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木管五重奏 ベルガマスクのカンツォーン:サミュエル・シャイト 楽譜
¥2,000
木管五重奏 ベルガマスクのカンツォーン:サミュエル・シャイト Canzon Bergamask Samuel Scheidt 編成はFl.、Ob.、Cl.2本、Bsn.です。 Fl.パートはOb.で演奏できます(Ob.2本、Cl.2本、Bsn.)。 サックス五重奏版、金管五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。 バロック期のシンプルな名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/Z8-WtYObDEI Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html このベルガマスクのカンツォーンは1621年に出版された4-5声部による器楽のための舞曲集に含まれています。 金管アンサンブルのレパートリーとして編曲され演奏されることが多い作品です。 この《戦いの組曲》もそういった中の1つで、「戦いのガリヤード Galliard Battaglia」、「悲しみのクーラント Courant Dolorosa」、 「ベルガマスクのカンツォーン Canzon Bergamask」の3曲からなっています。 サミュエル・シャイト Samuel Scheidt(1587-1654)ドイツ サミュエル・シャイト(1587年11月3日-1654年3月24日洗礼)は、ドイツの作曲家、オルガニスト、そしてバロック初期の教師でした。 彼はハレで生まれ、そこでの初期の研究の後、彼のスタイルを明らかに形成していた著名なオランダの作曲家であるスウィーリンクに師事するために アムステルダムに行きました。ハレに戻ると、彼は法廷オルガニストになり、後にカペルマイスターになり、ブランデンブルクの辺境伯になりました。 多くのドイツのミュージシャン、たとえばハインリヒシュッツとは異なり、彼は三十年戦争の間ドイツに留まり、教えたり、 小さな仕事を続けたりすることで生き残ることができました。安定性が回復するまで、彼はカペルマイスターとしての地位を再開することができました。 シャイトは、オルガンの最初の国際的に重要なドイツのバロック作曲家であり、主にプロテスタント改革の結果として起こった新しい 北ドイツスタイルの開花を表しています。南ドイツやヨーロッパの他のいくつかの国では、ローマの精神的および芸術的影響が依然として強いため、 ほとんどの音楽はイタリアのモデルから派生したものであり続けました。ローマから切り離された、新しくプロテスタント地域のミュージシャンは、 隣人の慣習とは大きく異なる新しい文体のアイデアをすぐに開発しました。シャイトの音楽は、2つの主要なカテゴリに分類されます。 主にオルガン用の大量のキーボード音楽を含む器楽。と神聖な声楽、アカペラのものもあれば、通奏低音やその他の楽器の伴奏を使用するものもあります。 彼のオルガン音楽は当時有名でしたが、それ以来、JSバッハの音楽に覆われています。彼の数多くのコラール前奏曲で、 シャイトはしばしば「パターン化されたバリエーション」技法を使用しました。このテクニックでは、コラールの各フレーズが異なるリズムの動機を使用し、 各バリエーション(いくつかのフレーズで構成される)は、構成に到達します。 彼のコラール前奏曲に加えて、彼は数多くのフーガ、一連のダンス(多くの場合、周期的な形式であり、共通のグラウンドベースを共有している)および 幻想曲を書きました。彼はまた、宗教音楽と世俗音楽の両方を大量に生み出し、その多くは今でも演奏されています。 ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ・ハウスのコレクションの一部はシャイトに捧げられています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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金管四重奏+クラリネット四重奏 シュペールのソナタ・ハ長調 楽譜
¥2,400
金管四重奏+クラリネット四重奏 シュペールのソナタ・ハ長調 Sonata in C Daniel Speer 編成はトランペット2本、ユーフォニアムまたはトロンボーン2本、、ティンパニ、クラリネット3本、バスクラリネットです。 ティンパニを省略し、八重奏として演奏可能です。 金管四重奏+サックス四重奏版は発売中です。 バロック期の壮麗な響きをコンサートのオープニング・ピースに、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/A0LH9nyyWsI Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html ダニエル・シュペール - Daniel Speer Georg Daniel Speer(1636年7月2日-1707年10月5日)は、ドイツの作曲家であり、バロックの作家です。 シュペールはブレスラウ(現在はポーランドのヴロツワフ)で生まれ、ドイツのゲッピンゲンで亡くなりました。 ダニエル・シュペールは17世紀末に南ドイツ地方で活躍していました。 音楽理論家としても教科書や理論書を出版しています。「四声ソナタ」のほか、三重奏の「二つのソナタ」も トロンボーン奏者にはお馴染みの曲です。曲は単純なつくりですが、ハーモニーや細かいパッセージに高い技術が要求されます。 バロック時代の美しい響きをお楽しみ下さい。 1687年に彼はミドルバロック音楽を理解するのに役立つと考えられている音楽に関する論文を発表しました。 彼の音楽への執筆は、1世紀以上にわたってドイツのバロックトロンボーン作品に影響を与えました。 作曲家として、例えばSpeerはトロンボーンのための音楽を発表しました。キーボードの小品も残っています。 彼は金管五重奏のためのDie Bankelsangerliederのソナタ第29番で最もよく知られています。 この曲は、結婚式やフォーマルな機会によく演奏されます。彼は教会ソナタに金管楽器を用いたことで有名です。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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サックス五重奏 シューベルト 軍隊行進曲 第2番 楽譜
¥2,250
サックス五重奏 シューベルト:軍隊行進曲 第2番 3 Marches militaires Schubert, Franz 編成はソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。 木管五重奏版、クラリネット五重奏版、金管五重奏版は発売中です。 明るい力強さの中に軽やかさを備えた楽しい音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/RnoQg-BUH08 Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html フランツ・ペーター・シューベルト(Franz Peter Schubert/1797年?1828年)の『軍隊行進曲』は、ピアノ連弾のための曲集で 彼のピアノ作品の中でも有名なものです。 特に第1番は広く知られており、管弦楽用やピアノ独奏用にも編曲され親しまれています。 作曲年は諸説ありますが、1818年が有力だと現在ではされています。 作曲されたとされる1818年頃、シューベルトは貧しい生活を送っていました。 1816年に教師の職を辞めたことで、安定して稼げる仕事がなくなったためです。 しかし仕事を辞めてからは音楽を愛する仲間たちと出会い、彼らに助けられて貧しいながらも充実した時間を過ごしていました。 また1818年は作曲した作品数自体は少ないものの、シューベルトが自らの作品のためのコンサートを初めておこなった年でした。 さらには同年夏(1818年)、シューベルトはエステルハージ伯爵一家の音楽教師としてハンガリーのツェリスにも招かれます。 エステルハージ伯爵家には2人の娘がいましたので、そのために連弾曲が書かれたと推測もされています。 シューベルトはこの地でとても楽しい夏を過ごしたと言われています。 その影響もあるのか、『軍隊行進曲』は3曲とも明るく活発な音楽が印象的です。 この年は、シューベルトにとって明るい道筋が少しずつ開けるような年だったようです。 軍隊行進曲 シューベルト シューベルト(Franz Peter Schubert/1797?1828) 『軍隊行進曲』は、シューベルトがピアノ連弾のために作曲した曲集『3つの軍隊行進曲 Trois Marches Militaires』 D733 作品51。 作曲された年については諸説あり、一説によれば、シューベルトがエステルハージ伯爵家の娘の教師を務めていた頃と説明されることがあります。 この作品の第1番は、現在シューベルトの作品の中でもっともポピュラーなピアノ曲のひとつとして、独奏されることが多いのですが、 もとはピアノ連弾曲である。シューベルトがジェリズに赴任していた1818年に作曲されました。 この年はエステルハージ伯爵家のふたりの娘にピアノを教授するため、多くの連弾曲が生み出されています。 この行進曲は3曲とも、明るい力強さの中に軽やかさを備えた楽しい連弾曲です。 この作品のもとはピアノ連弾曲です。シューベルトがジェリズに赴任していた1818年に作曲されました。 この年はエステルハージ伯爵家のふたりの娘にピアノを教授するため、多くの連弾曲が生み出されています。 この行進曲は3曲とも、明るい力強さの中に軽やかさを備えた楽しい連弾曲であり、エステルハージ家での楽しいピアノ・レッスンの風景を想像させます。 第1番は特に有名で、広く演奏されています。オーケストラ編曲やタウジッヒによるピアノ独奏編曲があります。 他の多くのシューベルトの連弾作品が家庭的な楽しみのために書かれたようにこの作品も書かれたのでしょう。 第1番 ニ長調 4分の2拍子 Allegro vivace 下属調のトリオをはさむ三部形式 でできています。 ファンファーレ風に始まる軽快な行進曲 となっています。 トリオはト長調で 優しい感じの歌謡風な旋律です。 第2番 ト長調 4分の4拍子 Allegro molto moderato 1番同様下属調のトリオをはさむ三部形式でできています。 第3番 変ホ長調 4分の4拍子 Moderato ファンファーレのような短い序奏で始まります。 最初の主題は付点音符のリズムによるとてもリズミックな旋律です。 トリオはやはり下属調の変イ長調です。トリルの入ったアウフタクトで始まる優美な旋律です。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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木管とコントラバス六重奏 第9曲「飢えたる者を良き物にて満たし」楽譜
¥2,800
木管とコントラバス六重奏 第9曲「飢えたる者を良き物にて満たし (Esurientes implevit bonis)」 《マニフィカト》 ニ長調 BWV.243から 独唱、合唱、管弦楽のための Magnificat, BWV.243 編成は編成はFl.2本、Cl.2本、Bs.Cl.、St.Bs.およびSoloパートです。 演奏可能なオプションとしてOb.(1st Cl.)、Bsn.(Bs.Cl.)が同梱されています。 同梱のSoloパート楽譜はin C版(Ob.、Mallet Perc.など)、 in C低音版(Eup.、Bsn.、Tbn,、St.Bs.など)、Tubaは1オクターブ下げて演奏可能です。 in B版(Tp.、Cl.、Bs.Cl.、Sop.Sax.、T.Sax.など)、 in Es版(Es Cl.、A.Sax.、B.Sax.など)が含まれています。 多くの楽器がSoloを担当できるよう上記のSoloパート譜を4種類用意しています。 祝祭に相応しい喜び溢れるバッハのアリアをさまざまな楽器の演奏で味わいたいものです。 コンサートピースの小品に、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/dIrX3MMbY4g アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html バッハ,J.S. Bach,J.S. ■マニフイカト ニ長調BWV243 神の使いの大天使ガブリエルによって受胎を告知されたマリアが「私の魂は主をあがめ,私の霊は救い主なる神を讃えます」と 喜びのうちに神を讃美した,という「新約聖書」ルカ伝第1章第46~55節に記された「マリアの賛歌」に付けられたのがこの曲です。 この「マニフィカト」は本来,カトリックの日々の日課としてのお祈り(聖務日課),特に夕べの祈り(晩課)のための音楽として 発達したものです。バッハ自身はカトリックではなく,ルター派プロテスタントだったのですが,この時代,ルター派でも, ラテン語の「マニフィカト」はクリスマス,復活祭,聖霊降臨祭の3大祝日には,多声の音楽として演奏されるのが普通だったそうです。 というわけで,この曲の初演時にはクリスマスにちなんだ4曲の挿入曲がありました。 その後,第2稿ではこれらの挿入曲は除かれ,クリスマスのみならず,復活祭,聖霊降臨祭の晩課にも使われるようになりました。 今日,一般的に演奏されるのは第2稿の方です。この2つの版には,挿入曲の有無以外に調性の違いがあります。 第1稿は変ホ長調だったのに対して,第2稿はニ長調になっています。これは使われている楽器の違いにもよります。 第2稿では,トランペットがD管トランペットという輝かしい響きを持つものに変更されています。 この楽器を使うためにニ長調に移調されたと考えられています。その他,リコーダーがフラウトトラヴェルソ(フルート)に変更され, オーボエ・ダモーレが加えられています。 いずれにしても,この曲は壮麗さと美しさをバランス良く兼ね備えた見事な作品です。 ポリフォニックな合唱曲の間にしみじみとした味わいを持つ声楽ソロのアリアなどがバランス良く配列されています。 声楽のみだけでなく,先にあげた輝かしいトランペットをはじめとして,フルート,オーボエなどオーケストラの各楽器にも 見せ場があります。時間的にも30分ほどにまとまっていますので,「バッハ入門」に最適の曲なのではないかと思います。 ●編成 独唱(ソプラノ2,アルト,テノール,バス),5声部合唱(ソプラノ2部,アルト,テノール,バス), フルート2,オーボエ2,オーポエ・ダモーレ2,トランペット3,ティンパニ,ヴァイオリン2部,ヴィオラ, 通奏低音(チェロ,ヴィオローネ,ファゴット,オルガン) ■合唱曲,■独唱,■重唱・・・とても規則的に並んでいます。 曲番号 曲名・ソロ等 調・拍子 内容 第1番 マニフィカト 合唱 二長調 3/4 D管トランペットの甲高く装飾的なファンファーレが印象的な全楽器によるリトルネッロ(繰り返し出てくるメロディ)が 出てきます。このメロディはブランデンブルク協奏曲あたりにありそうな感じです。この部分に続き, 合唱が喜びに満ちた神の讃歌を歌います。中間部ではポリフォニックな感じになりますが,全体としてはメリスマを交えた ホモフォニックな響きが中心となっています。最後にリトルネッロがやや短く再現されます。この曲は終曲にも出てきますので, この曲全体の枠組を作っているといえます。 第2番 エト・エクスルタヴィト アリア(ソプラノII) 二長調 3/8 弦合奏と通奏低音による落ち着いたリトルネッロに続き,「私の霊は救主なる神を讃えます」と第2ソプラノがしっとりと 歌います。 第3番 クイア・レスペクスィト アリア(ソプラノI) 口短調 4/4 オーボエ・ダモーレの独奏によるしみじみとした序奏に続いて,第1ソプラノが 「この卑しい女をさえ,心にかけてくださいました」と歌います。全編に渡り,オーボエ・ダモーレとソプラノが美しく絡み合います。 その哀しみに満ちた敬虔さが印象的です。この曲の後,休みなく第4曲になります。 第4番 オムネス・ゲネラツィオネス 合唱 へ短調 4/4 前曲から一転して,5声の合唱によって「代々の人々は」と歌われる壮麗なカノンになります。 第5番 クイア・フェチト アリア(バス) イ長調 3/4 通奏低音のみに支えられて「力ある方が,私に大きな事をしてくださったからです」とじっくりと歌う短いバスのアリアです。 第6番 エト・ミゼリコルディア 二重唱(アルト,テノール) ホ短調 12/8 2本のフルートと弦の伴奏によって「その憐れみは代々限りなく」と歌われる抒情的な二重唱です。 第7番 フェチト・ポテンツィアム 合唱 ト長調 →二長調 4/4 「主はみ腕をもって力をふるい」と全合唱が力強く歌う順列フーガです。最後の方で一瞬休符が入り,緊張感が走ります。 その後トランペットも加わってドラマティックに盛り上がって終わります。 第8番 デポスイト アリア(テノール) 嬰へ短調 3/4 「権力ある者を王座から引きおろし」とテノールが決然と歌います。弦楽器の清冽さも印象的です。 第9番 エスリエンテス アリア(アルト) ホ長調 4/4 「飢えている者を良いもので飽かせ」と息の長いメリスマを交えて歌われるアルトのアリアです。 