の民族音楽に影響されたピアノ曲を量産しました。 そのような作曲姿勢から、しばしば「ブラジルのショパン」と呼ばれています。ピアノ以外の音楽教育は学ばなかったため、 残された作品はサロン小品と声楽曲ばかりであり、管弦楽曲や室内楽・カンタータやオラトリオのような分野の大作はなく、作曲技法も必ずしも洗練されていません。 しかしながら、民衆音楽の影響のもとに切り開いた独自の素朴な詩境は、のちにヴィラ=ロボスから、「ブラジルの魂」と称賛されました。 中産階級ながらもあまり豊かでない下級官吏の家庭に生まれ、ショパンを愛する母親からピアノの手ほどきを受けました。 早い年齢でたぐい稀な音楽的才能が認められ、家族ぐるみで付き合いのあったアフロ=アメリカンの作曲家、 リュシアン・ランベールにも音楽の手ほどきを受けました。 1873年に母親が亡くなってからもピアノを学び、間もなく作曲も手がけるようになりました。 最初の出版作品のポルカ『ボセ・ベン・サービ"Voce Bem Sabe"』 (あなたはよく御存知)は、14歳になるまでに作曲・出版されました。 その後は、ショーロの楽士たちとたむろして、敏感で独特なリズム感を身につけました。マシシェ maxixe やルンドゥ lundu 、ショーロ choro 、 アフリカ系住民のダンスなど、さまざまな民族舞曲に影響されました。 長年ナザレーは、映画館オデオン座の待合室でピアニストとして働き、ここで最も有名な作品の一つ『オデオン』を作曲しました。 外国から数少ない音楽家がブラジルを訪問した際、オデオン座のナザレーの演奏を見学したといわれています。 1920年代初頭には、音楽ショップにピアニストとして雇われました。顧客が購入する際に持ち寄ってきた楽譜を見ながら、演奏し、 客の要望に沿うかどうかを確認して見せるのが任務でした。客の中に、ナザレー作品の楽譜を手ずから弾こうとする者がいると、止めさせて、 解釈が誤っていると苦情を言うのが常だったそうです。 ナザレーは、心底からのブラジル人音楽家であり、音楽は楽しまれるべきであるとして、それ以上を望みはしませんでした。 ほとんど独学であり、音楽活動のほとんどは、劇場や映画館の伴奏ピアニストとして、あるいは小劇場のアンサンブルでのピアニストとして、 演奏するのに振り当てられました。 そのような劇場アンサンブルの楽団員の知り合いには、後の大作曲家ヴィラ=ロボスがいて、当時はチェリストとして活動していました。 ナザレーはショーロの発展のおおもとであり、ヴィラ=ロボスは、これに基づき、後に自らの創作活動を繰り広げていったのです。 ナザレーは、ブラジルの民族音楽以外にも明らかに影響されていて、子供時代にむさぼるようにして学んだショパンの影響が中でも顕著です。 また、1869年にきら星のようにリオ・デ・ジャネイロにデビューして、瞬く間にブラジル楽壇を席巻したゴットシャルクの作風もナザレーにはお馴染みでした。 作品には、19世紀ヨーロッパのクラシック音楽の豊かな和声法がこだましながら、ナザレーの生地ブラジルの、シンコペーションをともなう 民族舞曲のリズム法に織り込まれてゆくのが認められます。そのうえ、アメリカ合衆国のラグタイムや初期のジャズの、小気味よいリズム感も健在である。これらの要素を統合して一つの有機体へとまとめ上げたことがナザレー独自の能力で、結果的には、ピアノ曲のレパートリーだけでなく、20世紀の音楽にも重要な貢献を果たしている。 ナザレーはショパンやその他のヨーロッパの作曲家から霊感を受けたように、逆に自らも、間接的とはいえ、ヨーロッパの作曲家に何かしらの影響を与えています。 フランス人作曲家のダリユス・ミヨーは、自伝の中で、ブラジル滞在中にリオ・デ・ジャネイロの映画館でナザレーがピアノを演奏する風景を回想しています。 ミヨーはその音楽のリズムにたちどころに虜となって、ブラジル音楽をきわめてやろうと決心したというのです。 その最終的な成果こそが、ミヨーのピアノ曲『ブラジルの想い出 Saudades do Brasil』でした。 ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ばれていますが、作品に副題を好んでつけた点で、ショパンとは違っています。 ショパンやフォーレよりもヨーロッパのサロン音楽の伝統に忠実だったといえます。 しかしながら19世紀から20世紀初頭まで、ヨーロッパではサロン小品にフランス語の題名をつける慣習がまだ根強く残っていたのに対して、 ナザレーは母語のポルトガル語に固執しました。 また題名によって、ドビュッシーやラヴェルのように、美術や文学からのインスピレーションをほのめかしたり、 リストのように詩的な連想を暗示することもありませんでした。 ナザレーの曲名には、しばしば第三者にとって謎めいた響きをもつものもありますが、それらは実在するスポーツチームやダンスクラブ、雑誌名など、 ナザレーの日常生活の周辺から切り取られたものばかりです。このような意味で、ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ぶよりは、むしろ 「ブラジルのクープラン」と呼んでこそふさわしいかも知れません。 およそ300曲のピアノ小品において、ナザレーはみごとに、大衆的なブラジル舞曲のエッセンスを捕まえています。 ナザレーは、厳密には都会の聴衆のために作曲したのですが、その作品には、(ブラジルで奴隷制が廃止された1888年以降の作品でも、) アフリカ系民族音楽の豊かな影響が息づいています。ほとんどの曲に、スコット・ジョプリンが発想したようなシンコペーションが使われています。 ナザレーのピアノ曲には、ブラジルのありとあらゆるダンスが盛り込まれています。マシシ(英語版)、バトゥーキ(英語版)、 サンバ、 そして中でも重要なのがタンゴです。後に世界中を熱狂させ、席巻したタンゴが、ブラジル生まれだったというだけでなく、 実際にはナザレー自身の創り出したジャンルだったという証拠になるからです。 もしそれが間違いだったとしても、「ブラジル風タンゴ」の発展のほとんどにナザレーがかかわっていて、このジャンルに優に100曲を残しています。 最も有名な作品に、『ブレジェイロ(ろくでなし)"Brejeiro"』『アメノ・ヘゼダ"Ameno Reseda"』『バンビーノ(赤ん坊)"Bambino"』 『トラベッス(腕白坊主)"Travesso"』『フォン・フォン"Fon-Fon"』『テネブローズ(暗闇)"Tenebroso"』があります。 ナザレーが初めて「ショーロ」と呼んだ作品のうち、『アパニェイチ・カヴァキーニョ(頑張れカバキーニョ)"Apanhei-te Cavaquinho"』は、 さまざまな楽器アンサンブルによって演奏できる、古典的名作です。 晩年になって完全に聴覚を失うと、創作活動にも支障をきたしましたが、それでもブラジル国内ではなかなかナザレー人気は衰えませんでした。 ゴットシャルクやジョプリンを評価する人たちなら、ナザレーの残した魅力的な宝石たちをきっとたちまち気に入るに違いありません。 作曲者の死後から半世紀を経た近年になって、ナザレー作品を集めたアルバム制作が世界的にも相次いでいて、最近では伝記や、 作曲者に関するCD-ROMも発表されています。ナザレーは、クラシックとポピュラー音楽にまたがって活動したことから、ナザレーのピアノ曲は、 クラシックの学び手にも、ポピュラー音楽の学び手にも、有用な教材とされつつあります。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
MORE -
木管六重奏 ゴシック組曲 Op. 25 第4曲 トッカータ 楽譜
¥2,280
木管六重奏 ゴシック組曲 Op. 25 第4曲 トッカータ Suite Gothique, Op.25 4. Toccata Boellmann, Leon 編成はFl.、Ob.、Cl.2本、Bs.Cl.、Bsn.です。 クラリネット六重奏版、サックス六重奏は発売中です。 フランス・ロマン派によるオルガンの名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/IcHKmurn2lk アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html この曲はレオン・ボエルマン(1862年~1897年)のオルガンのための作品「ゴシック組曲」の曲集です。 ボエルマンの代表作品です。第1楽章「導入‐コラール」、第2楽章「ゴシック風メヌエット」、 第3楽章「ノートルダムへの祈り」、第4楽章「トッカータ」の全4楽章からなります。 第3楽章の静かな祈りから一転して、4楽章のトッカータは、闇の世界に引き込まれていきそうな神秘的な作品で、 特に有名な曲です。 1. Introduction-Choral 2. Menuet gothique 3. Priere a Notre-Dame 4. Toccata ゴシック組曲 Op. 25 - 第1曲 導入‐コラール ゴシック組曲 Op. 25 - 第2曲 ゴシック風メヌエット ゴシック組曲 Op. 25 - 第3曲 ノートル・ダム(聖母)への祈り ゴシック組曲 Op. 25 - 第4曲 トッカータ L.ボエルマンはフランスのオルガニスト、作曲家です。E.ジグーにオルガンを学びました。 19世紀のフランスのオルガンは,カヴァイエ=コルによって,よりオーケストラの音響に近いものに改良されました。 このゴシック組曲は彼の最も有名な曲で、フランスロマン様式の本質を要約していて、フランス近代のオルガン音楽の特徴もよく表しています。 18世紀末のフランス革命の混乱により、フランス国内のオルガンの多くは、教会とともに破壊されてしまいました。 しかし、19世紀の中ころになると、教会の再建に併せて新型のオルガンが設置されはじめ、フランクやサン=サーンスらは、 こうしたオルガンに新たな可能性を求めて、多くの作品を作り出しました。 これら「フランス・オルガン楽派」と呼ばれる作曲家たちの流れに属するのが、レオン・ボエルマン(1862~1897)です。 彼は、ニーデルメイエ宗教音楽学校でウジェーヌ・ジグーらに師事しました。同門にはフォーレがいます。 1871年に優秀な成績で卒業した彼は、パリのサン・ヴァンサン=ド=ポール教会でオルガニストを勤めました。 1885年からは、母校で教鞭を執るとともに、作曲家やピアニストとしても活躍し、将来を嘱望されたが、35歳の若さで亡くなりました。 彼の最もよく知られている作品は、1895年につくられたオルガンのための『ゴシック組曲(作品25)』で、 オルガン音楽の分野では、最も有名な作品のひとつです。 曲は「序奏とコラール」「ゴシック風メヌエット」「ノートルダム(聖母)への祈り」「トッカータ」の4曲からなります。 第1曲は、重厚な交唱的効果の序奏。第2曲は軽く勢いのあるメヌエット。第3曲は静かで信仰心に満ちた祈り。 第4曲は絶え間なく動き,最後に大きな盛り上がりを見せるトッカータです。 特に、第4曲「トッカータ」が有名ですが、第3曲の「ノートルダムへの祈り」は、温かで静謐な美しさにあふれていて、趣き深い1曲です。 演奏時間はおよそ15分です。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
