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鍵盤打楽器とベース四重奏 エスコレガンド(滑るように)楽譜
¥1,400
鍵盤打楽器とベース四重奏 エスコレガンド(滑るように) タンゴ・ブラジレイロ Escorregando, Tango brasileiro エルネスト・ナザレ 編成はXylo.、Vib.、Marim.、St.Bs.です。 金管五重奏版、サックス五重奏版、木管五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。 「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/TtnrENBTCKA Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html Escorregando, Tango brasileiro エスコレガンド(滑るように)、タンゴ・ブラジレイロ ナザレの作品の中でも人気の一曲です。ハ長調、A-B-C-A形式になっています。延々と続く16分音符の旋律(特にBの部分の連打音の所など)は、 題名通り縦横無尽に流れていく何とも楽しい曲です。Cはヘ長調に転調して、左手の跳躍の広いリズムと右手のオクターブの旋律がとても華やかで、 盛り上がりも最高に達します。テンポを落とさずに上手に演奏するのは技巧的に結構難しい曲です。 「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を知らずしてブラジル音楽は語れません。 南国ののどかな風光と、アフリカの野性的なエネルギーと、ロマンティシズムが渾然と混じり、甘美で、ちょっぴり切ない独特の音楽が聞こえてきます。 ミニョーネはこう述べています。「私は1917年頃にEduardo Soutoの楽譜店でナザレに会ったことがある。ナザレは自作曲を決して急がず、 カンタービレで弾いていた。彼はこう言っていたよ、『私の作品はあちこちでメチャメチャに弾かれている。みんな速く弾きすぎだ。 特に "Apanhei-te, Cavaquinho" は酷いことになっている。あの曲はゆっくりと、左手はカヴァキーニョを思い浮かべてアルペジオで弾くもんだ』と。」 エルネスト・ジュリオ・ナザレー (Ernesto Julio Nazareth (またはNazare とも), 1863年3月20日 - 1934年2月4日)は、ブラジルのピアニスト・作曲家です。 一生をリオ・デ・ジャネイロで過ごしました。「ブラジル風タンゴ」やショーロなど、国内の民族音楽に影響されたピアノ曲を量産しました。 そのような作曲姿勢から、しばしば「ブラジルのショパン」と呼ばれています。ピアノ以外の音楽教育は学ばなかったため、 残された作品はサロン小品と声楽曲ばかりであり、管弦楽曲や室内楽・カンタータやオラトリオのような分野の大作はなく、作曲技法も必ずしも洗練されていません。 しかしながら、民衆音楽の影響のもとに切り開いた独自の素朴な詩境は、のちにヴィラ=ロボスから、「ブラジルの魂」と称賛されました。 中産階級ながらもあまり豊かでない下級官吏の家庭に生まれ、ショパンを愛する母親からピアノの手ほどきを受けました。 早い年齢でたぐい稀な音楽的才能が認められ、家族ぐるみで付き合いのあったアフロ=アメリカンの作曲家、 リュシアン・ランベールにも音楽の手ほどきを受けました。 1873年に母親が亡くなってからもピアノを学び、間もなく作曲も手がけるようになりました。 最初の出版作品のポルカ『ボセ・ベン・サービ"Voce Bem Sabe"』 (あなたはよく御存知)は、14歳になるまでに作曲・出版されました。 その後は、ショーロの楽士たちとたむろして、敏感で独特なリズム感を身につけました。マシシェ maxixe やルンドゥ lundu 、ショーロ choro 、 アフリカ系住民のダンスなど、さまざまな民族舞曲に影響されました。 長年ナザレーは、映画館オデオン座の待合室でピアニストとして働き、ここで最も有名な作品の一つ『オデオン』を作曲しました。 外国から数少ない音楽家がブラジルを訪問した際、オデオン座のナザレーの演奏を見学したといわれています。 1920年代初頭には、音楽ショップにピアニストとして雇われました。顧客が購入する際に持ち寄ってきた楽譜を見ながら、演奏し、 客の要望に沿うかどうかを確認して見せるのが任務でした。客の中に、ナザレー作品の楽譜を手ずから弾こうとする者がいると、止めさせて、 解釈が誤っていると苦情を言うのが常だったそうです。 ナザレーは、心底からのブラジル人音楽家であり、音楽は楽しまれるべきであるとして、それ以上を望みはしませんでした。 ほとんど独学であり、音楽活動のほとんどは、劇場や映画館の伴奏ピアニストとして、あるいは小劇場のアンサンブルでのピアニストとして、 演奏するのに振り当てられました。 そのような劇場アンサンブルの楽団員の知り合いには、後の大作曲家ヴィラ=ロボスがいて、当時はチェリストとして活動していました。 ナザレーはショーロの発展のおおもとであり、ヴィラ=ロボスは、これに基づき、後に自らの創作活動を繰り広げていったのです。 ナザレーは、ブラジルの民族音楽以外にも明らかに影響されていて、子供時代にむさぼるようにして学んだショパンの影響が中でも顕著です。 また、1869年にきら星のようにリオ・デ・ジャネイロにデビューして、瞬く間にブラジル楽壇を席巻したゴットシャルクの作風もナザレーにはお馴染みでした。 作品には、19世紀ヨーロッパのクラシック音楽の豊かな和声法がこだましながら、ナザレーの生地ブラジルの、シンコペーションをともなう 民族舞曲のリズム法に織り込まれてゆくのが認められます。そのうえ、アメリカ合衆国のラグタイムや初期のジャズの、小気味よいリズム感も健在です。 これらの要素を統合して一つの有機体へとまとめ上げたことがナザレー独自の能力で、結果的には、ピアノ曲のレパートリーだけでなく、20世紀の音楽にも重要な貢献を果たしています。 ナザレーはショパンやその他のヨーロッパの作曲家から霊感を受けたように、逆に自らも、間接的とはいえ、ヨーロッパの作曲家に何かしらの影響を与えています。 フランス人作曲家のダリユス・ミヨーは、自伝の中で、ブラジル滞在中にリオ・デ・ジャネイロの映画館でナザレーがピアノを演奏する風景を回想しています。 ミヨーはその音楽のリズムにたちどころに虜となって、ブラジル音楽をきわめてやろうと決心したというのです。 その最終的な成果こそが、ミヨーのピアノ曲『ブラジルの想い出 Saudades do Brasil』でした。 ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ばれていますが、作品に副題を好んでつけた点で、ショパンとは違っています。 ショパンやフォーレよりもヨーロッパのサロン音楽の伝統に忠実だったといえます。 しかしながら19世紀から20世紀初頭まで、ヨーロッパではサロン小品にフランス語の題名をつける慣習がまだ根強く残っていたのに対して、 ナザレーは母語のポルトガル語に固執しました。 また題名によって、ドビュッシーやラヴェルのように、美術や文学からのインスピレーションをほのめかしたり、 リストのように詩的な連想を暗示することもありませんでした。 ナザレーの曲名には、しばしば第三者にとって謎めいた響きをもつものもありますが、それらは実在するスポーツチームやダンスクラブ、雑誌名など、 ナザレーの日常生活の周辺から切り取られたものばかりです。このような意味で、ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ぶよりは、むしろ 「ブラジルのクープラン」と呼んでこそふさわしいかも知れません。 およそ300曲のピアノ小品において、ナザレーはみごとに、大衆的なブラジル舞曲のエッセンスを捕まえています。 ナザレーは、厳密には都会の聴衆のために作曲したのですが、その作品には、(ブラジルで奴隷制が廃止された1888年以降の作品でも、) アフリカ系民族音楽の豊かな影響が息づいています。ほとんどの曲に、スコット・ジョプリンが発想したようなシンコペーションが使われています。 ナザレーのピアノ曲には、ブラジルのありとあらゆるダンスが盛り込まれています。マシシ(英語版)、バトゥーキ(英語版)、 サンバ、 そして中でも重要なのがタンゴです。後に世界中を熱狂させ、席巻したタンゴが、ブラジル生まれだったというだけでなく、 実際にはナザレー自身の創り出したジャンルだったという証拠になるからです。 もしそれが間違いだったとしても、「ブラジル風タンゴ」の発展のほとんどにナザレーがかかわっていて、このジャンルに優に100曲を残しています。 最も有名な作品に、『ブレジェイロ(ろくでなし)"Brejeiro"』『アメノ・ヘゼダ"Ameno Reseda"』『バンビーノ(赤ん坊)"Bambino"』 『トラベッス(腕白坊主)"Travesso"』『フォン・フォン"Fon-Fon"』『テネブローズ(暗闇)"Tenebroso"』があります。 ナザレーが初めて「ショーロ」と呼んだ作品のうち、『アパニェイチ・カヴァキーニョ(頑張れカバキーニョ)"Apanhei-te Cavaquinho"』は、 さまざまな楽器アンサンブルによって演奏できる、古典的名作です。 晩年になって完全に聴覚を失うと、創作活動にも支障をきたしましたが、それでもブラジル国内ではなかなかナザレー人気は衰えませんでした。 ゴットシャルクやジョプリンを評価する人たちなら、ナザレーの残した魅力的な宝石たちをきっとたちまち気に入るに違いありません。 作曲者の死後から半世紀を経た近年になって、ナザレー作品を集めたアルバム制作が世界的にも相次いでいて、最近では伝記や、 作曲者に関するCD-ROMも発表されています。ナザレーは、クラシックとポピュラー音楽にまたがって活動したことから、ナザレーのピアノ曲は、 クラシックの学び手にも、ポピュラー音楽の学び手にも、有用な教材とされつつあります。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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Solo+サックス四重奏 ジョスランの子守唄 楽譜
¥2,200
Solo+サックス四重奏 ジョスランの子守唄 Berceuse de Jocelyn バンジャマン・ルイ・ポール・ゴダール Benjamin Louis Paul Godard 編成はアルト2本、テナー、バリトンおよびSoloパートです。 同梱のSoloパート楽譜はin F版(Hn.)、 in C版(Ob.、Mallet Perc.など)、 in C-Fl.版(Fl.、Pic.)、 in C低音版(Eup.、Bsn.、Tbn,、St.Bs.など)、 Tubaは1オクターブ下げて演奏できます。 in B版(Tp.、Cl.、Bs.Cl.、Sop.Sax.、T.Sax.など)、 in Es版(Es Cl.、A.Sax.、B.Sax.など)が含まれています。 多くの楽器がSoloを担当し、伴奏は下の編成も含め4種類から選ぶことができます。 金管四重奏版、クラリネット四重奏版、木管四重奏版は発売中です。 フランスのロマン派を味わえる美しい名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/EfLLYe7i7Pg Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html バンジャマン・ルイ・ポール・ゴダールは、 1849 年パリに生まれ、1895 年カンヌで亡くなったフランスのヴァイオリニストであり、作曲家でした。 パリ音楽院において、ヴェータンにヴァイオリンを、ルベルに作曲を師事します。室内楽団でヴァイオリンまたはヴィオラを演奏するとともに、 作曲家としてもヴァイオリンやピアノのための作品から管弦楽曲、オペラまで幅広く手がけています。 1887 年からパリ音楽院室内楽科教授となりました。 オペラ「ジョスラン」の子守歌は特に有名です。 ジョスランの子守唄 バンジャマン・ルイ・ポール・ゴダール (1849 ~ 1895)フランス Benjamin Louis Paul Godard パンジャマン・ルイ・ポール・ゴダールは 1849 年パリに生まれ、 1895 年に亡くなった、フランスの作曲家です。 1878 年パリ市の作曲コンテストで「劇的交響曲」が1位に入賞して、その名を世に知られるようになりました。 その後、歌劇を手がけ、この子守歌で知られる「ジョスラン」、「酒保商人」などを書いています。 ジョスランの子守歌 ゴダール 歌詞の意味・日本語訳・原曲のフランス語の歌詞 『ジョスランの子守歌 Berceuse de Jocelyn』(ベルスーズ・ドゥ・ジョスラン)は、19世紀フランスの作曲家ゴダールによる オペラ『ジョスラン Jocelyn』中のアリア(歌)です。 オペラ『ジョスラン』が今日上演される機会はほとんどなく、『ジョスランの子守歌』だけが独立した楽曲として単独で演奏されるほか、 安眠・リラックス系クラシック音楽CDの一曲としてコンピレーション・アルバムに収録されることがよくあるようです。 日本では古くから唱歌として歌われており、『流浪の民』、『ローレライ』、『野ばらの名訳で知られる訳詞家の 近藤 朔風(こんどう さくふう/1880-1915)による歌詞が現代まで伝えられています。 世界遺産モン・サン=ミシェル修道院(Mont Saint-Michel)でもフランス革命時に特権階級の聖職者は迫害され、 モン・サン=ミシェル修道院は廃止されました。1863年まで国の監獄として使用されていました。 "Berceuse" from Jocelyn - Summer Watson 訳詞:近藤 朔風 むごきさだめ 身に天降(あも)りて 汝(なれ)と眠る のろわれの夜(よ) 胸のうれい ゆめに忘れん 祈らばや ゆらぐ星のもと 夢のまきまきに あこがれよ み空へ 眠れいとし子よ 眠れ今は小夜中(さよなか) あゝ夢ぞいのち マリアよ守りませ 愛のつばさに おおわれつ わが来し方(こしかた) かえりみれば 流れたゆとう 波にも似たり あわれいく日 祈りに泣きぬ 夢のまきまきに あこがれよ み空へ 眠れいとし子よ 眠れ今は小夜中 あゝ夢ぞいのち マリアよ守りませ 近藤 朔風による『ジョスランの子守歌』の訳詞を見てみると、「むごきさだめ(惨き運命)」、「のろわれの夜(呪われの夜)」、 「胸のうれい(憂い)」などと、冒頭から子守歌らしからぬ、ただならない雰囲気が漂っています。 「祈り」「マリア」といったキリスト教を連想させるキーワードが使われていて、キリスト教に関連する過酷な運命の歴史が 暗に示されている歌詞です。 原曲:フランス語の歌詞・日本語訳 Berceuse de Jocelyn Couches dans cet asile Ou Dieu nous a conduits Unis par le malheur Durant les longues nuits Nous reposons tous deux Endormis sous leurs voiles Ou prions aux regards Des tremblantes etoiles ! 神がお導きになった この安らぎの場所に隠れて 不幸ばかりの 永い夜を 二人で休もう 瞬く星が守ってくれる ベールの下で眠ろう Oh ! Ne t'eveille pas encore Pour qu'un bel ange de ton reve En deroulant son long fil d'or Enfant, permette qu'il s'acheve あぁ、まだ起きないで 君の夢の中に現れる美しい天使が 長い金の糸を巻き取る間 御子よ、天使がそれを終えるまで Dors ! dors ! Le jour a peine a lui ! Vierge sainte, veillez sur lui ! 眠れ、眠れ、人生はほんのわずかのこと マリアよ、人生を見守ってくれ Sous l'aile du Seigneur Loin du bruit de la foule Et comme un flot sacre Qui doucement s'ecoule, Nous avons vu les jours Passer apres les jours Sans jamais nous lasser D'implorer son secours ! 神の安らぎのもと 雑踏の騒がしさから離れて まるで聖なるしずくがゆっくりと流れるように 私たちは毎日を過ごした 助けを請い願うこともなく ジョスラン(オペラ) フランス革命で立ち上がった貧しい市民達 聖職者・貴族が標的に オペラ『ジョスラン Jocelyn』は、19世紀フランスの作曲家ゴダールによる全4幕のオペラ・歌劇。1888年に初演されました。 今日上演される機会はほとんどなく、同作中のアリア『ジョスランの子守歌 Berceuse de Jocelyn』だけが独立した楽曲として単独で演奏されています。 オペラ『ジョスラン』のあらすじ・ストーリーは、フランスの詩人・政治家アルフォンス・ド・ラマルティーヌ(Alphonse de Lamartine/1790-1869)の 長編詩に基づいています。 舞台は18世紀末のフランス。聖職者の主人公ジョスランは、過激化するフランス革命の荒波にのまれ、山で数奇な逃亡生活を送ることになります。 ストーリーは「フランス革命」「聖職者」「逃亡生活」というキーワードがあらすじの大きな柱となっています。 フランス革命と追われる聖職者の歴史 フランス革命以前の身分制度「アンシャン・レジーム」では、国民は三つの身分に大別されていました。 第一身分は聖職者、第二身分は貴族、第三身分は市民や農民です。このうち第一身分と第二身分はいわゆる特権身分であり、免税特権を持っていました。 1789年のフランス革命により第三身分の第三身分の市民・農民たちが立ち上がると、貴族や聖職者たちは革命軍の標的となり、 1793年にはルイ16世とマリー・アントワネットはパリのコンコルド広場でギロチンで公開処刑されました。 特権身分のキリスト教は徹底的に弾圧され、聖職者追放と教会への略奪・破壊が横行しました。 1793年11月にはフランス全土でミサの禁止と教会の閉鎖が実施され、祭具類はことごとく没収されて造幣局で溶かされました。 オペラ『ジョスラン』の主人公である聖職者のジョスランも、このフランス革命のあおりを受けて山岳地帯へ逃亡しました。 『ジョスランの子守歌 Berceuse de Jocelyn』はその逃亡中の山の中でジョスランが歌った歌なのでしょう。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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金管四重奏 グリーグ :抒情小品集 第4集 Op.47-3 楽譜
¥1,400