ほとんど同じ主題による2本のフルートと通奏低音による可愛らしい感じのリトルネッロで囲まれています。 第10番 スシピト・イスラエル 三重唱(ソプラノI・II,アルト) 口短調 3/4 「主は,憐れみをお忘れにならず,その僕イスラエルを助けてくださいました」と落ち着いて歌われる三重唱に重ねて, オーボエが「マニフィカト」の聖歌旋律(第9旋法)を印象的に演奏します。 第11番 スイクト・ロクトゥス 合唱 二長調 2/2 「わたしたちの父祖アブラハムとその子孫とを,とこしえに憐れむと約束なさったとおりに」と堂々と歌う, 通奏低音のみの伴奏による順列フーガです。素朴な力強さがあります。 第12番 グロリア 合唱 イ長調4/4 二長調3/4 壮麗な「グロリア」の叫びの後,持続音の上にカノンがわき上がります。「はじめにありしごとく」という 歌詞とともにトランペットが壮麗に加わり第1曲が短く再現されます。祝祭的に全曲をとじます。 Johann Sebastian Bach 1685~1750 ドイツ ヨハン・ゼバスティアン・バッハはバロック音楽の頂点を極めた巨匠にして、2世紀に亘り音楽家を輩出し続けたバッハ一族の 最大の音楽家。「大バッハ」の名でも呼ばれています。 当時の最もすぐれたオルガン奏者で、即興演奏の名手でした。アルンシュタット、ミュールハウゼンで教会オルガニストを 務めた後、1708年ザクセンのヴァイマール公の宮廷オルガニストとなり、1714年には楽長に昇進します。 この時期に多数のオルガン曲を書きました。1717年にはアンハルト=ケーテン侯の合唱長および宮廷楽長として招かれ、 管弦楽・器楽曲を集中的に作曲しました。1723年にはライプツィヒの聖トーマス教会の付属学校の合唱長およぴライプツィヒの 音楽監督に就任、終生その地位にあり、カンタータ等の教会音楽を多く書きました。 ドイツ・バロック音楽を集大成し、歌劇以外のあらゆる分野に名作を残した。ウィーン古典派の巨匠たちにも影響を与えたが、特に19世紀に再評価され、ロマン派から近現代に至る多くの作曲家に強い影響を及ぼした。 膨大な作品はW・シュミーダーの『バッハ作品主題目録』(1958)によるBWV(Bach-Werke-Verzeichnis バッハ作品目録)番号で整理されている。 ヨハン・ゼバスティアン・バッハの作曲家としての活動は通常、 (1) ヴァイマール時代 (1708~1717) (2) ケーテン時代 (1717~1723) (3) ライプツィヒ時代 (1723~1750) の3期に分けて考えられますが、最後の円熟期ライプツィヒ時代の開始を告げるのが、この名作《マニフィカト》です。 バッハは1723年5月末にライプツィヒに移り、聖トーマス教会の楽長(トーマスカントル)として毎週1曲のカンタータの 作曲・練習・上演を含む多忙な毎日を送っていました。 従来は、バッハが《マニフィカト》を書いたのは転職後最初のクリスマスのためで、ライプツィヒで教会での大規模な 奏楽が自粛されるクリスマス前の「待降節」第2~4日曜日(「斎戒期」)の暇な時期に、バッハは一連の新作と共に この《マニフィカト》を作曲したと考えられていました。 しかしグレックナーが2003年に発表した論考(1)によると、バッハは《マニフィカト》(変ホ長調の初稿、BWV.243a)を、 ライプツィヒ着任後わずか5週間後の1723年の7月2日の「エリザベト訪問」の祝日に初演し、好評を得ていたということです。 クリスマスの際には、7月に演奏したものに、クリスマス用の“讃歌(ラウダ)”(ドイツ語ないしラテン語によるモテット風楽曲)を 4曲挿入し、クリスマス・バージョンとして演奏しています。 「マニフィカト」について 「マニフィカト」とは聖母マリアが神を讃える褒ほめ歌で、『新約聖書』「ルカによる福音書」第1章46~55節に記されています。 処女懐胎を天使に告げられたマリアが、ナザレからユダの町に行き、親族エリザベツに挨拶すると、洗礼者ヨハネを身籠っていた エリザベツは聖霊に満たされ、「あなたは女の中で祝福された方です」と叫びます。 マリアも感動のあまり神へのほめ歌を歌い始めた……という文脈の中で現れます。 この褒め歌は東方教会に起源を持つが、9世紀頃に西方教会にも取り入れられ、ラテン語訳の詞文の冒頭語から 「マニフィカト(Magnificat)」と呼ばれるようになり、「カンティクム(讃歌)」(詩編以外の聖書から採られた韻文詩による聖歌)の 一つとして「聖母マリアの讃歌(Canticum Mariae)」とも呼ばれて礼拝で朗唱されるようになりました。 14世紀以降は多声楽曲として多くの音楽家が作曲しました。 「マニフィカト」は東方教会では早課に用いられるが、西方教会では晩課(晩祷)(Vesperae)で歌われる。 バッハがラテン語の《マニフィカト》」を書いた理由 「マニフィカト」はラテン語による讃歌ですが、バッハが信奉したプロテスタント派のキリスト教(新教)では ドイツ語訳などの自国語訳が推奨され、受難曲やカンタータもバッハはドイツ語で書いています。 ラテン語の《マニフィカト》に曲を付けたのは、特別な理由があったのでしょうか。 当時ドイツに広まっていたプロテスタント派の教会では、確かに、誰もが理解できるドイツ語で信徒達が一緒にコラールを歌う 習慣になっていました(カトリック派キリスト教(旧教)の礼拝では聖歌隊員のみが、一般には理解困難なラテン語の聖歌を歌う)。 ただそれは、ラテン語で歌うことが全面的に禁止されていたことを意味するわけではありません。 プロテスタント教会でもミサの最初の2章(「キリエ」「グローリア」)と「サンクトゥス」、そして「マニフィカト」は ラテン語で歌われることも多く、特にクリスマスの晩課では「マニフィカト」はラテン語で歌われていました。 バッハが赴任した新教都市ライプツィヒでも、朝の礼拝では「キリエ」と「グローリア」はラテン語で読み上げられ、 詩篇唱のメロディで歌われた。「クレド」はグレゴリオ聖歌をコラール旋律として歌われていました。 「マニフィカト」についても、通常の日曜夕方に行われる礼拝(聖体拝領を伴わない)では、会衆はルターのドイツ語訳 「Meine Seele erhebet den Herrn」を歌いますが、重要なキリスト教の祝日、即ち、3大祝祭節 ①クリスマス(降誕節) ②復活節 ③聖霊降臨節(五旬節) と、聖母マリアの3大祝日 ①聖燭祭(Candelaria)(マリアの清めの祝日(Purificatio Mariae)、主の奉献の祝日(Praesentatio Domini nostri in templum)) ②お告げの祭日(annuntiatio)(Festum Incarnationis)(Conceptio Christi) ③「聖母マリアの聖エリザベト御訪問(Visitatio B. Maria V.)」の祝日 の第1、2祝日の晩課(と言っても午後1時半頃から始まる午後の礼拝)には、伝統的なラテン語の歌詞により、 合唱、独唱、器楽合奏で、より大がかりな音楽を演奏する慣習がありました。 バッハはこの町の習慣に従って、カントールの職責の一部として、《マニフィカト》を作曲したと言えます。 《マニフィカト》の改訂 それから10年後の1733年頃、バッハはトマスカントール及び市の音楽監督の権限強化を巡って、ライプツィヒ市の評議会と 長い闘争を続けていました。そこで彼はライプツィヒの領主であるザクセン選帝侯から「宮廷作曲家」の肩書きをもらおうと、 熱烈なアプローチを繰り返していました。選帝侯じきじきのお抱え作曲家という地位を得られれば、ライプツィヒの評議員どもを 黙らせられるという計算だったのでしょう。 時のザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト1世は、ポーランド王位を得るため1697年にプロテスタント派からカトリックに 改宗していました。しかし民衆からは反発を受け、侯妃も出奔しました。そのため実際にはカトリック信仰は首都ドレスデンに 限って細々と行われ、市民権も認められていませんでした。 1733年2月1日、このフリードリヒ・アウグスト1世が逝去し、長男フリードリヒ・アウグスト2世が選帝侯位を継承しました。 先代フリードリヒ・アウグスト1世の喪の期間は、その年の六旬節の主日(2月15日)から、三位一体の主日後の4週目の 日曜 (6月28日)までと定められました。この期間は教会での一切の奏楽が禁じられました。 この期間は、バッハにとって格好の創作に集中できる期間となりました。彼は、やはりカトリック信徒として育てられていた 後継者のフリードリヒ・アウグスト2世に対し、選帝侯が営むカトリック礼拝堂のために、ラテン語によるミサ楽章「キリエ」と 「グローリア」を作曲し、7月27日付で献呈しました。これは後に《ミサ曲 ロ短調》BWV232の前半に組み入れられるものです(後半楽章は1748~49年頃書かれる)。 同じ1733年頃、バッハは1723年に作曲した《マニフィカト》の改訂も行いました。厳密な改訂時期は不明ですが、 バッハの自筆譜から1732~1735年の間と推定され、これも選帝侯に献呈されたと考えられています。 なお、バッハの熱心な“アプローチ”は功を奏し、1736年に念願のザクセンの「宮廷作曲家」の称号を得ることが出来ました。 改訂による《マニフィカト》の主な変更点は、以下のようなものです。 ・初稿にあった4つの挿入曲の削除 …… 初稿には1723年のクリスマス祝賀用のドイツ語及びラテン語による「ラウダ(讃歌)」を4曲、 「マニフィカト」本文の間に挿入していた。これはクリスマスの雰囲気を盛り上げる一方、演奏機会をクリスマスに限定し、 また「マニフィカト」のラテン語本文が持っていた対称的シンメトリックな構造を壊していました。 「ラウダ」を取り除くことで、ラテン語の歌詞構造の美しさを取り戻すと共に、クリスマス以外の聖母マリアの祝日にも演奏可能な、 より汎用的な版となりました。 ・主調を変ホ長調からニ長調に移調 …… 初稿では変ホ(Es)管のトランペットを3本用いていましたが、 当時、一般的なトランペットはD管かC管で、変ホ管を3本集めるのは極めて特殊でした。 また変ホ管トランペットで「マニフィカト」のパートを演奏するのは大変に困難です。そこでD管トランペットで普通に 演奏できるようニ長調に移調されたと考えられています。 ・縦笛であるリコーダーを横型フルート(当時は木製のフラウト・トラヴェルソ)に変更 …… 第9曲での素朴な音色が 聞けなくなりましたが、全般的に響きは輝きを増し、演奏効果は高まりました。 これ以外にも無数の個所に手を入れ、原形を留めているのは578小節のうち僅か98小節に過ぎません。 こうした徹底的な改訂の結果、初稿版と改訂版はかなり性格の異なるものとなりました。即ち、 ・《マニフィカト》 変ホ長調 BWV.243a (1723) …… クリスマス用。粗削りで刺激的な分、冒険的な性格に富み、 和声法がとりわけ大胆です。 ・《マニフィカト》 ニ長調 BWV.243 (1723, 改訂'33頃) …… 特定の機会に限定されない普及版です。仕上げが丹念で バランスが良く、耳に馴染み易く仕上がっています。 このアレンジは、 第9曲「飢えたる者を良き物にて満たし (Esurientes implevit bonis)」 アリア ホ長調 4分の4拍子 アルト独唱 一転して、フラウト・トラヴェルソ(今のフルート)の可憐な響きに導かれ、アルトが優しく歌います。 8小節のリトリネッロでは、2本のフラウト・トラヴェルソが2つの対照的な主題を提示します。 最初に3度および6度並行で吹奏される特徴的なリズムのチャーミングな上行主題は「飢えた者」を表し、 次に模倣対位法で現れる下降主題は「富める者」を表します。 アルトはまずリトルネッロ第1主題で「飢えた者」への神の慈悲を歌います。 アルトは同じ歌詞を、技巧的なメリスマを駆使しながら繰り返します。 後奏のリトルネッロでは、フラウト・トラヴェルソによる「富める者」の主題は、最後の音が休符に置き替えられ、 通奏低音のホ音一つで唐突に終わります。 この意表を突いたエンディングはもちろん、裕福な者たちが空腹(休符)のまま追い返されることを象徴しています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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金管八重奏「夏至の歌」ディーリアス 楽譜
¥2,000
金管八重奏「夏至の歌」ディーリアス Midsummer Song F.ディーリアス Frederick Theodore Albert Delius 編成はTp.3本、Hn.2本、Tbn.またはEup.2本、Tubaです。 木管八重奏、サックス八重奏版、クラリネット八重奏版は発売中です。 無限のノスタルジアの世界を持つ清冽な音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/TBkVhSb5ZH4 Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 夏至の歌は1908年、ディーリアスによって作曲されました。無伴奏混声合唱(8声)の作品です。 英国音楽を代表する作曲家の一人であるディーリアスは、1862年1月29日にブラッドフォードに誕生し、 2022年に生誕160周年を迎えます。 ドイツ人を両親に英国に生まれ育ったディーリアスは、22歳の年に渡米し、音楽教師をしながら作曲もしますが、24歳のときにはドイツのライプツィヒ音楽院に進み、26歳で卒業後はパリに移住、35歳でパリ郊外のグレ=シュール=ロワン村に居を構えてからは、72歳で亡くなるまで同地で人生を過ごすこととなります。 つまりディーリアスが英国にいたのは人生最初の22年間と、戦時の疎開などの一時的滞在くらいで、その疎開の際にも グレ=シュール=ロワン村を故郷のように懐かしむなど、生活の拠点はあくまでグレ=シュール=ロワン村にあったようです。 このイギリスとフランスに加え、最初の仕事場で現地女性との間に子供までいたともいわれるアメリカ南部や、 若き日に過ごした北欧といった地域からの影響が、ディーリアスの音楽に複雑な魅力を与えているのかもしれません。 グレ=シュール=ロワン村は、画家たちや芸術家、文化人が集まる場所として有名で、ディーリアスがこの地に移り住んだのも、 パリで知り合い恋愛関係にあった画家のイェルカ・ローゼンが、絵を描くためにこの村の別荘に住むようになったからでした。 ニーチェに対する共通の興味からディーリアスと意気投合したイェルカは、作曲家でピアニストのイグナツ・モシェレスの孫娘で、 ディーリアスとは1903年に結婚、ディーリアスが亡くなった翌年に世を去り、現在は二人揃ってロンドン郊外のリムスフィールドに 埋葬されています。 19世紀の終わりから20世紀初頭にかけて書かれたディーリアスの音楽は、ロマン派や印象派の雰囲気を感じさせる自由なもので、 魅力的な旋律に恵まれた仕上がりの美しい作品が多いのが特徴となっています。 クラシック音楽の趨勢からすると、ディーリアスの音楽は異端の部類に属する かもしれません。 ディーリアスの音楽は、非常に分かりやすい音楽です。 一度ハマってしまえば、おそらく 一生離れることが出来ないと思います。 ディーリアスのメッセージは、現在の私たちに実にタイムリーです。 彼の世界の魅力は、ノスタルジアだけではなく、 現在における普遍的な真理の問いかけにあると言えます。 彼による一流の仕上げが、どの曲にも懐かしい光を放っています。 そして私たち聴き手は、 ディーリアスの、無限のノスタルジアの世界に引きこまれていきます。 なんとも清冽な世界の深みを十分に堪能できる作品ばかりです。 夏至の歌 Midsummer Song ディーリアス Frederick Theodore Albert Delius 詩: ディーリアス (Frederick Theodore Albert Delius,1862-1934) イギリス 曲: ディーリアス (Frederick Theodore Albert Delius,1862-1934) イギリス 歌詞言語: 英語 On midsummer day we’ll dance and we’ll play And we’ll wander and stray through the woods. We’ll dance and we’ll kiss whilst it’s youth,love and bliss And the night is not far away,heigh-ho! 夏至の日に われらは踊ろう われらは遊ぼう それからわれらはさすらい さまようのだ 森の中を われらは踊ろう キスしよう 若さと愛と至福のうちに 夜は遠く離れてはいない ヘイ・ホー! アカペラ合唱曲 詞はR.S.ホフマンのもの(ドイツ語)を作曲者自身が訳したものです。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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クラリネット五重奏 デンゴーゾ(気取った男)、マシーシ 楽譜
¥2,150
