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サックス四重奏 バッハ『オルガン小曲集』 復活祭 《この日、神の子は勝利した》BWV630 楽譜
¥1,200
サックス四重奏 バッハ『オルガン小曲集』 復活祭 《この日、神の子は勝利した》BWV630 Heut triumphieret Gottes Sohn J.S.Bach 編成はソプラノ、アルト、テナー、バリトンです。 木管四重奏、クラリネット四重奏、金管四重奏版は発売中です。 礼拝のために作られたバッハによるオルガン作品を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/9zKTQpvMwQY Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html オルガンのための数多くの作品を残した J・S・バッハは、その数と質においてもオルガン作曲家として最高峰に位置します。 特質に値することは、多くのオルガン曲が礼拝のために作られていることです。 宗教改革(1517 年)後のプロテスタント教会では,会衆が礼拝に参与する時に、信仰の告白として讃美歌『コラール』を歌いました。 会衆は讃美歌(コラール)の歌詞と旋律を熟知して礼拝に参加していました。 宗教改革の168年後1685年3月21日に生まれた J・S・バッハは、そのコラールの旋律が持つ歌詞を、神学的に、礼拝学的に、 音楽的に解釈して作曲して、礼拝の時の会衆がコラールの讃美の後に後奏曲として演奏して、会衆に歌詞の意味を黙想させました。 時にはコラールに先立ち前奏曲として演奏して会衆の心をコラールとともに礼拝の主題に向けさせ整えさせるために使用されました。 この目的のために作られた最大の作品が『オルガン小曲集』です。 未完成で終わってしまった『オルガン小曲集』だが、バッハにとっては最初のまとまった重要な作品集であり、 非常に完成度の高いコラールの旋律を主題としたオルガン曲集です。 「オルガン小曲集」より 復活祭 《この日、神の子は勝利した》BWV630 《今日 神の子は勝利の凱旋をなしたもう》BWV630 《神の御子はきたり、死よりよみがえりて》BWV630 Heut triumphieret Gottes Sohn この讃美歌は、復活祭の喜びを舞踏風な3拍子で表していて、中間と終わりに『ハレルヤ』の喜びの挿入句が入り、 より讃美歌を復活祭に相応しく舞踏の喜びで華やかに盛り上げてます。ライプツィヒでは復活祭の基節から昇天日にも歌われていました。 作詞の K,シュトルツハーゲン(Kapar Stolzhagen,1550~1594)はベルリン近郊のベルナウに生まれ、 シュテンダルのギムナジウムの校長と牧師を務め、後に現在のチェコ,メーレン地方のイグラウでドイツ教会の監督も務めました。 宗教出版物の普及の印刷所を始めたことでも知られています。 作曲の、B,ゲジウス(Barthlomaua Gesius,1562 頃~1613)はドイツの東、オーダー河沿いのフランクフルトに生まれ、 神学を学び、音楽家としてシュレージエンのグロガウでシェナイヒ男爵に仕えました。 また、オーダー河沿いのフランクフルトの聖マリア教会のカントール・音楽監督も務めました。 数多くの讃美歌を作曲したことでも知られるが、特に、従来、多声楽曲ではテノールに旋律が置かれていましたが、 旋律をソプラノに置く『カンツィオナール』と呼ばれるスタイルを確立して、この種の編曲を多く残しています。 Evangelisches Gesangbuch 1993 年版【ドイツ・プロテスタント讃美歌集】第 109 番 J・S・Bach,389 Choralgrsange 171 番。 讃美歌 21 319 番。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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金管五重奏「愛の喜び」クライスラー 楽譜
¥2,000
金管五重奏「愛の喜び」クライスラー Liebesfreud Fritz Kreisler 編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。 クラリネット五重奏版、サックス五重奏版、木管五重奏版は発売中です。 20世紀初頭の美しい名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/sZP6Rh0_6nI Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 『愛の喜び Liebesfreud』は、オーストリア出身の音楽家フリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler/1875-1962)による ヴァイオリンとピアノのための小作品です。 同じくクライスラーによる作品『愛の悲しみ Liebesleid』と対を成す楽曲で、さらに『美しきロスマリン』を加えて 三部作として扱われることもあります。 クライスラーは、ロシアのピアニスト、セルゲイ・ラフマニノフと親交があり、ラフマニノフはクライスラーの 『愛の喜び』『愛の悲しみ』の2曲をピアノ独奏用に編曲しています。 一般的に、作曲家が愛や女性を題材とした作品を作曲する際、当時の作曲者にとって大切な存在である特定の女性が 実在している場合が少なくありません。 クライスラーの場合は、1901年に知り合い翌年に結婚した妻との出会いが『愛の喜び』誕生に大きく影響しているようにも 考えられます。 クライスラーは1901年(26歳頃)、アメリカからヨーロッパに戻る船の中で、アメリカ人女性のハリエット・リース(Harriet Lies)に 出会い、一目惚れしてすぐに婚約までこぎつけました。 ハリエットはブルックリンの裕福な煙草商の娘で離婚歴もありましたが、社交的で聡明な彼女はクライスラーの性格や 音楽の才能をすぐに理解しました。二人は翌1902年にニューヨークで結婚式を挙げ、晴れて夫婦となりました。 彼女は妻としてだけではなく、演奏家としてのクライスラーを直接支えるマネージャーとしても有能さを発揮し、 自宅での練習スケジュール管理から、演奏会のギャラ交渉まで、表と裏でクライスラーの音楽活動を支える大きな存在となっていきました。 ハリエット・リースと出会った後に『愛の喜び』が作曲されたとすれば、その愛とはハリエットへ向けた愛情であったのではないでしょうか。 『愛の喜び』や『愛の悲しみ』は最初に1905年に出版され、その後1911年に別の歌集にまとめられたとされており、 時期的にも結婚から数年後のことです。 ちなみに、ドイツ語タイトル「Liebesleid」の「leid」は本来「苦しみ」とも解釈できるので、将来の妻との恋愛中に感じていた 胸の苦しみだったのかもしれません。 『愛の喜び』は2006年に放送されたドラマ「のだめカンタービレ」第9話では、クライスラー『愛の喜び』が挿入曲として使われていました。 第9話では、のだめの催眠術によって飛行機恐怖症に打ち勝った千秋が登場。のだめのために北海道に行ってカニを土産に持ち帰り、 カニを届けにハリセン宅にいるのだめに会いに行くシーンで『愛の喜び』が流れます。 テレビ朝日系列で1998年から2016年まで放送されていたバラエティ番組「いきなり!黄金伝説。」では、人気コーナー「1ヶ月1万円節約生活」で、 クライスラー『愛の喜び』が挿入曲として使われていました。 『愛の喜び』、『愛の悲しみ』、そして『美しきロスマリン』の3作品は初演当時、クライスラー作曲の作品としてではなく、 オーストリアの音楽家ヨーゼフ・ランナー(Joseph Lanner/1801-1843)の作品(の編曲)として発表されていました。 ヨーゼフ・ランナーといえば、ヨハン・シュトラウス一家に先立ってウィンナ・ワルツの様式を確立させた「ワルツの始祖」とも言うべき名作曲家です。 オーストリア出身のヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler/1875-1962)は、自分が作曲した楽曲を 昔の作曲家による作品として発表するという「偽作」を行った音楽家として知られています。 例えば、クライスラーの代表曲『愛の喜び』や『愛の悲しみ』などは、「ワルツの始祖」ヨーゼフ・ランナーの作品を編曲した楽曲として発表されていました。 クライスラーの偽作は一曲や二曲ではなく、『ヴィヴァルディの様式による協奏曲』や『バッハの様式によるグラーヴェ』など、 主にバロック期の作曲家に関連する偽作を数多く発表していました。 これらの偽作はすぐに発覚することはなく、発表されて数十年も経ってから、本人が還暦を過ぎた頃にさらっと認めて大騒ぎになりました。 偽作の意味や理由・動機については諸説あるようで、 クライスラーの偽作は、自分のコンサートで演奏プログラムに自分の作品ばかり並ぶのを避けたいという意図があったというものです。 その理由については彼のいたずら心によるものであるとか、注目を集めるためにそうしたとか、諸説ありますが、 本人は「プログラムに自分の名前ばかり並べるのは不遜に思えた」と語っています。 発表後間もなく偽作に気付いた人もいましたが(ハイフェッツやエネスコなど彼の親しい友人達)、評論家達は当初、手放しで賞賛していました。 これは、自分の名前ばかり並んで出しゃばり過ぎるから謙虚にしたいといった理由だけではなく、あくまでも観客の立場に立って、 同じ作曲家による(同じ作風の)曲だけでは観客が飽きてしまうだろうという配慮(サービス精神)があったようです。 作曲者の名前だけ変えても同じ作風では観客に飽きられてしまいそうですが、クライスラーの偽作は様々な作曲家の作品の一部を引用して 編曲しているので、その点では発覚しにくかったと考えられています。。 また、演奏家が作曲することに当時偏見があったこと、そして活動中の名ヴァイオリニストの作品だと他の演奏家が扱いにくいなどの理由が 考えられるようです。 演奏家の作曲ということに偏見を抱く人が多いと彼自身が感じていたことと、もし、存命中の「大ヴァイオリニスト・クライスラー」の 作曲ということになると、同時代の他のヴァイオリニストが遠慮して弾いてくれないだろう、という危惧があったからです。 クライスラーの偽作は、他者への深い配慮の末に決断された苦肉の策であったようです。 新聞社Webサイトの記事でも、 クライスラーの釈明は「自作ばかりでは聴衆がうんざりする」「私の名が前面に出ては同業他者が弾きにくい」の2点だというふうに 同様の理由・動機を挙げています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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Solo+クラリネット四重奏「6つのロマンス」から第6曲”ただ憧れを知る人だけが”楽譜
¥2,000
Solo+クラリネット四重奏「6つのロマンス」から第6曲”ただ憧れを知る人だけが” None but the lonely heart Op.6-6 from 6 Romansov 編成はCl.3本、Bs,Cl.およびSoloパートです。 同梱のSoloパート楽譜はin F版(Hn.)、 in C版(Ob.、Mallet Perc.など)、 in C-Fl.版(Fl.、Pic.)、 in C低音版(Eup.、Bsn.、Tbn,、St.Bs.など)、 Tubaは1オクターブ下げて演奏可能です。 in B版(Tp.、Cl.、Bs.Cl.、Sop.Sax.、T.Sax.など)、 in Es版(Es Cl.、A.Sax.、B.Sax.など)が含まれています。 多くの楽器がSoloを担当し、伴奏は次の編成も含め4種類から選ぶことができます。 金管四重奏版、サックス四重奏版、木管四重奏版は発売中です。 感傷的なチャイコフスキーの醍醐味を味わえる名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/sDBBTurkFI0 Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html ただ憧れを知る人だけが(ゲーテ詩、チャイコフスキー)は「6つのロマンス」の第6曲目です。 この詩は、ゲーテの「ウィルヘルムマイスターの修行時代」の中で、ミニヨンという不思議な少女によって、歌われる詩のひとつです。 「孤独」「憧れ」「焦燥」...不安と希望が短い詩文の中に印象的にあらわれ、「自分を知ってくれる人」の出現を待つ気持ちに共感できる作品です。 すさんだ気持ちを励ましてくれる歌でもあります。 このチャイコフスキーの曲がとても甘美でセンチメンタル。チャイコフスキーの曲はロシア的哀愁と西洋音楽の洗練がよく調和され、 洗練されてかつ歌謡的な仕上がりになっていて、ゲーテの詩のもつ感傷性に非常によく合致しています。 ドイツ語歌詞 Nur wer die Sehnsucht kennt ただ憧れを知る人だけが、 Weis, was ich leide! 私が何を悩んでいるかを知っています。 Allein und abgetrennt 独りで、そして、あらゆる喜びから Von aller Freude, 引き離され、 Seh ich am Firmament 私ははるかかなたの大空を Nach jener Seite. 仰ぎ見ます Ach! der mich liebt und kennt, あゝ!わたしを愛し、知る人は Ist in der Weite. とても遠くにいるのです。 Es schwindelt mir, es brennt それを思うと、私は目が眩み、 Mein Eingeweide. 体の内が燃え上がります。 Nur wer die Sehnsucht kennt ただ憧れを知る人だけが、 Weis, was ich leide! 私が何を悩んでいるかを知っています。 この詩・曲は、英語圏では、「None but the lonely heart」というタイトルで、ポピュラーソングとして有名です。 フランク・シナトラが情感たっぷりに甘く歌っています。 英語歌詞(日本語訳) None but the lonely heart 孤独な心の持ち主だけが Can know my sadness 私のさみしさをわかってくれる Alone and parted 一人、喜びや楽しみから Far from joy and gladness 遠く引き離されて Heaven's boundless arch I see 天上に無限に広がるアーチが Spread out above me 私の上に広がってる O(h) what a distance dear to one あゝ、私を愛する人との間は Who loves me なんと遠いことか None but the lonely heart 孤独な心の持ち主だけが Can know my sadness 私のさみしさをわかってくれる Alone and parted 一人、喜びや楽しみから Far from joy and gladness 遠く引き離されて Alone and parted far 一人、喜びや楽しみから遠く From joy and gladness 引き離されて My senses fail 私の感覚はうすれ A burning fire Devours me 燃える炎が私を焼き尽くす None but the lonely heart 孤独な心の持ち主だけが Can know my sadness 私のさみしさをわかってくれる 日本語歌詞 チャイコフスキー作曲・堀内敬三訳詞 我が悩みを知るはただ憧れを知る者のみ 悲しく我眺むる空 ああ愛しき君は いずこぞ 我が悩みをたれか知る 苦しさに力失せて 身も心も痩せこがる この悩みを知るはただ憧れを知る者のみ アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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木管四重奏 マズルカ Op.68-3:ショパン 楽譜
¥1,400
木管四重奏 マズルカ Op.68-3:ショパン Chopin, Frederic 58 Mazurkas Mazurka No.48 F-Dur Op.68-3 CT98 編成はFl.、Ob.、Cl.、Bsn.です。 金管四重奏版、クラリネット四重奏版、サックス四重奏版、鍵盤打楽器三重奏版は発売中です。 ショパンの名曲をコンサート・ピースに、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/HVkW8QzMEFs Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 「マズルカ(Op.68)」は、フレデリック・ショパン(Frederic Chopin/1810年-1849年)によって作曲され、彼の死後の1855年に出版されました。 4曲のマズルカが入っており、全部を演奏すると9分程度の長さになります。 マズルカはポロネーズと並ぶポーランドの有名な民族舞踊で、19世紀にポーランド貴族の中で流行しました。 4分の3拍子を基本としたリズムで、第1拍は付点が多く第2か第3拍にアクセントがあるのが特徴的です。 ショパンは生涯で50曲以上のマズルカを作曲しました。 ショパンはワルシャワ音楽院を卒業してから間もなくしてポーランドを離れます。 そして多くの時間をフランスのパリで過ごし、パリで生涯を終えました。 そんなショパンですが、母国ポーランドには熱い想いがありました。 1831年のロシアによるワルシャワ侵攻(11月蜂起)の時期に作曲された、「スケルツォ第1番」「革命のエチュード」では 母国への悲痛な想いが表現されています。 ちなみにショパンの死後、彼の遺志により彼の心臓はポーランドに持ち帰らました。 20歳でポーランドを離れ、ポーランドに戻ることのなかったショパンでしたが、ポーランドへの愛は生涯忘れることはありませんでした。 《マズルカ》ヘ長調作品68-3は、ショパン(1810~1849年)がポーランド時代の最後の時期(1829年頃)に書いた曲です。 しかし、この曲は彼の存命中に出版されなかったために遅い作品番号が付けられました。ショパンが生前に出版した作品は 作品1から作品65までありますが、それ以降の作品66 から作品74は友人ユリアン・フォンタナがショパンの死後、彼の遺族の同意を得て 出版したものです。ショパンの作品には作品番号の無いものも相当あり、それらにはブラウン(B)やコビランスカ(KK)、 ホミンスキ/トゥルウォ(CT)の作品目録番号が多く用いられています。 マズルカはポロネーズと共にポーランド民族音楽を代表するジャンルです。 勇壮な性格を持つポロネーズ(ショパンの場合は作品26以降のポロネーズ)は「国家再建の魂」と言われますが、それに対し、 マズルカは「民衆の喜怒哀楽」を表現するものと言われています。ショパンはポーランド時代、夏の休暇をしばしば寄宿学校の友人の 郷里で過ごし、村々で踊られるマズルカに親しみました。マズルカには多くの種類の踊りが含まれていますが、ショパンはそれらを マズル(mazur)、クヤヴィアク(kujawiak)、オベレク(oberek)の3つのタイプに集約しました。 それらは次のようなリズムの特徴を持っています。 マズルはマゾフシェ地方を起源とする中庸なテンポ( ≒120~140)の踊りで、1拍目は付点リズムや3連符のリズムに 変化することが多いです。 クヤヴィアクはクヤヴィ地方の農民の歌を起源とし、ゆっくり引きずるようなリズムを特徴とする踊りです。 オベレクは男女がお互いのまわりを回る回転舞踏で、この3つの中で最もテンポが速い( ≒160~180)踊りです。 オベレクはクヤヴィアクのリズムを速いテンポで用いたものとも言われています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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サックス五重奏 マルシェ・ポンティフィカーレ(賛歌と教皇の行進曲)楽譜
¥1,800