金管四重奏 グリーグ :抒情小品集 第4集 Op.47-3 メロディー Lyriske smastykker No.4 op.47-3 Melodie Grieg, Edvard Hagerup 編成はTp.、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。 クラリネット四重奏版、サックス四重奏版、木管四重奏版は発売中です。 ノルウェー色が豊かな名曲をコンサート・ピースなどに、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/DD_lcIn-7qc Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html グリーグはベルゲンというオスロに次ぐ大都市に5人兄弟の第4子として生まれました。 幼少より母親からピアノを習いはじめ、15歳から18歳までは、ドイツのライプツィヒ音楽院で作曲とピアノを学び、 メンデルスゾーンやシューマンらの影響を受けました。 音楽院を卒業後は故郷ベルゲンに戻り、さらに翌1863年にコペンハーゲンで ニールス・ガーデ(Niels Gade, 1817年~1890年)から作曲を教わり、国民楽派の影響を受けたと言われています。 彼はノルウェーの民族音楽から着想を得て、国民楽派の作曲家として注目されました。 民族音楽からの深い影響は『ペール・ギュント』第1組曲の第1曲「朝」の冒頭がノルウェーの民族楽器である ハリングフェーレの共鳴弦を端からつま弾いた時の旋律から始まっていることからもうかがうことができます。 グリーグの肖像は、旧500クローネ紙幣に描かれていました。 グリーグはとても小柄であった。生前は卓越したテクニックのピアニストとしても著名で、自作を携えヨーロッパをたびたび演奏旅行している。晩年のアコースティック録音およびピアノロールが残されており、現在もCDで入手できる。 生地であるノルウェーの旧首都ベルゲンの自然と海をこよなく愛しました。 死後に火葬され、遺言によりトロールハウゲンの住居の下にある湖を望む岩壁に墓が設けられ、一部の遺灰は湖に撒かれました。 グリーグは終世、手のひらに乗るぐらいの小さな蛙の置物や子豚のぬいぐるみを大切にし、 寝る時も一緒だったそうです。演奏会の時は、あがらないように、ポケットの中で蛙の置物をそっと握りしめたそうです。 なお、この蛙の置物と子豚のぬいぐるみはグリーグの家(現在のエドヴァルド・グリーグ博物館)に展示されています。 ちょうどこのグリーグが活躍した時代というのは、当時勢いのあったドイツのロマン派音楽が周辺諸国へと波及し、 それぞれの国の民族的要素と融合した新しい音楽様式が生まれましたが、それを音楽史の中では「国民楽派」と呼んでいます。 その背景には、当時鉄道が整備され人々の移動が容易になったことも関係しているのではないかと思われます。 国民楽派の作曲家たちは、自国の歴史や風物、民謡、民族音楽などを題材にした作品を積極的に作りました。 ロシア、ボヘミア地方、北欧などで様々な作曲家たちが活躍し始めるのがこの時期です。 『抒情小曲集』は、エドヴァルド・グリーグが1867年から1903年にかけて作曲した、全66曲からなるピアノ曲集です。 6~8曲ごとにまとめられて出版され、全10集からなっています。 1867年、《ピアノ協奏曲イ短調 作品16》で一躍有名になったグリーグは、この年から1901年にかけてこの作品集を書き上げました。 抒情小品は生涯にわたって作曲されているため、グリーグの作風、ピアニズム、その変遷すべてがその中にあらわれていて、 作品群の中でも中心的な存在です。 いずれも1分~6分程度の小品で、ステージ用というよりは、主にサロンや家庭で広く親しまれていました。 どの曲にも標題がつけられていて、それぞれの曲に対して、一つの感情、気分、情景が表現されています。 1867年、第1集を発表しましたが、その後ピアノ、作曲、指揮など多忙だったこともあって、第2集が発表されたのは、 その16年後でした。第2集から第10集はある一定の間隔をおきながら続けて作曲されました。 全10巻で、計66曲の作品がおさめられています。 グリーグ : 抒情小品集 第4集 / Lyriske smastykker No.4 op.47 第4集は、第3集の出版からちょうど10年後にあたる1888年に出版された。比較的やさしい技巧で弾くことができた第3集までの作品と比べ、 第4集以降、やや難易度が増しています。また、第3集にみられたような、全曲を通しての内容の一貫性はありません。 1.即興的ワルツ / op.47-1 "Valse-Impromptu":民族的な舞曲のリズムにのせて、どことなく物憂げで神経質なメロディがさまようように奏でられます。 Strettoの部分は即興的で、非常に煌びやかな効果をあげています。全体的に単調にならないよう、ハーモニーの変化を感じて演奏しましょう。 2.アルバムのページ / op.47-2 "Albumblad":なにか輝かしい良き日の思い出を想わせるような、一曲で技巧的に難しい曲です。 メロディが中心となる主要な箇所と、挿入句的なパッセージの部分とは、効果的に雰囲気を分けて演奏しましょう。 3.メロディー / op.47-3 "Melodie":和音が一定のリズムを保ちながら、伴奏をきざみ、その上を憂いにみちた旋律が延々と歌われていきます。 和音の中で、いかに旋律を音楽的に奏でることができるかが重要です。そのために、伴奏のリズムに推進力をもたせることも大切でしょう。 4.ハリング / op.47-4 "Halling":民族的な和声とリズムの面白さが魅力的な曲です。第2集の〈ハリング〉と同じリズムが用いられています。 5度の音程をシンコペーションのリズムで一定に刻み続けます。時に音量を変化させながらも、このリズムをかなり正しく演奏することが、 曲の雰囲気を出す上で重要です。声部ごとに強迫拍の位置が異なっていることも意識して演奏しましょう。 5.メランコリー / op.47-5 "Melankoli":タイトルが示すとおり、ため息のような旋律が欝欝とした様子で静かに奏されます。 各部によって、支えになっている持続音が変化しているので、これを意識して、色合いを変化させていきましょう。 6.スプリング・ダンス / op.47-6 "Springdans":1975年に出版された《家庭音楽集》の中に既におさめられていた曲を改訂した曲です。 舞曲のリズムが刻まれ、その上を活気に満ちた旋律が進んでいきます。大きな跳躍をみせる技巧的な部分、叙情的な中間部など魅力に富んでいます。 中間部の旋律は、比較的あっさりめに演奏するほうが旋律のもつ性格が活かされるでしょう。 和声的な進行を意識し、主要な音の動きを把握して演奏することも大切です。 7.エレジー / op.47-7 "Elegie":旋律につけられているアクセントは、強く、というよりはテヌート気味に奏されます。 物憂げに繰り返される旋律に対して、下降していく和音の色づけにも心を配りたいところです。 中間部では、装飾音を帯びて増やされた音とともに、抑圧された悲しみも、より増していくように感じられます。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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クラリネット五重奏 マルシェ・ポンティフィカーレ(賛歌と教皇の行進曲)楽譜
¥1,800
クラリネット五重奏 マルシェ・ポンティフィカーレ(賛歌と教皇の行進曲) Marcia Pontificale Charles Gounod 編成はCl.4本、Bs,Cl.です。 サックス五重奏版、木管五重奏版、金管五重奏版は発売中です。 神々しいバチカンの雰囲気漂う作品をコンサートピースのオープニングに、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/J4FhEZcaq8Y Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 賛歌と教皇の行進曲(さんかときょうこうのこうしんきょく、ラテン語: Hymnus et modus militaris Pontificalis、イタリア語: Inno e Marcia Pontificale)は バチカンで国歌に準じて演奏される歌です。通称Inno(賛歌)、教皇歌、教皇行進曲、教皇賛歌とも呼ばれています。 アントニオ・アッレグラ (Inno e Marcia Pontificale、Antonio Allegra) 作詞、シャルル・グノー (Charles Gounod) 作曲の作品です。 シャルル・フランソワ・グノー(Charles Francois Gounod,1818年6月17日 - 1893年10月18日)は、フランスの作曲家です。 ゲーテの『ファウスト』第1部に基づく同名のオペラで有名です。このバチカンの実質的な国歌である『賛歌と教皇の行進曲』を作曲したことでも知られています。 1870年から1875年まで、グノーは戦乱を避けてイングランドに過ごし、のちの王立合唱協会(ロイヤル・コーラル・ソサエティ)の首席指揮者を務めました。 この頃から、グノー作品の多くが実質的に声楽曲や合唱曲となりました。 グノーは後半生において主に宗教曲を手掛けていますが、中でもバッハの『平均律クラヴィーア曲集』第1巻第1曲の前奏曲に旋律をかぶせた『アヴェ・マリア』は有名であり、 『グノーのアヴェ・マリア』と称されています。 《歌詞》 イタリア語版 賛歌 Roma immortale di Martirie di Santi, Roma immortale accogli i nostri canti: Gloria nei cieli a Dio nostro Signore, Pace ai Fedeti, di Cristo nell'amore. A Te veniamo, Angelico Pastore, In Te vediamo il mite Redentore, Erede Santo di vera e santa Fede; Conforto e vanto a chi combate e crede, Non prevarranno la forza ed il terrore, Ma regneranno la Verita, l'Amore. 教皇の行進曲 Salve Salve Roma, patria eterna di memorie, Cantano le tue glorie mille palme e mille altari. Roma degli apostoli Madre e guida dei Rendenti, Roma luce delle genti, il mondo spera in te! Salve Salve Roma, la tua luce non tramonta, Vince l'odio e l'onta lo splendor di tua belta. Roma degli Apostoli Madree guida dei Redenti, Roma luce delle genti, il mondo spera in te! ラテン語版 賛歌 O felix Roma - O Roma nobilis. Sedes es Petri, qui Romae effudit sanguinem, Petri, cui claves datae sunt regni caelorum. 2 Pontifex, Tu successor es Petri; Pontifex, Tu magister es tuos confirmas fratres; Pontifex, Tu qui Servus servorum Dei, hominumque piscator, pastor es gregis, 3 ligans caelum et terram. Pontifex, Tu Christi es vicarius super terram, rupes inter fluctus, Tu es pharus in tenebris; Tu pacis es vindex, Tu es unitatis custos, 4 vigil libertatis defensor; in Te potestas. Tu Pontifex, firma es petra, et super petram hanc aedificata est Ecclesia Dei. O felix Roma - O Roma nobilis. 教皇の行進曲 :Roma, alma parens, Sanctorum Martyrumque, Nobile carmen, te decet, sonorumque, Gloria in excelsis, paternae maiestati Pax et in terra fraternae caritati Ad te clamamus, Angelicum pastorem: Quam vere refers, Tu mitem Redemptorem! Magister Sanctum, custodis dogma Christi, Quod unum vitae, solamen datur isti. Non praevalebunt horrendae portae infernae, Sed vis amoris veritatisque aeternae. Salve, Roma! In te aeterna stat historia, Inclyta, fulgent gloria Monumenta tot et arae. Roma Petri et Pauli, Cunctis mater tu redemptis, Lumen cunctae in facie gentis Mundique sola spes! Salve, Roma! Cuius lux occasum nescit, Splendet, incandescit, Et iniquo oppilat os. Pater Beatissime, Annos Petri attinge, excede Unum, quaesumus, concede: Tu nobis benedic. 日本語訳 おお幸福なるローマ おお幸福にして最も高貴なるローマ おお幸福なるローマ 幸福なるローマ 高貴なるローマ 汝はペトロの王座であり ペトロはキリストの地を得た 汝はペトロの王座であり ペトロは平和の使者なり 我らは常に教皇と共にあり 常に同胞を導く方で在り続けんことを 我らは常に教皇と共にあり 常に同胞を導く方で在り続けんことを 教皇は我らの礎 我らの力 漁師たちよ 汝は天と地を結ぶ羊飼いである ペトロ 汝は地上におけるキリストの司教であった 波の中に在りし岩よ 汝こそが道標であり真実である 汝こそがキリストの愛なり 汝こそが団結への守護者なり 自由を守る準備をせん 汝の中に全ての権威がある ペトロ 汝は地上におけるキリストの司教であった 波の中に在りし岩よ 汝こそが道標であり真実である 汝こそがキリストの愛なり 汝こそが団結への守護者なり 自由を守る準備をせん 汝の中に全ての権威がある おお高貴なるローマよ おお幸福にして最も高貴なるローマよ! アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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木管四重奏 3つの無言歌 Op.17から第3番 Op.17-3 楽譜
¥1,400
木管四重奏 3つの無言歌 Op.17から第3番 Op.17-3 フォーレ Faure, Gabriel 3 Romances sans paroles Op.17 編成はFl.、Ob.、Cl.、Bsn.です。 サックス四重奏、クラリネット四重奏版、金管四重奏版は発売中です。 自然な歌の甘い旋律が魅力的なフォーレの音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/hrLw30xNop4 Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 3つの無言歌 ガブリエル・フォーレ Gabriel Faure この曲はフォーレのピアノ作品の出発点ともいえます。メンデルスゾーンの影響を受けたと考えられています。 「ロマンス」と言われることもあります。 ピアノの小品はロマン派時代に花咲きました。性格的小品という、キャラクター・ピースを直訳した名前でひとくくりにされることもありますが、 実際にはそれぞれの小品の種別で呼ばれることがほとんどです。この名前をつけたのはショパンに最も多くの作品があります。 メンデルスゾーンの「無言歌」(原題はLieder ohne Worte)は有名で、さらに「春の歌」や「ヴェニスの舟歌」など 別の標題がついている曲も多くあります。 フォーレの無言歌Op.17 は三曲からなり、メンデルスゾーンの無言歌と似ています。 両手のもつ機能を万遍なく使って、三声を同時に表現しています。 旋律も甘く、自然な歌を表現しています。 この3曲から成る小品集は1863年、フォーレが18歳の頃に作曲されたと考えられています。このフランス語のタイトルは、直訳すると 「言葉を伴わないロマンス」ということになりますが、2曲目にメンデルスゾーンの無言歌集の影響がうかがえることから、《無言歌》と呼ばれています。 1880年に出版されました。初演は、初めの2曲が1881年2月の国民音楽協会でポーリーヌ・ロジェにより、第3曲目が1889年1月の国民音楽協会で カーサ・シャトルジェ嬢により行われています。 第1番は3曲の中では温和な曲です。バリトン歌手レヴィの夫人にあたるフェリックス・レヴィ夫人に捧げられています。 アンダンテ・クァジ・アッレグレットの変イ長調で4分の3拍子。美しくかつゆったりと歌い上げられる右手のメロディーに、 左手が控えめな和音やエコーを奏します。 第2番イ短調は、4拍子で絶えず奏される無窮動風の音型に爽やかな旋律が載せられています。 ロール・ド・レイリッツに捧げられています。ロール・ド・レイリッツは、フォーレがニーデルメイエ校を卒業後、 レンヌで教会のオルガニストを勤めていた時(1866―1869)に知り合った女性です。アレグロ・モルトのイ短調で4分の4拍子のこの曲は、 3曲の中で最も長く、また、メンデルスゾーンの無言歌集の影響も最も色濃くうかがえます。特にそれは、左手の分散和音に乗って歌われる右手の メロディーが、時折分散和音と重複する書法で書かれていることに現れています。 第3番変イ長調は、初期のフォーレの作品のなかでとりわけ有名です。子守唄風のリズムに順次進行に基づくメロディーが大きな弧を描きます。 転調を経て最初のメロディーが回顧される個所はごく自然なカノンとなって現れ、曲を盛り上げています。 フローラン・サリオ夫人に捧げられています。第2曲目に引き続き、左手の分散和音に乗って右手のメロディーが優美に歌われます。 冒頭の部分は、《ドリー》の<子守歌>に通じるものが感じられます。メロディーはこの作品の終結近くで再現された際に、 カノンのような手法で巧妙に扱われます。 フォーレはパリのニーデルメイエール古典宗教音楽学校を卒業後は教会オルガニストとして活躍するも、 若い頃のフォーレは態度が悪く仕事を解雇されたり、普仏戦争が勃発し1870年に歩兵隊に入隊する等落ち着かない時期でした。 戦争に勝利し除隊後、パリのサン・シュルピス教会の補助オルガニストとなる。この頃からサン=サーンスのサロンの常連となりました。 ダンディ、ラロ、デュパルク、シャブリエ等と知り合い、1871年発足の国民音楽協会のメンバーとなりました。 以後フォーレの作品はこの協会の音楽会で初演されています。 74年マドレーヌ教会オルガニストに、77年合唱長になりました。 フォーレはリストに出会い、各地を旅してワーグナーのオペラの多くを観て熱中するも、影響を受けることはありませんでした。 83年結婚。85年父の死をきっかけに「レクイエム」に取りかかりました。ほぼ完成した88年に母が亡くなり、完成は1900年に持ち越されました。 合唱長の仕事と個人レッスンのため、作曲は夏期休暇中に限られました。 1877年、5年の交際を経て婚約するも一方的に破棄され、フォーレは深刻な精神的打撃を受けました。 この時期の作品としては、ヴァイオリン・ソナタ第1番作品13、ピアノ四重奏曲第1番作品15、バラード作品19などがあります。 彼は幼少で父が校長をしていた師範学校の教会でハーモニウム(オルガンの一種)を即興的に演奏しました。 10歳でパリのニデルメイェール学校に入学。音楽と宗教教育を特徴とする学校で、11年間ピアノ、オルガン、作曲等を学びました。 1861年からサン=サーンスにピアノを学びました。シューマン、リスト、ワーグナー等当時最新の音楽作品についても講述し、 生涯にわたる友情を築きました。 1892年6月マドレーヌ教会の主席オルガニスト、同年10月パリ音楽院作曲家教授に就任しました。 この頃から演劇音楽を作曲しました。1898年にはメーテルランク作「ペレアスとメリザンド」の劇付随音楽が初演されました。 後に管弦楽による演奏会用組曲に編曲されて広まりました。 ピアノ作品も素晴らしく、作曲家として名声を高めました。 1905年、パリ音楽院の院長に就任。 1907年頃から難聴に悩まされ、次第に聴力を失いました。 第一次世界大戦(1914?1918年)中も音楽院院長としてパリに留まり、作曲家としても重要な作品を生み出しました。 1920年院長の職を退きました。 79歳で亡くなり、国葬をもって遇されました。 弟子にラヴェル、ケックラン、フロラン・シュミット、デュカス、ナディア・ブーランジェ等の作曲家が名を連ねています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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サックス五重奏「愛の喜び」クライスラー 楽譜
¥2,000