MORE -
金管五重奏+『星影のステラ』楽譜
¥3,300
金管五重奏+『星影のステラ』 Stella By Starlight 作詞/エドワード・ヘイマン Edward Heyman 作曲/ヴィクター・ヤング Victor Young 編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaに加えてFl.2本、Vib.、Marim.、St.Bs(El.Bs.)、 Perc.、ドラムセットです。 クラリネット五重奏版、サックス五重奏版は発売中です。 スタンダード・ジャズの名曲をコンサート・ピースなどに、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/K2nzdMdqx5s アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 『星影のステラ』、原題『ステラ・バイ・スターライト(Stella By Starlight)』は、もっともよく知られる ジャズ・スタンダードの1曲です。古くは1950年代のチャーリー・パーカーやスタン・ゲッツ、バド・パウエル、 マイルス・デイヴィスから、その後のビル・エヴァンス、オスカー・ピーターソン、ハービー・ハンコック、 キース・ジャレット、チック・コリア、そしてロバート・グラスパーまで、名のあるジャズマンなら必ず 録音しているといっていいくらいの「超」が付くスタンダード。ヴォーカルでは、フランク・シナトラ、ナット・キング・コール、 エラ・フィッツジェラルド、アニタ・オデイ、トニー・ベネット、レイ・チャールズなど、こちらもヴォーカリスト名鑑が できるほど。ジャズ・ファンなら何度も耳にしていることでしょう。 この『星影のステラ』は、“ヴィクター・ヤング作曲。1944年公開の映画『呪いの家』のために書かれ、 1946年にはネッド・ワシントンによって歌詞が付けられました。ちなみに映画はホラー映画だったそうです。 1944年のパラマウント映画「The Uninvited」(邦題:呪いの家)の主題曲として、ビクター・ヤングによって書かれました。 映画自体は好評で、アカデミー賞にもノミネートされましたが、曲のほうは「プレリュード」とクレジットされているだけで、 あまり話題になりませんでした。 原曲はインストゥルメンタルですが、1946年になって、「星に願いを」(When You Wish Upon a Star)などで知られる ネッド・ワシントンが歌詞を付けました。 ワシントン&ヤングは、「愚かなりわが心」(My Foolish Heart)の作者でもあります。 知られるようになったのは1946年のヴィクター・ヤング楽団のレコードからです。1947年5月にハリー・ジェームズ楽団の レコードがポップ・チャート21位のヒットを記録、2ヵ月後にはフランク・シナトラ&アクセル・ストーダル楽団のレコードも チャート21位まで上昇しています。 1952年1月にチャーリー・パーカーが取り上げて以来、ジャズ・ミュージシャンたちが好んでこの曲を取り上げるようになりました。 有名なところでは、スタン・ゲッツ、マイルス・デイヴィス、バド・パウエル、デクスター・ゴードンなどが録音しています。 美しいメロディーが印象的ですが、ひんぱんに転調が行われていて、ジャズ・プレーヤーにとっては即興意欲が湧いてくる曲だと言えます。 そのためこの曲が時代を問わず演奏され続けているのでしょう。 この曲はほかに「底抜け大学教授」(1963年。ジェリー・ルイスがステラ・スティーヴンスに歌いかける)、 「サブリナ」(1995年)、カジノ(1995年 ロバート・デ・ニーロ、シャロン・ストーン主演)などの映画で使われています。 ヴィクター・ヤング(1900‐1956)はハリウッド映画の大家でした。『誰がために鐘は鳴る』、『シェーン』、『八十日間世界一周』など 300本以上の映画音楽を書いた人で、“My Foolish Heart”や“Love Letters”などのスタンダード曲となった傑作も多く知られています。 ステラ(ラテン語: stella)は、ラテン語に由来し、英語、イタリア語、古プロヴァンス語で、「星」「惑星」または「星型」を意味する名詞です。 STELLA BY STARLIGHT (1944/46) (Words by Ned Washington / Music by Victor Young) The song a robin sings Through years of endless springs The murmur of a brook at evening tide That ripples by a nook where two lovers hide That great symphonic theme That's Stella by starlight And not a dream My heart and I agree She's everything on earth to me... コマドリが歌う 終わりのない春を何年も歌う 夕暮れどきの小川のせせらぎ 恋人たちの隠れ場所のさざなみ 壮大なシンフォニー それが星影のステラ 夢ではない 心から思う 彼女は私にとって地球上のすべて... ステラという女性を自然の美しさにたとえて称賛する内容で、ステラは愛の象徴です。もちrん、映画の内容とは無関係です。 男性の立場で書かれた歌詞なので、女性歌手が歌うときは、最後の部分を “She's everything that you'd adore”(彼女こそあなたがあこがれるすべて)とすることが多いようです。 32小節の中で目まぐるしく転調が繰り返される曲で、コード進行が面白いことに加え、緩急自在に演じ分けられるため、 多くのアーティストが取り上げています。 特に50年代以降、歌手だけではなく、ジャズ・ミュージシャンの間で好まれるようになりヴォーカルよりもむしろインストの スタンダードとして定着していきました。決定版もヴォーカルよりインストの方がいくぶん多い曲です。 もっとも、これには元々インスト曲として作られたものなので、音域が非常に広く、歌手にとっては難曲の部類に入るという事情もあります。 そのインストの筆頭に挙げるべきはマイルス・デイヴィスです。64年のフィルハーモニック・ホールにおけるライヴは、 表題曲“My Funny Valentine”をはじめ定評のある名演が記録されているアルバムですが、とりわけ“Stella By Starlight”は 至高の名演奏となっています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
MORE -
Solo+クラリネット四重奏 「優しい愛 "君を愛す"」楽譜
¥1,800
Solo+クラリネット四重奏 「優しい愛 "君を愛す"」 Zartliche Liebe "Ich liebe dich", WoO 123 ベートーヴェン Beethoven, Ludwig van 編成はCl.3本、Bs.Cl.、およびSoloパートです。 同梱のSoloパート楽譜はin F版(Hn.)、 in C版(Ob.、Mallet Perc.など)、 in C-Fl.版(Fl.、Pic.)、 in C低音版(Eup.、Bsn.、Tbn,、St.Bs.など)、 Tubaは1オクターブ下げて演奏可能です。 in B版(Tp.、Cl.、Bs.Cl.、Sop.Sax.、T.Sax.など)、 in Es版(Es Cl.、A.Sax.、B.Sax.など)が含まれています。 多くの楽器がSoloを担当し、伴奏は下の編成も含め4種類から選ぶことができます。 金管四重奏版、サックス四重奏版、鍵盤打楽器とコントラバス三重奏版は発売中です。 屈託のない明るさと伸びやかなメロディのベートーヴェン作品を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/32dbi104TAg Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html この曲は1795年の作品です。作品番号は付いていませんが、ベートーヴェンの歌曲の中でも最も良く知られ、歌われています。 若き日の彼はこういった感じのストレートな恋歌を好んで書いていたようで、その屈託のない明るさや伸びやかなメロディも あいまって大変魅力的に響きます。シンフォニーや弦楽4重奏曲などでの厳格でいかめしいベートーヴェンのもうひとつの 側面を垣間見ることができ、この頃の作品群に魅力を感じることができます。 原詩のタイトルはZartliche Liebeで、ベートーヴェンの歌曲もそれが正式な名称なようですが、 歌の冒頭のIch liebe dichの方が良く知られているタイトルになっています。 詩はカール・フリードリヒ・ヘルロゼー(Herrosee)の 《やさしき愛》 第2節から採られています。 ベートーヴェンは自らの歌曲に作品としての価値を重く置いていなかったのか、生前に出版された大半のものに作品番号をつけていませんが、 この曲は優しく清澄な美しさにあふれた旋律でよく知られています。 ※ WoO.(Werke ohne Opuszahl 作品番号なし)は1955年にキンスキーとハルムによって編集された作品目録の番号です。 楽聖ベートーヴェン 楽聖と称えられるベートーヴェンは、1770年12月の16日か17日、ドイツのボンで生まれました。 幼いころから過酷ともいえる音楽教育を受け、非凡な才能を開花させましたが、 家庭的には恵まれず、ベートーヴェンの家族関係は最後まで彼を悩ませ続けることになります。 26才ぐらいのときから耳が聞こえづらくなり、体調不良、貧困など苦難が襲うなか、それらを克服して 次々と作品を発表していきます。だからこそ、彼の作品には心打たれるものが多いのかもしれません。 有名な作品に、ピアノソナタ 「悲愴」 「月光」 「熱情」 や、 ピアノ独奏曲 「エリーゼのために」、 「運命が、かく扉を叩くのだ」 と語った第五交響曲 『運命』、第六交響曲 『田園』 などがあります。 奇数番号の交響曲は壮大で重量感があり、偶数番号のものは軽く明るい作品が多いようです。 生涯独身であったベートーヴェンが手紙で不滅の恋人と呼んだのは誰か、 さまざまな説が浮上しているものの、現在も確証はなく、謎のままです。 1827年3月26日午後5時45分、激しい雷鳴と吹雪のなか、ウィーンで亡くなりました。 死の間近でいった 「諸君、拍手したまえ、劇は終わった!」 という言葉が有名です。 