サックス五重奏 マルシェ・ポンティフィカーレ(賛歌と教皇の行進曲) Marcia Pontificale Charles Gounod 編成はソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。 クラリネット五重奏、木管五重奏版、金管五重奏版は発売中です。 神々しいバチカンの雰囲気漂う作品をコンサートピースのオープニングに、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/9zv_YtbPhX0 Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 賛歌と教皇の行進曲(さんかときょうこうのこうしんきょく、ラテン語: Hymnus et modus militaris Pontificalis、イタリア語: Inno e Marcia Pontificale)は バチカンで国歌に準じて演奏される歌です。通称Inno(賛歌)、教皇歌、教皇行進曲、教皇賛歌とも呼ばれています。 アントニオ・アッレグラ (Inno e Marcia Pontificale、Antonio Allegra) 作詞、シャルル・グノー (Charles Gounod) 作曲の作品です。 シャルル・フランソワ・グノー(Charles Francois Gounod,1818年6月17日 - 1893年10月18日)は、フランスの作曲家です。 ゲーテの『ファウスト』第1部に基づく同名のオペラで有名です。このバチカンの実質的な国歌である『賛歌と教皇の行進曲』を作曲したことでも知られています。 1870年から1875年まで、グノーは戦乱を避けてイングランドに過ごし、のちの王立合唱協会(ロイヤル・コーラル・ソサエティ)の首席指揮者を務めました。 この頃から、グノー作品の多くが実質的に声楽曲や合唱曲となりました。 グノーは後半生において主に宗教曲を手掛けていますが、中でもバッハの『平均律クラヴィーア曲集』第1巻第1曲の前奏曲に旋律をかぶせた『アヴェ・マリア』は有名であり、 『グノーのアヴェ・マリア』と称されています。 《歌詞》 イタリア語版 賛歌 Roma immortale di Martirie di Santi, Roma immortale accogli i nostri canti: Gloria nei cieli a Dio nostro Signore, Pace ai Fedeti, di Cristo nell'amore. A Te veniamo, Angelico Pastore, In Te vediamo il mite Redentore, Erede Santo di vera e santa Fede; Conforto e vanto a chi combate e crede, Non prevarranno la forza ed il terrore, Ma regneranno la Verita, l'Amore. 教皇の行進曲 Salve Salve Roma, patria eterna di memorie, Cantano le tue glorie mille palme e mille altari. Roma degli apostoli Madre e guida dei Rendenti, Roma luce delle genti, il mondo spera in te! Salve Salve Roma, la tua luce non tramonta, Vince l'odio e l'onta lo splendor di tua belta. Roma degli Apostoli Madree guida dei Redenti, Roma luce delle genti, il mondo spera in te! ラテン語版 賛歌 O felix Roma - O Roma nobilis. Sedes es Petri, qui Romae effudit sanguinem, Petri, cui claves datae sunt regni caelorum. 2 Pontifex, Tu successor es Petri; Pontifex, Tu magister es tuos confirmas fratres; Pontifex, Tu qui Servus servorum Dei, hominumque piscator, pastor es gregis, 3 ligans caelum et terram. Pontifex, Tu Christi es vicarius super terram, rupes inter fluctus, Tu es pharus in tenebris; Tu pacis es vindex, Tu es unitatis custos, 4 vigil libertatis defensor; in Te potestas. Tu Pontifex, firma es petra, et super petram hanc aedificata est Ecclesia Dei. O felix Roma - O Roma nobilis. 教皇の行進曲 :Roma, alma parens, Sanctorum Martyrumque, Nobile carmen, te decet, sonorumque, Gloria in excelsis, paternae maiestati Pax et in terra fraternae caritati Ad te clamamus, Angelicum pastorem: Quam vere refers, Tu mitem Redemptorem! Magister Sanctum, custodis dogma Christi, Quod unum vitae, solamen datur isti. Non praevalebunt horrendae portae infernae, Sed vis amoris veritatisque aeternae. Salve, Roma! In te aeterna stat historia, Inclyta, fulgent gloria Monumenta tot et arae. Roma Petri et Pauli, Cunctis mater tu redemptis, Lumen cunctae in facie gentis Mundique sola spes! Salve, Roma! Cuius lux occasum nescit, Splendet, incandescit, Et iniquo oppilat os. Pater Beatissime, Annos Petri attinge, excede Unum, quaesumus, concede: Tu nobis benedic. 日本語訳 おお幸福なるローマ おお幸福にして最も高貴なるローマ おお幸福なるローマ 幸福なるローマ 高貴なるローマ 汝はペトロの王座であり ペトロはキリストの地を得た 汝はペトロの王座であり ペトロは平和の使者なり 我らは常に教皇と共にあり 常に同胞を導く方で在り続けんことを 我らは常に教皇と共にあり 常に同胞を導く方で在り続けんことを 教皇は我らの礎 我らの力 漁師たちよ 汝は天と地を結ぶ羊飼いである ペトロ 汝は地上におけるキリストの司教であった 波の中に在りし岩よ 汝こそが道標であり真実である 汝こそがキリストの愛なり 汝こそが団結への守護者なり 自由を守る準備をせん 汝の中に全ての権威がある ペトロ 汝は地上におけるキリストの司教であった 波の中に在りし岩よ 汝こそが道標であり真実である 汝こそがキリストの愛なり 汝こそが団結への守護者なり 自由を守る準備をせん 汝の中に全ての権威がある おお高貴なるローマよ おお幸福にして最も高貴なるローマよ! アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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金管五重奏 エクスパンシーヴァ(気さくに)ワルツ 楽譜
¥2,100
金管五重奏 エクスパンシーヴァ(気さくに)ワルツ Expansiva, Valsa エルネスト・ナザレ Ernesto Julio Nazareth 編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。 木管五重奏、サックス五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。 「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/fqbmXnAlAk8 Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html Expansiva, Valsa エクスパンシーヴァ(気さくに)、ワルツ 変ニ長調の落ち着いた上品なワルツです。Bメロは変イ長調。Cメロは変ト長調で、8分音符分散和音が拡がりを見せます。 この音の拡がり(=expande)のイメージからExpansivaという題名がついたという説もあります。 全体的にどの部分の旋律も半音階的で複合調性のような不思議な感覚を味わえます。 この点でもふんわりとした拡がり(=expande)を感じさせてくれるのではないでしょうか。 「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を知らずしてブラジル音楽は語れません。 南国ののどかな風光と、アフリカの野性的なエネルギーと、ロマンティシズムが渾然と混じり、甘美で、ちょっぴり切ない独特の音楽が聞こえてきます。 ミニョーネはこう述べています。「私は1917年頃にEduardo Soutoの楽譜店でナザレに会ったことがある。ナザレは自作曲を決して急がず、 カンタービレで弾いていた。彼はこう言っていたよ、『私の作品はあちこちでメチャメチャに弾かれている。みんな速く弾きすぎだ。 特に "Apanhei-te, Cavaquinho" は酷いことになっている。あの曲はゆっくりと、左手はカヴァキーニョを思い浮かべてアルペジオで弾くもんだ』と。」 エルネスト・ジュリオ・ナザレー (Ernesto Julio Nazareth (またはNazare とも), 1863年3月20日 - 1934年2月4日)は、ブラジルのピアニスト・作曲家です。 一生をリオ・デ・ジャネイロで過ごしました。「ブラジル風タンゴ」やショーロなど、国内の民族音楽に影響されたピアノ曲を量産しました。 そのような作曲姿勢から、しばしば「ブラジルのショパン」と呼ばれています。ピアノ以外の音楽教育は学ばなかったため、 残された作品はサロン小品と声楽曲ばかりであり、管弦楽曲や室内楽・カンタータやオラトリオのような分野の大作はなく、作曲技法も必ずしも洗練されていません。 しかしながら、民衆音楽の影響のもとに切り開いた独自の素朴な詩境は、のちにヴィラ=ロボスから、「ブラジルの魂」と称賛されました。 中産階級ながらもあまり豊かでない下級官吏の家庭に生まれ、ショパンを愛する母親からピアノの手ほどきを受けました。 早い年齢でたぐい稀な音楽的才能が認められ、家族ぐるみで付き合いのあったアフロ=アメリカンの作曲家、 リュシアン・ランベールにも音楽の手ほどきを受けました。 1873年に母親が亡くなってからもピアノを学び、間もなく作曲も手がけるようになりました。 最初の出版作品のポルカ『ボセ・ベン・サービ"Voce Bem Sabe"』 (あなたはよく御存知)は、14歳になるまでに作曲・出版されました。 その後は、ショーロの楽士たちとたむろして、敏感で独特なリズム感を身につけました。マシシェ maxixe やルンドゥ lundu 、ショーロ choro 、 アフリカ系住民のダンスなど、さまざまな民族舞曲に影響されました。 長年ナザレーは、映画館オデオン座の待合室でピアニストとして働き、ここで最も有名な作品の一つ『オデオン』を作曲しました。 外国から数少ない音楽家がブラジルを訪問した際、オデオン座のナザレーの演奏を見学したといわれています。 1920年代初頭には、音楽ショップにピアニストとして雇われました。顧客が購入する際に持ち寄ってきた楽譜を見ながら、演奏し、 客の要望に沿うかどうかを確認して見せるのが任務でした。客の中に、ナザレー作品の楽譜を手ずから弾こうとする者がいると、止めさせて、 解釈が誤っていると苦情を言うのが常だったそうです。 ナザレーは、心底からのブラジル人音楽家であり、音楽は楽しまれるべきであるとして、それ以上を望みはしませんでした。 ほとんど独学であり、音楽活動のほとんどは、劇場や映画館の伴奏ピアニストとして、あるいは小劇場のアンサンブルでのピアニストとして、 演奏するのに振り当てられました。 そのような劇場アンサンブルの楽団員の知り合いには、後の大作曲家ヴィラ=ロボスがいて、当時はチェリストとして活動していました。 ナザレーはショーロの発展のおおもとであり、ヴィラ=ロボスは、これに基づき、後に自らの創作活動を繰り広げていったのです。 ナザレーは、ブラジルの民族音楽以外にも明らかに影響されていて、子供時代にむさぼるようにして学んだショパンの影響が中でも顕著です。 また、1869年にきら星のようにリオ・デ・ジャネイロにデビューして、瞬く間にブラジル楽壇を席巻したゴットシャルクの作風もナザレーにはお馴染みでした。 作品には、19世紀ヨーロッパのクラシック音楽の豊かな和声法がこだましながら、ナザレーの生地ブラジルの、シンコペーションをともなう 民族舞曲のリズム法に織り込まれてゆくのが認められます。そのうえ、アメリカ合衆国のラグタイムや初期のジャズの、小気味よいリズム感も健在である。これらの要素を統合して一つの有機体へとまとめ上げたことがナザレー独自の能力で、結果的には、ピアノ曲のレパートリーだけでなく、20世紀の音楽にも重要な貢献を果たしている。 ナザレーはショパンやその他のヨーロッパの作曲家から霊感を受けたように、逆に自らも、間接的とはいえ、ヨーロッパの作曲家に何かしらの影響を与えています。 フランス人作曲家のダリユス・ミヨーは、自伝の中で、ブラジル滞在中にリオ・デ・ジャネイロの映画館でナザレーがピアノを演奏する風景を回想しています。 ミヨーはその音楽のリズムにたちどころに虜となって、ブラジル音楽をきわめてやろうと決心したというのです。 その最終的な成果こそが、ミヨーのピアノ曲『ブラジルの想い出 Saudades do Brasil』でした。 ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ばれていますが、作品に副題を好んでつけた点で、ショパンとは違っています。 ショパンやフォーレよりもヨーロッパのサロン音楽の伝統に忠実だったといえます。 しかしながら19世紀から20世紀初頭まで、ヨーロッパではサロン小品にフランス語の題名をつける慣習がまだ根強く残っていたのに対して、 ナザレーは母語のポルトガル語に固執しました。 また題名によって、ドビュッシーやラヴェルのように、美術や文学からのインスピレーションをほのめかしたり、 リストのように詩的な連想を暗示することもありませんでした。 ナザレーの曲名には、しばしば第三者にとって謎めいた響きをもつものもありますが、それらは実在するスポーツチームやダンスクラブ、雑誌名など、 ナザレーの日常生活の周辺から切り取られたものばかりです。このような意味で、ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ぶよりは、むしろ 「ブラジルのクープラン」と呼んでこそふさわしいかも知れません。 およそ300曲のピアノ小品において、ナザレーはみごとに、大衆的なブラジル舞曲のエッセンスを捕まえています。 ナザレーは、厳密には都会の聴衆のために作曲したのですが、その作品には、(ブラジルで奴隷制が廃止された1888年以降の作品でも、) アフリカ系民族音楽の豊かな影響が息づいています。ほとんどの曲に、スコット・ジョプリンが発想したようなシンコペーションが使われています。 ナザレーのピアノ曲には、ブラジルのありとあらゆるダンスが盛り込まれています。マシシ(英語版)、バトゥーキ(英語版)、 サンバ、 そして中でも重要なのがタンゴです。後に世界中を熱狂させ、席巻したタンゴが、ブラジル生まれだったというだけでなく、 実際にはナザレー自身の創り出したジャンルだったという証拠になるからです。 もしそれが間違いだったとしても、「ブラジル風タンゴ」の発展のほとんどにナザレーがかかわっていて、このジャンルに優に100曲を残しています。 最も有名な作品に、『ブレジェイロ(ろくでなし)"Brejeiro"』『アメノ・ヘゼダ"Ameno Reseda"』『バンビーノ(赤ん坊)"Bambino"』 『トラベッス(腕白坊主)"Travesso"』『フォン・フォン"Fon-Fon"』『テネブローズ(暗闇)"Tenebroso"』があります。 ナザレーが初めて「ショーロ」と呼んだ作品のうち、『アパニェイチ・カヴァキーニョ(頑張れカバキーニョ)"Apanhei-te Cavaquinho"』は、 さまざまな楽器アンサンブルによって演奏できる、古典的名作です。 晩年になって完全に聴覚を失うと、創作活動にも支障をきたしましたが、それでもブラジル国内ではなかなかナザレー人気は衰えませんでした。 ゴットシャルクやジョプリンを評価する人たちなら、ナザレーの残した魅力的な宝石たちをきっとたちまち気に入るに違いありません。 作曲者の死後から半世紀を経た近年になって、ナザレー作品を集めたアルバム制作が世界的にも相次いでいて、最近では伝記や、 作曲者に関するCD-ROMも発表されています。ナザレーは、クラシックとポピュラー音楽にまたがって活動したことから、ナザレーのピアノ曲は、 クラシックの学び手にも、ポピュラー音楽の学び手にも、有用な教材とされつつあります。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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クラリネット五重奏+2フルート メンデルスゾーン 無言歌集 第1巻 「狩人の歌」 Op.19-3 楽譜
¥2,100
クラリネット五重奏+2フルート メンデルスゾーン 無言歌集 第1巻 「狩人の歌」 Op.19-3 Lieder ohne Worte Heft 1 "Hunting Song" A-Dur Op.19-3 Mendelssohn, Felix 編成はCl.4本、Bs,Cl.に加えてFl.2本です。 Fl.2本+サックス五重奏版、木管五重奏版、金管五重奏版は発売中です。 可愛らしくもロマンチックで優美なメロディーを、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/1jiNHdxT76I Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 『無言歌集 Lieder ohne Worte』は、メンデルスゾーンが生涯にわたって作曲したピアノ独奏のための作品集です。 全8巻からなり、各巻6曲ずつで合計48曲が収められています。 メンデルスゾーンのピアノ作品として最も有名で、しかもロマン派の教材として取り上げられることの多いのが「無言歌集」です。 ワーグナーが「第一級の風景画家」と言ったように、メンデルスゾーンは情景描写や標題音楽の作曲において才能を発揮しています。 この“言葉のない歌曲”、「無言歌」、という形でメンデルスゾーンは心象風景や感情描写までも、表現しました。 歌曲風の旋律をもった器楽曲であるため、旋律線をはっきりと浮き立たせ、抒情的に演奏することが重要です。 メンデルスゾーンが活躍したこの時期、ブルジョアジーの家庭を中心に、ピアノが教養として普及しました。 そのため、家庭で気楽に弾ける作品が多く作られましたが、この《無言歌集》もその一つです。 《無言歌集》は各6曲ずつの計8集からなり、生前に出版されたのは、第6集までです。第7集は、1851年、第8集は1867年に出版されました。 1832年、第1集を出版したときには、メンデルスゾーンは、《ピアノのためのメロディー》と記していて、《無言歌集》の名称を もつようになったのは1835年に第2集を出版してからのことでした。 標題をもっているものが多いのですが、作曲者自身によってつけられたものはわずかです。 実際、メンデルスゾーンは標題をつけることによって、音楽的な想像力が限定されることを嫌っていたようです。 3曲目の「狩人の歌」は、勇ましい狩りの情景がえがかれます。第3曲〈狩人の歌〉という標題は、 メンデルスゾーン自身もみとめていたニックネームです。 6曲中で最も有名な曲です。曲想が特に快活で勇壮なことが特徴です。 第1巻 1.ホ長調「甘い思い出」 / op.19-1 (1831) 全体を流れるなめらかな16部音符の上に、抒情的な旋律がうたわれます。 2.イ短調「後悔」 / op.19-2 (1832) 3.イ長調「狩人の歌」 / op.19-3 (1832) 4.イ長調「信頼」 / op.19-4(1829) 5.嬰ヘ短調「眠れぬままに」 / op.19-5 (1831) ポコ・アジタート、四分の六拍子で情熱的な趣をもつ。無言歌の中ではめずらしいソナタ形式をとっています。 6.ト短調「ヴェネツィアの舟歌 第1」 / op.19-6 (1830) アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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木管六重奏+ 剣闘士の入場(雷鳴と稲妻)楽譜