サックス五重奏「愛の喜び」クライスラー Liebesfreud Fritz Kreisler 編成はソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。 木管五重奏版、金管五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。 20世紀初頭の美しい名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/08cbgjd2R2Y Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 『愛の喜び Liebesfreud』は、オーストリア出身の音楽家フリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler/1875-1962)による ヴァイオリンとピアノのための小作品です。 同じくクライスラーによる作品『愛の悲しみ Liebesleid』と対を成す楽曲で、さらに『美しきロスマリン』を加えて 三部作として扱われることもあります。 クライスラーは、ロシアのピアニスト、セルゲイ・ラフマニノフと親交があり、ラフマニノフはクライスラーの 『愛の喜び』『愛の悲しみ』の2曲をピアノ独奏用に編曲しています。 一般的に、作曲家が愛や女性を題材とした作品を作曲する際、当時の作曲者にとって大切な存在である特定の女性が 実在している場合が少なくありません。 クライスラーの場合は、1901年に知り合い翌年に結婚した妻との出会いが『愛の喜び』誕生に大きく影響しているようにも 考えられます。 クライスラーは1901年(26歳頃)、アメリカからヨーロッパに戻る船の中で、アメリカ人女性のハリエット・リース(Harriet Lies)に 出会い、一目惚れしてすぐに婚約までこぎつけました。 ハリエットはブルックリンの裕福な煙草商の娘で離婚歴もありましたが、社交的で聡明な彼女はクライスラーの性格や 音楽の才能をすぐに理解しました。二人は翌1902年にニューヨークで結婚式を挙げ、晴れて夫婦となりました。 彼女は妻としてだけではなく、演奏家としてのクライスラーを直接支えるマネージャーとしても有能さを発揮し、 自宅での練習スケジュール管理から、演奏会のギャラ交渉まで、表と裏でクライスラーの音楽活動を支える大きな存在となっていきました。 ハリエット・リースと出会った後に『愛の喜び』が作曲されたとすれば、その愛とはハリエットへ向けた愛情であったのではないでしょうか。 『愛の喜び』や『愛の悲しみ』は最初に1905年に出版され、その後1911年に別の歌集にまとめられたとされており、 時期的にも結婚から数年後のことです。 ちなみに、ドイツ語タイトル「Liebesleid」の「leid」は本来「苦しみ」とも解釈できるので、将来の妻との恋愛中に感じていた 胸の苦しみだったのかもしれません。 『愛の喜び』は2006年に放送されたドラマ「のだめカンタービレ」第9話では、クライスラー『愛の喜び』が挿入曲として使われていました。 第9話では、のだめの催眠術によって飛行機恐怖症に打ち勝った千秋が登場。のだめのために北海道に行ってカニを土産に持ち帰り、 カニを届けにハリセン宅にいるのだめに会いに行くシーンで『愛の喜び』が流れます。 テレビ朝日系列で1998年から2016年まで放送されていたバラエティ番組「いきなり!黄金伝説。」では、人気コーナー「1ヶ月1万円節約生活」で、 クライスラー『愛の喜び』が挿入曲として使われていました。 『愛の喜び』、『愛の悲しみ』、そして『美しきロスマリン』の3作品は初演当時、クライスラー作曲の作品としてではなく、 オーストリアの音楽家ヨーゼフ・ランナー(Joseph Lanner/1801-1843)の作品(の編曲)として発表されていました。 ヨーゼフ・ランナーといえば、ヨハン・シュトラウス一家に先立ってウィンナ・ワルツの様式を確立させた「ワルツの始祖」とも言うべき名作曲家です。 オーストリア出身のヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler/1875-1962)は、自分が作曲した楽曲を 昔の作曲家による作品として発表するという「偽作」を行った音楽家として知られています。 例えば、クライスラーの代表曲『愛の喜び』や『愛の悲しみ』などは、「ワルツの始祖」ヨーゼフ・ランナーの作品を編曲した楽曲として発表されていました。 クライスラーの偽作は一曲や二曲ではなく、『ヴィヴァルディの様式による協奏曲』や『バッハの様式によるグラーヴェ』など、 主にバロック期の作曲家に関連する偽作を数多く発表していました。 これらの偽作はすぐに発覚することはなく、発表されて数十年も経ってから、本人が還暦を過ぎた頃にさらっと認めて大騒ぎになりました。 偽作の意味や理由・動機については諸説あるようで、 クライスラーの偽作は、自分のコンサートで演奏プログラムに自分の作品ばかり並ぶのを避けたいという意図があったというものです。 その理由については彼のいたずら心によるものであるとか、注目を集めるためにそうしたとか、諸説ありますが、 本人は「プログラムに自分の名前ばかり並べるのは不遜に思えた」と語っています。 発表後間もなく偽作に気付いた人もいましたが(ハイフェッツやエネスコなど彼の親しい友人達)、評論家達は当初、手放しで賞賛していました。 これは、自分の名前ばかり並んで出しゃばり過ぎるから謙虚にしたいといった理由だけではなく、あくまでも観客の立場に立って、 同じ作曲家による(同じ作風の)曲だけでは観客が飽きてしまうだろうという配慮(サービス精神)があったようです。 作曲者の名前だけ変えても同じ作風では観客に飽きられてしまいそうですが、クライスラーの偽作は様々な作曲家の作品の一部を引用して 編曲しているので、その点では発覚しにくかったと考えられています。。 また、演奏家が作曲することに当時偏見があったこと、そして活動中の名ヴァイオリニストの作品だと他の演奏家が扱いにくいなどの理由が 考えられるようです。 演奏家の作曲ということに偏見を抱く人が多いと彼自身が感じていたことと、もし、存命中の「大ヴァイオリニスト・クライスラー」の 作曲ということになると、同時代の他のヴァイオリニストが遠慮して弾いてくれないだろう、という危惧があったからです。 クライスラーの偽作は、他者への深い配慮の末に決断された苦肉の策であったようです。 新聞社Webサイトの記事でも、 クライスラーの釈明は「自作ばかりでは聴衆がうんざりする」「私の名が前面に出ては同業他者が弾きにくい」の2点だというふうに 同様の理由・動機を挙げています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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金管五重奏 メンデルスゾーン 無言歌集 第1巻 「信頼」 Op.19-4 楽譜
¥1,350
金管五重奏 メンデルスゾーン 無言歌集 第1巻 「信頼」 Op.19-4 U 73 Lieder ohne Worte Heft 1 "Confidence" A-Dur Op.19-4 U 73 Mendelssohn, Felix 編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。 サックス五重奏版、木管五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。 可愛らしくもロマンチックで優美なメロディーを、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/S2mD0mSAP9o Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 『無言歌集 Lieder ohne Worte』は、メンデルスゾーンが生涯にわたって作曲したピアノ独奏のための作品集です。 全8巻からなり、各巻6曲ずつで合計48曲が収められています。 メンデルスゾーンのピアノ作品として最も有名で、しかもロマン派の教材として取り上げられることの多いのが「無言歌集」です。 ワーグナーが「第一級の風景画家」と言ったように、メンデルスゾーンは情景描写や標題音楽の作曲において才能を発揮しています。 この“言葉のない歌曲”、「無言歌」、という形でメンデルスゾーンは心象風景や感情描写までも、表現しました。 歌曲風の旋律をもった器楽曲であるため、旋律線をはっきりと浮き立たせ、抒情的に演奏することが重要です。 メンデルスゾーンが活躍したこの時期、ブルジョアジーの家庭を中心に、ピアノが教養として普及しました。 そのため、家庭で気楽に弾ける作品が多く作られましたが、この《無言歌集》もその一つです。 《無言歌集》は各6曲ずつの計8集からなり、生前に出版されたのは、第6集までです。第7集は、1851年、第8集は1867年に出版されました。 1832年、第1集を出版したときには、メンデルスゾーンは、《ピアノのためのメロディー》と記していて、《無言歌集》の名称を もつようになったのは1835年に第2集を出版してからのことでした。 標題をもっているものが多いのですが、作曲者自身によってつけられたものはわずかです。 実際、メンデルスゾーンは標題をつけることによって、音楽的な想像力が限定されることを嫌っていたようです。 4曲目の「信頼」は、ないしょの話(内緒話)とも呼ばれています。 曲想が特に優美で温かく親しみやすいことが特徴です。 第1巻 1.ホ長調「甘い思い出」 / op.19-1 (1831) 全体を流れるなめらかな16部音符の上に、抒情的な旋律がうたわれます。 2.イ短調「後悔」 / op.19-2 (1832) 3.イ長調「狩人の歌」 / op.19-3 (1832) 勇ましい狩りの情景がえがかれます。第3曲〈狩人の歌〉という標題は、メンデルスゾーン自身もみとめていたニックネームです。 6曲中最も有名な曲です。 4.イ長調「信頼」 / op.19-4(1829) 5.嬰ヘ短調「眠れぬままに」 / op.19-5 (1831) ポコ・アジタート、四分の六拍子で情熱的な趣をもつ。無言歌の中ではめずらしいソナタ形式をとっています。 6.ト短調「ヴェネツィアの舟歌 第1」 / op.19-6 (1830) 6曲中メンデルスゾーン自身が命名した唯一の曲です。無言歌曲集には、他に同名の作品が3曲あり、 これらは「ゴンドラ・リート」と呼ばれます。これらの作品は波の上を揺れ動くような動きを特徴しています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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クラリネット五重奏「2つの東洋の絵画」から Spring 春 楽譜
¥1,800
クラリネット五重奏「2つの東洋の絵画」から Spring 春 Spring from 2 Eastern Pictures Gustav Holst 編成はCl.3本、Bs,Cl.2本です。 サックス五重奏版、木管五重奏版は発売中です。 20世紀初頭のコミカルな名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/Q3Ujl_kEUnk Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html グスタフ・ホルスト(Gustav Holst 1874年 - 1934年)はイギリスの作曲家です。 10代の頃から作曲を行なっていたホルストは、1893年にロンドンの王立音楽院に入学しました。 王立音楽院ではトロンボーンも学び、卒業後はオーケストラ奏者として生計を立てていたこともありました。 また、この時に同郷の作曲家であるヴォーン・ウィリアムズと知り合いました。 ホルストはイングランド各地の民謡や東洋的な題材を用いた作品や吹奏楽曲を多く作曲したことでも知られています。 1905年からはセント・ポール女学校の教師として働くことになりました。 女学校では防音装置を備えた専用の部屋を与えられ、ホルストは音楽教師の仕事をしながら作曲活動を行いました。 1934年に出血性胃潰瘍のためロンドンにて亡くなりました。59歳没。 ホルストは1895年ごろからはインド文学に傾倒するなど、東洋の文化に非常に興味をしましました。 そして、古代インドの聖典であるリグ・ヴェーダの讃歌にもとづく合唱曲を発表しています。 また、日本を題材とした「日本組曲」という曲を作曲しています。 組曲「惑星」も、惑星を題材としているが天文学ではなく占星術から着想を得たものになっています。 ホルストはオーケストラだけではなく、吹奏楽曲の作曲家としても広く知られています。 ホルストが作曲した吹奏楽作品で、最も有名なものは「吹奏楽のための第1組曲」です。 また、イギリスではブラスバンド(金管バンド)が盛んであるためか、ブラスバンドのための曲も作曲されています。 「2つの東洋の絵画」(H112)は、1911年に作曲された作品です。 インドの詩人カーリダーサの「季節のめぐり(リトゥ・サンハーラ)」を ホルストが英語に翻訳しテキストに使った女声合唱とハープのための作品です。 「春」は、枝々についた花と池に浮かぶ花、 そしてそこで恋を楽しむ少女たちの情景が描写された詩です。 ハープの軽快な伴奏に乗り、女声合唱が春の来た楽しい感じを歌います。 中間部で曲調が変わり、再び最初の旋律が現れて終わります。 「夏」は、神秘的なハープの伴奏に乗って、ハミングで始まります。 そのあと続く合唱はたくさんの星たちと月が輝く夜の中、 少女たちがくつろぐ情景を歌っていきます。 最後もハミングで神秘的な雰囲気の中で終わります。 Spring Two Eastern Pictures Spring the warrior hither comes, Bowstring formed by rows of bees. And his darts tipp'd with buds Wound our hearts with sweet lovelonging. Now the trees put forth their flowers, On the lakes the lilies fair Show their heads midst the waves Melting hearts with sweet lovelonging. What fair maid can vie with Spring? What sweet voice the cuckoo's song? Or smiling teeth the jasmine's hue? Or rosy lips the op'ning flowers? Bending down with blushing buds, Flaming mango branches wave To and fro with the breeze Filling hearts with sweet lovelonging. And within the lotus flower Dwells her love, the murm'ring bee Who with kiss and embrace Satisfies her sweet lovelonging. 春 2つの東洋の絵画 春 あの戦士がここにやってくる 弓のつるが鳴る ミツバチの列によって そして春の矢はつぼみを射抜き 私たちの心を傷つけた 甘い恋で 今 木々は花を咲かせ、 湖の上 美しきユリは 頭を見せる 波の中で 心を溶かすのだ 甘い愛の憧れで どんな美しい乙女が競えるのだ 春と? どんな甘い声なのだ カッコウの歌は? あるいはほほ笑む歯が ジャスミンの色合いの? あるいはバラ色の唇か 咲いた花の? 顔を赤らめてつぼみを垂らす 燃えるようなマンゴーの枝の波 あちこちのそよ風と共に 心を満たすのだ 甘い愛の憧れで 蓮の花の中には 愛が住む つぶやくハチが キスと抱擁で 満たすのだ 花の愛の憧れを Summer Two Eastern Pictures The fierce glaring day is gone. Gentle night hath spread her mantel cool and refreshing, lit by rays of a thousand stars and by the golden moon. The moon shineth on yon roof. Here lie maidens,crowned with jasmine, clad in silk rayment, on their ankles are rings that tinkle sweetly as they move. Wafted by jewelcovered fans, sweetest perfume floats o'er each breast. Song and harp unite with warbling birds to rouse from sleep the god of love. 夏 2つの東洋の絵画 激しく灼けつく日は去った 穏やかな夜はそのマントを広げた 涼しく爽やかに 千の星たちの光に照らされて そして黄金の月に 月は輝く 屋根の向こうに 横たわる乙女たち ジャスミンの冠と シルクのレイメントに覆われて 足首にはリングがあって 甘く鳴り響く 彼女たちが動くたびに 宝石で覆われた扇にあおがれて 甘い香りが漂う めいめいの胸へと 歌とハープとさえずる鳥たちとひとつになって 眠りから目覚めさせる 愛の神を アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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木管五重奏「ブーレ I/II」(バッハ)楽譜
¥2,000