ベートーヴェン「優しい愛 "君を愛す"(Zartliche Liebe "Ich liebe dich", WoO 123)」 2/4拍子 ト長調(G-dur) Andante Zartliche Liebe (Ich liebe dich) WoO.123 優しき愛 (君を愛する) 詩: ヘロゼー (Karl Friedrich Wilhelm Herrosee,1764-1821) ドイツ Ich liebe dich,so wie du mich, Am Abend und am Morgen, Noch war kein Tag,wo du und ich Nicht teilten unsre Sorgen. Auch waren sie fur dich und mich Geteilt leicht zu ertragen; Du trostetest im Kummer mich, Ich weint in deine Klagen. Drum Gottes Segen uber dir, Du,meines Lebens Freude. Gott schutze dich,erhalt dich mir, Schutz und erhalt uns beide. ぼくは君を愛するのさ、君がぼくを愛するように 夕べにも そして朝にも 一日たりともあり得ない、君とぼくとが 互いの悩みを分け合わない日など そうすればその悩みは君とぼくにとって 容易に耐えられるものになるのさ 君はぼくの悲しみを慰めてくれるのだし ぼくは君の悲しみに涙を流すのだから だからね、神様の祝福が君にあるように 君よ、ぼくの人生の喜びよ 神様が君を守ってくださることを、そしてぼくのために君を支えてくださることを ぼくたち二人を守り、支えてくださることを願うよ アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
MORE -
サックス四重奏 デンマーク王子の行進曲 楽譜
¥1,200
サックス四重奏 デンマーク王子の行進曲 The Prince of Denmark's March Jeremiah Clarke 編成はソプラノ、アルト、テナー、バリトンです。 クラリネット四重奏版、木管四重奏版、金管四重奏版は発売中です。 明るく晴れやかなイングランドの行進曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/iP9CQlt3QoQ Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html この曲は「トランペット・ヴォランタリー」として知られていますが、原曲はチェンバロ曲でタイトルも「デンマーク王子の行進」です。 『トランペット・ヴォランタリー(Trumpet Voluntary)』は、ジェレマイア・クラーク作曲のチェンバロ曲「デンマーク王子の行進曲」を H.パーセルがトランペット用に編曲して有名になった曲です。 「ヴォランタリー」とは、教会の礼拝前後とその合間に演奏されるオルガンの曲のこと。結婚式のBGMとしても用いられることがあります。 クラークが〈ハープシコードのためのエア選曲集〉という当時の曲集に寄せた、この《デンマーク王子の行進曲 The Prince of Denmark's March》と呼ばれる曲が元です。 また、大英図書館に収蔵のクラークの管楽器のための組曲のなかにも、この〈デンマーク王子の行進曲〉が含まれているため、 元来トランペットと管楽器のアンサンブルのための曲として生まれたとも考えられます。 ジェレマイア・クラーク(Jeremiah Clarke, 1674年 - 1707年12月1日)は、イングランドの作曲家です。鍵盤楽器のために作られた『デンマーク王子の行進』が最も有名です。 この曲はアン女王の夫カンバーランド公ジョージのために作られ、一般には『トランペット・ヴォランタリー』の名で知られていますが、 長い間ヘンリー・パーセルの作だとされてきました。 ジェレマイア・クラーク1674年にロンドンで生まれたとされています。セント・ポール大聖堂でジョン・ブロウに師事した後、王室礼拝堂のオルガン奏者となりました。 しかし、身分が上の美しい女性に恋したことから銃で自らの命を絶ちました。クラークのポストの後任にはウィリアム・クロフトが就任しました。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
MORE -
木管四重奏 12のトリオ・ソナタから「ソナタ第2番」 楽譜
¥1,700
木管四重奏 12のトリオ・ソナタから「ソナタ第2番」 Sonata No.2 from "12 Trio Sonatas" ジュゼッペ・サンマルティーニ Giuseppe Baldassare Sammartini 編成はFl.、Ob.、Cl.、Bsn.です。 Ob.はCl.に変更可能、Bsn.はBsCl.に変更可能で、パート譜は同梱しています。 イタリアの明るい曲調の作品を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/RiIrkvcIcN8 アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html この曲はジュゼッペ・サンマルティーニが作曲した12のトリオ・ソナタから第2番のソナタです。 第1楽章アレグロ、第2楽章アダージョ、第3楽章プレスト、といった3つの楽章で構成されています。 バロック期から古典派への変遷を感じさせる明快なソナタになっています。 ジュゼッペ・バルダッサーレ・サンマルティーニ(Giuseppe Baldassare Sammartini, 1695年 - 1750年)は、 イタリアの作曲家で、オーボエ奏者です。 ジュゼッペ・サンマルティーニ[c.1693-1750]は、ミラノで活躍した弟のジョヴァンニ・バティスタ・サンマルティーニ(交響曲の父ともいわれる)に対して、 「ロンドンのサンマルティーニ」とも呼ばれています。オーボエの名手として活躍し、その腕前は、フリードリヒ大王にフルートを教えていたクヴァンツに、 北イタリアの最も優れた器楽奏者と激賞されたこともあるほどでした。彼はその後ロンドンに活動の拠点を移し、主に演奏者として活躍していました。 当時のオーボエ奏者はりコーダーにも精通しているのが普通で、サンマルティーニもまたリコーダーのことも知り尽くしていました。 18世紀初頭の英国は、リコーダーが大流行していた頃。パーセルやバルサンティ、ヘンデルら英国で活躍した作曲家達によるリコーダーのための作品は 多く残されていますが、中でもこのサンマルティーニの作品は注目に値するものです。 ソロ・パートの充実度はもちろんのこと、不協和音や半音階が効果的に用いられた作品は、現代においても質の高い喜びをもたらしてくれます。 サンマルティーニは同じく作曲家であった弟と共にバロックから古典派への橋渡しを担ったことで知られています。 優れたオーボエ奏者としても活躍したサンマルティーニの作品は、どれも整った形式と、 無尽蔵に溢れ出る情熱的なメロディを持ち、洗練されたハーモニーに彩られています。 1750年に亡くなるまで、はじめ歌劇場管弦楽団のオーボエ奏者、のちにウェールズの王室に抱えられて 室内管弦楽団の音楽監督を務めながら、終生ロンドンで暮らしました。 主として管楽器やヴァイオリンの活躍するたくさんの器楽作品で知られ、イギリスでその作品は人々からたいへん愛されました。 彼は1695年にミラノに生まれました。男4人・女4人の8人兄弟の次男でしたが、弟のジョヴァンニ・バッティスタ・サンマルティーニが ミラノで活躍したのに対し、ジュゼッペは1728年にロンドンに渡り、そこでオーボエの名手として有名になりました。 1736年に王太子フレデリック・ルイスに仕え、没するまでその夫人オーガスタ・オブ・サクス=ゴータと子供たちの音楽教師をつとめました。 サンマルティーニの作品には、フルートとヴァイオリンのためのソナタ、2つのフルートと通奏低音のためのソナタ、 12のヴァイオリン・ソナタ(王太子に献呈)、6つのヴァイオリン協奏曲、合奏協奏曲集、ハープシコード協奏曲集、 ドイツ・フルート(フラウト・トラヴェルソ)独奏のための6つの小品、2つのドイツ・フルートと2つのヴァイオリンのための6つのソナタ、 などがあります。さらに、「Movement D'une Seranade」のような愛らしいチェロのための小品も数曲書いています。 1750年、ロンドンで他界しました。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
MORE -
金管五重奏「愛の悲しみ」クライスラー 楽譜
¥1,850
金管五重奏「愛の悲しみ」クライスラー Liebesleid Fritz Kreisler 編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。 クラリネット五重奏版、サックス五重奏版、木管五重奏版は発売中です。 20世紀初頭の美しい名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/z-atorNoKWc Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 『愛の悲しみ Liebesleid』は、オーストリア出身の音楽家フリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler/1875-1962)による ヴァイオリンとピアノのための小作品です。 同じくクライスラーによる作品『愛の喜び Liebesfreud』と対を成す楽曲であり、さらに『美しきロスマリン』を加えて 三部作として扱われています。 クライスラーは、ロシアのピアニスト、セルゲイ・ラフマニノフと親交があり、ラフマニノフは『愛の喜び Liebesfreud』と この『愛の悲しみ Liebesleid』の2曲をピアノ独奏用に編曲しています。 中学生のピアニストとヴァイオリニストが切磋琢磨し互いに成長する姿を描いた漫画作品「四月は君の嘘」では、 クライスラー『愛の悲しみ Liebesleid』が挿入曲として使われています(原作・アニメ・実写映画)。 ピアニストとヴァイオリニストの交流といえば、ヴァイオリニストのクライスラーも、ピアニストのラフマニノフと 親交と交流を深めていました。 他にも、ラフマニノフは『コレルリの主題による変奏曲』をクライスラーに献呈しているほか、クライスラーはラフマニノフの歌曲に ヴァイオリンのオブリガードを追加した編曲を残しています。 ラフマニノフはピアノ独奏の為に、自身の歌曲やシューベルト、メンデルスゾーンやビゼーといった作曲家の作品を編曲しました。 