クラリネット五重奏 デンゴーゾ(気取った男)、マシーシ Dengozo, Maxixe エルネスト・ナザレ 編成はCl.4本、Bs,Cl.です。 木管五重奏、サックス五重奏版、金管五重奏、鍵盤打楽器とベース四重奏版は発売中です。 「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/esPBdGzbuVg Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html Dengozo (Dengoso), Maxixe デンゴーゾ(気取った男)、マシーシ 「マシーシ(マシシェ)」とは19世紀ブラジルで流行した舞曲で、2拍子の速いテンポが特徴的です。 その起源ははっきりとはしていませんが、ヨーロッパ由来のポルカに、アフリカからブラジルに連れて来られた黒人の踊りが混じったものを指します。 ナザレが多数作曲したタンゴ(またはタンゴ・ブラジレイロ)は、この「踊りの音楽」であったマシーシを、「聴くための音楽」にしたという 経過があります。しかしナザレ自身は踊りのBGMの印象が強い「マシーシ」という言葉を自作に使うことを嫌ったらしく、 二百数十曲のナザレの作品の中でマシーシと名付けたのはこの一曲のみで、しかもこの曲が1907年に初版された際にナザレは本名を出さず "Renaud" というペンネームを使っています。変ロ長調、A-B-A-C-A-B-A形式で、踊りたくなるような、お祭り騒ぎのような陽気な曲です。 Aはの旋律はF-F#-Gを行ったり来たりするのと、16分音符分散和音だけなのですが、それが何とも浮き浮きした雰囲気を放つこの曲調はナザレの才能でしょう。 Bはヘ長調、Cは変ホ長調に転調します。この曲は1914年には米国で楽譜が出版され("Parisian Maxixe" という副題が付いた楽譜まである)、 また1939年米国のミュージカル映画「カッスル夫妻 (The Story of Vernon and Irene Castle)」の中でも用いられました。 更には米国で "Boogie Woogie Maxixe" という曲名でブギウギとなってヒットし、1960年代にはパーシー・フェイス楽団もこの曲を演奏しています。 「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を知らずしてブラジル音楽は語れません。 南国ののどかな風光と、アフリカの野性的なエネルギーと、ロマンティシズムが渾然と混じり、甘美で、ちょっぴり切ない独特の音楽が聞こえてきます。 ミニョーネはこう述べています。「私は1917年頃にEduardo Soutoの楽譜店でナザレに会ったことがある。ナザレは自作曲を決して急がず、 カンタービレで弾いていた。彼はこう言っていたよ、『私の作品はあちこちでメチャメチャに弾かれている。みんな速く弾きすぎだ。 特に "Apanhei-te, Cavaquinho" は酷いことになっている。あの曲はゆっくりと、左手はカヴァキーニョを思い浮かべてアルペジオで弾くもんだ』と。」 エルネスト・ジュリオ・ナザレー (Ernesto Julio Nazareth (またはNazare とも), 1863年3月20日 - 1934年2月4日)は、ブラジルのピアニスト・作曲家です。 一生をリオ・デ・ジャネイロで過ごしました。「ブラジル風タンゴ」やショーロなど、国内の民族音楽に影響されたピアノ曲を量産しました。 そのような作曲姿勢から、しばしば「ブラジルのショパン」と呼ばれています。ピアノ以外の音楽教育は学ばなかったため、 残された作品はサロン小品と声楽曲ばかりであり、管弦楽曲や室内楽・カンタータやオラトリオのような分野の大作はなく、作曲技法も必ずしも洗練されていません。 しかしながら、民衆音楽の影響のもとに切り開いた独自の素朴な詩境は、のちにヴィラ=ロボスから、「ブラジルの魂」と称賛されました。 中産階級ながらもあまり豊かでない下級官吏の家庭に生まれ、ショパンを愛する母親からピアノの手ほどきを受けました。 早い年齢でたぐい稀な音楽的才能が認められ、家族ぐるみで付き合いのあったアフロ=アメリカンの作曲家、 リュシアン・ランベールにも音楽の手ほどきを受けました。 1873年に母親が亡くなってからもピアノを学び、間もなく作曲も手がけるようになりました。 最初の出版作品のポルカ『ボセ・ベン・サービ"Voce Bem Sabe"』 (あなたはよく御存知)は、14歳になるまでに作曲・出版されました。 その後は、ショーロの楽士たちとたむろして、敏感で独特なリズム感を身につけました。マシシェ maxixe やルンドゥ lundu 、ショーロ choro 、 アフリカ系住民のダンスなど、さまざまな民族舞曲に影響されました。 長年ナザレーは、映画館オデオン座の待合室でピアニストとして働き、ここで最も有名な作品の一つ『オデオン』を作曲しました。 外国から数少ない音楽家がブラジルを訪問した際、オデオン座のナザレーの演奏を見学したといわれています。 1920年代初頭には、音楽ショップにピアニストとして雇われました。顧客が購入する際に持ち寄ってきた楽譜を見ながら、演奏し、 客の要望に沿うかどうかを確認して見せるのが任務でした。客の中に、ナザレー作品の楽譜を手ずから弾こうとする者がいると、止めさせて、 解釈が誤っていると苦情を言うのが常だったそうです。 ナザレーは、心底からのブラジル人音楽家であり、音楽は楽しまれるべきであるとして、それ以上を望みはしませんでした。 ほとんど独学であり、音楽活動のほとんどは、劇場や映画館の伴奏ピアニストとして、あるいは小劇場のアンサンブルでのピアニストとして、 演奏するのに振り当てられました。 そのような劇場アンサンブルの楽団員の知り合いには、後の大作曲家ヴィラ=ロボスがいて、当時はチェリストとして活動していました。 ナザレーはショーロの発展のおおもとであり、ヴィラ=ロボスは、これに基づき、後に自らの創作活動を繰り広げていったのです。 ナザレーは、ブラジルの民族音楽以外にも明らかに影響されていて、子供時代にむさぼるようにして学んだショパンの影響が中でも顕著です。 また、1869年にきら星のようにリオ・デ・ジャネイロにデビューして、瞬く間にブラジル楽壇を席巻したゴットシャルクの作風もナザレーにはお馴染みでした。 作品には、19世紀ヨーロッパのクラシック音楽の豊かな和声法がこだましながら、ナザレーの生地ブラジルの、シンコペーションをともなう 民族舞曲のリズム法に織り込まれてゆくのが認められます。そのうえ、アメリカ合衆国のラグタイムや初期のジャズの、小気味よいリズム感も健在である。これらの要素を統合して一つの有機体へとまとめ上げたことがナザレー独自の能力で、結果的には、ピアノ曲のレパートリーだけでなく、20世紀の音楽にも重要な貢献を果たしている。 ナザレーはショパンやその他のヨーロッパの作曲家から霊感を受けたように、逆に自らも、間接的とはいえ、ヨーロッパの作曲家に何かしらの影響を与えています。 フランス人作曲家のダリユス・ミヨーは、自伝の中で、ブラジル滞在中にリオ・デ・ジャネイロの映画館でナザレーがピアノを演奏する風景を回想しています。 ミヨーはその音楽のリズムにたちどころに虜となって、ブラジル音楽をきわめてやろうと決心したというのです。 その最終的な成果こそが、ミヨーのピアノ曲『ブラジルの想い出 Saudades do Brasil』でした。 ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ばれていますが、作品に副題を好んでつけた点で、ショパンとは違っています。 ショパンやフォーレよりもヨーロッパのサロン音楽の伝統に忠実だったといえます。 しかしながら19世紀から20世紀初頭まで、ヨーロッパではサロン小品にフランス語の題名をつける慣習がまだ根強く残っていたのに対して、 ナザレーは母語のポルトガル語に固執しました。 また題名によって、ドビュッシーやラヴェルのように、美術や文学からのインスピレーションをほのめかしたり、 リストのように詩的な連想を暗示することもありませんでした。 ナザレーの曲名には、しばしば第三者にとって謎めいた響きをもつものもありますが、それらは実在するスポーツチームやダンスクラブ、雑誌名など、 ナザレーの日常生活の周辺から切り取られたものばかりです。このような意味で、ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ぶよりは、むしろ 「ブラジルのクープラン」と呼んでこそふさわしいかも知れません。 およそ300曲のピアノ小品において、ナザレーはみごとに、大衆的なブラジル舞曲のエッセンスを捕まえています。 ナザレーは、厳密には都会の聴衆のために作曲したのですが、その作品には、(ブラジルで奴隷制が廃止された1888年以降の作品でも、) アフリカ系民族音楽の豊かな影響が息づいています。ほとんどの曲に、スコット・ジョプリンが発想したようなシンコペーションが使われています。 ナザレーのピアノ曲には、ブラジルのありとあらゆるダンスが盛り込まれています。マシシ(英語版)、バトゥーキ(英語版)、 サンバ、 そして中でも重要なのがタンゴです。後に世界中を熱狂させ、席巻したタンゴが、ブラジル生まれだったというだけでなく、 実際にはナザレー自身の創り出したジャンルだったという証拠になるからです。 もしそれが間違いだったとしても、「ブラジル風タンゴ」の発展のほとんどにナザレーがかかわっていて、このジャンルに優に100曲を残しています。 最も有名な作品に、『ブレジェイロ(ろくでなし)"Brejeiro"』『アメノ・ヘゼダ"Ameno Reseda"』『バンビーノ(赤ん坊)"Bambino"』 『トラベッス(腕白坊主)"Travesso"』『フォン・フォン"Fon-Fon"』『テネブローズ(暗闇)"Tenebroso"』があります。 ナザレーが初めて「ショーロ」と呼んだ作品のうち、『アパニェイチ・カヴァキーニョ(頑張れカバキーニョ)"Apanhei-te Cavaquinho"』は、 さまざまな楽器アンサンブルによって演奏できる、古典的名作です。 晩年になって完全に聴覚を失うと、創作活動にも支障をきたしましたが、それでもブラジル国内ではなかなかナザレー人気は衰えませんでした。 ゴットシャルクやジョプリンを評価する人たちなら、ナザレーの残した魅力的な宝石たちをきっとたちまち気に入るに違いありません。 作曲者の死後から半世紀を経た近年になって、ナザレー作品を集めたアルバム制作が世界的にも相次いでいて、最近では伝記や、 作曲者に関するCD-ROMも発表されています。ナザレーは、クラシックとポピュラー音楽にまたがって活動したことから、ナザレーのピアノ曲は、 クラシックの学び手にも、ポピュラー音楽の学び手にも、有用な教材とされつつあります。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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サックス五重奏+ ワシントン・ポスト (行進曲)楽譜
¥2,100
サックス五重奏+ ワシントン・ポスト (行進曲) The Washington Post 作曲者 ジョン・フィリップ・スーザ J.P.Sousa 編成はソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンおよびDrum Setです。 木管五重奏、クラリネット五重奏、金管五重奏版は発売中です。 マーチ王と讃えられるスーザの音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/CsvOwmbi7xQ Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 『ワシントン・ポスト』(英語: The Washington Post)は、1889年にジョン・フィリップ・スーザによって作曲されたアメリカ合衆国の 愛国的な行進曲です。アメリカをはじめ多くの国で、スーザの最も有名な行進曲の1つとして親しまれています。 1889年、アメリカの新聞『ワシントン・ポスト』のオーナーが、紙上で行われた作文コンテストの表彰式で使う行進曲の作曲を 当時アメリカ海兵隊楽団長であったスーザに依頼しました。 スーザはその依頼に応え作曲し、同年6月15日の表彰式において、新聞名と同じタイトルのこの行進曲を初演しました。 この行進曲は、かつては平凡な新聞であったワシントン・ポスト紙に名声と注目をもたらしました。 この出来事から、あるイギリス人のジャーナリストはスーザのことを「マーチ王」と呼びました。スーザはワシントンD.C.にある ワシントン・ポスト・ビルの一角において、ワシントン・ポスト紙とアメリカ合衆国への貢献が称えられています。 この曲の楽式は行進曲形式で構成されており(IAABBCCDCDC:ABCDIは旋律を表します)、同じスーザの代表曲である『星条旗よ永遠なれ』と同じく 中間部(トリオ)から主部に戻らない形をとっています。拍子は8分の6拍子で書かれています。第1旋律は有名で多くの人に知られていて、 荘厳で堂々としたテンポ(110-120BPM)で演奏されます。トリオでは、唐突な6つの8分音符が旋律を先へ進めていきます。 一風変わった落ち着いた移行部は、トリオ部の旋律のシンプルな変形となっています。それに続く一回目のトリオの繰り返しから、 金管楽器の低音による対旋律(オブリガート)が始まります。 作曲当時『ワシントン・ポスト』はツー・ステップというダンスのための音楽として流行しました。 ワシントン・ポストは最も演奏されたスーザの作品の1つです。コンサートやマーチングバンドなどで区別無く広く演奏され、 また重要な曲として研究されています。曲のタイトルは"The Washington Post"、"Washington Post March"、また単純に"Washington Post"などと 様々な表記がされることがあります。しかし、元の楽譜では2つの線の上に The Washington Post. March. のように書かれ、それぞれにピリオドが付けられていました。またスーザの下の手書き楽譜は同様の形式になっていました。 そして楽譜の表紙にも中央部に新聞の表紙の切り抜きを貼り付けた形で"The Washington Post"と配置され、 下部に"March By John Philip Sousa."と書かれていました。以上のことはスーザと出版者がタイトルは"The Washington Post"で、 "March"は行進曲であることの説明だと考えていたようです。 この行進曲は1978年に大ヒットした映画『アニマル・ハウス』(National Lampoon's Animal House)にも取りあげられました。 演奏時間は約2分半。 J.P.Sousa 彼はワシントンD.C.で生まれ、13歳のときにワシントン海兵隊楽団に入団。5年間在籍した後、各地のオーケストラやブラスバンドで演奏活動を続ける中で 創作活動を行いました。オペレッタの分野でも多くの作品を残していますが、有名なのはやはり行進曲です。彼の曲は、アメリカを象徴する音楽であると同時に 世界中で演奏されていて、今でも行進曲といえば、真っ先にスーザの名前が上がるほど、彼の功績は偉大です。 作品には、『ワシントン・ポスト』『士官候補生』『雷神』など広く知られた行進曲がたくさんありますが、何といっても彼の名を不滅にしたのは、 1896年に作曲された『星条旗よ永遠なれ(Stars and Stripes Forever)』でしょう。この曲は「アメリカ合衆国第二の国歌」とも呼ばれています。 合衆国第21代大統領チェスター・A・アーサーの依頼により作曲されたこの曲は、誇り高く勇壮で、時に「男の哀愁」をも感じさせる主部のテーマ、 ドラムマーチに導かれてトランペットが奏でる晴れやかな中間部など、いかにも整然と行進する兵隊の姿が目に浮かぶようで、行進曲の魅力を すべて兼ね備えた名曲です。この曲は、アメリカ海兵隊の公式行進曲に制定されています。 スーザは、77年の生涯に100曲を超える行進曲を残していて、まだまだ隠れた名曲とも呼べる素晴らしい曲がたくさんあります。 なお、マーチングバンドでよく見かける、演奏者の身体に巻き付いた大きなアサガオのような金管楽器「スーザフォン」は、彼が考案したことにちなんで 名付けられています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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木管五重奏 無言歌集 第2巻 『ヴェネツィアの舟歌 第2番』 Op.30-6 楽譜
¥2,000