木管五重奏「ブーレ I/II」(バッハ) 無伴奏チェロ組曲 第3番ハ長調 BWV1009から Johann Sebastian Bach (Bourree I/II)BWV1009-5 編成はFl.、Ob.、Cl.2本、Bsn.です。 金管五重奏、クラリネット五重奏、サックス五重奏版は発売中です。 バッハによる幸福に満ちた作品を演奏で味わいたいものです。 コンサートピースの小品に、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/CAO2tiPKDhE Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲は分散和音で奏されるチェロの豊かな響きが心に残る冒頭部分は大変有名で、曲名は知らずとも多くの方が聞き覚えのある旋律だと思います。 組曲全6曲が書かれた年代については、ケーテンの宮廷楽長時代(1717~23年)の前期と推定されています。 組曲の構造はバッハのクラヴィーア曲(例えば《イギリス組曲》等)と同様に、定型であるアルマンド/クーラント/サラバンド/ジーグの4つの舞曲形式を基本として、 加えて第1曲に前奏曲、最後のジーグの前の第5曲にメヌエット・ガボット・ブーレのいずれかの流行舞曲を取り入れた形に統一されています。 1717年、バッハは32歳の時にケーテンの宮廷楽長に迎えられました。 当地の侯爵は音楽に理解が深く、優れた奏者を抱え、自らも楽器を嗜むほどでした。 その恵まれた環境の中でバッハは管弦楽組曲、ブランデンブルク協奏曲など器楽の傑作を数多く生み出したのです。 さらには実験的な創作の挑戦も許され、無伴奏のヴァイオリンおよびチェロで豊かな和声と精巧な対位法を併せ持った壮大な世界を創造したのでした。 これまで伴奏に従事していたチェロが独奏楽器として扱われはじめたころで、その独奏も伴奏付きだったから、やはりバッハは並はずれた作曲家ですね。 第3番はチェロが明るく、そして存分に鳴り響くハ長調で書かれ、雄大な音楽を聴かせます。 前作第2番の悲劇的な楽想とは対照的です。 第2番を創作するころに最初の妻マリア・バルバラと死別してしまいます。その深い哀しみを第2番で吐露しました。 そして数人の子どもを抱えて途方に暮れていたことでしょう。 しかしほぼ1年半後には同じ宮廷の歌手であったアンナ・マクダレーナを迎えることができたのです。 マクダレーナは優れた音楽家でるばかりか、バッハの仕事を支えた良妻だったのです。 その幸福で揚々たる心境が楽曲の隅々までに満ちています。 「組曲」とは一般的に何種類かの舞曲を並べたもののことで、16世紀から18世紀頃の間に流行した音楽形式です。 この形式はバロック時代の終焉とともにすたれていき、わずかにメヌエット楽章などにその痕跡を残すことになります。 その後の時代にも組曲という名の作品はありますが、それはこの意味での形式ではなく、交響曲ほどの厳密な形式を持つことのない自由な形式の作品というものになっています。 この二通りの使用法を明確に区別するために、バッハ時代の組曲は「古典組曲」、それ以後の自由な形式を「近代組曲」と呼びます。 バッハは、ケーテンの宮廷楽長をつとめていた時代にこの組曲形式の作品を多数残しています。 この無伴奏のチェロ組曲以外にも、無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ、無伴奏フルートのためのパルティータ、そして管弦楽組曲等です。 ヴァイオリンの組曲はシャコンヌに代表されるようにポリフォニックな表現を追求していますが、チェロ組曲では重音や対位法的な表現は必要最小限に限定されています。 チェロとヴァイオリンでは演奏に関する融通性が違い単純な比較はできません。 この素晴らしい作品がカザルスが古道具屋で偶然に楽譜を発見するまで埋もれていたのです。 今日ではチェロの旧約聖書とも言われるこの無伴奏チェロ組曲ですが、バッハの他の作品同様にその死後は長い間日の目を見ることはありませんでした。 この作品に再びスポットライトを当てたのは20世紀を代表するチェロの巨匠、パブロ・カザルス(1876-1973)でした。 1890年、スペイン、バルセロナの店で当時13歳のカザルスは偶然にこの曲の楽譜を手にします。 1904年にはパリで全曲演奏会を開き、1936~39年にはレコーディングをするなど、その価値を再発見し広く世に紹介したことでも有名です。 カザルスは生涯をかけて無伴奏チェロ組曲と向き合い続けた音楽家で、彼の存在なくしてこの作品が今日の認知度を得られたかどうか疑わざるを得ません。 組曲の中で最も演奏機会の多い作品がこの3番です。 ハ長調という調性がチェロにとっては演奏しやすく、そのために4声和音を生かした低音の響きが容易に引き出せるために演奏効果が上がりやすいという事情があります。 また、細かい音符の流れの中にト音が執拗に繰り返されることからくる効果は絶大で、冒頭の前奏曲に何とも言えない力強さと迫力を与えています。 持続低音(オルゲルプンクト)の効果が絶大に発揮された部分です。 第5曲 ブーレ I/IIは第3番の中で一番知られている曲です。速いテンポの中にも落ち着いた風情があります。三部形式、2分の2拍子で書かれています。 この曲はヴァイオリンの教則本にも、伴奏付きでヴァイオリン用に編曲されて載っている有名な曲です。演奏会用の小品として奏される機会も多く見られます。 ブーレⅡでは一転して短調になります。ここは、今までの盛夏の景色から変化して、ちょっと秋の気配を感じる雰囲気です。 舞い散る木々の葉を思い起こさせる様相です。 バッハが愛妻家だったことは誰もが認めるところですが、最初の結婚は1707年で、相手は従妹のマリア・バルバラでした。 バッハ22歳、バルバラ23歳の頃です。ふたりの間には7人の子供ができたほど、仲睦まじかったようです。 バッハはドイツでも有名な、代々音楽家を輩出した家系ですが、バッハの息子も4人が高名な音楽家になっています。 そのうち、バルバラとの間に生まれたのはヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(1710~1784)と、 カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714~1788)です。 ケーテン時代、バッハが侯爵のお供で保養地に出張している間に、妻バルバラは急死してしまいました。 帰宅した日の10日前にはすでに埋葬されていました。 翌1721年、バッハに縁談があり、宮廷トランペット奏者の娘でソプラノ歌手のアンナ・マグダレーナと結婚しました。 バッハ36歳、アンナ20歳の頃です。アンナ・マグダレーナは、内助の功を上げた、良妻賢母とたたえられる女性です。 4人の子持ち男バッハとの再婚なのに、家事・子育てのみならず、音楽的才能を存分に活かして彼の活動の手伝いをしました。 バッハの作品の写譜もたくさん行ったのですが、筆跡もそっくりで、後世の研究者を悩ませました。 最初の妻、バルバラは年上の妻でもあり、対等な関係の夫婦だったのに対して、アンナとはかなり年が離れていました。 アンナは夫を深く尊敬していて、バッハは若いアンナの魅力に惚れ込んだと伝えられます。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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サックス五重奏 夕べの歌 Op.85-12 楽譜
¥1,500
サックス五重奏 夕べの歌 Op.85-12 小さな子供と大きな子供のための12の連弾小品 Op.85から 12.「夕べの歌」 12.Abendlied R.シューマン Schumann, Robert:12 Vierhandige Clavierstucke fur kleine und grosse Kinder Op.85 編成はソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。 木管五重奏、クラリネット五重奏、金管五重奏版は発売中です。 ドイツ・ロマン派を代表するR.シューマンの音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/0_6Gze1pX_g Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 元はシューマンのピアノ連弾曲集「小さな子供と大きな子供のための12のピアノ曲集 (Klavierstucke fur kleine und grose Kinder)」Op.85の 12曲中最後に収められている曲で「夕べの歌(Abendlied)」です。 その美しさゆえに、多くの人によってバイオリンやチェロのために編曲されています。 曲集は次のような12曲から成っています。 1.誕生日の行進曲 Op.85-1 演奏時間:2分30秒 2.熊の踊り Op.85-2 演奏時間:2分00秒 3.庭園のメロディ Op.85-3 演奏時間:2分30秒 4.花環を編みながら Op.85-4 演奏時間:2分00秒 5.クロアチア人の行進 Op.85-5 演奏時間:2分30秒 6.嘆き Op.85-6 演奏時間:2分00秒 7.騎士の馬上試合の行進.輪舞 Op.85-7 演奏時間:5分00秒 8.輪舞 Op.85-8 演奏時間:2分00秒 9.噴水のほとりで Op.85-9 演奏時間:2分30秒 10.かくれんぼ Op.85-10 演奏時間:1分30秒 11.お化けの話 Op.85-11 演奏時間:2分30秒 12.夕べの歌 Op.85-12 演奏時間:3分00秒 ロベルト・アレクサンダー・シューマン(ドイツ語: Robert Alexander Schumann, 1810年6月8日 - 1856年7月29日)は、 ドイツ・ロマン派を代表する作曲家です。ローベルト・シューマンと表記されることもあります。 ベートーヴェンやシューベルトの音楽のロマン的後継者として位置づけられ、交響曲から合唱曲まで幅広い分野で作品を残しました。 特にピアノ曲と歌曲において高い評価を得ています。 シューマンが生まれたのは1810年6月8日、ザクセンのツヴィッカウという小さな町で、父フリードリヒ・アウグストとヨハンナの間の 4男1女の子供たちの末子として生まれました。 父フリードリヒ・アウグストは書籍出版・販売業を営んでいて、その関係でシューマンの兄のエドゥアルト、カール、ユーリウスも 書籍業を営むことになり、このような中でシューマンは、幼い時期から数多くの文学書に囲まれる生活環境にありました。 父は文学をこよなく愛し、優れた文学書を刊行するだけではなく、今日の文庫本の刊行を手がけたことでも知られています。 母親のヨハンナは音楽を愛好し、その関係から彼は早い時期から音楽に親しみ、シューマンの音楽熱はこの母親から受け継ぎました。 シューマンは早くから芸術とくに音楽への関心を示し、7歳(1817年)から教会オルガニスト、ヨハン・ゴットフリート・クンチュに ピアノを師事するようになりました。8歳(1818年)のとき、母と保養地のカールスバートに5週間滞在し、同地でモシェレスの演奏を聴きました。 当時、高い評価を得ていたこのボヘミア出身の作曲家で名ピアニストの演奏との出会いはシューマンのその後の音楽的資質の開花に影響しました。 10歳(1820年)にギムナジウム(9年制の学校)に入学し、ふたたびカールスバートでモシェレスの演奏を聴きました。 すでにこの頃から作曲の試みを始め、シューマンは14歳のときに完成した「詩篇150番」は、1821年、シューマン11歳の頃に最初の構想を抱いて 作曲を進めていて、1822年にその一部を学生仲間と初演しています。 この作品はシューマンの創作の現存するもっとも初期の作品ですが、ソプラノとアルト、それに2Fl.2Ob,Fg,2Trp,ティンパニ、2Vl,Vla,ピアノという 大規模な編成の作品です。少年時代のシューマンは作曲とともに特にピアノの演奏に親しみ、とくにピアノ練習曲で用いていたフンメルや ベートーヴェンのほかに、シューベルトの作品を演奏していました。このシューベルト体験は強い印象を与え、シューベルトの音楽は長くその後の 彼の創作に影響を及ぼすことになりました。 1826年に父親が没し、姉のエミーリエは自殺しました。感情の起伏の激しい姉の性格はシューマンにも受け継がれており、それはさらに シューマンの息子のルートヴィヒにも継承されています。シューマンは裕福な商人カールス家に出入りするようになり、同家で催される演奏会で ベートーヴェンやモーツァルトなどの作品に接しました。1827年7月、この家の主人の甥で医師のエルンスト・カールスの妻アグネス・カールスに会い、 アグネスを通してシューベルトの歌曲の魅力を知りました。ジャン・パウルの小説に夢中になるようになるのもこの頃からです。 1829年5月、シューマンは、ハイデルベルクに向かう旅で南ドイツを回りました。マイン川およびライン川沿いを馬車で下り、フランクフルト、 マインツ、コブレンツなどを経由して5月21日にハイデルベルクに到着しました。このとき初めてライン川を見たシューマンは感銘を受け、 母親に宛てて次のように書き送っています。 「老いて堂々とした父なるラインの初めて見せる光景を、冷静な心全体で受け止めることができるように、ぼくは目を閉じました。 それから目を開いてみますと、ライン川はぼくの前に古いドイツの神のようにゆったりと、音も立てず、厳粛に、誇らしげに横たわり、 それとともに、山や、谷のすべてがぶどうの楽園である、花が咲き緑なすラインガウのすばらしい全景が広がっていたのです」 1829年5月、母ヨハンナに宛てたシューマンの手紙 彼は1834年ごろから精神障害の症状に悩まされるようになりました。1844年にライプツィヒからドレスデンへ、1850年にデュッセルドルフへと移住して 指揮者としても活動しました。この間、子供向けのピアノ曲を作曲するなど教育分野での貢献も残しました。 1853年にヨハネス・ブラームス(1833年 - 1897年)と出会い、「新しい道」と題する論文で若き天才として紹介しましたが、翌1854年に ライン川に投身自殺を図りました。救助されたシューマンはボン近郊のエンデニヒの療養所に収容され、2年後の1856年に46歳でこの世を去りました。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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Solo+金管四重奏 ジョスランの子守唄 楽譜
¥2,200
Solo+金管四重奏 ジョスランの子守唄 Berceuse de Jocelyn バンジャマン・ルイ・ポール・ゴダール Benjamin Louis Paul Godard 編成はTp.、Hn.、Tbn.またはEup.、TubaおよびSoloパートです。 同梱のSoloパート楽譜はin F版(Hn.)、 in C版(Ob.、Mallet Perc.など)、 in C-Fl.版(Fl.、Pic.)、 in C低音版(Eup.、Bsn.、Tbn,、St.Bs.など)、 Tubaは1オクターブ下げて演奏できます。 in B版(Tp.、Cl.、Bs.Cl.、Sop.Sax.、T.Sax.など)、 in Es版(Es Cl.、A.Sax.、B.Sax.など)が含まれています。 多くの楽器がSoloを担当し、伴奏は下の編成も含め4種類から選ぶことができます。 クラリネット四重奏版、サックス四重奏版、木管四重奏版は発売中です。 フランスのロマン派を味わえる美しい名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/S2EqbcDQWF8 Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html バンジャマン・ルイ・ポール・ゴダールは、 1849 年パリに生まれ、1895 年カンヌで亡くなったフランスのヴァイオリニストであり、作曲家でした。 パリ音楽院において、ヴェータンにヴァイオリンを、ルベルに作曲を師事します。室内楽団でヴァイオリンまたはヴィオラを演奏するとともに、 作曲家としてもヴァイオリンやピアノのための作品から管弦楽曲、オペラまで幅広く手がけています。 1887年からパリ音楽院室内楽科教授となりました。 オペラ「ジョスラン」の子守歌は特に有名です。 ジョスランの子守唄 バンジャマン・ルイ・ポール・ゴダール (1849 ~ 1895)フランス Benjamin Louis Paul Godard パンジャマン・ルイ・ポール・ゴダールは 1849 年パリに生まれ、 1895 年に亡くなった、フランスの作曲家です。 1878 年パリ市の作曲コンテストで「劇的交響曲」が1位に入賞して、その名を世に知られるようになりました。 その後、歌劇を手がけ、この子守歌で知られる「ジョスラン」、「酒保商人」などを書いています。 ジョスランの子守歌 ゴダール 歌詞の意味・日本語訳・原曲のフランス語の歌詞 『ジョスランの子守歌 Berceuse de Jocelyn』(ベルスーズ・ドゥ・ジョスラン)は、19世紀フランスの作曲家ゴダールによる オペラ『ジョスラン Jocelyn』中のアリア(歌)です。 オペラ『ジョスラン』が今日上演される機会はほとんどなく、『ジョスランの子守歌』だけが独立した楽曲として単独で演奏されるほか、 安眠・リラックス系クラシック音楽CDの一曲としてコンピレーション・アルバムに収録されることがよくあるようです。 日本では古くから唱歌として歌われており、『流浪の民』、『ローレライ』、『野ばらの名訳で知られる訳詞家の 近藤 朔風(こんどう さくふう/1880-1915)による歌詞が現代まで伝えられています。 世界遺産モン・サン=ミシェル修道院(Mont Saint-Michel)でもフランス革命時に特権階級の聖職者は迫害され、 モン・サン=ミシェル修道院は廃止されました。1863年まで国の監獄として使用されていました。 "Berceuse" from Jocelyn - Summer Watson 訳詞:近藤 朔風 むごきさだめ 身に天降(あも)りて 汝(なれ)と眠る のろわれの夜(よ) 胸のうれい ゆめに忘れん 祈らばや ゆらぐ星のもと 夢のまきまきに あこがれよ み空へ 眠れいとし子よ 眠れ今は小夜中(さよなか) あゝ夢ぞいのち マリアよ守りませ 愛のつばさに おおわれつ わが来し方(こしかた) かえりみれば 流れたゆとう 波にも似たり あわれいく日 祈りに泣きぬ 夢のまきまきに あこがれよ み空へ 眠れいとし子よ 眠れ今は小夜中 あゝ夢ぞいのち マリアよ守りませ 近藤 朔風による『ジョスランの子守歌』の訳詞を見てみると、「むごきさだめ(惨き運命)」、「のろわれの夜(呪われの夜)」、 「胸のうれい(憂い)」などと、冒頭から子守歌らしからぬ、ただならない雰囲気が漂っています。 「祈り」「マリア」といったキリスト教を連想させるキーワードが使われていて、キリスト教に関連する過酷な運命の歴史が 暗に示されている歌詞です。 原曲:フランス語の歌詞・日本語訳 Berceuse de Jocelyn Couches dans cet asile Ou Dieu nous a conduits Unis par le malheur Durant les longues nuits Nous reposons tous deux Endormis sous leurs voiles Ou prions aux regards Des tremblantes etoiles ! 神がお導きになった この安らぎの場所に隠れて 不幸ばかりの 永い夜を 二人で休もう 瞬く星が守ってくれる ベールの下で眠ろう Oh ! Ne t'eveille pas encore Pour qu'un bel ange de ton reve En deroulant son long fil d'or Enfant, permette qu'il s'acheve あぁ、まだ起きないで 君の夢の中に現れる美しい天使が 長い金の糸を巻き取る間 御子よ、天使がそれを終えるまで Dors ! dors ! Le jour a peine a lui ! Vierge sainte, veillez sur lui ! 眠れ、眠れ、人生はほんのわずかのこと マリアよ、人生を見守ってくれ Sous l'aile du Seigneur Loin du bruit de la foule Et comme un flot sacre Qui doucement s'ecoule, Nous avons vu les jours Passer apres les jours Sans jamais nous lasser D'implorer son secours ! 神の安らぎのもと 雑踏の騒がしさから離れて まるで聖なるしずくがゆっくりと流れるように 私たちは毎日を過ごした 助けを請い願うこともなく ジョスラン(オペラ) フランス革命で立ち上がった貧しい市民達 聖職者・貴族が標的に オペラ『ジョスラン Jocelyn』は、19世紀フランスの作曲家ゴダールによる全4幕のオペラ・歌劇。1888年に初演されました。 今日上演される機会はほとんどなく、同作中のアリア『ジョスランの子守歌 Berceuse de Jocelyn』だけが独立した楽曲として単独で演奏されています。 オペラ『ジョスラン』のあらすじ・ストーリーは、フランスの詩人・政治家アルフォンス・ド・ラマルティーヌ(Alphonse de Lamartine/1790-1869)の 長編詩に基づいています。 舞台は18世紀末のフランス。聖職者の主人公ジョスランは、過激化するフランス革命の荒波にのまれ、山で数奇な逃亡生活を送ることになります。 ストーリーは「フランス革命」「聖職者」「逃亡生活」というキーワードがあらすじの大きな柱となっています。 フランス革命と追われる聖職者の歴史 フランス革命以前の身分制度「アンシャン・レジーム」では、国民は三つの身分に大別されていました。 第一身分は聖職者、第二身分は貴族、第三身分は市民や農民です。このうち第一身分と第二身分はいわゆる特権身分であり、免税特権を持っていました。 1789年のフランス革命により第三身分の第三身分の市民・農民たちが立ち上がると、貴族や聖職者たちは革命軍の標的となり、 1793年にはルイ16世とマリー・アントワネットはパリのコンコルド広場でギロチンで公開処刑されました。 特権身分のキリスト教は徹底的に弾圧され、聖職者追放と教会への略奪・破壊が横行しました。 1793年11月にはフランス全土でミサの禁止と教会の閉鎖が実施され、祭具類はことごとく没収されて造幣局で溶かされました。 オペラ『ジョスラン』の主人公である聖職者のジョスランも、このフランス革命のあおりを受けて山岳地帯へ逃亡しました。 『ジョスランの子守歌 Berceuse de Jocelyn』はその逃亡中の山の中でジョスランが歌った歌なのでしょう。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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クラリネット四重奏 グリーグ :抒情小品集 第4集 Op.47-3 楽譜
¥1,400