¥2,500
木管六重奏+ 剣闘士の入場(雷鳴と稲妻) Entry of the Gladiators Julius Fucik 編成はFl.2本、Ob.、Cl.2本、Bsn.およびDrum Setです。 Bsn.はBs.Cl.に変更可能でパート譜は同梱しています。 サックス六重奏、金管六重奏、クラリネット六重奏版は発売中です。 チェコのマーチ王と讃えられるフチークの音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/XHf2MDVf8Bs Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html ユリウス・フチーク(1872年-1916年)は チェコのプラハに生まれ チェコが「オーストリア・ハンガリー帝国」という大国だった頃に活躍しました。 44歳の若さでベルリンで亡くなるまで 300曲以上のマーチ・ワルツ・ポルカを作曲し チェコのマーチ王と呼ばれています。 フチークはドヴォルザークに作曲を学び、250曲以上の行進曲を作曲したので「ボヘミアのスーザ」と呼ばれています。 彼は94曲のマーチをはじめ、ワルツや独奏曲、管弦楽曲等の約320曲の作品を残しており、今でもヨーロッパを中心に親しまれています。 ユリウス・アルノシュト・ヴィレーム・フチーク(1872年-1916年)は、チェコの作曲家、軍楽隊指揮者です。 生涯の大半を軍隊の吹奏楽で指揮者として過ごしました。フチークは多産な作曲家で、300曲以上の行進曲やポルカ、ウィンナ・ワルツを 作曲して名を馳せました。作品のほとんどが軍楽隊のために作曲されていることから、時に「ボヘミアのスーザ」とも呼ばれています。 現在でも、チェコではフチークの行進曲が愛国的な楽曲として演奏されています。しかしながら彼の名声を世界的なものにしているのは、 最も有名な《剣闘士の入場》が世界各地のサーカスで、ピエロ登場のテーマ曲として用いられているからに他なりません。 『剣闘士の入場』(英語: Entrance of the Gladiators)作品68は、チェコの作曲家ユリウス・フチークが1897年に作曲したブラスバンドのための行進曲です。 『剣士の入場』と表記される場合もあります。 この曲は半音階が多用されており、元々フチークは『半音階的大行進曲』といった題名を想定していましたが、彼が皇帝ネロの時代のローマ帝国に興味を持ち 剣闘士が競技場に入場する場面をイメージした音楽です。そして、現在の題名となりました。 曲は3つの部分から成っています。最初の部分はトランペットのファンファーレに続いてメロディと伴奏、2番目の部分は低音のトロンボーン等 金管楽器 (主にチューバ) が半音階で転がり進んでいきます。3番目の部分はトリオでゆっくりとした旋律的な部分であり、金管低音と木管楽器の コントラストが強調されています。トリオでも2番目の部分と同じような半音階的な音形があります。 曲は全体が2分の2拍子で、速さには標準的なマーチ・テンポが指示されています。しかしサーカスマーチとしては、もっと速く演奏されるのが普通です。 この作品の編曲は1910年にカナダの作曲家ルイ=フィリップ・ローレンドー(英語版)がこの曲を小規模な編成に編曲した譜面が 『Thunder and Blazes』(雷鳴と電光、といった意)という題名で北米向けに販売されました。以降現在に至るまで、代表的なサーカス音楽(英語版)として 人気を誇っています。サーカスではピエロの入場にこの曲が使われることもあり、そのためもあって曲名や作曲者はともかく、曲だけは広く知られています。 ローレンドー版は移動式遊園地のオルガン (フェアグランド・オルガン) 用にも編曲されており、またさまざま演奏会に数多く取り上げられています (例えば2007年のBBCプロムスの最後など)。 また、1974年にはイギリスの歌謡曲『ショー・マスト・ゴー・オン(英語版)』のイントロ部分とメロディーに使われています。 主題の一部はサックス奏者ブーツ・ランドルフのヤケティ・サックス(英語版)で使われています。この曲はベニー・ヒル・ショーをはじめとする コメディ番組でよく使われています。またピエロをモチーフにしたアメリカ合衆国のプロレスラー、ドインク・ザ・クラウンの入場曲として当曲の一部が使われています。 フチークはオーストリア=ハンガリー二重帝国治下のボヘミアに生まれました。学生時代はファゴットやヴァイオリンなど、様々な楽器を弾きこなし、 後にドヴォルザークに作曲を師事しました。 1891年にオーストリア=ハンガリー第49歩兵連隊に軍楽隊員として入団。当初はドナウ川沿いの町クレムスで、ヨーゼフ・フランツ・ワーグナーの指揮のもと 演奏を続けましたが、後にウィーンの軍楽隊に入りました。1895年には軍隊を離れ、プラハはドイツ劇場の第2ファゴット奏者の地位に就任しました。 1年後に、プラハ市管弦楽団の首席指揮者や、クロアチアはシサク市のダニツァ合唱団の指揮者に就きました。この間にフチークは、たくさんの室内楽曲、 なかでもクラリネットやファゴットのための小品を作曲しました。 1897年にサラエヴォ第86歩兵連隊の楽隊指揮者として入団、その直後に、最も有名な作品《剣闘士の入場Einzug der Gladiatoren》を作曲しました。 原題は《半音階的大行進曲Grande Marche Chromatique》だったのですが、フチークはローマ帝国の歴史に興味があり、曲名を変更しました。 また、カナダの作曲家・編曲家であるLouis Philippe Laurendeauが、小編成のバンドのために編曲しThunder and Blazes(雷鳴と稲光)というタイトルで出版したところ、 サーカス公演においても演奏されるようになり、人気が出ました。今でも世界的に、サーカス公演における道化師の登場に使われていて、他にも 「スクリーマー Screamer」などの愛称でも親しまれています。 フチークの楽隊は1890年にブダペストに配転すると、フチークは自作を演奏してくれる楽隊を他にもいくつか見つけましたが、より注目を浴びるには、 多くのライバルに立ち向かわなければならなりませんでした。フチークはより多くの演奏家を任意に使うことができるようになってから、 管弦楽曲の編曲を試みるようになりました。 フチークは1909年に再びボヘミアに戻り、テレジン王立第92歩兵連隊の楽隊に入隊しました。当時その楽隊は、オーストリア=ハンガリー二重帝国で最も優れた軍楽隊でした。 フチークはこの楽団と共にプラハやベルリンに演奏旅行を行い、総計1万人以上の聴衆を集めました。 フチークは1913年に結婚してベルリンに居を構え、そこで自前の楽隊と楽譜出版社を結成して、自分の作品を売り出そうとしました。 しかし彼の人生は第一次世界大戦の勃発と共に曲がり角に来ていました。戦時中の貧窮のもとで商売は頓挫し、健康面も損なわれ、 1916年に急病を患い、プラハに戻るや否や急死してしまいました。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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サックス五重奏 グリーグ :抒情小品集 第4集 Op.47-2 楽譜
¥1,800
サックス五重奏 グリーグ :抒情小品集 第4集 Op.47-2 アルバムのページ Lyriske smastykker No.4 op.47-2 Albumblatt Grieg, Edvard Hagerup 編成はソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。 金管五重奏、クラリネット五重奏、木管五重奏版は発売中です。 ノルウェー色が豊かな名曲をコンサート・ピースなどに、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/Po5KAQ1pUN4 アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html グリーグはベルゲンというオスロに次ぐ大都市に5人兄弟の第4子として生まれました。 幼少より母親からピアノを習いはじめ、15歳から18歳までは、ドイツのライプツィヒ音楽院で作曲とピアノを学び、 メンデルスゾーンやシューマンらの影響を受けました。 音楽院を卒業後は故郷ベルゲンに戻り、さらに翌1863年にコペンハーゲンで ニールス・ガーデ(Niels Gade, 1817年~1890年)から作曲を教わり、国民楽派の影響を受けたと言われています。 彼はノルウェーの民族音楽から着想を得て、国民楽派の作曲家として注目されました。 民族音楽からの深い影響は『ペール・ギュント』第1組曲の第1曲「朝」の冒頭がノルウェーの民族楽器である ハリングフェーレの共鳴弦を端からつま弾いた時の旋律から始まっていることからもうかがうことができます。 グリーグの肖像は、旧500クローネ紙幣に描かれていました。 グリーグはとても小柄であった。生前は卓越したテクニックのピアニストとしても著名で、自作を携えヨーロッパをたびたび演奏旅行している。晩年のアコースティック録音およびピアノロールが残されており、現在もCDで入手できる。 生地であるノルウェーの旧首都ベルゲンの自然と海をこよなく愛しました。 死後に火葬され、遺言によりトロールハウゲンの住居の下にある湖を望む岩壁に墓が設けられ、一部の遺灰は湖に撒かれました。 グリーグは終世、手のひらに乗るぐらいの小さな蛙の置物や子豚のぬいぐるみを大切にし、 寝る時も一緒だったそうです。演奏会の時は、あがらないように、ポケットの中で蛙の置物をそっと握りしめたそうです。 なお、この蛙の置物と子豚のぬいぐるみはグリーグの家(現在のエドヴァルド・グリーグ博物館)に展示されています。 ちょうどこのグリーグが活躍した時代というのは、当時勢いのあったドイツのロマン派音楽が周辺諸国へと波及し、 それぞれの国の民族的要素と融合した新しい音楽様式が生まれましたが、それを音楽史の中では「国民楽派」と呼んでいます。 その背景には、当時鉄道が整備され人々の移動が容易になったことも関係しているのではないかと思われます。 国民楽派の作曲家たちは、自国の歴史や風物、民謡、民族音楽などを題材にした作品を積極的に作りました。 ロシア、ボヘミア地方、北欧などで様々な作曲家たちが活躍し始めるのがこの時期です。 『抒情小曲集』は、エドヴァルド・グリーグが1867年から1903年にかけて作曲した、全66曲からなるピアノ曲集です。 6~8曲ごとにまとめられて出版され、全10集からなっています。 1867年、《ピアノ協奏曲イ短調 作品16》で一躍有名になったグリーグは、この年から1901年にかけてこの作品集を書き上げました。 抒情小品は生涯にわたって作曲されているため、グリーグの作風、ピアニズム、その変遷すべてがその中にあらわれていて、 作品群の中でも中心的な存在です。 いずれも1分~6分程度の小品で、ステージ用というよりは、主にサロンや家庭で広く親しまれていました。 どの曲にも標題がつけられていて、それぞれの曲に対して、一つの感情、気分、情景が表現されています。 1867年、第1集を発表しましたが、その後ピアノ、作曲、指揮など多忙だったこともあって、第2集が発表されたのは、 その16年後でした。第2集から第10集はある一定の間隔をおきながら続けて作曲されました。 全10巻で、計66曲の作品がおさめられています。 グリーグ : 抒情小品集 第4集 / Lyriske smastykker No.4 op.47 第4集は、第3集の出版からちょうど10年後にあたる1888年に出版された。比較的やさしい技巧で弾くことができた第3集までの作品と比べ、 第4集以降、やや難易度が増しています。また、第3集にみられたような、全曲を通しての内容の一貫性はありません。 1.即興的ワルツ / op.47-1 "Valse-Impromptu":民族的な舞曲のリズムにのせて、どことなく物憂げで神経質なメロディがさまようように奏でられます。 Strettoの部分は即興的で、非常に煌びやかな効果をあげています。全体的に単調にならないよう、ハーモニーの変化を感じて演奏しましょう。 2.アルバムのページ / op.47-2 "Albumblad":なにか輝かしい良き日の思い出を想わせるような、一曲で、技巧的に難しい曲です。 メロディが中心となる主要な箇所と、挿入句的なパッセージの部分とは、効果的に雰囲気を分けて演奏しましょう。 3.メロディー / op.47-3 "Melodie":和音が一定のリズムを保ちながら、伴奏をきざみ、その上を憂いにみちた旋律が延々と歌われていきます。 和音の中で、いかに旋律を音楽的に奏でることができるかが重要です。そのために、伴奏のリズムに推進力をもたせることも大切でしょう。 4.ハリング / op.47-4 "Halling":民族的な和声とリズムの面白さが魅力的な曲です。第2集の〈ハリング〉と同じリズムが用いられています。 5度の音程をシンコペーションのリズムで一定に刻み続けます。時に音量を変化させながらも、このリズムをかなり正しく演奏することが、 曲の雰囲気を出す上で重要です。声部ごとに強迫拍の位置が異なっていることも意識して演奏しましょう。 5.メランコリー / op.47-5 "Melankoli":タイトルが示すとおり、ため息のような旋律が欝欝とした様子で静かに奏されます。 各部によって、支えになっている持続音が変化しているので、これを意識して、色合いを変化させていきましょう。 6.スプリング・ダンス / op.47-6 "Springdans":1975年に出版された《家庭音楽集》の中に既におさめられていた曲を改訂した曲です。 舞曲のリズムが刻まれ、その上を活気に満ちた旋律が進んでいきます。大きな跳躍をみせる技巧的な部分、叙情的な中間部など魅力に富んでいます。 中間部の旋律は、比較的あっさりめに演奏するほうが旋律のもつ性格が活かされるでしょう。 和声的な進行を意識し、主要な音の動きを把握して演奏することも大切です。 7.エレジー / op.47-7 "Elegie":旋律につけられているアクセントは、強く、というよりはテヌート気味に奏されます。 物憂げに繰り返される旋律に対して、下降していく和音の色づけにも心を配りたいところです。 中間部では、装飾音を帯びて増やされた音とともに、抑圧された悲しみも、より増していくように感じられます。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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金管五重奏「ブーレ I/II」(バッハ)楽譜
¥2,000
金管五重奏「ブーレ I/II」(バッハ) 無伴奏チェロ組曲 第3番ハ長調 BWV1009から Johann Sebastian Bach (Bourree I/II)BWV1009-5 編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。 クラリネット五重奏、サックス五重奏、木管五重奏版は発売中です。 バッハによる幸福に満ちた作品を演奏で味わいたいものです。 コンサートピースの小品に、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/XsJEJj-6-ho Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲は分散和音で奏されるチェロの豊かな響きが心に残る冒頭部分は大変有名で、曲名は知らずとも多くの方が聞き覚えのある旋律だと思います。 組曲全6曲が書かれた年代については、ケーテンの宮廷楽長時代(1717~23年)の前期と推定されています。 組曲の構造はバッハのクラヴィーア曲(例えば《イギリス組曲》等)と同様に、定型であるアルマンド/クーラント/サラバンド/ジーグの4つの舞曲形式を基本として、 加えて第1曲に前奏曲、最後のジーグの前の第5曲にメヌエット・ガボット・ブーレのいずれかの流行舞曲を取り入れた形に統一されています。 1717年、バッハは32歳の時にケーテンの宮廷楽長に迎えられました。 当地の侯爵は音楽に理解が深く、優れた奏者を抱え、自らも楽器を嗜むほどでした。 その恵まれた環境の中でバッハは管弦楽組曲、ブランデンブルク協奏曲など器楽の傑作を数多く生み出したのです。 さらには実験的な創作の挑戦も許され、無伴奏のヴァイオリンおよびチェロで豊かな和声と精巧な対位法を併せ持った壮大な世界を創造したのでした。 これまで伴奏に従事していたチェロが独奏楽器として扱われはじめたころで、その独奏も伴奏付きだったから、やはりバッハは並はずれた作曲家ですね。 第3番はチェロが明るく、そして存分に鳴り響くハ長調で書かれ、雄大な音楽を聴かせます。 前作第2番の悲劇的な楽想とは対照的です。 第2番を創作するころに最初の妻マリア・バルバラと死別してしまいます。その深い哀しみを第2番で吐露しました。 そして数人の子どもを抱えて途方に暮れていたことでしょう。 しかしほぼ1年半後には同じ宮廷の歌手であったアンナ・マクダレーナを迎えることができたのです。 マクダレーナは優れた音楽家でるばかりか、バッハの仕事を支えた良妻だったのです。 その幸福で揚々たる心境が楽曲の隅々までに満ちています。 「組曲」とは一般的に何種類かの舞曲を並べたもののことで、16世紀から18世紀頃の間に流行した音楽形式です。 この形式はバロック時代の終焉とともにすたれていき、わずかにメヌエット楽章などにその痕跡を残すことになります。 その後の時代にも組曲という名の作品はありますが、それはこの意味での形式ではなく、交響曲ほどの厳密な形式を持つことのない自由な形式の作品というものになっています。 この二通りの使用法を明確に区別するために、バッハ時代の組曲は「古典組曲」、それ以後の自由な形式を「近代組曲」と呼びます。 バッハは、ケーテンの宮廷楽長をつとめていた時代にこの組曲形式の作品を多数残しています。 この無伴奏のチェロ組曲以外にも、無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ、無伴奏フルートのためのパルティータ、そして管弦楽組曲等です。 ヴァイオリンの組曲はシャコンヌに代表されるようにポリフォニックな表現を追求していますが、チェロ組曲では重音や対位法的な表現は必要最小限に限定されています。 チェロとヴァイオリンでは演奏に関する融通性が違い単純な比較はできません。 この素晴らしい作品がカザルスが古道具屋で偶然に楽譜を発見するまで埋もれていたのです。 今日ではチェロの旧約聖書とも言われるこの無伴奏チェロ組曲ですが、バッハの他の作品同様にその死後は長い間日の目を見ることはありませんでした。 この作品に再びスポットライトを当てたのは20世紀を代表するチェロの巨匠、パブロ・カザルス(1876-1973)でした。 1890年、スペイン、バルセロナの店で当時13歳のカザルスは偶然にこの曲の楽譜を手にします。 1904年にはパリで全曲演奏会を開き、1936~39年にはレコーディングをするなど、その価値を再発見し広く世に紹介したことでも有名です。 カザルスは生涯をかけて無伴奏チェロ組曲と向き合い続けた音楽家で、彼の存在なくしてこの作品が今日の認知度を得られたかどうか疑わざるを得ません。 組曲の中で最も演奏機会の多い作品がこの3番です。 ハ長調という調性がチェロにとっては演奏しやすく、そのために4声和音を生かした低音の響きが容易に引き出せるために演奏効果が上がりやすいという事情があります。 また、細かい音符の流れの中にト音が執拗に繰り返されることからくる効果は絶大で、冒頭の前奏曲に何とも言えない力強さと迫力を与えています。 持続低音(オルゲルプンクト)の効果が絶大に発揮された部分です。 第5曲 ブーレ I/IIは第3番の中で一番知られている曲です。速いテンポの中にも落ち着いた風情があります。三部形式、2分の2拍子で書かれています。 この曲はヴァイオリンの教則本にも、伴奏付きでヴァイオリン用に編曲されて載っている有名な曲です。演奏会用の小品として奏される機会も多く見られます。 ブーレⅡでは一転して短調になります。ここは、今までの盛夏の景色から変化して、ちょっと秋の気配を感じる雰囲気です。 舞い散る木々の葉を思い起こさせる様相です。 バッハが愛妻家だったことは誰もが認めるところですが、最初の結婚は1707年で、相手は従妹のマリア・バルバラでした。 バッハ22歳、バルバラ23歳の頃です。ふたりの間には7人の子供ができたほど、仲睦まじかったようです。 バッハはドイツでも有名な、代々音楽家を輩出した家系ですが、バッハの息子も4人が高名な音楽家になっています。 そのうち、バルバラとの間に生まれたのはヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(1710~1784)と、 カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714~1788)です。 ケーテン時代、バッハが侯爵のお供で保養地に出張している間に、妻バルバラは急死してしまいました。 帰宅した日の10日前にはすでに埋葬されていました。 翌1721年、バッハに縁談があり、宮廷トランペット奏者の娘でソプラノ歌手のアンナ・マグダレーナと結婚しました。 バッハ36歳、アンナ20歳の頃です。アンナ・マグダレーナは、内助の功を上げた、良妻賢母とたたえられる女性です。 4人の子持ち男バッハとの再婚なのに、家事・子育てのみならず、音楽的才能を存分に活かして彼の活動の手伝いをしました。 バッハの作品の写譜もたくさん行ったのですが、筆跡もそっくりで、後世の研究者を悩ませました。 最初の妻、バルバラは年上の妻でもあり、対等な関係の夫婦だったのに対して、アンナとはかなり年が離れていました。 アンナは夫を深く尊敬していて、バッハは若いアンナの魅力に惚れ込んだと伝えられます。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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クラリネット五重奏「愛の喜び」クライスラー 楽譜