編曲作品の大半は、ラフマニノフが1917年に祖国のロシアを離れてから書かれたものです。ちょうどこの頃のラフマニノフは、 それまでは自作中心の演奏活動であったところから、他人の作品の演奏も積極的に行うようになっていて、ピアニストとしての キャリアを本格化させていた時期でした。 原曲の冒頭には「レントラーのテンポで Tempo di Landler」と発想指示が書かれていて、ワルツの前身である南ドイツ発祥の 「レントラー」を意識したことが窺えます。ラフマニノフによる編曲の冒頭には「ワルツのテンポで Tempo di Valse」と書かれています。 その為、ラフマニノフはこの作品に田舎風の踊りというよりも、都会的で洗練された雰囲気を求めたのでしょう。 実際に音楽を見てみると、主題の旋律に休符を入れて遅らせるなどしてリズムに手を加えていて、原曲とセットで演奏されることが多い作品です。 同じくヴァイオリン独奏とピアノのための「愛の喜び」に通ずる華やかなウィンナ・ワルツの要素が見受けられます。 また、内声に何度も半音階の音型を入れ込むなど、原曲に漂う哀愁を、より複雑な感情の描写へと拡張させています。 「愛の悲しみ」は、原語(ドイツ語)では「Liebesleid」と表記されます。「Leid」は日本語では「悲しみ」をはじめ、 「心痛」や「苦難」と訳され、画一的なイメージを与えますが、同じドイツ語圏でも、ドイツとオーストリアでは大きく捉え方が 違っています。ドイツでは、日本人が思い描く「悲しみ」に非常に近い感覚でこの言葉を捉え、悲愴感や絶望を感じていますが、 オーストリア人にとっては、どこか望みがあり、憧れを含んでいます。ラフマニノフ編曲によるこの作品を見ると、そうした「悲哀」と 「憧憬」の交錯がより効果的に表現されてます。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
MORE -
Solo+クラリネット四重奏 第2曲「わが霊は、わが救い主なる神を喜び讃え奉る (Et exultavit)」楽譜
¥2,100
Solo+クラリネット四重奏 第2曲「わが霊は、わが救い主なる神を喜び讃え奉る (Et exultavit)」 《マニフィカト》 ニ長調 BWV.243から 独唱、合唱、管弦楽のための Magnificat, BWV.243 編成はCl.4本、Bs,Cl.、オプションBsn.およびSoloパートです。 演奏可能なオプションとしてSt.Bs.(Bsn.)が同梱されています。 同梱のSoloパート楽譜はin F版(Hn.)、 in C版(Ob.、Mallet Perc.など)、 in C-Fl.版(Fl.、Pic.)、 in C低音版(Eup.、Bsn.、Tbn,、St.Bs.など)、Tubaは1オクターブ下げて演奏可能です。 in B版(Tp.、Cl.、Bs.Cl.、Sop.Sax.、T.Sax.など)、 in Es版(Es Cl.、A.Sax.、B.Sax.など)が含まれています。 多くの楽器がSoloを担当し、伴奏は下の編成も含め3種類から選ぶことができます。 サックス四重奏版、金管五重奏版は発売中です。 祝祭に相応しい喜び溢れるバッハのアリアをさまざまな楽器の演奏で味わいたいものです。 コンサートピースの小品に、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/WPmJhR0I5QI アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html バッハ,J.S. Bach,J.S. ■マニフイカト ニ長調BWV243 神の使いの大天使ガブリエルによって受胎を告知されたマリアが「私の魂は主をあがめ,私の霊は救い主なる神を讃えます」と 喜びのうちに神を讃美した,という「新約聖書」ルカ伝第1章第46~55節に記された「マリアの賛歌」に付けられたのがこの曲です。 この「マニフィカト」は本来,カトリックの日々の日課としてのお祈り(聖務日課),特に夕べの祈り(晩課)のための音楽として 発達したものです。バッハ自身はカトリックではなく,ルター派プロテスタントだったのですが,この時代,ルター派でも, ラテン語の「マニフィカト」はクリスマス,復活祭,聖霊降臨祭の3大祝日には,多声の音楽として演奏されるのが普通だったそうです。 というわけで,この曲の初演時にはクリスマスにちなんだ4曲の挿入曲がありました。 その後,第2稿ではこれらの挿入曲は除かれ,クリスマスのみならず,復活祭,聖霊降臨祭の晩課にも使われるようになりました。 今日,一般的に演奏されるのは第2稿の方です。この2つの版には,挿入曲の有無以外に調性の違いがあります。 第1稿は変ホ長調だったのに対して,第2稿はニ長調になっています。これは使われている楽器の違いにもよります。 第2稿では,トランペットがD管トランペットという輝かしい響きを持つものに変更されています。 この楽器を使うためにニ長調に移調されたと考えられています。その他,リコーダーがフラウトトラヴェルソ(フルート)に変更され, オーボエ・ダモーレが加えられています。 いずれにしても,この曲は壮麗さと美しさをバランス良く兼ね備えた見事な作品です。 ポリフォニックな合唱曲の間にしみじみとした味わいを持つ声楽ソロのアリアなどがバランス良く配列されています。 声楽のみだけでなく,先にあげた輝かしいトランペットをはじめとして,フルート,オーボエなどオーケストラの各楽器にも 見せ場があります。時間的にも30分ほどにまとまっていますので,「バッハ入門」に最適の曲なのではないかと思います。 ●編成 独唱(ソプラノ2,アルト,テノール,バス),5声部合唱(ソプラノ2部,アルト,テノール,バス), フルート2,オーボエ2,オーポエ・ダモーレ2,トランペット3,ティンパニ,ヴァイオリン2部,ヴィオラ, 通奏低音(チェロ,ヴィオローネ,ファゴット,オルガン) ■合唱曲,■独唱,■重唱・・・とても規則的に並んでいます。 曲番号 曲名・ソロ等 調・拍子 内容 第1番 マニフィカト 合唱 二長調 3/4 D管トランペットの甲高く装飾的なファンファーレが印象的な全楽器によるリトルネッロ(繰り返し出てくるメロディ)が 出てきます。このメロディはブランデンブルク協奏曲あたりにありそうな感じです。この部分に続き, 合唱が喜びに満ちた神の讃歌を歌います。中間部ではポリフォニックな感じになりますが,全体としてはメリスマを交えた ホモフォニックな響きが中心となっています。最後にリトルネッロがやや短く再現されます。この曲は終曲にも出てきますので, この曲全体の枠組を作っているといえます。 第2番 エト・エクスルタヴィト アリア(ソプラノII) 二長調 3/8 弦合奏と通奏低音による落ち着いたリトルネッロに続き,「私の霊は救主なる神を讃えます」と第2ソプラノがしっとりと 歌います。 第3番 クイア・レスペクスィト アリア(ソプラノI) 口短調 4/4 オーボエ・ダモーレの独奏によるしみじみとした序奏に続いて,第1ソプラノが 「この卑しい女をさえ,心にかけてくださいました」と歌います。全編に渡り,オーボエ・ダモーレとソプラノが美しく絡み合います。 その哀しみに満ちた敬虔さが印象的です。この曲の後,休みなく第4曲になります。 第4番 オムネス・ゲネラツィオネス 合唱 へ短調 4/4 前曲から一転して,5声の合唱によって「代々の人々は」と歌われる壮麗なカノンになります。 第5番 クイア・フェチト アリア(バス) イ長調 3/4 通奏低音のみに支えられて「力ある方が,私に大きな事をしてくださったからです」とじっくりと歌う短いバスのアリアです。 第6番 エト・ミゼリコルディア 二重唱(アルト,テノール) ホ短調 12/8 2本のフルートと弦の伴奏によって「その憐れみは代々限りなく」と歌われる抒情的な二重唱です。 第7番 フェチト・ポテンツィアム 合唱 ト長調 →二長調 4/4 「主はみ腕をもって力をふるい」と全合唱が力強く歌う順列フーガです。最後の方で一瞬休符が入り,緊張感が走ります。 その後トランペットも加わってドラマティックに盛り上がって終わります。 第8番 デポスイト アリア(テノール) 嬰へ短調 3/4 「権力ある者を王座から引きおろし」とテノールが決然と歌います。弦楽器の清冽さも印象的です。 第9番 エスリエンテス アリア(アルト) ホ長調 4/4 「飢えている者を良いもので飽かせ」と息の長いメリスマを交えて歌われるアルトのアリアです。 ほとんど同じ主題による2本のフルートと通奏低音による可愛らしい感じのリトルネッロで囲まれています。 第10番 スシピト・イスラエル 三重唱(ソプラノI・II,アルト) 口短調 3/4 「主は,憐れみをお忘れにならず,その僕イスラエルを助けてくださいました」と落ち着いて歌われる三重唱に重ねて, オーボエが「マニフィカト」の聖歌旋律(第9旋法)を印象的に演奏します。 第11番 スイクト・ロクトゥス 合唱 二長調 2/2 「わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とを,とこしえに憐れむと約束なさったとおりに」と堂々と歌う, 通奏低音のみの伴奏による順列フーガです。素朴な力強さがあります。 第12番 グロリア 合唱 イ長調4/4 二長調3/4 壮麗な「グロリア」の叫びの後,持続音の上にカノンがわき上がります。「はじめにありしごとく」という 歌詞とともにトランペットが壮麗に加わり第1曲が短く再現されます。祝祭的に全曲をとじます。 Johann Sebastian Bach 1685~1750 ドイツ ヨハン・ゼバスティアン・バッハはバロック音楽の頂点を極めた巨匠にして、2世紀に亘り音楽家を輩出し続けたバッハ一族の 最大の音楽家。「大バッハ」の名でも呼ばれています。 当時の最もすぐれたオルガン奏者で、即興演奏の名手でした。アルンシュタット、ミュールハウゼンで教会オルガニストを 務めた後、1708年ザクセンのヴァイマール公の宮廷オルガニストとなり、1714年には楽長に昇進します。 この時期に多数のオルガン曲を書きました。1717年にはアンハルト=ケーテン侯の合唱長および宮廷楽長として招かれ、 管弦楽・器楽曲を集中的に作曲しました。1723年にはライプツィヒの聖トーマス教会の付属学校の合唱長およぴライプツィヒの 音楽監督に就任、終生その地位にあり、カンタータ等の教会音楽を多く書きました。 ドイツ・バロック音楽を集大成し、歌劇以外のあらゆる分野に名作を残した。ウィーン古典派の巨匠たちにも影響を与えたが、特に19世紀に再評価され、ロマン派から近現代に至る多くの作曲家に強い影響を及ぼした。 膨大な作品はW・シュミーダーの『バッハ作品主題目録』(1958)によるBWV(Bach-Werke-Verzeichnis バッハ作品目録)番号で整理されている。 