クラリネット四重奏 グリーグ :抒情小品集 第4集 Op.47-3 メロディー Lyriske smastykker No.4 op.47-3 Melodie Grieg, Edvard Hagerup 編成はBbクラリネット3本、バスクラリネットです。 サックス四重奏、金管四重奏、木管四重奏版は発売中です。 ノルウェー色が豊かな名曲をコンサート・ピースなどに、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/VfZf3dJDevc Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html グリーグはベルゲンというオスロに次ぐ大都市に5人兄弟の第4子として生まれました。 幼少より母親からピアノを習いはじめ、15歳から18歳までは、ドイツのライプツィヒ音楽院で作曲とピアノを学び、 メンデルスゾーンやシューマンらの影響を受けました。 音楽院を卒業後は故郷ベルゲンに戻り、さらに翌1863年にコペンハーゲンで ニールス・ガーデ(Niels Gade, 1817年~1890年)から作曲を教わり、国民楽派の影響を受けたと言われています。 彼はノルウェーの民族音楽から着想を得て、国民楽派の作曲家として注目されました。 民族音楽からの深い影響は『ペール・ギュント』第1組曲の第1曲「朝」の冒頭がノルウェーの民族楽器である ハリングフェーレの共鳴弦を端からつま弾いた時の旋律から始まっていることからもうかがうことができます。 グリーグの肖像は、旧500クローネ紙幣に描かれていました。 グリーグはとても小柄であった。生前は卓越したテクニックのピアニストとしても著名で、自作を携えヨーロッパをたびたび演奏旅行している。晩年のアコースティック録音およびピアノロールが残されており、現在もCDで入手できる。 生地であるノルウェーの旧首都ベルゲンの自然と海をこよなく愛しました。 死後に火葬され、遺言によりトロールハウゲンの住居の下にある湖を望む岩壁に墓が設けられ、一部の遺灰は湖に撒かれました。 グリーグは終世、手のひらに乗るぐらいの小さな蛙の置物や子豚のぬいぐるみを大切にし、 寝る時も一緒だったそうです。演奏会の時は、あがらないように、ポケットの中で蛙の置物をそっと握りしめたそうです。 なお、この蛙の置物と子豚のぬいぐるみはグリーグの家(現在のエドヴァルド・グリーグ博物館)に展示されています。 ちょうどこのグリーグが活躍した時代というのは、当時勢いのあったドイツのロマン派音楽が周辺諸国へと波及し、 それぞれの国の民族的要素と融合した新しい音楽様式が生まれましたが、それを音楽史の中では「国民楽派」と呼んでいます。 その背景には、当時鉄道が整備され人々の移動が容易になったことも関係しているのではないかと思われます。 国民楽派の作曲家たちは、自国の歴史や風物、民謡、民族音楽などを題材にした作品を積極的に作りました。 ロシア、ボヘミア地方、北欧などで様々な作曲家たちが活躍し始めるのがこの時期です。 『抒情小曲集』は、エドヴァルド・グリーグが1867年から1903年にかけて作曲した、全66曲からなるピアノ曲集です。 6~8曲ごとにまとめられて出版され、全10集からなっています。 1867年、《ピアノ協奏曲イ短調 作品16》で一躍有名になったグリーグは、この年から1901年にかけてこの作品集を書き上げました。 抒情小品は生涯にわたって作曲されているため、グリーグの作風、ピアニズム、その変遷すべてがその中にあらわれていて、 作品群の中でも中心的な存在です。 いずれも1分~6分程度の小品で、ステージ用というよりは、主にサロンや家庭で広く親しまれていました。 どの曲にも標題がつけられていて、それぞれの曲に対して、一つの感情、気分、情景が表現されています。 1867年、第1集を発表しましたが、その後ピアノ、作曲、指揮など多忙だったこともあって、第2集が発表されたのは、 その16年後でした。第2集から第10集はある一定の間隔をおきながら続けて作曲されました。 全10巻で、計66曲の作品がおさめられています。 グリーグ : 抒情小品集 第4集 / Lyriske smastykker No.4 op.47 第4集は、第3集の出版からちょうど10年後にあたる1888年に出版された。比較的やさしい技巧で弾くことができた第3集までの作品と比べ、 第4集以降、やや難易度が増しています。また、第3集にみられたような、全曲を通しての内容の一貫性はありません。 1.即興的ワルツ / op.47-1 "Valse-Impromptu":民族的な舞曲のリズムにのせて、どことなく物憂げで神経質なメロディがさまようように奏でられます。 Strettoの部分は即興的で、非常に煌びやかな効果をあげています。全体的に単調にならないよう、ハーモニーの変化を感じて演奏しましょう。 2.アルバムのページ / op.47-2 "Albumblad":なにか輝かしい良き日の思い出を想わせるような、一曲で、技巧的に難しい曲です。 メロディが中心となる主要な箇所と、挿入句的なパッセージの部分とは、効果的に雰囲気を分けて演奏しましょう。 3.メロディー / op.47-3 "Melodie":和音が一定のリズムを保ちながら、伴奏をきざみ、その上を憂いにみちた旋律が延々と歌われていきます。 和音の中で、いかに旋律を音楽的に奏でることができるかが重要です。そのために、伴奏のリズムに推進力をもたせることも大切でしょう。 4.ハリング / op.47-4 "Halling":民族的な和声とリズムの面白さが魅力的な曲です。第2集の〈ハリング〉と同じリズムが用いられています。 5度の音程をシンコペーションのリズムで一定に刻み続けます。時に音量を変化させながらも、このリズムをかなり正しく演奏することが、 曲の雰囲気を出す上で重要です。声部ごとに強迫拍の位置が異なっていることも意識して演奏しましょう。 5.メランコリー / op.47-5 "Melankoli":タイトルが示すとおり、ため息のような旋律が欝欝とした様子で静かに奏されます。 各部によって、支えになっている持続音が変化しているので、これを意識して、色合いを変化させていきましょう。 6.スプリング・ダンス / op.47-6 "Springdans":1975年に出版された《家庭音楽集》の中に既におさめられていた曲を改訂した曲です。 舞曲のリズムが刻まれ、その上を活気に満ちた旋律が進んでいきます。大きな跳躍をみせる技巧的な部分、叙情的な中間部など魅力に富んでいます。 中間部の旋律は、比較的あっさりめに演奏するほうが旋律のもつ性格が活かされるでしょう。 和声的な進行を意識し、主要な音の動きを把握して演奏することも大切です。 7.エレジー / op.47-7 "Elegie":旋律につけられているアクセントは、強く、というよりはテヌート気味に奏されます。 物憂げに繰り返される旋律に対して、下降していく和音の色づけにも心を配りたいところです。 中間部では、装飾音を帯びて増やされた音とともに、抑圧された悲しみも、より増していくように感じられます。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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木管五重奏 マルシェ・ポンティフィカーレ(賛歌と教皇の行進曲)楽譜
¥1,800
木管五重奏 マルシェ・ポンティフィカーレ(賛歌と教皇の行進曲) Marcia Pontificale Charles Gounod 編成はFl.、Ob.、Cl.2本、Bsn.です。 クラリネット五重奏、サックス五重奏、金管五重奏版は発売中です。 神々しいバチカンの雰囲気漂う作品をコンサートピースのオープニングに、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/M0HIoMOPIak Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 賛歌と教皇の行進曲(さんかときょうこうのこうしんきょく、ラテン語: Hymnus et modus militaris Pontificalis、イタリア語: Inno e Marcia Pontificale)は バチカンで国歌に準じて演奏される歌です。通称Inno(賛歌)、教皇歌、教皇行進曲、教皇賛歌とも呼ばれています。 アントニオ・アッレグラ (Inno e Marcia Pontificale、Antonio Allegra) 作詞、シャルル・グノー (Charles Gounod) 作曲の作品です。 シャルル・フランソワ・グノー(Charles Francois Gounod,1818年6月17日 - 1893年10月18日)は、フランスの作曲家です。 ゲーテの『ファウスト』第1部に基づく同名のオペラで有名です。このバチカンの実質的な国歌である『賛歌と教皇の行進曲』を作曲したことでも知られています。 1870年から1875年まで、グノーは戦乱を避けてイングランドに過ごし、のちの王立合唱協会(ロイヤル・コーラル・ソサエティ)の首席指揮者を務めました。 この頃から、グノー作品の多くが実質的に声楽曲や合唱曲となりました。 グノーは後半生において主に宗教曲を手掛けていますが、中でもバッハの『平均律クラヴィーア曲集』第1巻第1曲の前奏曲に旋律をかぶせた『アヴェ・マリア』は有名であり、 『グノーのアヴェ・マリア』と称されています。 《歌詞》 イタリア語版 賛歌 Roma immortale di Martirie di Santi, Roma immortale accogli i nostri canti: Gloria nei cieli a Dio nostro Signore, Pace ai Fedeti, di Cristo nell'amore. A Te veniamo, Angelico Pastore, In Te vediamo il mite Redentore, Erede Santo di vera e santa Fede; Conforto e vanto a chi combate e crede, Non prevarranno la forza ed il terrore, Ma regneranno la Verita, l'Amore. 教皇の行進曲 Salve Salve Roma, patria eterna di memorie, Cantano le tue glorie mille palme e mille altari. Roma degli apostoli Madre e guida dei Rendenti, Roma luce delle genti, il mondo spera in te! Salve Salve Roma, la tua luce non tramonta, Vince l'odio e l'onta lo splendor di tua belta. Roma degli Apostoli Madree guida dei Redenti, Roma luce delle genti, il mondo spera in te! ラテン語版 賛歌 O felix Roma - O Roma nobilis. Sedes es Petri, qui Romae effudit sanguinem, Petri, cui claves datae sunt regni caelorum. 2 Pontifex, Tu successor es Petri; Pontifex, Tu magister es tuos confirmas fratres; Pontifex, Tu qui Servus servorum Dei, hominumque piscator, pastor es gregis, 3 ligans caelum et terram. Pontifex, Tu Christi es vicarius super terram, rupes inter fluctus, Tu es pharus in tenebris; Tu pacis es vindex, Tu es unitatis custos, 4 vigil libertatis defensor; in Te potestas. Tu Pontifex, firma es petra, et super petram hanc aedificata est Ecclesia Dei. O felix Roma - O Roma nobilis. 教皇の行進曲 :Roma, alma parens, Sanctorum Martyrumque, Nobile carmen, te decet, sonorumque, Gloria in excelsis, paternae maiestati Pax et in terra fraternae caritati Ad te clamamus, Angelicum pastorem: Quam vere refers, Tu mitem Redemptorem! Magister Sanctum, custodis dogma Christi, Quod unum vitae, solamen datur isti. Non praevalebunt horrendae portae infernae, Sed vis amoris veritatisque aeternae. Salve, Roma! In te aeterna stat historia, Inclyta, fulgent gloria Monumenta tot et arae. Roma Petri et Pauli, Cunctis mater tu redemptis, Lumen cunctae in facie gentis Mundique sola spes! Salve, Roma! Cuius lux occasum nescit, Splendet, incandescit, Et iniquo oppilat os. Pater Beatissime, Annos Petri attinge, excede Unum, quaesumus, concede: Tu nobis benedic. 日本語訳 おお幸福なるローマ おお幸福にして最も高貴なるローマ おお幸福なるローマ 幸福なるローマ 高貴なるローマ 汝はペトロの王座であり ペトロはキリストの地を得た 汝はペトロの王座であり ペトロは平和の使者なり 我らは常に教皇と共にあり 常に同胞を導く方で在り続けんことを 我らは常に教皇と共にあり 常に同胞を導く方で在り続けんことを 教皇は我らの礎 我らの力 漁師たちよ 汝は天と地を結ぶ羊飼いである ペトロ 汝は地上におけるキリストの司教であった 波の中に在りし岩よ 汝こそが道標であり真実である 汝こそがキリストの愛なり 汝こそが団結への守護者なり 自由を守る準備をせん 汝の中に全ての権威がある ペトロ 汝は地上におけるキリストの司教であった 波の中に在りし岩よ 汝こそが道標であり真実である 汝こそがキリストの愛なり 汝こそが団結への守護者なり 自由を守る準備をせん 汝の中に全ての権威がある おお高貴なるローマよ おお幸福にして最も高貴なるローマよ! アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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サックス五重奏 エスコレガンド(滑るように)楽譜
¥1,750
サックス五重奏 エスコレガンド(滑るように) タンゴ・ブラジレイロ Escorregando, Tango brasileiro エルネスト・ナザレ 編成はソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。 木管五重奏、クラリネット五重奏、金管五重奏、鍵盤打楽器とベース四重奏版は発売中です。 「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/vfUtw3MYJpQ Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html Escorregando, Tango brasileiro エスコレガンド(滑るように)、タンゴ・ブラジレイロ ナザレの作品の中でも人気の一曲です。ハ長調、A-B-C-A形式になっています。延々と続く16分音符の旋律(特にBの部分の連打音の所など)は、 題名通り縦横無尽に流れていく何とも楽しい曲です。Cはヘ長調に転調して、左手の跳躍の広いリズムと右手のオクターブの旋律がとても華やかで、 盛り上がりも最高に達します。テンポを落とさずに上手に演奏するのは技巧的に結構難しい曲です。 「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を知らずしてブラジル音楽は語れません。 南国ののどかな風光と、アフリカの野性的なエネルギーと、ロマンティシズムが渾然と混じり、甘美で、ちょっぴり切ない独特の音楽が聞こえてきます。 ミニョーネはこう述べています。「私は1917年頃にEduardo Soutoの楽譜店でナザレに会ったことがある。ナザレは自作曲を決して急がず、 カンタービレで弾いていた。彼はこう言っていたよ、『私の作品はあちこちでメチャメチャに弾かれている。みんな速く弾きすぎだ。 特に "Apanhei-te, Cavaquinho" は酷いことになっている。あの曲はゆっくりと、左手はカヴァキーニョを思い浮かべてアルペジオで弾くもんだ』と。」 エルネスト・ジュリオ・ナザレー (Ernesto Julio Nazareth (またはNazare とも), 1863年3月20日 - 1934年2月4日)は、ブラジルのピアニスト・作曲家です。 一生をリオ・デ・ジャネイロで過ごしました。「ブラジル風タンゴ」やショーロなど、国内の民族音楽に影響されたピアノ曲を量産しました。 そのような作曲姿勢から、しばしば「ブラジルのショパン」と呼ばれています。ピアノ以外の音楽教育は学ばなかったため、 残された作品はサロン小品と声楽曲ばかりであり、管弦楽曲や室内楽・カンタータやオラトリオのような分野の大作はなく、作曲技法も必ずしも洗練されていません。 しかしながら、民衆音楽の影響のもとに切り開いた独自の素朴な詩境は、のちにヴィラ=ロボスから、「ブラジルの魂」と称賛されました。 中産階級ながらもあまり豊かでない下級官吏の家庭に生まれ、ショパンを愛する母親からピアノの手ほどきを受けました。 早い年齢でたぐい稀な音楽的才能が認められ、家族ぐるみで付き合いのあったアフロ=アメリカンの作曲家、 リュシアン・ランベールにも音楽の手ほどきを受けました。 1873年に母親が亡くなってからもピアノを学び、間もなく作曲も手がけるようになりました。 最初の出版作品のポルカ『ボセ・ベン・サービ"Voce Bem Sabe"』 (あなたはよく御存知)は、14歳になるまでに作曲・出版されました。 その後は、ショーロの楽士たちとたむろして、敏感で独特なリズム感を身につけました。マシシェ maxixe やルンドゥ lundu 、ショーロ choro 、 アフリカ系住民のダンスなど、さまざまな民族舞曲に影響されました。 長年ナザレーは、映画館オデオン座の待合室でピアニストとして働き、ここで最も有名な作品の一つ『オデオン』を作曲しました。 外国から数少ない音楽家がブラジルを訪問した際、オデオン座のナザレーの演奏を見学したといわれています。 1920年代初頭には、音楽ショップにピアニストとして雇われました。顧客が購入する際に持ち寄ってきた楽譜を見ながら、演奏し、 客の要望に沿うかどうかを確認して見せるのが任務でした。客の中に、ナザレー作品の楽譜を手ずから弾こうとする者がいると、止めさせて、 解釈が誤っていると苦情を言うのが常だったそうです。 ナザレーは、心底からのブラジル人音楽家であり、音楽は楽しまれるべきであるとして、それ以上を望みはしませんでした。 ほとんど独学であり、音楽活動のほとんどは、劇場や映画館の伴奏ピアニストとして、あるいは小劇場のアンサンブルでのピアニストとして、 演奏するのに振り当てられました。 そのような劇場アンサンブルの楽団員の知り合いには、後の大作曲家ヴィラ=ロボスがいて、当時はチェリストとして活動していました。 ナザレーはショーロの発展のおおもとであり、ヴィラ=ロボスは、これに基づき、後に自らの創作活動を繰り広げていったのです。 ナザレーは、ブラジルの民族音楽以外にも明らかに影響されていて、子供時代にむさぼるようにして学んだショパンの影響が中でも顕著です。 