木管五重奏 無言歌集 第2巻 『ヴェネツィアの舟歌 第2番』 Op.30-6 Lieder ohne Worte Heft 2 "Venetian Boat Song" Op.30-6 Mendelssohn, Felix 編成はFl.、Ob.、Cl.2本、Bsn.です。 金管五重奏版、クラリネット五重奏版、サックス五重奏版は発売中です。 ロマンチックで優美なヴェネツィアの風情を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/2BGrjbgquow Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 『無言歌集 Lieder ohne Worte』は、メンデルスゾーンが生涯にわたって作曲したピアノ独奏のための作品集です。 全8巻からなり、各巻6曲ずつで合計48曲が収められています。 メンデルスゾーンのピアノ作品として最も有名で、しかもロマン派の教材として取り上げられることの多いのが「無言歌集」です。 ワーグナーが「第一級の風景画家」と言ったように、メンデルスゾーンは情景描写や標題音楽の作曲において才能を発揮しています。 この“言葉のない歌曲”、「無言歌」、という形でメンデルスゾーンは心象風景や感情描写までも、表現しました。 歌曲風の旋律をもった器楽曲であるため、旋律線をはっきりと浮き立たせ、抒情的に演奏することが重要です。 メンデルスゾーンが活躍したこの時期、ブルジョアジーの家庭を中心に、ピアノが教養として普及しました。 そのため、家庭で気楽に弾ける作品が多く作られましたが、この《無言歌集》もその一つです。 《無言歌集》は各6曲ずつの計8集からなり、生前に出版されたのは、第6集までです。第7集は、1851年、第8集は1867年に出版されました。 1832年、第1集を出版したときには、メンデルスゾーンは、《ピアノのためのメロディー》と記していて、《無言歌集》の名称を もつようになったのは1835年に第2集を出版してからのことでした。 標題をもっているものが多いのですが、作曲者自身によってつけられたものはわずかです。 実際、メンデルスゾーンは標題をつけることによって、音楽的な想像力が限定されることを嫌っていたようです。 6曲目『ヴェネツィアの舟歌』第2番です。 『ヴェニスの舟歌』、『ベニスの舟歌』、『ヴェニスのゴンドラの歌』などとも題されます。 波の上を揺れ動くような動きを特徴しています。 《無言歌集の舟歌》 ヴェネツィアの舟歌 第1 「無言歌集」第1巻 作品19-6/アンダンテ・ソステヌート(ト短調) ヴェネツィアの舟歌 第2 「無言歌集」第2巻 作品30-6/アレグレット・トランクィロ(嬰ヘ短調) ヴェネツィアの舟歌 第3 「無言歌集」第5巻 作品62-5/アンダンテ・コン・モート(イ短調) 第2巻 作品30 出版年代:1835年 1.変ホ長調、アンダンテ・エスプレッシーヴォ 《瞑想》 (作曲年代不明) 2.変ロ短調、アレグロ・ディ・モルト 《安らぎもなく》 (作曲年代不明) 《心配》と呼ばれることもあります。 3.ホ長調、アダージョ・ノン・トロッポ 《慰め》 (作曲年代不明) カトリック聖歌集第100番「しずかに神と」、讃美歌第30番および讃美歌21・第211番「朝風しずかに吹きて」として教会で歌われています。 4.ロ短調、アジタート・エ・コン・フォコ 《さすらい人》 (1834年1月30日作曲) 《道に迷って》とも呼ばれます。 5.ニ長調、アンダンテ・グラツィオーソ 《小川》 (1833年12月12日作曲) 6.嬰ヘ短調、アレグレット・トランクィロ 『ヴェネツィアの舟歌 第2』 (作曲年代不明) メンデルスゾーンが自分でつけた『ヴェネツィアの舟歌』の第2番。 メンデルスゾーン自身が命名した曲です。無言歌曲集には、他に同名の作品が3曲あり、 これらは「ゴンドラ・リート」と呼ばれます。これらの作品は波の上を揺れ動くような動きを特徴としています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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Solo+金管四重奏 野ばら(シューベルト・ヴェルナー)楽譜
¥1,700
Solo+金管四重奏 野ばら(シューベルト・ヴェルナー) Heidenroslein 編成はTp.、Hn.、Tbn.またはEup.、TubaおよびSoloパートです。 同梱のSoloパート楽譜はin F版(Hn.)、 in C版(Ob.、Mallet Perc.など)、 in C-Fl.版(Fl.、Pic.)、 in C低音版(Eup.、Bsn.、Tbn,、St.Bs.など)、 Tubaは1オクターブ下げて演奏可能です。 in B版(Tp.、Cl.、Bs.Cl.、Sop.Sax.、T.Sax.など)、 in Es版(Es Cl.、A.Sax.、B.Sax.など)が含まれています。 多くの楽器がSoloを担当し、伴奏は下の編成も含め5種類から選ぶことができます。 木管四重奏版、クラリネット四重奏版、サックス四重奏版、鍵盤打楽器とコントラバス三重奏版は発売中です。 どちらも清純で愛らしいメロディが印象的な二人の作品を、ぜひ聴き比べてください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/KxD_ENWryTQ Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html ●野ばら(シューベルト) Heidenroslein D257 Op.3-3 作詞:ウォルフガング・ゲーテ(原詩) 作曲:フランツ・シューベルト Franz Schubert この曲は1815年8月19日(18才)作曲されました。シューベルトは友人の結婚式のために、1815年8月19日ゲーテの『連帯の歌』に曲をつけました(D258)。 出版は1821年5月29日 カッピ・ウント・ディアベルリ(委託販売)作品3-3です その日のシューベルトのゲーテの詩への作曲はこれにとどまらず、この『野ばら』をはじめ、『神とバヤデーレ』(D254)、『鼠捕り』(255)、 『宝掘り』(D256)、『月に寄せて』D259が短時間のうちに作曲されました。 ト長調 4分の2拍子 Lieblich(あいらしく) 素朴で美しい伴奏と旋律。3節からなる有節形式のリートです。 ゲーテはドイツ古典主義からロマン主義にかけて活躍しました。 ヨハン・ウォルフガング・フォン・ゲーテ(1749~1832)の戯曲や小説には、人間のもつ個性へのゆるぎない信念がうつしだされています。 なかでも劇詩「ファウスト」(第1部1808年、第2部32年)は、有名なファウスト博士の伝説を題材にした作品で、世界文学の名作のひとつです。 またゲーテは文学だけではなく、科学研究にも熱中し、「植物変態論」「光学への試論」などの著書もあります。 シューベルトは次の曲をゲーテの詞から作曲しています。 『愛の神々を買うのは誰か』『憧れ』『憩いのない愛』『歌びと』『海の静寂』『宴席の歌』『逢瀬と別れ』『悲しみの喜び』『ガニュメード』 『狩人の夕べの歌』『川辺にて』(D160,D766)『希望』『馭者クロノスに』『金細工職人』『恋人の近く』『湖上にて』『最初の喪失』 『さすらい人の夜の歌(Der du von dem Himmel bist)』『さすらい人の夜の歌(Uber allenGipfeln)』『去っていった人に』『宝堀り』 『竪琴弾き 第1』『竪琴弾き 第2』『竪琴弾き 第3』『耽溺』『月に寄せて』(D259,D296)『トゥーレの王』『涙の中にある慰め』 『人間の限界』『鼠捕り』『野ばら』D257『羊飼いの嘆きの歌』『ひめごと』『プロメテウス』『亡霊の呼びかけ』『魔王』『ミニョンに』 『ミューズの子』『夜の歌』『漁師』『連帯の歌』 ●野ばら(ヴェルナー) Heidenroslein 作詞:ウォルフガング・ゲーテ(原詩) 作曲:ハインリッヒ・ヴェルナー Heinrich Werner 「野ばら」は、ドイツの作曲家ハインリッヒ・ ヴェルナーの作曲した曲です。原題は「Heidenroslein」です。 「野ばら」はゲーテの傑作と言われる詩で、複数の作曲家がこの詩に曲をつけています。 タイトルで「ウェルナーの野ばら」となっているのは他の作曲家の作品と区別するためのものです。 この詩に曲をつけた作曲家には他に「シューベルト」「ベートーヴェン」「シューマン」「ブラームス」がいます。 ヴェルナーは音楽教師をしていた人で、広く知られている曲はこの「野ばら」だけです。 訳詞は、近藤朔風のものです。近藤朔風は「シューベルトの野薔薇」の訳詞も手がけています。 〔訳詩〕by 近藤朔風 童(わらべ)は 見たり 野なかのバラ 清らに 咲ける その色愛(め)でつ 飽かず眺む 紅におう 野なかのバラ 手折(たお)りては 行かん 野なかのバラ 手折らば手折れ 思い出ぐさに 君を刺さん 紅におう 野なかのバラ わらべは 折りぬ 野なかのバラ 折られて あわれ 清らの色香(いろか) 永久(とわ)に褪(あ)せぬ 紅におう 野なかのバラ HEIDENROSLEIN Sah ein Knab' ein Roslein stehn, Roslein auf der Heiden, War so jung und morgenschon, Lief er schnell, es nah zu sehn, Sah's mit vielen Freuden, Roslein, Roslein, Roslein rot, Roslein auf der Heiden Knabe sprach: Ich breche dich, Roslein auf der Heiden ! Roslein sprach : Ich steche dich, Das du ewig denkst an mich, Und ich will's nicht leiden. Roslein, Roslein, Roslein rot, Roslein auf der Heiden Und der wilde Knabe brach 's Roslein auf der Heiden ; Roslein wehrte sich und stach, Half ihm doch kein Weh und Ach, Must' es eben leiden. Roslein, Roslein. Roslein rot, Roslein auf der Heiden. Johann Wolfgang van Goethe アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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クラリネット五重奏 ベルガマスクのカンツォーン サミュエル・シャイト 楽譜
¥2,000
クラリネット五重奏 ベルガマスクのカンツォーン:サミュエル・シャイト Canzon Bergamask Samuel Scheidt 編成はCl.4本、Bs,Cl.です。 サックス五重奏版、金管五重奏版、木管五重奏版は発売中です。 バロック期のシンプルな名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/NHCeSIOhErI Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html このベルガマスクのカンツォーンは1621年に出版された4-5声部による器楽のための舞曲集に含まれています。 金管アンサンブルのレパートリーとして編曲され演奏されることが多い作品です。 この《戦いの組曲》もそういった中の1つで、「戦いのガリヤード Galliard Battaglia」、「悲しみのクーラント Courant Dolorosa」、 「ベルガマスクのカンツォーン Canzon Bergamask」の3曲からなっています。 サミュエル・シャイト Samuel Scheidt(1587-1654)ドイツ サミュエル・シャイト(1587年11月3日-1654年3月24日洗礼)は、ドイツの作曲家、オルガニスト、そしてバロック初期の教師でした。 彼はハレで生まれ、そこでの初期の研究の後、彼のスタイルを明らかに形成していた著名なオランダの作曲家であるスウィーリンクに師事するために アムステルダムに行きました。ハレに戻ると、彼は法廷オルガニストになり、後にカペルマイスターになり、ブランデンブルクの辺境伯になりました。 多くのドイツのミュージシャン、たとえばハインリヒシュッツとは異なり、彼は三十年戦争の間ドイツに留まり、教えたり、 小さな仕事を続けたりすることで生き残ることができました。安定性が回復するまで、彼はカペルマイスターとしての地位を再開することができました。 シャイトは、オルガンの最初の国際的に重要なドイツのバロック作曲家であり、主にプロテスタント改革の結果として起こった新しい 北ドイツスタイルの開花を表しています。南ドイツやヨーロッパの他のいくつかの国では、ローマの精神的および芸術的影響が依然として強いため、 ほとんどの音楽はイタリアのモデルから派生したものであり続けました。ローマから切り離された、新しくプロテスタント地域のミュージシャンは、 隣人の慣習とは大きく異なる新しい文体のアイデアをすぐに開発しました。シャイトの音楽は、2つの主要なカテゴリに分類されます。 主にオルガン用の大量のキーボード音楽を含む器楽。と神聖な声楽、アカペラのものもあれば、通奏低音やその他の楽器の伴奏を使用するものもあります。 彼のオルガン音楽は当時有名でしたが、それ以来、JSバッハの音楽に覆われています。彼の数多くのコラール前奏曲で、 シャイトはしばしば「パターン化されたバリエーション」技法を使用しました。このテクニックでは、コラールの各フレーズが異なるリズムの動機を使用し、 各バリエーション(いくつかのフレーズで構成される)は、構成に到達します。 彼のコラール前奏曲に加えて、彼は数多くのフーガ、一連のダンス(多くの場合、周期的な形式であり、共通のグラウンドベースを共有している)および 幻想曲を書きました。彼はまた、宗教音楽と世俗音楽の両方を大量に生み出し、その多くは今でも演奏されています。 ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ・ハウスのコレクションの一部はシャイトに捧げられています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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木管と打楽器のためのゴスペル「オー・ハッピー・デイ」楽譜
¥2,600
木管と打楽器のためのゴスペル「オー・ハッピー・デイ」 Oh Happy Day American Gospel 編成はSolo in C(Fl.、Ob.)に加えてCl.3本、A.Sax2本、T.Sax.、B.Sax. およびDrums、Tamb.、Vib. 、El.Bs.です。 来場客などによる手拍子(記譜あり)がラストに入ると盛り上がります。 金管版は発売中です。 ゴスペルの明るく輝ける名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/y9P4lwtOdlA Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 「オー・ハッピー・デイ」 (Oh Happy Day) は、エドウィン・ホーキンズが18世紀の賛美歌をもとに書いた楽曲です。 エドウィン・ホーキンズ・シンガーズ名義で1969年4月に発表されました。 録音は1967年にカリフォルニア州バークレーにある教会で行われました。 Billboard Hot 100チャートで4位(1969年5月31日~6月7日)、 R&Bチャートで2位を記録しました。 1993年にはミュージカル映画『天使にラブ・ソングを2』でも使われました。 その後、さまざまな作曲家によって編曲されているため、混声合唱曲としても知られています。 「天使にラブソングを2」で有名曲となった「OH HAPPY DAY」は1967年にリリースされたゴスペルソング。 18世紀の讃美歌516番の「主イエスを知りたる嬉しきこの日や」をもとに作られました。 讃美歌を明るいイメージでアップテンポでポップな雰囲気にアレンジしました。 1969年のポップチャートでは全米4位、イギリス2位の記録を持ちます。1993年公開の映画「天使にラブソングを2」の 劇中歌としてクローズアップされたことで世界中でリバイバルヒットしました。 「OH HAPPY DAY」は曲名からは単純に「幸せな日」と単に歌っているのではなく、とても深い意味を持っています。 の歌詞を簡単に日本語に訳すと、 「神が私の罪を清めてくれた。そして、誰もが調和と努力と祈りを忘れないことで喜びに満ちた日々を送ることができる。」 とても単純な歌詞の中に秘められた、パワーやエネルギーや当たり前と思うことに感謝する、 そんな思いを伝える歌なのです。ゴスペルの魅力は、明るさとPOPな雰囲気の中に込められる人々の想いや、 生き方、生きる意味、エネルギーをそれぞれが自然に感じることができることにおいては 世界最高峰の音楽ジャンルだと言えます。 神様は生きている人間すべての罪を許し、洗い流してくれる、そのためには努力を怠らず、周りとの調和を図り、 努力と祈りを忘れないことで、喜びを感じることができ幸せを与えてくれる、という思いを込めた歌なのです。 ゴスペル、楽しく歌うだけでなく心の奥底から、魂から、表現できる、そんな音楽なのだと思います。 ゴスペルが世界中で愛される理由は、誰もが神から平等に与えられた、「エネルギーに満ち溢れた幸せの歌」だからです。 奥深いゴスペルの世界に浸りたいものです。 Oh Happy Day(歌詞) Oh happy day (oh happy day) Oh happy day (oh happy day) When Jesus washed (when Jesus washed) When Jesus washed (when Jesus washed) Jesus washed (when Jesus washed) Washed my sins away (oh happy day) Oh happy day (oh happy day) ああ幸せな日 神様が、私の罪を清めて(赦して)くださったから 私の罪は洗い流された。 