ヨハン・ゼバスティアン・バッハの作曲家としての活動は通常、 (1) ヴァイマール時代 (1708~1717) (2) ケーテン時代 (1717~1723) (3) ライプツィヒ時代 (1723~1750) の3期に分けて考えられますが、最後の円熟期ライプツィヒ時代の開始を告げるのが、この名作《マニフィカト》です。 バッハは1723年5月末にライプツィヒに移り、聖トーマス教会の楽長(トーマスカントル)として毎週1曲のカンタータの 作曲・練習・上演を含む多忙な毎日を送っていました。 従来は、バッハが《マニフィカト》を書いたのは転職後最初のクリスマスのためで、ライプツィヒで教会での大規模な 奏楽が自粛されるクリスマス前の「待降節」第2~4日曜日(「斎戒期」)の暇な時期に、バッハは一連の新作と共に この《マニフィカト》を作曲したと考えられていました。 しかしグレックナーが2003年に発表した論考(1)によると、バッハは《マニフィカト》(変ホ長調の初稿、BWV.243a)を、 ライプツィヒ着任後わずか5週間後の1723年の7月2日の「エリザベト訪問」の祝日に初演し、好評を得ていたということです。 クリスマスの際には、7月に演奏したものに、クリスマス用の“讃歌(ラウダ)”(ドイツ語ないしラテン語によるモテット風楽曲)を 4曲挿入し、クリスマス・バージョンとして演奏しています。 「マニフィカト」について 「マニフィカト」とは聖母マリアが神を讃える褒ほめ歌で、『新約聖書』「ルカによる福音書」第1章46~55節に記されています。 処女懐胎を天使に告げられたマリアが、ナザレからユダの町に行き、親族エリザベツに挨拶すると、洗礼者ヨハネを身籠っていた エリザベツは聖霊に満たされ、「あなたは女の中で祝福された方です」と叫びます。 マリアも感動のあまり神へのほめ歌を歌い始めた……という文脈の中で現れます。 この褒め歌は東方教会に起源を持つが、9世紀頃に西方教会にも取り入れられ、ラテン語訳の詞文の冒頭語から 「マニフィカト(Magnificat)」と呼ばれるようになり、「カンティクム(讃歌)」(詩編以外の聖書から採られた韻文詩による聖歌)の 一つとして「聖母マリアの讃歌(Canticum Mariae)」とも呼ばれて礼拝で朗唱されるようになりました。 14世紀以降は多声楽曲として多くの音楽家が作曲しました。 「マニフィカト」は東方教会では早課に用いられますが、西方教会では晩課(晩祷)(Vesperae)で歌われます。 バッハがラテン語の《マニフィカト》」を書いた理由 「マニフィカト」はラテン語による讃歌ですが、バッハが信奉したプロテスタント派のキリスト教(新教)では ドイツ語訳などの自国語訳が推奨され、受難曲やカンタータもバッハはドイツ語で書いています。 ラテン語の《マニフィカト》に曲を付けたのは、特別な理由があったのでしょうか。 当時ドイツに広まっていたプロテスタント派の教会では、確かに、誰もが理解できるドイツ語で信徒達が一緒にコラールを歌う 習慣になっていました(カトリック派キリスト教(旧教)の礼拝では聖歌隊員のみが、一般には理解困難なラテン語の聖歌を歌う)。 ただそれは、ラテン語で歌うことが全面的に禁止されていたことを意味するわけではありません。 プロテスタント教会でもミサの最初の2章(「キリエ」「グローリア」)と「サンクトゥス」、そして「マニフィカト」は ラテン語で歌われることも多く、特にクリスマスの晩課では「マニフィカト」はラテン語で歌われていました。 バッハが赴任した新教都市ライプツィヒでも、朝の礼拝では「キリエ」と「グローリア」はラテン語で読み上げられ、 詩篇唱のメロディで歌われた。「クレド」はグレゴリオ聖歌をコラール旋律として歌われていました。 「マニフィカト」についても、通常の日曜夕方に行われる礼拝(聖体拝領を伴わない)では、会衆はルターのドイツ語訳 「Meine Seele erhebet den Herrn」を歌いますが、重要なキリスト教の祝日、即ち、3大祝祭節 ①クリスマス(降誕節) ②復活節 ③聖霊降臨節(五旬節) と、聖母マリアの3大祝日 ①聖燭祭(Candelaria)(マリアの清めの祝日(Purificatio Mariae)、主の奉献の祝日(Praesentatio Domini nostri in templum)) ②お告げの祭日(annuntiatio)(Festum Incarnationis)(Conceptio Christi) ③「聖母マリアの聖エリザベト御訪問(Visitatio B. Maria V.)」の祝日 の第1、2祝日の晩課(と言っても午後1時半頃から始まる午後の礼拝)には、伝統的なラテン語の歌詞により、 合唱、独唱、器楽合奏で、より大がかりな音楽を演奏する慣習がありました。 バッハはこの町の習慣に従って、カントールの職責の一部として、《マニフィカト》を作曲したと言えます。 《マニフィカト》の改訂 それから10年後の1733年頃、バッハはトマスカントール及び市の音楽監督の権限強化を巡って、ライプツィヒ市の評議会と 長い闘争を続けていました。そこで彼はライプツィヒの領主であるザクセン選帝侯から「宮廷作曲家」の肩書きをもらおうと、 熱烈なアプローチを繰り返していました。選帝侯じきじきのお抱え作曲家という地位を得られれば、ライプツィヒの評議員どもを 黙らせられるという計算だったのでしょう。 時のザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世は、ポーランド王位を得るため1697年にプロテスタント派からカトリックに 改宗していました。しかし民衆からは反発を受け、侯妃も出奔しました。そのため実際にはカトリック信仰は首都ドレスデンに 限って細々と行われ、市民権も認められていませんでした。 1733年2月1日、このフリードリヒ・アウグスト1世が逝去し、長男フリードリヒ・アウグスト2世が選帝侯位を継承しました。 先代フリードリヒ・アウグスト1世の喪の期間は、その年の六旬節の主日(2月15日)から、三位一体の主日後の4週目の 日曜 (6月28日)までと定められました。この期間は教会での一切の奏楽が禁じられました。 この期間は、バッハにとって格好の創作に集中できる期間となりました。彼は、やはりカトリック信徒として育てられていた 後継者のフリードリヒ・アウグスト2世に対し、選帝侯が営むカトリック礼拝堂のために、ラテン語によるミサ楽章「キリエ」と 「グローリア」を作曲し、7月27日付で献呈しました。これは後に《ミサ曲 ロ短調》BWV232の前半に組み入れられるものです(後半楽章は1748~49年頃書かれる)。 同じ1733年頃、バッハは1723年に作曲した《マニフィカト》の改訂も行いました。厳密な改訂時期は不明ですが、 バッハの自筆譜から1732~1735年の間と推定され、これも選帝侯に献呈されたと考えられています。 なお、バッハの熱心な“アプローチ”は功を奏し、1736年に念願のザクセンの「宮廷作曲家」の称号を得ることが出来ました。 改訂による《マニフィカト》の主な変更点は、以下のようなものです。 ・初稿にあった4つの挿入曲の削除 …… 初稿には1723年のクリスマス祝賀用のドイツ語及びラテン語による「ラウダ(讃歌)」を4曲、 「マニフィカト」本文の間に挿入していた。これはクリスマスの雰囲気を盛り上げる一方、演奏機会をクリスマスに限定し、 また「マニフィカト」のラテン語本文が持っていた対称的シンメトリックな構造を壊していました。 「ラウダ」を取り除くことで、ラテン語の歌詞構造の美しさを取り戻すと共に、クリスマス以外の聖母マリアの祝日にも演奏可能な、 より汎用的な版となりました。 ・主調を変ホ長調からニ長調に移調 …… 初稿では変ホ(Es)管のトランペットを3本用いていましたが、 当時、一般的なトランペットはD管かC管で、変ホ管を3本集めるのは極めて特殊でした。 また変ホ管トランペットで「マニフィカト」のパートを演奏するのは大変に困難です。そこでD管トランペットで普通に 演奏できるようニ長調に移調されたと考えられています。 ・縦笛であるリコーダーを横型フルート(当時は木製のフラウト・トラヴェルソ)に変更 …… 第9曲での素朴な音色が 聞けなくなりましたが、全般的に響きは輝きを増し、演奏効果は高まりました。 これ以外にも無数の個所に手を入れ、原形を留めているのは578小節のうち僅か98小節に過ぎません。 こうした徹底的な改訂の結果、初稿版と改訂版はかなり性格の異なるものとなりました。即ち、 ・《マニフィカト》 変ホ長調 BWV.243a (1723) …… クリスマス用。粗削りで刺激的な分、冒険的な性格に富み、 和声法がとりわけ大胆です。 ・《マニフィカト》 ニ長調 BWV.243 (1723, 改訂'33頃) …… 特定の機会に限定されない普及版です。仕上げが丹念で バランスが良く、耳に馴染み易く仕上がっています。 このアレンジは、 第2曲「わが霊は、わが救い主なる神を喜び讃え奉る (Et exultavit)」 アリア ニ長調 8分の3拍子 第2ソプラノ独唱 弦と通奏低音による3拍子の踊るようなリトルネッロに続き、ソプラノが同じ主題で 「exsultavit(喜び踊る)」と軽やかに歌いだします。 通奏低音に聴かれる「長・短・短」、跳ねるようなリズム型は、他のバッハの作品でも現れ、バッハの研究でも知られる オルガニストにして神学者の人道家シュヴァイツァーが「喜びのリズム」と名付けたものです。 ソプラノは、第1ヴァイオリンや通奏低音の「喜びのリズム」に伴われ、清冽に歌い進められます。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
MORE -
サックス五重奏 ブレジェイロ(ろくでなし)タンゴ 楽譜
¥1,500