また、1869年にきら星のようにリオ・デ・ジャネイロにデビューして、瞬く間にブラジル楽壇を席巻したゴットシャルクの作風もナザレーにはお馴染みでした。 作品には、19世紀ヨーロッパのクラシック音楽の豊かな和声法がこだましながら、ナザレーの生地ブラジルの、シンコペーションをともなう 民族舞曲のリズム法に織り込まれてゆくのが認められます。そのうえ、アメリカ合衆国のラグタイムや初期のジャズの、小気味よいリズム感も健在です。 これらの要素を統合して一つの有機体へとまとめ上げたことがナザレー独自の能力で、結果的には、ピアノ曲のレパートリーだけでなく、20世紀の音楽にも重要な貢献を果たしています。 ナザレーはショパンやその他のヨーロッパの作曲家から霊感を受けたように、逆に自らも、間接的とはいえ、ヨーロッパの作曲家に何かしらの影響を与えています。 フランス人作曲家のダリユス・ミヨーは、自伝の中で、ブラジル滞在中にリオ・デ・ジャネイロの映画館でナザレーがピアノを演奏する風景を回想しています。 ミヨーはその音楽のリズムにたちどころに虜となって、ブラジル音楽をきわめてやろうと決心したというのです。 その最終的な成果こそが、ミヨーのピアノ曲『ブラジルの想い出 Saudades do Brasil』でした。 ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ばれていますが、作品に副題を好んでつけた点で、ショパンとは違っています。 ショパンやフォーレよりもヨーロッパのサロン音楽の伝統に忠実だったといえます。 しかしながら19世紀から20世紀初頭まで、ヨーロッパではサロン小品にフランス語の題名をつける慣習がまだ根強く残っていたのに対して、 ナザレーは母語のポルトガル語に固執しました。 また題名によって、ドビュッシーやラヴェルのように、美術や文学からのインスピレーションをほのめかしたり、 リストのように詩的な連想を暗示することもありませんでした。 ナザレーの曲名には、しばしば第三者にとって謎めいた響きをもつものもありますが、それらは実在するスポーツチームやダンスクラブ、雑誌名など、 ナザレーの日常生活の周辺から切り取られたものばかりです。このような意味で、ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ぶよりは、むしろ 「ブラジルのクープラン」と呼んでこそふさわしいかも知れません。 およそ300曲のピアノ小品において、ナザレーはみごとに、大衆的なブラジル舞曲のエッセンスを捕まえています。 ナザレーは、厳密には都会の聴衆のために作曲したのですが、その作品には、(ブラジルで奴隷制が廃止された1888年以降の作品でも、) アフリカ系民族音楽の豊かな影響が息づいています。ほとんどの曲に、スコット・ジョプリンが発想したようなシンコペーションが使われています。 ナザレーのピアノ曲には、ブラジルのありとあらゆるダンスが盛り込まれています。マシシ(英語版)、バトゥーキ(英語版)、 サンバ、 そして中でも重要なのがタンゴです。後に世界中を熱狂させ、席巻したタンゴが、ブラジル生まれだったというだけでなく、 実際にはナザレー自身の創り出したジャンルだったという証拠になるからです。 もしそれが間違いだったとしても、「ブラジル風タンゴ」の発展のほとんどにナザレーがかかわっていて、このジャンルに優に100曲を残しています。 最も有名な作品に、『ブレジェイロ(ろくでなし)"Brejeiro"』『アメノ・ヘゼダ"Ameno Reseda"』『バンビーノ(赤ん坊)"Bambino"』 『トラベッス(腕白坊主)"Travesso"』『フォン・フォン"Fon-Fon"』『テネブローズ(暗闇)"Tenebroso"』があります。 ナザレーが初めて「ショーロ」と呼んだ作品のうち、『アパニェイチ・カヴァキーニョ(頑張れカバキーニョ)"Apanhei-te Cavaquinho"』は、 さまざまな楽器アンサンブルによって演奏できる、古典的名作です。 晩年になって完全に聴覚を失うと、創作活動にも支障をきたしましたが、それでもブラジル国内ではなかなかナザレー人気は衰えませんでした。 ゴットシャルクやジョプリンを評価する人たちなら、ナザレーの残した魅力的な宝石たちをきっとたちまち気に入るに違いありません。 作曲者の死後から半世紀を経た近年になって、ナザレー作品を集めたアルバム制作が世界的にも相次いでいて、最近では伝記や、 作曲者に関するCD-ROMも発表されています。ナザレーは、クラシックとポピュラー音楽にまたがって活動したことから、ナザレーのピアノ曲は、 クラシックの学び手にも、ポピュラー音楽の学び手にも、有用な教材とされつつあります。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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金管八重奏と打楽器のための「クリサンシマム(菊)」楽譜
¥2,700
金管八重奏と打楽器のための「クリサンシマム(菊)」 The Chrysanthemum An Afro-American Intermezzo Scott Joplin 編成はTp.2本、Hn.2本、Tbn.2本、Eup.、Tubaに加えてDrumsです。 Tbn.とEup.は相互に変更して演奏が可能です。 打楽器(ドラムセット)を含めて総勢9名になります。 木管八重奏版、木管五重奏版、金管五重奏版、クラリネット五重奏版、サックス五重奏版は発売中です。 スコット・ジョプリンのラグタイムをコンサート・ピースに、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/IzjZ8YP5kVI アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 「クリサンシマム」(The Chrysanthemum)は、1904年にスコット・ジョプリンが作曲したピアノ曲です。 ジョプリンが「2度目の妻 Freddie Alexander に捧げた」とも言われている落ち着いた雰囲気のラグタイム作品です。 クリサンシマムは菊の花の意味です。ラテン語の属名を英語読みにして「クリサンセマム」または略して「マム」と呼ぶこともありますが、 これは種としてのキクを指す場合と、キク属を指す場合とがあります。 属名はギリシア語の "chryso-"「黄金の」と "‐anthemon"「花」に由来し、菊に黄色い花が多いことによっています。 ラグタイム王スコット・ジョプリン スコット・ジョプリンはアメリカ黒人が作り上げた音楽スタイル「ラグタイム ragtime」の中で、 最も良く知られている作曲家/ピアニストです。 明治維新の年にテキサス州テキサカーナで生まれ、1917年、ニューヨークで亡くなりました。 1885年から1893年にかけてはセントルイスのナイト・クラブで演奏し、90年代にはミズーリ州のセダリアの ザ・クイーン・シティ・ニグロ・バンドでコルネットを吹いていました。 93年には、シカゴ万博にも出演しています。 当時のアメリカでは、楽曲はシート・ミュージック(楽譜)の売り買いによって世間に広まりましたが、 ジョプリンも例外ではなく「Please Say You Will」「Picture of Your Face」など自作曲の権利を売っていました。 彼にとって初めてのラグタイム曲となる「Original Rags」(1899年)も同様でした。 しかし、彼の代表作「メイプル・リーフ・ラグ Maple Leaf Rag」は印税契約という、当時の黒人としては異例の方法が取られました。 そして、この契約を申し出たジョン・スターク(白人)と共同歩調を取ることによってスコット・ジョプリンは、 ラグタイムの象徴となりました。 ちなみに「メイプル・リーフ・ラグ」(1899年)のシート・ミュージックは、発売されたその年だけで7万5千部も売れました。 ジョプリンはその後、たくさんのラグタイム曲を出版しましたが、彼の望みはバレーやオペラなど「格の高いジャンル」で 認められることでした。このような彼の意識背景には、アメリカの黒人差別がありました。 ジョプリンはバレー曲「The Ragtime Dance」(1902年)、オペラ「The Guest of Honor」(03年)を作曲しましたが、 ことごとくが失敗に終わりました(「The Guest of Honor」は出版されなかった)。 そうこうしているうちに、ラグタイムに影響され、より黒人色の強いジャズが台頭しきました。 ラグタイムがアメリカ最初の「自国の音楽」として欧米で持て囃されたのは19世紀末から1920年あたりだと言われていますが、 ジョプリンはまさにその短い時代に世に出て、そして亡くなったミュージシャンでした。 1910年頃には彼は梅毒におかされ、17年に亡くなりました。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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クラリネット四重奏 3つの無言歌 Op.17から第3番 Op.17-3 楽譜
¥1,400
クラリネット四重奏 3つの無言歌 Op.17から第3番 Op.17-3 フォーレ Faure, Gabriel 3 Romances sans paroles Op.17 編成はCl.3本、Bs.Cl.です。 木管四重奏、サックス四重奏版、金管四重奏版は発売中です。 自然な歌の甘い旋律が魅力的なフォーレの音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/zkDcsFT0_9M Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 3つの無言歌 ガブリエル・フォーレ Gabriel Faure この曲はフォーレのピアノ作品の出発点ともいえます。メンデルスゾーンの影響を受けたと考えられています。 「ロマンス」と言われることもあります。 ピアノの小品はロマン派時代に花咲きました。性格的小品という、キャラクター・ピースを直訳した名前でひとくくりにされることもありますが、 実際にはそれぞれの小品の種別で呼ばれることがほとんどです。この名前をつけたのはショパンに最も多くの作品があります。 メンデルスゾーンの「無言歌」(原題はLieder ohne Worte)は有名で、さらに「春の歌」や「ヴェニスの舟歌」など 別の標題がついている曲も多くあります。 フォーレの無言歌Op.17 は三曲からなり、メンデルスゾーンの無言歌と似ています。 両手のもつ機能を万遍なく使って、三声を同時に表現しています。 旋律も甘く、自然な歌を表現しています。 この3曲から成る小品集は1863年、フォーレが18歳の頃に作曲されたと考えられています。このフランス語のタイトルは、直訳すると 「言葉を伴わないロマンス」ということになりますが、2曲目にメンデルスゾーンの無言歌集の影響がうかがえることから、《無言歌》と呼ばれています。 1880年に出版されました。初演は、初めの2曲が1881年2月の国民音楽協会でポーリーヌ・ロジェにより、第3曲目が1889年1月の国民音楽協会で カーサ・シャトルジェ嬢により行われています。 第1番は3曲の中では温和な曲です。バリトン歌手レヴィの夫人にあたるフェリックス・レヴィ夫人に捧げられています。 アンダンテ・クァジ・アッレグレットの変イ長調で4分の3拍子。美しくかつゆったりと歌い上げられる右手のメロディーに、 左手が控えめな和音やエコーを奏します。 第2番イ短調は、4拍子で絶えず奏される無窮動風の音型に爽やかな旋律が載せられています。 ロール・ド・レイリッツに捧げられています。ロール・ド・レイリッツは、フォーレがニーデルメイエ校を卒業後、 レンヌで教会のオルガニストを勤めていた時(1866―1869)に知り合った女性です。アレグロ・モルトのイ短調で4分の4拍子のこの曲は、 3曲の中で最も長く、また、メンデルスゾーンの無言歌集の影響も最も色濃くうかがえます。特にそれは、左手の分散和音に乗って歌われる右手の メロディーが、時折分散和音と重複する書法で書かれていることに現れています。 第3番変イ長調は、初期のフォーレの作品のなかでとりわけ有名です。子守唄風のリズムに順次進行に基づくメロディーが大きな弧を描きます。 転調を経て最初のメロディーが回顧される個所はごく自然なカノンとなって現れ、曲を盛り上げています。 フローラン・サリオ夫人に捧げられています。第2曲目に引き続き、左手の分散和音に乗って右手のメロディーが優美に歌われます。 冒頭の部分は、《ドリー》の<子守歌>に通じるものが感じられます。メロディーはこの作品の終結近くで再現された際に、 カノンのような手法で巧妙に扱われます。 フォーレはパリのニーデルメイエール古典宗教音楽学校を卒業後は教会オルガニストとして活躍するも、 若い頃のフォーレは態度が悪く仕事を解雇されたり、普仏戦争が勃発し1870年に歩兵隊に入隊する等落ち着かない時期でした。 戦争に勝利し除隊後、パリのサン・シュルピス教会の補助オルガニストとなる。この頃からサン=サーンスのサロンの常連となりました。 ダンディ、ラロ、デュパルク、シャブリエ等と知り合い、1871年発足の国民音楽協会のメンバーとなりました。 以後フォーレの作品はこの協会の音楽会で初演されています。 74年マドレーヌ教会オルガニストに、77年合唱長になりました。 フォーレはリストに出会い、各地を旅してワーグナーのオペラの多くを観て熱中するも、影響を受けることはありませんでした。 83年結婚。85年父の死をきっかけに「レクイエム」に取りかかりました。ほぼ完成した88年に母が亡くなり、完成は1900年に持ち越されました。 合唱長の仕事と個人レッスンのため、作曲は夏期休暇中に限られました。 1877年、5年の交際を経て婚約するも一方的に破棄され、フォーレは深刻な精神的打撃を受けました。 この時期の作品としては、ヴァイオリン・ソナタ第1番作品13、ピアノ四重奏曲第1番作品15、バラード作品19などがあります。 彼は幼少で父が校長をしていた師範学校の教会でハーモニウム(オルガンの一種)を即興的に演奏しました。 10歳でパリのニデルメイェール学校に入学。音楽と宗教教育を特徴とする学校で、11年間ピアノ、オルガン、作曲等を学びました。 1861年からサン=サーンスにピアノを学びました。シューマン、リスト、ワーグナー等当時最新の音楽作品についても講述し、 生涯にわたる友情を築きました。 1892年6月マドレーヌ教会の主席オルガニスト、同年10月パリ音楽院作曲家教授に就任しました。 この頃から演劇音楽を作曲しました。1898年にはメーテルランク作「ペレアスとメリザンド」の劇付随音楽が初演されました。 後に管弦楽による演奏会用組曲に編曲されて広まりました。 ピアノ作品も素晴らしく、作曲家として名声を高めました。 1905年、パリ音楽院の院長に就任。 1907年頃から難聴に悩まされ、次第に聴力を失いました。 第一次世界大戦(1914?1918年)中も音楽院院長としてパリに留まり、作曲家としても重要な作品を生み出しました。 1920年院長の職を退きました。 79歳で亡くなり、国葬をもって遇されました。 弟子にラヴェル、ケックラン、フロラン・シュミット、デュカス、ナディア・ブーランジェ等の作曲家が名を連ねています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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木管四重奏 シューベルト:セレナーデ 楽譜
¥1,800
木管四重奏 シューベルト:セレナーデ F.Schubert Serenade (Standchen) 編成はFl.、Ob.、Cl.、Bsn.です。 金管四重奏、クラリネット四重奏、サックス四重奏版は発売中です。 恋人への苦しい思いを歌った作品をコンサート・ピースなどに、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/BNs6n5tpJEQ Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html シューベルト 歌曲「セレナーデ」 『シューベルトのセレナーデ(Standchen)』は、オーストリアの作曲家フランツ・シューベルト(Franz Schubert/1797年-1828年)によって書かれました。 『白鳥の歌(Schwanengesang)』の第4曲に当たります。 『白鳥の歌』はシューベルトの死後に、出版社や友人たちによってまとめられました。 従って、歌曲集ではありますが曲ごとの繋がりはありません。 歌曲集「白鳥の歌」14曲中、第4曲が「セレナーデ」です。 ドイツでは白鳥は死ぬ前に一度だけ鳴くという言い伝えがあり、シューベルトが亡くなる最後の年の作品です。 シューベルト歌曲の中で最も有名なものの一つで、恋人に対する切々たる思いをマンドリンを模した伴奏の上に歌いあげます。 男性が歌う歌詞で、今の時代では少し気恥ずかしいのですが、素晴らしい歌詞です。 セレナーデは夜のしじまに恋人の窓辺に立って歌う愛の歌。 ドイツ語原文では、夜鳴きウグイスと呼ばれるナイチンゲールの声に例えていますが、 この鳥は、ヨーロッパに住み、冬になると暖かいアフリカへと飛び立ちます。 叶わぬ恋に咽び泣き、愛おしい恋人を誘い出すのが小夜曲です。 アンデルセン童話の「小夜啼鳥」にナイチンゲールと王様のお話があります。 鳥の鳴き声で王様の病が治るという、それぐらい巧妙で美しい鳴き声です。 ナイチンゲールはヨーロッパの春を告げ、夕方から夜更けまで鳴き通すのです。 日本語では堀内敬三の訳詞で歌われており、艶めかしさたっぷりです。 ロマン溢れる感傷的な歌詞は、今の時代では作ることは難しく、見事な名文です。 日本語 歌詞 堀内敬三 訳詩 秘めやかに 闇をぬう 我が調べ 静けさは 果てもなし 来よや君 ささやく木の間を もる月影 もる月影 ひとめもとどかじ たゆたいそ たゆたいそ 君聞くや 音にむせぶ夜の鳥 我が胸の秘め事を そは歌いつ 鳴く音に込めつや 愛の悩み 愛の悩み わりなき思いの かの一節 かの一節 深き思いをば君や知る わが心 さわげり 待てるわれに 出で来よ君 出で来よ ドイツ語歌詞 Standchen (セレナーデ) 作詞:ルートヴィヒ・レルシュタープ Leise flehen meine Lieder 僕の歌は夜の中を抜け Durch Nacht zu dir; あなたへひっそりとこう訴えかける。 In die stillen Hain hernieder, 静かな森の中へと降りておいで、 Liebchen, komm zu mir! 恋人よ、僕のもとへ! Flusternd schlanke Wipfel rauschen 細い梢が月の光の中で In des Mondes Licht; ささやくようにざわめいている。 Des Verraters feindlich Lauschen 裏切り者の意地悪い盗み聞きを Furchte, holde, nicht. 怖がる事はない、優しい人よ。 Horst die Nachtigallen schlagen? ナイチンゲールの声が聞こえるかい? Ach! sie flehen dich, ああ!それはあなたに訴えている。 Mit der Tone susen Klagen 甘い嘆きの音色で Flehen sie fur mich. 僕の代わりに訴えているんだ。 Sie verstehn des Busens Sehnen, ナイチンゲールはこの胸の憧れ、 Kennen Liebesschmerz, 愛の苦しみを知っていて、 Ruhren mit den Silbertonen その銀色の音色で Jedes weiche Herz. やさしい心を揺さぶるんだ。 Las auch die Brust bewegen どうかあなたも胸動かされ、 Liebchen, hore mich! 恋人よ、僕の願いを聞きいておくれ! Bebend harr' ich dir entgegen! 僕はあなたの前で身もだえ、待ちわびているんだ! Komm, beglucke mich! 来て、僕を幸せにしておくれ! <セレナード>の訳語「小夜曲」はあまり見かけません。 意味するのは、男性が思いを寄せる女性の家の窓辺で夕暮れにうたう歌や器楽でうったえる音楽のことです。 朝方ならフランスにオーバードaubade、イタリアに<マティナータ>があります。 夕べの情緒と若々しい愛情を歌いあげた歌曲です。 この<セレナード>はシューベルトの没後に編まれた歌曲集『白鳥の歌』14曲のなかにあり、 楽譜を見ると曲名はStandchenシュテンチェンとあります。これが<Serenade>の原題です。 ドイツリート[歌曲]というジャンルは、シューベルトが1814年17歳のとき作曲した<糸を紡ぐグレートヒェン>で 確立したといわれます。彼は1828年に31歳で亡くなりますが、短い生涯でたくさんの音楽作品を残します。 なかでも「歌曲王」とよばれるように、このジャンルが多く名曲ばかりです。 シューベルト没年の作品<セレナード>は、歌曲集に7曲あるルートヴィヒ・レルシュタープの詩によります。 ハインリヒ・ハイネの詩は6曲あり、なかに<海辺にてAm Meer>があって、 字面から独語オンチにはシャンソンのLa Mer(仏語)のように明るい地中海を想像させますが、 ドイツリートのほうは北の暗い海でしょうか、夕暮れの海辺での悲恋をうたった歌のようです。 ハイネはシューマンの歌曲集『詩人の恋』などで知られますが、レルシュタープにはスイスの ルツェルン湖で舟遊びをしたとき波間に映る月影をながめベートーヴェンのあのピアノソナタを思い浮かべて 「月光」と名づけた、という逸話が残いってます。シューベルトは異性にたいし内気で善良で消極的でした。 彼は「愛を歌うと悲しみになり、悲しみを歌うと愛になった」というのです。 彼の生涯を知るには、映画『未完成交響楽』1935、『シューベルト?未完の旅路』53、 『三人姉妹の家』54があります。 シューベルトが作曲した歌曲は約600曲といわれます。 シューベルトなら交響曲、管弦楽、五重・四重・三重などの室内楽、ヴァイオリン・ピアノほかの器楽曲など、 やはりすべて美しい作品です。 セレナードはドイツだけではありません。イタリアにトスティの歌曲<セレナータ>があり、 シャンソンにはフランシス・ロペス作曲の<パリのセレナーデ>があります。 ティノ・ロッシが映画『Paris chante toujours』1952のなかで若い娘に寄り添い歌いかけています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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サックス五重奏 メンデルスゾーン 無言歌集 第1巻 「信頼」 Op.19-4 楽譜