¥2,000
クラリネット五重奏「愛の喜び」クライスラー Liebesfreud Fritz Kreisler 編成はCl.4本、Bs,Cl.です。 サックス五重奏版、金管五重奏版、木管五重奏版は発売中です。 20世紀初頭の美しい名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/DUNjOoy339g Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 『愛の喜び Liebesfreud』は、オーストリア出身の音楽家フリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler/1875-1962)による ヴァイオリンとピアノのための小作品です。 同じくクライスラーによる作品『愛の悲しみ Liebesleid』と対を成す楽曲で、さらに『美しきロスマリン』を加えて 三部作として扱われることもあります。 クライスラーは、ロシアのピアニスト、セルゲイ・ラフマニノフと親交があり、ラフマニノフはクライスラーの 『愛の喜び』『愛の悲しみ』の2曲をピアノ独奏用に編曲しています。 一般的に、作曲家が愛や女性を題材とした作品を作曲する際、当時の作曲者にとって大切な存在である特定の女性が 実在している場合が少なくありません。 クライスラーの場合は、1901年に知り合い翌年に結婚した妻との出会いが『愛の喜び』誕生に大きく影響しているようにも 考えられます。 クライスラーは1901年(26歳頃)、アメリカからヨーロッパに戻る船の中で、アメリカ人女性のハリエット・リース(Harriet Lies)に 出会い、一目惚れしてすぐに婚約までこぎつけました。 ハリエットはブルックリンの裕福な煙草商の娘で離婚歴もありましたが、社交的で聡明な彼女はクライスラーの性格や 音楽の才能をすぐに理解しました。二人は翌1902年にニューヨークで結婚式を挙げ、晴れて夫婦となりました。 彼女は妻としてだけではなく、演奏家としてのクライスラーを直接支えるマネージャーとしても有能さを発揮し、 自宅での練習スケジュール管理から、演奏会のギャラ交渉まで、表と裏でクライスラーの音楽活動を支える大きな存在となっていきました。 ハリエット・リースと出会った後に『愛の喜び』が作曲されたとすれば、その愛とはハリエットへ向けた愛情であったのではないでしょうか。 『愛の喜び』や『愛の悲しみ』は最初に1905年に出版され、その後1911年に別の歌集にまとめられたとされており、 時期的にも結婚から数年後のことです。 ちなみに、ドイツ語タイトル「Liebesleid」の「leid」は本来「苦しみ」とも解釈できるので、将来の妻との恋愛中に感じていた 胸の苦しみだったのかもしれません。 『愛の喜び』は2006年に放送されたドラマ「のだめカンタービレ」第9話では、クライスラー『愛の喜び』が挿入曲として使われていました。 第9話では、のだめの催眠術によって飛行機恐怖症に打ち勝った千秋が登場。のだめのために北海道に行ってカニを土産に持ち帰り、 カニを届けにハリセン宅にいるのだめに会いに行くシーンで『愛の喜び』が流れます。 テレビ朝日系列で1998年から2016年まで放送されていたバラエティ番組「いきなり!黄金伝説。」では、人気コーナー「1ヶ月1万円節約生活」で、 クライスラー『愛の喜び』が挿入曲として使われていました。 『愛の喜び』、『愛の悲しみ』、そして『美しきロスマリン』の3作品は初演当時、クライスラー作曲の作品としてではなく、 オーストリアの音楽家ヨーゼフ・ランナー(Joseph Lanner/1801-1843)の作品(の編曲)として発表されていました。 ヨーゼフ・ランナーといえば、ヨハン・シュトラウス一家に先立ってウィンナ・ワルツの様式を確立させた「ワルツの始祖」とも言うべき名作曲家です。 オーストリア出身のヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler/1875-1962)は、自分が作曲した楽曲を 昔の作曲家による作品として発表するという「偽作」を行った音楽家として知られています。 例えば、クライスラーの代表曲『愛の喜び』や『愛の悲しみ』などは、「ワルツの始祖」ヨーゼフ・ランナーの作品を編曲した楽曲として発表されていました。 クライスラーの偽作は一曲や二曲ではなく、『ヴィヴァルディの様式による協奏曲』や『バッハの様式によるグラーヴェ』など、 主にバロック期の作曲家に関連する偽作を数多く発表していました。 これらの偽作はすぐに発覚することはなく、発表されて数十年も経ってから、本人が還暦を過ぎた頃にさらっと認めて大騒ぎになりました。 偽作の意味や理由・動機については諸説あるようで、 クライスラーの偽作は、自分のコンサートで演奏プログラムに自分の作品ばかり並ぶのを避けたいという意図があったというものです。 その理由については彼のいたずら心によるものであるとか、注目を集めるためにそうしたとか、諸説ありますが、 本人は「プログラムに自分の名前ばかり並べるのは不遜に思えた」と語っています。 発表後間もなく偽作に気付いた人もいましたが(ハイフェッツやエネスコなど彼の親しい友人達)、評論家達は当初、手放しで賞賛していました。 これは、自分の名前ばかり並んで出しゃばり過ぎるから謙虚にしたいといった理由だけではなく、あくまでも観客の立場に立って、 同じ作曲家による(同じ作風の)曲だけでは観客が飽きてしまうだろうという配慮(サービス精神)があったようです。 作曲者の名前だけ変えても同じ作風では観客に飽きられてしまいそうですが、クライスラーの偽作は様々な作曲家の作品の一部を引用して 編曲しているので、その点では発覚しにくかったと考えられています。。 また、演奏家が作曲することに当時偏見があったこと、そして活動中の名ヴァイオリニストの作品だと他の演奏家が扱いにくいなどの理由が 考えられるようです。 演奏家の作曲ということに偏見を抱く人が多いと彼自身が感じていたことと、もし、存命中の「大ヴァイオリニスト・クライスラー」の 作曲ということになると、同時代の他のヴァイオリニストが遠慮して弾いてくれないだろう、という危惧があったからです。 クライスラーの偽作は、他者への深い配慮の末に決断された苦肉の策であったようです。 新聞社Webサイトの記事でも、 クライスラーの釈明は「自作ばかりでは聴衆がうんざりする」「私の名が前面に出ては同業他者が弾きにくい」の2点だというふうに 同様の理由・動機を挙げています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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木管五重奏「2つの東洋の絵画」から Spring 春 楽譜
¥1,800
木管五重奏「2つの東洋の絵画」から Spring 春 Spring from 2 Eastern Pictures Gustav Holst 編成はFl.、Ob.、Cl.、Bs.Cl.、Bsn.です。 サックス五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。 20世紀初頭のコミカルな名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/x3OapCoVmhE Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html グスタフ・ホルスト(Gustav Holst 1874年 - 1934年)はイギリスの作曲家です。 10代の頃から作曲を行なっていたホルストは、1893年にロンドンの王立音楽院に入学しました。 王立音楽院ではトロンボーンも学び、卒業後はオーケストラ奏者として生計を立てていたこともありました。 また、この時に同郷の作曲家であるヴォーン・ウィリアムズと知り合いました。 ホルストはイングランド各地の民謡や東洋的な題材を用いた作品や吹奏楽曲を多く作曲したことでも知られています。 1905年からはセント・ポール女学校の教師として働くことになりました。 女学校では防音装置を備えた専用の部屋を与えられ、ホルストは音楽教師の仕事をしながら作曲活動を行いました。 1934年に出血性胃潰瘍のためロンドンにて亡くなりました。59歳没。 ホルストは1895年ごろからはインド文学に傾倒するなど、東洋の文化に非常に興味をしましました。 そして、古代インドの聖典であるリグ・ヴェーダの讃歌にもとづく合唱曲を発表しています。 また、日本を題材とした「日本組曲」という曲を作曲しています。 組曲「惑星」も、惑星を題材としているが天文学ではなく占星術から着想を得たものになっています。 ホルストはオーケストラだけではなく、吹奏楽曲の作曲家としても広く知られています。 ホルストが作曲した吹奏楽作品で、最も有名なものは「吹奏楽のための第1組曲」です。 また、イギリスではブラスバンド(金管バンド)が盛んであるためか、ブラスバンドのための曲も作曲されています。 「2つの東洋の絵画」(H112)は、1911年に作曲された作品です。 インドの詩人カーリダーサの「季節のめぐり(リトゥ・サンハーラ)」を ホルストが英語に翻訳しテキストに使った女声合唱とハープのための作品です。 「春」は、枝々についた花と池に浮かぶ花、 そしてそこで恋を楽しむ少女たちの情景が描写された詩です。 ハープの軽快な伴奏に乗り、女声合唱が春の来た楽しい感じを歌います。 中間部で曲調が変わり、再び最初の旋律が現れて終わります。 「夏」は、神秘的なハープの伴奏に乗って、ハミングで始まります。 そのあと続く合唱はたくさんの星たちと月が輝く夜の中、 少女たちがくつろぐ情景を歌っていきます。 最後もハミングで神秘的な雰囲気の中で終わります。 Spring Two Eastern Pictures Spring the warrior hither comes, Bowstring formed by rows of bees. And his darts tipp'd with buds Wound our hearts with sweet lovelonging. Now the trees put forth their flowers, On the lakes the lilies fair Show their heads midst the waves Melting hearts with sweet lovelonging. What fair maid can vie with Spring? What sweet voice the cuckoo's song? Or smiling teeth the jasmine's hue? Or rosy lips the op'ning flowers? Bending down with blushing buds, Flaming mango branches wave To and fro with the breeze Filling hearts with sweet lovelonging. And within the lotus flower Dwells her love, the murm'ring bee Who with kiss and embrace Satisfies her sweet lovelonging. 春 2つの東洋の絵画 春 あの戦士がここにやってくる 弓のつるが鳴る ミツバチの列によって そして春の矢はつぼみを射抜き 私たちの心を傷つけた 甘い恋で 今 木々は花を咲かせ、 湖の上 美しきユリは 頭を見せる 波の中で 心を溶かすのだ 甘い愛の憧れで どんな美しい乙女が競えるのだ 春と? どんな甘い声なのだ カッコウの歌は? あるいはほほ笑む歯が ジャスミンの色合いの? あるいはバラ色の唇か 咲いた花の? 顔を赤らめてつぼみを垂らす 燃えるようなマンゴーの枝の波 あちこちのそよ風と共に 心を満たすのだ 甘い愛の憧れで 蓮の花の中には 愛が住む つぶやくハチが キスと抱擁で 満たすのだ 花の愛の憧れを Summer Two Eastern Pictures The fierce glaring day is gone. Gentle night hath spread her mantel cool and refreshing, lit by rays of a thousand stars and by the golden moon. The moon shineth on yon roof. Here lie maidens,crowned with jasmine, clad in silk rayment, on their ankles are rings that tinkle sweetly as they move. Wafted by jewelcovered fans, sweetest perfume floats o'er each breast. Song and harp unite with warbling birds to rouse from sleep the god of love. 夏 2つの東洋の絵画 激しく灼けつく日は去った 穏やかな夜はそのマントを広げた 涼しく爽やかに 千の星たちの光に照らされて そして黄金の月に 月は輝く 屋根の向こうに 横たわる乙女たち ジャスミンの冠と シルクのレイメントに覆われて 足首にはリングがあって 甘く鳴り響く 彼女たちが動くたびに 宝石で覆われた扇にあおがれて 甘い香りが漂う めいめいの胸へと 歌とハープとさえずる鳥たちとひとつになって 眠りから目覚めさせる 愛の神を アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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サックス五重奏「ブーレ I/II」(バッハ)楽譜
¥2,000
サックス五重奏「ブーレ I/II」(バッハ) 無伴奏チェロ組曲 第3番ハ長調 BWV1009から Johann Sebastian Bach (Bourree I/II)BWV1009-5 編成はソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。 金管五重奏、クラリネット五重奏、木管五重奏版は発売中です。 バッハによる幸福に満ちた作品を演奏で味わいたいものです。 コンサートピースの小品に、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/e20p5M97piE Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲は分散和音で奏されるチェロの豊かな響きが心に残る冒頭部分は大変有名で、曲名は知らずとも多くの方が聞き覚えのある旋律だと思います。 組曲全6曲が書かれた年代については、ケーテンの宮廷楽長時代(1717~23年)の前期と推定されています。 組曲の構造はバッハのクラヴィーア曲(例えば《イギリス組曲》等)と同様に、定型であるアルマンド/クーラント/サラバンド/ジーグの4つの舞曲形式を基本として、 加えて第1曲に前奏曲、最後のジーグの前の第5曲にメヌエット・ガボット・ブーレのいずれかの流行舞曲を取り入れた形に統一されています。 1717年、バッハは32歳の時にケーテンの宮廷楽長に迎えられました。 当地の侯爵は音楽に理解が深く、優れた奏者を抱え、自らも楽器を嗜むほどでした。 その恵まれた環境の中でバッハは管弦楽組曲、ブランデンブルク協奏曲など器楽の傑作を数多く生み出したのです。 さらには実験的な創作の挑戦も許され、無伴奏のヴァイオリンおよびチェロで豊かな和声と精巧な対位法を併せ持った壮大な世界を創造したのでした。 これまで伴奏に従事していたチェロが独奏楽器として扱われはじめたころで、その独奏も伴奏付きだったから、やはりバッハは並はずれた作曲家ですね。 第3番はチェロが明るく、そして存分に鳴り響くハ長調で書かれ、雄大な音楽を聴かせます。 前作第2番の悲劇的な楽想とは対照的です。 第2番を創作するころに最初の妻マリア・バルバラと死別してしまいます。その深い哀しみを第2番で吐露しました。 そして数人の子どもを抱えて途方に暮れていたことでしょう。 しかしほぼ1年半後には同じ宮廷の歌手であったアンナ・マクダレーナを迎えることができたのです。 マクダレーナは優れた音楽家でるばかりか、バッハの仕事を支えた良妻だったのです。 その幸福で揚々たる心境が楽曲の隅々までに満ちています。 「組曲」とは一般的に何種類かの舞曲を並べたもののことで、16世紀から18世紀頃の間に流行した音楽形式です。 この形式はバロック時代の終焉とともにすたれていき、わずかにメヌエット楽章などにその痕跡を残すことになります。 その後の時代にも組曲という名の作品はありますが、それはこの意味での形式ではなく、交響曲ほどの厳密な形式を持つことのない自由な形式の作品というものになっています。 この二通りの使用法を明確に区別するために、バッハ時代の組曲は「古典組曲」、それ以後の自由な形式を「近代組曲」と呼びます。 バッハは、ケーテンの宮廷楽長をつとめていた時代にこの組曲形式の作品を多数残しています。 この無伴奏のチェロ組曲以外にも、無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ、無伴奏フルートのためのパルティータ、そして管弦楽組曲等です。 ヴァイオリンの組曲はシャコンヌに代表されるようにポリフォニックな表現を追求していますが、チェロ組曲では重音や対位法的な表現は必要最小限に限定されています。 チェロとヴァイオリンでは演奏に関する融通性が違い単純な比較はできません。 この素晴らしい作品がカザルスが古道具屋で偶然に楽譜を発見するまで埋もれていたのです。 今日ではチェロの旧約聖書とも言われるこの無伴奏チェロ組曲ですが、バッハの他の作品同様にその死後は長い間日の目を見ることはありませんでした。 この作品に再びスポットライトを当てたのは20世紀を代表するチェロの巨匠、パブロ・カザルス(1876-1973)でした。 1890年、スペイン、バルセロナの店で当時13歳のカザルスは偶然にこの曲の楽譜を手にします。 1904年にはパリで全曲演奏会を開き、1936~39年にはレコーディングをするなど、その価値を再発見し広く世に紹介したことでも有名です。 カザルスは生涯をかけて無伴奏チェロ組曲と向き合い続けた音楽家で、彼の存在なくしてこの作品が今日の認知度を得られたかどうか疑わざるを得ません。 組曲の中で最も演奏機会の多い作品がこの3番です。 ハ長調という調性がチェロにとっては演奏しやすく、そのために4声和音を生かした低音の響きが容易に引き出せるために演奏効果が上がりやすいという事情があります。 また、細かい音符の流れの中にト音が執拗に繰り返されることからくる効果は絶大で、冒頭の前奏曲に何とも言えない力強さと迫力を与えています。 持続低音(オルゲルプンクト)の効果が絶大に発揮された部分です。 第5曲 ブーレ I/IIは第3番の中で一番知られている曲です。速いテンポの中にも落ち着いた風情があります。三部形式、2分の2拍子で書かれています。 この曲はヴァイオリンの教則本にも、伴奏付きでヴァイオリン用に編曲されて載っている有名な曲です。演奏会用の小品として奏される機会も多く見られます。 ブーレⅡでは一転して短調になります。ここは、今までの盛夏の景色から変化して、ちょっと秋の気配を感じる雰囲気です。 舞い散る木々の葉を思い起こさせる様相です。 バッハが愛妻家だったことは誰もが認めるところですが、最初の結婚は1707年で、相手は従妹のマリア・バルバラでした。 バッハ22歳、バルバラ23歳の頃です。ふたりの間には7人の子供ができたほど、仲睦まじかったようです。 バッハはドイツでも有名な、代々音楽家を輩出した家系ですが、バッハの息子も4人が高名な音楽家になっています。 そのうち、バルバラとの間に生まれたのはヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(1710~1784)と、 カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714~1788)です。 ケーテン時代、バッハが侯爵のお供で保養地に出張している間に、妻バルバラは急死してしまいました。 帰宅した日の10日前にはすでに埋葬されていました。 翌1721年、バッハに縁談があり、宮廷トランペット奏者の娘でソプラノ歌手のアンナ・マグダレーナと結婚しました。 バッハ36歳、アンナ20歳の頃です。アンナ・マグダレーナは、内助の功を上げた、良妻賢母とたたえられる女性です。 4人の子持ち男バッハとの再婚なのに、家事・子育てのみならず、音楽的才能を存分に活かして彼の活動の手伝いをしました。 バッハの作品の写譜もたくさん行ったのですが、筆跡もそっくりで、後世の研究者を悩ませました。 最初の妻、バルバラは年上の妻でもあり、対等な関係の夫婦だったのに対して、アンナとはかなり年が離れていました。 アンナは夫を深く尊敬していて、バッハは若いアンナの魅力に惚れ込んだと伝えられます。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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金管五重奏 マルシェ・ポンティフィカーレ(賛歌と教皇の行進曲)楽譜