ああ、なんて幸せな日 Oh happy day (oh happy day) Oh happy day (oh happy day) Oh happy day (oh happy day) When Jesus washed (when Jesus washed) When Jesus washed (when Jesus washed) When my Jesus washed (when Jesus washed) He washed my sins away He taught me how (oh, He taught me how) To wash (to wash, to wash) Fight and pray (to fight and pray) Fight and pray And he taught me how to live rejoicing yes, He did (and live rejoicing) Oh yeah, every, every day (every, every day) (oh yeah) Every day! 神は教えてくださった どうやって心を清め、どうやって戦い、祈るのかを。 それから、どうやって喜びとともに生きるのかを、神は教えてくださった。 毎日、毎日。 毎日。 Oh happy day (oh happy day) Oh happy day, yeah (oh happy day) When Jesus washed (when Jesus washed) When my Jesus washed (when Jesus washed) When Jesus washed [hits high note] (when Jesus washed) My sins away (oh happy day) ああ幸せな日 神様が、私の罪を清めて(赦して)くださったから 私の罪は洗い流された。 ああ、なんて幸せな日 I'm talking about that happy day (oh happy day) He taught me how (oh yeah, how) To wash (to wash) Fight and pray (sing it, sing it, c'mon and sing it) Fight and pray And to live yeah, yeah, c'mon everybody (and live rejoicing every, every day) Sing it like you mean it, oh.... 私は幸せな日について話してるの。 神が教えてくれた(どうやって) 心を清めて、 戦って、 祈るのかを(歌おう、さあ、歌おう!) Oh happy day (oh happy day) I'm talking about the happy days (oh happy day) C'mon and talk about the happy days (oh happy day) Oh, oh, oh happy days (oh happy day) Ooh talking about happy day (oh happy day) Oh yeah, I know I'm talking about happy days (oh happy day) Oh yeah, sing it, sing it, sing it, yeah, yeah (oh happy day) Oh, oh, oh Oh happy day アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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木管五重奏 シューベルト:軍隊行進曲 第2番 楽譜
¥2,250
木管五重奏 シューベルト:軍隊行進曲 第2番 2 Marches militaires Schubert, Franz 編成はFl.、Ob.、Cl.2本、Bsn.です。 サックス五重奏版、クラリネット五重奏版、金管五重奏版は発売中です。 明るい力強さの中に軽やかさを備えた楽しい音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/qlN-uNh0nIM Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html フランツ・ペーター・シューベルト(Franz Peter Schubert/1797年?1828年)の『軍隊行進曲』は、ピアノ連弾のための曲集で 彼のピアノ作品の中でも有名なものです。 特に第1番は広く知られており、管弦楽用やピアノ独奏用にも編曲され親しまれています。 作曲年は諸説ありますが、1818年が有力だと現在ではされています。 作曲されたとされる1818年頃、シューベルトは貧しい生活を送っていました。 1816年に教師の職を辞めたことで、安定して稼げる仕事がなくなったためです。 しかし仕事を辞めてからは音楽を愛する仲間たちと出会い、彼らに助けられて貧しいながらも充実した時間を過ごしていました。 また1818年は作曲した作品数自体は少ないものの、シューベルトが自らの作品のためのコンサートを初めておこなった年でした。 さらには同年夏(1818年)、シューベルトはエステルハージ伯爵一家の音楽教師としてハンガリーのツェリスにも招かれます。 エステルハージ伯爵家には2人の娘がいましたので、そのために連弾曲が書かれたと推測もされています。 シューベルトはこの地でとても楽しい夏を過ごしたと言われています。 その影響もあるのか、『軍隊行進曲』は3曲とも明るく活発な音楽が印象的です。 この年は、シューベルトにとって明るい道筋が少しずつ開けるような年だったようです。 軍隊行進曲 シューベルト シューベルト(Franz Peter Schubert/1797?1828) 『軍隊行進曲』は、シューベルトがピアノ連弾のために作曲した曲集『3つの軍隊行進曲 Trois Marches Militaires』 D733 作品51。 作曲された年については諸説あり、一説によれば、シューベルトがエステルハージ伯爵家の娘の教師を務めていた頃と説明されることがあります。 この作品の第1番は、現在シューベルトの作品の中でもっともポピュラーなピアノ曲のひとつとして、独奏されることが多いのですが、 もとはピアノ連弾曲である。シューベルトがジェリズに赴任していた1818年に作曲されました。 この年はエステルハージ伯爵家のふたりの娘にピアノを教授するため、多くの連弾曲が生み出されています。 この行進曲は3曲とも、明るい力強さの中に軽やかさを備えた楽しい連弾曲です。 この作品のもとはピアノ連弾曲です。シューベルトがジェリズに赴任していた1818年に作曲されました。 この年はエステルハージ伯爵家のふたりの娘にピアノを教授するため、多くの連弾曲が生み出されています。 この行進曲は3曲とも、明るい力強さの中に軽やかさを備えた楽しい連弾曲であり、エステルハージ家での楽しいピアノ・レッスンの風景を想像させます。 第1番は特に有名で、広く演奏されています。オーケストラ編曲やタウジッヒによるピアノ独奏編曲があります。 他の多くのシューベルトの連弾作品が家庭的な楽しみのために書かれたようにこの作品も書かれたのでしょう。 第1番 ニ長調 4分の2拍子 Allegro vivace 下属調のトリオをはさむ三部形式 でできています。 ファンファーレ風に始まる軽快な行進曲 となっています。 トリオはト長調で 優しい感じの歌謡風な旋律です。 第2番 ト長調 4分の4拍子 Allegro molto moderato 1番同様下属調のトリオをはさむ三部形式でできています。 第3番 変ホ長調 4分の4拍子 Moderato ファンファーレのような短い序奏で始まります。 最初の主題は付点音符のリズムによるとてもリズミックな旋律です。 トリオはやはり下属調の変イ長調です。トリルの入ったアウフタクトで始まる優美な旋律です。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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金管五重奏「美しきロスマリン」クライスラー 楽譜
¥1,750
金管五重奏「美しきロスマリン」クライスラー Schon Rosmarin Fritz Kreisler 編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。 クラリネット五重奏版、サックス五重奏版、木管五重奏版は発売中です。 20世紀初頭の美しい名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/A4FjpySLddY Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 『美しきロスマリン Schon Rosmarin』は、オーストリア出身の音楽家フリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler/1875-1962)による ヴァイオリンとピアノのための小作品です。ヴァイオリンだけでなく、フルートやチェロ、クラリネットなどでも演奏されています。 「ロスマリン」とは、ハーブとして有名なローズマリー(rosemary)のことです。属名Rosmarinus(ロスマリヌス)は 「海のしずく」を意味します。 イングランド民謡『スカボローフェア Scarborough Fair』でも、パセリやセージと並んで、歌詞にローズマリーが登場します。 ハーブとしても用いられる植物の名前ですが古代ヨーロッパでは神秘的な力を持つと言われ、「貞操」「変わらぬ愛」の象徴と されていることから女性の名前としても使われることが多いようです。 爽やかな強い香りがあり、丈夫で育てやすく、 古代ギリシャ時代から、ローズマリーは悪魔から守られる神秘的な力をもつとされていました。 葬儀の際には棺の上に小枝をのせたり、花嫁の冠に編み込んだりしたのです。 葬儀にローズマリーを利用する習慣は、やがてヨーロッパ各地に定着して行きました。 薬草として強壮剤や収れん剤などに利用されたりしたようです。 強力な抗酸化成分であるロスマリン酸が発見された事により、若返りのハーブとしての古くからの評判が再認識されています。 クライスラー『美しきロスマリン』においては、ロスマリンは花の名前というよりも、むしろ美しい女性、 愛らしい女性の象徴として用いられています。 曲調もその名の通りとても可愛らしく、ちょっとおてんばな感じがするところはとてもチャーミングな一曲です。 小刻みなヴァイオリンがワルツのリズムを踏むように軽やかなメロディで始ります。 とても喜んではしゃいでいるような軽やかなメロディはとても新鮮で華麗に流れてきます。 中盤ではリズムがややなだらかになり、少ししっとりとした雰囲気を聴かせてくれますが、後半はまた明るく美しいメロディに 戻り軽快なステップを踏むように華麗な曲を聴かせてくれます。 演奏時間は2分足らずと、とても短い曲ですが、短い時間の中にあふれんばかりの笑顔をふりまいてくれるような、楽しい曲です。 クライスラーの有名な作品といえば、この『美しきロスマリン』以外にも、同じくヴァイオリンとピアノのための楽曲である 『愛の喜び』、『愛の悲しみ』が広く知られています。 クライスラーは、これら3曲を自身のコンサートでのアンコール曲として頻繁に演奏していたほか、1911年に3曲をピアノソロに 編曲した「ウィーン古典舞曲集 Alt-Wiener Tanzweisen」を出版しています。 現代でもこの3作品はアンコール曲として演奏されるほか、3曲を一連の作品として取り上げる機会が多く見られます。 ちなみに、『愛の喜び Liebesfreud』の英語タイトルは『Love's Joy』、『愛の悲しみ Liebesleid』は『Love's Sorrow』、 そして『美しきロスマリン』は『Lovely Rosemary』(ラブリー・ローズマリー)と言います。 これら3曲で「ラブ・ラブ・ラブ」の愛の三部作として輝きを放ち続けています。 英国ロイヤル・アカデミー・オブ・ダンス(RAD) から発売されているバレエ・レッスン用ピアノ曲集には、 バレエにおける基本的な回転動作「ピルエット」用の曲として、この『美しきロスマリン』が収録されています。 彼は7歳で特例でウィーン音楽院に入学し、10歳にして首席で卒業、その後パリ国立高等音楽院に留学し、 12歳にして首席で卒業と言う神童ぶりを発揮しました。その翌年の1888年からヴァイオリニストとしてのキャリアを スタートさせ、20世紀前半を代表するヴァイオリニストとして名を馳せています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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クラリネット八重奏「夏至の歌」ディーリアス 楽譜
¥2,000
クラリネット八重奏「夏至の歌」ディーリアス Midsummer Song F.ディーリアス Frederick Theodore Albert Delius 編成はCl.6本、Bs.Cl.2本です。 木管八重奏、サックス八重奏版、金管八重奏版は発売中です。 無限のノスタルジアの世界を持つ清冽な音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/nakFFBm5cfs Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 夏至の歌は1908年、ディーリアスによって作曲されました。無伴奏混声合唱(8声)の作品です。 英国音楽を代表する作曲家の一人であるディーリアスは、1862年1月29日にブラッドフォードに誕生し、 2022年に生誕160周年を迎えます。 ドイツ人を両親に英国に生まれ育ったディーリアスは、22歳の年に渡米し、音楽教師をしながら作曲もしますが、24歳のときにはドイツのライプツィヒ音楽院に進み、26歳で卒業後はパリに移住、35歳でパリ郊外のグレ=シュール=ロワン村に居を構えてからは、72歳で亡くなるまで同地で人生を過ごすこととなります。 つまりディーリアスが英国にいたのは人生最初の22年間と、戦時の疎開などの一時的滞在くらいで、その疎開の際にも グレ=シュール=ロワン村を故郷のように懐かしむなど、生活の拠点はあくまでグレ=シュール=ロワン村にあったようです。 このイギリスとフランスに加え、最初の仕事場で現地女性との間に子供までいたともいわれるアメリカ南部や、 若き日に過ごした北欧といった地域からの影響が、ディーリアスの音楽に複雑な魅力を与えているのかもしれません。 グレ=シュール=ロワン村は、画家たちや芸術家、文化人が集まる場所として有名で、ディーリアスがこの地に移り住んだのも、 パリで知り合い恋愛関係にあった画家のイェルカ・ローゼンが、絵を描くためにこの村の別荘に住むようになったからでした。 ニーチェに対する共通の興味からディーリアスと意気投合したイェルカは、作曲家でピアニストのイグナツ・モシェレスの孫娘で、 ディーリアスとは1903年に結婚、ディーリアスが亡くなった翌年に世を去り、現在は二人揃ってロンドン郊外のリムスフィールドに 埋葬されています。 19世紀の終わりから20世紀初頭にかけて書かれたディーリアスの音楽は、ロマン派や印象派の雰囲気を感じさせる自由なもので、 魅力的な旋律に恵まれた仕上がりの美しい作品が多いのが特徴となっています。 クラシック音楽の趨勢からすると、ディーリアスの音楽は異端の部類に属する かもしれません。 ディーリアスの音楽は、非常に分かりやすい音楽です。 一度ハマってしまえば、おそらく 一生離れることが出来ないと思います。 ディーリアスのメッセージは、現在の私たちに実にタイムリーです。 彼の世界の魅力は、ノスタルジアだけではなく、 現在における普遍的な真理の問いかけにあると言えます。 彼による一流の仕上げが、どの曲にも懐かしい光を放っています。 そして私たち聴き手は、 ディーリアスの、無限のノスタルジアの世界に引きこまれていきます。 なんとも清冽な世界の深みを十分に堪能できる作品ばかりです。 夏至の歌 Midsummer Song ディーリアス Frederick Theodore Albert Delius 詩: ディーリアス (Frederick Theodore Albert Delius,1862-1934) イギリス 曲: ディーリアス (Frederick Theodore Albert Delius,1862-1934) イギリス 歌詞言語: 英語 On midsummer day we’ll dance and we’ll play And we’ll wander and stray through the woods. We’ll dance and we’ll kiss whilst it’s youth,love and bliss And the night is not far away,heigh-ho! 夏至の日に われらは踊ろう われらは遊ぼう それからわれらはさすらい さまようのだ 森の中を われらは踊ろう キスしよう 若さと愛と至福のうちに 夜は遠く離れてはいない ヘイ・ホー! アカペラ合唱曲 詞はR.S.ホフマンのもの(ドイツ語)を作曲者自身が訳したものです。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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サックス五重奏 シュペールのソナタ・ニ短調 楽譜