¥1,350
サックス五重奏 メンデルスゾーン 無言歌集 第1巻 「信頼」 Op.19-4 U 73 Lieder ohne Worte Heft 1 "Confidence" A-Dur Op.19-4 U 73 Mendelssohn, Felix 編成はサックスのソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。 金管五重奏版、クラリネット五重奏版、木管五重奏版は発売中です。 可愛らしくもロマンチックで優美なメロディーを、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/k2zy0Aa24MU Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 『無言歌集 Lieder ohne Worte』は、メンデルスゾーンが生涯にわたって作曲したピアノ独奏のための作品集です。 全8巻からなり、各巻6曲ずつで合計48曲が収められています。 メンデルスゾーンのピアノ作品として最も有名で、しかもロマン派の教材として取り上げられることの多いのが「無言歌集」です。 ワーグナーが「第一級の風景画家」と言ったように、メンデルスゾーンは情景描写や標題音楽の作曲において才能を発揮しています。 この“言葉のない歌曲”、「無言歌」、という形でメンデルスゾーンは心象風景や感情描写までも、表現しました。 歌曲風の旋律をもった器楽曲であるため、旋律線をはっきりと浮き立たせ、抒情的に演奏することが重要です。 メンデルスゾーンが活躍したこの時期、ブルジョアジーの家庭を中心に、ピアノが教養として普及しました。 そのため、家庭で気楽に弾ける作品が多く作られましたが、この《無言歌集》もその一つです。 《無言歌集》は各6曲ずつの計8集からなり、生前に出版されたのは、第6集までです。第7集は、1851年、第8集は1867年に出版されました。 1832年、第1集を出版したときには、メンデルスゾーンは、《ピアノのためのメロディー》と記していて、《無言歌集》の名称を もつようになったのは1835年に第2集を出版してからのことでした。 標題をもっているものが多いのですが、作曲者自身によってつけられたものはわずかです。 実際、メンデルスゾーンは標題をつけることによって、音楽的な想像力が限定されることを嫌っていたようです。 4曲目の「信頼」は、ないしょの話(内緒話)とも呼ばれています。 曲想が特に優美で温かく親しみやすいことが特徴です。 第1巻 1.ホ長調「甘い思い出」 / op.19-1 (1831) 全体を流れるなめらかな16部音符の上に、抒情的な旋律がうたわれます。 2.イ短調「後悔」 / op.19-2 (1832) 3.イ長調「狩人の歌」 / op.19-3 (1832) 勇ましい狩りの情景がえがかれます。第3曲〈狩人の歌〉という標題は、メンデルスゾーン自身もみとめていたニックネームです。 6曲中最も有名な曲です。 4.イ長調「信頼」 / op.19-4(1829) 5.嬰ヘ短調「眠れぬままに」 / op.19-5 (1831) ポコ・アジタート、四分の六拍子で情熱的な趣をもつ。無言歌の中ではめずらしいソナタ形式をとっています。 6.ト短調「ヴェネツィアの舟歌 第1」 / op.19-6 (1830) 6曲中メンデルスゾーン自身が命名した唯一の曲です。無言歌曲集には、他に同名の作品が3曲あり、 これらは「ゴンドラ・リート」と呼ばれます。これらの作品は波の上を揺れ動くような動きを特徴しています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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金管四重奏「G線上のアリア」楽譜
¥1,500
金管四重奏「G線上のアリア」 Air On The G String J.S.Bach 編成はTp.、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。 サックス四重奏版、木管四重奏版、クラリネット四重奏版は発売中です。 中編成吹奏楽譜も発売中です。 優雅で美しいバッハの魅力をぜひ味わってください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/wWVsL4mgBIs Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 穏やかで優雅で荘厳な美しさに溢れているメロディーでみんなに”G線上のアリア”で親しまれているこの曲は ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685年から1750年)がおそらくケーテン時代の36才から37才の頃、 管弦樂組曲第3番二長調.BWV1068の第2曲(=エア(アリア))として 書かれたものが原曲となった曲です。 バッハが生きていた時には評判にもならず、バッハが亡くなって100年のちに発掘され 曲を演奏されることによって、ようやくこの曲にスポットライトが当てられました。 まだこの時はほぼ原曲のままだったと思われます。 バッハがヴァイオリニストの地位も確立して来た頃、G線だけで演奏するという事が話題に上っていたようです。 流行にのって1871年にドイツのヴァイオリニストのアウグスト・ヴイルヘルミ(1845年から1908年)が バッハのアリアを原曲にバイオリンのG線(=テーマメロディがバイオリンの四本の弦の一番低い音のG弦) だけで弾けるように編曲することで、世の中に広く”G線上のアリア”として知られ親しまれる曲となりました。 現在では広くヴァイオリンや他の楽器が他の線で弾く時にも”G線上のアリア”として紹介されるようになり、 ”G線上のアリア”と言う名が世に浸透しました。 バッハ一族は音楽家の家系で、数多くの音楽家を輩出しましたが、 中でも、ヨハン・ゼバスティアン・バッハはその功績の大きさから、大バッハとも呼ばれています。 一般的にはJ・S・バッハとも略記されています。 ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach, 1685年3月31日 - 1750年7月28日) は、18世紀のドイツで活躍した作曲家・音楽家です。 バロック音楽の重要な作曲家の一人で、鍵盤楽器の演奏家としても高名であり、 当時から即興演奏の大家として知られていました。バッハ研究者の見解では、 バッハはバロック音楽の最後尾に位置する作曲家としてそれまでの音楽を集大成したとも評価されていますが、 後世には、西洋音楽の基礎を構築した作曲家であり音楽の源流であるとも捉えられ、 日本の音楽教育では「音楽の父」と称されました。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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Solo+クラリネット四重奏 ジョスランの子守唄 楽譜
¥2,200
Solo+クラリネット四重奏 ジョスランの子守唄 Berceuse de Jocelyn バンジャマン・ルイ・ポール・ゴダール Benjamin Louis Paul Godard 編成はCl.3本、Bs,Cl.およびSoloパートです。 同梱のSoloパート楽譜はin F版(Hn.)、 in C版(Ob.、Mallet Perc.など)、 in C-Fl.版(Fl.、Pic.)、 in C低音版(Eup.、Bsn.、Tbn,、St.Bs.など)、 Tubaは1オクターブ下げて演奏できます。 in B版(Tp.、Cl.、Bs.Cl.、Sop.Sax.、T.Sax.など)、 in Es版(Es Cl.、A.Sax.、B.Sax.など)が含まれています。 多くの楽器がSoloを担当し、伴奏は下の編成も含め4種類から選ぶことができます。 金管四重奏版、サックス四重奏版、木管四重奏版は発売中です。 フランスのロマン派を味わえる美しい名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/pjs-T_j1Qk4 Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html バンジャマン・ルイ・ポール・ゴダールは、 1849 年パリに生まれ、1895 年カンヌで亡くなったフランスのヴァイオリニストであり、作曲家でした。 パリ音楽院において、ヴェータンにヴァイオリンを、ルベルに作曲を師事します。室内楽団でヴァイオリンまたはヴィオラを演奏するとともに、 作曲家としてもヴァイオリンやピアノのための作品から管弦楽曲、オペラまで幅広く手がけています。 1887 年からパリ音楽院室内楽科教授となりました。 オペラ「ジョスラン」の子守歌は特に有名です。 ジョスランの子守唄 バンジャマン・ルイ・ポール・ゴダール (1849 ~ 1895)フランス Benjamin Louis Paul Godard パンジャマン・ルイ・ポール・ゴダールは 1849 年パリに生まれ、 1895 年に亡くなった、フランスの作曲家です。 1878 年パリ市の作曲コンテストで「劇的交響曲」が1位に入賞して、その名を世に知られるようになりました。 その後、歌劇を手がけ、この子守歌で知られる「ジョスラン」、「酒保商人」などを書いています。 ジョスランの子守歌 ゴダール 歌詞の意味・日本語訳・原曲のフランス語の歌詞 『ジョスランの子守歌 Berceuse de Jocelyn』(ベルスーズ・ドゥ・ジョスラン)は、19世紀フランスの作曲家ゴダールによる オペラ『ジョスラン Jocelyn』中のアリア(歌)です。 オペラ『ジョスラン』が今日上演される機会はほとんどなく、『ジョスランの子守歌』だけが独立した楽曲として単独で演奏されるほか、 安眠・リラックス系クラシック音楽CDの一曲としてコンピレーション・アルバムに収録されることがよくあるようです。 日本では古くから唱歌として歌われており、『流浪の民』、『ローレライ』、『野ばらの名訳で知られる訳詞家の 近藤 朔風(こんどう さくふう/1880-1915)による歌詞が現代まで伝えられています。 世界遺産モン・サン=ミシェル修道院(Mont Saint-Michel)でもフランス革命時に特権階級の聖職者は迫害され、 モン・サン=ミシェル修道院は廃止されました。1863年まで国の監獄として使用されていました。 "Berceuse" from Jocelyn - Summer Watson 訳詞:近藤 朔風 むごきさだめ 身に天降(あも)りて 汝(なれ)と眠る のろわれの夜(よ) 胸のうれい ゆめに忘れん 祈らばや ゆらぐ星のもと 夢のまきまきに あこがれよ み空へ 眠れいとし子よ 眠れ今は小夜中(さよなか) あゝ夢ぞいのち マリアよ守りませ 愛のつばさに おおわれつ わが来し方(こしかた) かえりみれば 流れたゆとう 波にも似たり あわれいく日 祈りに泣きぬ 夢のまきまきに あこがれよ み空へ 眠れいとし子よ 眠れ今は小夜中 あゝ夢ぞいのち マリアよ守りませ 近藤 朔風による『ジョスランの子守歌』の訳詞を見てみると、「むごきさだめ(惨き運命)」、「のろわれの夜(呪われの夜)」、 「胸のうれい(憂い)」などと、冒頭から子守歌らしからぬ、ただならない雰囲気が漂っています。 「祈り」「マリア」といったキリスト教を連想させるキーワードが使われていて、キリスト教に関連する過酷な運命の歴史が 暗に示されている歌詞です。 原曲:フランス語の歌詞・日本語訳 Berceuse de Jocelyn Couches dans cet asile Ou Dieu nous a conduits Unis par le malheur Durant les longues nuits Nous reposons tous deux Endormis sous leurs voiles Ou prions aux regards Des tremblantes etoiles ! 神がお導きになった この安らぎの場所に隠れて 不幸ばかりの 永い夜を 二人で休もう 瞬く星が守ってくれる ベールの下で眠ろう Oh ! Ne t'eveille pas encore Pour qu'un bel ange de ton reve En deroulant son long fil d'or Enfant, permette qu'il s'acheve あぁ、まだ起きないで 君の夢の中に現れる美しい天使が 長い金の糸を巻き取る間 御子よ、天使がそれを終えるまで Dors ! dors ! Le jour a peine a lui ! Vierge sainte, veillez sur lui ! 眠れ、眠れ、人生はほんのわずかのこと マリアよ、人生を見守ってくれ Sous l'aile du Seigneur Loin du bruit de la foule Et comme un flot sacre Qui doucement s'ecoule, Nous avons vu les jours Passer apres les jours Sans jamais nous lasser D'implorer son secours ! 神の安らぎのもと 雑踏の騒がしさから離れて まるで聖なるしずくがゆっくりと流れるように 私たちは毎日を過ごした 助けを請い願うこともなく ジョスラン(オペラ) フランス革命で立ち上がった貧しい市民達 聖職者・貴族が標的に オペラ『ジョスラン Jocelyn』は、19世紀フランスの作曲家ゴダールによる全4幕のオペラ・歌劇。1888年に初演されました。 今日上演される機会はほとんどなく、同作中のアリア『ジョスランの子守歌 Berceuse de Jocelyn』だけが独立した楽曲として単独で演奏されています。 オペラ『ジョスラン』のあらすじ・ストーリーは、フランスの詩人・政治家アルフォンス・ド・ラマルティーヌ(Alphonse de Lamartine/1790-1869)の 長編詩に基づいています。 舞台は18世紀末のフランス。聖職者の主人公ジョスランは、過激化するフランス革命の荒波にのまれ、山で数奇な逃亡生活を送ることになります。 ストーリーは「フランス革命」「聖職者」「逃亡生活」というキーワードがあらすじの大きな柱となっています。 フランス革命と追われる聖職者の歴史 フランス革命以前の身分制度「アンシャン・レジーム」では、国民は三つの身分に大別されていました。 第一身分は聖職者、第二身分は貴族、第三身分は市民や農民です。このうち第一身分と第二身分はいわゆる特権身分であり、免税特権を持っていました。 1789年のフランス革命により第三身分の第三身分の市民・農民たちが立ち上がると、貴族や聖職者たちは革命軍の標的となり、 1793年にはルイ16世とマリー・アントワネットはパリのコンコルド広場でギロチンで公開処刑されました。 特権身分のキリスト教は徹底的に弾圧され、聖職者追放と教会への略奪・破壊が横行しました。 1793年11月にはフランス全土でミサの禁止と教会の閉鎖が実施され、祭具類はことごとく没収されて造幣局で溶かされました。 オペラ『ジョスラン』の主人公である聖職者のジョスランも、このフランス革命のあおりを受けて山岳地帯へ逃亡しました。 『ジョスランの子守歌 Berceuse de Jocelyn』はその逃亡中の山の中でジョスランが歌った歌なのでしょう。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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木管四重奏 グリーグ :抒情小品集 第4集 Op.47-3 楽譜
¥1,400