¥1,800
金管五重奏 マルシェ・ポンティフィカーレ(賛歌と教皇の行進曲) Marcia Pontificale Charles Gounod 編成はTp.2本、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。 サックス五重奏版、木管五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。 神々しいバチカンの雰囲気漂う作品をコンサートピースのオープニングに、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/r8SBsXpiV6E Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 賛歌と教皇の行進曲(さんかときょうこうのこうしんきょく、ラテン語: Hymnus et modus militaris Pontificalis、イタリア語: Inno e Marcia Pontificale)は バチカンで国歌に準じて演奏される歌です。通称Inno(賛歌)、教皇歌、教皇行進曲、教皇賛歌とも呼ばれています。 アントニオ・アッレグラ (Inno e Marcia Pontificale、Antonio Allegra) 作詞、シャルル・グノー (Charles Gounod) 作曲の作品です。 シャルル・フランソワ・グノー(Charles Francois Gounod,1818年6月17日 - 1893年10月18日)は、フランスの作曲家です。 ゲーテの『ファウスト』第1部に基づく同名のオペラで有名です。このバチカンの実質的な国歌である『賛歌と教皇の行進曲』を作曲したことでも知られています。 1870年から1875年まで、グノーは戦乱を避けてイングランドに過ごし、のちの王立合唱協会(ロイヤル・コーラル・ソサエティ)の首席指揮者を務めました。 この頃から、グノー作品の多くが実質的に声楽曲や合唱曲となりました。 グノーは後半生において主に宗教曲を手掛けていますが、中でもバッハの『平均律クラヴィーア曲集』第1巻第1曲の前奏曲に旋律をかぶせた『アヴェ・マリア』は有名であり、 『グノーのアヴェ・マリア』と称されています。 《歌詞》 イタリア語版 賛歌 Roma immortale di Martirie di Santi, Roma immortale accogli i nostri canti: Gloria nei cieli a Dio nostro Signore, Pace ai Fedeti, di Cristo nell'amore. A Te veniamo, Angelico Pastore, In Te vediamo il mite Redentore, Erede Santo di vera e santa Fede; Conforto e vanto a chi combate e crede, Non prevarranno la forza ed il terrore, Ma regneranno la Verita, l'Amore. 教皇の行進曲 Salve Salve Roma, patria eterna di memorie, Cantano le tue glorie mille palme e mille altari. Roma degli apostoli Madre e guida dei Rendenti, Roma luce delle genti, il mondo spera in te! Salve Salve Roma, la tua luce non tramonta, Vince l'odio e l'onta lo splendor di tua belta. Roma degli Apostoli Madree guida dei Redenti, Roma luce delle genti, il mondo spera in te! ラテン語版 賛歌 O felix Roma - O Roma nobilis. Sedes es Petri, qui Romae effudit sanguinem, Petri, cui claves datae sunt regni caelorum. 2 Pontifex, Tu successor es Petri; Pontifex, Tu magister es tuos confirmas fratres; Pontifex, Tu qui Servus servorum Dei, hominumque piscator, pastor es gregis, 3 ligans caelum et terram. Pontifex, Tu Christi es vicarius super terram, rupes inter fluctus, Tu es pharus in tenebris; Tu pacis es vindex, Tu es unitatis custos, 4 vigil libertatis defensor; in Te potestas. Tu Pontifex, firma es petra, et super petram hanc aedificata est Ecclesia Dei. O felix Roma - O Roma nobilis. 教皇の行進曲 :Roma, alma parens, Sanctorum Martyrumque, Nobile carmen, te decet, sonorumque, Gloria in excelsis, paternae maiestati Pax et in terra fraternae caritati Ad te clamamus, Angelicum pastorem: Quam vere refers, Tu mitem Redemptorem! Magister Sanctum, custodis dogma Christi, Quod unum vitae, solamen datur isti. Non praevalebunt horrendae portae infernae, Sed vis amoris veritatisque aeternae. Salve, Roma! In te aeterna stat historia, Inclyta, fulgent gloria Monumenta tot et arae. Roma Petri et Pauli, Cunctis mater tu redemptis, Lumen cunctae in facie gentis Mundique sola spes! Salve, Roma! Cuius lux occasum nescit, Splendet, incandescit, Et iniquo oppilat os. Pater Beatissime, Annos Petri attinge, excede Unum, quaesumus, concede: Tu nobis benedic. 日本語訳 おお幸福なるローマ おお幸福にして最も高貴なるローマ おお幸福なるローマ 幸福なるローマ 高貴なるローマ 汝はペトロの王座であり ペトロはキリストの地を得た 汝はペトロの王座であり ペトロは平和の使者なり 我らは常に教皇と共にあり 常に同胞を導く方で在り続けんことを 我らは常に教皇と共にあり 常に同胞を導く方で在り続けんことを 教皇は我らの礎 我らの力 漁師たちよ 汝は天と地を結ぶ羊飼いである ペトロ 汝は地上におけるキリストの司教であった 波の中に在りし岩よ 汝こそが道標であり真実である 汝こそがキリストの愛なり 汝こそが団結への守護者なり 自由を守る準備をせん 汝の中に全ての権威がある ペトロ 汝は地上におけるキリストの司教であった 波の中に在りし岩よ 汝こそが道標であり真実である 汝こそがキリストの愛なり 汝こそが団結への守護者なり 自由を守る準備をせん 汝の中に全ての権威がある おお高貴なるローマよ おお幸福にして最も高貴なるローマよ! アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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クラリネット五重奏 エクスパンシーヴァ(気さくに)ワルツ 楽譜
¥2,100
クラリネット五重奏 エクスパンシーヴァ(気さくに)ワルツ Expansiva, Valsa エルネスト・ナザレ Ernesto Julio Nazareth 編成はCl.4本、Bs.Cl.です。 木管五重奏、サックス五重奏版、金管五重奏版は発売中です。 「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/iEf3IEr2b_c Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html Expansiva, Valsa エクスパンシーヴァ(気さくに)、ワルツ 変ニ長調の落ち着いた上品なワルツです。Bメロは変イ長調。Cメロは変ト長調で、8分音符分散和音が拡がりを見せます。 この音の拡がり(=expande)のイメージからExpansivaという題名がついたという説もあります。 全体的にどの部分の旋律も半音階的で複合調性のような不思議な感覚を味わえます。 この点でもふんわりとした拡がり(=expande)を感じさせてくれるのではないでしょうか。 「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を知らずしてブラジル音楽は語れません。 南国ののどかな風光と、アフリカの野性的なエネルギーと、ロマンティシズムが渾然と混じり、甘美で、ちょっぴり切ない独特の音楽が聞こえてきます。 ミニョーネはこう述べている。「私は1917年頃にEduardo Soutoの楽譜店でナザレに会ったことがある。ナザレは自作曲を決して急がず、 カンタービレで弾いていた。彼はこう言っていたよ、『私の作品はあちこちでメチャメチャに弾かれている。みんな速く弾きすぎだ。 特に "Apanhei-te, Cavaquinho" は酷いことになっている。あの曲はゆっくりと、左手はカヴァキーニョを思い浮かべてアルペジオで弾くもんだ』と。」 エルネスト・ジュリオ・ナザレー (Ernesto Julio Nazareth (またはNazare とも), 1863年3月20日 - 1934年2月4日)は、ブラジルのピアニスト・作曲家です。 一生をリオ・デ・ジャネイロで過ごしました。「ブラジル風タンゴ」やショーロなど、国内の民族音楽に影響されたピアノ曲を量産しました。 そのような作曲姿勢から、しばしば「ブラジルのショパン」と呼ばれています。ピアノ以外の音楽教育は学ばなかったため、 残された作品はサロン小品と声楽曲ばかりであり、管弦楽曲や室内楽・カンタータやオラトリオのような分野の大作はなく、作曲技法も必ずしも洗練されていません。 しかしながら、民衆音楽の影響のもとに切り開いた独自の素朴な詩境は、のちにヴィラ=ロボスから、「ブラジルの魂」と称賛されました。 中産階級ながらもあまり豊かでない下級官吏の家庭に生まれ、ショパンを愛する母親からピアノの手ほどきを受けました。 早い年齢でたぐい稀な音楽的才能が認められ、家族ぐるみで付き合いのあったアフロ=アメリカンの作曲家、 リュシアン・ランベールにも音楽の手ほどきを受けました。 1873年に母親が亡くなってからもピアノを学び、間もなく作曲も手がけるようになりました。 最初の出版作品のポルカ『ボセ・ベン・サービ"Voce Bem Sabe"』 (あなたはよく御存知)は、14歳になるまでに作曲・出版されました。 その後は、ショーロの楽士たちとたむろして、敏感で独特なリズム感を身につける。マシシェ maxixe やルンドゥ lundu 、ショーロ choro 、 アフリカ系住民のダンスなど、さまざまな民族舞曲に影響されました。 長年ナザレーは、映画館オデオン座の待合室でピアニストとして働き、ここで最も有名な作品の一つ『オデオン』を作曲しました。 外国から数少ない音楽家がブラジルを訪問した際、オデオン座のナザレーの演奏を見学したといわれています。 1920年代初頭には、音楽ショップにピアニストとして雇われました。顧客が購入する際に持ち寄ってきた楽譜を見ながら、演奏し、 客の要望に沿うかどうかを確認して見せるのが任務でした。客の中に、ナザレー作品の楽譜を手ずから弾こうとする者がいると、止めさせて、 解釈が誤っていると苦情を言うのが常だったそうです。 ナザレーは、心底からのブラジル人音楽家であり、音楽は楽しまれるべきであるとして、それ以上を望みはしませんでした。 ほとんど独学であり、音楽活動のほとんどは、劇場や映画館の伴奏ピアニストとして、あるいは小劇場のアンサンブルでのピアニストとして、 演奏するのに振り当てられました。 そのような劇場アンサンブルの楽団員の知り合いには、後の大作曲家ヴィラ=ロボスがいて、当時はチェリストとして活動していました。 ナザレーはショーロの発展のおおもとであり、ヴィラ=ロボスは、これに基づき、後に自らの創作活動を繰り広げていったのです。 ナザレーは、ブラジルの民族音楽以外にも明らかに影響されていて、子供時代にむさぼるようにして学んだショパンの影響が中でも顕著です。 また、1869年にきら星のようにリオ・デ・ジャネイロにデビューして、瞬く間にブラジル楽壇を席巻したゴットシャルクの作風もナザレーにはお馴染みでした。 作品には、19世紀ヨーロッパのクラシック音楽の豊かな和声法がこだましながら、ナザレーの生地ブラジルの、シンコペーションをともなう 民族舞曲のリズム法に織り込まれてゆくのが認められます。そのうえ、アメリカ合衆国のラグタイムや初期のジャズの、小気味よいリズム感も健在である。これらの要素を統合して一つの有機体へとまとめ上げたことがナザレー独自の能力で、結果的には、ピアノ曲のレパートリーだけでなく、20世紀の音楽にも重要な貢献を果たしている。 ナザレーはショパンやその他のヨーロッパの作曲家から霊感を受けたように、逆に自らも、間接的とはいえ、ヨーロッパの作曲家に何かしらの影響を与えています。 フランス人作曲家のダリユス・ミヨーは、自伝の中で、ブラジル滞在中にリオ・デ・ジャネイロの映画館でナザレーがピアノを演奏する風景を回想しています。 ミヨーはその音楽のリズムにたちどころに虜となって、ブラジル音楽をきわめてやろうと決心したというのです。 その最終的な成果こそが、ミヨーのピアノ曲『ブラジルの想い出 Saudades do Brasil』でした。 ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ばれていますが、作品に副題を好んでつけた点で、ショパンとは違っています。 ショパンやフォーレよりもヨーロッパのサロン音楽の伝統に忠実だったといえます。 しかしながら19世紀から20世紀初頭まで、ヨーロッパではサロン小品にフランス語の題名をつける慣習がまだ根強く残っていたのに対して、 ナザレーは母語のポルトガル語に固執しました。 また題名によって、ドビュッシーやラヴェルのように、美術や文学からのインスピレーションをほのめかしたり、 リストのように詩的な連想を暗示することもありませんでした。 ナザレーの曲名には、しばしば第三者にとって謎めいた響きをもつものもありますが、それらは実在するスポーツチームやダンスクラブ、雑誌名など、 ナザレーの日常生活の周辺から切り取られたものばかりです。このような意味で、ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ぶよりは、むしろ 「ブラジルのクープラン」と呼んでこそふさわしいかも知れません。 およそ300曲のピアノ小品において、ナザレーはみごとに、大衆的なブラジル舞曲のエッセンスを捕まえています。 ナザレーは、厳密には都会の聴衆のために作曲したのですが、その作品には、(ブラジルで奴隷制が廃止された1888年以降の作品でも、) アフリカ系民族音楽の豊かな影響が息づいています。ほとんどの曲に、スコット・ジョプリンが発想したようなシンコペーションが使われています。 ナザレーのピアノ曲には、ブラジルのありとあらゆるダンスが盛り込まれています。マシシ(英語版)、バトゥーキ(英語版)、 サンバ、 そして中でも重要なのがタンゴです。後に世界中を熱狂させ、席巻したタンゴが、ブラジル生まれだったというだけでなく、 実際にはナザレー自身の創り出したジャンルだったという証拠になるからです。 もしそれが間違いだったとしても、「ブラジル風タンゴ」の発展のほとんどにナザレーがかかわっていて、このジャンルに優に100曲を残しています。 最も有名な作品に、『ブレジェイロ(ろくでなし)"Brejeiro"』『アメノ・ヘゼダ"Ameno Reseda"』『バンビーノ(赤ん坊)"Bambino"』 『トラベッス(腕白坊主)"Travesso"』『フォン・フォン"Fon-Fon"』『テネブローズ(暗闇)"Tenebroso"』があります。 ナザレーが初めて「ショーロ」と呼んだ作品のうち、『アパニェイチ・カヴァキーニョ(頑張れカバキーニョ)"Apanhei-te Cavaquinho"』は、 さまざまな楽器アンサンブルによって演奏できる、古典的名作です。 晩年になって完全に聴覚を失うと、創作活動にも支障をきたしましたが、それでもブラジル国内ではなかなかナザレー人気は衰えませんでした。 ゴットシャルクやジョプリンを評価する人たちなら、ナザレーの残した魅力的な宝石たちをきっとたちまち気に入るに違いありません。 作曲者の死後から半世紀を経た近年になって、ナザレー作品を集めたアルバム制作が世界的にも相次いでいて、最近では伝記や、 作曲者に関するCD-ROMも発表されています。ナザレーは、クラシックとポピュラー音楽にまたがって活動したことから、ナザレーのピアノ曲は、 クラシックの学び手にも、ポピュラー音楽の学び手にも、有用な教材とされつつあります。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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Solo+木管四重奏 ジョスランの子守唄 楽譜
¥2,200