¥1,500
サックス五重奏 シュペールのソナタ・ニ短調 Sonata in d moll Daniel Speer 編成はソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。 金管五重奏版は発売中です。 バロック期の壮麗な響きをコンサートのオープニング・ピースに、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/ln6bWEpSaWE Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html ダニエル・シュペール - Daniel Speer Georg Daniel Speer(1636年7月2日-1707年10月5日)は、ドイツの作曲家であり、バロックの作家です。 シュペールはブレスラウ(現在はポーランドのヴロツワフ)で生まれ、ドイツのゲッピンゲンで亡くなりました。 ダニエル・シュペールは17世紀末に南ドイツ地方で活躍していました。 音楽理論家としても教科書や理論書を出版しています。「四声ソナタ」のほか、三重奏の「二つのソナタ」も トロンボーン奏者にはお馴染みの曲です。曲は単純なつくりですが、ハーモニーや細かいパッセージに高い技術が要求されます。 バロック時代の美しい響きをお楽しみ下さい。 1687年に彼はミドルバロック音楽を理解するのに役立つと考えられている音楽に関する論文を発表しました。 彼の音楽への執筆は、1世紀以上にわたってドイツのバロックトロンボーン作品に影響を与えました。 作曲家として、例えばSpeerはトロンボーンのための音楽を発表しました。キーボードの小品も残っています。 彼は金管五重奏のためのDie Bankelsangerliederのソナタ第29番で最もよく知られているかもしれません。 この曲は、結婚式やフォーマルな機会によく演奏されます。 彼のトロンボーンソナタはすべて、同じ基本的な楽器(2つまたは3つのコルネット、3つまたは4つのトロンボーン、および通奏低音)を 使用して書かれています。 これらのソナタでは、トロンボーンが主要な主題またはテーマを演奏し、コルネートが対旋律を提供し、通奏低音が調和して演奏されます。 メロディーラインは、異なる範囲の4つのトロンボーンすべての間で演奏されます。 通常、アルトトロンボーンはテーマの最初のテーマを演奏し、次にテーマは2番目のアルト/テナートロンボーンに移動し、 テナートロンボーンが引き継ぎ、最後にバストロンボーンまたはコントラバストロンボーンがテーマの最後のイテレーションを演奏します。 そして、4つのトロンボーンは、トニックコードで一致または調和して終了します。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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木管五重奏+ ワシントン・ポスト (行進曲)楽譜
¥2,100
木管五重奏+ ワシントン・ポスト (行進曲) The Washington Post 作曲者 ジョン・フィリップ・スーザ J.P.Sousa 編成はFl.、Ob.、Cl.2本、Bsn.およびDrum Setです。 金管五重奏版、サックス五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。 マーチ王と讃えられるスーザの音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/6dibaOpOeF4 Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 『ワシントン・ポスト』(英語: The Washington Post)は、1889年にジョン・フィリップ・スーザによって作曲されたアメリカ合衆国の 愛国的な行進曲です。アメリカをはじめ多くの国で、スーザの最も有名な行進曲の1つとして親しまれています。 1889年、アメリカの新聞『ワシントン・ポスト』のオーナーが、紙上で行われた作文コンテストの表彰式で使う行進曲の作曲を 当時アメリカ海兵隊楽団長であったスーザに依頼しました。 スーザはその依頼に応え作曲し、同年6月15日の表彰式において、新聞名と同じタイトルのこの行進曲を初演しました。 この行進曲は、かつては平凡な新聞であったワシントン・ポスト紙に名声と注目をもたらしました。 この出来事から、あるイギリス人のジャーナリストはスーザのことを「マーチ王」と呼びました。スーザはワシントンD.C.にある ワシントン・ポスト・ビルの一角において、ワシントン・ポスト紙とアメリカ合衆国への貢献が称えられています。 この曲の楽式は行進曲形式で構成されており(IAABBCCDCDC:ABCDIは旋律を表します)、同じスーザの代表曲である『星条旗よ永遠なれ』と同じく 中間部(トリオ)から主部に戻らない形をとっています。拍子は8分の6拍子で書かれています。第1旋律は有名で多くの人に知られていて、 荘厳で堂々としたテンポ(110-120BPM)で演奏されます。トリオでは、唐突な6つの8分音符が旋律を先へ進めていきます。 一風変わった落ち着いた移行部は、トリオ部の旋律のシンプルな変形となっています。それに続く一回目のトリオの繰り返しから、 金管楽器の低音による対旋律(オブリガート)が始まります。 作曲当時『ワシントン・ポスト』はツー・ステップというダンスのための音楽として流行しました。 ワシントン・ポストは最も演奏されたスーザの作品の1つです。コンサートやマーチングバンドなどで区別無く広く演奏され、 また重要な曲として研究されています。曲のタイトルは"The Washington Post"、"Washington Post March"、また単純に"Washington Post"などと 様々な表記がされることがあります。しかし、元の楽譜では2つの線の上に The Washington Post. March. のように書かれ、それぞれにピリオドが付けられていました。またスーザの下の手書き楽譜は同様の形式になっていました。 そして楽譜の表紙にも中央部に新聞の表紙の切り抜きを貼り付けた形で"The Washington Post"と配置され、 下部に"March By John Philip Sousa."と書かれていました。以上のことはスーザと出版者がタイトルは"The Washington Post"で、 "March"は行進曲であることの説明だと考えていたようです。 この行進曲は1978年に大ヒットした映画『アニマル・ハウス』(National Lampoon's Animal House)にも取りあげられました。 演奏時間は約2分半。 J.P.Sousa 彼はワシントンD.C.で生まれ、13歳のときにワシントン海兵隊楽団に入団。5年間在籍した後、各地のオーケストラやブラスバンドで演奏活動を続ける中で 創作活動を行いました。オペレッタの分野でも多くの作品を残していますが、有名なのはやはり行進曲です。彼の曲は、アメリカを象徴する音楽であると同時に 世界中で演奏されていて、今でも行進曲といえば、真っ先にスーザの名前が上がるほど、彼の功績は偉大です。 作品には、『ワシントン・ポスト』『士官候補生』『雷神』など広く知られた行進曲がたくさんありますが、何といっても彼の名を不滅にしたのは、 1896年に作曲された『星条旗よ永遠なれ(Stars and Stripes Forever)』でしょう。この曲は「アメリカ合衆国第二の国歌」とも呼ばれています。 合衆国第21代大統領チェスター・A・アーサーの依頼により作曲されたこの曲は、誇り高く勇壮で、時に「男の哀愁」をも感じさせる主部のテーマ、 ドラムマーチに導かれてトランペットが奏でる晴れやかな中間部など、いかにも整然と行進する兵隊の姿が目に浮かぶようで、行進曲の魅力を すべて兼ね備えた名曲です。この曲は、アメリカ海兵隊の公式行進曲に制定されています。 スーザは、77年の生涯に100曲を超える行進曲を残していて、まだまだ隠れた名曲とも呼べる素晴らしい曲がたくさんあります。 なお、マーチングバンドでよく見かける、演奏者の身体に巻き付いた大きなアサガオのような金管楽器「スーザフォン」は、彼が考案したことにちなんで 名付けられています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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金管四重奏 ベートーヴェン メヌエット Op.20から第3楽章 楽譜
¥1,600
金管四重奏 ベートーヴェン メヌエット Op.20から第3楽章 Menuetto from Septet in E-flat major, Op.20 L. V. Beethoven 編成はTp.、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。 サックス四重奏版、木管四重奏版、クラリネット四重奏版は発売中です。 若きのベートーヴェンの明るい作品を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/SixFKpEp1SQ Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html この第3楽章はトリオを伴ったメヌエットです。主部で弦楽器の奏でる旋律はピアノソナタ第20番の第2楽章からの転用しています。 トリオでは管楽器が主に活躍します。 この七重奏曲 変ホ長調 作品20 は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが作曲した、7つの楽器による室内楽曲です。 作曲者によるピアノ三重奏への編曲版も存在します(ピアノ三重奏曲第8番 変ホ長調 作品38)。 ベートーヴェン初期の傑作で、明るい旋律と堂々としたリズムをもち、作品が公開された当初から広く親しまれました。 初版が出版される前から海賊版が出回っていたとも言われています。作曲されたのは1799年から1800年にかけてで、 同時期に作曲されたものに交響曲第1番などがあります。 ベートーヴェンの作曲人生の中では古典派音楽の勉強と自らの独自性を模索する時期になります。 モーツァルトのディヴェルティメントのように、娯楽的でサロン向けの音楽として書かれていますが、旋律やリズム、構成の面などで その後のベートーヴェンらしい作品の登場を予感させる部分も随所に見られます。第5楽章のスケルツォはそのひとつです。 しかし、この作品の人気とは裏腹に当のベートーヴェンは、いつまでもこの作品がもてはやされ続けるのを拒んだと言われていて、 「あの七重奏曲のベートーヴェンさん」と形容されるたびに不快感を示したといわれています。 これはベートーヴェンにとって、この作品が大衆迎合の域を出ておらず、自分の追い求める音楽とは違っているということの意思の現れでしょう。 シュポーアやフンメルなど、古典派から初期ロマン派の作曲家にこの編成が多く、ブランやブルッフのようにロマン中期の作曲家にも同編成での作品があります。 シューベルトはこの作品に影響されて八重奏曲を書いたとされています。 ベートーヴェン生存中で最も人気のあった室内楽作品として、この弦楽器と管楽器の編成による七重奏曲「変ホ長調」作品20が挙げられます。 1799年に作曲され皇帝フランツ2世皇妃マリア・テレジアに献呈されました。 演奏時間およそ40分にも及ぶこの大作は、6楽章からなるセレナーデあるいはディヴェルティメント型の作品です。 大変な人気で、1810年ころまでに10種類以上の編曲版が出版されていました。ギター二重奏から管楽十一重奏版まで実にさまざまです。 セレナーデとディヴェルティメントは、明るい娯楽的な器楽形式のことです。 クラリネット、ホルン、ファゴット、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスという編成によるこの作品は、とても人気があったようです。 「交響曲第1番 ハ長調」が初演されたコンサートでは、この七重奏曲が当時の名手たちによって披露され、好評を博しました。 当時、多くの人を虜にした作品だったのです。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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クラリネット四重奏「失われた幸福」メンデルスゾーン 楽譜
¥1,400
クラリネット四重奏「失われた幸福」メンデルスゾーン メンデルスゾーン :無言歌集 第3巻 Op.38から第2曲 Mendelssohn, Felix:Lieder ohne Worte Heft 3 Op.38-2 編成はCl.3本、Bs.Cl.です。 木管四重奏、サックス四重奏版、金管四重奏版は発売中です。 メランコリックなノスタルジーを感じさせてくれる音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/ozqhpe8ScdQ Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html この曲は1837年にメンデルスゾーンによって作曲されました。 低音と旋律の間の和音構成音がシンコペーションによる、あと打ちのリズムで装飾する形をとっています。 少し悲しげで、幸せだった過去を振り返るようで、どこかノスタルジックな雰囲気の漂う曲調です。 アレグロ・ノントロッポの指示があるように、停滞感が出てしまわないように注意して演奏したいものです。 ワーグナーが「第一級の風景画家」と言われたように、メンデルスゾーンは情景描写や標題音楽の作曲において才能を発揮しています。 この“言葉のない歌曲”「無言歌」という形でメンデルスゾーンは心象風景や感情描写までも、表現しました。 歌曲風の旋律をもった器楽曲であるため、旋律線をはっきりと浮き立たせ、抒情的に演奏すると良い演奏になります。 メンデルスゾーンが活躍したこの時期、ブルジョアジーの家庭を中心に、ピアノが教養として普及しました。 そのため、家庭で気楽に弾ける作品が多く作られましたが、この《無言歌集》もその一つです。 《無言歌集》は各6曲ずつの計8集からなり、生前に出版されたのは、第6集までです。第7集は、1851年、第8集は1867年に出版されました。 1832年、第1集を出版したときには、メンデルスゾーンは、《ピアノのためのメロディー》と記していて、《無言歌集》の名称を もつようになったのは1835年に第2集を出版してからのことでした。 標題をもっているものが多いのですが、作曲者自身によってつけられたものはわずかです。実際、メンデルスゾーンは標題をつけることによって、 音楽的な想像力が限定されることを嫌っていたようです。 第3巻は次のようになっています。 1.変ホ長調「夕べの星」 / op.38-1 (1837) 2.ハ短調「失われた幸福」 / op.38-2 (1837) 低音と旋律の間の和音構成音がシンコペーションによる、あと打ちのリズムで装飾する形をとっています。 少し悲しげで、幸せだった過去を振り返るようで、どこかノスタルジックな雰囲気の漂う曲調です。 アレグロ・ノントロッポの指示があるように、停滞感が出てしまわないように注意して演奏したいものです。 3.ホ長調「詩人の竪琴」 / op.38-3 (1837) 4.イ長調「希望」 / op.38-4 (1837) 5.イ短調「情熱」 / op.38-5 (1837) 第2曲と同様、シンコペーションによる、あと打ちのリズムを利用した楽曲構成になっています。情熱というよりは、 焦燥感や不安をかきたてられるような印象の作品です。 6.変イ長調「デュエット」 / op.38-6 (1836) 6曲中唯一、メンデルスゾーン自身によって命名された作品です。テンポはゆっくりめですが、動きはゆるやかではありません。 「常に両声部をくっきりと際立たせなければならない」と記されていて、装飾声部を均質に演奏しながら、2つの主要な旋律を はっきりとうきたたせることが大切です。やや技巧的な曲です。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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Solo+サックス五重奏 ザ・ロスト・コード(失われた琴線)楽譜
¥1,800