サックス五重奏 ブレジェイロ(ろくでなし)タンゴ Brejeiro, Tango エルネスト・ナザレ 編成はソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。 金管五重奏版、クラリネット五重奏版、木管五重奏版、鍵盤打楽器とベース四重奏版は発売中です。 「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/J3pJ9g23JAQ Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html この曲はナザレの作品で "Tango" と副題がついた2番目の曲で、この後 "Tango"、"Tango brasileiro" といった ナザレを特徴付ける一連の名曲の始まりの作品とも言える初期の傑作です。 この曲によってナザレは一躍有名になったと言える人気曲で、また後には(1903年頃)詩人で歌手でもあったCatullo da Paixao Cearenseにより 歌詞がつけられ、"O sertanejo enamorado" という題名の歌で更に有名になりました。 また、当時のパリ共和制警備軍軍楽隊のレパートリーにもなったとの文献があります。 イ長調、A-A'-B-A-A'形式。南国的な明るい雰囲気の曲で、ふわっとしたAの旋律と、華やかなホ長調のBの雰囲気が、ナザレの天性の才能が溢れ出るような名曲です。 テンポは決して急がず、ゆったり演奏しましょう。 「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を知らずしてブラジル音楽は語れません。 南国ののどかな風光と、アフリカの野性的なエネルギーと、ロマンティシズムが渾然と混じり、甘美で、ちょっぴり切ない独特の音楽が聞こえてきます。 ミニョーネはこう述べています。「私は1917年頃にEduardo Soutoの楽譜店でナザレに会ったことがある。ナザレは自作曲を決して急がず、 カンタービレで弾いていた。彼はこう言っていたよ、『私の作品はあちこちでメチャメチャに弾かれている。みんな速く弾きすぎだ。 特に "Apanhei-te, Cavaquinho" は酷いことになっている。あの曲はゆっくりと、左手はカヴァキーニョを思い浮かべてアルペジオで弾くもんだ』と。」 エルネスト・ジュリオ・ナザレー (Ernesto Julio Nazareth (またはNazare とも), 1863年3月20日 - 1934年2月4日)は、ブラジルのピアニスト・作曲家です。 一生をリオ・デ・ジャネイロで過ごしました。「ブラジル風タンゴ」やショーロなど、国内の民族音楽に影響されたピアノ曲を量産しました。 そのような作曲姿勢から、しばしば「ブラジルのショパン」と呼ばれています。ピアノ以外の音楽教育は学ばなかったため、 残された作品はサロン小品と声楽曲ばかりであり、管弦楽曲や室内楽・カンタータやオラトリオのような分野の大作はなく、作曲技法も必ずしも洗練されていません。 しかしながら、民衆音楽の影響のもとに切り開いた独自の素朴な詩境は、のちにヴィラ=ロボスから、「ブラジルの魂」と称賛されました。 中産階級ながらもあまり豊かでない下級官吏の家庭に生まれ、ショパンを愛する母親からピアノの手ほどきを受けました。 早い年齢でたぐい稀な音楽的才能が認められ、家族ぐるみで付き合いのあったアフロ=アメリカンの作曲家、 リュシアン・ランベールにも音楽の手ほどきを受けました。 1873年に母親が亡くなってからもピアノを学び、間もなく作曲も手がけるようになりました。 最初の出版作品のポルカ『ボセ・ベン・サービ"Voce Bem Sabe"』 (あなたはよく御存知)は、14歳になるまでに作曲・出版されました。 その後は、ショーロの楽士たちとたむろして、敏感で独特なリズム感を身につけました。マシシェ maxixe やルンドゥ lundu 、ショーロ choro 、 アフリカ系住民のダンスなど、さまざまな民族舞曲に影響されました。 長年ナザレーは、映画館オデオン座の待合室でピアニストとして働き、ここで最も有名な作品の一つ『オデオン』を作曲しました。 外国から数少ない音楽家がブラジルを訪問した際、オデオン座のナザレーの演奏を見学したといわれています。 1920年代初頭には、音楽ショップにピアニストとして雇われました。顧客が購入する際に持ち寄ってきた楽譜を見ながら、演奏し、 客の要望に沿うかどうかを確認して見せるのが任務でした。客の中に、ナザレー作品の楽譜を手ずから弾こうとする者がいると、止めさせて、 解釈が誤っていると苦情を言うのが常だったそうです。 ナザレーは、心底からのブラジル人音楽家であり、音楽は楽しまれるべきであるとして、それ以上を望みはしませんでした。 ほとんど独学であり、音楽活動のほとんどは、劇場や映画館の伴奏ピアニストとして、あるいは小劇場のアンサンブルでのピアニストとして、 演奏するのに振り当てられました。 そのような劇場アンサンブルの楽団員の知り合いには、後の大作曲家ヴィラ=ロボスがいて、当時はチェリストとして活動していました。 ナザレーはショーロの発展のおおもとであり、ヴィラ=ロボスは、これに基づき、後に自らの創作活動を繰り広げていったのです。 ナザレーは、ブラジルの民族音楽以外にも明らかに影響されていて、子供時代にむさぼるようにして学んだショパンの影響が中でも顕著です。 また、1869年にきら星のようにリオ・デ・ジャネイロにデビューして、瞬く間にブラジル楽壇を席巻したゴットシャルクの作風もナザレーにはお馴染みでした。 作品には、19世紀ヨーロッパのクラシック音楽の豊かな和声法がこだましながら、ナザレーの生地ブラジルの、シンコペーションをともなう 民族舞曲のリズム法に織り込まれてゆくのが認められます。そのうえ、アメリカ合衆国のラグタイムや初期のジャズの、小気味よいリズム感も健在である。これらの要素を統合して一つの有機体へとまとめ上げたことがナザレー独自の能力で、結果的には、ピアノ曲のレパートリーだけでなく、20世紀の音楽にも重要な貢献を果たしている。 ナザレーはショパンやその他のヨーロッパの作曲家から霊感を受けたように、逆に自らも、間接的とはいえ、ヨーロッパの作曲家に何かしらの影響を与えています。 フランス人作曲家のダリユス・ミヨーは、自伝の中で、ブラジル滞在中にリオ・デ・ジャネイロの映画館でナザレーがピアノを演奏する風景を回想しています。 ミヨーはその音楽のリズムにたちどころに虜となって、ブラジル音楽をきわめてやろうと決心したというのです。 その最終的な成果こそが、ミヨーのピアノ曲『ブラジルの想い出 Saudades do Brasil』でした。 ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ばれていますが、作品に副題を好んでつけた点で、ショパンとは違っています。 ショパンやフォーレよりもヨーロッパのサロン音楽の伝統に忠実だったといえます。 しかしながら19世紀から20世紀初頭まで、ヨーロッパではサロン小品にフランス語の題名をつける慣習がまだ根強く残っていたのに対して、 ナザレーは母語のポルトガル語に固執しました。 また題名によって、ドビュッシーやラヴェルのように、美術や文学からのインスピレーションをほのめかしたり、 リストのように詩的な連想を暗示することもありませんでした。 ナザレーの曲名には、しばしば第三者にとって謎めいた響きをもつものもありますが、それらは実在するスポーツチームやダンスクラブ、雑誌名など、 ナザレーの日常生活の周辺から切り取られたものばかりです。このような意味で、ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ぶよりは、むしろ 「ブラジルのクープラン」と呼んでこそふさわしいかも知れません。 およそ300曲のピアノ小品において、ナザレーはみごとに、大衆的なブラジル舞曲のエッセンスを捕まえています。 ナザレーは、厳密には都会の聴衆のために作曲したのですが、その作品には、(ブラジルで奴隷制が廃止された1888年以降の作品でも、) アフリカ系民族音楽の豊かな影響が息づいています。ほとんどの曲に、スコット・ジョプリンが発想したようなシンコペーションが使われています。 ナザレーのピアノ曲には、ブラジルのありとあらゆるダンスが盛り込まれています。マシシ(英語版)、バトゥーキ(英語版)、 サンバ、 そして中でも重要なのがタンゴです。後に世界中を熱狂させ、席巻したタンゴが、ブラジル生まれだったというだけでなく、 実際にはナザレー自身の創り出したジャンルだったという証拠になるからです。 もしそれが間違いだったとしても、「ブラジル風タンゴ」の発展のほとんどにナザレーがかかわっていて、このジャンルに優に100曲を残しています。 最も有名な作品に、『ブレジェイロ(ろくでなし)"Brejeiro"』『アメノ・ヘゼダ"Ameno Reseda"』『バンビーノ(赤ん坊)"Bambino"』 『トラベッス(腕白坊主)"Travesso"』『フォン・フォン"Fon-Fon"』『テネブローズ(暗闇)"Tenebroso"』があります。 ナザレーが初めて「ショーロ」と呼んだ作品のうち、『アパニェイチ・カヴァキーニョ(頑張れカバキーニョ)"Apanhei-te Cavaquinho"』は、 さまざまな楽器アンサンブルによって演奏できる、古典的名作です。 晩年になって完全に聴覚を失うと、創作活動にも支障をきたしましたが、それでもブラジル国内ではなかなかナザレー人気は衰えませんでした。 ゴットシャルクやジョプリンを評価する人たちなら、ナザレーの残した魅力的な宝石たちをきっとたちまち気に入るに違いありません。 作曲者の死後から半世紀を経た近年になって、ナザレー作品を集めたアルバム制作が世界的にも相次いでいて、最近では伝記や、 作曲者に関するCD-ROMも発表されています。ナザレーは、クラシックとポピュラー音楽にまたがって活動したことから、ナザレーのピアノ曲は、 クラシックの学び手にも、ポピュラー音楽の学び手にも、有用な教材とされつつあります。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
MORE -
鍵盤打楽器四重奏 ブリキの兵士のパレード 楽譜
¥1,800
鍵盤打楽器四重奏 ブリキの兵士のパレード The Parade of the Tin Soldiers Jessel Leon 編成はGlock.、Xylo.、Vib.、Marim.です。 クラリネット五重奏版、サックス五重奏版、木管五重奏版、金管五重奏版は発売中です。 可愛いパレードの様子を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/KPjKLwgBjHw Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html ブリキの兵士のパレード(Die Parade der Zinnsoldaten)は、木製の兵士のパレードとも呼ばれ、 1897年にドイツの作曲家レオンイェッセルによって 書かれた人気のある陽気な行進の形をした器楽のキャラクター作品です。 日本では「キューピー3分クッキング」のテーマ曲として有名です。 おもちゃの兵隊のパレードはもともとソロピアノのために作曲されました。 イェッセルは後に1905年にオーケストラのために作品123として出版しました。 今日では、マーチングバンド、コンサートバンド、小さなオーケストラ、 そして非常に多様な代替楽器にも人気のある曲です。 1920年代初頭以来、この作品は米国で非常に人気があり、世界中で頻繁に演奏され、録音されています。 バラード・マクドナルドの英語の歌詞で、1922年の作品から「木製兵士のパレード」という曲も作成されました。 1922年、おもちゃの兵隊のパレードのインストルメンタルバージョンは、カールフェントンのオーケストラによって 演奏されたヒットシングルでした。 ヒットバージョンは、1922年にヴィンセントロペスオーケストラによって、1923年にポールホワイトマンと 彼のオーケストラによっても録音されました。 