木管四重奏 グリーグ :抒情小品集 第4集 Op.47-3 メロディー Lyriske smastykker No.4 op.47-3 Melodie Grieg, Edvard Hagerup 編成はFl.、Ob.、Cl.、Bsn.です。 金管四重奏、クラリネット四重奏、サックス四重奏版は発売中です。 ノルウェー色が豊かな名曲をコンサート・ピースなどに、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/pHUQBFXPMZU Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html グリーグはベルゲンというオスロに次ぐ大都市に5人兄弟の第4子として生まれました。 幼少より母親からピアノを習いはじめ、15歳から18歳までは、ドイツのライプツィヒ音楽院で作曲とピアノを学び、 メンデルスゾーンやシューマンらの影響を受けました。 音楽院を卒業後は故郷ベルゲンに戻り、さらに翌1863年にコペンハーゲンで ニールス・ガーデ(Niels Gade, 1817年~1890年)から作曲を教わり、国民楽派の影響を受けたと言われています。 彼はノルウェーの民族音楽から着想を得て、国民楽派の作曲家として注目されました。 民族音楽からの深い影響は『ペール・ギュント』第1組曲の第1曲「朝」の冒頭がノルウェーの民族楽器である ハリングフェーレの共鳴弦を端からつま弾いた時の旋律から始まっていることからもうかがうことができます。 グリーグの肖像は、旧500クローネ紙幣に描かれていました。 グリーグはとても小柄であった。生前は卓越したテクニックのピアニストとしても著名で、自作を携えヨーロッパをたびたび演奏旅行している。晩年のアコースティック録音およびピアノロールが残されており、現在もCDで入手できる。 生地であるノルウェーの旧首都ベルゲンの自然と海をこよなく愛しました。 死後に火葬され、遺言によりトロールハウゲンの住居の下にある湖を望む岩壁に墓が設けられ、一部の遺灰は湖に撒かれました。 グリーグは終世、手のひらに乗るぐらいの小さな蛙の置物や子豚のぬいぐるみを大切にし、 寝る時も一緒だったそうです。演奏会の時は、あがらないように、ポケットの中で蛙の置物をそっと握りしめたそうです。 なお、この蛙の置物と子豚のぬいぐるみはグリーグの家(現在のエドヴァルド・グリーグ博物館)に展示されています。 ちょうどこのグリーグが活躍した時代というのは、当時勢いのあったドイツのロマン派音楽が周辺諸国へと波及し、 それぞれの国の民族的要素と融合した新しい音楽様式が生まれましたが、それを音楽史の中では「国民楽派」と呼んでいます。 その背景には、当時鉄道が整備され人々の移動が容易になったことも関係しているのではないかと思われます。 国民楽派の作曲家たちは、自国の歴史や風物、民謡、民族音楽などを題材にした作品を積極的に作りました。 ロシア、ボヘミア地方、北欧などで様々な作曲家たちが活躍し始めるのがこの時期です。 『抒情小曲集』は、エドヴァルド・グリーグが1867年から1903年にかけて作曲した、全66曲からなるピアノ曲集です。 6~8曲ごとにまとめられて出版され、全10集からなっています。 1867年、《ピアノ協奏曲イ短調 作品16》で一躍有名になったグリーグは、この年から1901年にかけてこの作品集を書き上げました。 抒情小品は生涯にわたって作曲されているため、グリーグの作風、ピアニズム、その変遷すべてがその中にあらわれていて、 作品群の中でも中心的な存在です。 いずれも1分~6分程度の小品で、ステージ用というよりは、主にサロンや家庭で広く親しまれていました。 どの曲にも標題がつけられていて、それぞれの曲に対して、一つの感情、気分、情景が表現されています。 1867年、第1集を発表しましたが、その後ピアノ、作曲、指揮など多忙だったこともあって、第2集が発表されたのは、 その16年後でした。第2集から第10集はある一定の間隔をおきながら続けて作曲されました。 全10巻で、計66曲の作品がおさめられています。 グリーグ : 抒情小品集 第4集 / Lyriske smastykker No.4 op.47 第4集は、第3集の出版からちょうど10年後にあたる1888年に出版された。比較的やさしい技巧で弾くことができた第3集までの作品と比べ、 第4集以降、やや難易度が増しています。また、第3集にみられたような、全曲を通しての内容の一貫性はありません。 1.即興的ワルツ / op.47-1 "Valse-Impromptu":民族的な舞曲のリズムにのせて、どことなく物憂げで神経質なメロディがさまようように奏でられます。 Strettoの部分は即興的で、非常に煌びやかな効果をあげています。全体的に単調にならないよう、ハーモニーの変化を感じて演奏しましょう。 2.アルバムのページ / op.47-2 "Albumblad":なにか輝かしい良き日の思い出を想わせるような、一曲で、技巧的に難しい曲です。 メロディが中心となる主要な箇所と、挿入句的なパッセージの部分とは、効果的に雰囲気を分けて演奏しましょう。 3.メロディー / op.47-3 "Melodie":和音が一定のリズムを保ちながら、伴奏をきざみ、その上を憂いにみちた旋律が延々と歌われていきます。 和音の中で、いかに旋律を音楽的に奏でることができるかが重要です。そのために、伴奏のリズムに推進力をもたせることも大切でしょう。 4.ハリング / op.47-4 "Halling":民族的な和声とリズムの面白さが魅力的な曲です。第2集の〈ハリング〉と同じリズムが用いられています。 5度の音程をシンコペーションのリズムで一定に刻み続けます。時に音量を変化させながらも、このリズムをかなり正しく演奏することが、 曲の雰囲気を出す上で重要です。声部ごとに強迫拍の位置が異なっていることも意識して演奏しましょう。 5.メランコリー / op.47-5 "Melankoli":タイトルが示すとおり、ため息のような旋律が欝欝とした様子で静かに奏されます。 各部によって、支えになっている持続音が変化しているので、これを意識して、色合いを変化させていきましょう。 6.スプリング・ダンス / op.47-6 "Springdans":1975年に出版された《家庭音楽集》の中に既におさめられていた曲を改訂した曲です。 舞曲のリズムが刻まれ、その上を活気に満ちた旋律が進んでいきます。大きな跳躍をみせる技巧的な部分、叙情的な中間部など魅力に富んでいます。 中間部の旋律は、比較的あっさりめに演奏するほうが旋律のもつ性格が活かされるでしょう。 和声的な進行を意識し、主要な音の動きを把握して演奏することも大切です。 7.エレジー / op.47-7 "Elegie":旋律につけられているアクセントは、強く、というよりはテヌート気味に奏されます。 物憂げに繰り返される旋律に対して、下降していく和音の色づけにも心を配りたいところです。 中間部では、装飾音を帯びて増やされた音とともに、抑圧された悲しみも、より増していくように感じられます。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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サックス五重奏 シューベルト:軍隊行進曲 第1番 楽譜
¥2,200
サックス五重奏 シューベルト:軍隊行進曲 第1番 3 Marches militaires Schubert, Franz 編成はソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。 木管五重奏版、クラリネット五重奏版、金管五重奏版は発売中です。 シューベルトの明るく活発な名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/KPUZwZuwFzk Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html フランツ・ペーター・シューベルト(Franz Peter Schubert/1797年?1828年)の『軍隊行進曲』は、ピアノ連弾のための曲集で 彼のピアノ作品の中でも有名なものです。 特に第1番は広く知られており、管弦楽用やピアノ独奏用にも編曲され親しまれています。 作曲年は諸説ありますが、1818年が有力だと現在ではされています。 作曲されたとされる1818年頃、シューベルトは貧しい生活を送っていました。 1816年に教師の職を辞めたことで、安定して稼げる仕事がなくなったためです。 しかし仕事を辞めてからは音楽を愛する仲間たちと出会い、彼らに助けられて貧しいながらも充実した時間を過ごしていました。 また1818年は作曲した作品数自体は少ないものの、シューベルトが自らの作品のためのコンサートを初めておこなった年でした。 さらには同年夏(1818年)、シューベルトはエステルハージ伯爵一家の音楽教師としてハンガリーのツェリスにも招かれます。 エステルハージ伯爵家には2人の娘がいましたので、そのために連弾曲が書かれたと推測もされています。 シューベルトはこの地でとても楽しい夏を過ごしたと言われています。 その影響もあるのか、『軍隊行進曲』は3曲とも明るく活発な音楽が印象的です。 この年は、シューベルトにとって明るい道筋が少しずつ開けるような年だったようです。 軍隊行進曲 シューベルト シューベルト(Franz Peter Schubert/1797?1828) 『軍隊行進曲』は、シューベルトがピアノ連弾のために作曲した曲集『3つの軍隊行進曲 Trois Marches Militaires』 D733 作品51。 作曲された年については諸説あり、一説によれば、シューベルトがエステルハージ伯爵家の娘の教師を務めていた頃と説明されることがあります。 この作品の第1番は、現在シューベルトの作品の中でもっともポピュラーなピアノ曲のひとつとして、独奏されることが多いのですが、 もとはピアノ連弾曲である。シューベルトがジェリズに赴任していた1818年に作曲されました。 この年はエステルハージ伯爵家のふたりの娘にピアノを教授するため、多くの連弾曲が生み出されています。 この行進曲は3曲とも、明るい力強さの中に軽やかさを備えた楽しい連弾曲であり、 エステルハージ家での楽しいピアノ・レッスンの風景を想像させる作品です。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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Solo+金管五重奏 「明日!」R.シュトラウス Op.27-4 楽譜
¥1,800
Solo+金管五重奏 「明日!」R.シュトラウス Op.27-4 Morgen! リヒャルト・シュトラウス Richard Strauss 編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、TubaおよびSoloパートです。 同梱のSoloパート楽譜はin F版(Hn.)、 in C版(Ob.、Mallet Perc.など)、 in C-Fl.版(Fl.、Pic.)、 in C低音版(Eup.、Bsn.、Tbn,、St.Bs.など)、 Tubaは1オクターブ下げて演奏できます。 in B版(Tp.、Cl.、Bs.Cl.、Sop.Sax.、T.Sax.など)、 in Es版(Es Cl.、A.Sax.、B.Sax.など)が含まれています。 多くの楽器がSoloを担当し、伴奏は下の編成も含め4種類から選ぶことができます。 クラリネット五重奏版、サックス五重奏版、木管五重奏版は発売中です。 ドイツ近代の巨匠を味わえる美しい名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/xP1TxnanB1I Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 「明日!」(ドイツ語: Morgen!)作品27-4は、リヒャルト・シュトラウスが1894年に作曲した歌曲です。 タイトルの「Morgen!」は、「明日!」「あした!」「あした」「あしたには!」「明日(あす)の朝」など、さまざまに訳されています。 新婚の妻パウリーネのために書かれたと伝えられる「4つの歌曲」作品27の締めくくりに位置します。シュトラウスの作品のなかでも特にロマンティックなものの一つとされ、 知名度が高い作品です。簡素ながら、非常に繊細な美しさを持った作品で、ジェラルド・ムーアは著書『歌手と伴奏者』のなかで、 「『壊れものにつき、取扱注意』のラベルを張るべきである」と述べています。 ジョン・ヘンリー・マッケイ(英語版)によるテクストは、明日、輝く太陽のもとで、愛し合う二人が再び一つになるだろう、というきわめて希望に満ちた愛の詩で、 やや感傷的ですが、儚く、繊細な詩です。シュトラウスもそれを受けて、繊細の極みといってよい音楽をつけました。 Langsam, sehr getragen(ゆるやかに、きわめて落ち着いて)、ト長調、4/4拍子。最初のフレーズが解決しないうちに、歌がサブドミナントで入ってくる開始は非常に印象的です。 作曲者自身による管弦楽編曲もあり、そこでは、一貫してアルペッジョをハープが、主旋律を独奏ヴァイオリンが受け持っています。 シュトラウスは色々なタイプの歌曲を書いていますが、こういった世紀末の詩人たちのメロメロにロマンティックな詩につけた甘美な歌曲は特に魅力的です。 ただ歌詞は「そして」という単語がやや多いようです。 長めのピアノのイントロがあって、これは美しいピアノの小品か、と思うと歌が始まるのはフォーレの「月の光」と同じ。オーケストラ版ではヴァイオリン・ソロが旋律を歌い、 これも非常に美しい作品です。 詩はスコットランド生まれの作家、思想家のジョン・ヘンリー・マッケイによるものです。 この作品は、まずピアノパートの甘く美しい長めの前奏で始まることが特徴的で、歌はピアノの前奏曲の途中からさりげなく入ってきます。 恋人同士のこのうえなく甘美で幸せな世界を歌ったものですが、日本でグレアム・ジョンソンがこの曲を演奏する前に 「明日はもっと良くなるという内容です。そして明日は恋人たちだけでなく、すべての人に平和と幸福を与えてくれます。」と言っています。 シュトラウストの音楽性を堪能し、メロディーの美しいレガートに酔いしれるというのが、この作品の楽しみ方でしょう。 1894年作曲。 ト長調、4分の4拍子、全43小節 Langsam sehr getragen(ゆっくりと、非常に荘重に) ---------- Morgen! 明日! Und morgen wird die Sonne wieder scheinen, und auf dem Wege, den ich gehen werde, wird uns, die Glucklichen, sie wieder einen inmitten dieser sonnenatmenden Erde... そして明日には太陽が再び輝くだろう、 そして私の歩む道で 私たち、幸せな二人を再び一つにするだろう、 この太陽の息づく大地のさなかで。 Und zu dem Strand, dem weiten, wogenblauen, werden wir still und langsam niedersteigen, Stumm werden wir uns in die Augen schauen, und auf uns sinkt des Gluckes stummes Schweigen... そして広々として、青く波立つ浜辺へと 私たちは静かに、ゆっくりと下りていき、 黙ったまま相手の目を見つめるだろう。 すると幸せの無言の沈黙が私たちに降りてくるのだ。 詩:John Henry Mackay (1864-1933) 曲:Richard Georg Strauss (1864-1949) アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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クラリネット五重奏 夕べの歌 Op.85-12 楽譜
¥1,500
クラリネット五重奏 夕べの歌 Op.85-12 小さな子供と大きな子供のための12の連弾小品 Op.85から 12.「夕べの歌」 12.Abendlied R.シューマン Schumann, Robert:12 Vierhandige Clavierstucke fur kleine und grosse Kinder Op.85 編成はCl.4本、Bs,Cl.です。 木管五重奏、サックス五重奏版、金管五重奏版は発売中です。 ドイツ・ロマン派を代表するR.シューマンの音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/1b8qF0r1m9M Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 元はシューマンのピアノ連弾曲集「小さな子供と大きな子供のための12のピアノ曲集 (Klavierstucke fur kleine und grose Kinder)」Op.85の 12曲中最後に収められている曲で「夕べの歌(Abendlied)」です。 その美しさゆえに、多くの人によってバイオリンやチェロのために編曲されています。 曲集は次のような12曲から成っています。 1.誕生日の行進曲 Op.85-1 演奏時間:2分30秒 2.熊の踊り Op.85-2 演奏時間:2分00秒 3.庭園のメロディ Op.85-3 演奏時間:2分30秒 4.花環を編みながら Op.85-4 演奏時間:2分00秒 5.クロアチア人の行進 Op.85-5 演奏時間:2分30秒 6.嘆き Op.85-6 演奏時間:2分00秒 7.騎士の馬上試合の行進.輪舞 Op.85-7 演奏時間:5分00秒 8.輪舞 Op.85-8 演奏時間:2分00秒 9.噴水のほとりで Op.85-9 演奏時間:2分30秒 10.かくれんぼ Op.85-10 演奏時間:1分30秒 11.お化けの話 Op.85-11 演奏時間:2分30秒 12.夕べの歌 Op.85-12 演奏時間:3分00秒 ロベルト・アレクサンダー・シューマン(ドイツ語: Robert Alexander Schumann, 1810年6月8日 - 1856年7月29日)は、 ドイツ・ロマン派を代表する作曲家です。ローベルト・シューマンと表記されることもあります。 ベートーヴェンやシューベルトの音楽のロマン的後継者として位置づけられ、交響曲から合唱曲まで幅広い分野で作品を残しました。 特にピアノ曲と歌曲において高い評価を得ています。 シューマンが生まれたのは1810年6月8日、ザクセンのツヴィッカウという小さな町で、父フリードリヒ・アウグストとヨハンナの間の 4男1女の子供たちの末子として生まれました。 父フリードリヒ・アウグストは書籍出版・販売業を営んでいて、その関係でシューマンの兄のエドゥアルト、カール、ユーリウスも 書籍業を営むことになり、このような中でシューマンは、幼い時期から数多くの文学書に囲まれる生活環境にありました。 父は文学をこよなく愛し、優れた文学書を刊行するだけではなく、今日の文庫本の刊行を手がけたことでも知られています。 母親のヨハンナは音楽を愛好し、その関係から彼は早い時期から音楽に親しみ、シューマンの音楽熱はこの母親から受け継ぎました。 シューマンは早くから芸術とくに音楽への関心を示し、7歳(1817年)から教会オルガニスト、ヨハン・ゴットフリート・クンチュに ピアノを師事するようになりました。8歳(1818年)のとき、母と保養地のカールスバートに5週間滞在し、同地でモシェレスの演奏を聴きました。 当時、高い評価を得ていたこのボヘミア出身の作曲家で名ピアニストの演奏との出会いはシューマンのその後の音楽的資質の開花に影響しました。 10歳(1820年)にギムナジウム(9年制の学校)に入学し、ふたたびカールスバートでモシェレスの演奏を聴きました。 すでにこの頃から作曲の試みを始め、シューマンは14歳のときに完成した「詩篇150番」は、1821年、シューマン11歳の頃に最初の構想を抱いて 作曲を進めていて、1822年にその一部を学生仲間と初演しています。 この作品はシューマンの創作の現存するもっとも初期の作品ですが、ソプラノとアルト、それに2Fl.2Ob,Fg,2Trp,ティンパニ、2Vl,Vla,ピアノという 大規模な編成の作品です。少年時代のシューマンは作曲とともに特にピアノの演奏に親しみ、とくにピアノ練習曲で用いていたフンメルや ベートーヴェンのほかに、シューベルトの作品を演奏していました。このシューベルト体験は強い印象を与え、シューベルトの音楽は長くその後の 彼の創作に影響を及ぼすことになりました。 1826年に父親が没し、姉のエミーリエは自殺しました。感情の起伏の激しい姉の性格はシューマンにも受け継がれており、それはさらに シューマンの息子のルートヴィヒにも継承されています。シューマンは裕福な商人カールス家に出入りするようになり、同家で催される演奏会で ベートーヴェンやモーツァルトなどの作品に接しました。1827年7月、この家の主人の甥で医師のエルンスト・カールスの妻アグネス・カールスに会い、 アグネスを通してシューベルトの歌曲の魅力を知りました。ジャン・パウルの小説に夢中になるようになるのもこの頃からです。 1829年5月、シューマンは、ハイデルベルクに向かう旅で南ドイツを回りました。マイン川およびライン川沿いを馬車で下り、フランクフルト、 マインツ、コブレンツなどを経由して5月21日にハイデルベルクに到着しました。このとき初めてライン川を見たシューマンは感銘を受け、 母親に宛てて次のように書き送っています。 「老いて堂々とした父なるラインの初めて見せる光景を、冷静な心全体で受け止めることができるように、ぼくは目を閉じました。 それから目を開いてみますと、ライン川はぼくの前に古いドイツの神のようにゆったりと、音も立てず、厳粛に、誇らしげに横たわり、 それとともに、山や、谷のすべてがぶどうの楽園である、花が咲き緑なすラインガウのすばらしい全景が広がっていたのです」 1829年5月、母ヨハンナに宛てたシューマンの手紙 彼は1834年ごろから精神障害の症状に悩まされるようになりました。1844年にライプツィヒからドレスデンへ、1850年にデュッセルドルフへと移住して 指揮者としても活動しました。この間、子供向けのピアノ曲を作曲するなど教育分野での貢献も残しました。 1853年にヨハネス・ブラームス(1833年 - 1897年)と出会い、「新しい道」と題する論文で若き天才として紹介しましたが、翌1854年に ライン川に投身自殺を図りました。救助されたシューマンはボン近郊のエンデニヒの療養所に収容され、2年後の1856年に46歳でこの世を去りました。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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