Solo+木管四重奏 ジョスランの子守唄 Berceuse de Jocelyn バンジャマン・ルイ・ポール・ゴダール Benjamin Louis Paul Godard 編成はFl.、Ob.、Cl.、Bsn.およびSoloパートです。Fl.パートはOb.でも演奏可能です。 同梱のSoloパート楽譜はin F版(Hn.)、 in C版(Ob.、Mallet Perc.など)、 in C-Fl.版(Fl.、Pic.)、 in C低音版(Eup.、Bsn.、Tbn,、St.Bs.など)、 Tubaは1オクターブ下げて演奏できます。 in B版(Tp.、Cl.、Bs.Cl.、Sop.Sax.、T.Sax.など)、 in Es版(Es Cl.、A.Sax.、B.Sax.など)が含まれています。 多くの楽器がSoloを担当し、伴奏は下の編成も含め4種類から選ぶことができます。 金管四重奏版、クラリネット四重奏版、サックス四重奏版は発売中です。 フランスのロマン派を味わえる美しい名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/AkHg8pHE59Y Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html バンジャマン・ルイ・ポール・ゴダールは、 1849 年パリに生まれ、1895 年カンヌで亡くなったフランスのヴァイオリニストであり、作曲家でした。 パリ音楽院において、ヴェータンにヴァイオリンを、ルベルに作曲を師事します。室内楽団でヴァイオリンまたはヴィオラを演奏するとともに、 作曲家としてもヴァイオリンやピアノのための作品から管弦楽曲、オペラまで幅広く手がけています。 1887 年からパリ音楽院室内楽科教授となりました。 オペラ「ジョスラン」の子守歌は特に有名です。 ジョスランの子守唄 バンジャマン・ルイ・ポール・ゴダール (1849 ~ 1895)フランス Benjamin Louis Paul Godard パンジャマン・ルイ・ポール・ゴダールは 1849 年パリに生まれ、 1895 年に亡くなった、フランスの作曲家です。 1878 年パリ市の作曲コンテストで「劇的交響曲」が1位に入賞して、その名を世に知られるようになりました。 その後、歌劇を手がけ、この子守歌で知られる「ジョスラン」、「酒保商人」などを書いています。 ジョスランの子守歌 ゴダール 歌詞の意味・日本語訳・原曲のフランス語の歌詞 『ジョスランの子守歌 Berceuse de Jocelyn』(ベルスーズ・ドゥ・ジョスラン)は、19世紀フランスの作曲家ゴダールによる オペラ『ジョスラン Jocelyn』中のアリア(歌)です。 オペラ『ジョスラン』が今日上演される機会はほとんどなく、『ジョスランの子守歌』だけが独立した楽曲として単独で演奏されるほか、 安眠・リラックス系クラシック音楽CDの一曲としてコンピレーション・アルバムに収録されることがよくあるようです。 日本では古くから唱歌として歌われており、『流浪の民』、『ローレライ』、『野ばらの名訳で知られる訳詞家の 近藤 朔風(こんどう さくふう/1880-1915)による歌詞が現代まで伝えられています。 世界遺産モン・サン=ミシェル修道院(Mont Saint-Michel)でもフランス革命時に特権階級の聖職者は迫害され、 モン・サン=ミシェル修道院は廃止されました。1863年まで国の監獄として使用されていました。 "Berceuse" from Jocelyn - Summer Watson 訳詞:近藤 朔風 むごきさだめ 身に天降(あも)りて 汝(なれ)と眠る のろわれの夜(よ) 胸のうれい ゆめに忘れん 祈らばや ゆらぐ星のもと 夢のまきまきに あこがれよ み空へ 眠れいとし子よ 眠れ今は小夜中(さよなか) あゝ夢ぞいのち マリアよ守りませ 愛のつばさに おおわれつ わが来し方(こしかた) かえりみれば 流れたゆとう 波にも似たり あわれいく日 祈りに泣きぬ 夢のまきまきに あこがれよ み空へ 眠れいとし子よ 眠れ今は小夜中 あゝ夢ぞいのち マリアよ守りませ 近藤 朔風による『ジョスランの子守歌』の訳詞を見てみると、「むごきさだめ(惨き運命)」、「のろわれの夜(呪われの夜)」、 「胸のうれい(憂い)」などと、冒頭から子守歌らしからぬ、ただならない雰囲気が漂っています。 「祈り」「マリア」といったキリスト教を連想させるキーワードが使われていて、キリスト教に関連する過酷な運命の歴史が 暗に示されている歌詞です。 原曲:フランス語の歌詞・日本語訳 Berceuse de Jocelyn Couches dans cet asile Ou Dieu nous a conduits Unis par le malheur Durant les longues nuits Nous reposons tous deux Endormis sous leurs voiles Ou prions aux regards Des tremblantes etoiles ! 神がお導きになった この安らぎの場所に隠れて 不幸ばかりの 永い夜を 二人で休もう 瞬く星が守ってくれる ベールの下で眠ろう Oh ! Ne t'eveille pas encore Pour qu'un bel ange de ton reve En deroulant son long fil d'or Enfant, permette qu'il s'acheve あぁ、まだ起きないで 君の夢の中に現れる美しい天使が 長い金の糸を巻き取る間 御子よ、天使がそれを終えるまで Dors ! dors ! Le jour a peine a lui ! Vierge sainte, veillez sur lui ! 眠れ、眠れ、人生はほんのわずかのこと マリアよ、人生を見守ってくれ Sous l'aile du Seigneur Loin du bruit de la foule Et comme un flot sacre Qui doucement s'ecoule, Nous avons vu les jours Passer apres les jours Sans jamais nous lasser D'implorer son secours ! 神の安らぎのもと 雑踏の騒がしさから離れて まるで聖なるしずくがゆっくりと流れるように 私たちは毎日を過ごした 助けを請い願うこともなく ジョスラン(オペラ) フランス革命で立ち上がった貧しい市民達 聖職者・貴族が標的に オペラ『ジョスラン Jocelyn』は、19世紀フランスの作曲家ゴダールによる全4幕のオペラ・歌劇。1888年に初演されました。 今日上演される機会はほとんどなく、同作中のアリア『ジョスランの子守歌 Berceuse de Jocelyn』だけが独立した楽曲として単独で演奏されています。 オペラ『ジョスラン』のあらすじ・ストーリーは、フランスの詩人・政治家アルフォンス・ド・ラマルティーヌ(Alphonse de Lamartine/1790-1869)の 長編詩に基づいています。 舞台は18世紀末のフランス。聖職者の主人公ジョスランは、過激化するフランス革命の荒波にのまれ、山で数奇な逃亡生活を送ることになります。 ストーリーは「フランス革命」「聖職者」「逃亡生活」というキーワードがあらすじの大きな柱となっています。 フランス革命と追われる聖職者の歴史 フランス革命以前の身分制度「アンシャン・レジーム」では、国民は三つの身分に大別されていました。 第一身分は聖職者、第二身分は貴族、第三身分は市民や農民です。このうち第一身分と第二身分はいわゆる特権身分であり、免税特権を持っていました。 1789年のフランス革命により第三身分の第三身分の市民・農民たちが立ち上がると、貴族や聖職者たちは革命軍の標的となり、 1793年にはルイ16世とマリー・アントワネットはパリのコンコルド広場でギロチンで公開処刑されました。 特権身分のキリスト教は徹底的に弾圧され、聖職者追放と教会への略奪・破壊が横行しました。 1793年11月にはフランス全土でミサの禁止と教会の閉鎖が実施され、祭具類はことごとく没収されて造幣局で溶かされました。 オペラ『ジョスラン』の主人公である聖職者のジョスランも、このフランス革命のあおりを受けて山岳地帯へ逃亡しました。 『ジョスランの子守歌 Berceuse de Jocelyn』はその逃亡中の山の中でジョスランが歌った歌なのでしょう。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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サックス四重奏 グリーグ :抒情小品集 第4集 Op.47-3 楽譜
¥1,400
サックス四重奏 グリーグ :抒情小品集 第4集 Op.47-3 メロディー Lyriske smastykker No.4 op.47-3 Melodie Grieg, Edvard Hagerup 編成はソプラノ、アルト、テナー、バリトンです。 金管四重奏、クラリネット四重奏、木管四重奏版は発売中です。 ノルウェー色が豊かな名曲をコンサート・ピースなどに、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/YWo2ZML6Uxc Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html グリーグはベルゲンというオスロに次ぐ大都市に5人兄弟の第4子として生まれました。 幼少より母親からピアノを習いはじめ、15歳から18歳までは、ドイツのライプツィヒ音楽院で作曲とピアノを学び、 メンデルスゾーンやシューマンらの影響を受けました。 音楽院を卒業後は故郷ベルゲンに戻り、さらに翌1863年にコペンハーゲンで ニールス・ガーデ(Niels Gade, 1817年~1890年)から作曲を教わり、国民楽派の影響を受けたと言われています。 彼はノルウェーの民族音楽から着想を得て、国民楽派の作曲家として注目されました。 民族音楽からの深い影響は『ペール・ギュント』第1組曲の第1曲「朝」の冒頭がノルウェーの民族楽器である ハリングフェーレの共鳴弦を端からつま弾いた時の旋律から始まっていることからもうかがうことができます。 グリーグの肖像は、旧500クローネ紙幣に描かれていました。 グリーグはとても小柄であった。生前は卓越したテクニックのピアニストとしても著名で、自作を携えヨーロッパをたびたび演奏旅行している。晩年のアコースティック録音およびピアノロールが残されており、現在もCDで入手できる。 生地であるノルウェーの旧首都ベルゲンの自然と海をこよなく愛しました。 死後に火葬され、遺言によりトロールハウゲンの住居の下にある湖を望む岩壁に墓が設けられ、一部の遺灰は湖に撒かれました。 グリーグは終世、手のひらに乗るぐらいの小さな蛙の置物や子豚のぬいぐるみを大切にし、 寝る時も一緒だったそうです。演奏会の時は、あがらないように、ポケットの中で蛙の置物をそっと握りしめたそうです。 なお、この蛙の置物と子豚のぬいぐるみはグリーグの家(現在のエドヴァルド・グリーグ博物館)に展示されています。 ちょうどこのグリーグが活躍した時代というのは、当時勢いのあったドイツのロマン派音楽が周辺諸国へと波及し、 それぞれの国の民族的要素と融合した新しい音楽様式が生まれましたが、それを音楽史の中では「国民楽派」と呼んでいます。 その背景には、当時鉄道が整備され人々の移動が容易になったことも関係しているのではないかと思われます。 国民楽派の作曲家たちは、自国の歴史や風物、民謡、民族音楽などを題材にした作品を積極的に作りました。 ロシア、ボヘミア地方、北欧などで様々な作曲家たちが活躍し始めるのがこの時期です。 『抒情小曲集』は、エドヴァルド・グリーグが1867年から1903年にかけて作曲した、全66曲からなるピアノ曲集です。 6~8曲ごとにまとめられて出版され、全10集からなっています。 1867年、《ピアノ協奏曲イ短調 作品16》で一躍有名になったグリーグは、この年から1901年にかけてこの作品集を書き上げました。 抒情小品は生涯にわたって作曲されているため、グリーグの作風、ピアニズム、その変遷すべてがその中にあらわれていて、 作品群の中でも中心的な存在です。 いずれも1分~6分程度の小品で、ステージ用というよりは、主にサロンや家庭で広く親しまれていました。 どの曲にも標題がつけられていて、それぞれの曲に対して、一つの感情、気分、情景が表現されています。 1867年、第1集を発表しましたが、その後ピアノ、作曲、指揮など多忙だったこともあって、第2集が発表されたのは、 その16年後でした。第2集から第10集はある一定の間隔をおきながら続けて作曲されました。 全10巻で、計66曲の作品がおさめられています。 グリーグ : 抒情小品集 第4集 / Lyriske smastykker No.4 op.47 第4集は、第3集の出版からちょうど10年後にあたる1888年に出版された。比較的やさしい技巧で弾くことができた第3集までの作品と比べ、 第4集以降、やや難易度が増しています。また、第3集にみられたような、全曲を通しての内容の一貫性はありません。 1.即興的ワルツ / op.47-1 "Valse-Impromptu":民族的な舞曲のリズムにのせて、どことなく物憂げで神経質なメロディがさまようように奏でられます。 Strettoの部分は即興的で、非常に煌びやかな効果をあげています。全体的に単調にならないよう、ハーモニーの変化を感じて演奏しましょう。 2.アルバムのページ / op.47-2 "Albumblad":なにか輝かしい良き日の思い出を想わせるような、一曲で、技巧的に難しい曲です。 メロディが中心となる主要な箇所と、挿入句的なパッセージの部分とは、効果的に雰囲気を分けて演奏しましょう。 3.メロディー / op.47-3 "Melodie":和音が一定のリズムを保ちながら、伴奏をきざみ、その上を憂いにみちた旋律が延々と歌われていきます。 和音の中で、いかに旋律を音楽的に奏でることができるかが重要です。そのために、伴奏のリズムに推進力をもたせることも大切でしょう。 4.ハリング / op.47-4 "Halling":民族的な和声とリズムの面白さが魅力的な曲です。第2集の〈ハリング〉と同じリズムが用いられています。 5度の音程をシンコペーションのリズムで一定に刻み続けます。時に音量を変化させながらも、このリズムをかなり正しく演奏することが、 曲の雰囲気を出す上で重要です。声部ごとに強迫拍の位置が異なっていることも意識して演奏しましょう。 5.メランコリー / op.47-5 "Melankoli":タイトルが示すとおり、ため息のような旋律が欝欝とした様子で静かに奏されます。 各部によって、支えになっている持続音が変化しているので、これを意識して、色合いを変化させていきましょう。 6.スプリング・ダンス / op.47-6 "Springdans":1975年に出版された《家庭音楽集》の中に既におさめられていた曲を改訂した曲です。 舞曲のリズムが刻まれ、その上を活気に満ちた旋律が進んでいきます。大きな跳躍をみせる技巧的な部分、叙情的な中間部など魅力に富んでいます。 中間部の旋律は、比較的あっさりめに演奏するほうが旋律のもつ性格が活かされるでしょう。 和声的な進行を意識し、主要な音の動きを把握して演奏することも大切です。 7.エレジー / op.47-7 "Elegie":旋律につけられているアクセントは、強く、というよりはテヌート気味に奏されます。 物憂げに繰り返される旋律に対して、下降していく和音の色づけにも心を配りたいところです。 中間部では、装飾音を帯びて増やされた音とともに、抑圧された悲しみも、より増していくように感じられます。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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金管四重奏 3つの無言歌 Op.17から第3番 Op.17-3 楽譜
¥1,400
金管四重奏 3つの無言歌 Op.17から第3番 Op.17-3 フォーレ Faure, Gabriel 3 Romances sans paroles Op.17-3 編成はTp.、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。 木管四重奏、サックス四重奏版、クラリネット四重奏版は発売中です。 自然な歌の甘い旋律が魅力的なフォーレの音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/V2nQ2mlosYI Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 3つの無言歌 ガブリエル・フォーレ Gabriel Faure この曲はフォーレのピアノ作品の出発点ともいえます。メンデルスゾーンの影響を受けたと考えられています。 「ロマンス」と言われることもあります。 ピアノの小品はロマン派時代に花咲きました。性格的小品という、キャラクター・ピースを直訳した名前でひとくくりにされることもありますが、 実際にはそれぞれの小品の種別で呼ばれることがほとんどです。この名前をつけたのはショパンに最も多くの作品があります。 メンデルスゾーンの「無言歌」(原題はLieder ohne Worte)は有名で、さらに「春の歌」や「ヴェニスの舟歌」など 別の標題がついている曲も多くあります。 フォーレの無言歌Op.17 は三曲からなり、メンデルスゾーンの無言歌と似ています。 両手のもつ機能を万遍なく使って、三声を同時に表現しています。 旋律も甘く、自然な歌を表現しています。 この3曲から成る小品集は1863年、フォーレが18歳の頃に作曲されたと考えられています。このフランス語のタイトルは、直訳すると 「言葉を伴わないロマンス」ということになりますが、2曲目にメンデルスゾーンの無言歌集の影響がうかがえることから、《無言歌》と呼ばれています。 1880年に出版されました。初演は、初めの2曲が1881年2月の国民音楽協会でポーリーヌ・ロジェにより、第3曲目が1889年1月の国民音楽協会で カーサ・シャトルジェ嬢により行われています。 第1番は3曲の中では温和な曲です。バリトン歌手レヴィの夫人にあたるフェリックス・レヴィ夫人に捧げられています。 アンダンテ・クァジ・アッレグレットの変イ長調で4分の3拍子。美しくかつゆったりと歌い上げられる右手のメロディーに、 左手が控えめな和音やエコーを奏します。 第2番イ短調は、4拍子で絶えず奏される無窮動風の音型に爽やかな旋律が載せられています。 ロール・ド・レイリッツに捧げられています。ロール・ド・レイリッツは、フォーレがニーデルメイエ校を卒業後、 レンヌで教会のオルガニストを勤めていた時(1866―1869)に知り合った女性です。アレグロ・モルトのイ短調で4分の4拍子のこの曲は、 3曲の中で最も長く、また、メンデルスゾーンの無言歌集の影響も最も色濃くうかがえます。特にそれは、左手の分散和音に乗って歌われる右手の メロディーが、時折分散和音と重複する書法で書かれていることに現れています。 第3番変イ長調は、初期のフォーレの作品のなかでとりわけ有名です。子守唄風のリズムに順次進行に基づくメロディーが大きな弧を描きます。 転調を経て最初のメロディーが回顧される個所はごく自然なカノンとなって現れ、曲を盛り上げています。 フローラン・サリオ夫人に捧げられています。第2曲目に引き続き、左手の分散和音に乗って右手のメロディーが優美に歌われます。 冒頭の部分は、《ドリー》の<子守歌>に通じるものが感じられます。メロディーはこの作品の終結近くで再現された際に、 カノンのような手法で巧妙に扱われます。 フォーレはパリのニーデルメイエール古典宗教音楽学校を卒業後は教会オルガニストとして活躍するも、 若い頃のフォーレは態度が悪く仕事を解雇されたり、普仏戦争が勃発し1870年に歩兵隊に入隊する等落ち着かない時期でした。 戦争に勝利し除隊後、パリのサン・シュルピス教会の補助オルガニストとなる。この頃からサン=サーンスのサロンの常連となりました。 ダンディ、ラロ、デュパルク、シャブリエ等と知り合い、1871年発足の国民音楽協会のメンバーとなりました。 以後フォーレの作品はこの協会の音楽会で初演されています。 74年マドレーヌ教会オルガニストに、77年合唱長になりました。 フォーレはリストに出会い、各地を旅してワーグナーのオペラの多くを観て熱中するも、影響を受けることはありませんでした。 83年結婚。85年父の死をきっかけに「レクイエム」に取りかかりました。ほぼ完成した88年に母が亡くなり、完成は1900年に持ち越されました。 合唱長の仕事と個人レッスンのため、作曲は夏期休暇中に限られました。 1877年、5年の交際を経て婚約するも一方的に破棄され、フォーレは深刻な精神的打撃を受けました。 この時期の作品としては、ヴァイオリン・ソナタ第1番作品13、ピアノ四重奏曲第1番作品15、バラード作品19などがあります。 彼は幼少で父が校長をしていた師範学校の教会でハーモニウム(オルガンの一種)を即興的に演奏しました。 10歳でパリのニデルメイェール学校に入学。音楽と宗教教育を特徴とする学校で、11年間ピアノ、オルガン、作曲等を学びました。 1861年からサン=サーンスにピアノを学びました。シューマン、リスト、ワーグナー等当時最新の音楽作品についても講述し、 生涯にわたる友情を築きました。 1892年6月マドレーヌ教会の主席オルガニスト、同年10月パリ音楽院作曲家教授に就任しました。 この頃から演劇音楽を作曲しました。1898年にはメーテルランク作「ペレアスとメリザンド」の劇付随音楽が初演されました。 後に管弦楽による演奏会用組曲に編曲されて広まりました。 ピアノ作品も素晴らしく、作曲家として名声を高めました。 1905年、パリ音楽院の院長に就任。 1907年頃から難聴に悩まされ、次第に聴力を失いました。 第一次世界大戦(1914?1918年)中も音楽院院長としてパリに留まり、作曲家としても重要な作品を生み出しました。 1920年院長の職を退きました。 79歳で亡くなり、国葬をもって遇されました。 弟子にラヴェル、ケックラン、フロラン・シュミット、デュカス、ナディア・ブーランジェ等の作曲家が名を連ねています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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クラリネット五重奏 グリーグ :抒情小品集 第4集 Op.47-2 楽譜