「木製兵士のパレード」:毎年恒例のラジオシティクリスマススペクタキュラーのロケッツ イェッセルの非オペラ作品の1つは、世界中でまだ広く演奏され、録音されています。オーケストラまたは軍楽隊の 「おもちゃの兵隊のパレード」(Die Parade der Zinnsoldaten)の陽気な行進です ブリキの兵士のパレードは、1920年代初頭に、ニキータ・バリエフのLa Chauve-Souris寄席ショーで、 「木製の兵士のパレード」というタイトルで国際的に普及しました。1923年、リー・ド・フォレストは、 撮影木製の兵士のパレードデフォレストでは、Balieffの会社によって行われました。 この映画はその年にニューヨーク市で初演され、 米国議会図書館のモーリスゾウアリーコレクションに含まれています。 1920年代半ばまでに、この作品はカールフェントン、ヴィンセントロペス、ポールホワイトマンのオーケストラによって録音され たヒットシングルになりました。それ以来、広く演奏され、録音されてきました。たとえば、同じ名前のベティブープの 映画は、 1933年に音楽で作成され、ロケッツはそれ以来、毎年恒例のラジオシティクリスマススペクタキュラーで 作品の独自の振り付けバージョンを実行しています。 英国で長年使用されたBBCのラジオの子供の時間シリーズ導入するToytownの話をもとにしています。 使用された録音は、ニューライトシンフォニーオーケストラによるものでした。 レオン・イェッセル(1871年1月22日? 1942年1月4日)は、オペレッタと軽いクラシック音楽のドイツの作曲家でした。 今日、彼は人気のある冗談の行進の作曲家として国際的に最もよく知られています。 「おもちゃの兵隊のパレード」は「木製兵士のパレード」としても知られています。イェッセルは、何百もの軽いオーケストラ曲、 ピアノ曲、歌、ワルツ、マズルカ、行進曲、合唱、その他のサロン音楽を書いた多作の作曲家でした。 彼は多くのオペレッタでかなりの称賛を獲得しました。 特に、今日でも人気のあるSchwarzwaldmadel(黒い森の娘)です。 イェッセルは生まれつきユダヤ人であったため(23歳でキリスト教に改宗)、1920年代後半のナチズムの台頭により、作曲は事実上終了し、 非常に人気のあった彼の音楽作品は抑圧されました。そしてほとんど忘れられました。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
MORE -
Solo+木管四重奏 歌劇「グリゼルダ」第2幕 「お前を讃える栄光のために」D dur 楽譜
¥1,800
Solo+木管四重奏 歌劇「グリゼルダ」第2幕 「お前を讃える栄光のために」D dur ジョヴァンニ・ボノンチーニ Per la gloria d’adorarvi from Griselda Act 2 Giovanni Bononcini 編成はFl.、Ob.、Cl.、Bsn.およびSoloパートです。Fl.パートはOb.でも演奏可能です。 同梱のSoloパート楽譜はin F版(Hn.)、 in C版(Ob.、Mallet Perc.など)、 in C-Fl.版(Fl.、Pic.)、 in C低音版(Eup.、Bsn.、Tbn,、St.Bs.など)、 Tubaは1オクターブ下げて演奏できます。 in B版(Tp.、Cl.、Bs.Cl.、Sop.Sax.、T.Sax.など)、 in Es版(Es Cl.、A.Sax.、B.Sax.など)が含まれています。 多くの楽器がSoloを担当し、伴奏は下の編成も含め4種類から選ぶことができます。 金管四重奏版、サックス四重奏版、クラリネット四重奏版は発売中です。 イタリアのバロック音楽の美しい愛のアリアを、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/wMOONEYHUPw Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html イタリアのバロック音楽の作曲家ジョヴァンニ・ボノンチーニ(Giovanni Bononcini, 1670-1747)の作品です。 彼はボローニャの聖ジョヴァンニ大聖堂で楽長職を務める等の活動をし、多くのオペラやミサ曲を作りました。 1720~32年まではロンドンに滞在し、一時はヘンデルとライバル関係にあったそうです。 この曲は、元は彼のオペラ作品「グリゼルダ」(Griselda、1722年作)の中のアリアでした。 グリセルダは、ジョヴァンニ・ボノンチーニが作曲した3幕構成の歌劇です。 報われなくても一途に相手を想う気持ちが歌われています。 現在ではオペラが上演されることはありませんが、この曲だけは単独歌曲として声楽コンサート等でよく歌われています。 ●ボノンチーニについて 『グリゼルダ(Griselda)』を作曲したジョヴァンニ・バッティスタ・ボノンチーニ(1670-1747)は、 モデナ出身のイタリア・バロック音楽の作曲家で、チェリストです。 父はヴァイオリニストで作曲家のジョヴァンニ・マリア・ボノンチーニ、 弟は作曲家のアントニオ・マリア・ボノンチーニという音楽一家の出身です。一族が音楽家だったバッハを彷彿とさせますね。 ボローニャでチェロを学び、その後、オペラの作曲を手掛けるようになってから、ミラノ、ローマ、ヴェネツィア、ベルリン、 ロンドン、ウィーンの各地にてオペラの上演を行いました。晩年はウィーンで過ごし、その地で没しました。 実は、オペラ『グリゼルダ』(1722)は、今日では、その中のアリア「お前を讃える栄光のために(Per la gloria d’adorarvi)」のみが 歌い継がれています。それも、パバロッティ、カレーラス、サザーランドといった錚々たる歌手達ばかり。 再演されることはないのですが、ストーリーは次のような内容です。 農民出身であるヒロイン、グリゼルダは、シシリア王に見初められ妻となったのは良かったものの、 身分の違う結婚に反対する反乱勢力からの圧力で、王はグリゼルダとの離縁を余儀なくされてしまいます。 そして波乱の展開の最後には、王と復縁できるというもの。 脚本はアポストロ・ツェーノですが、詩人のパオロ・アントニオ・ロッリがツェーノのテキストを改定しています。 そして「お前を讃える栄光のために」は、グリゼルダの娘、アルミレーナの恋人であるエメストのアリアです。 朗々とアルミレーナへの愛を歌い上げるこのアリアは、名だたる歌手達によって演目のひとつに選ばれやすい歌です。 なお、同じ脚本をもとに、ジョバンニの弟のアントニオ・マリア・ボノンチーニ、ビバルディ、アレッサンドロ・スカルラッティといった 大作曲家達が、同名のオペラを作曲しています。 おそらく、『グリゼルダ』を冠すると、そのオペラにお客が入るという、当時は、とても人気があった脚本であったに違いありません。 この曲は愛がテーマです。愛の苦悩を抱きつつも、愛する喜びの思いが歌われたとても華やかな一曲です。 大変華やかで明るく情熱的に演奏したい一曲です。音楽大学の声楽専攻を希望する受験曲としてもよく取り上げられています。 歌詞 イタリア語(原詩) Per la gloria d’adorarvi voglio amarvi o luci care. amando penero; ma sempre v’amero nel mio penare. Senza speme di diletto vano affeto e sospirare: mai vostri dolci rai chi vagheggiar puo mai e non v’amare? (日本語訳) お前を愛する名誉のために 私はお前を愛したい あぁ!いとしい瞳よ! 愛しつつ苦しもう! だが、ずっと愛していよう! そう、苦しみつつも! 幸せを得る希望もなく むなしいこの愛は ただ溜め息だけ。 けれどお前の目の甘美なまなざしに 心を奪われてしまった者は、 どうしてお前を愛せずにいられるのだ? アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
MORE -
トロンボーン三重奏 シュペールのソナタ・イ短調 楽譜
¥1,140
トロンボーン三重奏 シュペールのソナタ・イ短調 Sonata in a moll Daniel Speer 編成はユーフォニアムまたはトロンボーン3本です。 サックス三重奏版は発売中です。 バロック期の壮麗な響きをコンサートのオープニング・ピースに、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/u2Z1CUonijs アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html ダニエル・シュペール - Daniel Speer Georg Daniel Speer(1636年7月2日-1707年10月5日)は、ドイツの作曲家であり、バロックの作家です。 シュペールはブレスラウ(現在はポーランドのヴロツワフ)で生まれ、ドイツのゲッピンゲンで亡くなりました。 ダニエル・シュペールは17世紀末に南ドイツ地方で活躍していました。 音楽理論家としても教科書や理論書を出版しています。「四声ソナタ」のほか、三重奏の「二つのソナタ」も トロンボーン奏者にはお馴染みの曲です。曲は単純なつくりですが、ハーモニーや細かいパッセージに高い技術が要求されます。 バロック時代の美しい響きをお楽しみ下さい。 1687年に彼はミドルバロック音楽を理解するのに役立つと考えられている音楽に関する論文を発表しました。 彼の音楽への執筆は、1世紀以上にわたってドイツのバロックトロンボーン作品に影響を与えました。 作曲家として、例えばSpeerはトロンボーンのための音楽を発表しました。キーボードの小品も残っています。 彼は金管五重奏のためのDie Bankelsangerliederのソナタ第29番で最もよく知られています。 この曲は、結婚式やフォーマルな機会によく演奏されます。彼は教会ソナタに金管楽器を用いたことで有名です。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
MORE -
クラリネット五重奏 ジ・エンターテイナー 楽譜
¥2,300