Solo+サックス五重奏 ザ・ロスト・コード(失われた琴線) The Lost Chord Arthur Sullivan 編成はソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンおよびSoloパートです。 同梱のSoloパート楽譜はin F版(Hn.)、 in C版(Ob.、Mallet Perc.など)、 in C-Fl.版(Fl.、Pic.)、 in C低音版(Eup.、Bsn.、Tbn,、St.Bs.など)、 in C低音Tuba版、 in B版(Tp.、Cl.、Bs.Cl.、Sop.Sax.、T.Sax.など)、 in Es版(Es Cl.、A.Sax.、B.Sax.など)が含まれています。 多くの楽器がSoloを担当し、伴奏は下の編成も含め4種類から選ぶことができます。 金管五重奏版、クラリネット五重奏版、木管五重奏版は発売中です。 イギリスのロマン派を味わえる名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/3QfglQGpRjI アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html この曲は19世紀イギリスの作曲家、アーサー・サリバンによるコラール曲です。 邦題では「失われた琴線」「失われた和音」などとして広く知られています。 作曲者のサリバンは讃美歌や歌曲の他にもウィリアム・S・ギルバート(劇作家・作詞家、William S. Gilbert, 1836年 - 1911年)と 組んでオペラを創った事で知られています。 このサリバンとギルバートのコンビは、イギリス出身の世界的シンガーソングライター、ギルバート・オサリバンの名前の由来にもなっています。 サヴォイオペラで「ミカド」や「軍艦ピナフォー」「近衛兵」などの傑作を作曲したアーサー・サリヴァンはイギリス音楽で多くの美しいメロディーを書きました。 ヴィクトリア~エドワード朝の大英帝国が最も光り輝いた時代を音にし、ユーモア溢れる喜劇の舞台でも気品を忘れない彼の音楽は、 美しさの中にほのかな翳りを漂わせている点で、人気の高いエドワード・エルガーと通じるところがあります。 この歌曲「Lost Chord」は比較的知られている作品です。 この詩は作曲者が兄のためのレクイエムとして書いた作品で、オルガンの荘厳な響きと共に聴くと、大変厳粛な気持ちになります。 レクイエムといっても悲しいメロディではなく、明るくも荘重な、そしてオルガンのまさに「Lost Chord」ともいうべき偉大な和音が印象的です。 特に素晴らしい盛り上がりが最後を飾ります。哀愁を帯びた美しい和声と旋律を味わえる作品です。 アーサー・シーモア・サリヴァン(Sir Arthur Seymour Sullivan, 1842年5月13日 - 1900年11月22日)は、 ロンドンで生れました。父親は軍楽隊の隊長をしていて、アーサーは8歳になる頃には父のバンドで使う楽器を器用に操るようになっていました。 ベイスウォーター (Bayswater) の私立学校に行った後、王室礼拝堂の合唱隊への加入を認められ、チェイニー・ウォーク (Cheyne Walk) にある その合唱隊の学校に通うようになりました。その頃、彼は賛美歌や歌を作曲し始めています。 1856年、サリヴァンは最初のメンデルスゾーン賞を授与され、王立音楽アカデミーに学生として2年間在籍します。 1858年(16歳)に、サリヴァンはライプツィヒへ旅行し、そこで勉学を継続し指揮法を学びました。彼はこの期間に著しい音楽的な成長を遂げたのです。 1862年にロンドンに帰り、クリスタル・パレスで演じられたシェイクスピアの「テンペスト」の付随音楽が誕生しています。 サリヴァンは次第に、英国最高の作曲家として評価されるようになっていきました。1866年に「交響曲ホ長調(アイリッシュ)」の演奏会が開かれました。 この当時の作品には、「イン・メモリアム (In Memoriam)の序曲」と「チェロ協奏曲」(1866年)、 オラトリオ「放蕩息子 (The Prodigal Son)」(1869年)、「失われた琴線 (The Lost Chord)」(1877年)等があります。 歌詞 Seated one day at the organ, I was weary and ill at ease, And my fingers wandered idly Over the noisy keys. I know not what I was playing, Or what I was dreaming then; But I struck one chord of music, Like the sound of a great Amen. It flooded the crimson twilight, Like the close of an angel's psalm, And it lay on my fevered spirit With a touch of infinite calm. It quieted pain and sorrow, Like love overcoming strife; It seemed the harmonious echo From our discordant life. It linked all perplexed meanings Into one perfect peace, And trembled away into silence As if it were loth to cease. I have sought, but I seek it vainly, That one lost chord divine, Which came from the soul of the organ, And entered into mine. It may be that death's bright angel Will speak in that chord again, It may be that only in Heav'n I shall hear that grand Amen. 日本語意訳 ある日オルガンの前に腰掛け 私は落ち着かない気持ちのまま 何を考えるでもなく 私は鍵盤を叩いていた 何を弾いていたのか思い出せないし 何を夢想していたのかも覚えていない しかし、ひとつの和音だけは鳴り続けた 偉大なアーメンの響きのように その調べは深紅の夕暮れの中 天使たちの歌う詩編の余韻のように満ち溢れ 限りない安らぎの感触で 私の昂ぶる心を静めてくれた すると痛みや悲しみは消え去った 愛が憎しみに打ち勝つように それは不協和音に満ちた私たちの人生が 妙なる調和へとこだまするようだった すべての混乱は結び付けられ ひとつの完全な安息となった そして震えながら和音は静寂の中へと消えた 消え行くことを惜しむかのように それから私はむなしく探しつづけてきた オルガンの精髄より沸き上がり 私の中へと入り込んだ あの神々しい一つの和音を 死を司る天使のみが その和音を再び鳴らすことができるのだろう 再び私がその偉大なアーメンの響きを聴けるのは 天に召されたその時なのだろう アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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木管五重奏 バンビーノ(赤ん坊)、タンゴ 楽譜
¥1,650
木管五重奏 バンビーノ(赤ん坊)、タンゴ Bambino, Tango エルネスト・ナザレ 編成はFl.、Ob.、Cl.2本、Bsn.です。 金管五重奏版、サックス五重奏版、クラリネット五重奏版、鍵盤打楽器とベース四重奏版は発売中です。 「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/JSIwPIi8GAQ Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html Bambino, Tango バンビーノ(赤ん坊)、タンゴ Bambinoとは「赤ん坊」という意味ですが、当時有名だった風刺画家で、ナザレの楽譜の表紙絵のいくつかを書いている Arthur Lucasのペンネーム "Bambino" からとられました。後にCatullo da Paixao Cearenseにより "Voce nao me da!..." という 題名で歌詞がつけられました。またLuciano Galletにより室内オーケストラ用に編曲されました。原調は変イ長調、A-B-C-A形式です。 テンポはゆったりながら、両手がシンコペーションを刻む様が気取った雰囲気を醸し出す作品です。 Bメロは右手旋律がオクターブ、左手伴奏和音は十度重音が多用され華やかな雰囲気を出しています。Cメロは変ニ長調で、 旋律はシンコペーションのリズムにのって音階をゆっくり上がったり下がったりします。それが何とも浮き浮きするような気分を 醸し出していて、ナザレの天性を感じ取ることができます。 「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を知らずしてブラジル音楽は語れません。 南国ののどかな風光と、アフリカの野性的なエネルギーと、ロマンティシズムが渾然と混じり、甘美で、ちょっぴり切ない独特の音楽が聞こえてきます。 ミニョーネはこう述べています。「私は1917年頃にEduardo Soutoの楽譜店でナザレに会ったことがある。ナザレは自作曲を決して急がず、 カンタービレで弾いていた。彼はこう言っていたよ、『私の作品はあちこちでメチャメチャに弾かれている。みんな速く弾きすぎだ。 特に "Apanhei-te, Cavaquinho" は酷いことになっている。あの曲はゆっくりと、左手はカヴァキーニョを思い浮かべてアルペジオで弾くもんだ』と。」 エルネスト・ジュリオ・ナザレー (Ernesto Julio Nazareth (またはNazare とも), 1863年3月20日 - 1934年2月4日)は、ブラジルのピアニスト・作曲家です。 一生をリオ・デ・ジャネイロで過ごしました。「ブラジル風タンゴ」やショーロなど、国内の民族音楽に影響されたピアノ曲を量産しました。 そのような作曲姿勢から、しばしば「ブラジルのショパン」と呼ばれています。ピアノ以外の音楽教育は学ばなかったため、 残された作品はサロン小品と声楽曲ばかりであり、管弦楽曲や室内楽・カンタータやオラトリオのような分野の大作はなく、作曲技法も必ずしも洗練されていません。 しかしながら、民衆音楽の影響のもとに切り開いた独自の素朴な詩境は、のちにヴィラ=ロボスから、「ブラジルの魂」と称賛されました。 中産階級ながらもあまり豊かでない下級官吏の家庭に生まれ、ショパンを愛する母親からピアノの手ほどきを受けました。 早い年齢でたぐい稀な音楽的才能が認められ、家族ぐるみで付き合いのあったアフロ=アメリカンの作曲家、 リュシアン・ランベールにも音楽の手ほどきを受けました。 1873年に母親が亡くなってからもピアノを学び、間もなく作曲も手がけるようになりました。 最初の出版作品のポルカ『ボセ・ベン・サービ"Voce Bem Sabe"』 (あなたはよく御存知)は、14歳になるまでに作曲・出版されました。 その後は、ショーロの楽士たちとたむろして、敏感で独特なリズム感を身につけました。マシシェ maxixe やルンドゥ lundu 、ショーロ choro 、 アフリカ系住民のダンスなど、さまざまな民族舞曲に影響されました。 長年ナザレーは、映画館オデオン座の待合室でピアニストとして働き、ここで最も有名な作品の一つ『オデオン』を作曲しました。 外国から数少ない音楽家がブラジルを訪問した際、オデオン座のナザレーの演奏を見学したといわれています。 1920年代初頭には、音楽ショップにピアニストとして雇われました。顧客が購入する際に持ち寄ってきた楽譜を見ながら、演奏し、 客の要望に沿うかどうかを確認して見せるのが任務でした。客の中に、ナザレー作品の楽譜を手ずから弾こうとする者がいると、止めさせて、 解釈が誤っていると苦情を言うのが常だったそうです。 ナザレーは、心底からのブラジル人音楽家であり、音楽は楽しまれるべきであるとして、それ以上を望みはしませんでした。 ほとんど独学であり、音楽活動のほとんどは、劇場や映画館の伴奏ピアニストとして、あるいは小劇場のアンサンブルでのピアニストとして、 演奏するのに振り当てられました。 そのような劇場アンサンブルの楽団員の知り合いには、後の大作曲家ヴィラ=ロボスがいて、当時はチェリストとして活動していました。 ナザレーはショーロの発展のおおもとであり、ヴィラ=ロボスは、これに基づき、後に自らの創作活動を繰り広げていったのです。 ナザレーは、ブラジルの民族音楽以外にも明らかに影響されていて、子供時代にむさぼるようにして学んだショパンの影響が中でも顕著です。 また、1869年にきら星のようにリオ・デ・ジャネイロにデビューして、瞬く間にブラジル楽壇を席巻したゴットシャルクの作風もナザレーにはお馴染みでした。 作品には、19世紀ヨーロッパのクラシック音楽の豊かな和声法がこだましながら、ナザレーの生地ブラジルの、シンコペーションをともなう 民族舞曲のリズム法に織り込まれてゆくのが認められます。そのうえ、アメリカ合衆国のラグタイムや初期のジャズの、小気味よいリズム感も健在である。これらの要素を統合して一つの有機体へとまとめ上げたことがナザレー独自の能力で、結果的には、ピアノ曲のレパートリーだけでなく、20世紀の音楽にも重要な貢献を果たしている。 ナザレーはショパンやその他のヨーロッパの作曲家から霊感を受けたように、逆に自らも、間接的とはいえ、ヨーロッパの作曲家に何かしらの影響を与えています。 フランス人作曲家のダリユス・ミヨーは、自伝の中で、ブラジル滞在中にリオ・デ・ジャネイロの映画館でナザレーがピアノを演奏する風景を回想しています。 ミヨーはその音楽のリズムにたちどころに虜となって、ブラジル音楽をきわめてやろうと決心したというのです。 その最終的な成果こそが、ミヨーのピアノ曲『ブラジルの想い出 Saudades do Brasil』でした。 ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ばれていますが、作品に副題を好んでつけた点で、ショパンとは違っています。 ショパンやフォーレよりもヨーロッパのサロン音楽の伝統に忠実だったといえます。 しかしながら19世紀から20世紀初頭まで、ヨーロッパではサロン小品にフランス語の題名をつける慣習がまだ根強く残っていたのに対して、 ナザレーは母語のポルトガル語に固執しました。 また題名によって、ドビュッシーやラヴェルのように、美術や文学からのインスピレーションをほのめかしたり、 リストのように詩的な連想を暗示することもありませんでした。 ナザレーの曲名には、しばしば第三者にとって謎めいた響きをもつものもありますが、それらは実在するスポーツチームやダンスクラブ、雑誌名など、 ナザレーの日常生活の周辺から切り取られたものばかりです。このような意味で、ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ぶよりは、むしろ 「ブラジルのクープラン」と呼んでこそふさわしいかも知れません。 およそ300曲のピアノ小品において、ナザレーはみごとに、大衆的なブラジル舞曲のエッセンスを捕まえています。 ナザレーは、厳密には都会の聴衆のために作曲したのですが、その作品には、(ブラジルで奴隷制が廃止された1888年以降の作品でも、) アフリカ系民族音楽の豊かな影響が息づいています。ほとんどの曲に、スコット・ジョプリンが発想したようなシンコペーションが使われています。 ナザレーのピアノ曲には、ブラジルのありとあらゆるダンスが盛り込まれています。マシシ(英語版)、バトゥーキ(英語版)、 サンバ、 そして中でも重要なのがタンゴです。後に世界中を熱狂させ、席巻したタンゴが、ブラジル生まれだったというだけでなく、 実際にはナザレー自身の創り出したジャンルだったという証拠になるからです。 もしそれが間違いだったとしても、「ブラジル風タンゴ」の発展のほとんどにナザレーがかかわっていて、このジャンルに優に100曲を残しています。 最も有名な作品に、『ブレジェイロ(ろくでなし)"Brejeiro"』『アメノ・ヘゼダ"Ameno Reseda"』『バンビーノ(赤ん坊)"Bambino"』 『トラベッス(腕白坊主)"Travesso"』『フォン・フォン"Fon-Fon"』『テネブローズ(暗闇)"Tenebroso"』があります。 ナザレーが初めて「ショーロ」と呼んだ作品のうち、『アパニェイチ・カヴァキーニョ(頑張れカバキーニョ)"Apanhei-te Cavaquinho"』は、 さまざまな楽器アンサンブルによって演奏できる、古典的名作です。 晩年になって完全に聴覚を失うと、創作活動にも支障をきたしましたが、それでもブラジル国内ではなかなかナザレー人気は衰えませんでした。 ゴットシャルクやジョプリンを評価する人たちなら、ナザレーの残した魅力的な宝石たちをきっとたちまち気に入るに違いありません。 作曲者の死後から半世紀を経た近年になって、ナザレー作品を集めたアルバム制作が世界的にも相次いでいて、最近では伝記や、 作曲者に関するCD-ROMも発表されています。ナザレーは、クラシックとポピュラー音楽にまたがって活動したことから、ナザレーのピアノ曲は、 クラシックの学び手にも、ポピュラー音楽の学び手にも、有用な教材とされつつあります。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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金管五重奏 シューベルト:軍隊行進曲 第2番 楽譜
¥2,250