¥1,800
クラリネット五重奏 グリーグ :抒情小品集 第4集 Op.47-2 アルバムのページ Lyriske smastykker No.4 op.47-2 Albumblatt Grieg, Edvard Hagerup 編成はBbクラリネット4本、バスクラリネットです。 サックス五重奏、金管五重奏、木管五重奏版は発売中です。 ノルウェー色が豊かな名曲をコンサート・ピースなどに、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/lBhXDovG3IE アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html グリーグはベルゲンというオスロに次ぐ大都市に5人兄弟の第4子として生まれました。 幼少より母親からピアノを習いはじめ、15歳から18歳までは、ドイツのライプツィヒ音楽院で作曲とピアノを学び、 メンデルスゾーンやシューマンらの影響を受けました。 音楽院を卒業後は故郷ベルゲンに戻り、さらに翌1863年にコペンハーゲンで ニールス・ガーデ(Niels Gade, 1817年~1890年)から作曲を教わり、国民楽派の影響を受けたと言われています。 彼はノルウェーの民族音楽から着想を得て、国民楽派の作曲家として注目されました。 民族音楽からの深い影響は『ペール・ギュント』第1組曲の第1曲「朝」の冒頭がノルウェーの民族楽器である ハリングフェーレの共鳴弦を端からつま弾いた時の旋律から始まっていることからもうかがうことができます。 グリーグの肖像は、旧500クローネ紙幣に描かれていました。 グリーグはとても小柄であった。生前は卓越したテクニックのピアニストとしても著名で、自作を携えヨーロッパをたびたび演奏旅行している。晩年のアコースティック録音およびピアノロールが残されており、現在もCDで入手できる。 生地であるノルウェーの旧首都ベルゲンの自然と海をこよなく愛しました。 死後に火葬され、遺言によりトロールハウゲンの住居の下にある湖を望む岩壁に墓が設けられ、一部の遺灰は湖に撒かれました。 グリーグは終世、手のひらに乗るぐらいの小さな蛙の置物や子豚のぬいぐるみを大切にし、 寝る時も一緒だったそうです。演奏会の時は、あがらないように、ポケットの中で蛙の置物をそっと握りしめたそうです。 なお、この蛙の置物と子豚のぬいぐるみはグリーグの家(現在のエドヴァルド・グリーグ博物館)に展示されています。 ちょうどこのグリーグが活躍した時代というのは、当時勢いのあったドイツのロマン派音楽が周辺諸国へと波及し、 それぞれの国の民族的要素と融合した新しい音楽様式が生まれましたが、それを音楽史の中では「国民楽派」と呼んでいます。 その背景には、当時鉄道が整備され人々の移動が容易になったことも関係しているのではないかと思われます。 国民楽派の作曲家たちは、自国の歴史や風物、民謡、民族音楽などを題材にした作品を積極的に作りました。 ロシア、ボヘミア地方、北欧などで様々な作曲家たちが活躍し始めるのがこの時期です。 『抒情小曲集』は、エドヴァルド・グリーグが1867年から1903年にかけて作曲した、全66曲からなるピアノ曲集です。 6~8曲ごとにまとめられて出版され、全10集からなっています。 1867年、《ピアノ協奏曲イ短調 作品16》で一躍有名になったグリーグは、この年から1901年にかけてこの作品集を書き上げました。 抒情小品は生涯にわたって作曲されているため、グリーグの作風、ピアニズム、その変遷すべてがその中にあらわれていて、 作品群の中でも中心的な存在です。 いずれも1分~6分程度の小品で、ステージ用というよりは、主にサロンや家庭で広く親しまれていました。 どの曲にも標題がつけられていて、それぞれの曲に対して、一つの感情、気分、情景が表現されています。 1867年、第1集を発表しましたが、その後ピアノ、作曲、指揮など多忙だったこともあって、第2集が発表されたのは、 その16年後でした。第2集から第10集はある一定の間隔をおきながら続けて作曲されました。 全10巻で、計66曲の作品がおさめられています。 グリーグ : 抒情小品集 第4集 / Lyriske smastykker No.4 op.47 第4集は、第3集の出版からちょうど10年後にあたる1888年に出版された。比較的やさしい技巧で弾くことができた第3集までの作品と比べ、 第4集以降、やや難易度が増しています。また、第3集にみられたような、全曲を通しての内容の一貫性はありません。 1.即興的ワルツ / op.47-1 "Valse-Impromptu":民族的な舞曲のリズムにのせて、どことなく物憂げで神経質なメロディがさまようように奏でられます。 Strettoの部分は即興的で、非常に煌びやかな効果をあげています。全体的に単調にならないよう、ハーモニーの変化を感じて演奏しましょう。 2.アルバムのページ / op.47-2 "Albumblad":なにか輝かしい良き日の思い出を想わせるような、一曲で、技巧的に難しい曲です。 メロディが中心となる主要な箇所と、挿入句的なパッセージの部分とは、効果的に雰囲気を分けて演奏しましょう。 3.メロディー / op.47-3 "Melodie":和音が一定のリズムを保ちながら、伴奏をきざみ、その上を憂いにみちた旋律が延々と歌われていきます。 和音の中で、いかに旋律を音楽的に奏でることができるかが重要です。そのために、伴奏のリズムに推進力をもたせることも大切でしょう。 4.ハリング / op.47-4 "Halling":民族的な和声とリズムの面白さが魅力的な曲です。第2集の〈ハリング〉と同じリズムが用いられています。 5度の音程をシンコペーションのリズムで一定に刻み続けます。時に音量を変化させながらも、このリズムをかなり正しく演奏することが、 曲の雰囲気を出す上で重要です。声部ごとに強迫拍の位置が異なっていることも意識して演奏しましょう。 5.メランコリー / op.47-5 "Melankoli":タイトルが示すとおり、ため息のような旋律が欝欝とした様子で静かに奏されます。 各部によって、支えになっている持続音が変化しているので、これを意識して、色合いを変化させていきましょう。 6.スプリング・ダンス / op.47-6 "Springdans":1975年に出版された《家庭音楽集》の中に既におさめられていた曲を改訂した曲です。 舞曲のリズムが刻まれ、その上を活気に満ちた旋律が進んでいきます。大きな跳躍をみせる技巧的な部分、叙情的な中間部など魅力に富んでいます。 中間部の旋律は、比較的あっさりめに演奏するほうが旋律のもつ性格が活かされるでしょう。 和声的な進行を意識し、主要な音の動きを把握して演奏することも大切です。 7.エレジー / op.47-7 "Elegie":旋律につけられているアクセントは、強く、というよりはテヌート気味に奏されます。 物憂げに繰り返される旋律に対して、下降していく和音の色づけにも心を配りたいところです。 中間部では、装飾音を帯びて増やされた音とともに、抑圧された悲しみも、より増していくように感じられます。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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木管五重奏「愛の喜び」クライスラー 楽譜
¥2,000
木管五重奏「愛の喜び」クライスラー Liebesfreud Fritz Kreisler 編成はFl.、Ob.、Cl.2本、Bsn.です。 サックス五重奏版、金管五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。 20世紀初頭の美しい名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/NvZ_fgGlm0s Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html 『愛の喜び Liebesfreud』は、オーストリア出身の音楽家フリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler/1875-1962)による ヴァイオリンとピアノのための小作品です。 同じくクライスラーによる作品『愛の悲しみ Liebesleid』と対を成す楽曲で、さらに『美しきロスマリン』を加えて 三部作として扱われることもあります。 クライスラーは、ロシアのピアニスト、セルゲイ・ラフマニノフと親交があり、ラフマニノフはクライスラーの 『愛の喜び』『愛の悲しみ』の2曲をピアノ独奏用に編曲しています。 一般的に、作曲家が愛や女性を題材とした作品を作曲する際、当時の作曲者にとって大切な存在である特定の女性が 実在している場合が少なくありません。 クライスラーの場合は、1901年に知り合い翌年に結婚した妻との出会いが『愛の喜び』誕生に大きく影響しているようにも 考えられます。 クライスラーは1901年(26歳頃)、アメリカからヨーロッパに戻る船の中で、アメリカ人女性のハリエット・リース(Harriet Lies)に 出会い、一目惚れしてすぐに婚約までこぎつけました。 ハリエットはブルックリンの裕福な煙草商の娘で離婚歴もありましたが、社交的で聡明な彼女はクライスラーの性格や 音楽の才能をすぐに理解しました。二人は翌1902年にニューヨークで結婚式を挙げ、晴れて夫婦となりました。 彼女は妻としてだけではなく、演奏家としてのクライスラーを直接支えるマネージャーとしても有能さを発揮し、 自宅での練習スケジュール管理から、演奏会のギャラ交渉まで、表と裏でクライスラーの音楽活動を支える大きな存在となっていきました。 ハリエット・リースと出会った後に『愛の喜び』が作曲されたとすれば、その愛とはハリエットへ向けた愛情であったのではないでしょうか。 『愛の喜び』や『愛の悲しみ』は最初に1905年に出版され、その後1911年に別の歌集にまとめられたとされており、 時期的にも結婚から数年後のことです。 ちなみに、ドイツ語タイトル「Liebesleid」の「leid」は本来「苦しみ」とも解釈できるので、将来の妻との恋愛中に感じていた 胸の苦しみだったのかもしれません。 『愛の喜び』は2006年に放送されたドラマ「のだめカンタービレ」第9話では、クライスラー『愛の喜び』が挿入曲として使われていました。 第9話では、のだめの催眠術によって飛行機恐怖症に打ち勝った千秋が登場。のだめのために北海道に行ってカニを土産に持ち帰り、 カニを届けにハリセン宅にいるのだめに会いに行くシーンで『愛の喜び』が流れます。 テレビ朝日系列で1998年から2016年まで放送されていたバラエティ番組「いきなり!黄金伝説。」では、人気コーナー「1ヶ月1万円節約生活」で、 クライスラー『愛の喜び』が挿入曲として使われていました。 『愛の喜び』、『愛の悲しみ』、そして『美しきロスマリン』の3作品は初演当時、クライスラー作曲の作品としてではなく、 オーストリアの音楽家ヨーゼフ・ランナー(Joseph Lanner/1801-1843)の作品(の編曲)として発表されていました。 ヨーゼフ・ランナーといえば、ヨハン・シュトラウス一家に先立ってウィンナ・ワルツの様式を確立させた「ワルツの始祖」とも言うべき名作曲家です。 オーストリア出身のヴァイオリニスト、フリッツ・クライスラー(Fritz Kreisler/1875-1962)は、自分が作曲した楽曲を 昔の作曲家による作品として発表するという「偽作」を行った音楽家として知られています。 例えば、クライスラーの代表曲『愛の喜び』や『愛の悲しみ』などは、「ワルツの始祖」ヨーゼフ・ランナーの作品を編曲した楽曲として発表されていました。 クライスラーの偽作は一曲や二曲ではなく、『ヴィヴァルディの様式による協奏曲』や『バッハの様式によるグラーヴェ』など、 主にバロック期の作曲家に関連する偽作を数多く発表していました。 これらの偽作はすぐに発覚することはなく、発表されて数十年も経ってから、本人が還暦を過ぎた頃にさらっと認めて大騒ぎになりました。 偽作の意味や理由・動機については諸説あるようで、 クライスラーの偽作は、自分のコンサートで演奏プログラムに自分の作品ばかり並ぶのを避けたいという意図があったというものです。 その理由については彼のいたずら心によるものであるとか、注目を集めるためにそうしたとか、諸説ありますが、 本人は「プログラムに自分の名前ばかり並べるのは不遜に思えた」と語っています。 発表後間もなく偽作に気付いた人もいましたが(ハイフェッツやエネスコなど彼の親しい友人達)、評論家達は当初、手放しで賞賛していました。 これは、自分の名前ばかり並んで出しゃばり過ぎるから謙虚にしたいといった理由だけではなく、あくまでも観客の立場に立って、 同じ作曲家による(同じ作風の)曲だけでは観客が飽きてしまうだろうという配慮(サービス精神)があったようです。 作曲者の名前だけ変えても同じ作風では観客に飽きられてしまいそうですが、クライスラーの偽作は様々な作曲家の作品の一部を引用して 編曲しているので、その点では発覚しにくかったと考えられています。。 また、演奏家が作曲することに当時偏見があったこと、そして活動中の名ヴァイオリニストの作品だと他の演奏家が扱いにくいなどの理由が 考えられるようです。 演奏家の作曲ということに偏見を抱く人が多いと彼自身が感じていたことと、もし、存命中の「大ヴァイオリニスト・クライスラー」の 作曲ということになると、同時代の他のヴァイオリニストが遠慮して弾いてくれないだろう、という危惧があったからです。 クライスラーの偽作は、他者への深い配慮の末に決断された苦肉の策であったようです。 新聞社Webサイトの記事でも、 クライスラーの釈明は「自作ばかりでは聴衆がうんざりする」「私の名が前面に出ては同業他者が弾きにくい」の2点だというふうに 同様の理由・動機を挙げています。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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サックス五重奏「2つの東洋の絵画」から Spring 春 楽譜
¥1,800
サックス五重奏「2つの東洋の絵画」から Spring 春 Spring from 2 Eastern Pictures Gustav Holst 編成はソプラノ、アルト2本、テナー、バリトンです。 木管五重奏版、クラリネット五重奏版は発売中です。 20世紀初頭のコミカルな名曲を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/iw7fWBJf5Pg Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html グスタフ・ホルスト(Gustav Holst 1874年 - 1934年)はイギリスの作曲家です。 10代の頃から作曲を行なっていたホルストは、1893年にロンドンの王立音楽院に入学しました。 王立音楽院ではトロンボーンも学び、卒業後はオーケストラ奏者として生計を立てていたこともありました。 また、この時に同郷の作曲家であるヴォーン・ウィリアムズと知り合いました。 ホルストはイングランド各地の民謡や東洋的な題材を用いた作品や吹奏楽曲を多く作曲したことでも知られています。 1905年からはセント・ポール女学校の教師として働くことになりました。 女学校では防音装置を備えた専用の部屋を与えられ、ホルストは音楽教師の仕事をしながら作曲活動を行いました。 1934年に出血性胃潰瘍のためロンドンにて亡くなりました。59歳没。 ホルストは1895年ごろからはインド文学に傾倒するなど、東洋の文化に非常に興味をしましました。 そして、古代インドの聖典であるリグ・ヴェーダの讃歌にもとづく合唱曲を発表しています。 また、日本を題材とした「日本組曲」という曲を作曲しています。 組曲「惑星」も、惑星を題材としているが天文学ではなく占星術から着想を得たものになっています。 ホルストはオーケストラだけではなく、吹奏楽曲の作曲家としても広く知られています。 ホルストが作曲した吹奏楽作品で、最も有名なものは「吹奏楽のための第1組曲」です。 また、イギリスではブラスバンド(金管バンド)が盛んであるためか、ブラスバンドのための曲も作曲されています。 「2つの東洋の絵画」(H112)は、1911年に作曲された作品です。 インドの詩人カーリダーサの「季節のめぐり(リトゥ・サンハーラ)」を ホルストが英語に翻訳しテキストに使った女声合唱とハープのための作品です。 「春」は、枝々についた花と池に浮かぶ花、 そしてそこで恋を楽しむ少女たちの情景が描写された詩です。 ハープの軽快な伴奏に乗り、女声合唱が春の来た楽しい感じを歌います。 中間部で曲調が変わり、再び最初の旋律が現れて終わります。 「夏」は、神秘的なハープの伴奏に乗って、ハミングで始まります。 そのあと続く合唱はたくさんの星たちと月が輝く夜の中、 少女たちがくつろぐ情景を歌っていきます。 最後もハミングで神秘的な雰囲気の中で終わります。 Spring Two Eastern Pictures Spring the warrior hither comes, Bowstring formed by rows of bees. And his darts tipp'd with buds Wound our hearts with sweet lovelonging. Now the trees put forth their flowers, On the lakes the lilies fair Show their heads midst the waves Melting hearts with sweet lovelonging. What fair maid can vie with Spring? What sweet voice the cuckoo's song? Or smiling teeth the jasmine's hue? Or rosy lips the op'ning flowers? Bending down with blushing buds, Flaming mango branches wave To and fro with the breeze Filling hearts with sweet lovelonging. And within the lotus flower Dwells her love, the murm'ring bee Who with kiss and embrace Satisfies her sweet lovelonging. 春 2つの東洋の絵画 春 あの戦士がここにやってくる 弓のつるが鳴る ミツバチの列によって そして春の矢はつぼみを射抜き 私たちの心を傷つけた 甘い恋で 今 木々は花を咲かせ、 湖の上 美しきユリは 頭を見せる 波の中で 心を溶かすのだ 甘い愛の憧れで どんな美しい乙女が競えるのだ 春と? どんな甘い声なのだ カッコウの歌は? あるいはほほ笑む歯が ジャスミンの色合いの? あるいはバラ色の唇か 咲いた花の? 顔を赤らめてつぼみを垂らす 燃えるようなマンゴーの枝の波 あちこちのそよ風と共に 心を満たすのだ 甘い愛の憧れで 蓮の花の中には 愛が住む つぶやくハチが キスと抱擁で 満たすのだ 花の愛の憧れを Summer Two Eastern Pictures The fierce glaring day is gone. Gentle night hath spread her mantel cool and refreshing, lit by rays of a thousand stars and by the golden moon. The moon shineth on yon roof. Here lie maidens,crowned with jasmine, clad in silk rayment, on their ankles are rings that tinkle sweetly as they move. Wafted by jewelcovered fans, sweetest perfume floats o'er each breast. Song and harp unite with warbling birds to rouse from sleep the god of love. 夏 2つの東洋の絵画 激しく灼けつく日は去った 穏やかな夜はそのマントを広げた 涼しく爽やかに 千の星たちの光に照らされて そして黄金の月に 月は輝く 屋根の向こうに 横たわる乙女たち ジャスミンの冠と シルクのレイメントに覆われて 足首にはリングがあって 甘く鳴り響く 彼女たちが動くたびに 宝石で覆われた扇にあおがれて 甘い香りが漂う めいめいの胸へと 歌とハープとさえずる鳥たちとひとつになって 眠りから目覚めさせる 愛の神を アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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金管四重奏 フーガト短調(KV401)楽譜