クラリネット五重奏 ジ・エンターテイナー The Entertainer Scott Joplin 編成はCl.4本、Bs,Cl.です。 サックス四重奏、バリチューバ四重奏、鍵盤打楽器四重奏、木管五重奏、金管五重奏は発売中です。 落ち着いた雰囲気のラグタイムをコンサートピースの小品に、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/K8N6bK6McJc Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html エンターテイナー(英語: entertainer)は、 自身の特技、演技、芸、パフォーマンス、マジック、音楽などを披露し、観客を楽しませる或いは笑わせることで 接待するコメディアン、ミュージシャン、マジシャンを指します。 「ジ・エンターテイナー」(The Entertainer)は、1902年にスコット・ジョプリンによって 作曲されたピアノのためのラグタイムです。後に、1973年のアカデミー賞受賞映画『スティング』のテーマ曲として 使用されたことをきっかけに、1970年代のラグタイム復興の一端を担うこととなりました。 「ジ・エンターテイナー」には「ラグタイム・トゥー・ステップ」(A rag time two step)という 副題がつけられています。これは、1911年頃に流行したダンスの一種で、 当時作られたラグタイム曲に良く用いられていたものです。最初はハ長調ですが、途中からヘ長調の部分もあります。 曲の構成はA-B-A-C-Dの形態で、メロディは繰り返しの際に1オクターヴ上にするよう指示されています。 サッカー日本代表やJリーグの各クラブのサポーターのチャントとしてよく使われています。 また、それ以前にはプロ野球オリックス・ブレーブスの応援歌にも使われていました。 最近では、高校野球の応援歌としても使われる他、千葉ロッテマリーンズでも応援歌として使われています。 スコット・ジョプリン(Scott Joplin, 1867年 - 1917年4月1日)はアメリカ合衆国のアフリカ系アメリカ人の作曲家であり、 ピアノ演奏家。ラグタイムで有名な演奏家・作曲家であり、 「ラグタイム王」(King of Ragtime)と呼ばれています。 作風は陽気ではちきれそうな活気に満ちた音楽、心を揺さぶると同時に両足が反応せずにいられない音楽、 聞く者全てに微笑みがこぼれる音楽と例えられます。 ラグタイムとジョプリンへの1970年代の熱狂的リバイバルは終わりを告げましたが、 スコット・ジョプリンの音楽は今やスタンダードともいえる レパートリーであり、現代の生活にとけ込んだ音楽なのです。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
MORE -
サックス六重奏 ゴシック組曲 Op. 25 第3曲 ノートル・ダム(聖母)への祈り 楽譜
¥1,800
サックス六重奏 ゴシック組曲 Op. 25 第3曲 ノートル・ダム(聖母)への祈り Suite Gothique, Op.25 3. Priere a Notre-Dame Boellmann, Leon 編成はソプラノ、アルト2本、テナー2本、バリトンです。 木管六重奏版、クラリネット六重奏版は発売中です。 フランス・ロマン派によるオルガンの名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/Li_6GuIQPQk アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html この曲はレオン・ボエルマン(1862年~1897年)のオルガンのための作品「ゴシック組曲」の曲集です。 ボエルマンの代表作品です。第1楽章「導入‐コラール」、第2楽章「ゴシック風メヌエット」、 第3楽章「ノートルダムへの祈り」、第4楽章「トッカータ」の全4楽章からなります。 第3楽章の静かな祈りから一転して、4楽章のトッカータは、闇の世界に引き込まれていきそうな神秘的な作品で、 特に有名な曲です。 1. Introduction-Choral 2. Menuet gothique 3. Priere a Notre-Dame 4. Toccata ゴシック組曲 Op. 25 - 第1曲 導入‐コラール ゴシック組曲 Op. 25 - 第2曲 ゴシック風メヌエット ゴシック組曲 Op. 25 - 第3曲 ノートル・ダム(聖母)への祈り ゴシック組曲 Op. 25 - 第4曲 トッカータ L.ボエルマンはフランスのオルガニスト、作曲家です。E.ジグーにオルガンを学びました。 19世紀のフランスのオルガンは,カヴァイエ=コルによって,よりオーケストラの音響に近いものに改良されました。 このゴシック組曲は彼の最も有名な曲で、フランスロマン様式の本質を要約していて、フランス近代のオルガン音楽の特徴もよく表しています。 18世紀末のフランス革命の混乱により、フランス国内のオルガンの多くは、教会とともに破壊されてしまいました。 しかし、19世紀の中ころになると、教会の再建に併せて新型のオルガンが設置されはじめ、フランクやサン=サーンスらは、 こうしたオルガンに新たな可能性を求めて、多くの作品を作り出しました。 これら「フランス・オルガン楽派」と呼ばれる作曲家たちの流れに属するのが、レオン・ボエルマン(1862~1897)です。 彼は、ニーデルメイエ宗教音楽学校でウジェーヌ・ジグーらに師事しました。同門にはフォーレがいます。 1871年に優秀な成績で卒業した彼は、パリのサン・ヴァンサン=ド=ポール教会でオルガニストを勤めました。 1885年からは、母校で教鞭を執るとともに、作曲家やピアニストとしても活躍し、将来を嘱望されたが、35歳の若さで亡くなりました。 彼の最もよく知られている作品は、1895年につくられたオルガンのための『ゴシック組曲(作品25)』で、 オルガン音楽の分野では、最も有名な作品のひとつです。 曲は「序奏とコラール」「ゴシック風メヌエット」「ノートルダム(聖母)への祈り」「トッカータ」の4曲からなります。 第1曲は、重厚な交唱的効果の序奏。第2曲は軽く勢いのあるメヌエット。第3曲は静かで信仰心に満ちた祈り。 第4曲は絶え間なく動き,最後に大きな盛り上がりを見せるトッカータです。 特に、第4曲「トッカータ」が有名ですが、第3曲の「ノートルダムへの祈り」は、温かで静謐な美しさにあふれていて、趣き深い1曲です。 演奏時間はおよそ15分です。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
MORE -
木管五重奏「無言歌集」第8巻 Op.102より第3番「タランテラ」
¥1,500
木管五重奏「無言歌集」第8巻 Op.102より第3番「タランテラ」ハ長調 Lieder ohne Worte, Op.102 MWV U195 (Mendelssohn, Felix) 編成はFl.、Ob.、Cl.2本、Bsn.です。 サックス五重奏版、金管五重奏版、クラリネット五重奏版、鍵盤打楽器四重奏版は発売中です。 メンデルスゾーンが書いた軽快な舞曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/uPxPDXC5Tvk Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html フェーリクス・メンデルスゾーンが作曲した一連のピアノ独奏のための「無言歌集 第8巻 作品102」の第3曲です。 ドイツ・ロマン派の瑞々しい抒情を味わえる作品です。 ワーグナーが「第一級の風景画家」と言ったように、メンデルスゾーンは情景描写や標題音楽の作曲において才能を発揮しています。 この“言葉のない歌曲”、「無言歌」、という形でメンデルスゾーンは心象風景や感情描写までも、表現しました。 歌曲風の旋律をもった器楽曲であるため、旋律線をはっきりと浮き立たせ、抒情的に演奏すると良いでしょう。 メンデルスゾーンが活躍したこの時期、ブルジョアジーの家庭を中心に、ピアノが教養として普及しました。 そのため、家庭で気楽に弾ける作品が多く作られたましたが、この《無言歌集》もその一つです。 《無言歌集》は各6曲ずつの計8集からなり、生前に出版されたのは、第6集までです。第7集は、1851年、第8集は1867年に出版されました。 1832年、第1集を出版したときには、メンデルスゾーンは、《ピアノのためのメロディー》と記していて、 《無言歌集》の名称をもつようになったのは1835年に第2集を出版してからのことでした。 標題をもっているものが多いのですが、作曲者自身によってつけられたものはわずかです。 実際、メンデルスゾーンは標題をつけることによって、音楽的な想像力が限定されることを嫌っていたようです。 第8巻は第7巻と同様に、この曲集もメンデルスゾーン死後に出版されたものです。 この曲集にも、メンデルスゾーンによってつけられた標題はありません。 3曲目は、ハ長調「タランテラ」 / op.102-3 (1845)です。 クリスマス用の小品として作曲されたものと考えられています。 メンデルスゾーンは、イタリアの情熱的舞曲に強い関心を示していて、ここでは、イタリア風の六拍子の快速な舞曲を用いています。 和音できざむ伴奏部は非常に軽く演奏します。 演奏時間:1分30秒 次にその他も含めた第8巻です。 1.ホ短調「寄る辺なく」 / op.102-1 (1842) 2.ニ長調「追憶」 / op.102-2 (1845) 3.ハ長調「タランテラ」 / op.102-3 (1845) クリスマス用の小品として作曲されたものと考えられています。 メンデルスゾーンは、イタリアの情熱的舞曲に強い関心を示していて、ここでは、イタリア風の六拍子の快速な舞曲を用いています。 和音できざむ伴奏部は非常に軽く演奏します。 4.ト短調「そよぐ風」 / op.102-4(不明) 5.イ長調「楽しき農夫」 / op.102-5 (1845) タランテラと同日に完成され、同様に、クリスマス用の小品として作曲されたとされています。 「子供のための小品」という名称でも知られ、よく親しまれています。主題のかけあいや、声部の交替がみられます。 6.ハ長調「信仰」 / op.102-6(不明) タランテラ (tarantella) は、イタリア・ナポリの舞曲です。 3/8または6/8拍子のテンポの速い曲で、曲名は、タラントという町の名前に由来します。また、同じ町の名を由来とする毒蜘蛛のタランチュラに噛まれると、 その毒を抜くために踊り続けなければならないとする話から付けられたという説もあるほか、その毒の苦しさゆえに踊り狂って死に、それを表現したという説もあります。 タランテラの歴史は中世にまで遡ることができ、より古い形式のダンスが起源とされます。 マンドリンやタンバリンの演奏に合わせて踊られますが、1つのスタイルに固まるまでいろいろなリズムが存在しました。 ショパンやリストなども、タランテラを作曲しています。 タランテラは、1人で踊ることよりはグループ、特にカップルや女性のペアで踊られることが多い円舞曲です。 最初は右回りに踊りますが、曲の一区切り毎に回る方向も左になり、テンポも速くなります。これが何回か繰り返され、 遅れずについていくのがだんだん難しくなっていきます。 タランテラは舞台ではヘンリック・イプセンの『人形の家』、映画では『ゴッドファーザー』などに登場します。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
MORE