金管五重奏 シューベルト:軍隊行進曲 第2番 2 Marches militaires Schubert, Franz 編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。 木管五重奏、サックス五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。 明るい力強さの中に軽やかさを備えた楽しい音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/miNaIqeeB10 Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html フランツ・ペーター・シューベルト(Franz Peter Schubert/1797年?1828年)の『軍隊行進曲』は、ピアノ連弾のための曲集で 彼のピアノ作品の中でも有名なものです。 特に第1番は広く知られており、管弦楽用やピアノ独奏用にも編曲され親しまれています。 作曲年は諸説ありますが、1818年が有力だと現在ではされています。 作曲されたとされる1818年頃、シューベルトは貧しい生活を送っていました。 1816年に教師の職を辞めたことで、安定して稼げる仕事がなくなったためです。 しかし仕事を辞めてからは音楽を愛する仲間たちと出会い、彼らに助けられて貧しいながらも充実した時間を過ごしていました。 また1818年は作曲した作品数自体は少ないものの、シューベルトが自らの作品のためのコンサートを初めておこなった年でした。 さらには同年夏(1818年)、シューベルトはエステルハージ伯爵一家の音楽教師としてハンガリーのツェリスにも招かれます。 エステルハージ伯爵家には2人の娘がいましたので、そのために連弾曲が書かれたと推測もされています。 シューベルトはこの地でとても楽しい夏を過ごしたと言われています。 その影響もあるのか、『軍隊行進曲』は3曲とも明るく活発な音楽が印象的です。 この年は、シューベルトにとって明るい道筋が少しずつ開けるような年だったようです。 軍隊行進曲 シューベルト シューベルト(Franz Peter Schubert/1797?1828) 『軍隊行進曲』は、シューベルトがピアノ連弾のために作曲した曲集『3つの軍隊行進曲 Trois Marches Militaires』 D733 作品51。 作曲された年については諸説あり、一説によれば、シューベルトがエステルハージ伯爵家の娘の教師を務めていた頃と説明されることがあります。 この作品の第1番は、現在シューベルトの作品の中でもっともポピュラーなピアノ曲のひとつとして、独奏されることが多いのですが、 もとはピアノ連弾曲である。シューベルトがジェリズに赴任していた1818年に作曲されました。 この年はエステルハージ伯爵家のふたりの娘にピアノを教授するため、多くの連弾曲が生み出されています。 この行進曲は3曲とも、明るい力強さの中に軽やかさを備えた楽しい連弾曲です。 この作品のもとはピアノ連弾曲です。シューベルトがジェリズに赴任していた1818年に作曲されました。 この年はエステルハージ伯爵家のふたりの娘にピアノを教授するため、多くの連弾曲が生み出されています。 この行進曲は3曲とも、明るい力強さの中に軽やかさを備えた楽しい連弾曲であり、エステルハージ家での楽しいピアノ・レッスンの風景を想像させます。 第1番は特に有名で、広く演奏されています。オーケストラ編曲やタウジッヒによるピアノ独奏編曲があります。 他の多くのシューベルトの連弾作品が家庭的な楽しみのために書かれたようにこの作品も書かれたのでしょう。 第1番 ニ長調 4分の2拍子 Allegro vivace 下属調のトリオをはさむ三部形式 でできています。 ファンファーレ風に始まる軽快な行進曲 となっています。 トリオはト長調で 優しい感じの歌謡風な旋律です。 第2番 ト長調 4分の4拍子 Allegro molto moderato 1番同様下属調のトリオをはさむ三部形式でできています。 第3番 変ホ長調 4分の4拍子 Moderato ファンファーレのような短い序奏で始まります。 最初の主題は付点音符のリズムによるとてもリズミックな旋律です。 トリオはやはり下属調の変イ長調です。トリルの入ったアウフタクトで始まる優美な旋律です。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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クラリネット四重奏 ベートーヴェン メヌエット Op.20から第3楽章 楽譜
¥1,600
クラリネット四重奏 ベートーヴェン メヌエット Op.20から第3楽章 Menuetto from Septet in E-flat major, Op.20 L. V. Beethoven 編成はCl.3本、Bs,Cl.です。 サックス四重奏版、木管四重奏版、金管四重奏版は発売中です。 若きのベートーヴェンの明るい作品を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/oGzPh8rguU8 Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html この第3楽章はトリオを伴ったメヌエットです。主部で弦楽器の奏でる旋律はピアノソナタ第20番の第2楽章からの転用しています。 トリオでは管楽器が主に活躍します。 この七重奏曲 変ホ長調 作品20 は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが作曲した、7つの楽器による室内楽曲です。 作曲者によるピアノ三重奏への編曲版も存在します(ピアノ三重奏曲第8番 変ホ長調 作品38)。 ベートーヴェン初期の傑作で、明るい旋律と堂々としたリズムをもち、作品が公開された当初から広く親しまれました。 初版が出版される前から海賊版が出回っていたとも言われています。作曲されたのは1799年から1800年にかけてで、 同時期に作曲されたものに交響曲第1番などがあります。 ベートーヴェンの作曲人生の中では古典派音楽の勉強と自らの独自性を模索する時期になります。 モーツァルトのディヴェルティメントのように、娯楽的でサロン向けの音楽として書かれていますが、旋律やリズム、構成の面などで その後のベートーヴェンらしい作品の登場を予感させる部分も随所に見られます。第5楽章のスケルツォはそのひとつです。 しかし、この作品の人気とは裏腹に当のベートーヴェンは、いつまでもこの作品がもてはやされ続けるのを拒んだと言われていて、 「あの七重奏曲のベートーヴェンさん」と形容されるたびに不快感を示したといわれています。 これはベートーヴェンにとって、この作品が大衆迎合の域を出ておらず、自分の追い求める音楽とは違っているということの意思の現れでしょう。 シュポーアやフンメルなど、古典派から初期ロマン派の作曲家にこの編成が多く、ブランやブルッフのようにロマン中期の作曲家にも同編成での作品があります。 シューベルトはこの作品に影響されて八重奏曲を書いたとされています。 ベートーヴェン生存中で最も人気のあった室内楽作品として、この弦楽器と管楽器の編成による七重奏曲「変ホ長調」作品20が挙げられます。 1799年に作曲され皇帝フランツ2世皇妃マリア・テレジアに献呈されました。 演奏時間およそ40分にも及ぶこの大作は、6楽章からなるセレナーデあるいはディヴェルティメント型の作品です。 大変な人気で、1810年ころまでに10種類以上の編曲版が出版されていました。ギター二重奏から管楽十一重奏版まで実にさまざまです。 セレナーデとディヴェルティメントは、明るい娯楽的な器楽形式のことです。 クラリネット、ホルン、ファゴット、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスという編成によるこの作品は、とても人気があったようです。 「交響曲第1番 ハ長調」が初演されたコンサートでは、この七重奏曲が当時の名手たちによって披露され、好評を博しました。 当時、多くの人を虜にした作品だったのです。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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サックス五重奏「美しきロスマリン」クライスラー 楽譜
¥1,750
サックス五重奏「美しきロスマリン」クライスラー Schon Rosmarin Fritz Kreisler 編成はソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。 木管五重奏版、金管五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。 20世紀初頭の美しい名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/FqAFJ1Q2s2U Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 『美しきロスマリン Schon Rosmarin』は、オーストリア出身の音楽家フリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler/1875-1962)による ヴァイオリンとピアノのための小作品です。ヴァイオリンだけでなく、フルートやチェロ、クラリネットなどでも演奏されています。 「ロスマリン」とは、ハーブとして有名なローズマリー(rosemary)のことです。属名Rosmarinus(ロスマリヌス)は 「海のしずく」を意味します。 イングランド民謡『スカボローフェア Scarborough Fair』でも、パセリやセージと並んで、歌詞にローズマリーが登場します。 ハーブとしても用いられる植物の名前ですが古代ヨーロッパでは神秘的な力を持つと言われ、「貞操」「変わらぬ愛」の象徴と されていることから女性の名前としても使われることが多いようです。 爽やかな強い香りがあり、丈夫で育てやすく、 古代ギリシャ時代から、ローズマリーは悪魔から守られる神秘的な力をもつとされていました。 葬儀の際には棺の上に小枝をのせたり、花嫁の冠に編み込んだりしたのです。 葬儀にローズマリーを利用する習慣は、やがてヨーロッパ各地に定着して行きました。 薬草として強壮剤や収れん剤などに利用されたりしたようです。 強力な抗酸化成分であるロスマリン酸が発見された事により、若返りのハーブとしての古くからの評判が再認識されています。 クライスラー『美しきロスマリン』においては、ロスマリンは花の名前というよりも、むしろ美しい女性、 愛らしい女性の象徴として用いられています。 曲調もその名の通りとても可愛らしく、ちょっとおてんばな感じがするところはとてもチャーミングな一曲です。 小刻みなヴァイオリンがワルツのリズムを踏むように軽やかなメロディで始ります。 とても喜んではしゃいでいるような軽やかなメロディはとても新鮮で華麗に流れてきます。 中盤ではリズムがややなだらかになり、少ししっとりとした雰囲気を聴かせてくれますが、後半はまた明るく美しいメロディに 戻り軽快なステップを踏むように華麗な曲を聴かせてくれます。 演奏時間は2分足らずと、とても短い曲ですが、短い時間の中にあふれんばかりの笑顔をふりまいてくれるような、楽しい曲です。 クライスラーの有名な作品といえば、この『美しきロスマリン』以外にも、同じくヴァイオリンとピアノのための楽曲である 『愛の喜び』、『愛の悲しみ』が広く知られています。 クライスラーは、これら3曲を自身のコンサートでのアンコール曲として頻繁に演奏していたほか、1911年に3曲をピアノソロに 編曲した「ウィーン古典舞曲集 Alt-Wiener Tanzweisen」を出版しています。 現代でもこの3作品はアンコール曲として演奏されるほか、3曲を一連の作品として取り上げる機会が多く見られます。 ちなみに、『愛の喜び Liebesfreud』の英語タイトルは『Love's Joy』、『愛の悲しみ Liebesleid』は『Love's Sorrow』、 そして『美しきロスマリン』は『Lovely Rosemary』(ラブリー・ローズマリー)と言います。 これら3曲で「ラブ・ラブ・ラブ」の愛の三部作として輝きを放ち続けています。 英国ロイヤル・アカデミー・オブ・ダンス(RAD) から発売されているバレエ・レッスン用ピアノ曲集には、 バレエにおける基本的な回転動作「ピルエット」用の曲として、この『美しきロスマリン』が収録されています。 彼は7歳で特例でウィーン音楽院に入学し、10歳にして首席で卒業、その後パリ国立高等音楽院に留学し、 12歳にして首席で卒業と言う神童ぶりを発揮しました。その翌年の1888年からヴァイオリニストとしてのキャリアを スタートさせ、20世紀前半を代表するヴァイオリニストとして名を馳せています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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木管八重奏「夏至の歌」ディーリアス 楽譜
¥2,000
木管八重奏「夏至の歌」ディーリアス Midsummer Song F.ディーリアス Frederick Theodore Albert Delius 編成はFl.、Ob.、Cl.2本、A.Sax.、T.Sax.、Bs.Cl.、Bsn.です。 サックス八重奏、クラリネット八重奏版、金管八重奏版は発売中です。 無限のノスタルジアの世界を持つ清冽な音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/aIgfWYqt3Vw Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 夏至の歌は1908年、ディーリアスによって作曲されました。無伴奏混声合唱(8声)の作品です。 英国音楽を代表する作曲家の一人であるディーリアスは、1862年1月29日にブラッドフォードに誕生し、 2022年に生誕160周年を迎えます。 ドイツ人を両親に英国に生まれ育ったディーリアスは、22歳の年に渡米し、音楽教師をしながら作曲もしますが、24歳のときにはドイツのライプツィヒ音楽院に進み、26歳で卒業後はパリに移住、35歳でパリ郊外のグレ=シュール=ロワン村に居を構えてからは、72歳で亡くなるまで同地で人生を過ごすこととなります。 つまりディーリアスが英国にいたのは人生最初の22年間と、戦時の疎開などの一時的滞在くらいで、その疎開の際にも グレ=シュール=ロワン村を故郷のように懐かしむなど、生活の拠点はあくまでグレ=シュール=ロワン村にあったようです。 このイギリスとフランスに加え、最初の仕事場で現地女性との間に子供までいたともいわれるアメリカ南部や、 若き日に過ごした北欧といった地域からの影響が、ディーリアスの音楽に複雑な魅力を与えているのかもしれません。 グレ=シュール=ロワン村は、画家たちや芸術家、文化人が集まる場所として有名で、ディーリアスがこの地に移り住んだのも、 パリで知り合い恋愛関係にあった画家のイェルカ・ローゼンが、絵を描くためにこの村の別荘に住むようになったからでした。 ニーチェに対する共通の興味からディーリアスと意気投合したイェルカは、作曲家でピアニストのイグナツ・モシェレスの孫娘で、 ディーリアスとは1903年に結婚、ディーリアスが亡くなった翌年に世を去り、現在は二人揃ってロンドン郊外のリムスフィールドに 埋葬されています。 19世紀の終わりから20世紀初頭にかけて書かれたディーリアスの音楽は、ロマン派や印象派の雰囲気を感じさせる自由なもので、 魅力的な旋律に恵まれた仕上がりの美しい作品が多いのが特徴となっています。 クラシック音楽の趨勢からすると、ディーリアスの音楽は異端の部類に属する かもしれません。 ディーリアスの音楽は、非常に分かりやすい音楽です。 一度ハマってしまえば、おそらく 一生離れることが出来ないと思います。 ディーリアスのメッセージは、現在の私たちに実にタイムリーです。 彼の世界の魅力は、ノスタルジアだけではなく、 現在における普遍的な真理の問いかけにあると言えます。 彼による一流の仕上げが、どの曲にも懐かしい光を放っています。 そして私たち聴き手は、 ディーリアスの、無限のノスタルジアの世界に引きこまれていきます。 なんとも清冽な世界の深みを十分に堪能できる作品ばかりです。 夏至の歌 Midsummer Song ディーリアス Frederick Theodore Albert Delius 詩: ディーリアス (Frederick Theodore Albert Delius,1862-1934) イギリス 曲: ディーリアス (Frederick Theodore Albert Delius,1862-1934) イギリス 歌詞言語: 英語 On midsummer day we’ll dance and we’ll play And we’ll wander and stray through the woods. We’ll dance and we’ll kiss whilst it’s youth,love and bliss And the night is not far away,heigh-ho! 夏至の日に われらは踊ろう われらは遊ぼう それからわれらはさすらい さまようのだ 森の中を われらは踊ろう キスしよう 若さと愛と至福のうちに 夜は遠く離れてはいない ヘイ・ホー! アカペラ合唱曲 詞はR.S.ホフマンのもの(ドイツ語)を作曲者自身が訳したものです。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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