¥2,000
金管四重奏 フーガト短調(KV401) Fugue in G minor W.A.Mozart 編成はTp.、Hn.、Tbn.またはEup.、Tubaです。 木管四重奏、サックス四重奏、クラリネット四重奏版は発売中です。 モーツァルトの名曲をコンサート・ピースに、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/qrIrDIeqHZU アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html フーガト短調(KV401)は、もともとオルガンのために書かれたが未完成の作品です。おそらく1782年に作曲され、最後の8小節は、補筆されています。 1782年から1783年にかけて、彼は、バロックの作曲家による多数の作品を所蔵する図書館を所有していた コレクター兼音楽ファンのゴットフリート・ヴァン・スウィーテン男爵を通じて、ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデルと ヨハン・セバスチャン・バッハの作品に深く精通しました。 彼が研究した作品の中には、ヘンデルのオラトリオとバッハの平均律クラヴィーア曲集がありました。 モーツァルトは両方の作曲技法を吸収して、 それを彼自身のものと融合させ、この時代のほとんどの作品に対位法の技法を使用ました。 フーガについて歴史的に重要な最初の主要な作曲家はモーツァルトであると考えられます。 モーツァルトは、後に大きな先見の明の1つであることが証明される方法で、フーガに具体的に取り組みました。 モーツァルトはバロック様式に精通しており、J.S.バッハの息子、C.P.E.から多大な影響を受けています。 しかし、モーツァルトを作曲家として解説するとき、彼がどれほど偉大なフーガ作家であったかについて話すことはあまりありません。 専ら弦楽四重奏曲の構成、形式、オペラなどに注目することになります。 しかし、彼には、彼の人気作品が示す以上の注目すべき点ががたくさんあります。 確かに、モーツァルトが生きていて音楽を書いている頃には、フーガ自体はほとんど人気がなくなっていました。 もはや誰もそれらを書くことをしませんでした。 しかし、モーツァルトがフーガの執筆に非常に興味を持っていたことは明白で、その端的な作品がフーガ(G min KV401-375eのフーガなど)だと言えます。 バロック音楽を吸収し、それを彼の作風と融合させた美しさをご堪能ください。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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クラリネット五重奏「ブーレ I/II」(バッハ)楽譜
¥2,000
クラリネット五重奏「ブーレ I/II」(バッハ) 無伴奏チェロ組曲 第3番ハ長調 BWV1009から Johann Sebastian Bach (Bourree I/II)BWV1009-5 編成はCl.4本、Bs,Cl.です。 金管五重奏、サックス五重奏、木管五重奏版は発売中です。 バッハによる幸福に満ちた作品を演奏で味わいたいものです。 コンサートピースの小品に、ぜひどうぞ。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/qYkkZxkXWlI Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html J.S.バッハ:無伴奏チェロ組曲は分散和音で奏されるチェロの豊かな響きが心に残る冒頭部分は大変有名で、曲名は知らずとも多くの方が聞き覚えのある旋律だと思います。 組曲全6曲が書かれた年代については、ケーテンの宮廷楽長時代(1717~23年)の前期と推定されています。 組曲の構造はバッハのクラヴィーア曲(例えば《イギリス組曲》等)と同様に、定型であるアルマンド/クーラント/サラバンド/ジーグの4つの舞曲形式を基本として、 加えて第1曲に前奏曲、最後のジーグの前の第5曲にメヌエット・ガボット・ブーレのいずれかの流行舞曲を取り入れた形に統一されています。 1717年、バッハは32歳の時にケーテンの宮廷楽長に迎えられました。 当地の侯爵は音楽に理解が深く、優れた奏者を抱え、自らも楽器を嗜むほどでした。 その恵まれた環境の中でバッハは管弦楽組曲、ブランデンブルク協奏曲など器楽の傑作を数多く生み出したのです。 さらには実験的な創作の挑戦も許され、無伴奏のヴァイオリンおよびチェロで豊かな和声と精巧な対位法を併せ持った壮大な世界を創造したのでした。 これまで伴奏に従事していたチェロが独奏楽器として扱われはじめたころで、その独奏も伴奏付きだったから、やはりバッハは並はずれた作曲家ですね。 第3番はチェロが明るく、そして存分に鳴り響くハ長調で書かれ、雄大な音楽を聴かせます。 前作第2番の悲劇的な楽想とは対照的です。 第2番を創作するころに最初の妻マリア・バルバラと死別してしまいます。その深い哀しみを第2番で吐露しました。 そして数人の子どもを抱えて途方に暮れていたことでしょう。 しかしほぼ1年半後には同じ宮廷の歌手であったアンナ・マクダレーナを迎えることができたのです。 マクダレーナは優れた音楽家でるばかりか、バッハの仕事を支えた良妻だったのです。 その幸福で揚々たる心境が楽曲の隅々までに満ちています。 「組曲」とは一般的に何種類かの舞曲を並べたもののことで、16世紀から18世紀頃の間に流行した音楽形式です。 この形式はバロック時代の終焉とともにすたれていき、わずかにメヌエット楽章などにその痕跡を残すことになります。 その後の時代にも組曲という名の作品はありますが、それはこの意味での形式ではなく、交響曲ほどの厳密な形式を持つことのない自由な形式の作品というものになっています。 この二通りの使用法を明確に区別するために、バッハ時代の組曲は「古典組曲」、それ以後の自由な形式を「近代組曲」と呼びます。 バッハは、ケーテンの宮廷楽長をつとめていた時代にこの組曲形式の作品を多数残しています。 この無伴奏のチェロ組曲以外にも、無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ、無伴奏フルートのためのパルティータ、そして管弦楽組曲等です。 ヴァイオリンの組曲はシャコンヌに代表されるようにポリフォニックな表現を追求していますが、チェロ組曲では重音や対位法的な表現は必要最小限に限定されています。 チェロとヴァイオリンでは演奏に関する融通性が違い単純な比較はできません。 この素晴らしい作品がカザルスが古道具屋で偶然に楽譜を発見するまで埋もれていたのです。 今日ではチェロの旧約聖書とも言われるこの無伴奏チェロ組曲ですが、バッハの他の作品同様にその死後は長い間日の目を見ることはありませんでした。 この作品に再びスポットライトを当てたのは20世紀を代表するチェロの巨匠、パブロ・カザルス(1876-1973)でした。 1890年、スペイン、バルセロナの店で当時13歳のカザルスは偶然にこの曲の楽譜を手にします。 1904年にはパリで全曲演奏会を開き、1936~39年にはレコーディングをするなど、その価値を再発見し広く世に紹介したことでも有名です。 カザルスは生涯をかけて無伴奏チェロ組曲と向き合い続けた音楽家で、彼の存在なくしてこの作品が今日の認知度を得られたかどうか疑わざるを得ません。 組曲の中で最も演奏機会の多い作品がこの3番です。 ハ長調という調性がチェロにとっては演奏しやすく、そのために4声和音を生かした低音の響きが容易に引き出せるために演奏効果が上がりやすいという事情があります。 また、細かい音符の流れの中にト音が執拗に繰り返されることからくる効果は絶大で、冒頭の前奏曲に何とも言えない力強さと迫力を与えています。 持続低音(オルゲルプンクト)の効果が絶大に発揮された部分です。 第5曲 ブーレ I/IIは第3番の中で一番知られている曲です。速いテンポの中にも落ち着いた風情があります。三部形式、2分の2拍子で書かれています。 この曲はヴァイオリンの教則本にも、伴奏付きでヴァイオリン用に編曲されて載っている有名な曲です。演奏会用の小品として奏される機会も多く見られます。 ブーレⅡでは一転して短調になります。ここは、今までの盛夏の景色から変化して、ちょっと秋の気配を感じる雰囲気です。 舞い散る木々の葉を思い起こさせる様相です。 バッハが愛妻家だったことは誰もが認めるところですが、最初の結婚は1707年で、相手は従妹のマリア・バルバラでした。 バッハ22歳、バルバラ23歳の頃です。ふたりの間には7人の子供ができたほど、仲睦まじかったようです。 バッハはドイツでも有名な、代々音楽家を輩出した家系ですが、バッハの息子も4人が高名な音楽家になっています。 そのうち、バルバラとの間に生まれたのはヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ(1710~1784)と、 カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714~1788)です。 ケーテン時代、バッハが侯爵のお供で保養地に出張している間に、妻バルバラは急死してしまいました。 帰宅した日の10日前にはすでに埋葬されていました。 翌1721年、バッハに縁談があり、宮廷トランペット奏者の娘でソプラノ歌手のアンナ・マグダレーナと結婚しました。 バッハ36歳、アンナ20歳の頃です。アンナ・マグダレーナは、内助の功を上げた、良妻賢母とたたえられる女性です。 4人の子持ち男バッハとの再婚なのに、家事・子育てのみならず、音楽的才能を存分に活かして彼の活動の手伝いをしました。 バッハの作品の写譜もたくさん行ったのですが、筆跡もそっくりで、後世の研究者を悩ませました。 最初の妻、バルバラは年上の妻でもあり、対等な関係の夫婦だったのに対して、アンナとはかなり年が離れていました。 アンナは夫を深く尊敬していて、バッハは若いアンナの魅力に惚れ込んだと伝えられます。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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木管五重奏 エクスパンシーヴァ(気さくに)ワルツ 楽譜
¥2,100
木管五重奏 エクスパンシーヴァ(気さくに)ワルツ Expansiva, Valsa エルネスト・ナザレ Ernesto Julio Nazareth 編成はFl.、Ob.、Cl.2本、Bsn.です。 サックス五重奏版、クラリネット五重奏版、金管五重奏版は発売中です。 「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を、ぜひお楽しみください。 お求めの際はこちらからお願いします。 アトリエ・アニマート・ショップ https://animato.official.ec/ 参考音源 https://youtu.be/AT0uJbZ7ngg Youtubeチャンネル https://www.youtube.com/channel/UCbc_7CUTWTYOuyu_WQcflxQ アトリエ・アニマート楽譜ページ1/3 https://animato-jp.net/rec-band/gakufu.html Expansiva, Valsa エクスパンシーヴァ(気さくに)、ワルツ 変ニ長調の落ち着いた上品なワルツです。Bメロは変イ長調。Cメロは変ト長調で、8分音符分散和音が拡がりを見せます。 この音の拡がり(=expande)のイメージからExpansivaという題名がついたという説もあります。 全体的にどの部分の旋律も半音階的で複合調性のような不思議な感覚を味わえます。 この点でもふんわりとした拡がり(=expande)を感じさせてくれるのではないでしょうか。 「ブラジルの魂そのもの」と讃えられるナザレの音楽を知らずしてブラジル音楽は語れません。 南国ののどかな風光と、アフリカの野性的なエネルギーと、ロマンティシズムが渾然と混じり、甘美で、ちょっぴり切ない独特の音楽が聞こえてきます。 ミニョーネはこう述べている。「私は1917年頃にEduardo Soutoの楽譜店でナザレに会ったことがある。ナザレは自作曲を決して急がず、 カンタービレで弾いていた。彼はこう言っていたよ、『私の作品はあちこちでメチャメチャに弾かれている。みんな速く弾きすぎだ。 特に "Apanhei-te, Cavaquinho" は酷いことになっている。あの曲はゆっくりと、左手はカヴァキーニョを思い浮かべてアルペジオで弾くもんだ』と。」 エルネスト・ジュリオ・ナザレー (Ernesto Julio Nazareth (またはNazare とも), 1863年3月20日 - 1934年2月4日)は、ブラジルのピアニスト・作曲家です。 一生をリオ・デ・ジャネイロで過ごしました。「ブラジル風タンゴ」やショーロなど、国内の民族音楽に影響されたピアノ曲を量産しました。 そのような作曲姿勢から、しばしば「ブラジルのショパン」と呼ばれています。ピアノ以外の音楽教育は学ばなかったため、 残された作品はサロン小品と声楽曲ばかりであり、管弦楽曲や室内楽・カンタータやオラトリオのような分野の大作はなく、作曲技法も必ずしも洗練されていません。 しかしながら、民衆音楽の影響のもとに切り開いた独自の素朴な詩境は、のちにヴィラ=ロボスから、「ブラジルの魂」と称賛されました。 中産階級ながらもあまり豊かでない下級官吏の家庭に生まれ、ショパンを愛する母親からピアノの手ほどきを受けました。 早い年齢でたぐい稀な音楽的才能が認められ、家族ぐるみで付き合いのあったアフロ=アメリカンの作曲家、 リュシアン・ランベールにも音楽の手ほどきを受けました。 1873年に母親が亡くなってからもピアノを学び、間もなく作曲も手がけるようになりました。 最初の出版作品のポルカ『ボセ・ベン・サービ"Voce Bem Sabe"』 (あなたはよく御存知)は、14歳になるまでに作曲・出版されました。 その後は、ショーロの楽士たちとたむろして、敏感で独特なリズム感を身につける。マシシェ maxixe やルンドゥ lundu 、ショーロ choro 、 アフリカ系住民のダンスなど、さまざまな民族舞曲に影響されました。 長年ナザレーは、映画館オデオン座の待合室でピアニストとして働き、ここで最も有名な作品の一つ『オデオン』を作曲しました。 外国から数少ない音楽家がブラジルを訪問した際、オデオン座のナザレーの演奏を見学したといわれています。 1920年代初頭には、音楽ショップにピアニストとして雇われました。顧客が購入する際に持ち寄ってきた楽譜を見ながら、演奏し、 客の要望に沿うかどうかを確認して見せるのが任務でした。客の中に、ナザレー作品の楽譜を手ずから弾こうとする者がいると、止めさせて、 解釈が誤っていると苦情を言うのが常だったそうです。 ナザレーは、心底からのブラジル人音楽家であり、音楽は楽しまれるべきであるとして、それ以上を望みはしませんでした。 ほとんど独学であり、音楽活動のほとんどは、劇場や映画館の伴奏ピアニストとして、あるいは小劇場のアンサンブルでのピアニストとして、 演奏するのに振り当てられました。 そのような劇場アンサンブルの楽団員の知り合いには、後の大作曲家ヴィラ=ロボスがいて、当時はチェリストとして活動していました。 ナザレーはショーロの発展のおおもとであり、ヴィラ=ロボスは、これに基づき、後に自らの創作活動を繰り広げていったのです。 ナザレーは、ブラジルの民族音楽以外にも明らかに影響されていて、子供時代にむさぼるようにして学んだショパンの影響が中でも顕著です。 また、1869年にきら星のようにリオ・デ・ジャネイロにデビューして、瞬く間にブラジル楽壇を席巻したゴットシャルクの作風もナザレーにはお馴染みでした。 作品には、19世紀ヨーロッパのクラシック音楽の豊かな和声法がこだましながら、ナザレーの生地ブラジルの、シンコペーションをともなう 民族舞曲のリズム法に織り込まれてゆくのが認められます。そのうえ、アメリカ合衆国のラグタイムや初期のジャズの、小気味よいリズム感も健在である。これらの要素を統合して一つの有機体へとまとめ上げたことがナザレー独自の能力で、結果的には、ピアノ曲のレパートリーだけでなく、20世紀の音楽にも重要な貢献を果たしている。 ナザレーはショパンやその他のヨーロッパの作曲家から霊感を受けたように、逆に自らも、間接的とはいえ、ヨーロッパの作曲家に何かしらの影響を与えています。 フランス人作曲家のダリユス・ミヨーは、自伝の中で、ブラジル滞在中にリオ・デ・ジャネイロの映画館でナザレーがピアノを演奏する風景を回想しています。 ミヨーはその音楽のリズムにたちどころに虜となって、ブラジル音楽をきわめてやろうと決心したというのです。 その最終的な成果こそが、ミヨーのピアノ曲『ブラジルの想い出 Saudades do Brasil』でした。 ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ばれていますが、作品に副題を好んでつけた点で、ショパンとは違っています。 ショパンやフォーレよりもヨーロッパのサロン音楽の伝統に忠実だったといえます。 しかしながら19世紀から20世紀初頭まで、ヨーロッパではサロン小品にフランス語の題名をつける慣習がまだ根強く残っていたのに対して、 ナザレーは母語のポルトガル語に固執しました。 また題名によって、ドビュッシーやラヴェルのように、美術や文学からのインスピレーションをほのめかしたり、 リストのように詩的な連想を暗示することもありませんでした。 ナザレーの曲名には、しばしば第三者にとって謎めいた響きをもつものもありますが、それらは実在するスポーツチームやダンスクラブ、雑誌名など、 ナザレーの日常生活の周辺から切り取られたものばかりです。このような意味で、ナザレーは「ブラジルのショパン」と呼ぶよりは、むしろ 「ブラジルのクープラン」と呼んでこそふさわしいかも知れません。 およそ300曲のピアノ小品において、ナザレーはみごとに、大衆的なブラジル舞曲のエッセンスを捕まえています。 ナザレーは、厳密には都会の聴衆のために作曲したのですが、その作品には、(ブラジルで奴隷制が廃止された1888年以降の作品でも、) アフリカ系民族音楽の豊かな影響が息づいています。ほとんどの曲に、スコット・ジョプリンが発想したようなシンコペーションが使われています。 ナザレーのピアノ曲には、ブラジルのありとあらゆるダンスが盛り込まれています。マシシ(英語版)、バトゥーキ(英語版)、 サンバ、 そして中でも重要なのがタンゴです。後に世界中を熱狂させ、席巻したタンゴが、ブラジル生まれだったというだけでなく、 実際にはナザレー自身の創り出したジャンルだったという証拠になるからです。 もしそれが間違いだったとしても、「ブラジル風タンゴ」の発展のほとんどにナザレーがかかわっていて、このジャンルに優に100曲を残しています。 最も有名な作品に、『ブレジェイロ(ろくでなし)"Brejeiro"』『アメノ・ヘゼダ"Ameno Reseda"』『バンビーノ(赤ん坊)"Bambino"』 『トラベッス(腕白坊主)"Travesso"』『フォン・フォン"Fon-Fon"』『テネブローズ(暗闇)"Tenebroso"』があります。 ナザレーが初めて「ショーロ」と呼んだ作品のうち、『アパニェイチ・カヴァキーニョ(頑張れカバキーニョ)"Apanhei-te Cavaquinho"』は、 さまざまな楽器アンサンブルによって演奏できる、古典的名作です。 晩年になって完全に聴覚を失うと、創作活動にも支障をきたしましたが、それでもブラジル国内ではなかなかナザレー人気は衰えませんでした。 ゴットシャルクやジョプリンを評価する人たちなら、ナザレーの残した魅力的な宝石たちをきっとたちまち気に入るに違いありません。 作曲者の死後から半世紀を経た近年になって、ナザレー作品を集めたアルバム制作が世界的にも相次いでいて、最近では伝記や、 作曲者に関するCD-ROMも発表されています。ナザレーは、クラシックとポピュラー音楽にまたがって活動したことから、ナザレーのピアノ曲は、 クラシックの学び手にも、ポピュラー音楽の学び手にも、有用な教材とされつつあります。 アトリエ・アニマート https://animato-jp.net/
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